浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

メディアの実態

2021-11-30 12:15:00 | メディア

 テレビはもちろん、新聞も、日本を支配する人々の広報機関となってしまっていると、何度も書いてきた。

 東京オリンピック、開催経費は極力抑え、既存施設を使うと言いながら、実際は莫大なカネを投入してきた。それはそうだろう、こういう事業は企業を儲けさせるために開催される。企業は最大利益を求めて動き回るから、政治はその要求を受けとめて、公費を湯水の如く投入する。

 東京オリンピック・パラリンピックで証明されてきた論理が、また札幌冬季オリンピック開催にかかわってだされてきた。メディアは政治の側の論理をそのまま載せてしまう。批判的なコメントもつけないで。

 『毎日新聞』の劣化、記者の劣化は甚だしい。もちろん『毎日』だけではない。『朝日』もコメントなしで載せていた。

札幌冬季五輪 開催経費を最大900億円削減 既存施設を活用

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【演劇】「花咲く頃に」

2021-11-26 17:04:32 | 演劇

 今日、観客席はいっぱいだった。コロナが流行し始めてから、こんなにたくさん客が入っていることはなかった。観劇後のあいさつで、音無美紀子さんが、コロナ流行のあと、こんなにいっぱいのお客さんがいるところで上演できて感激だ、というようなことを言っていた。そうだろうと思う。コロナ前の状況になることを万人が願っている。

 さて劇は、約2時間幕あいなしの一挙上演。過去にどんなことがあったのかを説明しないと上演している現在のドラマが理解できないので、現在を演じながら、電子音を合図に過去の場面を演じる、というまさに「芸当」で話は進んでいった。

 演じるのは五人、四人家族と長男の嫁だけ。それだけで家族のドラマを明示する。

 父は、みずからできなかったことを長男に託すためにいろいろ細かいことを指示しながら息子を育ててきた。父の期待にこたえようと努力する息子、しかし期待に応えられずに引きこもりになってしまった。

 この家のトラブルの原因は父親であると、素直に思った。父親としての威厳を振りかざしてる男はあんがいたくさんいるのだろう。こういう男が家庭や社会をダメにするのだ。

 この劇、喜劇かと思ったらそうでもなく、最後は人情劇になった。私の後方の座席にいた男性の泣き声が聞こえた。

 劇の背景には東日本大震災があるのだが、それはほぼ最初だけだった。話としては一般的なものであった。

 私は新劇らしい新劇が好きだが、こういうふつうの劇もたまにはよいと思った。

 演劇は、みずからの想像力をきたえるし、いろいろ考えさせる。昔のように、もっと多くの人が見るようになればよいと思う。

 

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悲しい話

2021-11-24 20:54:19 | 社会

 今日、WORKMANに行った。農作業の際にはくスラックス、それも風を防ぎあたたかいものを買いに行ったのだが、今までにない光景だった。今までは働いている人が作業着を買いに来ていたが、今日は若い女性など今までに見たこともない人々が商品を漁っていた。

 今日の午後も畑に行ったが、冷たい風が吹きなかなか寒かったので、ダイコンとレタス、ブロッコリーを収穫し(すべて近所の人にあげるもの)、帰った。

 農業は、当然野外で行う。今までも作業中雷雨に遭ったりしたことがあった。雷鳴が聞こえたらすぐに避難すること、これが農作業の鉄則である。原則として天候が悪いときは畑には行かない。

 ところが、雷雨のさなか、外国人を畑に行かせて作業させた人がいる。そしてその外国人は雷に打たれて死んでしまったという。ヒドイ話しだ。

 そのニュースを今日知った。

 おそらく外国人を働かせた農民は、おそらく安全なところにいたのだろう。外国人への蔑視、差別。外国人といっても、アジア人だったからだろう。

 とても悲しい話だ。亡くなられたお二人のご冥福を祈る。

 

