浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【演劇】オペラシアターこんにゃく座「遠野物語」

2025-01-25 17:17:12 | 演劇

 今日は、アクトシティ浜松大ホールで「遠野物語」を見た。

 一幕75分、休憩15分、二幕70分という長いオペラである。

 さて、わたしの隣席にいた高齢の女性、一幕の75分の間、ずっと咳をし続けていた。隣席で咳をされると、とても気になると共に、台詞(歌詞)が聞きにくく、この舞台の世界に入り込むことはできなかった。

 休憩の際に、はるか後方の席に移ったが、時すでに遅し、あまり楽しめなかった。だからこの「遠野物語」についての感想はない。

 ただ少し柳田國男について記す。わたしは柳田に関しては、民俗学は学ばなければならないと思い、著作集みたいなものは購入した。今は処分してなくなっているが、読みはじめて、わたしは民俗学にはなじめないと即座に思った。柳田の文体にまったくなじめなかったからだ。

 ほとんど読まなかったので、具体的にどうなじめなかったかを書くことはできないが、何とか思い出してみると、柳田の文は、論文でもなく、評論でもなく、感覚的な文章で、とらえどころのない内容がだらだらと書かれていたというように記憶している。

 そしてまた、民俗学を研究している方々と自治体史の仕事を共にしたことがあるが、民俗学は今残されている事象をそのまま表現していくというもので、その事象を歴史的に分析することはしないといわれた。

 たとえば、今、ムラに秋葉神社の分社が残されているとしよう。しかし、近世までは秋葉神社は存在していない。各地にあった秋葉社は、神仏習合の秋葉三尺坊大権現を祀ったもので、おおもとは秋葉寺であった。

 明治初期の維新政権による強引な神仏分離政策の結果、秋葉神社が出現したのである。民俗学は、その歴史的経緯を叙述しない。

 また民俗学研究者の調査活動をはたでみていると、きちんと史料調査をするのではなく、あんがいいい加減に叙述していたことを思うと、民俗学は果たして学問か、と思ったこともある。

 わたしはかつて「近代日本の国学」というテーマで連続講座をもったことがあるが、近代日本の国学こそ、民俗学なのだということを指摘した。

 そして、今日の「遠野物語」をみていて、ああこれは平田篤胤の世界だなと思った。

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音楽座ミュージカル「ホーム」

2024-12-14 23:27:32 | 演劇

 演劇が好きだ。そしてミュージカルも。ミュージカルと言えば、音楽座である。まだまだ若い頃、音楽座のミュージカル「シャボン玉とんだ宇宙 (ソラ)までとんだ」「とってもゴースト」をみて、心から感動し、それ以来音楽座のファンになった。「マドモアゼル・モーツァル」「トリトルプリンス (星の王子さま)」なども見た。

 音楽座のミュージカルは、音楽座の創作である。音楽座のミュージカルをはじめて見たとき、ミュージカルの楽しさ、心の躍動を感じ、さらにそのなかからにじみ出る、生きるって素晴らしい、生きていこうという希望ということを感じさせてくれた。

 高校で演劇鑑賞の係をしていたとき、音楽座のミュージカルを見せたくて、2年がかりでお金をためて生徒に見せたことがある。その時見せたのは「とってもゴースト」であった。高校単独での公演は無理であったが、それを何とかして上演にこぎつけた。

 それ以降、わたしのところに音楽座のレターが送られてきていた(係を外れてからかなり経って来なくなったが)。音楽座が近くに来たら必ず見に行った。それだけ、音楽座のミュージカルは素晴らしいと思ったからだ。

 明日15日23時59分まで、このミュージカルを自由に見ることができるとのこと。ぜひ多くの方に見てもらいたい。これが日本のミュージカルだ、ということを知ってもらいたい。

 見られるのは「ホーム」である。筋の展開に、劇的な変化をもとめたせいか、この展開はどうも・・・・というところもあるが、全体として、さすが音楽座!!!というミュージカルである。

 音楽座というミュージカル劇団があること、そして音楽座がこういう素敵なミュージカルを上演しているということをぜひ知ってもらいたくて、ここに紹介する。明日15日の23時59分まで、である。2時間31分の大作である。

 音楽座ミュージカル 「ホーム」

 

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【演劇】劇団朋友「あん」

2024-11-30 22:11:13 | 演劇

 「あん」は、一度映画化されている。河瀬直美の脚本・監督で、樹木希林が主役をつとめた。その映画をわたしも見たが、しかしあまり感動しなかった。同じ原作を、杉浦久幸という人が脚本を書いて、演劇とした。それが劇団朋友の「あん」で、こちらのほうが感動した。でも最後の、「どら春」の店長が泣き出すという場面があったが、これはいただけない。わたしなら、満月の月の光に照らされながら、徳江を思い出しながらたたずむ、というようにする。その前段で、女子高生のワカナが泣くという場面があったが、こういう劇では、泣く場面はひとつだけにしたい。

 さてこの劇は、ハンセン病者(といっても、後遺症が残っているだけでもう完治している)に対する差別をあつかったものである。ハンセン病についての知識をもっている人はあまり多くはないと思う。その意味で、この問題を劇団朋友がとりあげたことを大いに評価したい。

 劇のなかで、「どら春」の店長が、ハンセン病の現状をネットの記事を読み上げることで説明していた。まだまだハンセン病の理解は進んでいないから、そうした説明は必要だ。さらにハンセン病にかかった人びとが国家によりどのような差別的待遇を強いられたのかが、劇の展開のなかで明らかにされていた。その意味で、きちんと背景が説明されていた。

 徳江のような過酷な人生を生きてきたからこそ、彼女のことばはこころにグサッとくる重い内容をもつ。朗読された詩も、そうしたものとしてあった。

 ワカナも、徳江に対していっさいの差別的な視線をもたずに、同じ人間として接することをしていた。

 人間が生きていく上で、他者の尊厳、もちろんみずからの尊厳も、認めあうこと、生きるということの無条件の価値を、他方で主張していたように思う。

 とてもよい劇であった。人間存在を考える契機になる。若い人にみてもらいたい劇であった。

 わたしは、いろいろあるなかで、究極的な差別は、ハンセン病者に対するものだと思っている。今まで、差別の問題では、被差別部落、在日コリアンの歴史を研究してきたが、最後はこのハンセン病に取り組みたいと思っている。 

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「蝉丸と逆髪」(4)

2024-10-27 13:36:47 | 演劇

 ここで記しておこう。精神的疾患をもった天皇はいた。967年に即位した、醍醐天皇の孫、冷泉天皇である。即位の前から精神的疾患があったことは、「皇太子始めて心を悩む。尋常にあらず。」(『日本紀略』)に記されているとおりである。したがって、精神的疾患があると皇位に即けないということはなかった。これに対応して、治癒を求めて様々な祈祷が行われたことは言うまでもない。

 ちなみに、清涼殿で殺人事件を起こした天皇もいた。陽成天皇である。

 三景について書いていくことにしよう。

 荷車を引いた「逆髪」と「蝉丸」が逢う場面である。

 「蝉丸」は、自らが目が見えない原因を、「前世の因縁」に求める。それに対して「逆髪」は、「前世の因縁などない。あるのは現世の事情だけだ」と断言する。そして「連中はお前を捨てたい。そのための理由が欲しい。それが皇室典範。御仏の教え。前世の因縁」と断じる。しかし「蝉丸」は、そうした言葉を理解できない。「逆髪」は「蝉丸」を「木偶の坊」という。「望まれたとおりの言葉をしゃべり、動き、食べ、泣き、眠る」、そういう他者に動かされる者は「木偶の坊」だとする。そして「逆髪」は、理解できない「蝉丸」を置いて去ろうとするのだが、そこに清貫が現れる。

 清貫は、「蝉丸」を都に連れて行こうというのだ。清貫は醍醐天皇を「捨てて」、「蝉丸」を新しい天皇にたてようとしているのである。「謀反」にほかならない。

 「逆髪」は、「さっき捨ててもう拾いに来るのは新しい使い道がみつかった証拠」だと断言する。「蝉丸」と清貫、「逆髪」を交えての会話が続く。「逆髪」の指摘にもかかわらず、「蝉丸」は清貫と都に帰ろうとする。「逆髪」は、都に帰ろうとする「蝉丸」に、都へ行けば父・醍醐と殺しあうことになると告げる。そのような会話をへ、結局「蝉丸」は残ることに決める。清貫は、「なりたくなくてもなるのが天皇家に生まれた者の務め」だと固執するのだが、「蝉丸」「逆髪」ともに、「あんな家に生まれたくなかった」という。

 そして「逆髪」は、「あの家にあるのは我慢我慢我慢。自由はとんでもなく悪いものにされて腹の底に押し込められる。ところがうっぷん払いの好き放題は許されて、自由と不自由が逆さま。楽しいと楽しくないが逆さま。うれしいとうれしくないが逆さま。髪の毛は逆立っていないのに心は逆立って澱み、渦を巻いて出口がない。この逆髪のこころに清い水が流れるのとは大違い、鼻をつままないではいられないドブ水が流れを失って澱んでいる。逆さまのあべこべ。あの家にはこの逢坂山にいくらでもある自由がない。」と語る。

 すでに「逆髪」は、天皇家にない自由を得ている。その自由がもっとも大切なものであることを知っている。しかし「蝉丸」はその入り口にたどりついたところだ。

 天皇家、天皇制にくっついているということは、すなわち自由を持てないということだ。清貫は天皇制にくっつくことにより公卿となった。しかしそこと離れてしまうと、清貫も逢坂山で自由を知ることになる。

 「蝉丸」は問う、「その荷車には何を」と。「逆髪」は「逢坂山を乗せておる」と応える。またさらに「京の都もこの上に」という。逢坂山は自由で「無縁」の地である。逢坂山は京の都の近くにある。「逆髪」は、清貫も滑り落ちて逢坂山、自由な地にやってくることになろうと予想する。

 「蝉丸」は、京の都に還ることを拒み、自由の場に留まる。

 くるみざわは、つまるところ、天皇制とくっついている限り、自由はないのだということ、そのことを、観る者に、声高ではなく、この劇を通して感得してもらいたいと思ったのではないか。わたしは、そう解釈した。

(おわり)

 

 

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「蝉丸と逆髪」(3)

2024-10-27 10:22:09 | 演劇

 台本は、官僚組織の本質を穿つことも目的としているのではないか。官僚(役人)は、上からの理不尽な求めに対して、己を虚しくしてそれに従う。おそらくそれ以外の身の処し方はないのだろう。理不尽な求めに良心の呵責を覚える官僚(役人)は、その職に留まることはできない。なかには、もと文部事務次官の前川喜平氏のように、「面従腹背」で官僚の最高位にまで就くような人もいるが、それは希有なことである。わたしは、「面従腹背」は無理である。

 さて二景に入る。

 清貫は、「蝉丸」を乗せてきた荷車を引く。その荷車を「こんなボロ車」だとして蹴り飛ばし、「蝉丸」の服を茂みに投げ入れる。そこへ「誰だ」という声が。ここに、「蝉丸」の姉である「逆髪」が登場する。これは、原作にはない光景である。

 清貫は隠れる。「逆髪」は、子どもたちの笑い声を聞き、原作に沿った台詞を語る。もちろん原作通りではない。異なる台詞は、のちに掲げる。「逆髪」はこういう。わたしが肝(きも)だと思う部分である。

 「(私が笑っているのは)世の中の逆さまを笑っておるのだ。いや、逆さまなしではやっていけない世の中が、逆さまなしでやっているかのような顔をしているのがおかしくて。」

 「花の種は地下に根を伸ばし、地上に芽を出し花を咲かせて天に向かう。夜の月は天で輝きを放ち、池の水面を潜ってその底に沈む。花も月も地中水中と天をめぐり両方にある。どちらか一つを捨てるわけにはいかん。世の中には正も逆もない。」

