浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

柔道人口の半減

2024-07-31 09:30:52 | 社会

 クーリエが、「仏紙が報じる「激減した柔道の競技人口をアニメで回復したい日本」」という記事を流している。

 そうだろうと思う。柔道の指導者には、ヒドイ人が多かった。

 高校の部活動には、生徒会費、PTA会費、後援会費からカネが配分される。しかしそれでは不足するのか、部員から部費としてカネを集める。野球やサッカー、剣道など、運動系の部活はほとんど集めている。その集めた部費の使途については不明瞭で、不正が明らかになる例がでてきた。そこで、県教委では、部費の管理は部員の保護者がおこなうように指示がだされた。そうであっても、どうつかうかは、顧問の裁量である。

 子どもが柔道部に属している生徒の保護者から、部費がどうつかわれているのか、一度も会計報告がないという相談を受けたことがなんどかあった。

 ある柔道部の顧問(体育科)は、昼間、学校を留守にする(年次有給休暇もとらないで)。体育の授業があっても帰ってこない。すると、柔道部の生徒が、先生の代わりをつとめる。

 その顧問の趣味は狩猟である。狩猟に行くときには、部員が駆り出される。猟犬の代わりを務めるのだ。顧問が撃つ、その獲物を捕りに行くのは部員である。

 多くの柔道部の顧問を、見てきたが、ヒドイ人が多かった。柔道人口が減るのは、だから当然だと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨が降らない!!

2024-07-30 20:10:37 | 日記

 東北地方は大雨で洪水が起こり、たいへんな災害になっている。関東地方では雷雲が発生し、短時間に雨が降る。

 しかし浜松地方は、雨が降らない。ひたすら太陽が照り続け、気温を上げ続けている。一日中、猛暑が続く。エアコンなしには、何もできない。眠ることすらできない。気候変動は、ここまできているのかと、思わざるを得ない。

 昨日、デモクラシータイムスをユーチューブでみていたら、テレビでは猛暑のこと、花火大会、猛暑の中で売れているものはかき氷だなどと、現象だけは追うが、猛暑の原因、気候変動については報じない。テレビから流れてくるのは、報じても報じなくてもいいようなどうでもよいようなことばかりで、おもしろおかしく報じるばかりである。

 テレビは愚民をつくるというが、その通りだ。

 さて、こう晴天が続くと、畑もカラカラである。キュウリやなす、エダマメ、にんじん、オクラなどをつくっているが、夕方、今では6時頃になっている(それ以前には、畑には行けない!)が、畑に水遣りに行く。近くの農業用水からバケツで水を汲み、水をまく。水を遣らないと、生長しないし、実もできない。

 行く度に目についたところの雑草をとる。スコップで除草するところを掘り、そのあと草を抜く、その際、畑の土は乾ききっているので、風があれば土が飛ぶ。

 また庭の花々も疲弊している。朝夕、水遣りをしているが、花があまり咲かない。高温と日照りで、花々もぐったりしている。

 年々高温化が進んでいる。夏の農作業は、一昨年までは午後4時過ぎにはできていたが、昨年夏はまったく無理になった。5時頃行っても、せいぜい15分程度の作業しかできなかった。今年はやむなく、最近は6時頃から始めるようになったが、1時間はできなくなっている。

 農作物を栽培している畑には、夏草が伸びている。世話ができなくなっているのだ。

 こういう事態が進行しているのに、政治はそれには見向きもしない。政治家はせっせとカネ集めに奔走し、官僚はマイナ保険証など無理難題を庶民に押しつける。利権確保のためである。世界の指導者は、気候変動には目もくれず、兵器や弾薬を増産して戦闘が行われているところに売ってカネ儲けに励む。

 人類は、破滅に向かっているとしか思えない惨状である。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

政治家の質

2024-07-30 13:00:13 | 政治

 国レベルでも、地方レベルでも、政治家の質がかなり下がっている。

 まず石川県の馳知事。「「県民はゴミじゃない」石川県・馳知事「低所得者が避難所に滞留」配慮ない発言に「恥知事」集まる批判」の記事。

 能登半島地震が起きてから、この知事に対する批判が続いているが、石川県民は、そういう人を知事に選んだということでもある。

 また自民党の広瀬めぐみ議員。自民党とカネは、永遠に続く。

 そして北海道の議員。 さらに、兵庫県知事

 

 みんなみんな自分自身を特別な人間だと思い込み、奢りの塊となって政治活動というか私欲を満足させる行動をとっている。

 選挙民は、もっともっと賢くならなければいけないと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

金原(明善)家異聞

2024-07-30 08:55:08 | 近現代史

はじめに

 金原明善(1832~1923)についての研究会に参加した。そのレジメで、「「偉人」金原明善を捉え直す必要がある」と記しながら、例会では「偉人」ということばが何度も使用されていた。また「いま、金原明善に熱い視線が注がれている」とあるが、さてどこで注目されているのだろうか。

金原明善と地元

 私の実家は浜松市中野町にある。昔からの地名で言うと、萱場村である。
 萱場村は安間村の東隣に位置する。実家から明善生家は 100 メートルほどだ。安間村から天竜川堤防に行くには、萱場村と中ノ町村を通って行かなければならない。天竜川に接するこの地域(中野町)では、明善に対する評価は高くはない。
 明善家の本家は、萱場村にある。村は異なっていても、両家は隣り合っている。本家の金原家は、JR 天竜川駅ちかくにある日蓮宗の名刹妙恩寺(建立は 1311 年とされる)と深い関係にある。妙恩寺における地位は、金原本家が上にくる。そうであっても、長い間、明善家の方が経済的に豊かであった。言い伝えでは、明善家は高利貸により財産を殖やしてきた、明善自身も、生家の前で、東海道を浜松方面に行く者にカネを貸し、たくさんの利息をとったということも聞いている。明善は「高利貸しだった」という記憶が、地元では強い。こういう記憶が残されているということは、明善の治水事業は、地元の支持の下になされたものではないということを表しているのだろう。
 この問題については、斎藤新さんが『近代静岡の先駆者』(静岡新聞社)の「金原明善」の項目で、「・・明善が、「愛国」に熱中するあまり、地域社会との間の信頼関係を培うことができず、そのために有志による天竜川改修事業という彼の構想が頓挫した」と指摘していたこととつながっていく。またみずからの全財産を捧げて改修事業に取り組もうとしたという言説であるが、明善家の家産は治河協力社解散時に返還されている(斎藤さんはこの治河協力社についても、その私的性格を指摘している。重要な指摘である)。また『明治前期地方政治史研究』下(原口清、塙書房)にも、明善と地域社会との対立についての言及がある(283~5 頁)。なお同書には、明治 14 年から 16 年までの静岡県の四大河川の堤防費国庫補助金下付請願運動(国庫補助金は明治 14 年に打ち切られた)の説明があり、その請願運動に対し明善は、「頓着なし」、「評議には」関与していないという報道が紹介されている(289 頁)。
 明善を「偉人」とする言説が、今も尚、浜松市内の学校で教えられている。「偉人」とは「すぐれて立派な人。すぐれた能力、性格などを備え、偉大な業績をなし遂げた人。」(『日本国語大辞典』)と定義されている。
いったい、明善はいつ頃、どのような経緯から「偉人」とされるようになったのか。私は、天竜運輸、天龍木材など地域に於いて様々な事業を展開した明善を、「偉人」とするよりも、実業家として顕彰すべきではないかと思う。

金原醇一と明治社会主義

 金原本家には、明治社会主義と深い関係をもった金原醇一がでている。金原醇一(1886 ~ 1969)は、浜名郡中ノ町村萱場に生まれた。いつの頃からか社会主義に関心を抱き、大逆事件の際には警察の取り調べを受けた。
 金原醇一(以後醇一とする)を最初に紹介したのは杉山金夫で、本稿は、杉山の調査を土台に、新たに私が調べたものを付け加えて記すものである。
 醇一は、中ノ町村長などを歴任した金原鉄平の次男として生まれ、日露戦争に志願兵として参戦した。醇一がどのような経緯で社会主義に近づいたのかはわからないが、1907年 九段坂下ユニバーサリスト教会での社会主義夏期講習会(8 月 1 日~ 10 日)に参加し、幸徳秋水、堺利彦、また地方の社会主義者とも交流し、とりわけ信州の新村忠雄と懇意となった。

※この講習会の内容は以下の通り(『週刊社会新聞』第 10 号、第 11 号、1907 年 8 月
4 日、11 日による)。
田添鉄次 社会主義史(5 時間)/幸徳秋水 道徳論(4 時間)/堺利彦 社会の起源(5時間)/山川均 社会主義の経済論(5 時間)/片山潜 労働組合(5 時間)/西川光次郎 同盟罷工の話(4 時間)、会費 80 銭、臨時一回聴講券 10 銭で、講習会の出席者は、毎夜 80 余名。懇親会は 8 月 6 日 11 時から、角筈十二社で開催され、来会者 40 余名、片山、田添、森近、幸徳の演説、福田英子の二弦琴演奏。その後十二社杉林の中で写真撮影が行われ、5 時頃散会した(その写真は、『幸徳秋水全集補巻 大逆事件アルバム』にあり、新村、醇一の姿もある。なお辻潤も参加していた)。


金原醇一の足跡

 杉山は、大逆事件で処刑された新村忠雄(金原宅へ宿泊もしている)、森町三倉の中川栄太郎、池田村の杉村光市との交流を記しているが、処刑された新宮のドクター大石誠之助の「住所氏名録」にも醇一の名は記されている(大石のそれには、静岡県内の 23 名の氏名が記されているー後掲)ので、醇一は各地の社会主義者等と幅広く交流していたことがうかがえる。
 醇一はその後、『社会新聞』、『熊本評論』にも原稿を送っている。『社会新聞』については杉山が紹介しているので、『熊本評論』をここに掲げる。


※☆遠州だより(『熊本評論』24 号、1908 年 6 月 5 日)
勇敢なる未見の同志熊本評論社諸兄足下、僕此度当地の同志杉村氏と倶に、遠陽同志同盟の組織中に有之候/今や東西の同志諸兄、猛闘奮迅頻りなる時、独り我遠陽の地は寥淋閉塞の状態に空過する久候、亦以て僕等冷顔坐視に不忍、僭越を冒して、遠陽同志諸兄に此の結盟の義を諮り、聊か以て此の大主義大理想に盡さんと致すものに候、敬曰(5 月 20 日 浜名郡中野町に於て)

☆『熊本評論』25 号(1908 年 6 月 20 日)
熊本評論社諸兄足下、吾が微弱なる遠陽同志同盟も漸次其の議論趨向を宣言して広く労働者、青年の糾合に努め隠密の間大動力の養成に勉め、以て機を窺、変に乗じて大いに事を為さん宿志に候。/諸兄足下、今の世革命を叫んで天下に咆哮せんとす、必ず先づ労働者伝導の緊急なるは言を俟たずと雖ども、亦須らく青年に融通せずんば在るべからず候。/夫れ青年は高潔熱誠也、真摯敢為也、則ち是れ吾人が旧守頑迷なる白髪の老年に説くを欲せずして、只管青年伝導を口にする所以にて候。

 また醇一は、新村忠雄が編集発行人であった高原文学会の会員となり、同会発行の『高原文学』」(第一巻第四号、1908 年 10 月、長野市で発行)にも「本能論」という文を載せている。
醇一が具体的にどのような活動をしたのかはよくわからないが、書簡や投稿などによれば、杉村と社会主義者の組織として「遠陽同志同盟」(遠陽同志会という異なる名称もある)を結成しようとしていたことは判明する。

大逆事件とその後

 大逆事件とは、1910 年 5 月各地で多数の社会主義者,無政府主義者が明治天皇暗殺を計画したとの理由で検挙され,翌年 1 月 26 名の被告が死刑その他の刑に処せられた事件であるが、醇一も拘束され、取り調べを受けた。杉山の調査によれば、親族らが大審院宛ての嘆願書を提出したり八方手を尽くしたという(明善がそのために動いたという事実は確認されていない)。その後、掛塚の中村喜三郎方に謹慎していた。
 醇一は、のちに平野紙店の婿養子となり、実業家への途を歩むことになる。醇一は紙店だけでなく、妻の父の山林経営にも関わっていく。その傍ら美術分野にも進出し、渡辺崋山等の文人画などを収集する一方、醇一は自適斉素芸(そうん)と称し、みずから南画も描いていた。
 平野家は、その後丸八製材所を経営し、さらに不動産業(丸八不動産)にも進出していった。醇一をはじめとした平野家は、多くの美術品を収集し、それらを展示する美術館として、1989 年平野美術館を開設した。それらの事業は継続され、現在に至っている。


おわりに

 「金原家異聞」として、明善と醇一を紹介した。明善も醇一も実業家として生きたといってよいだろう。明善は「偉人」とされたことから、学校教育でも取り上げられ、明善生家を訪問する者も多い。また膨大な史料が一橋大学に寄贈されたことにより、研究者にも注目されている。
 醇一は、社会主義に目覚め、また大逆事件の荒波に呑み込まれそうになったあと、実業家として生きた。醇一が収集した美術品は、今も平野美術館で展示されている。しかし残念ながら、醇一に関する史料は多くはない。
 私としては、明善よりも醇一に関心を持つ。何故に醇一は、社会主義に傾倒したのか。その交友関係はどうであったのか・・・・。明治の時代にあって、社会主義者は少数者であった。そうした少数者に着目することが、歴史研究の醍醐味だと思う。

※大石誠之助「住所氏名録」 (注)□は解読不能のため
磐田郡長野村前野 和泉幸市郞/沼津通横町 (死亡) 中村岩次郎/遠州掛川町□町 120川島 武/浜名郡中の町村かやば 金原醇一/磐田郡池田村池田 杉村光市/榛原郡萩間村白井 中田新平/安倍郡長田村手越 44 近藤恵寿子/静岡市北安東 27(京都へ) 延原天民/静岡市梅屋町 石井浜吉/浜松利町 413 ノ□ 谷 忠行/静岡市両替町 3 丁目 栗生末治/引佐郡麁玉村 伊藤□泉/遠江榛原郡御前崎灯台 小林栄造/沼津町城内 130 山本/安倍郡長田村赤目川 鈴木辰五郎/静岡市本通り1 長谷川吉蔵/静岡市一番町 12 □井準治/磐田郡佐久間村中部 斎藤白露/周智郡三倉村一之瀬 中川栄太郎/榛原郡御前崎村御前崎灯台 杉(?)生繁卓/小笠郡掛川町掛川 内藤長之助/磐田郡二俣村川口 和田のぶ子/田方郡田中村 中島省一

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「虎に翼」を特集しても・・・・

2024-07-29 14:29:14 | メディア

 最新の『週刊金曜日』の特集は、「虎に翼」。この番組は、高評価されているようだ。しかしテレビを見ないわが家としては、いくら高評価だとしても、まったく見ていないから何ともいいようがない。

 NHKには良心的な人がいて、こういう番組もつくるのだろうが、わたしとしては、NHKに対して強烈な不信感を持っているので、良い番組があってもみることはしない。NHKの権力べったり報道を許さないという立場からすれば、受信料を払わない、そのためにはテレビをみないという姿勢を堅持することがあるべき姿であると思っているからである。

 さて、『東京新聞』が、「虎に翼」に関する記事を「こちら特報部」で掲載している。「朝ドラ「虎に翼」の三淵嘉子さんと共に「原爆裁判」を担当した元裁判官、いま振り返る判決の意味」という記事である。

 わたしは、まことに恥ずかしいことに、「米国の原爆投下を「国際法違反」と断じた「原爆裁判」」(1963年)があったことさえ知らなかった。その判決に、当時裁判官であった「虎に翼」の三淵嘉子さんが関わっていたという。

 「広島、長崎両市に対する原子爆弾による爆撃は、無防守都市に対する無差別爆撃として、当時の国際法からみて違法な戦闘行為。原子爆弾のもたらす苦痛は、毒、毒ガス以上で、不必要な苦痛を与えてはならないという戦争法の基本原則に違反している」という判決だとのこと。その通りである。明らかに非戦闘員を大量に殺戮する兵器を、アメリカは使用したのである。

 その裁判の被告は、日本政府であった。驚いたことに、日本政府はアメリカが常に主張することを、まさにオウム返しに主張したという。

被告の日本政府は、国際法違反には当たらないと反論。国家間の戦争は、いずれの国内法でも国家の責任を問うことはできず、被爆者個人は国際法上の請求権を持たないとした。審理の中で「原子爆弾の使用は日本の屈服を早め、戦争継続による双方の人命殺傷を防止した」とも主張した。

 何とまあ、日本政府の原爆に対する見解とアメリカ政府との見解が同一だというのである。

 日本「臣民」に「敵国撃滅」、「鬼畜米英」などと叫んで「臣民」を戦争に駆り立てた日本政府が、戦争が終わってみれば、アメリカと同じことをいう。

 時々に豹変する政府の主張、いかにその主張がいい加減であるか、みずからの主張に責任をもたないか、日本国民はしっかりと歴史の中から、日本政府の本質を見抜くべきである。

 今、台湾をめぐって、アメリカの戦争政策にのって中国との戦争を想定しているようだが、日本政府の口車にのってはいけない。日本政府は、一貫して責任を負わない。平気で、日本国民を「棄民」化する。戦争で死傷することほどバカらしいことはない。戦争をしないで何らかの対立を解決する方策は、必ずある。カネ、カネ、カネと私利私欲に走る極右政党である自由民主党が、国民のことを考えているはずはないのだ。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悪人はそこにいる!

2024-07-28 22:34:19 | 社会

 今まで社会福祉に興味関心を持っていない、しかし土地財産がある人が、突然老人ホームを経営するようになった。もうずっと前のことだ。以前からいろいろなことに投資して失敗していた人なのに、なぜ福祉に参入したのだろうか、と思っていた。

 そしてその社会福祉法人は、規模を拡大し続けた。老人相手の社会福祉事業は、カネが儲かるのだということを認識していた。

 そしてこの番組をみた。やっぱりか。政府は国民から集めた介護保険のカネを湯水の如く流入させて、そのカネがきちんとつかわれているのかどうかをまったく監視していない。ということは、そうした福祉事業者に甘い蜜を吸わせている、ということになる。おそらくこれも、利権につながっているのだろう。

競走馬のエサ代で月169万円…「特養」で相次ぐ不正流用 「内部をYESマンで固めて…」“監査の甘さ”突く悪質手口【報道特集】

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暑さへの怒り

2024-07-28 14:15:57 | 日記

 今日も猛暑である。戸外に出ている人はほとんど見ない。現在36.5度である。しかし炎天下では40度は超えているだろう。

 昨日まで、夕方には畑に立っていたが、今日は無理かもしれない。天気予報を見ると、夕方でも、37度の予想である。この温度は、日陰で風通しのよいところでの観測だろうから、炎天下の畑では38度や39度だろう。

 昨年夏も猛暑で、夕方畑で作業を10分間するだけで頭がくらくらした。

 暑さは、年々強化されている。地球温暖化を何とかしようと国際機関で強く訴えているが、しかし世界中の支配層は動かない。ロシアやイスラエルは、戦闘を継続し、破壊と殺りくを行っている。

 支配層の関心は、カネだけとなっている。庶民の姿も見えていない。見ていたとしても、カネ儲けの手段としてのひと、でしかない。

 新自由主義という経済思想は、資本主義の行き詰まりから生まれてきたものだといわれるが、確かに現在の経済のあり方を見ていると、資本主義の未来は見えなくなっている。このままだと、地球という惑星がもっている、生物が生きてゆく環境が食いつぶされて、資本主義だけではなく、人類が衰亡へのみちを歩んでいくことになるのではないか。

 食いつぶしている主体は、現在の支配層である。日本でいえば、財界であり、極右の自由民主党であり、政治家であり、官僚たちである。そしてアメリカである。

 庶民が苦しんでいる原因をつくりだしている者たちに、No!をつきつけていくことが必要なのだが、しかしその力は弱い。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

属国日本の惨状

2024-07-28 09:35:05 | 政治

 極右政党の自由民主党と創価学会党である公明党による悪夢の政権が続いている。

 東北地方の住民が甚大な災害で苦しんでいるとき、そこに自民党・公明党政権の姿は見えない。彼らは日本国民のことなんぞ、まったく視野の外にある。選挙の時だけ、微々たる「カネ」をまき、あとはじぶんたちの私的利益を最大限追求するだけである。

 いったい自民党・公明党政権は誰のための政治を行っているのか。もうこんなことは書くまでもないことだが、経団連にあつまる財界、そして富裕層、かれらの利益が最大になるように、せっせと彼らに税金を投入する。そうすれば両党の政治家にも、カネが還ってくる。

 そしてもうひとつ、彼らはアメリカのために、日本を戦争の最前線に提供しようとしている。日本は、中国と戦争をするつもりなのか。沖縄などに軍事的な前線基地を積極的に建設している。そこに自衛隊を送り込んでいる。中国との戦争を準備するためである。はたして日本国民は、そうした自民党・公明党政権の対米隷属的な動きを承認しているのだろうか。また日本国憲法は彼らの行動を制約できているのか。

 対中戦争の準備は、アメリカ主導のもとに、すすめられている。これもそうだ。戦争時には、自衛隊の指揮権はアメリカ軍が担う。その態勢が着々と整備されている。

在日米軍司令部に新組織 自衛隊との連携機能強化

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【演劇】青年劇場「星をかすめる風」

2024-07-27 22:45:06 | 演劇

 今日の午後は、演劇を鑑賞した。とてもよかった。さすが青年劇場であった。

 戦争末期、福岡刑務所には、詩人の尹東柱が、治安維持法により2年の懲役刑を受けていた。そこには朝鮮人が収容されていた。

 ある日、看守の杉山が何ものかに殺された。誰が殺したのか?その犯人を捜すことが若い看守・渡辺に託された。渡辺は、誰が殺したのかを探る、探る中で、福岡刑務所ではどんなことが行われたのかが次第に明らかになる。いったい誰だ、杉山を殺したのは?観客も、そのような疑問をもちながら渡辺の動向を追跡する。

 杉山にはふたつの顔があった。ひとつは音楽や詩、文学をたしなむということ、杉山の遺体には、詩が書かれた紙片があった。尹との交流もあった。またピアノを弾く看護婦とのピアノを介したつながりもあった。もうひとつは囚人に激しい暴力を振るっていたこと。

 渡辺は、このふたつの顔を、なぜ杉山がもっているのか、理解できなかった。

 その疑問は、九州帝国大学から来た医師とふたりの看護婦の行動から明らかになる。医師たちは健康な囚人たちに治療だといいながら注射をうつ。しかしその注射を打たれた囚人たちに、記憶力の減退、疲れやすくなるなどの症状が現れる。しかし医師たちは注射を打ち続ける。そのうちに囚人に死者が出始める。

 医師たちは、ケガをしたり、また身体の弱い囚人たちには注射を打たなかった。医師たちは、囚人や看守に、ケガをしないように、またさせないようにと忠告した。

 杉山は、しかし気づいてしまう。囚人たちの健康悪化の原因があの注射であること、ならば囚人たちを救う道は、囚人たちにケガをさせて注射をうたせないようにすること、だと。九州帝国大学の医師たちは、人体実験のために福岡刑務所に来たのだ。杉山の激しい暴力には、理由があったのだ。

 その杉山が殺された。犯人は、暴力を振るわれた朝鮮人の囚人だとされた。しかし渡辺は、どうも腑に落ちない。そして、杉山を殺したのは、九州帝国大学からきた医師であること、人体実験を邪魔した杉山は、彼によって殺されたのだと推測する。

 詩人である尹も注射で殺された。

 劇は、そのような事件の顛末をただ明らかにするだけではない。詩、文学、音楽が人間にとっていかに重要であるのかを示す。また、事実と真実、真実はどこにあるのか、それをも考えさせようとする。

 尹東柱の詩が各所に読み上げられ、ことばの美しさ、ことばの魅力が示される一方、ことばとして発せられたものが真実を隠すものとして出現することも示唆される。杉山を殺したとされた朝鮮人の囚人は処刑されたとされながら、実際は刑務所長が逃がしていた。所長は、その囚人が隠したと語っていた金塊に目が眩んでいたのであった。

 表面に現れる様々な事実、しかしそれらの事実をつなぎ合わせると、まったく別の真実が現れて来る。九州帝国大学の医師は囚人たちの健康を保持するという。そして注射を打つ。ところが、注射を打たれた囚人たちが健康を損なっていく。なぜ、どうして・・・・・疑問をもって事実をつなげていくなかで、真実が浮き彫りにされていく。

 疑問を持ち、事実をもとにみずから考える、そういうことをしないと無数の事実によって真実はどこかに隠され消えてしまう。真実は、たくさんの事実のうしろにある。真実をたぐりよせること、

 尹は、「序詩」でこう書いている。

死ぬ日まで天を仰ぎ

一点の恥じ入ることもないことを

 しかし、「恥じ入ること」を、何度でも繰り返す者たちが、いかに多いことか。そういう現実に、わたしたちは生きている。

  

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

統一教会はまだ動いている

2024-07-26 23:01:38 | 社会

「テレビで『統一教会の摘発がなかったのは“政治の力”』と話したら、翌日から今日まで出演が一切なくなりました」ジャーナリスト有田芳生が語る『誰も書かなかった統一教会』

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すごい!!女性

2024-07-26 21:40:42 | その他

 菱山南帆子さんという人は、ユーチューブでしか見たことがないが、ほんとうにいろいろな活動をしてすごい人だなあ、と思っていた。敬意をもってみている女性であるが、今日、Arc TIMESの番組をみて、さらに敬意を増した。

 彼女は、小学生から「日の丸・君が代」を拒否し、障害者を差別した担任に抗議すべくある種のストライキをやり、中学校からアメリカ大使館前で座り込みをし・・・・・・・と、エネルギッシュな生き方をしてきた。

 わたしは、小学生の時はふつうであったが、中学生の時は「不良」で母親が校長先生宅にお詫びに行ったこともあった。高校に入って、こんな生き方をしていてよいのかという青年期の「煩悶」に苦しみ、人生如何にあるべきかを考えるようになり、そのなかで社会的な活動へと参加していったのだが、菱山さんははるかにわたしを凌駕する。

   大学の教員に聞くと、女子学生の方がはるかに意欲も能力もある、レポートなんかも女子学生のほうが立派なものが多い、という。

 わたしは、女性がどんどん社会で活躍していけば、日本社会はよくなると思っている。

 菱山南帆子さん、頑張れ!

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

従順でない人々への差別

2024-07-26 13:34:27 | 社会

 『週刊金曜日』に、「裁判官が国を訴える異例の裁判 リベラル派弾圧への「倍返し」だ」という記事があった。

 弁護士から中部弁護士連合会の推薦を受けて裁判官になった竹内浩史裁判官、従順でないことから様々な差別的待遇を受け続ける。

 竹内裁判官は、地域手当の格差是正を訴えて国を訴えた。公務員には、給与に上乗せする地域手当というのがある。東京都に勤務すると20%、大阪市は16%・・・などと、地方に行くほど低くなる。竹内裁判官は、名古屋市の16%から津市の6%へと移り、司法修習同期の裁判官が判事一号の給与(月額117万5千円)を得ているのに、竹内裁判官は判事3号(月額96万5千円)の等級に留まっている。

 わたしからみれば、3号でもなかなかの高額の給与だと思うが、しかし同じ資格を持ち、同じだけ法曹で働いてきたのに、なぜこのような格差がつくられたのかと疑問を持つのも当然だろう。

 竹内裁判官は、格差の原因をこう分析している。まず竹内裁判官が青年法律家協会(青法協)会員であること。

 ちょうどわたしが法学部生の頃、司法反動の嵐が吹き荒れ、青法協に入っている裁判官に猛烈な圧力がかけられた。裁判官で青法協会員であった者たちは、ほとんどが青法協を脱退させられた。竹内裁判官がいまだに青法協会員として残っていることに、わたしは驚いた。こういう裁判官がいたのだ!という感動である。司法反動の嵐の中で、良心的な裁判官は一掃されたと思っていた。

 そして青法協会員としての裁判官は、竹内裁判官のみであるという。また竹内裁判官は「日本裁判官ネットワーク」にも属している。

 おそらくもうそれだけで、最高裁の事務局は、竹内裁判官を「危険分子」としてみているのだろう。

 さらに竹内裁判官はブログもやっている。そこでは裁判官の人事に対して果敢に批判している。

 判決文を書かない裁判官が「出世」していく現実がそこには記されている。しかしそのような傾向は、教員世界にもある。最初は教員だが、途中から教育委員会に行き、長年そこで働いたのちに管理職として学校に戻る、という人事が明確にある。

 日本の公務員世界はどこでも同じである。従順な者は「出世」する。従順な者は、せっせと付け届けもするし、有力者のコネをも使う。そういう姿を、わたしも見てきた。またこの人こそ管理職に相応しいと思っていた人が、もし付け届けもせず、コネも使わないと、「出世」しない。

 そういう世界に、竹内裁判官は果敢に立ち向かう。

 司法が、行政の隷属下にあることは、種々の裁判報道でも明らかである。政府の方針に逆らうような判決は、書かない。とりわけ、沖縄の辺野古問題に関しては、100%国が勝利する。そのような判決を書く裁判官を派遣しているからだろうが、多くの裁判官は従順であるから、逆らわない。

 三権分立は、日本はすでに崩壊しているといってよいだろう。しかしそれでも、竹内裁判官は闘い続ける。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「紙媒体の衰退」

2024-07-25 15:24:33 | 社会

 今日、いつもは夕方の郵便の配達が、3時頃にあった。『週刊金曜日』7月26日号が入っていた。仕事の手を休めて、読みはじめた。

 わたしは最終頁の「金曜日から」から読みはじめる。スタッフ達が書いた短文が並ぶ。そのなかに「紙媒体の衰退が止まりません」とあった。

 わたしは、年齢を重ねる中で、医者に行くことが増えてきたが、待っている人びとは、ただ自分の診察の番になるまで、ただただじっとしている。わたしは必ず本を持っていって読んでいるのだが、本を読んでいる人はいない。若い人の中にはスマホを見ている人もいるが、高齢者は、ただじっと待っている。

 電車に乗っても、新聞や本を読んでいる人は見かけなくなっている。電車の中では、圧倒的にスマホである。夕方(猛暑のため!!)わたしは畑で短時間の農作業を行っているが、まわりを犬の散歩をしている人びとが通るが、スマホ散歩である。飼い主の関心は、犬よりもスマホかよ!と思ってしまう。

 いずれにしても、紙媒体のものを読んでいる人を見かけなくなった。

 『週刊金曜日』も、「部数減に苦しんでい」ると記されている。最近、継続のお願いと振込用紙が送られてきた。2ヶ月前になったら送られてくるようだ。

 『週刊金曜日』、初代の編集長であった故・和多田進さんから協力を乞われ、浜松市で、本多勝一、筑紫哲也の講演会、しばらくたって椎名誠の講演会もやった。だから購読をストップすることはありえない、という関係だ。

 『週刊金曜日』、『地平』、『世界』これらはぜひ読んで欲しい雑誌である。日々メディアに伝えられる情報のなかにはないようなものを伝え、事件などを背景も含めて説明してくれたりする。これらの雑誌がなければ、わたしは政治や社会の真実をつかむことができない。

 今この部屋の三方向には、書棚があり、床には本が散らかっている。何らかの仕事をするためには、書籍や雑誌を読みながら、それらによって事実を確認しながら、思考力を働かせていかなければならない。紙媒体は、幼い頃からずっと身近にあったものだ。今更手放すことはできない。

 しかし紙媒体が衰退しくことで、はたして人びとの認識はどうなっていくのだろうか。

 最近、いろいろな研究成果。それを知と呼ぶとするなら、人びとの日常生活と知とが大きく乖離してきているように思う。知の世界に生きる人びとは、あまりそういうことを考えないで研究を続けているようだが、あなたたちの本も売れなくなっているでしょう?と言いたくなる。

 人びとの日常生活と知は、紙媒体によってつながっていたように思う。紙媒体が衰退するということは、知の世界が狭小になっていくことでもある。

 購読している『東京新聞』の購読料が、9月から3400円にアップされるとのこと。あらゆるものの価格が上昇しているから、やむを得ないとも思うが、購読者が減れば減るほど、購読料は上昇していくことだろう。

 紙に印刷されている活字を読むことによって、わたしは知識を得、思考を深めてきた。紙媒体の衰退を押しとどめたいと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小林製薬という会社

2024-07-24 08:44:51 | 社会

 紅麹サプリで死者まで出した小林製薬に関する記事が、今日の『中日新聞』に一面トップで掲載されている。関連記事は、3面、22面でも掲載されているが、まったく話にならない会社である。「タンクに青カビ付着を認識も放置 検証委、小林製薬創業家2人辞任」という記事であるが、小林製薬の無責任体質は、創業家の会長・社長辞任の際にも露わになった。まず記者会見をしなかったこと。広報担当も姿を見せなかったことなど、まったく責任追及から逃れているとしか見えなかった。

 22面の記事には、被害者のもとに謝罪の一文が載った治療費の請求に関する書類が届いたとあるが、そこには社長の名もなかったという。

 創業家の面々は、会長、社長を辞任して雲隠れ。これでは被害者の怒りはおさまらないだろう。

 わたしも、小林製薬は一切買わない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歴史を知るということ

2024-07-23 20:53:06 | 

 『丸山真男回顧談』(岩波書店)の下巻を、他の本を読む合間に、読むようにしている。

 そのなかに「思想史研究と講義」という項目がある。そのなかに、重要な指摘がある。

 明治維新の頃、西洋文明に当時のリーダーたちは、その「歴史的淵源」を知りたいと思い、様々な本を翻訳して、歴史書を読みふけったという。

 対談者の植手通明は、こう言っている。「歴史を知るということが、その文明を知ることだ。知るには歴史をやらなければだめだ」

 なるほどである。そのあとに丸山は、こう語る。

 ・・・歴史をつかむことが同時に現在をつかむことだというのが、どうしてなくなってしまったのか。ぼくだけにかぎって言えば、恩恵をこうむっているのはマルクス主義です。歴史と現代とは不可分というのは、マルクス主義をやっていると、どうしてもそうなるのです。歴史を離れて、社会科学というものがありえない。マルクス主義の影響なしには、そういう考え方が身に付いたかどうか。そこは福沢なんかと違うのです。自然には身につかない。

 今や高齢者となった人びとは、多かれ少なかれマルクス体験がある。あるいはマックス・ウェーバーなんかも読んでいる。

 しかし、若い研究者と話していると、おそらくマルクス体験がないのだろう、現代への問題関心がなく、ないままに歴史研究をすすめている。すべての若手がそうだというつもりはないが、現実認識の弱さ、もちろん批判的に現在をみつめるということなのだが、それが欠如している人がいる。

 過去のことを過去のこととして研究するという立場もあり得るが、わたしはそうした研究にいつも不満をいだいてしまう。何のために研究しているのだろうか、と。「歴史と現代とは不可分」という丸山の指摘は正しい。歴史を見つめ、研究しようとしているのは、現在生きている者である。当然、その視点や視線には、現在が入り込んでいる。その現在をきちんと見つめることは、研究にとっては必須なのである。

 丸山の発言には、なるほどと思うところが多い。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする