浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

【映画】「戦争と一人の女」

2014-11-30 23:32:02 | 日記
 「あいときぼうのまち」、映画終了時に、脚本を書いた井上淳一氏がぜひパンフレットを購入して欲しいと訴えた。あまりに観客が少ないので、申し訳ないと思って購入した。ついでに舞台挨拶をした4人にサインをもらった。

 家に帰ってそれを読んだら、井上氏は「戦争と一人の女」という映画を監督したとあった。ネットでさがしてみたら、なんとその映画が見られることに気づき、早速アクセス(下記)。

 実は、陰惨な映画だ。日本がおこなった戦争の本質がはっきりと描かれていた。井上氏は、若松孝二監督の弟子のようだ。なるほどと思った。何の妥協もせずに、ストレートに戦争の本質に迫っていく。

 ボクは最後まで真剣に見続けた。

https://www.youtube.com/watch?v=lilyx4_M66k

 なお、原作は坂口安吾。

 井上監督のインタビューは下記。

https://www.youtube.com/watch?v=UwVJfFeI5vU
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【映画】 「あいときぼうのまち」

2014-11-30 23:30:36 | 社会
 大文字の歴史が、まるでブルドーザーのように、家族、そして一人一人の人生に襲いかかりなぎ倒していく。戦争、原発の建設、そして原発事故。そのブルドーザーは、すなわち国家である。

http://www.u-picc.com/aitokibou/#prettyPhoto/0/

 ある家族。父が戦死。戦時下、母と息子(草野英雄)が母のふるさと、福島へ帰る。福島県石川町は、戦時中、「新型爆弾」の原料を調達すべく、学徒動員により採掘作業が行われていた。英雄は、その作業に従事する。そしてその仕事を担当した軍人と母とができてしまう。
 戦争が終わり、母は自殺する。

 1960年代半ば、福島に原発をつくろうという話がもちあがり、土地の買収が進む。しかし、英雄は売ろうとしない。回りから様々な圧力がかかり、また妻も離れていってしまう。英雄は、戦時下の思い出をこころにしまいながら生きてきた。その思い出とは、国家は信用できないということだ。
 結局、英雄も土地を売る。同時に、福島の海で自殺する。
 英雄には中学生の娘(愛子)がいた。愛子には交換日記をする彼(奥村健次)がいた。奥村は、「原発は未来のエネルギー」という標語をつくる。父を亡くした愛子は健次に体を投げ出す、しかし健次との関係はここで途切れる。
 愛子が上京したからだ。その後の人生は詳しく紹介されないが、社会派の人間として愛子は生き、その過程で学生運動をしていた男性と知り合い結婚(西山姓となる)、そしてお婆さんとなる。その西山家は南相馬市に住む。

 健次はその後東京電力で働く。40年間だという。ふつうに結婚し、そして息子ができるが、息子は原発で働き、そしてそのせいで死ぬ。息子は、自らの死を明らかにするために裁判を起こして欲しいというが、健次はそうしない。息子より東電を優先する健次に愛想を尽かした妻は去る。

 愛子は、フェイスブックで、健次の所在を知る。そして再会する。愛子と健次は、過去を懐かしむように、身体の関係を結ぶ。孫の高校生・西山怜(ホルンを得意とするふつうの高校生だ)はそれを知ってしまう。
 2011年3月11日、愛子と健次は、中学生の頃に結ばれた福島の海岸を訪れる。その跡をつけた怜は、健次の車のキーを抜き、それを放り投げる。
 地震、そして津波。愛子は還らぬ人となる。怜は、自分が祖母・愛子を殺したと思ってしまう。

 南相馬市から東京に避難した怜は、体を売ったりする生活に入る。しかしそのなかで、福島に義援金をと、義援金詐欺をしている男・沢田と出会う。
沢田の運転で、福島の海に行く。そして放射性物質がこびりついている枯れ葉を、怜はもってくる。そして東京のビルの屋上からそれをまこうとするが、沢田がそれを止め、沢田がそれをまく。空から降ってきた枯れ葉を、幼児が拾う。

