浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

2014 年が終わる

2014-12-31 23:51:13 | 日記
 2014年、多くの著名人が亡くなった。そのなかでもっとも印象に残る人が、菅原文太さんだ。菅原さんは、「戦争は絶対やってはいけない」ということばを、あちこちで発していた。

 それだけではない。以下のようなこともしていた。『毎日新聞』の記事。

 菅原さんは、政治や経済、社会や歴史のことに関心を持ち、折に触れて余韻のある言葉を紡いでいた。
 亡くなったのは11月28日。沖縄県知事選挙の応援に行ったのも、11月。最期まで、平和のために、沖縄の自然を守るために、行動していた。

 他者の生き方から学びながら生きるいうとき、菅原文太という人からも学ぶ。

菅原文太さん死去:在日韓国人に「故郷の家」 建設に尽力

毎日新聞 2014年12月02日 08時00分(最終更新 12月02日 08時25分)

 俳優の菅原文太さんが死去した。菅原さんは約30年前、在日韓国人のための老人ホームを大阪に建てる運動に協力した。菅原さんの呼びかけで1億円を超える寄付が集まり、1989年、堺市南区に施設「故郷の家」が建設された。

 きっかけは、施設を運営する社会福祉法人「こころの家族」理事長、尹基(ユンギ)さん(72)の新聞投稿だ。高齢の在日韓国人の孤独死を取り上げて施設の建設を呼びかけると、菅原さんから連絡があった。そして、東京のホテルで会った尹さんに「福祉の事は分からないが、難しいことをやらせてほしい」と募金の呼びかけ人を買って出た。

 この法人の記念誌への寄稿文で菅原さんは、新聞を読んだ妻から「あなたの顔と名前で何か手伝えることがあるならやりなさい」と言われて協力することにしたと明かしている。そして「日本人から寄付しようという申し出がないので非常に残念。募金は小さなともし火からスタートさせて、いずれオリンピックの赤々と燃える火のようなところに持って行ければいいなと期待している」と記した。同じ施設はその後、神戸や京都にもできた。

 菅原さんは86年、尹さんの両親が運営していた韓国の孤児院「共生園」も訪れ、子ども2人の里親となり、入学資金の提供や毎月の仕送りで支援した。尹さんは「文太さんのエネルギーと情熱で多くの人が助けられた。もっと長生きしてほしかった」と突然の悲報に肩を落とした。【山口朋辰】
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沖縄から希望が・・・

2014-12-31 21:40:58 | 政治
 『琉球新報』社説。

<社説>2014年回顧 新たな時代の幕が開いた 犠牲拒む意思を示した年2014年12月31日

 2014年も暮れゆく。さまざまな意味で局面が転換した年だ。沖縄は明らかに新たな舞台へ移った。ことしを漢字で表すなら「幕」の字が真っ先に思い浮かぶ。
 最大の出来事は何といっても「オール沖縄」を標榜(ひょうぼう)する勢力が翁長雄志新知事を誕生させたことだろう。米軍基地の強要は沖縄への構造的差別であり、それを沖縄が一体ではね返すという意思が「オール沖縄」の言葉に込められている。沖縄はもはや犠牲を甘受しないという宣言にも等しい。その意味で、単に県庁のトップが交代したというにとどまらない歴史的意義がそこにある。新たな時代の「幕開け」と言っていい。
 
