『週刊金曜日』に掲載された石牟礼さんの文に、「日本語の「考える」という言葉をアイヌ語では、「魂がゆれる」というのだと知りました」という箇所がある。「魂がゆれる」ということば、なるほど石牟礼さんが共鳴することばだと思った。
石牟礼さんが書くこと、語ることは、魂、それも人間だけではなく、すべての生きとし生けるものの魂であるからだ。私も、石牟礼さんのことばに、「魂がゆれる」、つまり考えさせられる。石牟礼さんのことばは、深いではなく、底知れない。私の感性や知性では届かないほどの深みをもつ。いや石牟礼さんの想念の世界は無限につながっている。無限につながるということは、この宇宙とつながるということである。
そしてその世界は、死の世界へともつながる。
『図書』の石内さんの発言。石内さんは自然光でしか撮らないから、晴れてないといけない。
広島では、それまで雨が降っていても、私がセットしてはじめようかどうしようかと空を見ていると、晴れてくるんです。このワンピースを着ている少女が天から見ていて陽を射してくれているとしか思えないほど晴れる。
石内さんは、原爆で被爆した人々の、遺された衣服を写真に撮っている。
梯久美子さんはノンフィクション作家。よい文章を書く。
彼女はこう語る。
沖縄でずいせん隊という女学生の学徒隊生き残りのおばあさんに取材をしたときには、自分たちが逃げまわった壕の場所を教えて下さって、「行ったら足元をよく見てね」と言われました。「そこに私の友だちの血が染みているから」と。土地は死者を記憶すると、私は思っているんです。
日本の死生観は、たとえ死んだとしても、じぶんと関係ある人の近くに、魂として漂っている、というものだろうか。
私の父は、私が2歳のときに肝硬変で亡くなっている。私は、だから父を写真でしか知らない。その父に、私は墓参の度に話しかける。「母を長生きさせなよ、苦労させたんだから・・・」とか。
「土地は死者を記憶する」、それだけではなく、「生者も、死者を記憶する」。その死者は、近くにいる、それが私たちの死生観なのだろう。
https://twitter.com/kininaru2014111/status/978443299936657408
三島大社の近くを走ったが、お花見の人々で混雑していた。
その後、沼津市立図書館で、地域紙をみ、写真ととったりした。ここの唯一の欠点は、図書館の駐車場料金を払わなければならないことだ。初めの30分間は無料であるが、そのあとは1時間100円。私は13時すぎまでいて、300円を払う。
しかし、収穫はあった。
その後は、富士市役所。そこで会議。分厚い本を2冊持ち帰った。
今日は、忙しかった。
日本の貯蓄率は世界41か国中「34位」(下から8番目) なぜ日本の貯蓄率は低いのか?
防衛相も然り。
安保法2年 任務・武器、日米一体化進む 空母化改修、共同運用案も
安保法運用「国民チェックできぬ」 情報公開不足 自衛隊活動は拡大
周辺の山裾に、ところどころさくらの花が見えた。山の中のさくらは、あまり自己を主張しないからいい。
安倍川を渡り、国道一号線を外れ、市街地に向かう。途中小さな花屋さんがある。店の前に、鉢植えの花が色とりどりに咲き誇っていた。
一日、会議を行う。何とか書き上げた文について、説明をする。なかなか書くということには、時間がかかる。まだ完成しない。
夕方帰宅したら、『週刊金曜日』が届いていた。特集は「追悼 石牟礼道子」である。いつかは石牟礼さんが書いたものを読まなければならないと思いつつ、現在まで来ている。唯一、『苦海浄土』だけを読んでいる。それもずっと前だ。
私にとって、石牟礼道子のことばは、異次元の世界のそれに見える。私のようなちっぽけな存在には見えない世界を見ていた。
高峰武氏の「石牟礼道子さんが見ていた世界」には、石牟礼さんの「花を奉る」が載っている。読んでいて、ただ唸るしかない。この文が描く世界を、私は、とらえようとしてもとらえられない。
末尾だけでも記しておこう。
現世は いよいよ地獄とやいわん 虚無とはいわん
ただ滅亡の世せまるを待つのみか
ここにおいて われらなお地上にひらく
一輪の花の力を念じて合掌す
私も、「一輪の花の力」を念じる。
しかし、民間企業は不正なことをやらかしている。これでもか、これでもか・・である。
NISSAN、富士重工(スバル)、三菱マテリアル、神戸製鋼・・・・最近報じられた企業、それも巨大企業である。かれらが揃いも揃って不正を働く。こういう私企業が、自治体の模範となり得るのか。
三菱マテ系、品質不正70年代から 「感度欠けていた」
舗装大手9社に課徴金命令 成田空港談合で7.7億円
大臣への報告資料、ほぼ黒塗り開示 野村不動産特別指導
今日の『朝日新聞』だけでこれだけ。
夫婦揃って、国家のトップにはなってはならない人である。たまたか政治家一家に生まれて、勉強もせずに、いつのまにか、首相にもなってしまう。こういういわゆる毛並みのよい者が、成蹊大学には失礼だが、成蹊大学卒とは・・・・・・
まともな政治家というのは、権力を持つが故に自己抑制的にならなければいけない。しかし、彼らは、みずからの友人や知己を優遇するのに余念がない。勝手気侭に、権力を右手に持ち、左手に官僚を従えて、国有財産を分け与え、悦に入っている。
官僚たちは、喜んでいる。首相周辺がおのれの周辺の者たちを喜ばせているだけで、定見ある政策を打ち出すことも出来ずに(本来的に彼らにはその能力はない)、官僚に丸投げしている。官僚は自由に思うところの施策を展開し、それぞれの省庁が国家予算をうまいこと手に入れ、権益(省益)の維持発展にいそしんでいる。
そこに国民に対する温かい目は皆無である。
あろうことか、そういう安倍政権を、あらゆる批判から守ろうと、愚かな追従者がネットを中心にフェイクニュースをまき散らしている。そういうフェイクでしか(反論も出来ないので)、対抗手段がないのだ。
21世紀の初め、わがくには世紀末の様相を呈している。
まだあるアンタッチャブルな昭恵夫人“案件”を徹底検証
これほど、正義や真実がないがしろにされる時代はない。なにしろ、日本国家のトップ夫妻とその取り巻きがやっているのだから始末に負えない。
しかしそういう者どものが、道徳に積極的なのには驚く。
安倍の親衛隊の一人、八木秀次が、道徳教科書に関与したそうだ。
道徳教科書検定にヘイト本、児童レイプマンガ出版の「晋遊舎」の教科書が合格! “アベ友”八木秀次が仕掛人
安倍一味が、道徳に関与するなんて笑止千万である。
しかし、それが今の日本である。安倍が首相となって、よいことは何ひとつない。
今や、日本の倫理道徳が地に堕ちているのだ。
以前、このブログにひどい親ほど・・・を書いた。
そのなかに、近藤紡績という単語を入れた(HPにアクセスしたら、Don`think,feelという文字を見つけた、Do not think,work.の間違いではないかと思った)。
今日、そこで働いていた方からコメントが来ていた。
近藤紡績浜松工場、今は「イオン市野」となっていて、昔、ここで少女たちが働いていたことを知る人は少なくなっているはずだ。
私はこの工場の内部を知っている。
当時の労働基準法は、女性の深夜労働が禁止されていた。午前5時から午後10時までは働かせることができるが、それ以外の時間は働かせてはいけない。
少女たちは、朝5時から13時45分まで働く早番と、13時45分から夜10時30分まで働く後番とに分かれていた。おそらく10時からの30分は何らかの工作が行われていたのだろう(詳しくは、それを記した資料を見なければならないが、今それを調べる余裕はない)。
ところが、この工場は、4時55分から機械を始動させていた。女子労働者は、したがって、4時55分には自分が任されている「台」の前に立たなければならない。しかしおそらくこの5分間は、ただ働きだ。それをずっと続けていた近藤紡績。
浜松市には当時、近藤紡績の他に、東棉紡(その敷地はイトーヨーカドーとなり、イトーヨーカドーが撤退した後はコストコ等になっている)、東洋紡(雄踏街道拡張によりなくなった)があった。
そのなかで、労働環境のもっとも悪いのが近藤紡績であった。
そこで働く若年女子労働者は、4年制の定時制高校、昼間2交代制の高校に通っていた。そういう高校は、静岡県西部には、浜松城南高校、磐田南高校、新居高校があった。城南だけが単独校で、他は併設であった。いずれも2交代で働く繊維産業で働く女子労働者が通う高校であった。
彼女たちは、概して貧しく、地元の高校に行けないから全寮制の紡績工場で働き、高校に通った。高校卒業の資格を取得したいために、過酷な労働に耐えながら、高校に通った。4年間、ある週は朝眠い目をこすりながら起床し、ある週は深夜まで働いた。
4年間が終わり、彼女たちは卒業を迎える。ところが、高校卒業と同時に社会に旅立つことは阻止される。一度に退職したら、工場が困るからだ。だから、「会社、やめさせてくれない」という。
退職の自由すらも、彼女たちにはなかった。退職させないために、彼女たちが貯金していた社内預金、それをおろさせない。労基法違反である。まだまだ労働法制を知らない彼女たちを、思う存分働かせていた。
戦前の「女工哀史」は、戦後も存続していたのである。
しかし、彼女たちが生活し、通っていた学校は、今は残っていない。彼女たちの青春の思い出は、繊維産業の衰退と共に消されていった。
日本の支配層は、いらなくなったら消す、のだ。そういう社会に、私たちは生きている。
【追記】 この問題については何度か書いている。ここをクリック。