浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

原発事故は終わってはいない 

2012-01-30 16:31:17 | 日記
 野田政権は、無謀にも収束宣言を出したが、事故は収束せず、今もって放射能は出続けている。以下は『東京新聞』の記事である。

セシウム放出量が増加   2012年1月29日

 二十二~二十八日の一週間、福島第一原発では、新たに大気中へ放出される放射性セシウムの量が昨年十二月より増えていることが分かった。東電の推定では、1~3号機からの放出量は合わせて毎時七二〇〇万ベクレルで、昨年十二月より一二〇〇万ベクレル多かった。

 2、3号機の原子炉建屋内での作業が増え、床などに積もったセシウムが舞い上がったことが原因という。

 これまでセシウムの放出量は順調に減り、現在は事故当初の千百万分の一にまで減少。しかし、東電は「今後は劇的に減らすのは難しい。当面はこの水準が続く」と見込んでいる。

 一方、原発前の海底に積もったセシウムなどが舞い上がって海中で拡散しないよう、対策を取ることになった。粘土とセメントを混ぜ、港内の海底を約六十センチの厚さに覆う計画。二月上旬から約三カ月かけて作業する。



 また原発推進勢力は、すぐに被曝の被害が出てこないことをいいことに、様々なかたちで、「安全」を振りまいている。

 注意せよ、被曝は人体に大きな害を及ぼすのだ。もちろん個人差があるから、同じ被曝量でも害の程度は同じではない。しかし、被曝に敏感な人間もいる。自分自身が、敏感であるかどうかはわからない。だから注意するに越したことはない。

 以下のブログの記事を参考にして欲しい。

http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/4662bb6edfc506b141ebdb3601dfa62c
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日本の近代思想

2012-01-29 23:53:09 | 日記
 NHKのEテレ、毎週日曜日夜十時から、「日本人は何を考えてきたのか」、その明治編4回のシリーズが終わった。福沢諭吉、中江兆民、植木枝盛など自由民権家、田中正造と南方熊楠、そして幸徳秋水と堺利彦がとりあげられた。いずれも、日本近代が生み出した巨星たちだ。

 私は、中江兆民の「論外交」、『三粋人経綸問答』、『一年有半』などを読んで社会認識の方法や視点の置き方を学び、植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」に感動し(家永三郎『革命思想の先駆者』岩波新書を高校時代に読んで)、また様々な自由民権家には夢をもって活動することを教えられ(とくに五日市の自由民権家の活動が、私をいなかに帰らせる決定打となった)、田中正造には、あるべき究極の生き方と問題に向き合うときどういう姿勢をとるかを教えられ、幸徳秋水には大逆事件と関わって権力の悪(権力犯罪を国家権力は無慈悲に強行する)を知らされ、堺利彦からは人間としての温かさを実感した。

 日本近代には、主流の思想とはならなかったが、国家権力に弾圧されながらも抵抗し、未来に生きる思想を生み出した思想家がたくさんいる。それらの思想は、決して過去のことではなく、たとえば田中正造は、昨年3・11の福島原発の事故に関わって大いに注目されてきている。

 今の若者は、これらの思想家(思想家というだけではなく、行動の人であった。行動の中から自らの思想を形成してきた)の残した財産を受け継ごうとしていないようだ。

 しかし、「浜名史学」関係の諸君は、これらの思想家ののこした文献に是非アタックしてほしい。その中には、未発の可能性がいっぱい眠っている。

 残念ながら、現代の社会はフリードマンなどの新自由主義という悪魔の思想が席巻し、おのれの自己利益を最大限に追求することを正しいことだとする風潮がある。

 だが、日本近代には、「世のため、人のため」に生きた人々がたくさんいる。そういう人々の思想を復権させ、それを受け継ぐ中で、新自由主義に抗する21世紀の思想をつくりださなければならない。そうでなければ、この地球の環境は破壊され、人権は侵され、中山間地から人々が追い出され、低賃金の中、時間と金に追いまくられながら生きるという社会が続くことになる。

 私も、おそらく諸君も、そういう社会は望まないだろう。

 日本の近代思想の豊かな泉から、人間の思想をくみだそう。
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沖縄へのオスプレイ配備

2012-01-26 15:48:10 | 日記
 ここに二つの新聞記事を掲げる。いずれも沖縄の新聞記事(『沖縄タイムス』)だ。本土の新聞には、これは載らない。

ハワイのオスプレイに騒音低減勧告 米環境保護庁

 【平安名純代・米国特約記者】米ハワイ州・カネオヘベイ海兵隊基地への垂直離着陸輸送機MV22オスプレイの配備に伴い、米海軍省がまとめた環境影響評価(アセスメント)の準備書(DEIS)について、米環境保護庁(EPA)が学校区の騒音基準の低減を勧告していたことが25日、分かった。月曜から金曜の午前8時~午後3時までは、航空機の騒音を平均45デシベル(静かな事務所)と定めた米連邦航空局の空港航路改善法の基準を適用し、最終環境影響評価書(FEIS)に反映するよう求めている。

 米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向けたアセス評価書では、オスプレイが陸側の滑走路から離陸した場合のピーク騒音レベルを安部集落で地下鉄の車内に近い78・3デシベル、タッチアンドゴー時には国立沖縄工業高等専門学校で64・2デシベルと予測。ハワイの基準と大きく開きがあることが明らかになった。

 米環境保護庁が付した意見は温室効果ガスの排出量、水資源、空気品質、騒音、固形廃棄物の5項目。準備書ではオスプレイ配備による学校への騒音は平均55デシベル(静かな乗用車内)と記されている。

 同基地へのオスプレイ配備計画では、2012年から順次配備を始め、18年までに最大24機のMV22とAH1を15機、UH112機の配備を完了する予定。ハワイの海兵隊第3海兵遠征軍(ⅢMEF)に所属する海兵隊員約1000人とその家族1106人が駐留するほか、沖縄に駐留する第31海兵隊遠征隊(31stMEU)が6カ月の訓練を展開する予定なども記されている。

 準備書は、米国家環境政策法(NEPA)に基づき、提案された計画が環境に与える影響や、計画が実施された場合に回避不可能な環境への悪影響、代替案の提案などを盛り込むもので、最終環境影響評価書の下書き。準備書に記載された内容に対する関係者の意見などを総合的に評価・検討した上で改善策を反映するよう義務付けられている。

 ハワイでは昨年8月に環境影響評価手続きを開始。地元住民らを対象にした公聴会を5回開いて意見を聴取した。準備書は予定から約半年遅れで昨年11月末に公表された。

http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-01-26_28986/

 ハワイでは、アメリカはこのようにオスプレイ配備にともなう騒音対策を命じている。しかし、そのオスプレイが、沖縄では・・・・・

 残念ながら、これが日本という国家だ。

「同じ人間なのに」日米、見ぬふり

2012年1月26日 10時37分

 米海兵隊の垂直離着陸輸送機M22オスプレイの配備に伴い、日米両国の環境影響評価(アセスメント)の比較から見えた沖縄とハワイの騒音基準の格差。「基地負担軽減」と連呼しながら沖縄への配備を容認する日本政府と、騒音の“二重基準”で県民へ配備を押し付ける米政府に対し、今秋にも配備が迫った米軍普天間飛行場周辺の学校関係者や同基地の移設先に挙げられる北部住民ら、識者も「県民の命と人権の軽視だ」と怒りを隠せない。

 【中部・北部】米軍普天間飛行場に隣接し、児童の頭上を頻繁に米軍機が飛び交う宜野湾市の普天間第二小学校は、開校から42年間も爆音と墜落の不安にさらされ続けている。知念春美校長はハワイとの落差に「絶句です。同じ人間が住んでいるのに、ハワイと日本で騒音基準が異なるのはおかしい。本来、学校上空を米軍機が飛んではいけない」と憤った。

 23日に来県した田中直紀防衛相が第二小について、現状認識の甘さを露呈したばかり。オスプレイの普天間配備に対し、知念校長は「騒音に加えて墜落の危険性が増大し、学校環境がますます過酷になる。配備は絶対反対。政府は私たちの痛みを理解するべきだ」と訴えた。

 昨年度、人間の耳の限界とされる123・6デシベルが測定された市上大謝名区。大城ちえ子自治会長は「45デシベルという数字が上大謝名では想像できない」と信じられない様子。「米国は基地の運用より、住民生活を優先しているのに、普天間配備を容認する日本政府が情けない。沖縄はどうでもいいと考えられているのか」と言葉を失った。

 米須清栄副市長は「45デシベルの基準では、普天間では一切飛ぶことができない。この落差は普天間の異常性を示している。なぜ米国は見て見ぬふりをするのか」と疑問を呈した。

 オスプレイの普天間配備後、代替施設が名護市辺野古に建設された場合は辺野古地域周辺だけでなく、東村高江など飛行ルート周辺の住民にも深刻な影響を与えかねない。

 東村高江に住む森岡浩二さん(34)は、集落近くの北部訓練場内にヘリパッドが造られた際、高江小学校に通うわが子の成長に影響が出ないか心配。「授業を遮るほどの騒音や振動は普通ではない。米国人には問題だが、沖縄の人は大丈夫という訳がない。オスプレイ配備を許すわけにはいかない」と憤った。

 名護市の東海岸で3人の子を育てる渡具知武清さん(55)は「沖縄と米国内で環境基準が違うということはおかしい」と憤る。一方で、「基準をこまめに決めても運用は米軍次第で、やりたい放題にされる。妥協せず、辺野古への基地建設に断固反対していく」と力を込めた。



http://www.okinawatimes.co.jp/article/2012-01-26_29002/
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日隅一雄・木野龍逸『福島原発事故記者会見』(岩波書店)

2012-01-25 22:53:29 | 日記
 今もって、政府や地方自治体、あるいは政府が関わる委員会は、平気で虚偽を出し続けている。

http://ex-skf-jp.blogspot.com/2012/01/blog-post_24.html

 3月11日以降、政府や東電がいかに国民をだまし続けたか、そのために情報を隠し、虚偽の情報を出し続けてきたか。これを私たちはしっかりと認識しておく必要がある。

 本書は、副題に「東電・政府は何を隠したのか」とあるように、具体的にそれが描かれている。

 その内容を詳細に紹介することはできないが(指をけがして、キーボードをいつものように打てない)、これらを忘れてはならない。そのためにしっかりと検証し、みずからの脳裏に刻むことが求められる。本書はそういう本だ。
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『歴史評論』2012年2月号

2012-01-24 21:54:24 | 日記
 退職と同時に、歴史関係の雑誌の購読をやめた。ただ、『歴史評論』(歴史科学協議会編、校倉書房刊)だけは続けている。

 学生時代、歴史学者の講演会などによく足を運んだ。昨年亡くなられた明治維新史研究の大家であった遠山茂樹氏の講演も何度か聴いた。

 遠山氏は、歴史研究は現代的な課題と切り結ぶ中で行われなければならないと話されていた。私は、遠山氏をはじめとした戦後歴史学を背負ってきた歴史学者から、同じようなことを聴いてきた。私もその意見に賛同し、現代社会に起きているさまざまな問題に大きな関心を抱きながら勉強を続けた。また基本的に現代的な課題を意識しながら研究テーマを決めてきた。

 現代的な課題をきちんと追究しているのは、やはり歴史科学協議会である。そのほかの研究団体もあるが、『歴史評論』こそ現代的課題と歴史研究とを結びつけている学術団体はないと思う。

 さて今月号で興味深いのは、上野輝将の『朝日新聞』を分析したものと小林啓治の「日米関係「再生」構想が描く21世紀の世界」である。

 前者は、『朝日新聞』の社説の変遷を追っているのだが、私から見ればすでにずっと以前からそれは時代遅れ、あまり意味がないと思っている。『朝日』の社論は、何度も検証してきた(「過去と未来の間」というブログ参照)。内容もひどいが、文の質も低下していることを指摘してきた。昔は、『朝日』のコラムを始め、社説も内容豊かで、格調も高かった。しかし今はその跡形もない。

 ただ上野の分析によると、論説主幹の交替により若干の変化はあるようだ。

 小林の論文は、日米関係を扱いながら、現代日本史研究の課題なども提起している。戦後史を考える場合、日米関係はきわめて重要であり、いかなる問題を扱う場合でも考慮しなければならない。

 私も、アメリカ帝国とはいかなる存在であるか、日米関係はいかなる状態かなど、いまもって追っている。日本の現在を把捉するためには、絶対に必要だ。日本の権力は、アメリカ帝国、グローバル資本の構成員である日本の大企業(日本経団連)に、いつも顔色をうかがっている。野田が首相になって最初に訪問したのが、日本経団連、そして訪米。

 小林論文は、こうした日本の有り様を考えるために、大変参考になる。













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こういう事実を忘れてはならない

2012-01-23 22:06:12 | 日記
 今ボクは出版されたばかりの『福島原発事故記者会見 東電・政府は何を隠したのか』(岩波書店)を読んでいる。

 3月11日の福島原発の事故以降、首相官邸、原子力保安院、文科省、経産省、そして東電、さらにマスメディアがどのように情報隠しを行ってきたことのかを忘れないためだ。

 日本人は忘れやすいと言われるが、こういう権力を掌握している人間どもが、いかに悪質な存在であるのかをしっかりと覚えておかなければならない。

 今日も、次のような報道がなされている。いずれも『東京新聞』配信の記事である。国民にいかに重要な情報を隠し、政府のめざす方向に国民の意識をもっていくか、かれらの脳裏にはそれしかない。国民の生命、財産、権利、自由を守ろうという気持ちなんて、これっぽちもないのだ。

電力「余裕6%」公表せず 政府、不足のみ示す 2012年1月23日 夕刊

 今年夏の電力供給力が最大電力需要に比べ9・2%不足するとした昨年七月公表の政府試算に対し、最大6・0%の余裕があるとの試算が政府内にあったにもかかわらず、公表されていなかったことが二十三日分かった。

 公表された試算は、太陽光発電など再生可能エネルギーによる発電を盛り込まないなど厳しい想定に基づいており、試算に携わった関係者は「極端なケースだけ公表するのはフェアではない」と批判している。

 政府は昨年七月、全国の原発五十四基がすべて停止し、再生可能エネルギーによる供給をほぼゼロとした上で、猛暑だった二〇一〇年夏の需要を前提に試算した数字を公表。

 しかし昨年八月に当時の菅直人首相に報告された試算では、再生可能エネルギーによる供給や、需要逼迫(ひっぱく)時に電気を止める条件で料金を割り引く「需給調整契約」による削減見込みなどを加味し、6・0%の余裕があることが示された。

 さらに2・8%の余裕があるとする中間的な試算も報告されたが、いずれも公表されなかった。



原子力災害対策本部 議事録全く作成せず 2012年1月23日 夕刊

 東京電力福島第一原発事故対応のため設置され、避難区域の設定や除染方針の決定を行ってきた政府の「原子力災害対策本部」の会議の議事録が、事故直後の設置以来まったく作成されていないことが二十三日、分かった。

 重要な政策決定が行われた過程を検証できる資料が作成されていなかったことで、情報公開に対する政府の姿勢への批判が強まりそうだ。

 災害対策本部の事務局を務める経済産業省原子力安全・保安院が明らかにした。三月十一日の設置以来、計二十三回あった会議ごとに作成されたのは議事次第程度の簡単な書類という。森山善範原子力災害対策監は記者会見で「開催が急に決まるなど、事務的に対応が難しかったようだ」と釈明する一方、「会議の決定事項など重要な部分は記者会見で説明し、かなりの部分は情報公開されている」との見方を示した。

 その上で「意思決定に関わる過程を文書で残しておくことは(公文書管理法で)義務付けられている」と語り、担当者のメモなどに基づき事後的な作成を関係省庁で検討していると説明した。

 原子力災害対策本部は、原発事故などで原子力災害対策特別措置法に基づく緊急事態が宣言された際、応急対策を総合的に進めるため、内閣府に臨時に設置され、首相が本部長を務める。今回の対策本部では避難区域の設定や解除、事故収束の工程表終了などの重要事項を決定してきた。
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悪質な政治家とはどんな輩か

2012-01-23 12:31:51 | 日記
 衆議院の第一党は、民主党である。したがって民主党の党首が、内閣総理大臣となっている。教科書の通りだ。

 その民主党、総選挙の際、なかなか立派なマニフェストを掲げた。そのマニフェストを信じて、多くの人々が投票した。マニフェストは信じてよいものだと、そのとき思った。


 さて、そのマニフェストについて、野田首相、まだ総理大臣になっていないとき、どういうことを言っていたか。


http://www.youtube.com/watch?v=y-oG4PEPeGo


 こういう政治家は、信用できない。そういう政治家を党首にした民主党も信用できない。
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色川大吉『若者が主役だったころ』(岩波書店)

2012-01-22 09:47:17 | 日記
 色川氏の自伝的な作品を読み続けている。これは1960年代を記したもの。

 とてもおもしろい。ただし、氏の子どもについて書かれたところは読み飛ばしたが。

 氏は大学卒業後すぐに研究者の道に入ったのはない。片田舎の教員をしたり、失業者になったり、演劇の世界に入ったり、さまざまな生き方をした後に研究者になった。氏の研究には、そのような体験が十二分に生かされていると思う。

 氏の研究は多岐にわたるが、何といっても三多摩地方の自由民権運動の地下水をくみ上げ、それを普遍化したことにある。その経緯を私は何度も読んだり聞いたりしているが、もっとも感動するところである。この本にも、須長漣造文書発見の経緯などが紹介されているが、歴史の中に埋もれた史実がもう一度生気を取り戻すこと、それこそが歴史研究の醍醐味であることがよくわかる。

 そして60年の安保闘争との関わり、『近代国家の出発』(中公文庫)、『新編明治精神史』(中央公論社)などの執筆にまつわることなどが記される。

 私は氏の著作をたくさん読んでいるが、氏の文章の背後に強いパトスをいつも感じる。そのパトスは氏の生き方から湧出するものであろう。

 またこの本には、海外旅行記が記されている。氏の旅行記は、とても知的で、新鮮で興味深い。氏の『ユーラシア大陸思索行』は、感動して読んだものだ。私の海外旅行への意欲は、この本が発端だといってもよい。

 氏の自伝をいくつか読みながら、以下のことを考えた。

 時代閉塞の現在、もう一度自由民権運動の地下水をくみ上げることの必要性である。さらにいえば維新以降の日本の近代をもう一度捉え直すことが必要だということだ。現在を過去との対話から明らかにし、未来を遠望する、そうした作業はこつこつとなされなければならない。

 そしてもう一つ。氏は『近代国家の出発』を執筆するとき、服部之総からもっと学んでおけばよかったと書いている。『歴史評論』の最新号(2月号)に木村茂光氏が、「現代歴史学が提唱されることによって、戦後歴史学が引き継いだ経験や担ってきた役割が過小評価されたり無視されたりすることは絶対あってはならない」(「戦後歴史学の「現場」に立つ」)と書いているが、戦後歴史学の蓄積は決して無視されてはならないということだ。

 そこには、歴史研究を自己完結的なものにするのではなく、生きている現実からいろいろ学びながら、また現実と自らも関わりながら、そこから清新な問題意識を醸成して研究するという、きわめてまっとうな姿勢が込められている。

 私も、色川氏の本を読みながら、書庫に眠っている「戦後歴史学」の本を読み直そうかと思っている。まず『服部之総著作集』から。

 本を読むと、その本から次に読むべき本を教えられ、それが続いていくと、新しい考えが湧き上がるということがある。そういう体験をしてほしいと思う。

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色川大吉『廃墟に立つ』(小学館)

2012-01-21 09:37:17 | 日記
 色川氏の自分史の一冊。『昭和へのレクイエム』へと続く戦後編の第一冊目だ。

 『昭和へのレクイエム』はおもしろかった。だがこの本はいけない。なぜか、筆が走っている。色川氏は、若い時代を振り返りながら、筆も若い時代に戻っているようだ。

 まず自分のことを「谷一郎」とし、客観的に自分自身を見ようとしているのだろうが、しかしこれが成功していない。『昭和へのレクイエム』のほうが、まだ客観的な叙述になっている。

 ここには、色川氏の1945年から48年までの個性ある歴史的体験が書かれているのだが、内容は主情的だ。色川氏は若いときから日記を書いているようで、それをもとにしているようなのだが、若い頃の血気盛んな主情的な日記に引っ張られてしまっている。

 やはり「谷」ではなく、色川大吉が主語になるべきだ。読者は、歴史家であり行動の人であり、組織者である色川大吉の生きてきた軌跡を知りたいのだ。同時に、色川氏の歴史研究を生み出したさまざまな条件、たとえばいろいろな研究者との出会い、本との出会い、影響を受けた政治社会状況など・・・こういうものが知りたいのだ。

 昨日図書館から借りたが、あまりおもしろくないので斜め読み。今日返却するつもりである。(1月20日 記)

【追記】この本は、『カチューシャの青春』へと続く。図書館でみたら、同じように「谷一郎」が登場していたので借りるのはやめ、『若者が主役だったころ』(岩波書店)を借りた。内容は1960年代を対象としている。これが1970年代を対象とした『昭和へのレクイエム』へと続く。

 さて『若者が・・・』を読み始めたら、『廃墟に立つ』について言及があった。色川は、「主観的であり、感傷的であり、苦いことばにみちてい」た日記や草稿などをもとにしてこれを書いたのだが、「あまりにも痛切な記録すぎて、「私」という第一人称で書くに耐えなかった」ので、「谷一郎」に託したのだそうだ。「一般読者にとっては事実なのか虚構なのかが判明せず、違和感をおこさせた。結果は歴史書として不評におわった」と記されてる。

 その通りである。色川の本は、ぐいぐいと読ませるのだが、これだけは読んでいて辟易した。失敗作だと思う。(1月21日 記)
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森崎和江の文

2012-01-20 13:43:24 | 日記
 昨日、図書館から『いのちへの旅』(岩波書店)を借りた。しかしどうも、森崎の文と相性が悪いと分かった。

 森崎の『からゆきさん』(1976年)は読んだことはあるが、こういうエッセイめいたものははじめてだ。

 森崎は詩人だという。だからなのか、文が時空を越えてあちらこちらに飛翔する。こういう文に、私はついていけない。

 ぱらぱらと後を拾い読みする。森崎の交友関係が記されている。しかしそれにいかなる意味があるのだろうかと思ってしまう。

 また不可思議な文と、ときにぶつかる。たとえば、「現在の世界情況は前世紀の強者支配の文明へと、きしみつづけている。その物質化による自然界への影響は、そして個々の身体や心理上の不安定さも、世代を超えた共通の問題であると、痛感させられている。」という文。前後にこれを説明するものはない。

 主観的そのものの文である。詩人だから・・・?

 しかし、書かれた文というのは、他者に理解されてこそ生きるのではないか。これでは、自分が自分自身だけに向けて表出されたことばを綴っただけにすぎないのではないか。

 おそらく、森崎の文を以後読むことはない。理解力がない私には、あまりに高等な内容だ。
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色川大吉『昭和へのレクイエム』(岩波書店)

2012-01-20 08:38:22 | 日記
 昨日借りた『昭和へのレクイエム』を読み終えた。昨日、その途中までを紹介した。

 次の項目は、1981年の自由民権百年全国集会について書かれている。私は、静岡でのこの集会に主催者側の一員として関わり、さらに全国集会にも参加したので、たいへん興味深く読んだ。

 この集会開催について、色川氏が八面六臂の活躍をされていたことを、もう一度再認識した。この集会に間に合わせようと『自由民権』(岩波新書)を刊行し、全国各地の自由民権運動研究、顕彰の動きに参加し、全国集会では主催者として関わられた。氏の存在なくして、この頃全国各地で推し進められた自由民権運動研究・顕彰はありえなかっただろう。色川氏は、研究者だけではなく、組織者としても、活動家としても、一級の人間である。

 現在のような時代閉塞の状況を打破するためには、もう一度自由民権運動の掘り起こしに取り組む必要があるのではないかと思う。というのも、中江兆民、植木枝盛など頂点的な思想家だけではなく、この頃在野でつくりあげられた憲法草案などをみると、100年以上経過しても実現していないことがたくさんあるからである。

 さてこの本のおもしろいところは、至る所に、人物評がさらっと書かれていることだ。大石嘉一郎氏については「周到で手際よい鋭利な総括」、「何という頭脳であろうか。この明晰さと、この緻密さに学ばなくてはならない」。大石氏の著書も同様である。その明晰さと完璧さ。家永三郎氏、「内容は平凡だが、その話し方、その情熱、その史実の紹介と論理の運びは見事というほかない」。家永氏の話を何度か聴いたことがあるが、情熱的で、内容をびしっと決める。色川氏の言うとおりである。

 私は歴史を研究する中で、その著書だけという場合もあるが、すごい頭脳をもった研究者に何人にも会っているが、その知性、明晰さ、論理性など、私にはとても追いつけないことを知った。自分よりもすごい人間がたくさんいるという自覚は、私にとって努力するエネルギーにもなったし、さらに謙虚さを持つことの大切さをも教えられた。私が個人的にお会いした第一級の研究者は、ほとんどがきわめて謙虚で、常に他者から学ぶ姿勢を堅持しておられる。私のほうが恐縮してしまうほどだ(私の最後の職場の人間には、自らを最高の人間だと錯覚していた人々がたくさんいたなあと思う。彼らの傲慢さには辟易した。第一級の人間を、おそらく知らないのだろう)。

 人物評で驚いたのは、鶴巻孝雄氏ら、東京経済大学の色川ゼミのOBに対する評価である。鶴巻、新井勝紘氏など、「五日市憲法草案」を発見したメンバーで、その後研究者の道を歩んだ。私の認識は、彼らは色川氏の弟子、というものである。ところが、彼らが色川氏に「反抗」したことが、ここに書かれている。謙虚さを失った鶴巻氏らの言動を知り、ある意味納得したところもあった。

 次が「日本はこれでいいのか市民連合」のこと。これにも私は少し関わった。だからこれもおもしろかった。

 なお最後に司馬遼太郎評。「非常に才気のある作家だけれど、兵士や人民の視点を欠いた英雄史観の限界によって損をしている」。そしてこういう格言を司馬に重ねる。「名声は川のようなもので、軽くてふくらんだものを浮かべ、重くてがっしりとしたものを沈める」。


 
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歴史学者 色川大吉

2012-01-19 20:16:27 | 日記
 日曜日、NHKの夜の番組で、久しぶりに色川大吉の尊顔を拝した。自由民権運動について樋口陽一氏とゲストで出ていたのだ。お年をとった(86歳)なあと思ったが、しかし知性にはいささかの衰えもない。

 三多摩を中心とした自由民権運動の研究の先達として私の前に現れた色川氏は、私の歴史認識に強烈な印象を与えた研究者だ。とくに『民衆憲法の創造』(評論社)で明らかにされた事実は、私の生き方に大いなる影響を与えた。

 最初に色川氏の文章にあったのは、当時購読していた『朝日新聞』の日曜版の連載の一つ、“思想史を歩く”というシリーズだったか。その連載は本にもなった(確認したら1974年)。書庫にあるので確認はできないが、そこに色川氏の情熱的な、明確な問題意識をもった美文があった。

 それから私は色川ファンになった。色川氏の本は、刊行されたら必ず購入して読んだ。黄河書房版の『明治精神史』を入手したくて苦労したが古本屋でもかなり高額だったのであきらめたこと、中央公論社から『新版明治精神史』が出たので購入したら、黄河書房版とかなり異なっていることを知りがっかりしたこと、後に黄河書房版は『講談社学術文庫』で発売されやっと手に入れることができたこと、『三多摩自由民権資料集』を購入したこと、『明治の文化』(岩波書店)など、色川氏の本は次々と読んでいった。そのなかでも『ユーラシア大陸思索行』(平凡社)は、私の視野を一挙に広げてくれた本だ。

 今、アマゾンでチェックしたら、買ってない本もあることがわかった。しかし、それはすべて最近のものだ。1970年代から90年代のものはだいたい読んでいる。

 さて、今日図書館に行ったら、色川氏の自分史の一つである『昭和へのレクイエム』(岩波書店)を発見した。いつかは読もうと思っていたものなので、借りてきて読み始めた。色川氏の人生は、書物や自由民権百年集会などを通じて、ほぼ私の生きていた歴史と重なるところがある。だから、読みながら、自分自身の来し方を振り返るようだ。

 しかしそのなかに、まったく無知のものがあった。歴史民俗博物館開館への色川氏の関わりである。古代史の碩学井上光貞氏に請われて歴博の展示の原案づくりに大きくかかわったことは、まったく知らなかった。それもほとんど報酬なしに。また文部官僚の妨害と闘いながら。この本にはその官僚の名が堂々と書かれている。中田和夫である。この項目には、官僚の本質がはっきりと書かれている。さすが色川さん。

 まだ途中であるが、町田の住人も暇があったら読まれたらいい、と思う。

  
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中森明夫『アナーキー・イン・ザJP』(新潮社)

2012-01-19 10:06:23 | 日記
 大杉栄をとりあげた小説だというので読んでみた。まあシッチャカメッチャカのストーリーだ。現在的に大杉を「復活」させるとすると、こうなるのか・・・と思った。

 大杉栄の墓は静岡市の沓谷霊園にある。私は、大杉には人一倍関心があるのだ。

 大杉については、やはり瀬戸内寂聴の『美は乱調にあり』、『諧調は偽りなり』が一番よいと思う。

 大杉の『自叙伝・日本脱出記』(岩波文庫)も、今読んでも大変おもしろい。

 中森のこの本は、一応読み通したけれど、得るものはない。小説というのは、主観的なものではあるが、この場合は大杉など歴史上の人物を扱っているのだから、客観的な扱い方というものがあるのだろうと思う。小説では、大杉の魂を現在に呼び出しているのだが、大杉もこれでは怒るだろう。

 大杉はいろいろなかたちで「復活」されるが、今度の大杉については戯画化され、断片化され、切り刻まれている。

 大杉については、やはり真面目に向かい合うことが大切だと思う。

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原発事故報道・検証

2012-01-18 11:09:44 | 日記
 『DAYS JAPAN』2月号の特集は、「原発事故報道・検証」である。政府やNHK,民法、そしてツイッターなどがどう伝えたのかを検証したものだ。時系列に、3月11日~12日にかけての動きが記され、きちんと検証がなされている。

 この特集を読むことによって、政府やマスメディアの本質が浮かび上がってくる。決してそれらは国民の「味方」ではないということだ。

 『朝日新聞』がこの事故に関して「プロメテウスの罠」という連載記事を載せているのは知っているが(今になっての免罪報道か?)、その最初が、「防護服の男 頼む逃げてくれ」。福島県の測定班は、国に先んじて高濃度の放射能放出を知ったが、福島県はこれを県民に知らせず、人々を被曝させた事実が記されている。

 政府も地方自治体も、何のために存在するのか。

 私たちは、この原発事故の検証をきちんと行うべきである。危機にこそ、それに関わる機関の本質が露呈される。見えてくる本質は、空恐ろしいものである。

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ひどいニュースばかり

2012-01-18 10:07:36 | 日記
 昨日の『中日新聞』一面に、SPEEDIの試算、つまり福島原発事故の放射性物質がどう拡散するかの試算結果は、日本国民よりも早く米軍に伝達されていた、というもの。
 
 公表が遅れたため、福島県の住民が浴びなくてもよい放射能を浴びてしまうという事態がおきていた。しかし米軍には、きちんと教えていた。

 日本政府は、日本国民のためにあるのではなく、アメリカのためにある。日本はアメリカの属国だから仕方がないと言ってしまえばそれまでだが。

 このことについては、下記のブログを読んで欲しい。
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/6c002147bda2413cc75911b3bba272cd


 そして今日の『中日新聞』。「原発運転最長60年」にするというのだ。小出裕章氏のコメントにもあるが、「あきれてものがいえない」。

 ただでさえ危険な原発、原発は10年ごとに検査をしているから・・というが、格納容器や圧力容器は新調できないのだ。福島原発も津波ではなく、地震で配管が破断したというではないか。

 原発はなくそう。もう一度原発災害が起きたら、日本は終わりだ。

 原発寿命「最大60年」 規制法改正案
2012年1月18日 07時10分

 政府は十七日、原発の運転期間(寿命)を四十年とした上で、例外的に運転延長を認めるのは一回限りで最大二十年とすることを決めた。この規定を明記した原子炉等規制法改正案を通常国会に提出する。初めて原発の寿命を明文化するが、老朽化した原発が最大六十年間稼働し続ける余地を残すことにもなる。

 細野豪志原発事故担当相は今月六日、過酷事故(シビアアクシデント)への対策を義務づけるとともに、原発の寿命を四十年とする方針を発表した。その際、運転延長の例外規定をもうける可能性にも言及したが、「極めて例外的なケース」としていた。

 法案を担当する原子力安全庁(仮称、四月に発足予定)の準備室によると、延長を認めるのは、「原子炉に劣化が生じても安全性が確保される」と認められる場合。

 運転延長の期間を最大二十年とした根拠については、「米国の運転延長制度にならった」と説明している。

 あえて具体的な延長幅を明記することで、「四十年を超えた原発は廃炉」との方針があいまいになってしまう可能性もある。準備室は、運転延長を認めるかどうか審査する際の基準を厳格化することで、実質的に四十年廃炉を実現していくとしている。

 このほか準備室は、原子力安全委員会を改組し安全庁の下に置くとする「原子力安全調査委員会設置法案」など、二十数本の関連法案を国会提出する。

■抜け道の恐れは消えず

 原発の寿命は四十年としながら、最大六十年までの延長運転も容認する形となる原子炉等規制法の改正案。法案を担当する原子力安全庁準備室は「延長はあくまで例外」と強調するが、電力会社への配慮も見え隠れしている。老朽化した原発の延命につながる抜け道となる可能性は消えていない。

 準備室の担当者は、「二十年」は米原子力規制委員会(NRC)の方式にならっただけで、それ以上の理由はないという。四十年の寿命という設定自体、NRCをなぞっているから延命期間も、という理屈だ。

 ただ、「四十年で廃炉」という細野豪志原発事故担当相の方針が揺らぐ形になるのは確かだ。

 例外を設けざるを得ない理由を、準備室担当者は「一律に廃炉とは決められない。電力会社の財産権の侵害という問題がある」と訴訟回避の側面があることを明かした。

 電力会社が「運転できる原発を危険だと決め付けられ、資産価値を無にされた」として国に損害賠償を求めた場合、極めて難しい訴訟となる可能性があるからだという。

 例外規定を設けることで財産権は侵害していない建前を整え、延長申請があっても「基準を厳しくし、電力会社が延命をあきらめるような方向に持っていく」(担当者)という。

 とはいえ、法律で最大六十年可能と明記すれば、やはり抜け道となる懸念がある。

 「これまでと同じ目で見ないでほしい。推進派に『安全』のお墨付きを与える役所にはしない」と準備室幹部。言葉が正しいかどうかは、その後の行動が証明する。 (大村歩)

(東京新聞)
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