浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

みんな一緒

2019-04-30 21:37:40 | 社会
 『朝日新聞』記事に、「テレビは改元一色に テレ東「他局とは違う味付け」」というのがある。バカを言ってはいけない、新聞もである。

 メディアは、すべて政府の広報機関と化している。テレビは国営放送、新聞は官報。みんなと一緒なら文句も言われないだろうという、画一主義。

 コンフォーミズムが強力に働いている。ファッショ的ですらある。メディアがひとつに束ねられ、「国民」の前に呈示される。

 カイゲン、カイゲン・・・・・・・・・・そうした狂騒を避けて、私はモーツアルトを聴きながら、これを打っている。

 日本人が「開眼」することはあるのだろうか。
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日本に於けるレイシズム

2019-04-30 19:29:55 | 映画
 
 Racism in Japan 日本では人種差別がありますか?
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忠犬は、いつまでも犬扱い

2019-04-30 09:22:15 | その他

 アベは、犬なんですね。
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平成最後の・・・・

2019-04-28 22:47:07 | メディア
 「平成最後の・・・」ということばを、メディアは多用しすぎではないか。このようにメディアが多用するということは、記者らがいかに元号という虚構の時代認識に毒されているかの証明となっている。

 幸いわが家にはテレビ視聴という習慣がないので助かっているが、おそらくテレビでも「平成最後の・・・」がくり返されていることだろう。

 メディアのだらしなさが指摘されるようになって久しいが、そのメディアで働いている記者も、要するにだらしなくなっているということなのだろう。

 私が若い頃に知り合っていた記者は、もうほとんどが退社してしまっているが、思い返せば彼らは一人ひとり個性があって面白かった。気骨があった。思想が異なっても、話し合えることができた。同じ内容を書いた記事でも、それぞれの切り口が異なり、なるほどと思ったこともたくさんあった。

 今はそういう個性ある記者が少なくなっているようだ。

 現役の地方の通信局にひとりで勤務している(おぼえめでたくないので、彼は部下をもたない。いつもひとりの通信局にまわされている)記者は、若い記者はかわいそうだとこぼす。地方の記事を載せる紙面のスペースがありすぎるので、とにかくひたすら簡単な記事を書きなぐっている、なかにはこんなはずではなかったと記者をやめていく者もいるという。

 私の友人は、そのようなスペースを埋める記事にこだわらず、いろいろな面白いテーマを探して書いている。書く本数は少ないが、時間をかけてじっくりと書く。他社の記者から、なんでそういう記事を書けるのですか、と問われることがあるという。
 簡単なことだ。ある程度の問題意識があれば、書くべき記事は転がっている。それを探せないだけである。そのためには、支局や記者クラブにこもっていてはだめだし、記者仲間と話してばかりいてはだめだ。とにかく様々な人びとと交流することである。人びとは、誰でも報じなければならないような問題を抱えながら生きている。それを探せばよいのだ。

 そしてもう一つ。上昇志向は捨てることだ。そうすればとても楽になる。自分より若い者が上司となっても気にしないことだ。価値観が異なることに自信をもてばよい。

 「平成最後の・・・」で始まる記事なんか書かなくても好い。人びとは元号と関わりなく時間をいきているのだから。
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10連休?

2019-04-28 21:06:06 | 社会
 10連休だと、メディアは騒いでいるが、しかし人びとは働いている。私は、実家の板塀のペンキ塗り、春夏野菜のために畑を耕し、6月の研究会報告と講演のための準備と、休んでいる暇はない。

 昼は馴染みのラーメン屋に行ったが、いつも通り月曜日は休みますよ、だって。ずっと店を開けていたら疲れてしまう、と。

 浜松市の図書館もずっと開館。ほんとうに安い賃金で働かされているのに、ご苦労様です。スーパーももちろん開店である。

 10連休だと浮かれ騒いでいるのは、一部の人のように見える。

 
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中高の「部活動」の害悪

2019-04-28 08:46:00 | 社会
 私はこの主張に同意する。

日本のパワハラ・頑張りすぎ社会を生み出す「ブラック部活」の弊害
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思いつきでカネを捨てるクールジャパン

2019-04-27 07:57:32 | 政治
いい加減に私たちの税金をドブに捨てるのはやめてほしいクールジャパン

 アベ政権になってからの財政支出の中身を見ると、私物化と無駄遣いだけ。これで支持が減らないというのもわけがわからない。
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【本】小倉紀蔵『京都思想逍遥』(ちくま新書)

2019-04-27 06:13:41 | 
 昨日日帰りで上京、その新幹線車中で読み終えたのがこの本。『朝日新聞』の先週の書評で、憲法学者の石川健治氏が紹介していたので早速購入して読んでみた。知的なエッセイ集といったところである。

