浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

なあるほど・・・・

2024-09-09 07:06:36 | その他

 ユーチューブを開いたら、この動画が目に入った。「パソコン有償譲渡会の闇」である。

 たしかに時折、中古パソコンを安価な価格で「有償譲渡」しますというチラシがはいる。

 わたしは今まで何台もパソコンを買ってきたけれども、メーカーから直接買うことが多かった。店で買っても、パソコン専門店からであった。今つかっているのは2台、一つはメーカー直販、もうひとつはパソコン専門店からである。

 わたしの友人はパソコンの中古を買っているようだが、買うところはパソコン修理の店からだ。

 さてチラシが時々入るのでそういう「有償譲渡」会があることは知ってはいたが、一度も行ったことがなかった。

 この動画を見て、やはり「安かろう悪かろう」というものだということがわかった。パソコンについて知識を持たない人びとに、「安く」売りつける、しかし儲けは確実に得るという商法だと感じた。詐欺とは言えないが、十分な使用に耐えるものではなさそうだ。

 この世に「うまい話」なんかあるわけがない。

 

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アジア人として・・

2024-08-08 08:35:18 | その他

 今も茶髪や金髪に染める日本人はいるが、多くの人は黒髪である。非欧米人は黒髪で、もちろん年令を重ねれば白髪にはなるが、黒髪であり、その黒髪の人口は圧倒的に多数である。アジア人はもちろん黒髪である。金髪などは欧米人の一部で少数派である。

 日本人は欧米への憧れが強く、ある時期、金髪などにする女性が多かった。わたしはその頃、金髪なんかは欧米人だけであって、多くは黒髪なんだから、アジア人としての誇りを持つべきだと主張したことがある。

 さて、長崎の平和記念式典で、イスラエルが招待されなかったことに抗議して、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダも参加をとり止めたという報道がなされた。カナダについてはよく知らないが、ユダヤ人差別を行っていたのはヨーロッパ諸国であり、その国々が、第二次大戦後に、パレスチナの地にイスラエルというユダヤ人の国家を誕生させた。みずからがユダヤ人を迫害し、虐殺した国々が、自国でその責任を担うどころか、邪魔者はアラブの地に追いやれとばかりにイスラエルを建国させた。

 アラブ人の住む地域では、ユダヤ人は平和裏に生活していた。欧米諸国は、みずからの責任をアラブ地域に押しつけたのである。

 迫害した国々は、イスラエルへの批判は反ユダヤ主義となるとし、イスラエルへの批判はしない。イスラエルがどのような悪事を行っても、彼らはイスラエルを擁護する。

 欧米人にとって、アジアやアフリカは、搾取収奪の対象地域であって、「野蛮人」が住むところと認識され、イスラエルの建国も、「野蛮人」の監視役という意味もあった。

 ガザを始め、パレスチナに住み人びとが、イスラエルに迫害され、虐殺されているが、欧米の国々にとって、かれらは「野蛮人」だからジェノサイドでも何でも、殺されてもよい存在なのだ。

 そういう認識を持っている国家が、今度の長崎の平和記念式典不参加により明らかとなった。植民地主義は、いまもなお強固に存在しているのだ。パレスチナ人はガザという檻の中に閉じこめられている。イスラエルは、そこへ爆弾を自由自在に投げ込み、虐殺を続けている。

 通常の人間からみれば、イスラエルが行っていることは、非難されるべき犯罪である。しかし不参加国にとっては、そうではないということだ。

 わたしは、アジア人のひとりとして、イスラエル国家の蛮行を許せない。

 

 

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盆の行事

2024-07-15 17:30:07 | その他

 遠州地方は、盆の行事が盛んである。昔、ボンボコセーと呼ばれていた遠州大念仏、太鼓と鉦、笛をバックに、人びとが太鼓を叩きながら踊る集団が、新盆の家をまわっていた。今でも続けられているが、そうした集団は減っている。

 亡くなった人が盆の間、家に滞在するということから、松を炊く。盆の始めの日に家の外から松明を掲げて家に誘導し、盆の間松を炊く。そして盆が終わると、また松明を掲げて家の外まで誘導する。

