浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

書簡集

2021-01-21 20:06:18 | 芥川

芥川龍之介の書簡が掲載されている全集第十巻を読み終えた。正直言ってあまり面白くはない。唯一興味深かったのは、将来結婚することになった文への書簡である。これは芥川龍之介という人物がどういう人間であるかを伺うことができる内容であった。

芥川の小説も私小説ではないので、そこに芥川を取り巻く時代状況が描かれているわけでもなく、また書簡も時代状況を認識できる記述はほとんどない。

芥川は自らを「貧しい」といっているが、決してそうではない。一昨年石川啄木全集を読んだが、そこには壮絶なる貧困と病苦が記されていた。芥川は一中、一高、東大と順調に進学でき、また学生時代も千葉県や静岡県に避暑に行くことができた。

生活の糧を稼ぐために海軍機関学校の英語教員となったが、その傍ら小説を書き原稿料を稼ぐことができた。恵まれた経済生活であった。

書簡も、文や恒藤恭を除き、文学関係者や新聞社や雑誌社の文学担当などへの手紙が主であり、当然芥川が書いた書簡だけが掲載されているので、どういう経緯をもった書簡であるかは不明であり、また菊池寛と仲がよかったというが、菊池宛の書簡はない。相手方が保存しない限り残らないから仕方がないが、この点でも書簡には限界がある。

やはり芥川を理解するには、作品しかないというのが、現時点での感想である。

 

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書簡

2021-01-20 21:33:15 | 芥川

 芥川龍之介全集第10巻は、書簡である。学生時代から海軍機関学校の英語教員になっている頃までを読んでいる。

 芥川が出した書簡がたくさん残っているが、後世いろいろな人に読まれてしまうことになるとは、芥川も予想していなかっただろう。

 芥川は政治や社会について考えることはなかった人である。書簡にそうしたことが全くと言ってよいほど書かれていない。小説などの作品にもそれは表れている。

 岩波文庫の『芥川追想』のなかには海軍機関学校の教員時代の戦争観を、芥川の教えを受けた元軍人が書いている。政治社会についての芥川の考えはそれくらいだ。

 書簡で興味深いのは、いずれ奥さんとなる文さん宛のものだ。芥川の純粋な気持ちがあふれている。芥川は、こころのきれいな人であったことがよくわかる。

 芥川を、芥川の生きた時代のなかに捉えることはできるだろうか。なかなか難しい。「芥川龍之介とその時代」というテーマで語ることはムリではないかと思わざるを得ない。

 とにかく、全巻読みとおすつもりだ。

 今日、ジョン・ダワーの『アメリカ 暴力の世紀』(岩波書店)を読み終えた。その感想はいずれ書く。

 芥川と並行して、雑多な本を読んでいる。すべてについて感想を書くことはしないが、本を読むことはみずからの思考を鍛える。

 

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自死へのみち

2021-01-12 19:16:57 | 芥川

 久しぶりに芥川を読む。前回「歯車」について書いたが、私はそこに死の臭いを嗅いだ。

 次に「西方の人」を読んだ。キリストに関することついての感想が綴られたものだ。芥川は、キリストに関心をもち『聖書』を丁寧に読んだようだ。その跡が記されている。

 そして有名な「或旧友へ送る手記」。ここには自死の理由として、「唯ぼんやりとした不安」ということばが記されている。その不安の中身への言及はない。

 その後の「闇中問答」も、「或声」と「僕」との問答により成りたっているが、面白い話はない。すでに自死を決意しているように思える。自死を決意した自分自身を点検しているような書きぶりである。

 そして「或阿呆の一生」。芥川の心象の変遷をたどりながら記したものだ。そのなかに、これがある。民衆について書かれた同じようなものが、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」にもあったような気がする。ドストエフスキーのは、抽象的な民衆を愛することはできるが、具体的にそこに存在する民衆は愛すことはできない、というような文が。

誰よりも十戒を守った君は
誰よりも十戒を破った君だ。
 
誰よりも民衆を愛した君は
誰よりも民衆を軽蔑した君だ。
 
誰よりも理想に燃え上った君は
誰よりも現実を知ってゐた君だ。

君は僕等の東洋が生んだ
草花の匂のする電気機関車だ。

 第九巻に収載された文を読んでいくと、芥川の不安とは、狂人となる不安が大きかったのではなかったかと思う。

 芥川龍之介全集、第十巻は書簡である。これも読んでいこう。

 

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「歯車」は絶望の兆しか

2020-12-09 11:41:52 | 芥川

 「歯車」を読んだ。今までずっと芥川の作品を読んできて、これほどまでに死の蔭に蔽われているものはなかった。

 私は「歯車」という作品の内容は知らなかったが、ただひとつ「歯車」という題のいわれは知っていた。芥川は、時に視界の中に「歯車」を見る。おそらくそれは光り輝くものだろう。以前も書いたことがあるが、私も同じものを見る。私の場合はシャークの歯のように見える。視界に小さく輝くゾウリムシのようなものが見えはじめる。するとそれがだんだん大きくなってシャークの歯となる。輝きながら視界を横切り、そして消えていく。目を瞑っても見える。芥川の場合は、「僕は又はじまつたなと思ひ、左の目の視力をためす為に片手に右の目を塞いで見た。左の目は果して何ともなかつた。しかし右の目の眶(まぶた)の裏には歯車が幾つもまはつてゐた」とあるから、なぜか片目だけだ。私の場合は、両目に見えて、目を瞑っても見え続ける。しかし芥川のように頭痛はない。

 しかし全編なんという陰鬱な雰囲気なのだろう。最初から幽霊の話だ。そして姉の夫の自死、それも鉄道に飛び込んでのそれであった。陰惨な話が続く。そういう話の延長線上に芥川の精神状態が綴られていく。

 芥川は不眠で苦しんでいたようだ。彼は精神病院にタクシーで行く。しかしなかなか見つけられず、タクシーを降りて歩いて行くと、青山斎場の前に出てしまう。10年前の漱石の告別式以来であったが、そこで芥川は「十年前の僕も幸福ではなかつた。しかし少なくとも平和だつた。僕は砂利を敷いた門の中を眺め、「漱石山房」の芭蕉を思ひ出しながら、何か僕の一生も一段落のついたことを感じない訣(わけ)には行かなかつた」という感慨を記す。

 彼はホテルをとり、そこで原稿を書く。しかし気分優れず、街中を歩き、またレストランに入り落ち着かない時間を過ごす。そして時に丸善で本を買う。「メリメエの書簡集」はその一冊だ。だがそれを読みながら「彼も亦やはり僕等のやうに暗(やみ)の中を歩いてゐる一人だつた」と書く。

 芥川は妻の実家に行く。別荘地のようだ。そして周辺を歩く。焼け残った家を見つけ、また鼴鼠(もぐらもち)の死骸をみる。

 そして「歯車」が浮かび上がる。

「何ものかの僕を狙つてゐることは一足毎に僕を不安にし出した。そこへ半透明な歯車も一つづつ僕の視野を遮り出した。僕は愈最後の時の近づいたことを恐れながら、頚すぢをまつ直にして歩いて行つた。歯車は数の殖ゑるのにつれ、だんだん急にまはりはじめた。・・」

 「歯車」は不吉なのだ。「歯車」が見えた後、彼は自宅の二階で仰向けになって頭痛をこらえる。

 今度は「歯車」ではなく、「銀色の羽根を鱗のやうに畳んだ翼」であった。確かに私に見えるシャークの歯も、銀色である。

 そのとき、芥川の妻が二階に慌ただしく昇ってくる。

 芥川は「どうした?」と尋ねる。

 「どうもした訣ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまひさうな気がしたものですから・・・」

 この「歯車」は次の文で終わる。

 それは僕の一生の中でも最も恐ろしい経験だった。ー僕はもうこの先を書きつづける力を持つてゐない。かう云ふ気もちの中に生きてゐるのは何とも言はれない苦痛である。誰か僕の眠つてゐるうちにそつと絞め殺してくれるものはないか?

 この「歯車」は小説として何かを書こうとしたものではない。主題があってないようなものだ。主題は、芥川の生きていることの不安、絶望、生の苦しみ・・・である。

 「歯車」を書いた1927年3月から4月にかけて、芥川は精神の不安のなかにあった。しかしこうした絶望的な精神状態を生きる方向へと転換することは難しいように思えた。

 芥川が見る「歯車」、これは「閃輝暗点」といわれるものである。眼には異常がないけれども、視神経につながるどこかに時に異常が起きるのだろう。私も眼科にかかり、脳の検査も受けたが取り立てて異常は発見されなかった。

 芥川はこの「閃輝暗点」を不吉な兆候と見立てたのだろうか。

 確かにはじめてシャークの歯が視界を蔽ったとき、私は失明するのではないかと不安だった。しかしこれは一定の時間が経過すると消えていく。私の場合は頭痛もない。つきあっていくしかない。

 芥川と異なり、私は「閃輝暗点」だけではなく、いやのこともなんであろうとも、死ぬまでつきあっていくという気持ちでいる。

 いつかは死ぬ。しかし自分からそうするつもりはない。芥川は、いったい何に絶望を感じたのだろうか。

 

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第9巻

2020-12-09 09:47:13 | 芥川

 芥川龍之介全集の第9巻に入ったところで、いくつかの仕事に追われて芥川から離れていた。12月の2日に一応終わったので、再び芥川龍之介を読むこととなった。とにかく全集を読み終えることだ。

 第八巻の巻頭は「文芸的な、あまりに文芸的な」である。「文藝」という文字が本当は使われているのだが、ここでは「文芸」としたが、「文藝」のほうがそれらしい感じがする。私が子どもの頃、岩波文庫は旧字が使われていた。ルビがついていたので漢字を知らなくても読むことができたから、今でも旧字は読むことはできる。旧字の方が格調高いという想いをいつも持っている。

 さて「文芸的、余りに文芸的な」は、様々な文学者や文学作品の批評である。これが「續文藝的な、餘りに文藝的な」(これが旧字の表現である)と続く。

 しかし私は文学作品を系統的に読んではこなかった。だから作家の名前をみても、芥川が言及している作品を読んでいないことが多い。なかには現在ではまったく忘れられた作家の名前もある。近代日本文学の代表的な作家の作品くらいはきちんと読むべきだ、読まないのは人生の損失だと思いつつ、きちんと読んで来なかった。だから芥川のこの文を読んでも、ある意味ちんぷんかんぷんなのである。だから、「文藝的な・・・・」についてはあまり言うこともない。

 「文芸的な・・・」の次は、「本所両国」である。芥川が育った周辺をおそらく編集者とともに探訪したルポみたいなものだ。幼い頃と比較してばらばらと劇的に変貌している姿が描かれる。関東大震災の後だから、よけいに変わっている。それを、幼い頃の記憶とつきあわせながら綴るのだ。

 しかし読んでいて、さすがに江戸幕府のお膝元だけあって、違う。私のように田舎に生まれて田舎に育った者(短期間だけ東京に住んだが東京周辺を訪ね歩くということをしてこなかった)からみると、江戸の面影や近代化の中で変貌する首都の姿は、私の住むところの変貌とはまったく質が異なる。さすが都会である。

 私は最初、杉並区の明大前、のちに中野区白鷺に住んだ。そこと大学の往復が日常であった。その間、東京の名所をほとんど行っていないので、帰郷してから本を読む中でここは行っておけばよかったと思うようなところをたくさん発見した。

 しかし、私の旅行のあり方は、いつでもどこに行くにしても、目的を持ったものが多いので(調査が主)、余分なところは行かないのである。よほど強い動因が生まれないと行かない。強い動因が生じれば海外はじめどこにでも行くというパターンであった。

 芥川が「本所両国」に書いたあたりも行ってみたいが、東京の混雑を忌み嫌うようになってから、足が向かない。そうこうしているうちに外国人観光客の増加、そして COVID-19の流行。

 私が芥川が描いた「本所両国」に行くことができるのはいつ頃になるだろうか。

 芥川龍之介全集第八巻の巻頭は、小説ではない。やっと「歯車」まで来た。次はそれを読む。

 

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国辱

2020-10-18 21:59:33 | 芥川

『芥川龍之介全集』第八巻の最後は、漱石についての文である。芥川はしばしば小宮豊隆らと漱石宅を訪問した。

 早稲田南町にあった漱石の書斎はこういう状況であった。

 「書斎は畳なしで、板の上に絨毯を敷いた十畳位の室で、先生はその絨毯の上に座布団を敷き机に向かって原稿を書いて」いた。

 その部屋で開かれた「木曜会」に芥川は参加していた。その書斎を自慢する漱石がどうも不思議であった。こういう書斎であったからだ。

 「天井板に鼠の穴が見え、処々に鼠の小便の跡も見ることが出来」、「一つの高窓があるのですが、その高窓に・・・・頑丈な鉄格子がしてありました」。

 ある日、漱石に会いたいという手紙を米国の女性が送ってきた。漱石はもちろん英文の手紙でそれを断った。

 芥川はなぜ断ったのかを尋ねた。漱石は、

「夏目漱石ともあろうものが、こんなうすきたない書斎で鼠の小便の下に住んでいる所を、あいつ等に見せられるか、アメリカに帰って日本の文学者なんて実に悲惨なものだなんと吹聴されて見ろ、日本の国辱だ」と答えたそうだ。

 漱石の気概やよし、である。しかし日本では、こういう自覚を持つ者は、今や少ない。

  世界標準の方法を無視してCOVID-19の流行に際してPCR検査を抑制し、アカデミーの殿堂である日本学術会議の人事に介入して、政権の意向と合わない学者の任命を拒否する、首相となって議会で所信表明もしないで外国訪問を行う・・・・・・これらはすべて「国辱」ものである。

 日本人は、アベ政権以降、サクラ、加計、森友と恥ずかしいことばかりしているのに、それが「国辱」ものであることを認識もしない。

 

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立ち位置

2020-10-18 21:17:11 | 芥川

「たね子の憂鬱」という短い小説。たね子は主婦、亭主は会社員だろう。

 夫婦は帝国ホテルで行われる結婚式に招待されていた。しかし田舎生まれのたね子はそれが気になって仕方がない。というのも、結婚式でだされる食事は洋食、たね子はそのマナーを全く知らなかった。

 亭主は次の日の午後、たね子をレストランに連れて行き、そのマナーを教えた。

 そして帝国ホテルでの結婚式に参加、無事であった。帰路、「食堂」の前を通った。シャツ一枚の男性と女中とがふざけながらタコを肴に酒を飲んでいた。たね子はそれを見て、軽蔑し、同時にその自由さを羨んだ。

 たね子は次の朝、夢の話をした。その夢は、汽車の線路に飛び込んで体がばらばらになったが、それでも生きている、というものだった。

 たったそれだけの話だ。

 ほとんど行くことのない帝国ホテルでの結婚式への参列、洋食を食べるときにみっともないことをしたらどうしようという心配・・・そして「食堂」の光景に、軽蔑し、ということは優越感を抱き、またその自由さをうらやむ。中産階級のもつ意識が記されているのだろう。

 私は今まで一度も帝国ホテルに行ったことがない。行こうという気持ちもない。私はそういうところとは縁のない者だという自覚をもっているからだ。

 私の立ち位置は、たね子が軽蔑し、羨むふつうの庶民である。そういう立ち位置を崩さずに生きてきた。虚飾を峻拒し、ただ生きる、それだけだ。

 芥川はどうしてこの小説を書いたのだろうか。芥川の立ち位置は、中産階級であろう。その立ち位置に嫌気がさしたのか。しかし汽車にひかれて「体は滅茶滅茶になって」も、そこにたね子が生きているように、芥川もそこ(中産階級)に生きているのだ。

 

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芥川の随筆

2020-10-17 22:00:27 | 芥川

 芥川龍之介の「芝居漫談」。

 芥川は、「僕は芝居らしい芝居には、-所謂戯曲的興味の多い芝居には今はもう飽き飽きしている。僕は出来るだけ筋を省いた、空気のように自由な芝居を見たい」と書いている。

 現代では「筋を省いた」芝居はたくさんあると思う。私が学生時代、前衛劇という芝居があった。たとえば赤テントとか、早稲田小劇場とか。そういうところの芝居は筋はなかったような気がする。たとえあったとしても筋は重要ではなく、まさに芝居を瞬間芸術のように処理していたように思う。といっても最近そういう前衛劇と言われるものを見ていないので、いい加減なことを書いているのだが。

 真面目な話、私も筋がきっちんとしている、観客に親切なわかりやすい芝居は好きではない。というのも、感想がワンパターンになってしまうからだ。親切心のない芝居の方がよっぽどよい。個性をもった感想が飛び出てくる。

 『芥川龍之介全集』第八巻、「芝居漫談」の後は、筋のない短文が連なるものばかり。

 そして「今昔物語鑑賞」。「今昔」は高校の古典のなかに少しはあったように思うが、面白くないもの、当たり障りのないものだけが並んでいたように記憶する。しかし芥川龍之介がいうように、「今昔」は「野生の美しさに満ちている」はずだ。

 『韓国の民衆美術』を読んで、日本のなかの民衆的伝統を探ることも重要ではないかと思うようになった。この「今昔物語鑑賞」を読んで、「今昔」を読みたくなった。「当時の人々の泣き声や笑い声」が立ちのぼるのを感じたそうだ。私も感じたくなった。

成程、牛車の往来する朱雀大路は華やかだったであろう。しかしそこにも小路へ曲れば、道ばたの死骸に肉を争う野良犬の群れはあったのである。おまけに夜になったが最後、あらゆる超自然的存在は、ー大きい地蔵菩薩だの女の童になった狐だのは春の星の下にも歩いていたのである。修羅、餓鬼、地獄、畜生等の世界はいつも現世の外にあったのではない。・・・

 こういう世界を探ってみよう。

 

 

 

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意味不明

2020-10-10 21:33:01 | 芥川

 「河童」を読んだ。ぐいぐいと引っ張られて、一気に読み終えた。一面では、河童の世界を描いて、そこにどのような意図を隠しているのだろうかと思いながら読み、もう一面では芥川の想像世界にひきこまれて読み進んだ。

 河童の世界の不可思議は理解できた。多くの人は、この「河童」を読んでいろいろな解釈をしてるのだろうが、私には不可思議な世界というしかない。

 河童の世界は、人間たちが生きる土の下にあるようだ。主人公は穴に落ち、そして人間世界へは綱に頼ってあがって帰ってきた。

 私は、山中で河童にであったその場面で、河童は死者の世界から来たのだと思った。つまり、河童の世界とは死の世界ではないのかと思い、読み進めたのだが、よくわからない。人間の通常の価値観とはことなる世界が展開しているのだが、それは果たして死の世界なのか、そうでもないようだ。河童の世界は河童の世界独自の価値観があるようなのだが、しかしそれは秩序だっていない。

 となると、芥川の妄想なのか。芥川は夢をよく見るようだが、夢には合理的な秩序はない。夢か妄想か。

 理解しようとは思わない、はじめて前衛劇を見たときのように、解釈しようとせずに、そのままの世界を受容するしかないようだ。

 

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「文藝雑談」

2020-10-10 13:46:07 | 芥川

 「あらゆる文芸の形式中、小説ほど一時代の生活を表現できるものはない。同時に又、一面では生活様式の変化とともに小説ほど力を失うものはない。なるほど、昨日の生活を知る為には、昨日の小説を読まなければならぬ。然し、それは「知る為に」である。僕等の心を滲蕩する小説の生命を感ずる為ではない。」

「・・・一人の作家なり、一篇の作品なりは、一時代の外に生きることは出来ない。これは最も切実に一時代の生活を表現する為に小説の支払う租税である。前にも一度云った様に、あらゆる文芸の形式中、小説ほど短命に終わるものはない、同時に又、一面では小説ほど痛切に生きるものはない。従って又、その点から見れば小説の生命は抒情詩よりも、更に抒情詩的色彩を帯びて居る。つまり小説と云うものは、丁度稲妻の光の中に僕等の目前を掠めて飛ぶ火取虫に近いものなのだろう。」

 ここに書きつけた芥川の文を読むと、どうも小説というものに限界を感じていたのではないかと思われる。

 芥川の文は、おそらく根を詰めて、いかなる語彙をつかうか、これでもない、これでもないとして綴られたものだ。しかしそういうものが、一瞬の価値しかないと思うようになれば、これはもう書けなくなってしまう。

 この「文藝雑談」の最後、キリスト(芥川はクリストとしている)の話が出て来る。

 「キリストを十字架に駆りやったのはキリスト自身の宗教だったろう。斯ういうのは単に新しい宗教を説いた為に十字架に懸ったという意味ではない。新しい宗教を説いているうちに、十字架に懸らねばならぬ気持ちになって仕舞ったのだと云うのである。・・・・・僕の解釈のように十字架につかなければならなくなったキリストの気持を想像すれば、そこに僕等の日常の気持にも近いものがありはしないかと思って居る。」

 キリストがみずから十字架に懸かったこと、それと芥川自身の自死への道筋がつながっているのではないかと思ってしまう。

 

 

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生の軽さ?

2020-10-10 13:12:02 | 芥川

 「玄鶴山房」。

 芥川の作品の中でもこれは感心できない。

 重い肺結核で寝ている玄鶴、腰を抜かして寝たきりのその妻・お鳥。そして二人の娘のお鈴とその亭主(婿)である重吉、彼らの子である武夫。これが家族である。そこに病人の世話をする看護婦の甲野がいる。

 話はこの家族の風景を描く。登場人物の心理描写は、自死を試みたときの玄鶴、玄鶴に対する重吉、家族をみつめる甲野だけである。お鈴やお鳥のそれはない。

 途中、玄鶴の妾・お芳と、玄鶴との間に生まれた文太郎がでてきて、玄鶴の世話をするために同居をはじめる。お芳はもとこの家の女中であった。お芳の心理描写はない。もちろん子どもたちのそれもない。この二人が同居を始めてから「一家の空気は目に見えて険悪になるばかりだった」。だがその険悪さも、通り一遍の話しかない。

 心理描写が描かれないということは、彼らは風景でしかないということだ。心理描写がある者たちのそれも、あんがい表面的で、葛藤を感じない。

 もちろん玄鶴は肺結核で亡くなる。火葬場に向かう馬車の一台に、重吉とその従弟が乗る。従弟はリープクネヒトの本を読む。従弟はここだけに登場する。

 短編だから仕方がないかも知れないが、描かれたすべての人間の存在が軽い。

 芥川自身が自覚する生の軽さを描こうとしたのだろうか。

 

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死の臭い

2020-10-10 11:29:29 | 芥川

芥川龍之介全集第八巻を読み進めているが、死の臭いが漂っている。「彼」は友人が亡くなる話し、「彼第二」も同じだ。そして次の「玄鶴山房」、これは読みはじめたばかりであるが、銀行に勤めている重吉が、玄鶴の婿となっているのだが、帰宅するとここ数日、

 門の内へはいるが早いか、忽ち妙な臭気を感じた。それは老人には珍しい肺結核の床に就いている玄鶴の息雪の匂だった。

 こういう話が続くと、全集を読み切ろうという意欲もなくなってくる。この作品は1927年1月である。芥川が自死した年である。

 こうした小説を次々と書いている芥川の心境がいかなるものであるかは、周りにいた者が気付かないわけがないと、私は思う。周りにいる人々は、芥川が自死を選んでも仕方がないと思っていたのだろうか。

 死が近づいてくる頃に書いた作品には、想像力ではなく、自分自身の体験などを書いた私小説風のものが多い。第一巻から読んできて、こんな内容のものも書けるのか、などとその多彩さ、豊かな想像力に感心していたのだが、そうしたものが書けなくなったのだろうか。

 さて「玄鶴山房」の続きを読もう。

 

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「夢」

2020-10-08 07:04:34 | 芥川

 芥川龍之介の「夢」。極めて短い文である。

 芥川は子どもの頃から色彩のある夢を見ているという。私は、振りかえってみても、色彩のある夢は見たことはない。さすがに芥川は天才であると思った。また彼は夢の中で一度、臭気を感じたこともあるという。

 私はあまり夢を見ないほうだが、最近思い出せる夢を見た。

 ひとつは、競争である。私は子どもである、もうひとりの子どもと競争することとなった。私が走り始めたら、もうひとりは水の中を行ったり来たり、もう忘れてしまったが、私は走るのだが、もうひとりは走るのではなく、いろいろなことをしている。私はどうして走らないのかと問うと、もうひとりはいろいろ楽しみながら競争しないとつまらないじゃないかという。

 私は夢の中で「なるほど!」と思い、教えられたと思った。それで目ざめた。この夢を忘れないでおこうと思った。

 もうひとつは、私の廻りには外国人が複数いて、ひとりが「私はアベを評価する」という意見を語った。私はそれに驚き、なぜアベがダメなのかを英語で話そうとして、単語を並べていたら目が覚めた。

 夢を見ても、私はほとんど忘れてしまう。

 芥川は、よく夢をみるようだ。

 

 

 

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第八巻

2020-10-07 17:05:45 | 芥川

 今日は午後2時頃から雨という予報だった。昼食ととってからすぐに畑に行った。昨日起こしたところに畝をつくっていった。里いもを掘った。あんがい出来ていた。ダイコンの種を蒔いた。雨が降り始めたので引き揚げた。

 家に帰り、少し昼寝をした。起きたら、気温がずっと下がっていた。久しぶりに寒さを感じた。羽毛のベストを着て芥川龍之介全集の第八巻の続きを読みはじめた。小説がなく、随筆めいたものが多い。

 私が読んでいる全集は、小説・随筆を年代順に並べてあるものだ。第八巻は、要するに芥川が自死へ向けて書いているような気がしてきた。死にまつわるものが多い。

 「追想」は、子どもの頃の思い出である。そこには死のことは書かれていないが、しかし過去のことを思い出して書きつけるということは、自分の人生を振りかえるということで、未来へ向いた文ではない。過ぎ去った過去との対話である。

 歴史学者の江口圭一さん、『まぐれの日本近現代史研究』を送っていただいた。自叙伝のようなものであった。しかしそのあと程なくして訃報が届いた。この本をまとめられたときは、まさかこの世から去るということは考えていなかったと思うが、このことから私は過去のことはあまり書かないようにしようと思った。

 第八巻を読んでいると、死の影がまとわりつつあるということを感じる。先を閉じようという思考が垣間見える。第八巻はだからなかなか進まない。

 

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点鬼簿

2020-10-07 17:05:45 | 芥川

 「点鬼簿」とは、死者の名を記したノートとでもいおうか。芥川龍之介の「点鬼簿」は、亡くなった身内のことを記したものだ。

 第八巻に入ってから、死とか病気とか、暗い話が多い。こういう話しばかり続くと気が滅入ってくる。

 「点鬼簿」は、狂人となった母のこと、一番上の姉のこと、そして父のことを綴ったものだ。もちろん三人の死にまつわる話である。姉は「初子」といい、芥川が生まれる前に亡くなっているから、芥川にとっては見知らぬ人ではある。しかしあんがい近しい姉でもある。こう書いているからである。

 僕は時々幻のように僕の母とも姉ともつかない40格好の女人が1人、どこかから僕の一生を見守っているように感じている。これは珈琲や煙草に疲れた僕の神経の仕業であろうか?それとも又何かの機会に実在の世界でも面影を見せる超自然の力の仕業であろうか?

 私の父は34歳で亡くなっている。私が2歳の時である。私は父を全く知らない。芥川と同様に、ふと「あっ、父に守られているな」と感ずることがある。

 芥川の父は、新宿で牛乳屋をやっていた。そこには久板卯之助という、大杉とも近い社会主義者が勤めていたことを、「追憶」という文の「久井田卯之助」で知った。これも第八巻所収である。

  いずれにしても、芥川は亡くなった身内のことを、なぜ書こうと思ったのか。

 この「点鬼簿」の前は、「春の夜」。結核を病む姉弟のいるところに派遣された看護婦の話である。これも暗い。

 芥川龍之介の精神が、死へと傾いているような気がする。

 

 

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