コロナ・ワクチンの後遺症を伝えているのは、名古屋のCBCだけ。
コロナについて、このブログではいろいろなことを書いてきた。
最近は、コロナワクチンの後遺症の問題をしばしば掲載している。コロナワクチンの後遺症についての報道は少ない。ただ名古屋のCBCだけが頑張って報じている。
これからのワクチン接種は有料となるようだが、今までは無料であった。物価高で国民の生活が大変厳しくなっているのに政府は何もしない、使い勝手の良い健康保険証をなくしてマイナンバーの使用を強制するとか、自民党・公明党政権は、国民のための政治をまったくしていないのに、なぜかワクチンだけは無料で接種させた。
私は、自民党・公明党政権が一貫して悪政を行っているのに、コロナから国民を守るかのように言ってワクチンを接種させていることにどうしても矛盾を感ずる。ワクチンを接種させる背後に、なんらかの悪しき意図があるのではないかと疑っている。
故障続きでどうしようもない高額なオスプレイ、どこの国も買わないのに、自民党・公明党政権の日本だけが買う背景には、アメリカの軍需産業を日本が支えるという意図があるのだろう。
それと同じように、コロナワクチンについても、背後に闇があるはずだ。
私の友人、いつも政権批判をしている人がいるが、なぜかワクチンは7回もうったという。その話を聞いて私は驚いてしまった。日本政府のコロナ政策を疑うことはなかったのだ。
私は、自民党・公明党政権の行うことに、すべて疑ってかかるようにしている。彼らが良いことをするわけがないからだ。
近くの図書館に行った。いつもとは異なり、駐車場は混んでいた。調べてみたら、コロナワクチンの7回目の接種会場となっていた。
私は、ワクチンは打たない。ワクチン接種による副反応がでて苦労している人びとが多い。そうしたことを問題としないで接種を継続している厚労省には不信感をもっている。
以前にも書いたが、物価高などで国民が苦労しているのに、いっさい対策をとらない政府が、なぜかワクチン接種だけは熱心だ。私はそれに疑念をもつ。
マスメディアは、ワクチン接種による後遺症など、ワクチン接種による様々な問題が生じているにもかかわらず、報じない。
唯一、CBCだけが報道している。
「評価不能 新型コロナワクチンの光と影」ワクチン接種後に死亡した人の家族や“ワクチン後遺症”患者への密着取材 約2年の事実の記録
周辺から、コロナに感染したという情報が流されてくる。しかし今は、コロナが終わったかのように、マスクをしている人も減り、メディアからの情報提示もない。
先進国では、確かにコロナは終わりに向かっているようだ。しかし日本では第9派が来ているということが、ささやかに報じられている。
コロナは第9波?日本のデータなき政策(兪炳匡さん)【山岡淳一郎のニッポンの崖っぷち】20230905
コロナワクチンの接種が9月から始まるという。他国ではワクチン接種はしていないと聞くが、日本だけが接種を積極的にすすめるようだ。
コロナワクチンの問題について報道しているのは、名古屋のCBCだけだ。
統一教会党=自民党と創価学会党=公明党は、神や仏に守られているから(?)コロナにはかからないのだろうか。彼らによる政権は、もはやコロナは過去のこととして、コロナ前を演出しているようだ。
しかし庶民は、まだ警戒している。私もマスクをしているが、多くの人もやっている。
それは正しい。
まずこの事実。
新型コロナに生徒114人感染 埼玉・春日部高校が学校閉鎖 先週末に文化祭
そしてコロナに感染したひとは、もうかからないだろうと甘く見ているかもしれないが、そうではない。
ブレイディみかこ「3回目のコロナ感染、後遺症でプチ認知症に。締め切り、支払い、契約の更新…失念のオンパレードに悩まされて」
近所の娘さん、ワクチン一回目を受けた後高熱が続いた。二回目を受けた後は、喘息のような咳が出るようになった。今まで喘息になったことはないのに、原因はワクチンしか考えられないという。ワクチンをうった町医者は、「ワクチン後遺症ではないと思う」といったらしいが、娘さんや家族は、ワクチンが原因だと判断している。娘さんは、数か月に一度、大きな病院に行ってみてもらっているという。
私は、ワクチンは二回しかうっていない。ワクチンによる様々な後遺症が、残念ながらマスメディアではなく、SNSなどによって伝えられてくるなかで、これ以上はうたないようにしようと考えた。国民の生活を軽視し、国民の生活を様々な方法(たとえばマイナ保険証)で圧迫してくる自民党・公明党政権が、国民を新型コロナから守ろうとしてワクチン接種を国民にすすめるなんてことはあり得ない。ワクチンは、自民党・公明党政権がアメリカの兵器を爆買いすることと同様に、アメリカにカネを渡すための手段ではないのか。自民党・公明党政権は、徹頭徹尾、利権につながらないことをしない。それはすでに証明されている。
仮に、この悪徳政権が、新型コロナから国民を守るためにワクチン接種をすすめていたなら、後遺症がでてきたときにそれを即座に認めて、何らかの対応をするはずだ。しかし、そうではない。
ワクチン後遺症について報じているのは、名古屋のCBCテレビ(大石解説)だけだ。私はかなり前からCBCを、YouTubeチャンネルでみているが、孤立無援のCBCの報道姿勢は高く評価したい。
ワクチン接種後 14歳の少年に体調不良 1年8か月学校に行けず 「ブレインフォグによる記憶障害で生活に支障も」 病院はたらい回し【大石が深掘り解説】
4月18日に、埼玉県所沢市と東京都中野区に行った。いずれも親戚訪問であった。
21日夜、ノドに違和感を覚えた。その夜は、ノドの痛みと炎症が起きていることを感じた。22日、昼間はノドの痛みはなく、通常の生活をしていた。発熱はない。しかし22日の夜になって再びノドの痛みと炎症が襲ってきた。このときはじめて37.6度の発熱があった。23日も同様であった。
24日、ノドの痛みと炎症を感じることはなくなったが、今度は声が出なくなり、また咳がでるようになった。
それからずっと、発熱もなく、ただノドに少しの違和感をもち、声が元通りになっていない。
おそらく東京でコロナに感染したのだろうと思う。ずっとマスクをしていたし、注意はしていた。どこで感染したのかはまったくわからない。非日常となると、おそらくスキが生じるのだろう。そういえば、いつも持っているアルコール消毒液を手にかけることもしていなかった。日常生活では、買い物をしたときなど、車の中に備えている消毒液を必ずふりかけているのに・・・
公共交通機関でマスクを外たのは、新幹線でペットボトルの茶を飲んだときだけ。
25日、5月2日に耳鼻科に行ったが、コロナの診断はなかった。しかしおそらくコロナに感染したのだろう。声がガラガラというだけで、他の症状はない。今日は雨なので畑には行っていないが、このところ(連休中から)毎日農作業をしている。
コロナが五類になって、コロナに関してはもう政府は関与しないということだろう。これからのシステムだと、感染者数の増減はほとんどわからなくなる。コロナ感染を「消す」作戦にでたのだろう。
少しずつ声がでるようになってきた。いずれ治るだろうが、完全な回復はあと一週間か。
この間、「辻まこと、浜松へ」という原稿も書いたし、ほかの仕事もした。仕事がはかどるのはよいことだ。
コロナワクチンを5回接種した方から、帯状疱疹がなおらない、という相談を受けた。それにどう回答したかはここには記さないが、私の周りに帯状疱疹患者が増えている。そうしたことを耳にするとき、ワクチンを何回接種したかを聞くと、みな5回接種したという。
ワクチンを接種すると、自己免疫機能が低下するという説がある。
また、ワクチン接種後に亡くなられた方も少なくない。
だが、テレビや新聞は、ワクチンに関するこうした事例を報道することが少ない。唯一CBCテレビがこの問題を追及していた。
このほど、サンテレビがこの問題を報じた。記者会見についても報じている。
新型コロナウイルスが人びとを襲い始めたとき、その毒性の強さに驚いた。ウィルスは肺を冒し、人びとを死に至らしめた。そしてウィルスは「進化」し、肺を冒さずにノドに対する攻撃を開始し、また全身を痛めつけるようになった。
日本政府・厚労省の医系技官たちは、軽症、中等症、重症という区分けを、初期の段階で決定した。その基準は、肺の状態を基準にしていた。しかし、今やウィルスは「進化」し、肺を冒し重篤化させるというものではなくなった。といっても、まったくそれがなくなったわけではない。政府や厚労省の医系技官たちは、ウィルスの毒性が減じたから・・などと言っているが、死者は増え続けている。先進国(日本はもはや先進国ではないが)のなかで、日本は比率的にもっとも死者が多い。
また後遺症で苦しむ人も増えている。こういうなかで、「五類」とし、政府の責任を放棄しようとしている。
「二類」から「五類」にするという前に、しなければならないことがある。なかなか厚労省の医系技官たちは認めてこなかったが、 COVID-19は空気感染することがわかっているから学校や施設の換気設備を充実させること、そして早期発見のために検査態勢を充実させること(もちろんPCR検査でなければならない。日本だけがPCR検査を忌避している)、さらに早期治療のために医療体制を整備し、治療薬を投与出来る態勢をつくらなければならない(現在は、陽性になっても放置である)。
そういうことをしないままに、さらに感染者を放り出そうとしている。
そしてマスクもしないでよい、という通達を出そうとしている。しかし私は、花粉症でもあるし、マスクはつけ続ける。感染を防ぐための手段は手放さないだろう。
残念ながら、軍拡と既得権益を持つ者たちだけにカネをばらまく日本政府はあってもなくてもよいようなものだから、自分で身を守るしかない。悲しい国だ。そういう国にしているのは、国民でもある。既得権益の末端につながっているので、それを手放すのが怖いのだろう。
今日の『東京新聞』の「こちら特報部」は、「五類化 何をもたらすか」である。
抗ウィルス薬を投与された女性の話がでてくる。もし「五類」となったら、治療費は公費負担ではなくなる。すると、抗ウィルス薬に対して患者が払うのは3万円だとのこと。この3万円は、健康保険の三割負担で患者が払う金額である。
また「五類」となると、そこいらにある医療機関がすべて診察する、という言説があるが、これも否定される。発熱して医療機関に連絡しても、「かかりつけ医」として長期に診察を受けている医院は診てくれるようだが、そうでないと拒否されるという。
COVID-19がどんどん変異して、また感染力が強く、さらに医療体制が整備されていない。感染しても、医者が出すのはカロナール程度。抗ウィルス薬を出してくれたという人はきわめて少ない。インフルエンザには治療薬ができているが、 COVID-19に対しては、いまだ手探りの状態だ。
神戸大学の岩田健太郎教授は、今はもう「二類」ではなく、「ニセ二類」だと指摘している。「(二類となってはいるが)感染者の報告義務はなく、全数報告でもなく、行動制限もかなり緩和」されているからである。
実際、私の友人はコロナ感染を報告していない。
なぜ「五類」に、政府はしたいのか。
コロナに関しては、日本は無為無策で通してきたが、さらに政府は感染者を完全に放置し、そのカネを軍拡にまわそうとしているのだろう。
政府は、コロナに関して、動いているフリをしてきたが、それすら止めてしまおうということだ。
それでも多くの人は、自民党が好き?
「二類」から「五類」へ、新型コロナウイルスを移行させるという。実質、新型コロナウイルスに感染しても、実態は放置という状態が続いているから、実質は無為無策で「二類」も「五類」もないような状態が続いている。
唯一ワクチンを接種させるというのが政府の「施策」で、これだけがある。
「五類」であったなら、医療費は公費負担であるが、「五類」になると自己負担になるはずだ。経過措置があっても、いずれは自己負担になるだろう。
ということは、政府は新型コロナウイルスに関しては、何もしないということになる。これで今まで新型コロナウイルスに振り分けていた予算を軍事費としてアメリカに貢ぐことになるだろう。
またマスクも不要となるようだ。しかし私はまだし続けることだろう。政府がしなくてもいいというならやめる、しなさいと言われたらする、という主体性のない私ではない。感染の危険があるならマスクをつけ続ける。花粉症である私は、マスクには慣れている。
政府には、あらゆる施設での換気設備の設置、検査=医療体制の整備などが求められているのだが、そうする気持ちはない。
「今年こそ平時を取り戻す」コロナ5類移行急ぐ政府の狙い
マスクをつけることに対する批判があるという。このテレビ局が多用する三浦瑠麗、この人の放言や無知が時に報じられるが、この人がマスクを追放しようということを言っているようだ。
政治学者・三浦瑠麗「このままでは科学的根拠のないマスク強要は100年続く」
マスクをしないと拘束されるわけではないのだから、この人、マスクをやらなければいいのである。簡単なことだ。
しかし私は、無為無策で終始している自民党・公明党政権下の日本政府、それも特定の宗教団体と深い深いつながりをもった政治家たちによる政府は、まったく信用できないから、私はみずからが調べたことによって、マスクをするかしないかは判断する。
三浦某の主張よりも、私は上記の調査結果を重視する。
友人から電話があった。家族全員がコロナに感染した、というのだが、しかし検査を受けたのは奥さんたった一人。友人夫婦、長男夫妻、その子ども、全員喉が痛くなって熱が出たそうだ。したがって、この家族では感染者数として数え上げられたのは一人である。
したがって、感染者数を行政が発表しても、その数は全く正確ではない。その何倍もの人が感染しているのだろう。
友人は、軽かった、という。
しかし私は、過去にインフルエンザに感染したとき、高熱が数日続いて、悪寒などに苦しんだ経験があり、ウィルス感染がどれほど苦しいものであるかを知っているので、とにかく感染しないように努力している。
感染した場合の容体は人によって異なるのだろう。
さて隣の畑で農作業をしている男性は、よく「飲み会」に行く。駅周辺の飲み屋の一室を借り切って、二週間に一度やっているという。私は「度胸がありますね」という。「部屋を借り切っていやっているから大丈夫」と、男性は答える。
私は酒を飲まない。遺伝的にアルコールを分解する酵素を持っていない、したがって飲めない。酒類を飲んでも、おいしいと感じたことが一度もない。だから飲まない。若くして亡くなった父も飲めない体質であったという。私は、そういう体質を受け継いでよかったと思う。
「飲み会」には行かない、というのが、コロナ禍の生き方であると思う。