 新盆の家は盆飾りをする。地域の人びとは、黒服を着て新盆の家を「盆供」をもって(中には1000円)訪問する。「盆供」のお返しは、ペットボトルのお茶などである。

 ところが、最近は新盆でも盆の行事をしない家庭が増えてきた。実はわが家も母が亡くなったので新盆なのだが、やらないことにした。100歳で亡くなった母の知り合いがすでに地域には残っていないこと、10年以上埼玉県に居住していたことなどからやめた。ただし、松を炊いたりお供え物を供えたりはしている。

 地域の人が知らせてくれたのだが、わが家のような家庭が増えているという。ある聚落では、9軒亡くなった家があるが、新盆の行事をやるのは4軒だけだということだ。

 いわゆる伝統的な行事がなくなっていく。そういう時期が到来している。

 ウルトラ右翼政党=自由民主党や創価学会党が政治を行っている間に少子化は進み、そうした伝統行事を担う人びとが少なくなっていること、またグローバル資本主義のなか、海外に行っている人が多いこと、そして賃金が上がらず消費税はじめ負担が増加していることから人びとは貧しくなり、伝統的な行事を行う経済的余裕をなくしていること、これらが重なって、伝統が消されていくのだ。

 自由民主党は「保守政党」と呼ばれるが、それは間違いである。現在の自由民主党はある種の革命政党である。日本の伝統を破壊し、そこに住む庶民の生活を維持できないようにしている。「保守」というのは、伝統を維持し、庶民の生活が大きく変化しないような政治を行う人たちのことをいう。自由民主党は、先祖から続く伝統的な生活を破壊する政策ばかり行っている。今では、アメリカの命令の下に、中国との戦争さえ企図している。戦争こそ、生活の破壊である。

 そうした右翼革命政党の政治を、そろそろやめさせないと、日本の伝統は彼らによって破壊されてしまうだろう。 

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2024-07-12 18:44:37 | その他

 どんな人生を送っているか、その結果が顔に表れてくる。

 最近、高圧的に職員らに当たる政治家の姿が、ユーチューブでみることができる。

 斎藤元彦兵庫県知事、北海道の長谷川岳議員、かれらの顔には同じ特徴がある。まず眼に優しさが感じられない。同時に、感性が干からびているようにみえる。自己過信、「オレはエラいんだ」という顔。そういえば、石丸某もそんな印象を受けた。

 他人に対して、たとえ自らよりも「地位」が「下」であろうと、「上」にある者は謙虚に振る舞うのがふつうである。こういう人たちが政治という仕事をしているのだから、政治がよくなるわけがない。しかしそういう人たちに投票する人たちがいる。

 歴史研究に従事してきたわたしは、高名な歴史学者と話したり交流してきたが、業績のある方こそ、とても謙虚であった。優れた人は、おしなべて謙虚なのである。謙虚な姿勢で研究するからこそ、業績も、よりよいものとなるのである。

 官僚や政治家の世界は、そうした当たり前の関係とは真逆であるようだ。そういう世界にいかなくてほんとうによかったと思う。

 

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今年も猛暑?

2024-06-06 07:50:14 | その他

 昨年の猛暑は耐えがたいものだった。真夏でもほぼ毎日、すこし気温が下がる夕方に畑へと通うのだが、昨年は夕方であっても、10分くらい身体を動かすだけでもクラクラする状態であった。作業が出来ずに、昨夏は除草作業ができなかったことから畑は夏草に覆われ、そのためにかぼちゃ、オクラなどを栽培しているところにたどり着けず収穫を放棄した。

 昨年、隣家からいただいたコシヒカリも粒が小さく、猛暑の影響を受けていた。

 今年も猛暑だという。地球温暖化というか、気候変動は日常の生活を脅かすようになっている。何とかしないとと思う。

 何とかしないと、という要請は、地球全体で考えなければならないが、世界の指導者はそんなことにはかまわず平気なようだ。

 東京でも、カネ儲けのために、神宮外苑の再開発など、三井不動産などが東京の木々を伐採し、高層の建物を建築しようとしている。それに東京都などの行政も全面的に協力している。コンクリートで覆われた大都市は、気温を上昇させる。

 米が不足し、価格が上昇している。昨夏の猛暑のせいでもある。

 たいへんだ、たいへんだ・・・・・と庶民は考えるが、政権政党である自民党・公明党の政治家は、ただただ、税金をおさめなくてもよいカネもうけに邁進するばかりだ。

 庶民は、今こそ考えなければならない。些少な補助金(これだって税金だ!)に欺されることなく、賢明な判断が求められている。

 

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子孫に墓を残さず

2024-05-11 20:12:44 | その他

 亡くなった母の遺品整理を行っているが、なかなか終わらない。一人の人間が生きてきた軌跡を消していく作業は時間がかかる。

 さて、母は最期の13年間を埼玉県の姉(母にとっては娘)のところで過ごした。住民票も移していたので、そこで葬儀を行った。

 父の墓は、私の祖先が土地を寄進して建立した小さな寺院(以下寺院)に葬られている。しかし小さく檀家も少ないために、私が子どもの頃に住職は磐田市のほかの寺院に移っていった。そのため、その寺院は近在の坊主に住職をお願いすることとなり、某寺院の住職が兼務住職となった。

 ところがその住職がカネ、カネ・・・の人だったので、寺院が一度はその住職を追い出すことを試みたのだが失敗し、その後もその寺院には兼務住職として代々受け継がれてきた。

 父の年忌にその坊主が来るのだが、法話を話したことは一度もなく、カネの話(袈裟が古くなったので買ってくれとか・・)だけであった。

 寺院には毎年維持費を納めていた。父は寺院を建立した一族であったので、戒名は居士であった。居士となると、維持費なども高額になる。

 さて埼玉県で母が亡くなったとき、葬儀はそこでおこなった。「家族葬」であった。坊さんは「坊主ドットコム」に依頼し、葬儀の読経と戒名をお願いした(好感の持てる坊さんを紹介していただいたし、その際の布施も多額ではなかった)。母の葬儀に、カネ、カネ・・・の坊主に来てもらいたくなかったことと、その坊主に母の戒名をつけてもらいたくなかったからだ。

 そして、父の墓がある寺院に母が入るためには、浜松でもう一度葬儀をしなければならないと言われたことから、私は父の墓を撤去する決意をした。

 最近市の関係部署に行き、「改葬許可申請書」、父の遺骨を自宅で保管するために「焼骨の自宅保管証明申請書」、「焼骨の自宅保管について」を得て、「改葬許可申請書」と「焼骨の自宅保管について」には、住職の署名・印鑑をもらった。墓撤去前の読経を含めて3万円ということだった。

 墓の撤去ということは、檀家をやめるということだ。その際、世間では「離壇料」の支払いが求められるということだった。しかしその「離壇料」の支払いには法的根拠がないことから、私は当初から払うつもりはなく、もし請求されたら訴訟に持ち込むことを決意していた(すでに弁護士にも話して準備しておいた)。私の従姉が父の兄の墓じまいをしたとき、高額のカネをふっかけられたと聞いていたし、ネットで検索するとその「離壇料」で苦しまれた方々の話がアップされていたからだ。

 だがその坊主から「離壇料」の話はなかった。坊主と闘うことはなくなった。あとは、墓を撤去するために、石材店と交渉することであったが、これも昨日終わった。石材店から、父の墓は良い石を使っていること、三つの墓石は上段を除き、中段、下段に上の石を乗せるために彫り込んであるということなど、本式の墓石であることを知り、母の賢明さをあらためて知った次第である。

 とにかく寺院に墓を持つということは、子孫にとって重荷を背負わせることになる。近在の日蓮宗の寺では寺の周囲に立派な塀をつくった。これについて、檀家にそれぞれ50万円が課されたという。またほかの臨済宗の寺では何らかの工事で、その半額を檀家に負担させた。一軒30万円である。また近在の曹洞宗の寺では、通夜と葬儀の読経にそれぞれ30万円が要求されたという。その家庭は生活保護家庭であったのに。

 とにかく寺と関わりを持つということは、多額のカネが寺に吸い取られるということだ。それらの金額、私は何とか出そうと思えばだせるが、しかし同じことが子孫、つまり若者に求められたら、彼らの経済状態ではとうてい払えないであろう。

 つまり寺に墓を持つということは、つまり子孫に重荷を負わせることになるのである。

 少子化のなかで、後継者のいない家庭が増えている。後継者がいなければ墓は撤去しなければならない。寺だけでなく、公営墓地も同じである。墓がある場合、寺には維持費、公営墓地には管理費を払い続けなければならない。管理費は高くはないが、後継者がいなくなれば撤去するしかない。

 もう墓を持つ時代ではなくなっていると思う。

 母と父の遺骨の行き先は未定である。

 曹洞宗の死に関わるシステムは、遺族から如何にカネをとり続けるか、そのためのものでしかないという結論を有するに至った。とにかく曹洞宗から離れる、そしてほかの宗派に改宗しよう、今はそう考えている。

