浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

憤り

2013-11-30 22:59:41 | 日記
 『週刊金曜日』や『世界』などを購読し、マスメディアが報じなかった事実を知る度に憤りを覚えている。

 通常、憤りがなにごとかを変えていく原動力になるのだが、その憤りは、情報に接することができること、またその情報を重要なものとしてうけとめることができる感性があること、しかしその感性は一定の「ゆとり」があってはじめてはたらくということ、そうした条件が必要だ。

 『現代思想』12月号で、大内裕和氏が「ブラックバイト・全身就活・貧困ビジネスとしての奨学金」を書いているが、現代社会は若者にそうした感性を生み出す基盤を与えていないことを思った。

 何と、学生のアルバイトが拘束力が強く、労働内容もきわめてハードになっていること、そして就職活動が身ぐるみ、心や精神までも就職先に吸い取られていること、そして奨学金が大学を卒業した後でも彼らの生活を追い立てていることを知った。

 奨学金の実態を知って驚いた。奨学金利用者の割合は、1998年では23・9%であったのが、2010年には50・7%になっていること、1998年には無利子39万人、有利子11万人であったが、2013年には無利子38万人に対して有利子は96万人にもなっていること、卒業後奨学金の返済が滞った場合には年利10%の延滞金が課され、その後の返済は延滞金、利息、元金の順に行われることから元金がなかなか減らないので、何と60歳近くの人まで返済が終わっていないというのだ。2010年度の奨学金の利息収入は何と232億円、延滞金収入は37億円にもなるという。大内氏は、奨学金は「貧困ビジネス」であると断じる。日本学生支援機構の奨学金は、なるほど「貧困ビジネス」というしかない。

 ボクは、以前からこの奨学金について胡散臭いと思っていた。だから、借りないほうが良いと言ってはいたが、家庭の経済状況がよくなければ借りざるをえない。

 本当に、ボクは憤りを覚える。若者をがんじがらめに縛り付ける現在社会。低賃金で過酷な労働現場に追いやる社会のありよう。

 若者は、憤りを感受できる感性すら持てなくなっている。だから、ボクらが、憤り、その憤りを社会の改造に向けるのだ。

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本の通販

2013-11-30 16:38:45 | 読書
 ボクが買うような本を売っている書店は近くにはない。まず雑誌。『世界』を置いている店は2店ある。しかし1店は1冊しかないので早く行かないと売り切れることがある。『現代思想』は谷島屋にはあるが、しかし近くではない。また岩波新書を置いてある店も、谷島屋書店くらいしかない。

 そうなると、通販に頼らざるを得ない。ボクはアマゾンとhontoの二つを利用している。主に買うのは後者だ。というのも、ポイントがつくし、時にはサービスポイントもある。実質的な割引である。ただ問題なのは、在庫が少ないことだ。また遅い。

 今月号の『現代思想』。アマゾンには在庫があったが、hontoは1~3日ということであった。だからアマゾンに注文。一昨日夜注文し、本日朝(昨夜遅く?)到着していた。早さでは断然アマゾンである。

 新刊はhontoで購入し、以前に出版された本はアマゾンないしはアマゾン経由の古本を買う。

 さて今月号の『現代思想』の特集は、「現代思想の論点21」である。小熊ら三人の対談はあまり興味を覚えなかったが、それ以外の論考は現在の課題を様々な側面から照射していて刺激になった。

 この本は読んでおいたほうが良いと、ボクは薦める。現在考えるべき内容が、いちおう揃っている。

 書店に行っても、無責任な放言により構成された雑誌がたくさん並んでいるが、少なくとも『世界』や『現代思想』(特集により買わないこともあるが・・)は、読んでおいたほうがよい。

 
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仕事の終わり

2013-11-29 21:54:01 | 日記
 明日で民生委員の任期が終わる。

 今日は、退任する民生委員への感謝状贈呈式があった。感謝状とネクタイピンをいただいた。タイピンは音符をかたどったもの。これはありがたくいただいた。

 民生委員。地域に於ける福祉を支える活動の担い手だと思って引き受けた。しかし実態は、浜松市と社会福祉協議会、そして民生委員の地区会長のの手足となって動き回るのが主な仕事だった。

 月一回の会合は、上意下達の場であった。民生委員同士の話し合いなどはなかった。市や福祉協議会からの、○○を何日までに行って欲しいという依頼だけだった。福祉協議会には人員がいないので、実際の仕事は民生委員が担う。また市の福祉担当は外に出ることをせず、つまり困難を抱える市民と接触する気はなかった。ボクは、現実の福祉状況に違和感を抱いて、何度か市役所(区役所)に掛け合ったが、そこで知ったことは、市役所はきちんと対応する気がないということ、ただ形式的な仕事(やっているということを示すだけの仕事)と書類を整えれば終わりという部署であるということだった。

 ボクは月一回、一人暮らしの老人を訪問していた。今日午後、委員をやめることを知らせに何軒か訪問した。全員在宅ではなかったが、感謝の言葉をいただいた。民生委員をやめても訪ねてほしいとも言われた。

 こういう仕事はまったく苦にはならなかった。ボクの訪問を、皆さん歓迎してくれた。そのうちの一人は亡くなってしまったが、時には1時間も話すこともあった。

 ボクの仕事は、一人暮らしの人々に元気を与えることだった。ボク自身、いつも元気なので、ボクと話すとエネルギーをもらえる、という人が多い。そのためには、ボク自身がいつもエネルギッシュでなければならない。

 民生委員には善意の方が多い。福祉のため、他人の役に立つからと、引き受けられた方がほとんどだ。だからすぐに仲良くなれる。
 しかし、なかには、民生委員になって「偉い」といわれたいという人もいる。民生委員は、地域の小中学校の入学式や卒業式に来賓として招かれる。ボクは一度も行かなかったが、そうした「処遇」が心地よいのだろう。

 民生委員を基礎に、「偉い」と言われたい人(偉くなりたい人)には二種類ある。一つは仕事をしているとみせかけてアピールする人、もう一つは仕事をせずに、民生委員のなかの「偉い人」に取り入る人、である。前者の特徴は、「中抜け」である。最初と最後の「あいさつ」の時だけいる、あたかもその場にずっといたように(だから、最後のあいさつは自分のことについて話すことが多い)。後者は、仕事をせずに、民生委員の「偉い人」とひたすら話す。こういう人は、男性ばかりである。女性には、そういう人はいなかった。皆善意の人々だった。

 今後、地域福祉はきわめて重要になる。しかし行政はやる気がなく、民生委員の幹部も「偉くなりたい人」によって構成されている。いずれ、市も、民生委員も、地域福祉に真剣に取り組まざるを得ない時代が来るだろう。その時には、もう一度献身したいと思う。  
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支配層を助ける事件

2013-11-28 22:04:00 | 日記
 今、日本に住む人々にとって、とても大事なことは、特定秘密保護法案を葬り去ることだ。新聞も、産経と読売を除き、なんと日経も、この法案に反対する論陣を張っている。何度も記すが、この法案がまさに「戦後民主主義」を無化する内容を持っているからだ。

 したがって、政治面だけではなく、社会面もこの問題に関する報道で、一度は覆われていた。だがしかし、市川市で、ひとりの女性が路上で殺害されるという事件が起きた。テレビはいうまでもないが、新聞もこの事件の報道に大きなスペースを割いている。秘密保護法に関する報道が、そのために減った。

 この事件が起きたことにより、結果的に「戦争前夜」の政治体制構築を目論む支配層を助けることとなった。

 もちろん、とても悲惨な事件であり、報道する価値はあるのだが、この事件が国民の関心をそらす役割を果たしたことは否定できないだろう。

 この事件はそうではないが、時として権力者は、何らかの報道を縮小させたり、関心をどこかに向けるために、事件をねつ造したり、あるいは発表の時期を選んだりすることがある。

 自然現象であっても、こうした事件であっても、いつも支配層は助けられる、そんな気がする。
 

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見てください!!

2013-11-28 17:15:11 | 日記
 明日です。Eテレです。

NHK・ETV特集
 「三池を抱きしめる女たち〜戦後最大の炭鉱事故から50年」
 11月30日(土)23時〜
12月 7日(土)0時45分〜 
http://www.nhk.or.jp/etv21c/

 1963年11月9日、福岡県大牟田市の三井三池炭鉱で起きた
炭じん爆発事故。死者458人、一酸化炭素中毒患者839人を出す、
戦後最悪の労働災害であった。
 事故のことは、もう世の中から忘れさられている。
 しかし、一酸化炭素中毒の夫を抱えた妻たちにとっては、何も終わっていない。
 当時、企業も政府も医学界も「後遺症は残らない」とし、労災補償を打ち切った。
 だが脳を破壊された夫たちは、人格が変わって暴力をふるうようになり、記憶を失
い、もの忘れもひどく、子ども同然になった。
 この半世紀、妻たちは、そうした夫を抱きしめ、子どもをたち抱きしめ、
事故を抱きしめ、そして日本最大の炭鉱であった「三池」を抱きしめて生きてきた。
 症状は外からは見えにくく、ニセ患者などと誤解されてきた。
 妻は長い間、“失われた夫の脳”の代わりをはたしてきた。
 それは国と企業に翻弄され、生活を奪われていった労働者と家族の姿である。
 彼女たちが背負わされたものは何なのか。
 夫婦とは何なのか。そして、患者たちの真の病像に迫ろうとする女性医師。
 今日もまた妻たちの変わらない日常が続く。 
 これは、“三池”を生き抜く女性達の、愛と正義の物語である。

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特定秘密保護法案に反対!!

2013-11-27 23:26:45 | メディア
 言論機関としての新聞社は、当然、特定秘密保護法案に対する批判を強めている。昨日の衆議院の強行採決を受けて、今日の各紙の社説はその蛮行を糾弾する内容となっている。

 とても全紙を載せるわけにはいかないので、『中日新聞』(『東京新聞』)のそれを掲載する。


特定秘密保護法案 国民軽視の強行突破だ

2013年11月27日

 広く疑念の声があがる特定秘密保護法案が衆院の本会議で可決した。巨大与党が力ずくで、渦巻く反対論をねじ伏せたのだ。強行突破は看過できない。

 福島で二十五日に開かれた地方公聴会は、いったい何のためだったのだろう。首長や学者ら七人が意見を述べたが、賛成者は一人もいなかった。「慎重に、国民のために議論を尽くすことが大切だ」「外国の信頼よりも、国民の信頼を得るべきだ」-。もっともな意見が続出した。

 とくに原発事故で放射能の拡散予測が隠された体験があるだけに、「一番大切なのは情報公開だ」と語った人もいた。

◆数の力でのおごりだ

 その翌日に衆院の本会議で、一部野党との修正協議を経た法案が、駆け足で可決された。つまり、福島の公聴会はたんなる“儀式”にすぎず、与党は耳をふさぎ、尊重もしなかったのだ。あまりに乱暴である。

 さまざまな危うさが指摘される秘密保護法案であるため、報道各社の世論調査でも「慎重審議」を求める意見が、60%台から80%台を占めていた。国民の声すら軽視したに等しい。

 与党は圧倒的な数の力におごっている。修正案に加わった日本維新の会さえ、この採決には退席した。この強行可決をあえて暴挙と呼ぼう。

 修正案自体も評価に値しない内容だ。秘密の有効期間は最長三十年だったが、「六十年を超えることができない」という規定が加わったため、「六十年原則」の方が幅を利かせる恐れがある。

 その場合も七項目の例外が設けられていて、中には「政令で定める重要な情報」という、あいまいな言葉が挿入されている。これでは半永久的に国民から重要情報が遮断されてしまう。

◆議員こそ反対の先頭に

 特定秘密の指定や解除などについて、首相が「その適正を確保するため(中略)指揮監督する」という条文も、効力を発揮しないだろう。首相は行政機関の「長」の上に存在する「長」であるから、公正な審判役たりえない。

 約四十万件とも見積もられる特定秘密の膨大な文書に対し、首相がいちいち目を通すはずもない。全くの空文である。

 有識者会議もたんに基準を示すだけの存在だ。本当に実質的な秘密に値するかどうかのチェックは、司法権さえからも受けない仕組みなのだ。

 付則では「独立した公正な立場において検証し、監察する新たな機関の設置」が書かれた。だが、あくまで検討事項にすぎないし、具体的な中身も不明である。法案が抱える欠陥を補えるとは到底、期待できない。

 国会への特定秘密の提供も付則に記されたものの、その方策はやはり検討事項にとどまる。この法案が国権の最高機関さえ素通りし、官僚機構が情報支配を進める原点に変わりはないのだ。

 問題のありかは特別委員会の審議を経ても山積している。衆院本会議で可決・通過したので、次は参院に移る。もっと議論して、廃案に持ち込んでほしい。

 とくに憲法の観点から疑念が持たれている点を重視すべきである。国民主権や基本的人権、平和主義の三大原則から逸脱していることだ。

 いわゆる「沖縄密約」や「核密約」などの問題は本来、活発に議論されるべき国政上の大テーマである。これに類似した情報が特定秘密に指定されると、国民は主権者として判断が下せない。

 国会議員といえども、秘密の壁に阻まれてしまう。仮に情報を得たとしても、政策秘書や所属政党に口外すると、処罰対象になる。議員は院内での免責特権があるものの、国会追及はとても期待はできないだろう。

 国政上のテーマについての言論を封じ込める法案とは、ほとんど情報統制の世界に近い。国会議員自身の問題でもある。どれだけの議員が、この深刻さを理解しているか。本来は議員こそ反対の先頭に立つべきなのだ。

 軍事面に過度に傾いている法案であるうえ、安倍晋三内閣は来年にも集団的自衛権の行使ができる「国家安全保障基本法案」の提出をめざしている。平和主義とも相いれないはずだ。

◆三角形は美しく保て

 特定秘密の取扱者は、飲酒の節度や借金などまで調べ上げられる。調査は親族にも及ぶ。人権上の懸念が持たれるのも当然だ。反原発運動など、さまざまな市民活動の領域まで、公権力が監視する心配も濃厚だ。

 行政権だけが強くなる性質を持つ法案である。民主主義の三角形を美しく保つためにも、あらためて反対表明をする。
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研究の意義

2013-11-27 22:47:48 | 日記
 先日、ある資料館から講師の依頼があった。ボクが公民館の歴史講座で遠州報国隊について話したことを知って依頼してきたのだ。3回の講座だそうだ。テーマは、国学。

 浜松市は賀茂真淵誕生の地。そして「遠州国学」といわれるように、国学者が輩出した地域である。したがって、この地域では国学礼賛の風潮がある。

 しかしボクは、国学については批判的であり、国学が日本の近代化に歪みを生じさせたという認識を持つと同時に、1930年代の狂信的な時代、「国体」とか「昭和維新」などの基盤になっていたという考えを持っている。もちろん、ボクはこれらについて、本格的な研究をしたことはない。これらの認識を深めながら、現代日本における国学の意味を問うことも必要だろうと思い、引き受けることにした。

 まず第一弾は、国学者がもっとも大切と考える『古事記』などを、最近の研究成果に基づいて「脱構築」させ、国学者が依拠した『古事記』などの「力」を消すこと、第二弾は、近世における国学の位置や意味を示しながら、それが維新変革の際、日本の近代化をどのように歪めたか、またその後遺症がどのように残っているか、第三弾は、国学的な潮流が日本的ファシズムとどのように結合したか、これらを解明していきたいと思う。

 早速いくつかの文献を注文した。今まで研究したことのない分野の研究をはじめることになるが、これは自らの知的世界を広げると同時に、現代のおかしな風潮と対決することにもなる。いかなる研究も、現代社会のありようとの、熾烈な格闘でなければならない。その意味で、格闘のし甲斐があるというものだ。

 これについては、町田の住人が積極的に支えていただけるようでたいへん心強い。

 
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柴田鉄治さんの「メディア時評」は読むべき

2013-11-27 22:27:01 | メディア
 もと朝日新聞記者には、まっとうなジャーナリストがいる。今もいることはいるが、幹部はだめ。秘密保護法案に対しては、批判を強めているが、これは当たり前のこと。

http://www.magazine9.jp/article/shibata/9556/
 
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戦争前夜

2013-11-27 09:01:06 | 政治
 まさに立法府にいる議員たちは、みずからの政治的役割を放棄する保安に賛成をしたということだ。今日の『中日新聞』の「特報」欄は、保阪正康、坂野潤治両氏の話を交えて、「戦争前夜」を訴えている。

 その見出しは、「「秘密」礼賛 衆院は死んだか」である。
 
 そしてこれがそのリード部分である。

特定秘密保護法案が衆院で強行可決された。数を頼りに反対意見を無視する与党の態度は許されない。野党の姿勢もぬるい。国会は政策論争の場ではないのか。状況は、泥沼の戦争に突き進み、国会が機能を失った昭和初期に似ているという。だが、まだ参院が残されている。信念のある議員は気骨を示す時だ。 (荒井六貴、鈴木伸幸)

 しかしボクは思う。この自公による安倍政権の成立は、マスメディアの今までの報道がもたらしたものであるということを(『中日』は除く)。あの異常なまでの「小沢たたき」をはじめ、マスメディアは自民党に明らかに肩入れしていた。検察や官僚の意向を忖度して報道していた。

 まさに、メディアからの自立を私たちは考えなければならないのだが、しかし、秘密保護法がそれを遮るだろう。

 「戦争前夜」の時代にしてはならない。

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ノルマ

2013-11-27 00:05:52 | 日記
 労働の現場にノルマというものがはびこっている。郵便局勤務者には、年賀状12000枚というノルマが課される。銀行に勤める者は、ボーナスシーズンに定期預金のノルマが、スーパーに勤める者には、歳暮シーズンに歳暮のノルマが課される。ボクは、そのすべてに少額ながら貢献する。働く人々の苦難を見捨ててはおけないからだ。

 今日はスーパーに行って、歳暮を依頼してきた。最近ノルマが減って、7万円になったといっていた。かつては数十万円分のノルマがあったと聞いている。

 ノルマのない職場も、とても過酷だ。休日労働や深夜までの労働があり、眠くてしようがないという。ボクは、その疲れた姿を見て哀しくなった。ボクは、できうる限り休息をとってほしいと思って、「本を読め」と言わないようにした。またメールも差し控えるようにした。

 いずれにしても、若い人たちの労働環境はとても厳しい。

 ボクは、学生時代労働法を学び、そして社会に出た。そのとき、厳しい労働に明け暮れる働きながら学ぶ高校生を知った。それについてボクは、ルポルタージュを書いたことがある。その書き出しを記す。


  野麦峠を訪れる観光客の胸中にあるのは、あの『あヽ野麦峠』に描かれた幼い少女たちが日本近代に残した重い足跡なのだろうか。冬になると野麦峠に雪が降り、少女たちの足跡を消していったように、時の流れは「女工哀史」を歴史的な事象として、おびただしい書物の中に埋め込んでいってしまう。だが、書物の中だけに「女工哀史」はあるのだろうか。

  日本の多国籍企業が低賃金労働力を求めて、韓国、台湾、東南アジアなどに侵出していっているのは周知のことであろう。繊維産業ももちろんその例外ではない。「女工哀史」はそのままのかたちで、まず海外で演じられている。貧困という民衆のありようが、日本企業に甘い汁を吸わせている哀しむべき、いや怒るべき事実がある。
  時間という経線と、空間という緯線が私たちの前に交わっているのである。

  だが、その交点の真下、つまり私たちの足元にも「貧困」があり、その「貧困」を貪っている者たちがいることは、あまり知られていない。


 これを書いたのは、1982年だ。
 
 彼女たちのその後は、多くは豊かで、幸せな日々を送っている。それを見るにつけ、「貧困」は消えていくのだろうと思っていた。だが、21世紀、またもや「貧困」が大きくぶり返してきている。

 ああここでも、歴史は繰り返していると思った。

 エンゲルスが『イギリスにおける労働者階級の状態』を書いたように、今また過酷な労働の実態を記さなければならなくなっている。これはいったいどうしたことか。

 歴史は、何かを解決したのだろうか、歴史を学ぶ者として考えることが多くなっている。こんなはずではなかった。
 

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「国家への無関心」

2013-11-26 23:00:34 | 日記
 畑の棉花は、寒風に耐えている。棉花の花は次々と咲いていたが、そのあとはぜて綿花が姿を現すはずであるが、なかなか出てこない。農家の方に尋ねたところ、刈り取って日に干せばはぜるよ、といわれた。そこで今日午後、寒風が吹く中、半分を刈り取った。

 その後、棉花が植えられていたところを耕した。スコップで掘り返し、刈った草を敷いた。そのとき、土の中から何匹ものカエルが飛び出てきた。冬眠中だったのに、ボクが起こしてしまったのだ。謝りながら耕し続けた。

 そしてブロッコリーの葉を見たら、青虫がはっていた。そういえば、風のない日にもんしろちょうがブロッコリーの葉のあいだを飛び回っていた。卵が産み付けられているのをみつけ、それらを落とした。

 雑草は生えてこないから、この時期からの農業はたいへんではない。しかし管理や収穫はしなければならない。

 ボクは、夏は汗にまみれ、冬は寒風の中でおこなう農業を好きになっている。農業は、人間と自然との交感(対話)であると思う。自然をいっぱいに感じる。人間も自然のなかにいきていることを感じる。今日も、西の空に美しい夕焼けを見た。この夕焼けを見るたびに、生まれてきてよかったと思う。

 しかし現代の一般的な生活では、それが体感されない。それを知らない人々が、都会で政治をやっている。

 最近読んだ渡辺京二の『近代の呪い』の一部が、とても気になっている。それは長谷川伸の『足尾九兵衛の懺悔』、石牟礼道子の『西南役伝説』という作品を紹介して、民衆のありよう、つまり国家の大事に対する無関心を指摘し、それこそが当たり前の民衆の生き方であって、「自分たちの生活領域こそ信ずべき実体」であって、それは「上級権力によって左右されない自立性を持っている」、しかしそれが近代によって解体される、という内容であった。

 「自立した民衆世界とは、自分が何を欲し、何を愛し、何を悲しむのか、よく知っていて、そのことの上に成り立っている世界」であり、私たちが「遭遇する大事な問題は、何も国家とか国政とかに関わる性質のものではな」く、「そんなものと関係がないのが人間の幸福あるいは不幸の実質」であって、自分と共に生きる「他者たちとの生活上の関係こそ、人生で最も重要なことがら」であるのだが、近代国民国家においてそれが喪われていく。国家によってからめとられていく・・・

 国家と無関係に生きていられたら、なんと幸福なことか。

 今夜、特定秘密保護法案が衆議院を通過したというニュースに接した。「国家への無関心」でいられた、九兵衛の時代がうらやましいと思った。
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暴挙

2013-11-26 17:41:55 | 日記
 秘密保護法案が、衆議院を通過するようだ。まったく問題だらけの、日本国憲法の人権規定を無化するような法案が成立してしまう可能性がたかくなった。内容的には、「暴挙」というしかないものだが、残念ながら、「暴挙」を可能にしてしまう議席を与えてしまっている。

 自民党、公明党という極悪政党を、選挙で勝たせてしまった責任は、国民にある。いずれかの時代に、2010年代の歴史を振り返るとき、歴史家は慨嘆せざるを得ないだろう。ボクたちが1930年代の歴史を振り返るときに感じたことを、彼らは感じるだろう。しかしそのとき、「なぜそんな悪政を許したのか」という問題意識ではなく、「今の暗黒時代の初発はどこか」というかたちでの問題意識であったなら、ボクらは未来の日本人に謝罪するしかない。

 歴史に責任を負うこと、歴史を学ぶボクとしては、そのために果敢に闘うしかない。
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防空識別圏

2013-11-25 18:09:22 | 政治

「防空識別圏 日本の抗議に中国側が反発」



対中国包囲網を構築すべく、東南アジア諸国を訪問する安倍首相。日中関係を改善しようという姿勢を一切示さない安倍政権。

 そういう安倍政権に対応した、中国側の「反撃」。それを報じる『東京新聞』の記事。その記事の後に、もと外交官の天木さんのブログのアドレスを示す。読んで欲しい。


2013年11月25日 夕刊

 【北京=佐藤大】沖縄県・尖閣諸島を含む東シナ海上空に防空識別圏を設定した中国に、日本側が抗議したことに対し、中国国防省の楊宇軍報道官は二十四日、「日本の主張には全く道理がなく、完全に受け入れられない」と反発した。新華社通信が伝えた。

 楊報道官は、防空識別圏設定の目的は「国家主権と領土、領空の安全を守り、飛行の秩序を維持するため」と強調。国連憲章など国際法や国際慣例にかなうとした上で、「日本は一九六〇年代に防空識別圏を設定しており、中国にとやかく言う権利はない」と主張した。

 中国に「強い懸念」を伝えた米国に対しても「主権問題では片方の肩を持つべきではない」と指摘した。中国外務省の秦剛報道局長も二十四日、「日本側が中国の防空識別圏に対し、とやかく言うのは全く道理がなく、完全な誤りだ」と主張した。


http://www.amakiblog.com/archives/2013/11/25/#002782
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自民党は自民党

2013-11-25 18:00:43 | 政治
 『東京新聞』夕刊の記事。こうなることはわかっていた。自民党議員は選挙で有利になるように辺野古移設に否定的なことを話していたにすぎない。辺野古移設を本当は受け入れていたはずだ。「変節」を批判するまえに、そういう自民党議員に投票したことを反省すべきだと思う。


自民の沖縄県選出5議員 辺野古移設を容認

2013年11月25日 夕刊

 自民党の石破茂幹事長は二十五日午前、沖縄県を地盤とする党所属の衆参両院議員五人と党本部で会談し、米軍普天間(ふてんま)飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古(へのこ)への移設を進める方針を確認した。慎重だった一部議員も辺野古移設容認に転じた。石破氏は県外移設を主張する党県連に県内移設を容認させるため、国会議員の説得を優先していた。

 会談では、移設に必要となる辺野古の埋め立て承認を仲井真弘多(なかいまひろかず)県知事に求める方針で一致。石破氏は会見で「日米合意の着実な実施のため、知事の承認を求める」と述べた。

 五人のうち県内移設に慎重だったのは、国場幸之助(衆院沖縄1区)、比嘉奈津美(同3区)両衆院議員。比嘉氏は「訴えた公約と方向性が違ったことには責任を感じている」と記者団に語った。

 仲井真氏は県庁で記者団に「国会議員は自分の考えを持っているから、どうこう申し上げることはない」と語った。
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秘密保護法に反対せよ!

2013-11-24 20:59:57 | 政治
 『信濃毎日新聞』の昨日の社説である。


今できること 声を上げ行動に移そう 11月23日(土)

 このところ知人と交わす会話やメールで、特定秘密保護法案がしばしば話題にのぼる。

 「衆参とも与党が多数を占めているから成立してしまうだろう」「選挙で勝たせた有権者にも責任がある」―。法案が週明けにも衆院を通過する見通しの中で「自分たちに何ができるのか」という、ため息に似た声が多い。

 昨年の総選挙と今夏の参院選で自民党は圧勝した。けれど、有権者はすべての政策について良しとしたわけではない。

 政治が自らの思いとかけ離れて動こうとしている時、「それは違う」と伝えることが、有権者としての責任ではないだろうか。

 法案に反対する市民の声は高まってきている。弁護士、メディア関係者、憲法・刑事法・歴史学者、さまざまな分野の市民団体、文化団体が相次いで反対や懸念を表明している。一昨日は東京都日比谷におよそ1万人が集まり、法案の白紙撤回を訴えた。

 こうした行動の広がりはインターネットを見ていると分かる。全国各地で市民が手を結び、街頭やネット上で署名を呼びかけたり、集会や講演会を開いたりしている。長野県内でも長野、上田、佐久、茅野などで街頭活動や集会が続けられている。きょうも松本市の松本駅周辺で、集会とデモ行進が予定されている。

 自分たちにできること―。衆院採決までを考えるのなら、県選出の衆院議員に直接、意見を伝えてはどうか。どの議員もブログやツイッター、フェイスブックを利用していて、サイトを通じて送ることができる。

 県議や市町村議に働きかけてみよう。埴科郡坂城町議会は9月定例会で「特定秘密保護法の制定に反対する意見書」を可決、閣僚や衆参両院の議長に送っている。

 12月定例議会の時期と重なる。国会の審議日程にかかわらず、廃案や法の廃止といった意思表示を求める方法もある。

 仮に法案が衆院を通ったとしても、参院で審議は続く。署名はまだ間に合う。集会や勉強会に参加し、法案の危うさを自ら発信するのも手だろう。

 政治の手綱を握るのはあくまで有権者だ。知る権利が脅かされるばかりか、私たちの暮らしに支障を来す恐れのある法案など必要ない。そうした思いを一人一人が声に出し、行動に表すことで、流れを変えたい。




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