よき時代であった。筑紫哲也が「NEWS23」のキャスターだった時代のことである。あの頃、いろいろなものが、健全であった。言論界も今のようなフェイクニュースも目立つことなく、理性のフィルターを通った議論があった。
筑紫については思い出がある。
筑紫は『週刊金曜日』の編集委員でもあった。同誌が誕生する頃、当時の編集長であった和多田進から頼まれて、浜松市で講演会をおこなったことがあった。本多勝一と筑紫が講演した。しかし私はこの講演を聴いていない。本多が狙われているという情報にもとづき、警察署の警備課長とともに会場の外で警戒していたからだ。講演会終了後の懇親会で本多や筑紫と話したことがあったが、どんなことを話したかはすでに記憶はない。
私は『朝日ジャーナル』という週刊誌も購読していた。筑紫がその編集長になったとき、その編集方針の大きな変化に驚いたことがあった。政治などの難しい問題だけではなく、雑誌の記事が大きく広がっていった。まさに文化や人が取り上げられるようになった。
朝日新聞記者からTBSのニュース番組のキャスターとなった筑紫。毎日視聴していたわけではないが、この時代ニュースへの信頼があったことを思い出す。
著者はこの『NEWS23』に長い間関わった。その時代のことを書きのこそうとしたのだろう。なぜならその時代は、先に記したようにNEニュースへの信頼感もあり、またジャーナリズムとしてのメディアが機能していたからだ。もちろん今はそうではない。
『NEWS23』に関わった人たちのことが書かれている。あるいは筑紫と関係した人のことも。読んでいて、多くの人たちが亡くなっていることが印象に残った。
筑紫の編集方針は自由であった。スタッフに自由な動きを保障した。だから、スタッフは積極的に色々なテーマをとりあげた。
筑紫がスタッフの自由な意思や行動に任せながら、以下のような原則を示していた。
1)力の強いもの、大きな権力に対する監視の役割を果たすこと 2)少数派であることをおそれないこと 3)多様な意見や立場を登場させることで、この社会に自由な気風を保つこと
ジャーナリズムとしては、至極当然の原則である。
しかし言うまでもなく、この原則は今や風前の灯となっている。力の強いもの や権力者が勝手きままなことをしていても何の責任も問われないこと、多数派が横暴な振る舞いをしていること、そして多様な意見が抑えられていること。まったく逆な風潮が社会を覆っている。
そうした風潮に抗するメディアがなくなってきたことが一因であろう。
だが、本書を読んで、筑紫時代の『NEWS23』のDNAをもった人びとが、今もかすかに生き残っていることがわかった。彼らに少しの希望を託そうと思う。
本書は、筑紫のことを描きながら、まだ「戦後民主主義」が生きていた頃の時代を映し出している。同時代を生きていた私としても、なつかしい時代である。
良い本である。図書館から借りたものである。