 今、亡くなる人が多く、葬儀社や寺、墓園経営者はカネ儲けの大チャンスととらえているように思う。寺を除き、新聞折り込みには、その関係のものが多く入ってくる。人の死をカネ儲けの手段にするというのは如何なものかと思う。とりわけ、寺はそうであってはならないのではないか。

 仏教の本来の教えはそういうものではない。日本の仏教界は、寺のあり方について検討すべき時にきている。そうでなければ仏教界は廃れるばかりだ。葬儀を神式でおこなう事例が増えていることを、仏教界は真摯に見つめるべきである。

 

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無知、そして知った喜び

2024-04-13 21:10:28 | その他

 本を読みながら、音楽を聴く。

 現在私は、iPhoneを使用している。アップルミュージックで音楽を聴き始めたら、その音質のよさにびっくり。そしてアップルミュージックには、たくさんの楽曲が登録されていて、次から次へと好きな曲を聴くようになった。

 今日は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴きたくなって、学生時代、東京のアパートで孤独を感じるときに聴いていた曲である。

 アップルミュージックにアクセスしてその曲を聴き始めたら、そのヴァイオリン奏者の音色に聞き入ってしまった。そのヴァイオリン奏者は、アンネ・ゾフィー・ムターである。まったく知らなかった演奏家だ。今まで聴いていたシベリウスのヴァイオリン協奏曲とは異質な音が流れ、本を読めなくなった。

 凄い演奏である。シベリウスのヴァイオリン協奏曲はこのように弾くのだという絶対的な確信、それを見事な技巧が支える。その絶対的な確信は、作為的でもなく、意図的でもなく、自然にうみだされているようにきこえる。

 今まで聴いていたこの曲、オーケストラが奏でる音をかいくぐりながら、ヴァイオリンがひとりさびしくみずからの旋律を奏でるというものであったが、アンネ・ゾフィー・ムターの演奏は、かいくぐるのではなく、オーケストラと対等に、ヴァイオリンの音が前面にでてくる。

 しばらくアンネ・ゾフィー・ムターの演奏の曲を聴き続けることになるだろう。

 

 

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静岡県知事の辞任とリニア

2024-04-06 19:32:59 | その他

 静岡県知事がJR東海のリニア建設に乗り気ではなかったことを、私は評価している。リニア新幹線なんていらない。あたりまえのことだ。

 リニア建設の際、静岡県山岳部の地下を通ることになる。静岡県や周辺市町村は、大井川の水の問題を高く掲げて難色を示してきた。当然のことである。大井川の水量に、リニア新幹線建設が大きく影響を与える可能性があるからだが、それだけではない。大井川の上流部は崩れやすいところで、実際に一般の人が入れない大井川上流の奥地に行ってみればわかるが、山崩れが凄まじい状態になっている。とくに林道などの道路を建設したところから崩れ、それはとても大規模で、くずれた岩石が、大井川支流の谷に落ち込んでいる。大井川上流の山々は悲惨な状態になっている。そんな状態があるのに、リニアのトンネル掘削よりでた岩石が大井川の河原に積まれることになる。崩れた岩石や掘削によりでてきた岩石が、大雨と共に下流に流されるが、大井川にはたくさんのダムがあり、それらを堰き止める。

 そして南アルプスの生態系が、トンネル掘削による自然環境の変化により崩される。

 JR東海によるリニア新幹線建設は、自然環境に大きな負荷をかけるのだ。

 ところで、ネットでこんな情報があった。静岡県知事がリニアに抵抗したのは、そのバックにいる鈴木修がリニアに反対したからだという情報。川勝平太知事の後援会長は、鈴木修であるから、そうかもしれない。

 そして川勝県知事の後任候補の名が出て来ている。静岡政界のウラには、鈴木修がいる。彼は票を動かすことが出来る。そのため、多くの政治家は鈴木修のいいなりになる。言うとおりにならないと、選挙で落とされる。

 川勝のあとは誰か?前々から言われていたのは、前浜松市長の鈴木康友である。彼は浜松市長として、修の代理人として、修の言うとおりに市政を動かしてきた。浜松市が区を7区から3区に減らしたこと、そして最近浜松市内に建設する予定の新浜松球場も、すべて修の意思である。

 修の意思に忠実に従ってきた鈴木康友こそが、県知事候補としてでてくるのではないか。

 静岡県は、SUZUKIの支配下にある。静岡県はSUZUKI県、浜松市もSUZUKI市なのである。

 

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破壊坊主

2024-02-27 17:13:24 | その他

 私の実家の近くにある寺には、父の墓がある。檀家が少ないため、父が亡くなってから後に、住職がほかの寺に移った。寺の世話人たちは、近くの寺の住職に兼務をお願いした。

 しかしこの住職がとんだ食わせ物であった。

 私が幼い頃、父の年忌の際、その坊主は、参列者に袈裟の新調を求めたりした。幼心にもこの坊主に対する不信感が芽生えた。親戚の法事に参加したとき、住職が仏教の話をされたのを聞き、これが法話というものだとはじめて知った。その坊主は、法話を一度もしたことがなかった。

 その坊主の金儲け主義にあきれた世話人がその坊主の兼務をやめさせようとしたら、ばく大なカネを要求されたために、断念したということを聞いている。

 その坊主は亡くなったが、金儲け主義は受け継がれているようで、遂に私は、父の墓を「墓じまい」することにした。

 母は10数年前から姉の住む関東近県に住んでいた。そこで亡くなったことから、葬儀はそこで近親者のみで行った。葬儀の際には、「おぼうさんどっとこむ」に依頼して、曹洞宗のお坊さんを招いた。とても良い坊さんで、清廉さが感じられる方であった。

 さて、その墓に母の遺骨を納めようと考えたとき、世話人からは、もしこの寺に遺骨を納めるならこちらで葬儀をもう一度やらなければならないと言われていると伝えられた。その坊主が取り仕切る葬儀は、多くの坊主を従えた大規模なものだ。そんなカネはない。

 世話人に聞くと、あまりにカネ、カネ・・・というので、檀家が去って、檀家数が百以上あったのに、今はその7割程度になっているという。

 その寺は、私の祖先が土地を寄進してつくったものだ。だから父は「居士」となっている。「居士」となると、寺に関係する費用はいつもかなり求められる。それでも我慢してやってきたが、もう出るしかないと決断した。

 破戒僧という言葉があるが、この坊主は「破壊僧」としかいいようがない。カネ儲けのために寺を悪用し、その寺から檀家を追い出し、そして出ていった檀家の多くは神道へと変わったそうだ。

 仏教を破壊する坊主。まさに「破壊僧」である。こんな坊主に母の戒名をつけてもらわなくて、ほんとうに良かった。

 仏教界は猛省せよと言いたいが、それぞれの寺院はそれぞれが宗教法人となっているから、指揮統制はできないとのこと。今後、主に人口減少を理由として日本の寺院は減っていくであろうが、それに拍車をかけているのが、こうした「破壊僧」である。そうした「破壊僧」の話しは、あちこちにころがっている。

 もう墓はもたない、そのほうが子孫は困らないはずだ。寺院に墓があるとカネはとられる。そして土地は売れるが、墓は売れない。

 遺骨は、散骨などの自然葬が最善だと思う。

 

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長寿であること

2024-01-27 17:02:14 | その他

 昨日、もと民生委員だった人たちのランチ会があった。民生委員を一緒に辞めた人たちと、年3回ほどランチ会を行っていて、すでに10年になる。残念ながら、徐々に参加者が減っている。その理由は、死である。

 あまりこうした会を好きではない私が参加する理由は、もと民生委員の人たちは、きわめて善良な方たちであるからだ。自分の生活があるのに、さらに地域の困っている人びとの役に立ちたいという暖かい思いを感じるからだ。

 民生委員が見守りの対象とするのは、高齢者が多い。どこの地域でも一人暮らしの老人、高齢者世帯が増えているが、私は月一回、必ず訪問して近況を聞いていた。男性の一人暮らしの場合は訪問しても早く帰ってくれとばかりの対応をされるが、女性の場合は、長時間いろいろな話をされる。私はそれをほとんど聞くだけであるが、しかしそれが高齢者にとっては息抜きになるのだと思う。時には一時間以上話を聞くこともあった。

 高齢者からは、いかに苦労して生きてきたかが語られる。貧しい日々を必死に生きてきて、やっと安定した生活ができるようになったと思ったら、配偶者が亡くなってひとりになってしまった、とか。

 そういう話を聞くと、あの世ではなく、この世で長生きして、それも健康を維持して、ぜひ幸せになってほしいと思う。

 今生きている高齢者の人生をひもとくと、たしかに戦後の高度経済成長で国全体が経済的に豊かになってはきた。だがしかし、それは日本に住む人びとすべてではない。よく目を凝らしてみれば、私たちの生活の傍らに、貧困は巣くっていた。苦労ばかりの人生もあった。

 民生委員は、高齢者だけではなく、経済的に恵まれない家庭にも目を向ける。いつでも、しっかり見つめれば、貧困は可視圏内にある。

 私はずっと昔から、社会の在り方を考えるときには、底辺から見つめることを提唱してきた。底辺から見れば社会のすべてを見渡すことができる、と。

 高齢者の生活は、決して豊かではない。もと民生委員の人たちは、その暮らしぶりをみると、家作があったりして豊かな人が多いが、見守りの対象となる高齢者はそうではない。

 高齢者は早く死んだほうがよい、という意見を出す者もいるが、私は高齢者はできるだけ長生きしてほしいと思う。「長寿」の「寿」は、「祝いのことばを言うこと」という意味である。長生きは祝う対象なのだ。

 高齢者も、子どもも、そして庶民も、みんなみんな幸せに生きていけるような社会にすることが必要なのだ。年齢で区切る必要はない。庶民は庶民である。庶民の生活が第一なのだ。

 

 

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年賀状の整理

2024-01-04 08:29:21 | その他

 今まで年賀状の挨拶を交わしてきた人から、「来年からは年賀状の挨拶をやめる」という趣旨の年賀状が毎年1通ほど来るようになった。お互い齢を重ねてきたからだ。私も徐々にそうしようと思い、今年からその旨を年賀状に書くようにした。

 その判断の基準は、まず毎年印刷されたものを送ってくる人で、一行も書き足していない年賀状である。書くこともないということだから、そういう人とは、もう縁を切ってもよいだろう。

 次に、自慢話を書いてくる人。その背後に「昨年私はこんなことをしました」というもので、その人の「こんなこと」については、私にとってはまったく関りがない。そういうことを書いてくるその人は、毎年そういうことを書いてきて、新年早々から自慢話かよ・・という気分である。今まで付き合ってきたが、もういいよ、というのが、私の判断である。こういう人には、ぜひセジウィックの『男同士の絆』、あるいは『100分で名著 フェミニズム』でも読んでほしい。ホモソーシャルな世界では、男同士の絆もあるが、その中では男性間の競争が行われていて、カネや権力、名誉や評判をめぐって争い、それぞれの男はその集団の中でより上位を占めようとする。「僕ってすごいでしょ」という内容の年賀状は、今までも不要であったが、これ以上はいらない。

 年賀状のつきあいも、取捨選択の時期が来たようだ。

 

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労働者文学

2023-12-25 16:49:59 | その他

 小沢信男の『通り過ぎた人々』を読んでいたとき、「労働者文学」でその才能を見出された人のことが書かれていた。そこで、ネットで「労働者文学」を検索したら、「労働者文学会」のHPがあった。労働者文学は、かつて労働組合員の文芸活動を組合がバックアップして支えていた。しかし現在のように労働運動があまり盛んでなくなり、さらに連合という労働組合らしからぬ組織に労働組合が統合されてしまっていることから、労働者文学が下火になっているのかと思ったら、まだがんばっているところもあることを知った。

 そのなかに「いてんぜ通信」があった。最近私は、「いてんぜ通信」に文を送っている方から、「いてんぜ通信」をいただいたばかりであった。「いてんぜ」を逆さにすると、「全逓」である。郵政労働者が組織していた労働組合は「全逓」と言っていた。全逓労組の組合員が寄稿していた「通信」ということになる。しかし今、全逓労組はない。郵便局ではたらく労働者の組合はあるのだろうが、どんな動きをしているのか不明である。

 「いてんぜ通信」は、おそらく私の知人のように、退職した人びとによって運営されているのだろう。

 いずれにしても、労働組合運動が下火になっている現在でも、「労働者文学」を担っている方々がいることに、少し安心した。

 

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ただの・・・・・

2023-12-04 19:57:53 | その他

 書棚にあった『夏目漱石と西田幾多郎』(岩波新書)を、寝室にもっていき読みはじめた。私はなかなか寝付かれないたちで、活字に眼をとおしていないと眠気がやってこない。

 ふとこの本を読みはじめたのだが、これがなかなか面白い。幾つかの本を並行して読んでいるが、さらに並行して読む本が増えてしまった。

 夏目漱石も西田幾多郎も、反骨の人であることが指摘されている。いずれも父親の愛情がない、あるいはきわめて少ないという境遇に育つ。そういう境遇から育った者は、「権威にとらわれない自由独立の精神が生まれやすい」(30頁)とのこと。2歳で父が病死している私も、家父長的な父親の支配を受けなかったからか、反骨精神をもち反権威的な精神を有している。

 学位授与を拒否した漱石は、「小生は今日迄ただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮したい希望を持って居ります。」と手紙に書いている。

 私も、小田実の「人間みんなチョボチョボ」だという信念を持っている。漱石と同じような感覚だろう。

 だが、いろいろな人と交わると、あまりつきあいたくない人たちと遭遇する。たとえば、肩書きをいっぱい書いてある名刺をもった人、「僕って偉いでしょ」とばかりに自慢話を繰り広げる人、今まで関係なかったのにあたかも今まで関わりがあったかのようにしゃしゃりでてくる人、話のなかに功成り遂げた人の名前を出してその名前で自らをかざろうとする人、そういういや~な人がいて、そういう人たちとも話をしなければならないこともある。あ~いやだ。だから私は、そういう人たちがいるところには行かなくてもよい状況をつくりだそうとしてきた。だから静岡市にはもう行かない。「オレが、オレが・・・」という人、権威にすがり、みずからを売りこみたい人が集まるところには顔を出さないのだ。

 ちなみに、田中正造の名刺は、「田中正造」とだけ書かれている。私の名刺は、住所氏名だけのものと、今年まで主宰していたある催しを主催する「〇〇実行委員会」の名刺だけをもつ(それはもう終わった)。私も「ただのなにがし」で最後まで生きていこうと思う。漱石と異なり、私は最初から最後まで「ただのなにがし」なのだから。

 夏目漱石全集を私は持っているが、この本を読んで、漱石が反権威の人であることがわかった。これで全集を読もうという意欲が湧いてきた。

 

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【本】坂原冨美代『夢二を変えた女 笠井彦乃』(論創社)

2023-12-01 21:36:46 | その他

 2019年、某所で「竹久夢二とその時代」というテーマで話したことがある。約90分で夢二の生涯を追いながら、その時代を描くというものだ。そんな短時間で夢二を語り尽くせないことはわかっていたが、如何せん、時間はそれしかない。

 夢二が若い頃、荒畑寒村ら初期社会主義に関わった人びとと交流があったこと、関東大震災に際会し、文章とともにスケッチを新聞紙上に描いたこと、そして多くの女性との遍歴、さらに海外旅行、とりわけドイツでナチスの支配を体験したことなどを一挙に話した。

 最近、夢二のもっとも愛した彦乃の日記や手紙があり、それをもとにした本が出版されていることを教えてもらった。それがこの本である。

 彦乃と夢二の関係はこうだ。講座の際使ったスライドの一部。

 夢二が関係した女性の中でも、最愛の女性。日本橋の紙商芙蓉社笠井宗重の長女。日本女子大付属女学校出身。夢二と出会った頃は、女子美術学校日本画科の学生、「港屋絵草紙店」に通い、1915年5月夢二の「戀人」となる。しかし父親に反対され、逢うこともままならず、手紙で連絡し合った(書簡はたくさん残っている)。

1917年6月 京都で夢二、不二彦と生活するようになる。夏、三人で北陸旅行をする。

1918年3月 彦乃の父が彦乃を東京に連れ帰る。

1918年 8月、夢二、不二彦と九州、そして長崎へ。 8月下旬、彦乃も九州へ、しかし9月初め結核が重症化し別府で入院。9月末、岡山を経由して京都・東山病院に入院、父・宗重により京都府立病院に転院。夢二の面会は拒絶。夢二は11月東京へ戻る(恩地孝四郎宅→菊富士ホテル)。12月、彦乃がお茶の水順天堂病院に転院(面会謝絶)。1920年1月死亡。夢二は彦乃との日々について『山へよする』(1919年2月)を出版。

 夢二が終生離さなかったプラチナの指輪の内側には「ゆめ35  しの25」と刻まれていた。「ゆめ35」とは、彦乃に会えなくなった夢二の年齢。「しの25」は彦乃が亡くなった年齢。

 このレジメをつくったときには、彦乃の日記や手紙が残されているのを知らなかった。本書は、夢二の日記や書簡(これは書籍化されている)だけではなく、彦乃のそれをつかっているので、ふたりの関係がきわめて具体的である。

 まだ最後まで読んではいないが、すでに30歳になっているのに、少年のような夢二と若いのにとてもしっかりしている彦乃、ふたりの愛の駆け引き、これは瀬戸内寂聴がいう「(愛の)雷に打たれた」ことのない人には理解しがたいだろうが、私にはそれがよくわかる。雷に打たれて始まる愛であっても、双方の駆け引きのなかでそれはより深まっていくのだ。

 この頃、夢二はたまきと別れているが、子どもが三人いる。彦乃との生活をこころから望むが、お互いの事情で順調には進まない。大きな障害がたちはだかっている。それがこの本に具体的に描かれている。

 夢二は、彦乃と海外に行こうと提案する。彦乃が亡くなった後、夢二はハワイ、アメリカ西海岸を経由してヨーロッパにいく、そして晩年台湾にも行く。夢二の海外への旅にふみきった理由には、彦乃と語り合ったこともあったのかもしれない。

 夢二を理解するためには必要な文献であった。この本は2016年に出版されている、知らなかった。

 

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宝塚のこと

2023-11-16 11:54:33 | その他

 我が家では、春先にすみれの花が咲く。すっと前に調査のために白井鐵造記念館にいったとき、当地のすみれ愛好会の方からいただいたすみれが毎年咲き続けている。

 宝塚歌劇団のレビューにもっとも貢献した白井鐵造(1900~1983)の出身地は、周智郡春野町犬居、現在の浜松市天竜区春野である。犬居は秋葉山のふもとの集落である。今では秋葉山山頂には秋葉神社があるが、明治初年の神仏分離の前は、三尺坊を祀る秋葉寺があった。潰された秋葉寺は、今はその中腹に再建されたが、あたかも秋葉神社が秋葉信仰の正統であるかのように宣伝されているが、近世までは秋葉寺しかなかった。秋葉神社は、近代が創り出したものだ。

 さて白井の父は秋葉寺の大工であったという。白井は尋常小学校を卒業後、浜松にある日本形染に就職した。彼は働きながら通信教育で勉強するような努力家であった。その後上京し、小林一三に出会い、宝塚歌劇に関わるようになり、パリでレビューの勉強をし、宝塚歌劇団の演出家となった。

 宝塚歌劇団は、そのため、白井の故郷を訪問することがよくあるし、春野中学校の修学旅行は宝塚歌劇団の観劇が盛り込まれている。

 宝塚歌劇団が浜松市周辺で上演するとき、私は何度かそれを見に行っている。チケットは、ファンクラブに入っていた女性に頼んで入手してもらうなど、なかなか苦労した。宝塚歌劇団の1部の演劇は学芸会のようだは思うが、2部での豪華絢爛なショーは素晴らしいと思ってきた。とりわけ、照明の美しさに、私は感動していた。

 さて、今回の宝塚歌劇団の団員が自死した事件を契機に、宝塚歌劇団の陰湿きわまりない上下の関係、団員たちの奴隷的な境遇が明かされ、私はたいへん驚いている。阪急のカネ儲けの手段として、団員たちが低賃金、長時間労働などにより、搾取収奪されている状況が明るみに出された。そうした状況に置かれているからこそ、音楽学校や歌劇団において、学生間、団員間の暴力的な構造が維持されてきたのではないかと思った。

 私はジャニーズ関連のタレントにはまったく興味はないが、ジャニーズ問題も、事務所が所属タレントをこき使い、奴隷的な搾取を行っているようで、宝塚と同様なにおいがする。

 宝塚歌劇団の隠されていた醜悪な姿が白日の下にさらされているが、劇団側は隠ぺいを図り、さっさと片づけてカネ儲けに走ろうとしている。旧ジャニーズ事務所も同じ対応だが、この際、徹底的に膿を出しきらないと、人びとは戻っては来ないだろう。

 宝塚の「伝統」とされている陰湿な上下関係や団員の奴隷的待遇は、白井がつくりだしたものでないことを祈りたい。

 まだ寒い時期に、我が家のすみれは、青い花をつける。長い期間咲き続けるものではないが、なかなか可憐な花である。「すみれの花咲く頃」はいい歌だと思う。宝塚歌劇団のすみれは、再び咲くのだろうか。

 

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