 この個所について、台本に次の台詞がかぶさる。その台詞は、

「よく似た境遇だから助け合えばいいのに逆さまに争っているだけ。逆さまでないものはどこにもない。それをそのまま見ればいいものを人はどちらかを逆さまとし、どちらかを逆さまでないと見てしまう。そのまま目に映すことができない。」

「お前達は私を笑い、私もお前達を笑う。ただ笑があるだけでこの逆髪とお前たちはひとつ。区別はいらん。」

 であるが、台本は、支配権力の支配方式、分裂させ対立させて支配するという方式を指摘する。「現代」に対する批判である。

 そして「逆髪」は、「蝉丸」の衣と「蝉丸」を乗せてきた荷車を見出す。そして清貫をも思い出す。清貫によって、「逆髪」も同じような荷車で、「縛り付けられて」連れてこられたのだ。このあとは、「逆髪」と清貫の対話が続く。原本にはない設定である。台本では、この場面に改作の意図をこめているように思える。

 「逆髪」はおのれを捨てた清貫を責める。しかし清貫は、捨てたのは醍醐天皇だと答える。捨てた理由は、御所内で「逆髪」が「とんでもないこと」「思うがまま」を口に出していたことで、「それがいかん」ことであったというのだ。「逆髪」は、御所では自由に喋ることができず、逢坂山では自由に喋ることができる、それがおかしいのだと指摘する。そのような「区別」の存在こそがあるべきではないと。清貫は、「逆髪」を「けだものめ」という。子どもを荷車にくくりつけて捨てるのは「けだもの」だと「逆髪」はいう。そして「人間とけだものはひとつ。区別をつけるのはどちらか一方を隠すため、ふたつがひとつに重なったとき、清貫の」正体があばかれる、と「逆髪」はいう。

 そのあと、天皇の「幻」をめぐる会話がある。もちろん清貫は「幻じゃない」というが、「逆髪」は「天皇などというものは」、「幻」であると思っている。

 天皇は、日本というくに、そこに住む人びとの「幻想」を基盤にしている、とわたしも思う。「幻想」に立脚した天皇という存在、そうであることを知りながら支配層は、天皇を利用する価値があるとみて、「幻想」をあたかも実体があるかのように振る舞い、また弘布宣伝する。支配層の一員たる官僚は、「幻想」によってつくりあげられた天皇を権威の源泉であるかのように位置づけ、その権威を背景にして動く。しかしそうするのは、おのれの地位、名誉、財産が第一の目的であって、心から天皇を尊崇しているのではない。

 そうした官僚としての清貫の本質が、「逆髪」との会話により、逢坂山で暴露されていく。

 そして「逆髪」はこう語る。

「天皇は天皇を愛しておる。ただそれだけ。なのに民は愛されたいから天皇が愛してくれていると思いこむ。天皇はその弱みにつけ込んで天皇家を守るために民を愛しているふりをする。お前もその民の一人。まんまとだまされて。わかるか清貫」

 これも天皇制の一側面だ。ここでも、天皇の存在は「幻想」によって成りたっていることを示唆する。天皇と民との間には、天皇と官僚との間、官僚と民との間に「愛」がないのと同様に、「愛」は実在しないのだ。

 また「物狂いを捨て、目の見えぬ者を捨て、残る天皇家に何の意味がある」と、「逆髪」は清貫に問う。清貫は去って行く。

 そして「逆髪」は「蝉丸」を求めて、荷車を引いていく。

 そこで「逆髪」は、重い言葉を語る。

「私が伝えたいのは、この逢坂山でよかったという思い。衣はいらぬ。何もかも逆さま。そして逆さまでないこの世を求めて人は狂う。」

 「逆さでないこの世」とは、おそらく区別(差別)なき、自由なこの世であろう。そこは、網野善彦が『無縁・公界・楽』で説いたアジールなのだろう。

(この項続く)

 

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「蝉丸と逆髪」(2)

2024-10-26 22:57:39 | 演劇

 能の「蝉丸」を、くるみざわしんが改作して「蝉丸と逆髪」を書いた。わたしの手元にあるのは、活字だけの台本である。声や音が不可欠である演劇空間を体験していないわたしにとって、この劇を論じるのは、冒険であり、また難しいと言わざるをえない。

 それでもあえて、この台本について書いていこうと思う(以下、台本と記す場合は、くるみざわの改作をさす)。

 まず、一景はウソで始まる。藤原清貫(ふじわらのきよつら)は、醍醐天皇の廷臣であり、落雷事件で亡くなるまで昇進を重ねた公卿である。能の「蝉丸」でも、清貫が「蝉丸」を逢坂山に連れて行くのだが、清貫はそこまで悪人として描かれてはいない。そこまで、と記したのは、台本では、「蝉丸」を、大坂浪速の四天王寺に連れて行くとウソを言って連れ出している。四天王寺では「目の病を治す祈祷師が集まるお祭り」があるからというのである。

 四天王寺にそのような祭りがあったのかを、友人に四天王寺関係者がいたので問い合わせたら、そういうことは聞いたことがないということだった。四天王寺と「目の病を治す」ということなら、能の「弱法師」(よろぼし)に盲目の乞食がでてくるので、謡曲をたくさん読んできたというくるみざわは、それにヒントを得たのかもしれない。

 いずれにしても、清貫はウソを言って「蝉丸」を連れ出しているのである。

 しかし「蝉丸」は、西に向かっているのではなく、東に向かっていることを察知する。そして逢坂山に到着する。清貫は荷車から降ろす。その際、清貫は「降りろ」と命じ、荷車を「蹴る」。このことばと行為に、すでに醍醐天皇の第三皇子である「蝉丸」への敬意はない。

 台本では、清貫は、典型的な官僚として描かれている。権威や権力を有する者には、本心からではなく、やむなく追従するが、そうする必要がなくなった際には、即座にそうした態度を捨てる。おのれの地位や出世が第一なのであって、天皇や皇子に対しても、それに関わる場合にのみ追従し、敬意を表すのである。

 清貫は、「蝉丸」を「捨てる」のは、醍醐天皇の命令であることを伝える。これは能の「蝉丸」でも同じである。「蝉丸」は、「なぜだ」と問う。ここで、清貫は、皇室典範の第3条を示す。「皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。」が、現行の皇室典範の条文である。1889年の旧皇室典範では、第9条である。「皇嗣精神若ハ身体ノ不治ノ重患アリ又ハ重大ノ事故アルトキハ皇族会議及枢密顧問ニ諮詢シ前数条ニ依リ継承ノ順序ヲ換フルコトヲ得」がそれである。もちろん能の「蝉丸」にはない。

 醍醐天皇が「延喜の治」を行うのは10世紀である。その時代に、現行の皇室典範を登場させるのだ。わたしには驚きであった。シュールレアリスムの方法でもある。「ものをその日常の環境から切り離して、別の環境の中に入れる」(高階秀爾)、現行の皇室典範を10世紀に登場させたのである。きちんと皇室会議の議をへて、「蝉丸」を「捨てる」ことが正式に決まったというわけである。

 そして能の「蝉丸」と同じように、台本でも、頭を丸め「出家」させる。つまり「乞食坊主」にする。清貫は、「蝉丸」の服を脱がせて蓑を着せ、笠と杖を「蝉丸」に与える。

 この場面で、台本には、能の「蝉丸」にはないことが書かれている。清貫は「蝉丸」の、「物狂い」となった姉を、清貫がこの逢坂山に捨てたことを語る。そこでの清貫の台詞。

 「物狂いとはいえ天皇の娘です。寺に預けたりしたらよからぬ連中に利用され父上に御迷惑をかけないとも限らない。道に置き、乞食に落とすしか。」

 ここには、清貫と天皇との関係に関する認識が記されている。つまり、利用する対象としての皇族。操作される存在としての天皇家。

 そしてさらに、清貫のほんとうの心が語られる。これこそ官僚的精神の真実なのだろう。

「頭を丸め道に残されてしまえばもはや天皇家の人間ではありません。清貫と呼ばれても答える筋合いはもう(ない)」

「この清貫は蝉丸さまが天皇の実子ゆえにお世話して差し上げただけのこと、すべて天皇の御命令に従っただけでございます。」

「・・・・今までどれほどこの清貫、御所の者どもに迷惑をかけたか、それを当たり前にしてありがたいとも思わず、喜んで世話をしてくれていると思い込んだ。その自分を見つめ直すところから」

 「この逢坂山で修行に励みなされ。生まれてから今日までどれほどわがままに振る舞い、まわりに迷惑をかけ、それを知らずにあぐらをかいてきたか。ひとつひとつ点検してこころを作り直さないといけませんぞ」

「苦労しますな、生まれが高すぎると。」

「天皇になってはならぬ者が天皇に戻ろうとしたら謀反ですぞ。なれば今度こそ。その命は(なくなる)。」

 そして清貫は去っていく。

 わたしは天皇家の面々がどのような生活をしているのか知らない。現在でも天皇家の世話をしている多くの人々がいるのだろうが、どのような心構えで接しているのだろうか。想像すらしたことはない。また現実の生活の中で、皇族はまわりにいる者たちに「迷惑をかけ」ているのだろう。

 さて最後の台詞は、三景への伏線となる。これで一景は終わる。

(この項続く)

 

 

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「蝉丸と逆髪」(1)

2024-10-26 09:49:33 | 演劇

  くるみざわしんさんから、演劇の台本を送っていただいた。「蝉丸と逆髪」という今年10月に上演されたものである。この台本を読みながら、この劇こそ実際に観ないとわからないと思った。

 台本はことばだけで綴られている。台詞だけではなく、ト書きも書かれてはいるのだが、しかしこの台本のもとは、能の「蝉丸」である。「蝉丸」を改作してつくられた台本が、この「蝉丸と逆髪」なのである。

 能は、舞台上で演じられはするが、舞台背景は他の演目と変わらない。少しはいくつかの装置が用意はされるが、ふつうにみる演劇のような丁寧な装置は用意されない。能舞台は、橋懸かりとともに一定の構造をもち、そこで演技はなされる。そしてそこでは演者だけではなく、囃子や謡を担当する人びとが座っている。だから、演者の台詞だけでなく、笛や鼓の音もある。それに演者は仮面をつける。

 だから、実際に演じられるその場にいて、観なければならない。若い頃、水道橋の能楽堂で能楽を観たことがあるが、そこには独特の雰囲気があったことを覚えている。

 さて、この台本を理解するために、わたしは「蝉丸」を読んだ。「蝉丸」は、「百人一首」にもある「これやこの 行くも帰るも わかれては 知るも知らぬも あふ坂の関」という歌の作者である。盲目の琵琶奏者で、逢坂の関、山城国と近江国の境界の山に住まいしていたという。

 謡曲「蝉丸」は、「蝉丸」を醍醐天皇の第四皇子とする。生まれつき盲目の「蝉丸」を、醍醐天皇は逢坂山に捨てるように、廷臣の清貫に命じる。「蝉丸」は、父醍醐のこの措置を、「前世の戒行が拙」かったためで、現世で「過去の業障」(ごっしょう、と読む。悪業によって生じた障害)を果たして来世に備えろということだろうと善意に解釈する。清貫は、「蝉丸」の髪をおろし、蓑を着せ、笠と杖を置いて去っていく。宮中でしか生活していなかった「蝉丸」は、「乞食坊主」となったのである。「蝉丸」は琵琶を奏でる。

 そこへそれ以前に捨てられた醍醐の第三皇子、「逆髪」(さかがみ)が登場する。「逆髪」は「狂人」となってさまよっている。琵琶の音を聴き、「蝉丸」のいる「藁屋」に行き、「蝉丸」の声を聞いて弟であることを知る。二人はこの境遇を嘆きしばし語らうが、「逆髪」は去っていく。なお「逆髪」は「翠の髪は空さまに生い上って」撫でつけても下がらないという頭髪であるが故に、「逆髪」という。

 ではこの「蝉丸」の意味はどこにあるのか。非情にも、盲目の「蝉丸」を宮中から追い出し、「乞食坊主」とした皇室への批判?「狂女」である「逆髪」も宮中から出ているが、出されたのかはわからない。「心より 心より狂乱して 辺土遠郷の狂人となつ」たのである。宮中から出た二人の姉弟がみずからの境遇を嘆き悲しみ、そして別れていくその二人がかわすことばと情感の機微を主眼にしたのかもしれない。

 わたしはここに着目した。「逆髪」は、「童部」(子どもたち)に笑われる。それに対して「逆髪」は、その笑うという行為を「逆さま」だという。「花の種は地に埋もって千林の梢に上り 月の影は天にかかって万水の底に沈む 是等をば何れか順と見 逆なりと謂はん」。何が「順」で、何が「逆」なのかは、最初から決まっているわけでもなく、相対的なのであるということを言おうとしたのか。

 画家の香月泰男は、「東洋画と西洋画の違いの一つは、余白にあると思う。東洋画に独特の余白の存在は、カッチリ描き込まれた西洋画のバックとはちがって、なんとも融通無碍なものである。西洋画のバックには一つの解釈しかないが、東洋画の余白は見る人次第で、どうにでもなる。」(『シベリア鎮魂歌』50頁)と語っているが、能にも「余白」があると思う。その「余白」とは、観る者の想像力に依拠する部分というか、それが大きいように思われる。能楽堂という空間、あるいは簡単な装置、謡のことば、そして笛や鼓の音、それら全体は、こうである、という主張をするのではない。観る者がそれぞれに「空白」を埋めていく、そういうものが能にはある。

 この項続く。

 

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【演劇】俳優座劇場プロデュース「夜の来訪者」

2024-09-28 17:50:49 | 演劇

 完成度の高い、一級の作品だった。途中の休憩なしで最後の最後まで緊迫感をもって劇は展開した。

 原作はイギリスのJ・B・プリーストリイという人で、調べたら岩波文庫にもはいっている。とても有名な出し物で映画にもなっている。わたしはまったく知らなかった。

 原作は、20世紀初頭のイギリスの話だそうだが、今回見たのは、1940年の日本。金持ちの倉持家の応接室が舞台になる。舞台が日本になっても、まったく違和感がなかった。原作の完成度が高く、また脚本もすばらしい、と言うことなのだろう。

 倉持家では、娘の婚約を喜び、楽しい団らんのひとときを過ごしている。そこに影山という「警部」が来訪する。警部は、ひとりの若い女性が自殺したことを告げる。そしてその自殺には、登場人物の全員がなんらかのかたちで関与していたことを、次々とあばいていく。

 ひとりの若い女性が生きていくなかで、様々な人びとと関わりを持つ。その関わりには軽重があるが、彼女の人生が関わりを持った彼らによっていろいろな影響を受ける。そして、その影響が彼女の人生を押し潰していく。

 彼女の死に関して、登場人物全員に責任があることを、警部は気づかせていく。しかしそれを認識したくない者(会社経営者の倉持夫妻、娘の婚約者)がいて、彼らはその警部が語ったことを疑い、若い女性の死、警部の存在自体を消し去ろうとする。

 ところが最後には、それが事実となる。警部が来訪して登場人物に責任があることを気づかせたこと、それは近未来に起こることであったのだ。

 人間は生きていく上で、様々な人と関わる。それらの関わりが、ひとりの人間の人生に様々な影響を与えていく。「知らない人」のことではなく、その「知らない人」と自分自身は、なんらかの関わりをもっているのだ。ということは、「知らない人」にも何らかの責任がある、ということだ。

 この演劇、まことにスリリングであった。久しぶりに良い演劇を見た。

 

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【演劇】くるみさわしん『あの瞳に透かされる』

2024-09-15 13:25:17 | 演劇

 演劇というのは、実際に演劇を鑑賞しなければわからない。しかし、東京周辺にいれば、いろいろな演劇を実際に見ることができる。その点では、地方に住んでいるということは不利である。

 くるみさわしんの戯曲「あの瞳に透かされる」を送ってもらった。これは二度読んだ。劇そのものを見ていれば納得できるのだろうが、見てはいないので、了解不能な部分があったからだ。

 この戯曲は、「従軍慰安婦」をテーマにしたものだ。今では、自由民主党関係者や右翼らの攻撃により「従軍慰安婦」はあたかもなかったかのような存在にされているが、吉見春雄の詳細な研究にみられるように、「帝国軍隊」の管理下に国内外の女性たちが「従軍慰安婦」として扱われたことは確かである。旧軍人の回想記を読んだことがあるが、中国戦線で女性を拉致し「慰安婦」にした事例が記されていたし、わたしが発見した南京虐殺に加担した兵士の軍事郵便には、兵站部隊の業務として朝鮮人の「従軍慰安婦」を輸送したりしたことが書かれていた。

 さてこの戯曲では、日常生活を攪乱するものとしての「音」、それはもうひとつの攪乱者である「高田靖」が引き起こしたものであるが、この二つによって日常生活が乱されていく。

 この戯曲は、ニコンサロンで、韓国の写真家による「従軍慰安婦」の写真をめぐって起こされた事件を前提としている。その写真展開催の予告に対して、右翼等が攻撃を行った結果、ニコンサロンは、その写真の展示をとりやめた。写真家はそれに対して訴訟を提起した。仮処分により写真展は開催され、写真家の勝訴で終わった。

 その写真展に関わったニコン(戯曲ではクノックス)側の責任者として坂中正孝を配し、坂中が妻とともに、訴訟の後に地方のクノックス所有の家で生活している。坂中は、クノックス社の取締役でもある。坂中は、「陶器でつくられた天使」をフリーマーケットで買い集めることが日課となっている。

 そこにまず「音」がやって来る。そしてその音をたてた団体職員の高田靖がその家にやってくる。ひとつの謎は、この高田とクノックス社との関係が不分明であることだ。クノックス社が送り込んだともとれるし、勝手にやってきたとも推測できる。それでもクノックス社とはまったく無関係というわけではない。高田は、「従軍慰安婦」の認識については、歴史修正主義者のそれである(もうひとつの謎は、もと内科医という建築家の小竹さなえ、この登場人物も了解不能であった。なぜもと内科医?など)。

 この高田の登場が、この劇のスタートとなる。日常生活を揺り動かすのである。なぜ写真展は中止となったのかを探りながら、中止の決定は正しいと高田は言う。高田は、「従軍慰安婦はなかった。反日のデマ」だとクノックス社は明確にすべきであったと主張する。

 それに対して、このクノックス社所有家屋の管理者である82歳の池田千江は、「従軍慰安婦は事実」だと明言する。「上に怒られるのが怖くて写真を蹴散らし」、写真展を中止した坂中も、「従軍慰安婦はデマじゃない。デマだという連中のほうがデマだ。ウソをついている」と語る。坂中は、「従軍慰安婦」についての認識を深めたのである。

 さらに新しい事実が提示される。この家屋があるところ、戦時中は海軍の飛行基地があって、そのための慰安所があったというのだ。そこには17人の女性がいたという。そして空襲時に、この建物が焼け、中にいた女性たちが亡くなった。逃げられないように門が閉められていた。

 そして戦後、その後に建てられた建設会社の「アートサロン」では、戦争に関する写真展が開かれていた。その際のパネルが、地下室などに保管されていたのである。「音」は、そのパネルが倒れた「音」だったのだ。

 劇は、高田とそれ以外の登場人物との「従軍慰安婦」をめぐる葛藤の中で展開されていく。そのなかで、見る者に、あなたはどこに「立つ」のか、と問う。わたしは「ここに立つ」が、「君はどこに立つ」というように。

 それは、「陶器でできた天使」(舞台上ではそれが示されているのだろう)の瞳が、いつも見つめているからでもある。その「天使」は、おそらくその家があるところにあった慰安所で亡くなった人びとの瞳でもあり、「帝国軍隊」が戦場に連れ回した「従軍慰安婦」の瞳でもある。

 何度も繰り返される台詞があった。「強い風を翼に受けて、未来に吹き飛ばされながらも後ろを振り返り、目を見開いて遠ざかる過去の残骸を見つめる」。「残骸」とは何か。「従軍慰安婦」が存在したという歴史的事実か、いやそれなら「残骸」ということばはふさわしくないだろう。過去の歴史的事実は、「残骸」ではなく、いまだ生命を持ったものとして現在や未来を照射する。「見えているのに見えない、聞こえているのに聞こえない、嘘を張り巡らせる」というような、過去の歴史的事実をみつめようとしない姿勢ではなく、現在や未来を照射する光を「集め」ることにより、その光は「輝きを増していく」のである。

 

 ※ストーリーに、どうも無理な展開ではないかと思われる箇所があった。

  

 

 

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「僕らは害虫ではない」

2024-09-02 20:45:31 | 演劇

 ことし、葉鶏頭の種を買ってきた。はじめはなかなかいいじゃないかと思っていたが、長期の日照りが続き、そしてその後には雨の日が続き、世話が出来ないままに、葉は虫に食われて無惨なすがたになった。葉はほとんど食われて、ただ葉脈だけが残っている。

 葉を食べた虫は、害虫となる。害虫は殺さなくてはならない!と、実際花屋さんで売られている花々には害虫駆除の薬品がかけられているはずだ。

 しかしわたしは薬品はつかわない。夕顔の葉にも蛾の卵が産み付けられ、その幼虫が葉を食い荒らす。ときどき、箸でつまんで殺すこともあるが、今年は日照りが続いたせいか、いつもの幼虫を見ない。夕顔が、今年も夜、白い大きな花を咲かせている。

 さて、人間を「害虫」とみなし、命令に服従させ、むやみに殺害するという事態が、人間社会では起きる。人間社会のどこかで、それは起き続けている。「強制収容所」。

 ソビエト連邦の強制収容所、ナチスによる強制収容所、日本の「入管」、そしてガザ。そうしたところに収容される人びとは、大きな権力を持つ者にとっては、「害虫」として映る。

 強制収容所の例として4つあげたが、そのような収容所はこれだけではない。4つあげた理由は、「戻り道を探して ミレナとカフカとマルガレーテ」(くるみざわしん・作)という演劇の台本に示されているからである。

 今日、ポストを見たらそれがあった。東京に住むOさんからである。早速読んでみた。内容は深刻で、過去と現在を行き来しながら、強制収容所からの「戻り道を探す」というテーマで書かれたものである。

 三人の名が記されているが、カフカはあの『変身』のカフカである。『変身』は、主人公グレゴール・ザムザがある日突然「害虫」となってしまうというところから始まる小説である。ミレナは、カフカの恋人であった人、彼女も強制収容所で命を落とした。マルガレーテは、『カフカの恋人ミレナ』という本を書いた人で、ミレナとは収容所で一緒だった。マルガレーテはソ連の収容所、ナチスの収容所を体験していて、それについて『スターリンとヒットラーの軛のもとで』という本に書いている。いずれも翻訳されているが、わたしは読んではいない。

 カフカの『変身』における「害虫」、その「害虫」ということばを強制収容所や「入管」に収容された人びとが「害虫」視されることとをつなげ、さらに収容所の看守などもみずからを「害虫」とみなし、そこからの「戻り道」を探す、害虫から人間へと戻る道を探そうとする、そういう設定が、この台本の内容である。

 もちろんカフカも、ミレナも、マルガレーテも、そしてナチスの強制収容所の看守らも、すでにこの世にはいない。ミレナは、棺に入っているこれらの人びとを起こしていく。

 看守らは、目を覚まされるが、再び過去の強制収容所での仕事を繰り返そうとする。過去の強制収容所で行われていたことが、日本の「入管」やガザで繰り広げられているからだ。台詞には「・・・ちっとも変わらないな。ここにまた強制収容所が現れた。そこらじゅうにあるんじゃないか。今も。」がある。

 なぜ強制収容所があるのか。

 「問題は収容所のなかじゃない。外だ。貧困。恐怖。差別。戦争。そいつらが強制収容所を作っている」

 この台詞は、収容されている人びとが収容所をつくっているのではなく、収容所に収容されていない人びとの差別、恐怖、戦争・・・・が、収容所を設けていることを如実に示す。外にいる人びとの無関心や無知、それらが強制収容所を必要とし、収容される人びとを「害虫」としているのである。問題は、収容所の外にいるふつうの人びとに問いが投げかけられるのだ。「あなたたちが人間を害虫に変える仕組みを」つくっているのだ、と。

 「自分達が一番だと思い込んでいる連中は」、「遅れた野蛮人から土地と資源を取り上げるのは自分たちの権利であり、正しいことだと信じている」のであって、彼らに「素直に従えば家畜、逆らえば害虫」と、人びとを分別していくのだ。家畜たちは、「命じられるまま」に「害虫」を殺す。

 だが人間は「害虫」なんかではない。

 『変身』で「害虫」となったザムザが、「どうやったら害虫から人間に戻れるか」、それが書かれているのかとパレスチナ人のアンハールが問う。しかし『変身』には書かれていない。

 収容されている人びとも「害虫」とされ、収容所の看守らもみずからを「害虫」であったと認識し、再び棺の中へと還っていくのだが、収容所や「入管」の存在を見て見ぬふりをしている「家畜」たちも、決して人間ではなく、「害虫」に近い。

 「害虫から」どうやって「人間に戻るか」、その問いを突きつけた演劇が、この「戻り道を探して」である。

 しかしこれは、深刻な問題提起なのだということが、行間にあふれている。

 

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【演劇】青年劇場「星をかすめる風」

2024-07-27 22:45:06 | 演劇

 今日の午後は、演劇を鑑賞した。とてもよかった。さすが青年劇場であった。

 戦争末期、福岡刑務所には、詩人の尹東柱が、治安維持法により2年の懲役刑を受けていた。そこには朝鮮人が収容されていた。

 ある日、看守の杉山が何ものかに殺された。誰が殺したのか?その犯人を捜すことが若い看守・渡辺に託された。渡辺は、誰が殺したのかを探る、探る中で、福岡刑務所ではどんなことが行われたのかが次第に明らかになる。いったい誰だ、杉山を殺したのは?観客も、そのような疑問をもちながら渡辺の動向を追跡する。

 杉山にはふたつの顔があった。ひとつは音楽や詩、文学をたしなむということ、杉山の遺体には、詩が書かれた紙片があった。尹との交流もあった。またピアノを弾く看護婦とのピアノを介したつながりもあった。もうひとつは囚人に激しい暴力を振るっていたこと。

 渡辺は、このふたつの顔を、なぜ杉山がもっているのか、理解できなかった。

 その疑問は、九州帝国大学から来た医師とふたりの看護婦の行動から明らかになる。医師たちは健康な囚人たちに治療だといいながら注射をうつ。しかしその注射を打たれた囚人たちに、記憶力の減退、疲れやすくなるなどの症状が現れる。しかし医師たちは注射を打ち続ける。そのうちに囚人に死者が出始める。

 医師たちは、ケガをしたり、また身体の弱い囚人たちには注射を打たなかった。医師たちは、囚人や看守に、ケガをしないように、またさせないようにと忠告した。

 杉山は、しかし気づいてしまう。囚人たちの健康悪化の原因があの注射であること、ならば囚人たちを救う道は、囚人たちにケガをさせて注射をうたせないようにすること、だと。九州帝国大学の医師たちは、人体実験のために福岡刑務所に来たのだ。杉山の激しい暴力には、理由があったのだ。

 その杉山が殺された。犯人は、暴力を振るわれた朝鮮人の囚人だとされた。しかし渡辺は、どうも腑に落ちない。そして、杉山を殺したのは、九州帝国大学からきた医師であること、人体実験を邪魔した杉山は、彼によって殺されたのだと推測する。

 詩人である尹も注射で殺された。

 劇は、そのような事件の顛末をただ明らかにするだけではない。詩、文学、音楽が人間にとっていかに重要であるのかを示す。また、事実と真実、真実はどこにあるのか、それをも考えさせようとする。

 尹東柱の詩が各所に読み上げられ、ことばの美しさ、ことばの魅力が示される一方、ことばとして発せられたものが真実を隠すものとして出現することも示唆される。杉山を殺したとされた朝鮮人の囚人は処刑されたとされながら、実際は刑務所長が逃がしていた。所長は、その囚人が隠したと語っていた金塊に目が眩んでいたのであった。

 表面に現れる様々な事実、しかしそれらの事実をつなぎ合わせると、まったく別の真実が現れて来る。九州帝国大学の医師は囚人たちの健康を保持するという。そして注射を打つ。ところが、注射を打たれた囚人たちが健康を損なっていく。なぜ、どうして・・・・・疑問をもって事実をつなげていくなかで、真実が浮き彫りにされていく。

 疑問を持ち、事実をもとにみずから考える、そういうことをしないと無数の事実によって真実はどこかに隠され消えてしまう。真実は、たくさんの事実のうしろにある。真実をたぐりよせること、

 尹は、「序詩」でこう書いている。

死ぬ日まで天を仰ぎ

一点の恥じ入ることもないことを

 しかし、「恥じ入ること」を、何度でも繰り返す者たちが、いかに多いことか。そういう現実に、わたしたちは生きている。

  

 

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【演劇】劇団NLT「MUSICAL O.G.」

2024-05-25 20:09:00 | 演劇

 日々忙しく動いているので、今日が演劇鑑賞日であることをすっかり忘れていた。36分前に私のiPhoneが、今日、演劇を見ることになっていることを教えてくれた。あわてて天竜川駅まで家人に乗せていってもらい、会場に着いたのは約5分遅れ。もうステージは始まっていた。

 今は浜松演劇鑑賞会といっているが、私の若い頃は浜松演劇鑑賞協議会といっていた。略称浜松演観協であった。高校生の頃からずっと、一時職場が忙しくなったことからやめていたが、人生の晩年になって再度入会した。

 私が若い頃、演劇を見る人びとは皆若かった。そして私が老いて行くにつれて、ホールに集まる人びとも老いてきている。演劇を見る年齢層はずっと一定だということである。若い頃からみつづけて、今はほとんどが老境にあるということである。

 さて今日の演劇は、そうした老境にある人びとに向けたミュージカルであった。キャストも、年齢はわからないが、おそらく齢いを重ねてきている方々。台詞の中に、みずからの老いを語るシーンが多かった。

 舞台では、二人の老いた女性が、キャバレー「ミラクル」があと一週間で閉店するということから、それぞれが昔語りをする。38年間、「ミラクル」でうたい続けた二人は、ここでたくさんの思い出を持っている。しかし二人の女性はそれぞれの人生そのものをすべて知っていたわけではない。閉店まじかになっているからこそ、語りたいことが次々と浮かんでくる。ボーイフレンドのこと、結婚のこと、夫が認知症になってきていることなど、とにかく過去のことを語る。

 でも生きていれば、いつも「新しい」ことが目の前に出現する。その「はじめて」を乗り越えていくことが生きていくことだということを語り、また唄う。

 老年期に差し掛かった女性が喜ぶような内容であった。老年期にある私も楽しんだが、台詞など女性の方がより身近に感じただろう。

 「O.G.」は、old girlsのOとGである。

 人は生まれて歳をとり、この世から去って行く。「灯が消えるのを待つ」老境にある人でも、舞台に立っている二人の女性のように、元気で生きながらえていく。老人は「集団自決」せよ、という過激な言説もあるが、しぶとく、この世の限り生き抜いて、生き抜いて、「はじめて」を体験していこう、と老境にある舞台上の二人の女性は、がんばっていた。

 

 

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【演劇】前進座「くず~い屑屋でござい」

2024-03-29 19:06:30 | 演劇

 浜松演劇鑑賞会の例会、前進座の「くず~い 屑屋でござい」を見た。落語の「井戸の茶碗」をもとにしたものだから、わかりやすくて面白かった。ただし、カネに困って屑屋に仏像を売った者、落語では娘と暮らす浪人であるが、劇では娘とその母であった。また屑屋の清兵衛は、パーフェクトな善人ではないが、その他の人びとは落語と同じように清廉潔白な者ばかりだ。

 しかしこういうわかりやすい演劇は、誰もが、わかりやすく面白かった、という感想をもつだろう。あるいは、江戸時代には、清廉潔白な人がいたんだねえなどという感想をいだく者もいるかもしれない。しかしそれ以外の感想をもつことは、おそらくない。

 話の筋はわかりやすく、話の展開も相応の動きがあってドラマになっていた。それはそれでいい。だが、私は、いろいろな感想がでてくる演劇が好きだ。だから、前進座の出し物より、新劇系のものが好きだ。

 

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整理(1)

2024-03-04 21:02:17 | 演劇

 今日もたくさんの本を古書店に渡した。残された時間のことを考えると、おそらくもう読まないだろうと判断した専門書の多くを手放した。もっともっと身軽になろうと思う。

 私は今、浜松演劇鑑賞会の会員で、企画された演劇をただ見るだけの会員であるが、それが浜松演劇鑑賞協議会と言っていた頃、「機関誌部」の一員として、機関誌にいろいろな記事を書いて載せていた。その頃の機関誌を、すべてではないが、今も保存している。

 20代の頃で、まだ若かった。大学時代は東京労演の会員で、浜松に帰って来てからは浜松演観協の会員となって演劇を見るようになった。

 機関誌(1979年12月)にはじめて書いた文を紹介する。

 最近、何か圧迫されているような格子のない牢獄にいるような、そんな感じがしてなりません。

 先月、息苦しい生活から逃れようと東北一周の度に出かけてきました。紅葉も終わり、長い冬を待つだけとなった東北の山々は、荒涼たる姿を見せていました。そんななかで津軽富士といわれる岩木山が大空にむかって雄々しくそびえているのを見て、大いに感じるところがありました。「生きていこう」というつぶやきが、どこからか聞こえてきました。

 新入りの機関誌部員です。よろしく。

 母が亡くなってから、ボーッとしている時がある。自分自身が年齢を重ね、みずからの死を自覚しつつあるときの母の死であるがゆえに、なかなか心が重い。いずれ必ずやってくるみずからの死を考えてしまう。「生きていこう」という前向きな姿勢ではなく、死ぬまでは生きていかなければならない、という気持ちとなっている。

 

 

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【演劇】フォーリーズ「ミュージカル 洪水の前」

2024-01-27 22:29:12 | 演劇

 いずみたくの音楽が流れる。いずみたくの音楽は、耳に素直に入ってくる。いずみたくの音楽は、歌詞が大切にされていると思う。歌詞とメロディが手を携えていっしょにこころのなかに入り込む。

 そのいずみたくがつくったミュージカルには、「おれたちは天使じゃない」が有名である。私は、学生時代この初演を渋谷で見て感動した。初演では、有島一郎、西村晃らが出演していた。私はこのミュージカルを何度も見ている。

 そして「洪水の前」初演の「洪水の前」はYouTubeチャンネルで見られる。初演では、財津一郎がでていた

 ライザ・ミネリの「キャバレー」の日本版。いずれもファシズム前夜の状況を、キャバレーとそれにかかわる人々のありようをとおして描く。歌、ダンス、恋、別れ、文士、ダンサー、演奏者・・・・・しかし彼らも、当時の世相に呑み込まれていく。洪水は、すべてを吞みつくす。「洪水の前」は、ファシズム前夜、という意味だ。そして最後には、軍靴の音が鳴り響き、すべてが戦火に消されてゆく。戦争というブルドーザーが、すべてを圧し潰していく。

 そのような流れは、キャバレーの中では表立っては見えてこない。たとえ見えても、それは部分的だ。しかしいずれは、洪水となってすべてを呑みこんてゆく。描かれているのは、そういうことだ。

 ただ私は、「洪水の前」でうたわれた歌にはどうもなじめなかった。いずみたくのミュージカルでもっとも印象に残っているのは、「おれたちは天使じゃない」でうたわれた「今、今、今」という歌だ。

 いずみたくのミュージカルは、何度でも上演してほしいと思う。

 

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