数十年ぶりかで会った友人から、こういう悪い時代になるとは思わなかったね、と語りあった。日々のニュースを知るだけでもストレスとなる。原発、沖縄・・・・。
人間は、生まれてくる時代を選べない。今この時代に生きていくしかない。そういうあきらめをもちながら日々過ごしているが、時に良い本にめぐり会うと、それが喜びになるから不思議である。
最近であった本はいくつかあるが、堀川恵子『裁かれた命ー死刑囚から届いた手紙』(講談社、2011年4月)に感銘を受けた。ある青年が死刑判決を受けた。強盗殺人事件である。事件が起きたのはずっと前の話だ。事件が起きて数日後、一人の青年が逮捕された。その名は、長谷川武。長谷川はすらすらと自供し、第一審もスムーズに進み、死刑判決が出された。捜査検事は土本武司であった。
その後、土本に長谷川から手紙が届き始めた。なぜ自分に、と思いながらも、手紙は続いた。死刑を求刑した土本に、死刑判決への疑問が湧いてきた。
土本は公判にはタッチしていなかった。だから第一審の裁判がどのようなものであったのかはわからない。長谷川は貧しかったので、弁護人は国選であった。その国選弁護人はあまり熱心ではなかったようだ。
ただ第二審の国選弁護人であった小林健司弁護士は、東京高裁裁判官を退官して弁護士となってはじめての弁護活動であったが、事件を詳細に調査し、きわめて熱心な弁護活動を行った。しかし、死刑判決を覆すことは出来なかった。そして即上告。だが上告は棄却となった。
小林も、土本も、はたして長谷川が死刑囚とされたことは正しかったのかを考える。裁判の場に出された資料は、十分なものであったか、一人の人間を有罪にする、あるいは検事がこのくらいの罪にするという目的に基づいての資料づくりをしてきたのではないか。
土本を取材し、裁判に関わった人々と、長谷川武とその家族を訪ね歩いた著者である堀川も、死刑判決に疑問をもつ。
人間は日々を生きる。その生きる場所、自ら選ぶことができる場合ももちろんあるが、しかし生まれた家庭そのものを選ぶことはできない。I was born.なのである。受け身なのだ。
長谷川は、貧しい家庭に生まれた。母と自分、そして弟。母は一日中働きづめであった。なぜ長谷川は強盗殺人を行ったのか。長谷川個人の問題もある。しかし環境も大きな要因を占めるのではないか。
個人の生というものは、個人が置かれてきた様々な関係(自然との関係、家族との関係、地域との関係、友人との関係・・・)の総和のなかに営まれていく。
被害者の家族の怒り、当然である。
堀川は、末尾の「そして、私たち」というところで、こう記している。「もし裁判が単なる制裁の場ではなく、不幸にも生み出された犠牲の上により良き社会を生み出していくための険しい道をめざすのであるならば、過ちを犯した人間を裁く法廷は、一方的に敗者を裁く場であってはならないと感じています。裁判を通して被害者の無念を共有し、消し去ることの出来ない遺族の痛みや哀しみを少しでも埋めるために、様々な支援策を一刻も早く充実させていかなければならないことは言うまでもありません。同時に加害者が事件に及んだ背景を探り、人間としての可能性や償いのあり方を見つめ、犯罪を繰り返させないために社会や大人たちは何をしておけばよいのかを考えていくことも必要ではないないでしょうか」
すでに長谷川の生命は、国家の手により消されている。生きている人間を「合法的に」なきものにすること、長谷川が人を殺したというそのことと結果は同じであるのに、なぜ「合法的な」殺人が許されるのか。
死刑という刑について、もっともっと考えるべきだ。そのときの前提として、裁判は、被害者の復讐として存在するものではないということだ。
人間は、生まれてくる時代を選べない。今この時代に生きていくしかない。そういうあきらめをもちながら日々過ごしているが、時に良い本にめぐり会うと、それが喜びになるから不思議である。
最近であった本はいくつかあるが、堀川恵子『裁かれた命ー死刑囚から届いた手紙』(講談社、2011年4月)に感銘を受けた。ある青年が死刑判決を受けた。強盗殺人事件である。事件が起きたのはずっと前の話だ。事件が起きて数日後、一人の青年が逮捕された。その名は、長谷川武。長谷川はすらすらと自供し、第一審もスムーズに進み、死刑判決が出された。捜査検事は土本武司であった。
その後、土本に長谷川から手紙が届き始めた。なぜ自分に、と思いながらも、手紙は続いた。死刑を求刑した土本に、死刑判決への疑問が湧いてきた。
土本は公判にはタッチしていなかった。だから第一審の裁判がどのようなものであったのかはわからない。長谷川は貧しかったので、弁護人は国選であった。その国選弁護人はあまり熱心ではなかったようだ。
ただ第二審の国選弁護人であった小林健司弁護士は、東京高裁裁判官を退官して弁護士となってはじめての弁護活動であったが、事件を詳細に調査し、きわめて熱心な弁護活動を行った。しかし、死刑判決を覆すことは出来なかった。そして即上告。だが上告は棄却となった。
小林も、土本も、はたして長谷川が死刑囚とされたことは正しかったのかを考える。裁判の場に出された資料は、十分なものであったか、一人の人間を有罪にする、あるいは検事がこのくらいの罪にするという目的に基づいての資料づくりをしてきたのではないか。
土本を取材し、裁判に関わった人々と、長谷川武とその家族を訪ね歩いた著者である堀川も、死刑判決に疑問をもつ。
人間は日々を生きる。その生きる場所、自ら選ぶことができる場合ももちろんあるが、しかし生まれた家庭そのものを選ぶことはできない。I was born.なのである。受け身なのだ。
長谷川は、貧しい家庭に生まれた。母と自分、そして弟。母は一日中働きづめであった。なぜ長谷川は強盗殺人を行ったのか。長谷川個人の問題もある。しかし環境も大きな要因を占めるのではないか。
個人の生というものは、個人が置かれてきた様々な関係(自然との関係、家族との関係、地域との関係、友人との関係・・・)の総和のなかに営まれていく。
被害者の家族の怒り、当然である。
堀川は、末尾の「そして、私たち」というところで、こう記している。「もし裁判が単なる制裁の場ではなく、不幸にも生み出された犠牲の上により良き社会を生み出していくための険しい道をめざすのであるならば、過ちを犯した人間を裁く法廷は、一方的に敗者を裁く場であってはならないと感じています。裁判を通して被害者の無念を共有し、消し去ることの出来ない遺族の痛みや哀しみを少しでも埋めるために、様々な支援策を一刻も早く充実させていかなければならないことは言うまでもありません。同時に加害者が事件に及んだ背景を探り、人間としての可能性や償いのあり方を見つめ、犯罪を繰り返させないために社会や大人たちは何をしておけばよいのかを考えていくことも必要ではないないでしょうか」
すでに長谷川の生命は、国家の手により消されている。生きている人間を「合法的に」なきものにすること、長谷川が人を殺したというそのことと結果は同じであるのに、なぜ「合法的な」殺人が許されるのか。
死刑という刑について、もっともっと考えるべきだ。そのときの前提として、裁判は、被害者の復讐として存在するものではないということだ。