自決権回復の試み

 そうした政治的意思がことしほど鮮明に表れた年はない。1月の名護市長選は米軍普天間飛行場の辺野古移設阻止を訴えた稲嶺進氏が大差で再選を果たした。11月の知事選に続き、12月の衆院選は「オール沖縄」を掲げる移設反対派が県内4選挙区全てを制した。
 いずれも当選者の中には、かつて保守政治家であったり保守行政の中枢だったりした人物が含まれる。翁長氏の発言がその意味を表している。「イデオロギーよりアイデンティティー」。沖縄内の保革対立という内輪もめをやめ、本土に異議申し立てをするとの意味を持つ。
 これらの意思表示は、沖縄にとり死活的な事柄は、他の誰でもなく沖縄自らが決める、という自己決定権回復の宣言といえよう。
 これは単なる現状変更の要求ではない。琉球王国時代は中国交易の利益を収奪され、太平洋戦争では本土決戦までの時間稼ぎの捨て石となり、サンフランシスコ講和条約締結時には日本独立の引き換え条件とされた。そんな「質草」扱いの史実を踏まえた意思表示だ。だからこれは、不可逆的な、後戻りできない要求なのである。
 だが政府は明らかに軽く見ている。8月には反対の民意を押し切り辺野古の海底を掘削する暴挙に出た。菅義偉官房長官は知事選の結果も意に介さず、「移設を粛々と進める」と言い放つありさまだ。
 仲井真弘多前知事の言動が「沖縄の抵抗は金目当て」という本土側の誤解を増幅させたのだろうが、翁長氏もいずれ移設容認に転ずるとの見方が本土には根強くある。だが前述の通り沖縄の民意は不可逆的だ。
 そしてそれは国際社会から見ても正当な闘いである。1月に海外識者多数が沖縄を支持する声明を出したことがそれを示す。政府には誤算だろうが、稲嶺進氏が述べた通り、「私たちは孤立していない。世界が見ている」のである。
 
朗報相次ぐ

 一方で明るい出来事も続いた。学力テストで県内の小学校が全国総合24位に躍進したことが印象的だ。好成績が定着するか判断するのは早計だが、県内教育界が新たな局面に移行したのは間違いない。中学への波及も期待したい。
 興南高校ハンドボール部の全国3冠達成もまた歴史に残る偉業だ。空手の喜友名諒選手による世界選手権優勝、柔道の七戸龍選手による世界選手権準優勝などの快挙も県民への清涼剤となった。
 南城市のサキタリ洞の発掘は日本の考古学史に新たなページを加えた。慶良間諸島の国立公園指定もまた、沖縄観光を新たな水準に引き上げてくれそうだ。
 教科書無償措置法改正に伴い竹富町教育委員会が単独採択地区となり、八重山教科書問題は幕を閉じた。沖縄の抵抗が政府の横暴を退けた意味でも意義があった。
 経済では沖縄三越の閉館が印象深い。一つの時代が幕を閉じた感を深くする。今後はリウボウ商事が新たな施設として運営するが、国際通りの新時代を切り開く施設となってほしい。
 沖縄の自己決定権回復の歩みはこれからが本番だ。政府は県民に無力感を刷り込もうとしているが、間違いなく理はこちらにある。着実に歩みを重ねたい。
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尖閣領有権問題は「棚上げ」だった!

2014-12-31 21:18:59 | 政治
 尖閣諸島の領有権問題は、「棚上げ」にされていたことは、半ば常識であった。ところが、日中の対立を呼び起こしたい者たちが、そんな事実はないとしてきた。といっても、そう言われはじめたのはそう古いことではなく、アメリカの保守系のシンクタンク(何でアメリカで?)で、尖閣を東京都が購入すると宣言した石原慎太郎という人が煽った頃からだ。

 「棚上げ」論の証拠が出て来た。『東京新聞』の記事(共同配信)


82年 鈴木・サッチャー会談 尖閣「現状維持」日中合意と伝達

2014年12月31日 朝刊

1982年9月20日、首相官邸でサッチャー英首相(左)と会談する鈴木善幸首相

 【ロンドン=共同】一九八二年九月、鈴木善幸首相が来日したサッチャー英首相(いずれも当時)との首脳会談で、沖縄県・尖閣諸島の領有権に関し、日本と中国の間に「現状維持する合意」があると明かしていたことが分かった。英公文書館が両首脳のやりとりを記録した公文書を三十日付で機密解除した。「合意」は外交上の正式なものではないとみられるが、鈴木氏の発言は、日中の専門家らが指摘する「暗黙の了解」の存在を裏付けている。

 日本政府は現在、尖閣諸島問題について「中国側と棚上げ、現状維持で合意した事実はない」と主張、暗黙の了解も否定している。

 首脳会談は八二年九月二十日午前に首相官邸で行われ、サッチャー氏の秘書官らのメモを基に会話録が作られたとみられる。

 鈴木氏は尖閣問題について中国の実力者、小平氏と直接交渉した結果、「日中両国政府は大きな共通利益に基づいて協力すべきで、詳細に関する差異は脇に置くべきだ」との合意に容易に達したと説明。その結果「(尖閣の)問題を明示的に示すことなしに現状を維持することで合意し、問題は事実上、棚上げされた」と述べた。

 鈴木氏は尖閣問題で氏は極めて協力的で「尖閣の将来は未来の世代の決定に委ねることができる」と述べたと紹介。その後、中国は尖閣問題に言及することはなくなったと説明した。

 氏とは七八年八月に園田直外相が北京で会談、鈴木氏も首相就任前の七九年五月に訪中し会談しており、鈴木氏のサッチャー氏への発言はこうした経緯を踏まえたものとみられる。



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炭水化物の摂取は、糖尿病の原因

2014-12-31 16:23:39 | 政治
 ○○さんが糖尿病だという話しを時々聞くことがある。貧しい国に、糖尿病が多いのだそうだ。一般的には、糖尿病はぜいたく病だといわれていると思うのだが、違うようだ。

 http://tanakaryusaku.jp/2014/12/00010515

 上記のニュースによると、炭水化物ばかり食べていると、糖尿病になるそうだ。東の方に住んでいる人に教えてあげなければ・・・・

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「税制大綱決定:潤う大企業・富裕層 庶民に配慮少なく」

2014-12-31 16:16:29 | 政治
 『毎日新聞』記事。

http://mainichi.jp/select/news/20141231k0000m020092000c.html

 こういう政策を推進しても、それでも庶民も自民党や公明党。自分が富裕層だと思っているのかな。
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【本】青木理『抵抗の拠点から』(講談社)

2014-12-30 21:22:59 | 
 副題に「朝日新聞「慰安婦報道」の核心」とあるように、青木氏はこの問題を自分自身がどう考えたかをまず明確にし、その上で当事者となってしまったもと朝日記者の植村隆氏、もと論説主幹若宮啓文氏、前報道局長市川速水氏から「慰安婦報道」がどのような経緯でなされたかなどを明らかにし、そして最後に外岡秀俊氏からも話しを聞いている。
 「慰安婦報道」を考える時、当事者からの話を聞くことはとても大切なことだ。

 植村氏が「慰安婦報道」に関わった経緯はきわめて自然で、攻撃者が勝手な思い込みをもって攻撃した内容とはまったく異なることがよくわかる。

 市川氏は、まさに検証記事を掲載することを判断する立場にあったのだが、氏の思考過程はこれも通常なら問題にはなり得ない、理解できるものではあるが、しかし理性を持たない「敵」の攻撃にまったく無防備であったことを感じる。みずからの良識が、「敵」に理解されるものだという安易な姿勢があったように思う。

 「敵」は、何が何でも『朝日新聞』に対して憎悪をぶつけたい、「慰安婦」は単なる「売春婦」だった(そうだからと言って認められるものだはない!)から問題にはならない、という考えに凝り固まった人びとだから、良識が通じるわけはないのだ。朝日新聞は、「敵」の姿を見誤ったように思われる。

 市川氏は、200ページあたりで、人びとの時代認識の変化を見誤っていたこと、『朝日』攻撃に対して他のメディアがついてこなかったこと(批判にまわっていた)、自らも同じような報道をしているのに平気で『朝日』を攻撃してくることに驚いたと語っている。つまり、『朝日』攻撃をするメディアも、「敵」と同様に、良識をもたないのである。そういう勢力が勢いづいていることを、知らなければならない。

 外岡氏の「8月5日と6日の後、これからずっとすごく長いキャンペーンがはじまるんだろうと、ずっと思っていたのです」(209ページ)は、青木氏も、そしてボクも思っていたことだ。

 市川氏はみずからの時代認識の誤りを認めているが、そういうキャンペーンが用意されていなかったということ、それが「敗北」の原因であるとボクは思う。

 メディア関係者は、この本を読むべきだと思う。

 そういえば、ボクが関係している研究会で「慰安婦」問題を取り上げたが、取材に来ていた記者は紙面に載せることができたのであろうか。

 時代は大きく変化している。ultra-nationalistたちの安倍政権を選び取る国民がたくさんいるのだ。
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年末のテレビ

2014-12-30 20:07:27 | 日記
 夕食のあと、ぼけーっとテレビを少しだけ見ていたが、あらゆるチャンネルが、日本社会には何の矛盾もなく、みな幸せに生きているというような幻想を振りまいているように思えた。

 「現状維持」という「現状」がきちんと知らされていなくて、その「現状」の存立基盤が少しずつ変わってきていることも気付くことがない。社会の変化は、少しずつ、少しずつだし、自らの生活の悪化も「自然現象」とみなされ、人智ではどうしようもないものだと認識される。

 社会を、よりよい方向に持って行こうという少数者の意図は理解されず、少数者は少数者でいるしかないのだろうか。

 来年は未年である。羊は集団で動き回る。どういう方向に動いていくのだろうか。

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新聞の販売部数、減り続ける

2014-12-30 17:42:12 | メディア
 今年10月に、一般社団法人日本ABC協会が発表した5大紙の販売部数(今年10月、朝刊)。

読売新聞 937万1103部(前年同月比-50万3062部/-5.0%)
朝日新聞 702万1480部(同-51万5896部/-6.8%)
毎日新聞 332万8281部(同-5万1263部/-1.5%)
日本経済新聞 273万7373部(同-4742部/-0.2%)
産経新聞 167万1465部(同-1905部/-0.1%)
五大紙計 2412万9702部(同-107万6868部/-4.3%)

 若い人たちは新聞を読まない。そもそも政治社会の出来事にあまり興味を抱いていないからだ。スマホを凝視している若者も、誰かからのメールを見たりしている。
 新聞を読まない理由のひとつは、新聞が高いからだ。学生も若者も、経済的にはあまり豊かではなく、とくに学生はアルバイトで学費や生活費を稼いでいる。時給は1000円以下であるから、3~4時間分のバイト代を新聞代につかおうとは思わないのだろう。
 ボクが学生の頃は、新聞を読むのはあたりまえだった。アパートに入るとすぐに新聞販売店の人が来て、サービス品を持参してきたり、1ヶ月は無料にするからなどといって勧誘に来た。
 また若者は、テレビもあまり見ないという。テレビなんかをもっていると、NHKの受信料を払わなければならない。
 
 新聞もテレビも、この社会に生きていく上で必要なものではなくなっている。新聞を購読し、読むのが当たり前であった人びとがこの後少しずつこの世から去って行く。ということは、新聞社の未来は明るくないということでもある。

 新聞の影響力も弱まっていくのだろう。

 「慰安婦」問題を契機に、『読売』などがえげつない拡販作戦を行っていたが、そういうことも新聞への信用をなくしていくことになっているのだろう。

 新聞の報道が、人びとが生きていく上でどうしても必要なものであるという認識をどう育てていくか。その一つに、ネット情報の危うさを知らせていくことがあるのではないか。
 
 ネットでも新聞社などが提供する情報は、某社のものは除き、一定の歯止めがかかっているが、それ以外の情報は、ネットに載せる前にきちんとした吟味がなされないまま、不特定多数に提供される。しかしそういう情報へのアクセス数が増えて一定の間違った認識へと導いてしまう事態が起きている。
 新聞社は、ネットで流されている情報にもっと関心を持ち、それらについて批判的な情報を書いていくべきではないか。『中日新聞』には週一回、ネットで流されていることについての論評記事が載せられるが、もっともっとそれを強化すべきではないだろうか。

 新聞への回帰、新聞を読むことが生きていく上で必要だという「時流」をどうつくりだしていくか。

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抵抗

2014-12-29 14:02:25 | 日記
 こういう抵抗がある。

 安倍首相は12月28日夜、サザンオールスターズのコンサートを夫人とともに鑑賞。「爆笑アイランド」という曲で、ボーカルの桑田佳祐さんが「衆院解散なんてむちゃをいう」と歌詞にはない一節をアドリブを歌ったという。なるほど桑田佳祐はなかなかの抵抗をする。

グレーのタートルネックに薄い青色のジャケット姿の首相は、くつろいだ様子でコンサートを楽しんだ。「爆笑アイランド」という曲で、ボーカルの桑田佳祐さんが「衆院解散なんてむちゃを言う」と、歌詞にはない一節を歌う場面もあった。首相は曲に合わせて手を振ったり、身を乗り出して拍手を送ったりするなど満足げだった。
http://www.sankei.com/politics/news/141228/plt1412280017-n1.html

 次は『朝日』の記事。
 亡くなった菅原文太さんは仙台一高出身。憲法学者の樋口陽一さんや故井上ひさしさんと同窓である。その関係で昔からのつきあいがあったそうだ。

 “仙台一高出身の樋口陽一氏「文太さん、ひさし君、また」”という記事(2014年12月28日付)である。

 そこにこういう記述があった。

 戦後仙台一高の二枚看板、菅原文太と井上ひさしを主役にして私が仕掛けた鼎談(「法学セミナー」89年5、7月号)がある。――「周囲の様子をうかがいながら、だいたい定まってきてからものを言い出す(笑)。なにがこわいのかね」「刃をつねに自らにも他人にも突きつけていかないと、人間はやはりダメだ……」。そう言う文太さんは最後の最後まで言行を一致させていた。

 うーむ、深くて、いい言葉だ。

 「周囲の様子をうかがいながら、だいたい定まってきてからものを言い出す(笑)。なにがこわいのかね」「刃をつねに自らにも他人にも突きつけていかないと、人間はやはりダメだ……」

 
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武器輸出へ産業界と官界が手を取り合って

2014-12-28 09:45:10 | 政治
 まず今日の『中日新聞』記事。これは日本の戦後史にとって見逃せないことである。日本の「平和主義」は、足下から崩されてきている。

武器輸出へ産官蜜月 資金援助を検討、支援法人新設も
2014/12/28 紙面から

 武器輸出を原則認める防衛装備移転三原則を閣議決定した安倍政権が、武器輸出促進に向けた議論を進めている。「日本の安全保障のために」として、防衛省では日本企業向けの資金援助制度や相手国への訓練、整備支援制度の創設などを検討。官民一体となって推し進めようとしているが、「日本は戦争を必要とする国になる」との懸念も出ている。

■協力

 「日本の武器が海外で求められている」「国が主体的に関与できる制度が必要だ」。衆院選の余韻が残る十八日。防衛省で始まった武器輸出支援策を議論する検討会では、参加した有識者から、防衛産業の海外展開を支援する体制整備を求める声が相次いだ。

 世界第二の経済大国となった中国が軍事的にも台頭し、南シナ海ではベトナムやフィリピンと領有権を争うなど、周辺国との摩擦も激しくなっている。

 防衛省ではこうした状況を念頭に「武器輸出によって相手国との軍事上の協力関係も強化される。最終的には、日本の安全保障に役立つ」と強調する。

 検討会で、防衛省は東南アジア諸国連合(ASEAN)などへの国際協力などを課題として挙げたが、官の積極関与には検討会メンバーからも「日本が国家としてのリスクを背負うことにならないのか」といった意見があった。

■後押し

 武器輸出支援策の一つとして検討されているのが、企業向けの資金援助だ。国が新たに設立した特殊法人や官民ファンドを通して、武器輸出する大企業に巨額の資金を低利で融資したり、補助金を出すことなどを検討している。こうした支援によって「大企業が武器輸出に積極的になるようにしたい」と防衛省。

 しかし、企業の動きは既に積極的だ。六月にパリで開催された武器の国際展示会には、多くの日本企業が初参加。最大手の三菱重工業は、国際価格の三~八倍とされる武器の価格を引き下げるため、戦闘車両の車体を共通化しようとするなど低コスト化に向けた取り組みを始めている。

 一方、支援に向けて特殊法人などを新設することについて、特殊法人問題の専門家からは「官僚の新たな出向先や天下り先をつくることにもなりかねない。支援は輸出企業だけの利益になるのか、それとも本当に国民のためになるのか、チェックが必要だ」といった指摘も出ている。

■加速

 武器輸出を原則認めるという安保政策の大転換をした日本。今後、武器輸出を国が支援する制度を整えていくと、日本はどうなっていくのか。

 検討会のメンバーでもある拓殖大の佐藤丙午(へいご)教授は「サイバー(電脳)やロボットなどの分野で防衛技術の発展が期待される。これらは、民生技術への転用も期待できる」と指摘。武器輸出が日本の産業界に新たな技術革新をもたらし、さらなる経済発展が期待できるとする。

 一方、元経済産業官僚の古賀茂明氏は「防衛産業への経済的支援によって官民一体となった産軍複合体の流れは一気に加速する」と語る。「このままでは米国のように防衛産業が重要な経済の柱となり、日本が戦争をしなければ生きていけない国になってしまいかねない」としている。

(東京経済部・望月衣塑子)


 さらに『日刊ゲンダイ』の記事。

武器輸出に支援金…安倍政権が「戦争できる日本」へ本格始動

2014年12月18日

 安倍政権が日本の“軍国主義化”に向かって動き出した。海外に武器を輸出する日本企業に支援金制度を創設するのだ。防衛省は18日にも有識者による検討会を立ち上げ、今後は財政投融資などを活用した資金援助制度を創設。武器輸出企業に長期で低利融資するという。

 さらに経産省と連携し、防衛産業振興のための補助金制度の創設なども検討する。武器を輸出するだけでなく、整備や補修、訓練支援なども含めたパッケージとして販売するというから、日本は本格的な武器輸出国家に変貌するわけだ。

 いまに始まった話ではない。4月1日、政府は武器輸出三原則に代わる「防衛装備移転三原則」を閣議決定した。武器輸出の原則禁止から“輸出できる国”に方向転換を決めたのだ。

「日本の武器技術は世界のトップクラスです。とくにセンサーやロボット、誘導ミサイル装置、戦車のエンジン、リチウムイオン電池は注目の的。インドは海自の救難飛行艇を2、3機欲しがっているし、オーストラリアはそうりゅう型潜水艦を12隻発注したいと打診しています。潜水艦は1隻800億~900億円だから、1兆円を超える取引。これまで三菱重工や川崎重工など兵器を手がける企業は政府が本気なのか疑心暗鬼でしたが、安倍首相は堂々とお墨付きを与えたことになります」(軍事評論家の神浦元彰氏)
衆院選の期間中は武器輸出の「ぶ」の字も言わず、大勝ちした途端に「武器を売れ」と号令するとは、いかにも安倍首相らしい姑息なやり方ではないか。

「日本は『死の商人』になってしまいます」と危惧するのは埼玉大名誉教授の鎌倉孝夫氏だ。

「アベノミクスの成長戦略には兵器の輸出がしっかり組み込まれているのです。今後は途上国へのODAも自衛隊が使うことになるでしょう。国民の税金で殺人兵器の開発を活発化させても国民の生活にプラスにならない。それどころか財政をさらに逼迫させます。忘れてならないのは兵器を売ることで日本が世界に戦争の火だねをばらまいてしまうこと。ところが三菱重工などの労組は武器輸出に反対するどころか、会社に協力しているありさまです。このままでは安倍首相によって、日本は戦前のような、戦争ができる国に作り変えられてしまいます」

 米国やイスラエルに武器を売れば、日本は彼らと敵対する国の敵となり、テロの標的にされかねない。安倍自民党のバカ勝ちで国民は怯えながら暮らすことになる。

 <財政投融資> 国が財政政策の一環として行う投資や融資で、「第2の予算」ともいわれる。国債の一種である財投債を国が発行して特殊法人など財投機関に資金配分したり、財投機関が自ら財投機関債を発行し資金を調達、政策を実行する。かつては郵便貯金などの資金を旧大蔵省が運用、配分していたが、2001年の財投改革で廃止された。
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富裕者への援助

2014-12-28 09:22:21 | 政治
 『中日新聞』記事。

 住宅資金として、子どもや孫にこのような多額のお金をあげる家庭はどのくらいあるのだろうか。富裕者が自らの財産を子孫に引き継がせる方式であるともいえよう。

住宅資金贈与非課税3000万円 政府・与党方針

 政府・与党は二十七日、祖父母や親から住宅購入資金をもらった際にかかる贈与税の非課税枠を、現在の一千万円から最大三千万円に拡大する方針を固めた。非課税枠は過去最大規模となる。消費税率を10%に引き上げる予定の二〇一七年四月をにらみ、若い世代に資金を移す制度を拡充し、住宅市場の活性化を図りたい考えだ。

 具体的には、省エネ住宅購入の場合に一千万円まで認められる非課税枠の制度(今年末が期限)を延期・拡充。一五年は非課税枠を千五百万円に引き上げ、市場の落ち込みを下支えする。

 消費税再増税の駆け込み需要が見込まれる一六年一~九月は、いったん千二百万円に下げて駆け込みを緩和。次いで一六年十月から一年間は、過去最大の三千万円に拡大して住宅購入を促す。一八年以降は段階的に縮小する方針だ。三十日にまとめる一五年度税制改正大綱に盛り込む。



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菅原文太

2014-12-27 23:14:38 | 社会
 菅原文太は、11月28日に亡くなったが、その直前、彼は沖縄県知事選挙の翁長候補を応援するために、人びとの前に立った。そして力強いことばを送っていた。

 政治の役割はふたつあります。一つは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!

沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も空気も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。辺野古もしかり。
勝手に他国へ売り飛ばさないでくれ。
まあそうは言っても、アメリカにも、良心厚い人々はいます。
中国にもいる。韓国にもいる。
その良心ある人々は、国が違えど同じ人間だ。
みな、手を結び合おうよ。


 よいことばだ。

 昨日、図書館から『ほとんど人力』(小学館)という本を借り、今日読み終えた。俳人の金子兜太、憲法学者の樋口陽一ら、いろいろな分野の人と彼との対談をまとめたものだ。それを読んで、彼が政治や経済、歴史など、多方面に深い知識を持っていることがよくわかった。同時に、とても人間的な優しい人物であることもわかった。

 彼の発することばには力がこもり、あたかも詩のように、行間に深い余韻を感じる。惜しい人が亡くなった。

 金子との対談で、彼はこう語っている。

  70年近く経ち、そうした感覚(絶対に戦争はいかん-引用者注)が鈍麻していって、戦争を知らないバカどもが「軍備をびっちり整えなきゃダメだ」とか言いはじめている。そういう国情って、まったく危ういですよね。それを防ぐためにはやっぱり、筋金入りの反戦家が増えてこないといけないし、それが大きな力になると思うんです。 

 彼が亡くなったとき、奥さまがコメントを出された。

 「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。

 菅原文太が蒔いていった「小さな種」を生長させ、花を咲かせ、そしてその種を増やしていくためには、私たちも「筋金入りの反戦家」にならなければいけないのであろう。単なる「反戦家」ではなく、「筋金入り」でないといけない。そういう歴史的状況に、私たちはいる。

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自民党議員という人たち

2014-12-27 22:20:52 | 政治
 『毎日新聞』記事。


山田美樹氏:運動員人身事故、近くで演説 秘書が身分隠す

毎日新聞 2014年12月27日 15時00分(最終更新 12月27日 18時28分)

 ◇被害男性、一時意識不明 秘書「月曜まで待って」

 衆院選公示期間中の12日、東京1区の自民党、山田美樹氏(40)の運動員が選挙区内で人身事故を起こし、被害者が救急搬送される近くで山田氏ら陣営が街頭演説を行っていたことが毎日新聞の取材で分かった。翌日に被害者の入院先を訪ねてきた秘書が、応対した親族に「(投開票後の)月曜まで待ってくれ」などと言って身分を明かさなかったことも判明。被害者側は「非常識だ」と批判しており、山田氏の事務所は取材に対し、山田氏本人に事故をすぐ報告すべきだったなどと釈明している。

 警視庁神田署などによると、事故は12日午後1時半ごろ、東京都千代田区神田神保町2の神保町交差点そばで発生。道路左側に止めた車の右後部ドアを運動員の30代男性が開けたところ、後ろから来た都内の印刷関連会社に勤務する60代男性のバイクと接触した。男性は転倒して一時意識不明となり、搬送先で外傷性くも膜下出血と診断されて2週間以上入院した。半年間の通院が必要で運転もできない状態だという。
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「拉致事件としての「慰安婦」問題」

2014-12-26 21:39:55 | 近現代史
 今日、頼んでいた『季刊戦争責任研究』第83号が届いた。町田の住人から上杉聡「拉致事件としての「慰安婦」問題」という論文がよい、という連絡を受けたからだ。

 今回の『朝日新聞』の「慰安婦」訂正記事に、上杉氏は協力を求められたという。その経過と訂正記事をもとにして、「「強制連行」問題から撤退した朝日新聞」という副題を、この論文につけている。

 そしてこう記す。

 朝日の誤算の原因は、「右派の批判・攻撃におびえ」「自分一人のことしか考えず」「大きく後退した」ことに加え、「慰安婦」問題全体の利害を考えることなく、無原則な後退を重ねたことに原因がある。

 『朝日新聞』の記者は、訂正記事のあとで吹き荒れた朝日バッシングにひるんではいない、という。ボクはそれを信じたいが、しかし8月の訂正記事で、「慰安婦」問題を「大きく後退」させたことは事実である。もし「後退」させていないというなら、このブログで何度も書いてきたが、あの8月の記事のすぐあとから、「慰安婦」問題をとりあげた連載記事で、もっと詳しくキャンペーンを張るくらいのことをすべきであったのだ。

 上杉氏は、こうも記している。

 右派と論争してきた私の経験からすると、彼らは、相手が後を見せたと見るや、必ず執拗に追い回す。おびえている相手ならば、さらにたたみかけるように攻撃し、恐怖感を刻み込もうとする。そうすれば「二度とかかってこない」と考えている。周囲に対してそれは「みせしめ」でもある。そして、一つの「誤り」を認めれば、次は「全てが誤り」へと拡大させる。

 『朝日』の記者は、この上杉論文を読むべきである。

 以前にも書いたが、ボクも吉田清治の本は二冊とももっていた。しかし、すでに吉田証言の信用性が疑われていたので、廃棄処分にした。それはおそらく1990年代半ばではなかったかと思う。それなのに、突然『朝日』は、訂正記事で吉田証言を「否定」した。『朝日』が吉田証言をよみがえらせたのではないかと思ったほどだ。

 今日、青木理の『抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦」報道の核心』を注文した。明日には届くだろう。この「慰安婦」問題は、近現代史の研究をする者にとって、避けていてはいけない問題となっている。

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【本】田中延雄『旗と花と歌ごえとー福島義一とその周辺』(私家版)

2014-12-26 20:33:09 | 近現代史
 1980年に刊行された本。副題に「語りつぐ岳南労農運動史」とあるように、静岡県の富士・沼津周辺の労働運動や農民運動に献身的に関わった福島義一という人物を中心にその歴史が描かれている。おそらくあまり資料がなかったのだろう、福島義一についての記述はそんなに多くはない。

 福島義一は、いわゆる活動家である。活動家には、二種類の人間がなる。福島義一のように、人間的な怒りをバネにして、名声やカネを求めることもせず運動に献身する人、まさに「世のため、人のため」に生きる人と、運動の中で頭角を現そうと、抜け駆けや他者(仲間・同志でもある)の排斥をして運動の指導部にのし上がっていく人、この二種類がある。得てして、前者の人は善良であるが故に、自らの生きる軌跡を残すために運動をするわけではないので、あまり痕跡を残さない。だからそういう人に関する人物史を描こうとするとたいへんなのである。
 著者の田中氏も、おそらく苦労したのだろう。

 ただ、福島義一の奥さま、鈴子氏(活動家としての義一氏をこれもまた献身的に支えられたという)はじめ、周辺にいた人びとからもっといろいろ話しを聞いて、その語りを参考にしながら書かれればもっとよかったのではないかと思った。

 安倍首相が理想と仰ぐ大日本帝国憲法下の時代は、虐げられた人びとが生きるための叫び声を上げる度に官憲を派遣して、そういう人びとを暴力的に抑圧し、ひどい場合は虐殺・暗殺し、そうした動きを封じ込めてきた。しかし、人間的な怒りをもった福島義一やその仲間たちは、社会正義を実現すべく、官憲に捕まっても、暴力的な抑圧を何度受けても不死鳥のようによみがえって、闘い続けた。

 そういう無数の不屈の闘いがあって、現在がある。

 静岡県でも、1970年代末から80年代にかけてそうした人びとや彼らが関わった運動についての研究が幅広く行われたことがある。しかし今、そうした研究はあまり関心を集めない。もう一度、そうした運動の歴史を再発掘すべきではないかと思うようになってきた。

 実は若い頃、ボクもそうした研究成果を集めたことがある。それらの本は書庫に眠っている。本書も、刊行と同時に購入したのだが、読まずに眠っていた。

 最近富士地域でおきた反公害闘争の歴史について調べるなかで、なぜ富士市とその周辺でそうした反公害闘争が盛んであったのかを考えた。そうしたとき、戦前期における農民運動などの社会運動の歴史があることに気づいた。歴史は続いているのだし、そうした伝統は消されることなく語り続けられるのだ。富士市が毎年『富士市の環境』という報告書を出しているのも、そうした永年にわたる運動の成果ともいえよう。
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