 小倉氏は京都大学の教員である。京都を逍遥しながら、京都に関わりのある知識人について、自身の関心から一部を読み説くというものだ。確かにその背景には小倉氏の知的世界の広がりがあり、私自身の脳の活性化に寄与したのではないかと思う。

 笑えたのは、各所でみずから問いをたてながら、「知らぬ」と書き切る潔さである。とはいっても、それならみずから問いをたてるのはやめればよいのではと思ってしまう。

 最初に小倉氏は、「悲哀」に重い意味を付与する。

 「生を、その極限まで生ききることである。その一瞬の極限に、生の絶頂をかがやかすことなのである。そのはかなさを生ききることが、悲哀することなのである」

 というように。

 また「諸行無常」を、「力を持った者が強引につくろうとする虚構の「歴史秩序」が、世界のすべての無秩序な意志の闘争によってうつくしく破砕されて乱れ散る様相を語っている」とする。これは「諸行無常」の拡大解釈ではないかと思ってしまう。

 このように、小倉氏は、語彙の従来の解釈を一気に飛び越えることをする。それもまた楽しい。

 小倉氏は、高橋和巳と村上春樹を並べる。もちろん氏は高橋和巳を称揚する。その一方で、村上春樹の小説は「息ができないので読めない」と切り捨てる。私にとっては、高橋和巳は重量級の思索を持った小説を書き、村上は軽佻浮薄な観念をもてあそぶだけの小説を書いたと思っているので、その点では小倉氏に共鳴する。

 この主張は、私も同感である。

 「ひとは、主体性を持っているのではない。ひとを構成しているのは、無数の他者の主体性であって、個というのはその多数性のせめぎあいのなかから、立ち現れるものなのである。」(079)

 ひとは他者との関係性の中でみずからを立ち上げるのだ。言い方を変えれば他者の存在なくして個人は成りたち得ない。「引きこもり」というのは、他者との関係を絶ってしまっているからみずからを立ち上げることができないのだ。他者との関係をたくさん持てば持つほど、ひとはみずからの個を豊かにすることができるのである。

 論ずべき点が多いのが本書である。しかし私はこうしたエッセイに関わり続けるほど暇ではないので、この辺で紹介を終わりたい。

 知的刺戟に満ちた本ではある。この著者の他の文献も読むつもりである。



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元号フィーバー

2019-04-25 21:20:57 | 社会
 最近、「平成最後の・・・」を枕詞につけることが流行っている。私は原則的に元号を使わないで生きてきたので、元号的な発想は皆無である。

 だからこそ、先程の枕詞にはげんなりする。

 今日、イオンモールに行ったが、そこでは「新元号 祝袋」などというものが大量に売られていた。ばからしい、というしかない。

 一世一元という制度のもとでの元号の機能は、皇帝による時間支配である。皇帝権力により私自身の時間が拘束されてなるものか、という意思を、私は持つ。

 今までも、元号のTとかSの記号に線を引いて西暦で書いていた。今後もそうするつもりである。

 今日、『週刊金曜日』が届いた。政治学者の白井聡が面白いことを書いていた。

 元号は「政治共同体の意思の原基的な源泉である」、だから元号は「「どこからともなく」現れ、国民に「共通の時間」という器を空の入れ物として(すなわち、その具体的中身を主権者たる国民が埋めるべきものとして)与えるのである」。であるがゆえに、「民主主義体制における元号は、それを準備した当事者の作為の痕跡が消されて空のものとして呈示されなければならな」いのだが、しかし「令和」の場合は、アベという最高権力者が、まさに新「元号」を「私物化」するものとして提示された、のである。

 近代日本がつくり出した「伝統」を、アベとその周辺の頭の悪い彼(ら)の悪知恵により、根本から掘り崩す役目を果たしているようにも思える。

 落ちて落ちて落ちていったその先に、ひょっとして光が見えてくるのかも知れない。

 「自分を殴りつける者を喜んで支持する者」は、所詮何物をも生み出さない。消えゆくのみである、消されたほうがよいものを伴って・・・・
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上野千鶴子さんの祝辞

2019-04-23 21:49:23 | 社会
 上野さんの東京大学入学式での祝辞が反響を呼んでいる。私は翌日の新聞報道で全文を読んだが、当然のことが書かれていると思った。

 私は男性より女性の方がずっと強いと思いながら生きてきたし、女性が社会進出していくのも当然であると思う。

 私は父が幼い時に病死しているので、母親に育てられた。その間の苦労をみつめながら生きてきたから、男性の方が偉いとか立派だという気持ちは一つもない。私は父親を知らずに育ち、その後みずからが父親になったのだが、おそらく世間一般の父親像とはかなり違っていたことだろう。父親を権威ある者として、子どもたちから認められてはいないことも知っている。それでよいと思っている。

 『AERA』で上野さんのインタビュー記事が載せられていた。上野さんは「男権社会のメンタリティーは18歳男子の間にも再生産されています。」とあるがその通りだと思うが、ただ私にはその男権社会のメンタリティーがない。

 私は学生時代、自立ということを意識的に追求した。子どもの頃から身のまわりのことは全て自分でやっていたが、とにかく生活的自立がなくてはいけないということから、料理にも挑戦した。いま料理や洗濯など家事のほとんどを私がやっている。

 しかし周りをみると、料理も出来ない男達がゴロゴロしている。奥さんがいないとコンビニで弁当を買って食べるという有様だ。自立できない男達は、偉そうするべきではない。奥さんに先立たれた男達の憐れさを見るがよい。逆の場合、つまり夫に先立たれた女性たちはとても元気だ。女性は、男性よりずっと強い。男性はそれを認めなければならない。

 男も、女性から生まれてきたのだ。女性なくして男性は存在しないのである。
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噓とごまかし

2019-04-23 06:16:21 | 政治
 『朝日新聞』の報道によると、政府はまたもや噓とごまかしをしているようだ。

 福島原発の事故により、私たちは様々なかたちで被曝しているはずだ。当然食品の中にも放射性物質は入っている。しかしそれでも私たちはそれらを食べていかなければならない。低線量だから安全というのは、それも予測でしかない。

 さて韓国が事故を起こした福島原発に関して、「韓国が2013年、事故を起こした福島第一原発から汚染水が流出しているとして、福島など8県の水産物の禁輸対象を一部から全面に拡大したことに対し、日本がWTO協定に違反しているとして提訴した。」ことについて、「紛争を処理する上級委員会が11日、韓国の禁輸を「不当な差別」とした第一審・小委員会の判断を破棄する報告書を出した。日本の事実上の逆転敗訴」したのである。

 これに対して、「菅義偉官房長官は12日の記者会見で「敗訴の指摘は当たらない」と強調した。理由として、上級委が日本産食品の安全性に触れていないため「日本産食品は科学的に安全であり、韓国の安全基準を十分クリアするとの一審の事実認定は維持されている」ことを挙げた。河野太郎外相もほぼ同じ発言をした。」

 ところが、「実際には第一審の報告書には「日本産食品は科学的に安全」との記載はなかった。さらに、第一審は「日本産食品が韓国の安全基準を十分クリアする」と認定していたものの、上級委はこれを取り消していた。「食品に含まれる放射性物質の量だけに着目した第一審の判断は議論が不十分」というのが理由だ。「科学的に安全」と付け加えたことについて、外務省と農林水産省の担当者は「第一審の『日本産食品が国際機関より厳しい基準で出荷されている』との認定をわかりやすく言い換えた」と釈明する。だが、WTOの紛争処理に詳しい中川淳司・中央学院大教授は「日本の基準が国際基準より厳しいことと、科学的に安全かは同義ではない。苦しい説明だ」と指摘する。」

 この記事を読み、日本政府は本当に不誠実だと思った。噓とごまかしをしているとしか思えない。

 こういう政府と官僚が日本の政治を動かしているとは・・・・!
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日本軍の犯罪

2019-04-22 23:03:55 | 近現代史
 忘れてはならない歴史である。とりわけ加害国日本の人びとは。

1942年に日本兵、豪の看護師21人を銃殺する前に何を 真実追求の動き
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NHKの「報道」

2019-04-22 21:34:51 | メディア
 NHKのニュースは、「報道」ではなく、「政府公報」になっている。私は何度も同じことを書いているが、私のカネはNHKにはいっていない。それだけでも、ああよかった。テレビは見ない、これこそ市民のあり方である。

説明しないのはわざと? NHKニュースが何を伝えたいか意味不明な報道
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「さん」と「容疑者」

2019-04-22 19:48:52 | メディア
 池袋の、もと高級官僚の交通事故、事故後、メディアは加害者を「・・・さん」としていた。これはおかしいとネットで批判がなされていたが、メディアはそれを正当化する記事を載せている。

池袋の母娘の死亡事故、メディアが「容疑者」と報じない理由とは?


 しかし、たとえ骨折して入院していても、神戸のバス事故では運転手が「容疑者」とされているのだから、同じように、「・・容疑者」とすべきではないか。

 私はハフィントンポストの「弁明」に納得できない。
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池袋事故

2019-04-21 22:40:13 | メディア
 事故を起こした飯塚幸三、なぜかマスコミは当初「さん」をつけていたが、今は「さん」をやめて、「もと院長」などとしている。

 二人の生命を奪ったのに、またその他の事故では呼び捨てなのに、この事故は「さん」づけ。

 ネットでは様々な意見が出されているが、メディアの報じ方への批判が多い。

 
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