浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【本】中島岳志・島薗進『愛国と信仰の構造』(集英社新書)

2016-02-29 17:31:22 | 近現代史
 副題に「全体主義はよみがえるか」とある。その問いに対する答えはこう記されている。

 「もうすでに現在の日本は、いくつかの局面では全体主義の様相を帯びていると考えてもいいでしょう。・・・「下からの」というより「上から」静かに統制を強めるような、冷めた全体主義です」

 島薗のこの意見に、ボクは同意する。そういう時代が、急速に実現している。1980年代から構想され、徐々に変えられてきた日本という社会は、小選挙区制などの制度改変を経て、全体主義的な社会へと組み替えられてきている。

 そしてこの本を読むボクの視点は、ではどうすればそれを阻止できるかというものだ。その際、ボクの視野は、近世後期から始まる。

 本書も、同様の視野を持つ。「国学」である。しかし島薗は、こういう視点も提示する。これはボクの視野に入っていなかった。

 「幕末の尊皇論から維新へと導いた王政復古へとつながる思想では、儒教の影響にも十分、注意を向ける必要があります。」として、後期水戸学が背景としたものは儒教であり、明治初期に宣言された「祭政一致」は、「上からの」統合をめざす、非常に儒教的な要素の強いもの」と。

 儒教について、もっと勉強を深めなければならないと思った。もちろん国学がでてくる背景に近世儒教の流れがあることは知っていたが、王政復古や祭政一致にも儒教が関わっているという認識はなかった。

 また国家神道について、1890年から1910年ころの20年間で、「国家神道を普及させる制度やシステムが確立」し、「国家神道は国民自身が担い手となる「下からの」運動という性格を帯びていく。つまり、民衆が自ら自発的に国家神道の価値観を身につけ、その価値観をもとに行動していく」と指摘する。
 最近の教育行政や教科書、道徳教育の強制などの動きを見ると、同じような制度やシステムを再構築しようとしているのではないかと思う。

 近代日本の「右翼思想」の担い手は、日蓮主義が多いが、親鸞の他力本願を奉じる蓑田胸喜のような人物もいる。この蓑田の激しい行動が「自由」を日本社会からなくしていったのだが、こういう事実を指摘されると、親鸞に任せておけばよいという町田の住人のことが思い浮かぶ。

 さて、以下の島薗の指摘は、近代日本史研究の重要性を知らされる。

 全体主義は昭和に突如として生まれたわけではなく、明治初期に構想された祭政教一致の国家を実現していく結果としてあらわれたものです。つまり、明治維新の国家デザインの延長上に生まれたものです。

 現在の全体主義のゲネシスを近代日本の初発に求める作業は、これを克服するためにも求められているのだと思う。

 いろいろな点で刺激を受ける本である。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

消費の低迷

2016-02-29 12:44:15 | その他
 日本のGDPはマイナス基調となっている。要するに、国民が消費をしないからだ。いや消費できなくなっているのだ。賃金や年金の下降、可処分所得の低下・・・・日本の国民生活にとって、よい材料がない。

 そのエッセンスを下記に引用した。引用した先は、下記のサイト。


http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/46181


これまでの日本経済は、個人消費があまり落ち込まなかったことで、何とか成長を維持してきた面があった。だが消費の弱さが継続する事態となれば、影響は長期に及ぶことになる。1~3月期のGDPにおいても消費が弱かった場合には、少々深刻なことになるかもしれない。

 当たり前のことかもしれないが、消費が落ち込んでいるのは、家計の経済状況が苦しいからである。家計調査の結果を見ると、それは一目瞭然である。2人以上の世帯における実質消費支出は、何と21カ月連続の前月割れとなっている。つまり、過去2年間、ほぼ毎月消費が減っているという状況なのである。



2013年までは、エンゲル係数が25%を超える月はほとんどなかったが、2014年に入ってから25%を超える月が増加。2015年になるとその傾向がさらに顕著になり、昨年5月以降は、毎月25%を超えている。


実は、日本における家計支出の絶対値はここ15年、一貫して減少が続いており、家計が貧しくなっているのはほぼ確実


家計の支出が減っている最大の理由は、実質賃金が上昇していないことである。労働者の実質賃金は毎年減少が続いており、これが家計を圧迫している。物価の上昇に対して賃金の絶対値が追い付いていない。


大企業の社員についても、賃上げ分が可処分所得の拡大につながっていないのが現実である。賃金が増えても、その分、社会保険料の負担が増加している


 回復不可能な状態に陥っているのではないか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

休耕地が増えていく

2016-02-29 00:16:32 | 日記
 農業をやる人が減っている。

 ボクが耕作している畑の面積は、だいたい教室二つ分である。そこにブロッコリー、カリフラワー、ダイコン、にんじん、タマネギ、ほうれん草、菜花、レタス・・・などを植えている。

 これからはジャガイモを植える季節である。隣の畑も、前の畑も、すでに植えつけた。ボクも、ここ三日間で植えつけた。ただし、他の方とは異なり、休耕地となっていた畑に植えた。

 そこはある人が昨秋までサツマイモを植えていたところだ。大変だからもうやめた、ということで休耕地となっていた。畑の所有者からやって欲しいと言われていたが断っていた。教室二つ分は、狭いようでいてなかなかたいへんだ。特に夏は雑草が生え、熱心に除草しないと作物がそれに隠されてしまう。

 さて作物は連作を嫌う。したがって、植えつけるところを変えていかなければならない。もちろん連作障害を軽くする「肥料」みたいなものはあるが、しかしそれを使うのは邪道だと思っている。

 昨年ジャガイモを栽培したところには、菜花とタマネギ、キャベツが植わっている。翌年(今年)はその南側に植えようと思っていたのだが、そこにはタマネギとニンニクが植えてある。まだ収穫の時期ではない。

 あいていることころは、ほとんどない。ダイコンやにんじんを収穫したところは空いているが、しかしそんなに広くはない。となると、別のところと言うことになって、休耕地を耕してじゃがいもを植えたのだが、実は昨年も同じように、休耕地を耕してジャガイモを植えた。

 ジャガイモがきっかけとなって、ボクが作物を作る面積が毎年広がっている。別に売るわけでもなく、できすぎたら近所や親戚にわける程度だが、農作業に費やす時間が増えている。

 だから最近、今何をしているのですかと聞かれると、農業です、と答えている。

 ボクが耕作をしている畑の東側の方は、最近手術をされて腰が曲がってしまった。おそらく農業はできないだろうという。南側の方は、引っ越しするということを聞いた。となると、ボクの周囲は、休耕地となるおそれが強い。

 農業をしている人の年齢はどんどん高齢化している。TPPにより、おそらく、いやきっと日本の農業は壊滅的な打撃を受けるだろう。少子化が問題となっているが、農業後継者を育てることも急務である。

 だが、政治は、動かない。政治家や官僚の視野が狭く、また近視眼で、未来を想像できないのだ。

 明日もまた畑に立つ。まわりで鍬をふるっているのは老人ばかりだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カラヴァッジョ

2016-02-28 22:57:59 | 日記
今月号の『芸術新潮』は「カラヴァッジョを捕まえろ」という特集。表紙が衝撃的である。女性が男性の首を切っている絵であるが、それがまた迫真力に富む。

 カラヴァッジョは、16世紀のイタリアの画家である。彼は1571年に生まれ、1610年に亡くなった。享年38歳。

 彼の絵は、描かれる対象が闇の中から浮き出ていて、その対象だけが光を浴びている。同時に極めて写実的で、迫真力がある。したがって、絵を見る者に衝撃を与える。とはいえ晩年になると、晩年といってもまだ若いのだが、徐々に場面が静的になる。

 いずれにしても極めて魅力的な画家である。その展覧会が明日から国立西洋美術館で始まる。見に行こうと思う。

http://www.nmwa.go.jp/jp/index.html

 今月号の『芸術新潮』、カラヴァッジョについての特集の後、モンゴルの仏像の写真がある。日本の仏像とは異なり、町田の住人が見たら喜ぶような美しいもので、おそらく女性だろう。魅力的な眼、引き締まった口元、妖しい雰囲気が漂う。実物を見てみたいと思うような、妖艶さをもつ。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1980年代

2016-02-27 21:48:23 | 読書
 今月、河出書房新社から『1980年代』という本が刊行された。到着したばかりで読んでいないが、最近1980年代はじめに存在していた「臨調」について調べ始めた。というのも、いずれ自治体史で「行政改革」について論じなければいけないので、それに関する本を読みはじめた。

 まず『臨調行革の構図』(大月書店、1982年)を読みはじめたが、その序論「対談 臨調密室協審議の実際と基本的性格」を読んでいると、第二次臨調で議論されていたことが、現在ほぼ実現しているということがわかる。21世紀の日本の設計図は、この臨調により作成されていた。

 臨調の中で議論されていた「行政改革」は、「行政のムダを省くとか、肥大化した機構をどうするかというようなものだと考えられている」が、そうではなく、「日本の政治や行政の全般について見直しをはか」るものであって、戦後の民主主義的な諸制度に対して、「超民主主義的な機関として絶対者のような姿勢で」裁断していったのである。そこで基調となっていたのは、「企業の論理」であり、「民営」にすればすべてうまくいくという考え、それとともに公務員の賃金を下げることによって民間の賃金を下げること、同時に「上厚下薄」の給与体系をつくりあげること、これは格差社会をつくることでもあり、戦後型の賃金体系を破壊するものでもあった。

 また民間企業の「社長と総理大臣とを同じように考えている」、つまり上意下達があるべき姿だと考えていて、なるほど今や自治体も教育機関なども「長」に権限が集中し、上意下達の「経営」が確立している。

 また「官は悪」、「民は善」という考え、そして大企業の要求を政治に正確に反映させること、これらも実現している。

 「官は悪」、「民は善」、こういう考えを社会に普及したのは、新聞やテレビであったことを思い出す。メディアは、臨調を隠れ蓑にした大企業に大いに協力したのだ。

 1980年代を今一度振り返ることはとても重要だ。現代社会の「悪」を退治するために、どういう経過でその「悪」が計画され、実践されてきたのか、をつぶさに調べるのだ。

 今、その作業を開始している。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

FAX

2016-02-27 15:06:43 | その他
 今日、FAXが3枚入った。某税理士事務所が、建設関係の会社に送った確定申告の関係書類である。○○○○様、FROM××経営会計とある。

 ここからは二度目である。前回は1枚であったので、無視して破棄した。今回は3枚、それも秘密に関わる某社の会計に関わる書類である。

 そこで電話して、間違いFAXが入っていたという連絡をした。電話して、お宅から間違いFAXが3枚届いているというと、送っていませんという。そこで○○○○へ3枚送りませんでしたか、というと、送りましたという。

 それが間違いだといって電話を切った。

 こういう重要書類を送るときには、事前と事後に確認をすべきである。あまりに安易な送り方で、ボクも迷惑をかけられたが、○○○○さんは、収入の書類をボクに見られてしまったことになる。

 税理士事務所は、気をつけるべきだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鈴木宗男という人物

2016-02-27 07:50:04 | 政治
 鈴木宗男という元政治家が、古巣の自民党と共同歩調を取るようだ。権力欲がとても強い人物だ。一時は同情もしたけれども、こういう人物には同情する必要はないと思い知らされた。

 http://mainichi.jp/articles/20160227/k00/00m/010/067000c

 何でも宗男氏は、北海道知事を狙っているとか。「新党大地」は、結局自民党となる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西欧による中東の混乱

2016-02-26 20:34:00 | 国際
 イラクについても、シリアについても、現在の混乱は欧米がつくりだしたものだ。多くの難民が西欧に流れ、西欧の諸国家はその対応に苦慮しているが、それは自業自得である。

 最近有志舎が敢行している、シリーズ「21世紀の歴史学の創造」の一冊、国民国家の天皇制』を読んだ。本編は、宮地正人氏が「日本型国民国家論」を論じたもので、それはなかなか知的触発をうけるものであった。とくに「国体」思想の形成の中で、加藤弘之と井上哲次郎の役割についての言及は大変参考になった。

 今日はしかし、宮地氏の論考について紹介するのではなく、この本の末尾に、戦後歴史学の第二世代というべきか、そういう研究者による興味深い座談会が掲載されているのだ。

 そのなかの藤田進氏の発言が、現在の中東の混乱を知る上で重要だと思ったのである。藤田氏は、次のように語っている。

オスマン帝国はご承知の通り、西欧列強の進出の中で潰れていくわけですが、オスマン帝国がイスラムの家としてあって、宗教や民族の違いを乗り越えたところで共同体として統合されていた、そこにヨーロッパが入ってくる時、独自の宗教対立、民族対立の論理を携えて入ってきた。つまりヨーロッパの側がオスマン帝国の宗教共同体と言う構造を逆手にとって、それを分裂させる方向で入ってきた。それは、民衆にとっては、まさに自分たちが暮らしている空間を壊されるということにつながっていく。宗教的な共同が宗教的な対立に帰結する。その象徴的な、決定的な事柄が、 1917年のバルフォア宣言です。バルフォア宣言で、ユダヤ人という人為的な民族集団を作って、これをオスマン帝国の中に埋め込む。そしてその共存体制を壊す方向で、この人工的なユダヤ人というシステムとそれに繋がるような取り組みをイギリスが全面的に支援していく。つまり1917年のバルフォア宣言をもって、今日に至るまでの、中東の西欧による支配のシステムの土台が出来上がったのです。

 第一次大戦後の効果としての形を見れば、委任統治領、保護国、特にアラビア半島の報告、それからエジプトやイラクのような王国もある。しかし、これは全部見せかけの国家、中東世界全体がイギリス製の人口国家群というシステムの枠の中に全部収まっていた。こういう見せかけ国家群の枠をつき破ろうとしたのがアラブの独立で、この時、オスマン帝国におけるかつてのイスラムの家の同胞意識に依拠して、アラブは自前でイスラムの家を作ろうとした。すなわち第一次大戦前から大戦後にかけてのアラブの独立要求運動ですが、これは力で潰されてしまった。それ以後ずっとアラブ独立運動は潰されたままで、第二次大戦後にひっくり返そうとしたのが、エジプト革命とエジプト共和国であり、1958年のイラクの共和制ということになるわけです。



 オスマン帝国の崩壊以降、イギリス、フランス、ロシアなどが中東の不安定を生みだし、そしてアメリカがそれをもっと不安定にしてきたのだ。

 歴史を振り返ると、西欧諸国の犯罪は、とどまるところを知らない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】岡村治信『青春の柩』(光人社NF文庫)

2016-02-25 20:01:05 | 
 もと裁判官・岡村がみずからの戦時体験を綴ったものである。岡村は学徒兵で海軍へ。主に軍艦に乗船し、主計の仕事をおこなった。岡村が乗船した軍艦は、ガダルカナル島、アッツ島、キスカ島などへの兵員輸送にあたった。駆逐艦などに乗船したのだが、ほとんどが兵員輸送である。いかに輸送船が不足していたかを物語る。

 最初のウェーク島攻略だけがある意味戦果といえるが、他は惨めな軍隊体験である。とくに、アッツ島への兵員輸送、キスカ島からの撤退作戦の部分を読んでいると、それぞれの島に行くことさえ困難なところへ何故に兵を送ったのか。冬になると、台風並みの低気圧が北洋を席捲する。そういうなかで航海するわけだから、当然行く手を阻まれることが何度もある。アッツ島は全滅(「玉砕」と美化する向きもあるが)したところで、艦砲射撃や爆撃、そして上陸した米軍にこてんぱんにやられたところ。アッツ島守備隊は友軍が来てくれることをひたすら要請するのだが、天候に阻まれ行くこともできず、ただ全滅に至る経過を聞くだけ。

 何という無謀な戦いを行ったことか。直接それを記しているわけではないのだが、行間から伝わってくる。

 こうした戦記物は近年読んだこともなかったが、一挙に読んでしまえるような緊迫感を備えている。

 もちろん、数々の「戦死」が描かれているが、「戦死」はむごい死である。「戦死」をふたたび創り出してはならないと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

歳をとるということ

2016-02-25 16:48:08 | 日記
 毎年やっている定期検診の結果が来た。数値に、無視できないところがあり、少し気落ちしている。要するに運動不足である。春から秋にかけては、農作業があり、その労働は生やさしいものではない。ところが冬になると、寒いこともあって、収穫に行くだけとなり、身体を動かすことがかなり減る。それを自覚していたボクは、近所の垣根の伐採をしてあげたのだが、それだけでは足りなかったとみえる。

 今日は、畑まで歩いて行き、ジャガイモを植えた。しかし、たくさん買ったので、全部は植えられなかった。三通りだけ、男爵を植えた。明日も新たに畑を起こして植えつけることにしよう。

 歳を重ねるということは、放っておいては健康は維持されないということだ。

 近くの畑で、耕作放棄地が広がっている。要するに、高齢化である。日本の農業は、担い手を減らしてきた。もちろんその背景には、日本の農業政策がある。農業で食べていけるなら、農業を引き継ぐ人たちはでてくるのだろう。だが、日本政府の一貫した政策は、農産物を大量に輸入すること、それも安価なものをである。労働者の賃金を低く抑えようという経団連などの意向があるからだ。

 資本主義社会は、みんなが平等に平和に暮らしていくという当たり前の政策を不可能にする。資本の増殖は、無数の階層・階級をつくっていく。それが資本主義である。だからこそ、その無政府的な動きをコントロールしなければならないのだが。1980年代以降本格化する新自由主義は、規制を撤廃して、まさに自由放任にしようというものであって、結果的に数パーセントの富裕者と圧倒的な貧者が生まれるのである。

 どのくらい生きられるか分からないが、とにかく世界を知り尽くして死にたいと思う。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍政権のメディア抑圧

2016-02-24 22:45:19 | 日記
 日本の政治や社会に、正義や善悪の判断ができなくなっても、今は世界が見ている。

http://lite-ra.com/2016/02/post-2004.html

 そしてアメリカも・・・

 「共同」配信記事。
 
米の日本盗聴、再び暴露 06年のWTO交渉めぐり

2016/2/24 11:58

 【ニューヨーク共同】内部告発サイト「ウィキリークス」は23日、米国家安全保障局(NSA)が06年、世界貿易機関(WTO)の新多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)をめぐる日本政府と欧州連合(EU)の対米方針を盗聴していたとする米政府の機密資料を公表した。

 同サイトは昨年7月にも日本の省庁などの電話を盗聴したとの米政府の機密資料を公開、安倍首相がバイデン副大統領に電話で抗議する事態に発展した。

 NSA資料によると、日本とEUは06年12月、ドーハ・ラウンド交渉をめぐって協議し「最初に過剰な要求をして譲歩を引き出そうとする米国」への対応が必要との見解で一致した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

沈黙

2016-02-23 22:46:39 | 社会
 日本社会は末期症状を示している。正義、公正、善悪・・・・・などの倫理的な基準がまったく失われている。

 今朝書いたように、『朝日新聞』は「慰安婦」問題で「誤り」であったと思われる吉田証言(これがまったくの虚偽であったと証明されているわけではない)を否定し、公正な姿勢を貫いた。しかしその結果、それが国際社会で大きな問題になった起爆力になったと、さらに批判された。まったく事実ではなく、その批判は正当な根拠をもたない。「慰安婦」問題は、日本政府などがいくら否定しても、歴史的真実として、国内外の多くの女性が兵士たちに「性」を強要されたのである。

 その後『朝日新聞』は、この問題に“沈黙”を貫いている。しかし不当な批判は消えることはなく、政府高官さえ国際会議で広言するという事態になっている。“沈黙”が、『朝日新聞』の立場を悪くしている。

 さて、甘利もと大臣とその秘書が「口利き」、「あっせん利得」の行為におよんだことは、それに関わった人物の録音記録などによって明確になっている。しかし、甘利元大臣らは“沈黙”を貫いている。彼らにとっての「嵐」が去ることを、“沈黙”することによって、待ち続けている。実際、マスメディアの報道は少なくなっている。おそらくこのまま“沈黙”が続けば、人びとの記憶から消えていくだろう。

 “沈黙”が、それぞれに逆に働いている。『朝日新聞』はそれがマイナスに働き、甘利元大臣らにとってはプラスに働いている。

 なぜそうなるのか。それは政治権力の問題だ。

 政治権力が、まさに正義、善悪、公正・・・などの倫理観を一切持たず、政治権力をきわめて恣意的に行使しているからだ。甘利元大臣らの動きは、本来なら、検察などが動き出さなければならない事案であるにもかかわらず動かない。まさに安倍政権、自民党・公明党などが担う政治権力が確実に一元化し、法治主義を放擲し、独裁的な政治手法で権力を行使しているからだ。
 その意味で、ボクは今の日本は「末期症状」であると断じるのだ。そしてその「末期症状」を改善する政治勢力は、現れていない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

反論

2016-02-23 10:54:31 | メディア
 今日は、久しぶりの休日である。ネットで『東京新聞』の特報欄を見ていたら、国連女性差別撤廃委員会の対日審査会合で、なんと外務審議官の杉山晋輔という官僚が、『朝日新聞』の慰安婦報道が「国際社会に大きく影響を与えた」などと発言したそうだ。

 すでに、『朝日新聞』だけではなく、『産経』、『読売』なども、『朝日』と同じような報道をしていたのに、彼らは『朝日』を批判し続けてきた。『読売』、『産経』には「公正さ」なんか微塵もないことを証明しているのだが、頬被りをしたまま堂々としている。

 『朝日』だけは自己批判し、その調査結果を公にしてきたが、もっとも「公正な」姿勢を示したにもかかわらず、虚偽報道を行ったと、右派新聞やネトウヨから激しく批判されてきた。

 これについての『朝日』の弱腰については、このブログでも批判してきたし、とくにもと『朝日』記者の植村隆氏への攻撃に対して、何ら手をさしのべることなく終始してきた。また今月、植村氏が岩波書店からこれに関する本を出版されるようだが、なぜ朝日出版ではないのかと思う。

 なぜ外務官僚がネトウヨ的な発言をするかというと、もちろん日本の首相自体がネトウヨだからでもあるが、問題は別のところにある。要するに、朝日新聞がきちんと反論し、反論し続けなかったところにある。

 ネトウヨの主張を見ると、根拠もない思い込みや誰かが発したデマをそのまま信じ込み、暴力的な攻撃に加わるという、理性の欠片もない姿勢で罵詈雑言を行っているのだが、こうした輩の行動を抑えるためには、引いてはいけないということだ。引けば、一歩も二歩も進んでくる。引かずに反論をし続けることが重要なのだ。『朝日』がそれを怠ってきたために、こうした罵詈雑言が、国連の公的な場で官僚により主張されるのである。植村隆氏は、孤軍奮闘し、闘っているから、ネトウヨも事実の前では弱いから攻撃を弱めている。

 『週刊金曜日』の今週号の、植村氏の文を読んでいたら、『朝日』は一昨年8月には反論を展開する準備を行っていたという記述があった。取りやめになったようだが、なぜしなかったのかと思う。

 事実は事実として、何度でも主張し続けるべきだ。そうでないと、虚偽が大手を振るような事態となるのだ。

 むのたけじ氏は、「始めに終わりがある。抵抗するなら最初に抵抗せよ。歓喜するなら最後に歓喜せよ。途中で泣くな、途中で笑うな。」という。『朝日』は弱腰になるな、弱腰になるから購読者も離れていくのだ。

 反論せよ、『朝日』!!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こういう議員に投票した国民は恥ずかしさを感じるべき

2016-02-22 20:37:21 | 政治
http://www.asahi.com/articles/ASJ2Q52RDJ2QPIHB02J.html?iref=com_rnavi_arank_nr01

http://www.asahi.com/articles/ASJ2Q3PWZJ2QUTFK003.html?iref=comtop_list_pol_n04

 他にも、いっぱいる。特に自民党議員。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高校生のデモ参加

2016-02-22 20:16:22 | 日記
 今日は富士市に行った。昼食をある店で食べたのだが、そこは『朝日新聞』を購読しているようで、読みはじめたのだが、なんだこれはと怒りをもった。

 記事は、高校生がデモに参加する際に、届け出制を採用するところがあるというのだ。こんな記事が載るくらいに、日本は人権後進国なのだ。

 デモに出たければ、届出も許可もなく、どんどん参加すればよいのだ。

 政府自民党は、18歳選挙権を導入した。おそらく若い者たちが自民党に投票してくれることを「確信」しているのだろうと思う。導入する際に、彼らは絶対に調査をしている。その結果がよかったので導入したのだ。

 しかしとはいえ、一部の若者が、デモ行進などに参加することはさせたくないと思っている。静かに(自民党ないし公明党などに)投票だけして、他の時は静かにしていて欲しいというのが彼らの希望である。

 だが高校生は、そういうバカな、人権とはどんなことであるかを理解もできない政府自民党や、教育委員会、そして保守的な思考をもつ学校の教員たち、彼らのそうした「制約」=人権侵害なんか、無視して、デモや集会に参加すればよいのだ。

 ボクは、高校生のときからデモや集会に参加してきた。
 デモに出ることは、表現の自由のひとつであり、誰かに参加することを「届け出る」ことなんかまったくする必要はないのだ。そういう制度がたとえできても、無視すればよい。

 少し付け加えておくと、ボクはどんな服を着るかも「表現の自由」であると考えていて、制服の自由化を求めたこともあった。当時でも東京や長野など(ボクは高校生の時調べたのだ)では私服のところもあったのだが、田舎では無理だった。

 大学を卒業して田舎に帰ってきたら、高校生が「制服が好き」と言ったのでガッカリした記憶がある。
 自由を求める気風は、ボクらの時代だけだったのか・・・。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする