ロシアによるウクライナ侵攻、その殺戮と破壊は、いつも心のどこかにある。だから、どうしてもロシアに関わる本を手に取ってしまう。
昨日書庫からもってきたのは、高杉一郎の『征きて還りし兵の記憶』(岩波書店、1996年)である。高杉はシベリアに抑留された人だ。戦後は静岡大学教授として静岡市に住んでいた。
この本の中に、「アントン・チェーホフとジョージ・ケナン」という文がある。チェーホフは、あのチェーホフである。彼の著作に「サハリン島」がある。私の書棚にはチェーホフ全集が読まれる順番を待っていて、その順番がなかなかやってこないことに呆れられているのだが、なぜチェーホフがサハリン島に行ったのか、それを高杉は、チェーホフがケナンの「シベリアと流刑制度」を読み、ロシア帝国の流刑制度に人間的怒りをもったからではないかと考えた。高杉は、自分自身がスターリン体制下のシベリア抑留という流刑制度のなかに放り込まれているからでもあった。
サハリンはロシア帝国の過酷な流刑先であった。チェーホフの妹は「サハリンーそれは、当時ロシアのほんとうのヒューマニスティックな人たちなら、誰ひとり恥辱と戦慄なしには口にできないおそろしいことばでした。」(『兄チェーホフの思い出』)と書いているが、だからこそチェーホフはサハリン島を訪れたのだ。
チェーホフはサハリン島について、手紙で「サハリンにいたあいだは、僕の内臓は腐ったバターをなめたような苦みを味わっただけでしたが、いま思いだしてみると、サハリン島は僕には文字どおり地獄のように思えます」と書いている。
この流刑制度は、むろん、批判され、また廃止されなければならないものであった。しかし、高杉はこう記す。
流刑制度をつくりだしたツァーリズムそのものは崩壊したけれども、そのツァーリズムを革命によって叩きつぶした政権が、ツァーリズムよりももっと無慈悲で大がかりな「収容所群島(GURAG)」を20世紀文明の上にあたらしくつくりだしたからである。(89)
スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチも、流刑制度についてロシア帝国の時代の方がゆるやかであったとしるしている。
「正義」を旗印に革命を行った者たちは、その「正義」の旗の下に、無慈悲な無数の処刑とともに、「収容所群島」をつくりだしたのだ。それらがヒューマニズムとはまったく違背することはわかっていたはずなのに、彼らは意に介すことなく推進した。
チェーホフの時代の「ヒューマニスティックな人たち」が流刑制度にこころを痛めていたのに、革命政権下にもいたはずの「ヒューマニスティックな人たち」は何をしていたのか。
クロポトキンの『ロシア文学の理想と現実』(岩波文庫、これは、私が若い頃、買おうと思いながら買わなかった本である)の一部を、高杉は引用している。
ロシアのインテリゲンチャのほんとうのわざわいは、その意志の弱さであり、願望の弱さだということを彼はよく知っていた。いや、知っているどころか、彼の詩的な精神の全神経をもって感じとっていたのだ。
ウクライナへの軍事侵攻はウクライナ、そして全世界に途轍もない衝撃を与えている。ロシアのインテリゲンチャは、これについても「弱さ」のなかに沈殿しているのか。
高杉は、この文末にこう記している。
政治家スターリンにたいする私の憎しみと軽蔑はこのとき(シベリア抑留者の引き揚げ費用を日本政府に支払わせるというソ連の発言が対日理事会で公表されたときー引用者注)決定的なものになった。なにが偉大な政治家なものか。なにが人類の教師なものか。
シベリアに抑留され労働を強制された高杉の「憎しみと軽蔑」は、今、世界中の人びとがプーチンに抱いているものと同じである。
ロシア帝国、ソビエト連邦、そしてロシア。変わらないものがかわらないまま、ロシアの社会に沈殿しているように思える。変わらない、ということが、私を鬱に追い込む。