まず結論から。良い本である。よく考えられているし、いかなる問題があるのかもきちんと提示されている。この問題が簡単に解決できないものであることが記されていて、好感が持てた。
まず歴史を叙述することは、とてもたいへんであることを記したい。史料をもとに、それもいくつもの史料を突き合わせて、なにが事実であるのかを確定し、それを歴史の全体的な動きの中に位置づけていくことは、集中力と持続力が求められるたいへんな作業である。それにそこで確定される事実に関する今までの研究をきちんと踏まえなければならないから、歴史研究には膨大な時間とカネ(文献を購入したり、調査旅行する費用など)がかかる。ついでにいうと、次々と歴史の本を出す人を、私は信用しない。歴史研究者は、多作とは無縁であるはずだ。
そのような作業の結果確定された事実についての叙述に対して、いとも簡単にそれを否定したり攻撃する人が出てきた。歴史修正主義者である。
本書の著者は西洋史の研究者であるから、ホロコースト否定の言説を検討するのだが、著者はこう指摘する。
歴史修正主義者は、人々に認識の「揺らぎ」を呼び覚ますことを意図している。 実際には明らかに白に近いものと、明らかに黒いに近いものがあるにもかかわらず、その差が曖昧にされ、学術的な知見に基づいて構築された歴史解釈が骨抜きにされてしまうのだ。こうして、長い時間をかけて形成されてきた社会の合意が浸食されていく。社会が歴史的事実と位置づけてきたものの地位は、それほど堅牢ではない。(70頁)
要するに、「学術的な知見に基づいて構築された歴史解釈」が相対化されてしまう、それが歴史修正主義者が目的とするものなのだ。
彼らにとって七面倒くさい史料操作は必要ない。主張したいこと、結論がさきにあり、ただそれを事実であるかのように粉飾することだけがかれらの作業となる。
歴史修正主義は、過去に関するものであるように見えて、実は極めて現在的な意図を持つ。現在における歴史の「効用」が問題なのであり、いまを生きる人間にもたらされる利益がなければ意味がない。したがって歴史修正主義は本質的に未来志向である。歴史が修正されることで、将来的に取り得る選択肢も正当化されるからだ。こうして過去は 現在と未来に奉仕させられる。(16頁)
彼らは、歴史を利用するのだ。歴史はそのためのみにある。過去を「修正」することによって、現在、そして未来のために何らかの「効用」を図るのである。
このような歴史修正主義に対してどう対応するか。実際「修正」されたものが、ネトウヨと親和的な文科省などによって教科書などに反映されることもある。
私も歴史修正主義者と論争をしたことがあるが、史料を提示してこうなのだ、といっても、まったく受け入れない、学問的な論争にはならない、彼らはまず「信念」があって、その「信念」を揺るがす事実が提示されてもはね返すだけ、事実に対して謙虚でなく不誠実なのだ。徒労だった。
彼らにどう対応すべきか、この本でも明示されているわけではない。だが、きちんと問題点が示されている。
もう一度、この問題を考える契機にはなるだろう。一読を勧めたい。