この本の一部は、
現代ビジネスでも読むことが出来る。
「はじめに」で、安田はこう記している。
政府や識者が社会の気分をつくり、煽り、右翼が暴力を示唆し、ネトウヨがそれに快哉を叫ぶ。繋がっている。続いている。そこには垣根も段差もない。
安倍政権になってから、安倍とその取り巻きがまさにネトウヨと同じ思考をもっているから、政府発の差別やヘイトがその裾野をひろげているのだ。今年の秋に、私は天皇機関説事件を取り上げようとしてるが、1930年代よりも実はひどい状況だ。天皇機関説は、ネトウヨ的な右翼が叫び始め、それを右翼的な議員が議会で取り上げ、それが内閣や行政に波及していくという動きであったが、今は、政府、それを支える議員が叫び始めるのだから始末が悪い。
更に安田はこうも記している。
ネトウヨを含む右翼勢力が目指すのは「改憲」だけではなく、人権、反戦、反差別といった戦後民主主義が培ってきた“常識”の否定である。戦後という時間に対するバックラッシュ(反動・揺り戻し)である。
彼らが狙っているのは、「戦前」ではあるが、実は日本が全体主義的な国家体制を構築した時代の再建である。「戦前」と一括りされる時代には、大正時代もあった。彼らが狙うのは少しデモクラティックな時代であった大正期ではさらさらないということだ。ネトウヨ始め右翼も、戦後民主主義の恩恵に与っているはずであるのに、それを無視して全体主義的な国家体制の再構築を求めているのだから、何とも言いようがない。
目次はこうなっている。
序章 前史ー日本右翼の源流
第1章 消えゆく戦前右翼
第2章 反米から「親米・反共」へ
第3章 政治・暴力組織との融合
第4章 新右翼の誕生
第5章 宗教右翼の台頭と日本会議の躍進
第6章 ネット右翼の跋扈
戦後の右翼の流れが、当事者への取材を通して、よく記されている。戦後右翼は、戦前からの流れにつながりながらも、新たに政府自民党の別働隊として組織・利用され、しかし一時的にその関係がうすくなったこともあったが、現在では政治と右翼勢力は融合してしまっている。
そしてその融合は、「一般人」をも含んできている。
社会の一部は十分に極右化している。右翼の主体は街宣車を走らせる右翼でもなければ、在特会でもない。極右な気分に乗せられた一般人なのだ。
もはやヘイトスピーチは「草の根」の専売特許ではない。社会の上と下で呼応しながら、差別のハードルを下げ続けている。
私たちは右翼の大海原で生きている。
そういう時代にあることを、きちんと認識する必要がある。その意味で、本書は必読文献である。
少し付け加えておけば、右翼的な言説は、知的な背景を持たないものが多い。ただそれだけに短いことばで、誰にでもわかることばで発せられる。学びから遠ざかっている人々には、それらの言説が、根拠がなく、虚偽であることを認識できない。そういう時代をエネルギーにして、右翼の言説は力を得ているのだ。