極右政権である自民党・公明党政権は、欧米諸国と気脈を通じ、NATOと歩調を合わせようとしている。しかし、今年の八月九日、長崎の原爆記念式典にイスラエルが招聘されなかったことに抗議して、アメリカなど白人帝国主義諸国が長崎市長に抗議行動を展開したことは記憶に新しい。白人帝国主義諸国は、歴史を振り返ると、ほんとうにろくでもない国家群である。戦争ばかりしてきたし、ヨーロッパ以外の地域では虐殺をはじめ、人道に悖ることを平気で、それも長い間行ってきた極悪人どもである。
それを歴史的に振り返ってみよう。
アジア諸地域が豊かな物産に恵まれ、頻繁に平和的な交易活動を行っていた。その頃貧しいヨーロッパはどうだったのか。
(2)戦争に明け暮れるヨーロッパ→武器の発達
○ヨーロッパと戦争
「ヨーロッパの起源は戦争という鉄床の上でたたき出されたのだ」(マイケル・ハワード『ヨーロッパ史における戦争』中公文庫、13頁)といわれるほどに、戦争に明け暮れていた。
「ローマの平和」の崩壊→東方からゲルマン人、南方からムスリム、北方からヴァイキング(5世紀~10世紀末)→その後は、ヨーロッパ自身が膨張運動を展開、まず東方へ、そして航海術を学び、南方と西方へと膨張する。
「ローマ帝国の分裂後、小国家間の闘争や侵入者との攻防により、戦乱の時代を迎えた西洋中世。政治、経済、宗教はすべて戦闘を優先して営まれ、人々は闘いのなかで技術を育み、社会の規律を整えていった」(『中世ヨーロッパの戦い』)
○ヨーロッパ中世(5世紀後半から15世紀末)
封建制(軍事的専門家・土地保有権・個人的義務)+キリスト教(ラテン)
その中での戦争=報酬目当ての戦争(私戦、公戦、死戦)
火薬の使用(中国、欧とも13世紀前半)=「火薬の爆発力は、うまい具合にまわりをふさいでとじこめれば、それまで不可能であったような力で投射物をとばすのに使えるという着想」(ウイリアム・マクニール『戦争の世界史』170頁)→百年戦争で大砲使用
(3)ヨーロッパ人の東方貿易
○中世ヨーロッパ人の食生活・・野菜や穀物の他には塩漬け肉、野鳥類、塩乾魚。塩漬け肉には強力な防腐剤やにおい消しが必要。天然痘やコレラ、チフスなどの死病に効果(医薬品)→胡椒・香辛料が欲しい!!
※農業生産力が低いために、高価な農業生産物、したがって職人の高賃金、それに伴い貨幣経済の発達
○胡椒・香辛料の輸入ルート・・カリカット→ペルシャ湾・紅海→シリア・エジプト→ヴェネチア→ヨーロッパ各地・・・・・高額(運送代、関税など)
○オスマントルコ(1299~1922)→ヨーロッパ・キリスト教世界と対峙(特にハプスブルク帝国)と融和(フランスなど)
アナトリア(小アジア)、バルカン半島、中東、アフリカ北岸の支配。地中海の制海権→ヨーロッパ商人、アジアとの直接交易が困難。オスマン政府からの貿易許可状必要
◎1492年がやってきた
「あるときヨーロッパは自分を取り囲む者たちを追い払って世界征服に乗り出し、手当たり次第に民衆を虐殺し、彼らの富を横領し、彼らからその名前、過去、歴史を盗み取る」(ジャック・アタリ『1492ー西欧文明の世界支配』ちくま学芸文庫、012)
(1)キリスト教純化への動き・・ローマ教会、ヨーロッパのすべての君主に、非キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒を追放して、大陸を「純化する」よう促す(1073年から)。それは1492年に完成する(レコンキスタ=再征服)。魔女狩り(15世紀から18世紀、最盛期は16~7世紀)
(2)イベリア諸国の旅立ち①・・新世界へ=凄まじい破壊と略奪、狼藉
ヨーロッパ人の世界認識=ヨーロッパ、アジア、アフリカの三大世界
コロンブス(1451~1506、イタリア人だが、スペイン王の援助)1492年8月出発→バハマ諸島到達→1493年帰国、第二回航海(1493~96)、第三回(1498~1500)、第四回(1502~04)
(3)アメリカの植民地化
○命名「アメリカ」←アメリゴ・ヴェスプッチ=1499~1504まで4回新大陸にいく。1507年地図学者ヴァルトゼーミューラーが「アメリカ」「アメリガ」と命名。1514年レオナルド・ダ・ビンチは「アメリカ」と呼ぶ。スペインで「アメリカ」を使用するようになるのは、19世紀。それまでは「インド諸島」。
○先住民の言語の喪失=ヨーロッパ言語の普及
○虐殺エスパニョーラ島(30万人→1000人=1540年)
1519年コルテスの上陸(700人の男、14門の大砲)→アステカ帝国を滅ぼす。
1548年サカテカス銀山発見(スペイン人の殺到、黒人奴隷の導入)
メキシコのインディオは、1519年2500万人→1605年100万人
1531年ピサロ、ペルーへ。インカ帝国を占領。
1530年1000万人→1600年130万人
1545年ボリビア南部でポトシ銀山発見。800万人のインディオが酷使される。銀はスペインへ運ばれる。→「価格革命」
ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』
○フランスとイギリスは、アメリカ北部へ。植民地化は、17世紀に始まる。
1620年清教徒のメイフラワー号、ニューイングランドへ。先住民との戦闘、虐殺。伝染病。
17世紀後半ジャマイカなどへのイングランドからの移民→砂糖プランテーション+奴隷貿易
※「環大西洋世界の形成」
コロンブスの発見=ジャガイモ、タバコ、トウモロコシ、カカオ、バニラ、ピーナッツ、パイナップル、七面鳥(金銀だけではなく、有用な植物の探索→植物園)
コロンブスが持ち込む=サトウキビをエスパニョーラ島へ→サトウキビの生産
※「キニーネ」(マラリアの治療薬)・・ペルーの治療師がスペイン人入植者に教える!
17~8世紀の三角貿易
アメリカからヨーロッパへ 綿花、タバコ、砂糖、コーヒー
イギリスからアフリカへ 火器、雑貨、綿織物 アフリカからアメリカへ 奴隷
※黒人奴隷は1000万人以上。ポルトガル、イギリス、フランスが主。
※イギリスの紅茶文化
東アジアの茶とカリブ海の砂糖が結合←17世紀半ばから一般化(「商業革命」)
茶の効能=風邪、健忘症、壊血病、頭痛、胆石などの特効薬
(4)イベリア諸国の旅立ち②・・アジアへ(破壊と略奪、狼藉)
特徴=火器による武装と選民思想(キリスト教)
●バルトロメウ・ディアス(1455頃~1500、ポルトガル)1488年喜望峰へ到達(プレスター・ジョンの国を求めて)
※プレスター・ジョン伝説=アジア、アフリカにいるキリスト教君主。これと組んでヨーロッパは異教徒と戦おうと考えた。
●バスコ・ダ・ガマ(1469~1524、ポルトガル)1497年7月リスボン出発→11/22喜望峰→1498・3モザンビーク(砲撃・略奪)→(途中、略奪)→5/20カリカット沖到着→5/28上陸(王への謁見)→8/29カリカット出港→1499/8旗艦リスボン帰港
ガマの贈り物=布地、外套、帽子、珊瑚、水盤、砂糖、バターと蜂蜜←「何だこれは!!」
その後、カブラルがインドへ(途中、ブラジルを発見)1年4ヶ月で往復
●ガマ、二度目のインド行き1502/2 砲撃、掠奪、船に砲火、カリカットでムスリム処刑、砲撃(400発)。翌年帰港。莫大な香辛料で莫大な富を得る。
※ポルトガル「海上帝国」=貿易活動を武力で支配→胡椒・香辛料貿易の独占を図る
1503~15インド洋の主要な港町を征服=ソファラ(東アフリカ、1505)、モザンビーク(1508)、ゴア(西インド、1510)、アンボン(モルッカ諸島、1512)、ホルムズ(ペルシャ湾、1515年)、マラッカ(マレー半島、1511年)
インド洋で貿易を行うものは、ポルトガルに税金を納めるようになる。
◎ヨーロッパは、アジアの豊かな物品を交易するネットワークの中に入り込む。
インド洋では、火器を使用して暴力的に。
●マゼラン(1480~1521、ポルトガル人、しかしスペイン王の援助)1519年5隻で出発 1520年11月マゼラン海峡通過→1521年12月フィリピンに到達(先住民と交戦、死去)
→1522年9月1隻帰国※暴力、略奪、殺人など
※先占の法理=国際慣習法上の権利。ある国家が、どこの国家にも領有されていない無主の地に事実上の支配を及ぼし、自国の領土とすること。「所有すること、それはまず命名すること」
※ジャック・アタリ「一般に〈欠乏〉、つまりそれから生まれる挑戦意欲の方が、豊かさ以上に活力を与えるものだ」(『1492』、365頁)
ヨーロッパの〈欠乏〉が、アジアアフリカ、新大陸などへの「挑戦意欲」を生み出し、そして非西欧地域を暴力的に従属化させていったのである。