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戦後民主主義

2021-11-24 09:12:58 | 社会

 アレクシェーヴィチの『セカンドハンドの時代』にこういう記述があった。

 必要なのは自由な人間、でも、そんな人間はいなかった。いまもいません。ヨーロッパでは200年のあいだ民主主義の手入れを続けているのです。(489頁)

 日本に於ける「戦後民主主義」とはいかなるものであったのだろうか。1945年の敗戦。そのあと劇的な「戦後改革」が行われた。日本国憲法もその一環であった。

 だが、日本国憲法も今や「壊憲」への道を走り始めているように思える。「戦後民主主義」はホンモノであったのだろうかという疑問が湧く。やはり「与えられた」ものであったのだ、と。

 その後、確かに60年安保闘争など、「戦後民主主義」を表すような動きはあった。だが、それらは持続せず、つねに一時的なものに終わったように思える。

 敗戦によって、たしかに大きく変わった。だが、権力機構を担う人びとは変わらなかった。司法も含めた官僚制は、「大日本帝国」のまま生き残った。彼らは、「大日本帝国」の復活をめざしうごめいていた。「戦後民主主義」をつぶすために、彼らは必死に働いた。

 治安維持の一環である司法官僚、従順な人間を育成する文部省官僚など、「戦後民主主義」をつぶすために少しずつその歩みを進めていった。おそらく彼らにとってその最終地点が見えてきているのではないだろうか。

 官僚や自民党の政治家たちの万能感。私は、高かった日本の国際的地位が下がり続けているのに、なぜ彼らはあんなに自信過剰なのかと思っていたが、「戦後民主主義」を葬り去るその時期が来たからなのだろう。それが彼らの自信過剰の背景ではないのか、と思うのだ。

 私たちは、「戦後」のあいだ、「民主主義の手入れ」を行ってきたのだろうかと自省しなければならない。

 「戦後民主主義」を主導してきた人びとは、もうほとんど残っていない。色川大吉さんも鬼籍に入った。

 

 

 

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日本とロシア

2021-11-23 07:57:42 | 社会

 アレクシェーヴィチの本を読んでいると、日本とロシアは似ているところがたくさんあるように思える。

 彼女も、『アレクシェーヴィチとの対話』においてこう語る。

・・日本にも、私たちのところと同じく「抵抗の文化」がないようです。あるいはこれは日本の文化全般と関係があるのかもしれませんが。人々はつねに役人や国家をあてにして、 各々が一人で耐え忍んでいる。でもすべての人がその状況に対峙できるわけではありません。( 258頁)

 たしかに、日本には「抵抗の文化」はほとんどみられない。少数の人々による抵抗が見られるだけである。アレクシェーヴィチはフクシマを訪ねてこう語ったのである。自民党・公明党政権による原発推進政策の結果、事故が起き、多くの人々が犠牲となり、故郷を追われた。しかし、そこでも自民党議員が選挙で当選しているし、福島県などの自治体も政府の原発政策に、今も従順である。

 これだけではない。かつて日本軍は、「生きて虜囚の辱めを受けず」と、捕虜になるよりも死ねと教えた。ソ連でもそれは同様であった。捕虜になった兵士は、シベリアに送られ強制労働に従事した。

 ソ連の体制においては、こういう教育が行われていた。

私たちが生きた国では、いかに死ぬかを子供の頃から教えていました。死を。人は幸福のため、愛のために生まれるとは教えず、人が存在するのは、自分を捧げるため、火に飛び込み自分を犠牲にするためだとくり返し教えていたのです。武器を手にした人間を愛せと。( 316頁)

 これは大日本帝国時代の「教育勅語」の内容と相似的である。「一旦緩󠄁急󠄁アレハ義勇󠄁公󠄁ニ奉シ以テ天壤無窮󠄁ノ皇運󠄁ヲ扶翼󠄂スヘシ」がそれであり、実際教科書ではそう教えられた。

 アレクシェーヴィチはこうも語る。

国家は単純化された公式とスローガンを好み、わかりやすい「敵」のイメージを広めることを好みます。多くの人々も同様です。あなたがいみじくも言うとおり、人々は自分で判断するより「強力な指導者」に物事を決定してもらうことを望むのです。このことは日本についても同様です。(287頁)

 今も、日本では「単純化された公式とスローガン」が権力から流され、メディアも報じる。

 そして過去、「大日本帝国」の時代への動きが強まっている。

 政府の「教育改革国民会議」では、「大日本帝国」の時代こそがあるべき姿だという議論が行われている。

 たとえば・・・

 

  • 子どもを厳しく「飼い馴らす」必要があることを国民にアピールして覚悟してもらう
  • 「ここで時代が変わった」「変わらないと日本が滅びる」というようなことをアナウンスし、ショック療法を行う

 

 こういう事態を、私たちはどう考えるのか。

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考える

2021-11-21 08:44:33 | 

スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの本は、解答のない本だ。彼女が語ったこと、彼女が聞き取ったことは、思考を喚起する。だが、その思考の行き着く先に結論はない。ずっと考え続けるしかない。

『セカンドハンドの時代』の巻頭におかれた二つの文。

犠牲者と迫害者は同じように不快である。それは、堕落においての兄弟関係であるということを、収容所の経験から学んだ。(ダヴィッド・セル『われらが死の日々』)

いずれにせよ、わたしたちは覚えておかなければならない。世界において悪の勝利に責任があるのは、第一に、盲従的に悪を実行する人びとではなく、善に仕える精神的に明晰な人びとであるということを。(フョードル・スチェプン『起きたことと実現しなかったこと』)

考えさせられる文である。善悪ははっきりと線引きされるのではなく、善悪が一対の対応することばであるように、それらは混じり合っている。善があるから悪がある、つまり善がなければ悪はないのだ。

 人間はその狭間で生きていくしかない。まさにドストエフスキーの世界である。

 彼女は、その世界を今の時代に「どうですか、どう考えますか」と提示しているようだ。

 

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アレクシェーヴィチ

2021-11-20 22:23:05 | 

 アレクシェーヴィチが聞き取ったもの、同時に彼女が語ったことは、とても含蓄があり、私に考えるということを促す。

 『アレクシェーヴィチとの対話』は、NHKがテレビで放映した内容を基礎としている。内容がたいへん濃いものだ。

 本筋とは離れるが、NHKはほんとうに潤沢にカネをつかっているということを実感する。私も民放でドキュメンタリーを撮りに外国へいったことがあるが、自分の旅費は自分で出していたし、ケチケチ撮影旅行であった。しかしNHKはすごい。アレクシェーヴィチの語りは、もちろん取材し放送する価値はある。潤沢なカネがなかったら、それはできなかっただろう。

 さてこういう記述がある。

私たち民主派が人々に語りかけた民主主義の理想は、彼らにとって大体において縁遠いものでした。そして私は理解したのです。民衆が悪いのではない、私たちが民衆像を手前勝手に作り上げていたのだと。本当の民衆がどんなものであるか、私たちは知らずにいたのです。・・・・「あんな酷い仕打ちを受けて、なぜ民衆は黙っているのか」と。そこへ突如としてプーチンがやってきて、手垢にまみれたロシアの決まり文句「我々は偉大なロシアだ。我々は侮辱されている。さあ立ちあがろう」と言うのです。そして突然、民衆が語り始めました。86%のプーチン支持。民衆が語り始めると私たちは恐ろしくなりました。再び私たちは理解したのです。自分たちが、民衆とは何者であるかを知らずにいたことを。(275~6頁)

 先の総選挙結果を見ると、このアレクシェーヴィチの語りが重なってくる。私たちは、日本人の意識を知っていない。ただ推測しているだけだったのだ。

 私は、私と同じような意識を持った人々と交流し政治について語り合う。しかし、そうでない人々とも語ることはあるが、政治についてはほとんど話さない。どういう政治意識をもっているか、私は知らない。そして私と同じような意識を持っている人は少数派なのである。

 少しずつ、日本は「壊憲」の方向に動いていくのだろう。その先はかつての「大日本帝国」に似てくるはずだ。

 私やあなたの抱えている困難とは、人間の意識というものがそう簡単には変わらないということです。(236頁)

 

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ドストエフスキーの肖像

2021-11-20 07:23:05 | 

 昨日、図書館から『アレクシェーヴィチとの対話』(岩波書店)を借りてきた。以前はよさそうな本はすぐに購入したものだが、今は本を増やしたくないという思いから、できるだけ図書館から借りている。

 さて、NHKはこのテーマで番組をつくったようなのだ。テレビを見ない私はそれを知らなかった。その番組を活字化したのが本書である。

 NHKの鎌倉英也は、アレクシェーヴィチの部屋でドストエフスキーの肖像に出会った。やはり、と思った。『セカンドハンドの時代』を読みながら、私はドストエフスキーを想起していた。彼の作品に通底する何かを感じていたのだ。

 鎌倉がその肖像について尋ねると、アレクシェーヴィチはこう答えた。

そうです。ドストエフスキーは私を育ててくれた作家なんです。私に大きな感銘を与えてくれた作家で、彼の作品の強い影響を受けながら、私は「大人になった」ともいえます。ドストエフスキーが描き出したのは、それまでのロシア文学が認めようとせず、またあえて書こうとしてこなかった人間の多様な側面と暗黒です。人間の心を見抜く洞察力ですね。ドストエフスキーは、現代においても、つまり、現在のロシア人がつい先ごろ体験した世界観や価値観の劇的な変化ーそれは連邦崩壊という歴史的大転換でしたがーが起きても耐え抜いた唯一の作家と言っていいのではないでしょうか。彼の世界観と現実認識は、こうした時代の試練にも耐えたのです。この世に普遍的一般的な真理などというものは存在せず、人にはそれぞれ個別の真理しかないと初めて示したのもドストエフスキーだと思います。彼は、貧しく小さいとされてきた人々の心が、歴史的英雄や偉大な聖職者のそれに決して劣っていないことを示しました。ロシア文学のみならず世界の文学が描いてきた大人物的な主人公に比べても、「小さい人々」が少しも小さくないということを示したのだと思います。(32~33)

 だから、本書の副題は、「「小さき人々」の声を求めて」なのである。

 先日『彼は早稲田で死んだ』という本について書いた。その本に、大岩圭之助明治学院大学名誉教授との対談がおさめられている。大岩は、スローライフを提唱する学者。しかし早稲田大学の学生のとき、彼は暴力を振るいまくり、多くの学生に脅威を与えた(死さえも導いた)革マル派のメンバーの幹部であった。大岩にとって、学生時代に様々な暴力を振るう側であった時代は、あまり振り返ることのないこと、つまり彼にとってあまり重要ではないことなのだ。他方、樋田君にとって、あるいは暴力支配に抗した者にとって、彼の存在は現在とつながっているのだが、当の加害者である大岩にとって、あの時期は人生の一コマでしかないのだ。

 加害者は忘却し、被害者にとっては重い記憶として残る。それはかつての大日本帝国が侵攻していった地域で行われた残虐行為に対する加害者と被害者のその後と相通じるものだ。

 なぜ人間は平気で暴力を振るうことができるのか、そしてそれをいとも簡単に忘れることができるのか。ここにも「人間の多様な側面と暗黒」があると、私は考える。

 私が最近になって「人間てえ奴は?」を再び、いや三度・・・・考え始めたのは先の総選挙の結果である。あんなにひどい悪政を自民党・公明党政権がやってきたのに、日本の国民は怒っていない。野党が伸びるだろうという予想はみごとにはずれた。おそらくそう予想していた人々は、みずからの価値観、つまり悪政への怒りを日本の国民のなかに発見したかったのだろう。

 だが日本の国民は、そうではなかった。なぜ?と私は考える。

 スターリンの時代、ソ連は全土が「収容所」であった。突然人々は官憲に連行され、ある者は銃殺され、ある者はシベリアでの重労働を課せられた。自分がなぜ連行されるのか、なぜ銃殺されるのか、人々はその理由もわからずにその「運命」に従った。ロシア人に、その時代を懐かしむ人々がいる。なぜ?

 アレクシェーヴィチはこう語る。

今起きていることや歴史というものを知るためには、私たちは「小さき人々」の声に耳を傾ける必要があります。(33頁)

 ドストエフスキー生誕200年だということで、『現代思想』(青土社)は臨時増刊号を出すようだ。もう一度ドストエフスキーを読むこと、そしてアレクシェーヴィチの作品を読むこと、「小さき人々」を見つめること、「小さき人々」の声を聴くこと、ここから始めなければならない。

 

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「人間」

2021-11-19 20:57:40 | 日記

 高校生の頃から、「人間」とは何であるのかを考えはじめた。その頃、『人間として』という季刊雑誌も発刊されていた。人間とは何かを求めて、いろいろな文学作品を読みあさった。しかし解答は与えられない。

 「人間とは何か」を考えるということは、自分自身が人間としてどう生きるのかという問いでもあった。

 それをかんがえるとき、ロシア文学はとても参考になったことを覚えている。とりわけドストエフスキー。

 高校三年の現代国語のT先生が、授業でドストエフスキー文学の素晴らしさを熱く語った。この先生は教科書を使わなかった。2学期はグループに分かれて話し合い、その結果を発表し合いレポートを提出するというものであった。私たちは、「文学の有効性」をテーマとした。その趣旨は、文学は生きていく上で必要であるのかという問いでもあった。

 私はT先生がそんなに夢中になったのならと思い、大学生となってからすぐにドストエフスキーを読みはじめた。読みながら、日記にその感想を書きつづけた。いろいろ考えさせられた。「ドストエフスキー体験」とT先生は言っていたが、まさに「体験」であった。

 しかし今、もう一つの「体験」をしている。『セカンドハンドの時代』は、私の持つ人間観を動揺させている。同書はロシアの人々の声を集めたものだが、そこには日本(人)とつながるものもある。

 人間とはいかなる存在なのか、考えさせられている。

 「人間てえ奴は・・?」まったく理解できない存在なのか。

 

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樋田毅『彼は早稲田で死んだ』(文藝春秋)

2021-11-19 18:14:58 | 

 1972年11月、革マル派の暴力支配下にあった早稲田大学文学部で、川口大三郎くんが殺された。革マル派によるテロ・リンチによるものであった。

 この事件を契機にして、日頃革マル派の暴力に怒りを覚えていた学生たちが決起した。そのなかに著者の樋田君がいた。当時私は法学部の学生であった。本部で開かれた集会で樋田君が話しているのを何度か見ている。あの頃、本部前には多くの学生が集まり、革マル派の暴力に対する怒りを表明していた。私もその輪の中にいた。ただ本書を読んで、本部構内で起きていたのに、知らなかったこともあった。

 法学部は民青系の自治会であったので、私たちは革マル派の暴力にはあうことはなかった。私自身はサークル活動(1号館地下)やアルバイトで忙しかったので、積極的に革マル派の暴力追放運動に参加していたわけではなく、ある意味傍観者であった。法学部学生は傍観者でいられたのだ。

 しかし革マル派の学生に良い思いを抱いたことは一度もない。彼らは陰険で、暗い雰囲気を漂わせていた。革マル派学生は、その目を見ればすぐわかった。眼には輝きがなかった。他者を疑うような眼で睥睨するような感じであった。

 樋田君は、第一文学部の新たに選出された自治会の委員長として、多くの仲間とともに革マル派の暴力に素手で対抗していた。まさに当事者そのものであった。本書を読み、樋田君をはじめとした文学部の学生たちが、どれほど困難のなか、暴力追放運動を展開したのかを教えられた。本書に記された詳細な運動の展開など知ることはなかった。私も少しは関わったが、それはほんの一部であった。革マル派の暴力支配下にあった文学部の学生には、ほんとうに頭が下がる思いである。まさに彼らは、本気で鉄パイプを振り下ろしていた。私の知人にも襲撃された者がいた。頭を強打された彼もまた即入院した。

 本書を読んでいて、村井資長総長をはじめとした大学本部、また文学部の教員たちのまったく無責任で誠実さのない対応にあらためて怒りを覚えた。革マル派と大学当局とが癒着していたのだ。

 本書で指摘されていることだが、人を殺すほどの暴力が日常的に吹き荒れていたのに、大学当局はまったくその対策をとらなかったのだ。

 本書には、知った名前があった。法学部の自治会委員長であった柳ヶ瀬くん、浅野くんなど。革マル派の文学部自治会委員長であった田中敏夫という名も記憶がある、名前だけだが。

 いろいろ思い出すこともある。ある日、夕方だったか、大学の正門に機動隊がいた。そこへコートを着た学生たちが校内へ入ってきた。明らかにコートのなかに鉄パイプを忍び込ませている様子であったが、機動隊員は彼らを素通りさせていた。当時中核派のビラに「K・K連合」という文字があったように思うが、そのとき、なるほど革マル派と機動隊は気脈を通じているのだと思ったことがある。

 早稲田大学の革マル派は、奥島孝輔(法学部)が総長となってから、追放された。そのことをしったとき、私はたいへん喜んだ。しかしそれまでの大学当局はいったい何をしていたのか。

 革マル派は自治会費や早稲田祭、文団連を牛耳り、大学から多額のカネをせしめていた。総額は20億円にもなるという。早稲田祭においては、早稲田大学の学生でさえもパンフレットを購入しないと大学に入れないというシステムをつくり、そこでも多額のカネを得ていた。私の学生時代、学友は早稲田祭の期間中帰省したり、アルバイトに精を出したりしていた。

 樋田君の「寛容」と「不寛容」に関する議論は傾聴に値する。かれの根本的な思想であろう。それは、朝日新聞阪神支局襲撃事件追及にも通じるものだ。

 本書を読み、当時のことをいろいろ思い出した。おそらく当時早稲田大学に在学していた人は、川口大三郎くん虐殺事件に関わる一連の出来事にいろいろな思いをもっていることだろう。

 鉄パイプを振り回していた革マル派に今もなお怒りをもちつづける私は、樋田君がみずからの体験(そして革マル派活動家へのインタビューも)を書いてくれたことに感謝したい。

 現代の日本は、様々な「暴力」が横行している。ネットの中にも、ことばの「暴力」がある。「暴力」は「不寛容」の現れである。「暴力」は人を傷つける。「暴力」のない社会は到来するのだろうか。

 

 

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居座る東京都議

2021-11-19 08:38:53 | 社会

 東京都議の木下某、あれだけの批判を浴びても居座っている。しかし、そういう政治家はこの人だけではない。アベシンゾー、アマリはじめ、自民党にはごろごろいる。彼らに共通しているのは、いかなる批判にもめげず、逮捕されなければ合法だからということで、堂々としている。検察も警察も自分たちを守ってくれる国家機関だから、めげない。それぞれの選挙区の選挙民も、同じ意識のようだ。何をしても、とにかく逮捕されなければ合法、ウチの先生は悪いことはしていないという意識。

 日本の良識は消えかかっている。

 木下都議も、自民党議員の行動を見ならっているのだろう。居座り続ければ、いづれメディアも報じなくなる、選挙民も忘れてくれるはずだ、ということなのだろう。

 要するに国民は、彼ら政治家になめられているのだ。しかしこれも仕方がない。なめられるような行動をしている、つまり批判をしない。

 批判がない社会は、腐るのだから。

 

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庶民の声に真実をみる

2021-11-18 21:24:01 | 社会

 スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの『セカンドハンドの時代』は、庶民が語ったことを(おそらく)そのまま載せている。そのなかに、考えさせられることばが無数にある。

 その一つ。

愛のことを話しはじめたのに、五分後にはもう、「いかにロシアを住みよくするか」ということを話しているのです。ところが、ロシアはわたしたちにはおかまいなく、自分の人生を生きている。(556頁)

 ウーム、とボクは唸る。ロシアもか、と。「日本」も、ボクたちを振り返ることなく、自分の人生を生きている。大日本帝国とつながり、昭和天皇の遺訓である対米隷属の道をひたすら歩んでいる。「日本」は、なぜか万能感を抱きながら、そしてそこに住む多くの人々とともに、日本を生きる。

 

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「雪印」は買わないでいる

2021-11-18 11:06:06 | 社会

 雪印製品は、いまも出回っている。しかし私は買わない。

雪印食品の牛肉偽装から20年 暗転した告発者、水谷洋一氏の人生

 なぜ買わないか。雪印は不正を暴かれたとき、渋々その不正を認め謝罪した。メディアでも大きく報じられた。しかし、裁判では、居直った。その記事は小さくしか報じられなかったから、人々は雪印が謝罪したと思っているだろう。

  私はそれ以来、雪印製品を買わない。雪印の創業者は、足尾銅山鉱毒事件で闘った田中正造との関係があった。だからよけいに、私は怒りを覚えたのだ。

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「人間てえ奴は・・・」

2021-11-17 09:13:43 | 

 ロシアの作家が書いた戯曲のテーマは、人間とは何か、である。その人間とは、いろいろだ、というしかないようだ。

 スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの『セカンドハンドの時代』には、いろいろな人間が描かれている。描かれているのではなく、それぞれの個人がみずからの生き方や生きてきた中での思いを語るのだ。もちろん生きてくる中で、いろいろな人と交流する。その人たちへの言及もある。

 そこには「人間とは〇〇である」と定義づける何ものもない。ただ、人間は「いろいろ」というしかない。 

ソヴィエト時代の学校でぼくらは 、人間そのものは善良でありすばらしいものだとおそわっていて、 母はいまでも、人間をひどいものに変えるのはひどい状況だと信じている。人間そのものは善良なのだと。ところが、それは・・・・ちがう・・・・ちがうんですよ。そう・・・・・人間は善と悪のあいだを一生ゆれているものなんです。(361頁)

 ロシア文学は、いろいろな事件があっても、結局は人間とは信じられるものだと思わせていた、と記憶している。だが、現実の人間たちはそうではない。本書で語られる人間たちの姿をみていると、人間は善良でも悪人でもない。人間はただ人間なのだ、それ以上でもそれ以下でもない。つまり人間とはこういうものだと断言できる根拠はない。抽象的に人間とはこういうものだとは断定できず、要するに個々の人間の、ある一定の時期においてのみ、この人は○○である、ということができる、そういう存在なのだ。

 こういう個所がある。

 アルメニア人の女性。バクーに住んでいた。そこにはソ連人がいた。ソ連人は仲よく近所づきあいをしていた。まつりの時には、グルジア、アルメニア、ロシア、タタール、ウクライナ、アゼルバイジャンの人たちがそれぞれの料理を持ち寄って楽しい時間を過ごした。彼らはロシア語を話し、ソ連人であった。ところが、ソ連が崩壊したあと、虐殺や迫害、略奪が始まった。その中には、仲が良かった近所の人たちがいた(385頁以降の項目)。

 このような事態は、旧ユーゴスラビアでも起きた。

 虐殺や迫害、略奪に走る隣人、その被害を受ける隣人、そしてそれを理解できないままにいる隣人。

 人間とは、その空間で、その時間のなかに生きているだけの存在。「人間てえ奴は・・・」、そのあとを続けることができない存在なのだ。

 分厚い本書は、その人間とはいかなる存在であるのかを考えさせる、まさに文学である。読んでは立ち止まり、読んでは立ち止まり・・・を繰り返している。文学であるが、哲学書でもある。

 

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考えさせられたスピーチ

2021-11-16 12:16:26 | 読書

[東京外国語大学]アレクシエーヴィチ氏記念スピーチ

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