 沢田と怜は、警察へ。怜は、警察から解放され自宅へ。そこで、怜は、祖母愛子が他人を助けるなかでいのちを落としたことを知る。

 怜は、福島の海を訪れ、ホルンを奏でる。その音色が、時空を超えて響きわたる。

 以上がストーリーだ。

 ふつうに日々を生きている家族に、国家が戦争という災いを引き起こし、それにより家族が引き裂かれる。家族は、そうした歴史を背負う。その歴史は世代を超えて伝えられていく。するとまた、原発の建設により、家族は引き裂かれる。
 そして3・11。

 ボクたちは、大文字の歴史が、そうした家族のささやかな歴史を引き裂くという、無数の歴史を想起することができる。そうした無数の歴史が、日本のどこにでも転がってるからだ。そしてそれは、今につながっているのである。

 しかし、いい加減に、そうした大文字の歴史が、ささやかな家族や個人の歴史をなぎ倒していくということは、なくしていかなければならない。

 今日の映画、シネマイーラで今日一回だけの上映だった。見ていたのは、10人くらい。そこへ,脚本を書いた井上純一と俳優3人が挨拶をした。あまりに観客が少なくて、申し訳ないとおもった。

 原発事故の映画は、観客数が伸びないという。これからもこの映画は、あちこちで上映されるだろう。ぜひ見て欲しい。見るべき映画だ。

 ボクは歴史の無情と、そして怒りを覚えた。忘れてはならない、福島の原発事故。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思想史のために(1)

2014-11-30 09:27:10 | 日記
 人々は日々何ごとかを思い、考えながら生きている。それは広義でいったらそれも思想ではある。しかし、それは時間とともに移ろい、ある場合は消えていく。したがって、それは思想史の対象とはならない。

 思想史の対象となるものは、表出された、あるまとまった思考の結果である。その場合、すでに書かれたものがもっともその対象となりやすい。

 しかし、書かれたものをすべて対象とするべきではない。今度はその思想の内実が問題となる。つまりいかなる思想を取り上げるべきかということだ。

 しばしば記していることだが、一般庶民は「時流」に呑まれる傾向が強い。坂口安吾がいう「時代的感情」である。「きわめて雰囲気的な、そこに論理的な根底はまったく希薄な」「ぬきさしならぬ感情的な思考」(『日本論』241)である。そういう「時流」や「時代的感情」を析出することも、思想史の対象である。そしてそれはきわめて重要であって、「個を没入せしめ」(前掲書、208)、個を何らかの行動に駆り立てる、その「時流」や「時代的感情」は当該期の歴史を明示するためには必要な作業である。

 他方、注目すべきは、そうした「時代的感情」や「時流」に対して違和感を持ち、それらを相対化する思想も重要である。そうした思想は、次の時代の思潮を準備するものであろうし、当該期の「時代的感情」や「時流」を逆により鮮明にするものであろう。

 そこで今ボクが注目しているのが、坂口安吾である。彼の『日本論』を読んだのは、そのためである。とくに彼がする天皇制への言及は、天皇制の本質を垣間見せ、あるいは天皇制を相対化するものとなっている。敗戦直後、未だ庶民が天皇制の呪縛に「没入」しているとき、安吾は天皇制の本質にせまる思考を開陳している。

 ボクの友人には反天皇制の思考を強固に持ち続けている人がいるが、自分だけがそういう思考をもつのではなく、どちらかというと庶民の近くにいた文学者が、どういうように天皇制をみつめていたかを析出することは、天皇制を相対化する一歩になり得るのではないか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「アベノミクスによる大企業の利益の一部が自民党に“還流”している」

2014-11-29 19:58:13 | 政治

政治資金:自民へ企業献金43%増 証券、重電が急増
 『毎日新聞』(2014年11月29日)の記事。

 安倍政権の政治大企業のための政治であることを、政治献金が証明している。

 アベノミクスによる円安・株高などで業績を伸ばす大企業が、昨年1年間で自民党の政治資金団体「国民政治協会」への献金額を軒並み増やしたことが、28日に公表された政治資金収支報告書で分かった。証券大手では前年比で5倍以上増やしたところもあり、重電も2~3倍増。自動車メーカー各社も一斉に増やした。自民党は2012年末の総選挙で与党に返り咲き、同協会への献金総額も野党だった前年の約1.5倍に膨らんだ。

 同協会の13年分収支報告書によると、企業・団体からの献金総額は19億5408万円で、前年比43%増。野党時代の10~12年は13億円台だった。しかし、リーマン・ショックの前年で与党だった07年は30億円を超えていた。

 昨年の献金額上位50社を見ると、前年より減らしたのは1社、同額は3社で、残りは増やした。

 増額幅が大きかったのは、株式市場の活況を受けて業績をリーマン・ショック前のレベルに急回復させた証券大手2社。

 野村ホールディングスが5.6倍の2800万円、大和証券グループ本社も3.6倍の2500万円を寄付した。

 商社も13年度に最高益を記録した伊藤忠商事と丸紅がそれぞれ4.5倍の1800万円と3.7倍の1300万円、三菱商事、三井物産、住友商事も4倍近い2300万円を納めた。

 重電の増え方も目を引く。東芝と日立製作所は横並びで前年の約2倍の2850万円。三菱重工業は3倍の3000万円だった。

 企業献金額のトップは前年に続きトヨタ自動車で6440万円。12年までの3年間は毎年5140万円で、1300万円増やした。トヨタは12年末からの3カ月間で円安効果により営業利益を1500億円増やし、献金は4月に行った。

 自動車メーカーでは日産が850万円増の2900万円、ホンダも700万円増の2500万円で、他の5社も増額した。

 法人税率引き下げや原発の早期再稼働などを求めている経団連は今年、加盟企業に政治献金の呼びかけを5年ぶりに再開しており、14年の総額はさらに増えるとみられる。しかし、企業・団体献金は癒着を生むとして長年問題視されてきた。アベノミクスによる大企業の利益の一部が自民党に“還流”しているとの批判もある。【鈴木泰広、関谷俊介】
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍政権のメディア支配とテレビ朝日

2014-11-29 19:40:28 | メディア
 朝生に出演するはずであった荻上チキ氏の出演が直前に取り消された。その背景を水島宏明氏が喝破している。

 http://bylines.news.yahoo.co.jp/mizushimahiroaki/20141129-00041076/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「時流」

2014-11-29 19:20:08 | 読書
 坂口安吾の「堕落論」に、ボクがよく使用する「時流」に似た表現があった。さすがに文学者である。「巨大な生物」・・

 政治の場合に於て、歴史は個をつなぎ合わせたものでなく、個を没入せしめた別個の巨大な生物となって誕生し、歴史の姿に於て政治も亦巨大な独創を行っているのである。この戦争をやった者は誰であるか、東条であり軍部であるか、そうでもあるが、然し又、日本を貫く巨大な生物、歴史のぬきさしならぬ意志であったに相違ない。日本人は歴史の前ではただ運命に従順な子供であったにすぎない。政治家によし独創はなくとも、政治は歴史の姿に於て独創をもち、意欲をもち、やむべからざる歩調をもって大海の波の如くに歩いて行く。

 あるいは「時代的感情」。

 国民は戦争を呪っていても、そのまた一方に、もっと根底的なところで、わが宿命をあきらめていたのである。祖国の宿命と心中して、自分もまた亡びるかも知れぬ儚さを甘受する気持になっていた。理論としてどうこうということではない。誰だって死にたくないにきまりきっている。それとは別に、魔物のような時代の感情がある。きわめて雰囲気的な、そこに論理的な根底はまったく希薄なものであるが、ぬきさしならぬ感情的な思考がある。(240~1)

 結局、人々は非論理的な「時代的感情」のなかにある。人は、「時代的感情」の波間にたゆたうのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

居酒屋

2014-11-29 09:25:28 | 日記
 昨日、清水駅前の「味楽亭はしもと」という居酒屋に行った。昼間仕事をしたあと、そこで懇親会をもったのだ。酒を飲まないので、そこの酒はどうのこうのと言う資格はもちあわせていないが、しかし料理については素晴らしかった。一品一品だされてくる料理は、割烹店並であった。居酒屋というのは、安いこと、料理については腹に入ればよい、という店がほとんどであるので、酒を飲まない小生としてはあまり行きたくはない場所である。

 しかし、この「味楽亭はしもと」の料理は、何重にも工夫され、味も微妙な旨さをもったものばかりだ。

 清水駅前のアーケード内にある。駅から歩いて5分はかからない。ただし、こういう店だから客が多く、フリーで行くと入れないこともあるという。予約が必要とのこと。

 いちおう電話番号を記しておく。054-366-5867

 帰り際にトイレに入ったが、一輪挿しに風雅を感じた。

 
 ところで、清水駅前のアーケードには、初めて行ったが、人通りは少なく、居酒屋などが軒を連ねていた。昔はいろいろな店が並んでいたという。ここも他都市と同様にシャッター通りになっているようだ。

 地方都市の昔の繁華街は、昼間は人通りがなく、夜は居酒屋のネオンが輝く。駅前商店街ですら、この状態である。

 往年の“にぎわい”は取り戻せないのだろうか。すでに人口減少の時代に突入している。人がいなくなるというのはとても寂しいことだ。団塊世代がこの世を去るころ、日本の人口はどうなるのだろうか。
 残念ながら、そうした先を見通した政治が、ついぞ行われてこなかった。自民党/公明党の、目の前の利益優先の政治がこうした事態をつくりだしてきたのである。国民が、こうした現実を真摯に見つめる時、政治も社会もかわる。総選挙が間近である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍自民党の メディアへの恫喝

2014-11-27 08:28:19 | メディア
 総選挙を前にして、安倍自民党がメディアに、自民党に批判的な報道をするなという恫喝を行ったようだ。いよいよもって、安倍自民党のめざす国家は、北朝鮮のような国であることが明らかである。政権への批判を許さない暗黒の日本。すべてのメディアを、NHK化するということだ。

 下記に具体的なことが記されている。

http://lite-ra.com/2014/11/post-659.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ふと・・・・・

2014-11-26 21:20:23 | 日記
 昨日、今日は雨だった。「晴耕雨読」の日々をおくるボクは、この二日間は「雨読」で時を刻む。『芸術新潮』を読み、“阿弥陀如来座像”と対面して仏教を思い、依頼された仕事の校正を二つばかり済ませ、A4一枚の政治評論を書き、そして線香を焚く。

 その一方で、坂口安吾を読む。『日本論』(河出文庫)、1989年刊行のものである。実はこの本、読むのはおそらく三度目だ。坂口安吾の小説は好きではないが、彼の評論は読む度に新たな発見をする。

 たとえば「魂の孤独」(159頁)なんてことばに遭遇する。すると、「魂の孤独」を想う。「魂の孤独」を心の底から実感したのは思春期だ。その後も時に頭をもたげたりしたが、最近はとんと想うこともない。「魂の孤独」はなくなったのか。安吾は、こういう。

 魂の孤独を知れる者は幸福なるかな。そんなことがバイブルにでも書いてあったかな。書いてあったかも知れぬ。けれども、魂の孤独などは知らない方が幸福だと僕は思う。女房のカツレツを満足して食べ、安眠して、死んでしまう方が倖せだ。

 だが振り返ってみると、「魂の孤独」を感じていた頃のほうが、魂は豊穣であったし、創造的であったような気がする。
 この年になると、感じなくなるのだろうか。

 そういえば、この前テレビで高倉健主演の“あなたへ”を見た。妻を亡くした男一人、妻の遺骨を散骨するために平戸へ行くというものだ。高倉健の映画にまとわりつく「孤独」が漂っていた。

 どのような「孤独」であっても、もし「孤独」を感じてしまったら、人間は生きていかざるを得ないから、それに耐えていくしかない。

 かくて、文学者が書いたものを読むと、いろいろ考えさせられるのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作善

2014-11-26 14:40:33 | 日記
 先祖が眠る寺は曹洞宗の小さな寺院である。子どもの頃、檀家が少なかったからか、その寺は無住となった。
 そこで檀家総代が近隣の寺の住職に葬祭などの世話を依頼した。しかしその住職は、仏の世界より、現世におけるカネが最大の価値だとして、檀家からカネをせびり続けた。
 只管打坐という曹洞宗ではあるが、江戸時代からカネ儲けに長けていたようだ。だから、曹洞宗とは無縁でいたいと思い続けている。

 さて町田の住人の菩提寺は、浄土真宗だそうだ。「南無阿弥陀仏」を唱えれば浄土に行けると言い続けている。「悪人」であっても念仏さえ唱えれば往生できるのだから、と善を積むことはしなくてもよいのだという。

 『芸術新潮』の12月号が届いた。特集は修理が終わった平等院鳳凰堂である。その解説を読んでいたら、こういう記述があった。教えてあげなければならないと思った。仏教の教えは、親鸞の説だけではないからだ。

 ひと口に極楽往生と言っても『観無量寿経』では9つの段階に分けられており、上品上生が最上位。以下、上品中生、上品下生、中品上生・・・と順位が下がり、最下位がが下品下生となります。もちろん、良い行いをした者ほどランクが高く、罪深い者ほどランクが下がる。

 やはり「作善」をして、極楽往生にむけてポイントを稼いでいかなければならないのだという。

 鳳凰堂には、大仏師定朝の「阿弥陀如来座像」がある。阿弥陀如来は極楽浄土に住まい、自らを信じるあらゆる人を救済されるという。

 しかし、ボクは、生きとし生けるものは、無から生じ、そして無へと消えていくと思っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安倍首相、「ヘイトスピーチ」集団に?

2014-11-25 18:57:12 | 政治
 安倍首相は、やはりあの人たちの仲間だった。


http://www.j-cast.com/2014/11/25221620.html

J-CASTニュース トピックス 社会

安倍首相がFacebookで「保守速報」紹介、波紋広げる


安倍晋三首相のFacebookアカウントが2014年11月24日22時半ごろ、まとめサイト「保守速報」のリンクをシェアしたことが波紋を広げている。

衆院解散に疑問を投げかける政治サイト「どうして解散するんですか?」をNPO法人「僕らの一歩が日本を変える。」代表の男子大学生が「小学4年生」になりすまして開設・運営したことが発覚し騒動となる中、安倍首相のFacebookも24日、これに言及。「批判されにくい子供になりすます最も卑劣な行為だと思います」と批判した。

このコメントとともにシェアされていたのが、「保守速報」のリンクだった。首相の秘書が22日に自身のFacebookで保守速報の記事を紹介しており、首相のFacebookはその投稿をシェアする形で紹介。記事のタイトルは「民主党が小学4年生のふりしてアベノミクス解散に疑義を唱えるステマサイト開設か!?ネット炎上」というものだ。

保守速報の運営者は14年8月、ネット上のヘイトスピーチを掲載したとして在日コリアンのフリーライター李信恵さんに提訴されている。首相のシェアには批判的な声がいくつも寄せられ、ジャーナリストの津田大介氏も「一国の首相が保守速報をシェアする、そんな時代か......」とツイート。認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹氏は安倍首相のツイッターに「総理ともあろう方がヘイトスピーチ満載のまとめサイト『保守速報』をシェアするのは、如何なものでしょうか?」と質問した。

その後、安倍首相のFacebookからは投稿が削除された。その上で25日未明、「どうして解散するんですか?」について言及したコメントのみが再投稿された。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】坂本義和『人間と国家 ある政治学徒の回想』下(岩波新書)

2014-11-25 11:00:03 | 
 名著である。坂本氏が、平和的な国際秩序を創造するために、国境を超えてまさにグローバルに世界の知識人に働きかけていったその軌跡が記されていると同時に、その行動の起点となる氏の思考が記され、その思考は現代においても十分通用するものであること、こういう平和学の碩学から学ぶものがきわめて多いことを知ることができる。

 坂本氏は「理想主義」だといわれるそうだ。それに対して氏はこう反論する。

 人間にとって、「理想」と「現実」を別物のように対立させることは「非現実的」です。およそ人は生きている限り、自分が生きることに何らかの意味があると、意識的・無意識的に前提にしています。人間の生き甲斐とは、生きることに目的があることであり、その目的は、本質的にまだ十全に実現されていない目標、つまり「理想」にほかならない・・

 として、こう記す。

 主体的立場と全く無関係な、固定的な「客観的現実認識」などというものは、ありえません。・・「現実」は歴史的に動いており、人間の目的志向・価値志向の主体的行動によって動かされていることを認識するのが「リアリズム」です。(192~3)

 これは歴史認識においても同様であって、「主体的立場と全く無関係な、固定的な」、「客観的」歴史認識もありえない。だからこそ、ボクらは常に「主体的立場」に関して研鑽を積まなければならないのであって、その後獲得されるべき、あるいは到達すべき認識(「現実認識」「歴史認識」)にたいしては厳密な学問的方法論に立脚して立ち向かわなければならないのである。

 そしてその「主体的立場」にとって不可欠であるべきは、「他者の尊厳に対する感性」、「他者のいのちに対する感性」、「他者のいのちに対する畏敬」(226)である。

本書は、坂本義和という平和(政治)学の碩学が、いかなる視点で平和や国際秩序の構想を実現しようと図ってきたのかを記したもので、そこには今に生きるボクたちの思考に大いに参考になる内容をもっている。

 読むべき本の一つである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】坂本義和『人間と国家 ある政治学徒の回想』上(岩波新書)

2014-11-24 20:30:50 | 
 『世界』12月号で、最上敏樹氏の「「醒めた規範的リアリズム」に寄せて」を読んだ。副題は「坂本義和先生を追悼する」である。

 坂本義和氏は政治学者。高校生の頃から『世界』を購読しているボクにとっては、坂本氏の論考は近しいものであった。坂本氏の主張は、表題のように「醒めた規範的リアリズム」、現実をきちっと認識し、そこからどのようにあるべき状況にしていくかを、論理的に詰めていく。「あるべき状況」というのは、当然ある種の理想へ現実を向けていくということだ。
 そうした論文が、『世界』という雑誌にしばしば登場していた。

 最上氏の文を読み、坂本氏の自叙伝たる本書は読むべき価値があると思い購入して読んでみた。まだ上巻しか読んでいないが、まず気付いたのは、坂本氏の周辺にいたきら星のような、その筋では一流の学者たちとの交流である。その交流も、みずからの主張をぶつけていくなかで(妥協することなく)つくられてきたもので、坂本氏の主張に合わないと思った人たちは遠ざかっていったようだが、坂本氏から遠ざかるということはなかったようだ。

 「まえがき」の最初の頁で、坂本氏は「国家と国家の間の戦争の時代は終わったとよく言われています。しかし、国家の名のもとに、ひとを殺すことが正当化されることは、過去のものとなったわけではありません。」と鋭いことを指摘する。そしてその後にも、みずからの来歴を記しながら、ときに鋭い警句を発する。

 「時代がひとの目を狂わせ、時代が読み方を拘束するのです」(71頁)、そして「ゲッペルスは権力の美学によって国民を酔わせる力を計算しつくしていたのですが、それは非力な知性を圧倒する魔力を持っていました」。
  
 ボクは、「非力な知性」が「権力の美学」によって圧倒される、ということばに、今を重ね合わせる。

 「戦中は国家主義的・右翼的だった人が、にわかに左翼的言辞を弄する例などを見ると、そこに思想的な弱さを感知せざるをえなかった」(111頁)

 ここを読んで、今は逆だと思う。かつては「左翼的」だった労働法学者が、今は「新自由主義的」な言辞を弄し、反労働者的なことを半ば強引に推し進める。そこに「思想的な弱さ」を坂本氏は見るが、ボクはそこに「思想」を見ない。ただ“時流”に乗っているに過ぎない。そこには「思想」はない。

 また坂本氏は、ベンジャミン・フランクリンの

 There never was a good war or a bad peace.

を引用し、「半面の真理」だという。よい「戦争」なんてないし、「平和」が悪いなんてことはないのだ。どんな状態であろうとも、戦争がないということはそれだけですばらしいことだ。平和のもとで、悪しき状態をよくしていくことが求められるのである。

 それと関わって、「武力による「民族解放戦争」が、どこまで正当化できるか」という問題を、坂本氏は提起する(208頁)

 北ヴェトナムの指導者は、「もしこれほどの犠牲を払うことがはじめから分かっていたら、われわれはこのような戦争をしなかっただろう」と語ったという。

 この問題は、現時点でも考えるべき重要なテーマである。坂本氏は、「戦争そのものを否定する」立場であるのだろうが、この問題はボクたちが考えるべきものである。

 上巻だけ読んだ。いろいろ示唆されることが多い本だ。「非力な知性」であっても、そこに力を与えることはできるだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カルチャースクール

2014-11-23 23:50:42 | 日記
 某カルチャースクールから静岡県の歴史についての講座の講師を引き受けてくれないかという書状が届いた。そのスクールは、参加者がボクにとっては高額なお金を払って聴くというものだ。

 ボクは、公民館(協働センター)や賀茂真淵資料館の講座の講師を務めたことがある。公民館では参加者は無料、資料館では500円くらいを払うのか、いずれにしても500円を資料代とすればほとんど無料である。ボクが作成したレジメやプレゼンには、高額なカネが投資されている!

 そのスクールの要請はお断りした。

 その理由の第一は、講座の準備がなかなかたいへんだということだ。賀茂真淵資料館の3回講座に関して、ボクはたくさんの書籍を購入し読破した。講師料をはるかに超える書籍代をつかい、それを読破する時間を厖大に費やした。
 ※ただしこういう機会を与えていただき、勉強する契機となったので、たいへん感謝している。国学について本格的に学んだのは、はじめてだったから。

 もし引き受けた場合、設定するテーマのための書籍を購入し、それを読み、レジメをつくり・・・・という作業をしなければならない。だがそんな時間は,今のボクにはない。
 ※ 畑も待っている。野菜は生き物であって、常にボクの労働を待っている。

 こうしたスクールのチラシが時々入ってくるが、同じ講師が様々なテーマで講座を持っていることに気付く。しかしそれぞれのテーマを考えると、なぜ次々と異なったテーマで話ができるのかと驚いてしまう。ボクにはとてもできない。

 第二に、与えられたテーマで、ボク自身のオリジナリティがだせるか、ということだ。どこかに書いてあるような話はしたくはない。となると、テーマはこちらでつくったものでないと、責任をもった話はできないということである。

 だからお断りのメールを、すぐにだした。

 今のボクは、現在の政治状況に関する問題に関心を抱いていて、そうしたテーマで話をさせてくれるなら引き受ける。もちろんそれは現状をよりよくしていくためである。現代の日本社会が抱えている問題点を指摘して、共に考え、よりよくするための行動に立ち上がるためである。

 ボクは、今まで行ってきた研究でもそうであるが、「今それを研究する意味がある」ものしかやってこなかった。

 故遠山茂樹先生が、すべての研究は現代的課題を見すえながらすべきものであるとよく話されていた。
 限られた生きる時間、そういう研究をしたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【本】矢部宏治『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないか』(集英社インターナショナル)

2014-11-22 23:39:03 | 
 この本は、沖縄の話から始まる。
 テレビのニュースなどで、米軍機が沖縄の住民が密集して住んでいる上空をひっきりなしに低空飛行をしていること、しかしその近くにある一定の場所の上空では米軍機は低空飛行していないという事実、その場所とは米軍人らの住居があるところであること、米国では住民が住む上空の低空飛行は禁じられていること、危険だからだ、だから米軍機は米国の法は守る、しかし沖縄の住民が住むところで低空飛行することはかまわない、という話から始まる。

 こうした人権侵害の事実があるにもかかわらず、日本政府はその状態を変えようとはしない。日本人の人権が侵害されても、それを放置する。

 次の話は、鳩山民主党内閣のこと。鳩山政権は、普天間基地の県外または国外への移設を提案したこと、しかしその案をこともあろうに米国(米軍)に対してちくったり、批判したりした官僚がいたこと、その名は防衛官僚・高見沢將林(たかみざわのぶしげ)と外務官僚・齋木昭隆であること、そしてその政権とともにあった小沢一郎に対して検察が執拗な攻撃を繰り返したこと、それにマスコミも協力したこと、である。

 このような事例をもとに、「日本の本当の権力の所在が、オモテの政権とはまったく関係のない「どこか別の場所」にあることが、かなり露骨な形で明らかになった」(17頁)とし、どこに「本当の権力」があるかを、戦後史の展開のなかで明らかにしていくという内容である。

 ボクはこの本をざっと読んだ。すばらしい本だ。そして今、もう一度読み直し始めている。今度はじっくりと。

 安倍政権はじめ日本の政治が、どうにもこうにもならないという現実。その理由が解き明かされる。

 総選挙がおこなわれる。日本政治の本質をしっかとみつめるべきである。この本の価格は、1200円+悪税である。

 ぜひ、ぜひ読んで欲しい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする