フェルメールの「真珠の首飾りの少女」、ものすごく詳細に見つめることができる。
隣家のおばあさん、といっても70代半ばであるが、突然亡くなった。おそらくヒートショックで、家族はそれに気がつかなかった。
とても元気で、ほとんど毎日話をしていた。
私は季節毎に種から花を育てているが、それに関心を持ち、いろいろ批評してくれていた。それ以外にも、いろいろな話をしてきた。ここに引っ越してきてから30年以上だから、そのくらいのつきあいになる。
亡くなる前日も回覧板を渡しながら話をした。そのおばあさんが突然いなくなった。
家族の方々も同じだろうが、こころの準備ができていない。どうもこころが落ち着かない。喪失感がある。
高校生の頃、死についていろいろ考えたことがあるが、その後はほとんど考えることなく生きてきた。
こんどのことから、死はすぐ近くにあったのだということを再認識させられた。死は生の延長線上にあるなんて考えてきたが、その線は突然切断されてしまうものなのだ。
コロナ禍、隣家では葬儀場での通夜のため留守となっている。外には冷たい風が音を立てて吹いている。
新訳である。岩波新書『ジョージ・オーウェル』と一緒に購入。読み終えた。学生時代に読んだはずだが、ほとんど記憶にのこっていない。
時代状況が読みを深くしたり浅くしたりするのだろうか。かくも緊迫感のある展開だとは思わなかった。ひたすら活字を追いながら、ストーリーを追う。読んでいて、最近予告編で見た映画「国葬」、「粛正裁判」を想起した。ソ連の現実が、オーウェルをして『1984年』を書かせたのだろう。
1984年の世界はおそろしいが、しかしオーウェルがかいた世界は仮想のものではないように思える。ひたひたと「全体主義」が忍び寄ってきているようにも思う。また管理社会化はすでに確立しているようにも思える。
「自由は隷従なり」、「隷従は自由なり」・・・隷従の中に自由の存在をみる人は多いのではないか。現職の時、そういう人物を見てきた。
「無知は力なり」は、権力者にとっての正しい思考であろう。知の力をできうるかぎり知らさないようにする、そういう時代がずっと続いているように思う。教育がそれを志向している。
この世界は現実的なのだ。
学生時代にオーウェルの『1984年』、『カタロニア賛歌』を読んだことがある。それ以降もオーウェルについて関心を抱き、岩波文庫の『オーウェル評論集』も読んだ。『評論集』は1983年に読了したというメモがある。
しかしその内容についてはほとんど忘れてしまっているので、こういう時代を生きている中でもう一度しっかりとオーウェルを読もうと思い、この本と、新訳の『1984年』を購入した。
オーウェルの評伝としてのこの本を読んで、オーウェルについてその人生や考え方の変遷を知ることができた。
岩波文庫の『評論集』に掲載されている以外、オーウェルは様々な評論を書いていることを知った。それも読みたいと思うようになった。
本書を読んで、オーウェルの作品がアメリカの「反共プロパガンダ」に利用されていたことを知った。ソ連など、スターリン主義の下、社会主義国と言われていた国々で、人権や民主主義が蹂躙され、虐殺されるということもあった。
ソ連はトロツキーを暗殺したが、オーウェルも自身が暗殺されるのではないかと心配していたという。
オーウェルについて関心を持つ人は本書を読んでから『1984年』などを読んだ方がよいように思った。それぞれの評論もその背景がわかり、理解しやすくなるのではないかと思う。
事務的な連絡について、メールでのやりとりですます、そうなってからかなりの時間が経過している。
私は事務的なことはメールでやりとりするが、それ以外のことについては手紙をつかっていた。しかし手紙でやりとりしていた方も昨年何人かが亡くなられ、手紙を書くことが本当に少なくなった。
最近新たに、資料などを送っていただいた方と何度か手紙の往復をしているが、その方は自筆ではなくワープロで打ったものを送ってこられる。自筆で書かれる方も減っている。
私は手紙用の便せんやルビなしの原稿用紙、切手を準備しているが、それをつかう機会が少なくなっている。
書くということ、自筆で書くこと、そういうことが復権することはないのだろうか。
この「効果」、「能力の低い人ほど自信たっぷり」というものだが、確かにこの指摘は正しいと、経験的に思う。
白川静の名は知っていたし、いつかは読まなければならないと思っていた。そのための入門書としてこの本は購入していた。2008年に出版されたものを昨日読み終えた。
白川静の学問的世界は広くかつ深いもので、よほど時間がないと理解はできないだろうと思ってきた。
表意文字は色々生まれてきたけれど、漢字だけが残っている。日本は漢字だけでなく、ひらがなカタカナを併用しているが、韓国などは最近はほとんどがハングルとなっている。私は中国、韓国、台湾に行ったことがあるが、台湾がもっとも落ち着く。見慣れた(といっても漢字の旧字)漢字を見ることができるからだ。韓国の看板はほとんどハングル、中国は簡体字。
中国は漢字だけだから、外来語を表現することはたいへんだろう。その意味では、ひらがなカタカナを駆使する日本語がもっとも柔軟な言語ではないかと思う。
なぜ表意文字としての漢字が残ったのか。白川はこう説明している。
中国の風土と民族が文化的な敗北をしてこなかったこと、その言葉を表記する方法として代わりのものを用いようとしなかったこと。
確かに中国は文化的な敗北をしてこなかった。近代化が遅れたことはあったが、中国は堂々たる文明を維持してきた。誇り高い民族なのだ。だからこそ漢字を手放さない。
白川は漢字の来歴などを研究するだけではなく、万葉集なども研究している。
柿本人麻呂の「安騎野の冬猟歌」の解釈は、史実ときちんと照合できるもので、感心した。持統天皇は皇位を息子(草壁皇子)にと思っていたが早世してしまい、草壁皇子の子である軽皇子、つまり孫を皇位につかせようとする。それが天孫降臨神話となっているのだが(天孫降臨は持統の私的企みを正当化するためにつくられたものだ)、その動きを柿本が歌い込んでいるというのである。凡庸な解釈ではない。
読んでいて、白川の本来の目的は日本語研究ではないかと思う。日本語をより豊かにするための研究、しかしそれを文科省などが「当用漢字」などとして妨害する。権力がやることはろくでもないことが多い。
時間的余裕が生まれたら、白川静の世界に入り込んでいきたいと思う。本書はそのための手引き書である。
一昨日隣家のおばあちゃんが急死した。いつもとても元気で、ほとんど毎日会話をしていた。今後楽しい会話ができないと思うととても寂しい。
今朝、ものすごく強い雨が降った。この時期にこんな強雨が降るのは珍しいと思いながら、雨音を聞いていた。
この強雨は隣家のおばあちゃんの涙ではないかと思った。自分が亡くなったという自覚はおそらくなかっただろうと思うほどの急死であった。
亡くなって三途の川を渡ろうとするときに、なんで私はこんなところにいるのだろうと近くにいた人(?)に尋ねる。すると、「あなたは亡くなられたのですよ」と言われる。驚いて聞いてまわったら、みずからの死が確かなものだということがわかってくる。
自分自身が死ぬということをまったく準備していないから、もう一度戻りたいと頼んでも、誰も聞いてくれない。
一気に悲しみが押し寄せ、滂沱の涙が流れる。
コロナ禍のもと、そうして旅立っていった人がたくさんいるのだと思う。亡くなっていく本人が、まったくこころの準備もなくあの世へと旅立つ。酷である。
そういう死をできるだけ減らしていくのが、政治ではないかと思う。