浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

浜松市郊外に新野球場の建設?

2022-11-29 10:57:47 | 政治

 静岡県や浜松市の行政に絶大なる影響力を持つスズキ。そのトップであった鈴木修氏は政治が大好き。スズキ関連の企業の票を自由に差配することが出来る。だから議員は、選挙の際に頭を下げにいく。しかし氏に嫌われたら選挙での当選は覚束ない。

 現在の浜松市長は鈴木康友氏。鈴木修氏のいうとおりに動く市長である。なんといっても、前市長の北脇保之氏を嫌って対抗馬として出したのが康友氏。当時落選中であった康友氏を市長に押し上げてくれたわけだから、市政は修氏のいうとおり。市民の方なんかみることなく、ひたすらスズキや修氏の行政を展開する。

 未確認の情報で、近日中に現地に行ってみるつもりであるが、浜松市は天竜区に新しいごみ焼却場を建設している。なぜかその近くにスズキもテストコースを建設する計画があり、その焼却場に行く道が、なぜかテストコースの前を通る。何でも不自然な道路だそうだ。

 静岡県知事・川勝氏の選挙時の後援会長も修氏であったと記憶する。だから、県知事も修氏のいうことをきく。

 もと静岡新聞記者の小林一哉氏が、浜松市の海岸に近いところに野球場を建設する計画について書いている。

 修氏は陸上競技がお好き。浜松市には野球場と陸上競技場が隣接している。修氏は野球場をどこかに持っていって、陸上競技場を国際試合ができるようにしたい。

 その意向を受けて、浜松市の商工会議所、自治会連合会、もちろん浜松市も動く、動く。

 それでは小林一哉氏の文を読んでいただきたい。

「浜松のドン」スズキ相談役・鈴木修が裏で糸引く、大型野球場計画の「大矛盾」

 

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岸田政権の閣僚

2022-11-29 08:44:33 | 政治

 あまりにヒドくて呆れかえる。岸田政権の閣僚その他の品質があまりに悪くて、よくもこういう人が議員として選出され、さらに閣僚などになっていることに、である。

 統一教会党である自由民主党は、日本社会からろくでもない人物を集めている、としかいいようがない。そういう輩ばかりだから、大臣に任用すればすぐにその品質が露わになるのだ。

秋葉復興相のうぐいす嬢が証言「秘書は選挙カーに乗っていない」

 さらにこういうのがある。

秋葉復興相の“福島視察より野党対応優先”に批判続出 教団への支出“矛盾”指摘に釈明も…首相は更迭否定

 こんな記事も。

辞任ドミノ4人目の標的・秋葉復興相はなぜ影武者を街頭に立たせる必要があったのか?そのヒントは安倍元首相のツイートにあった!

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利権国家の本質をつかむこと

2022-11-28 16:45:54 | 政治

 日本の財政支出の特徴は、つねに利権とつながっていることである。ガソリンの価格が上昇するということで、政府はその対策をたてた。その対策とは、石油会社に補助金を撒くことだった。ガソリンにかかる税金、リッターあたり28.7円が本来のガソリン税、なぜか25.1円が暫定的ということで上乗せされている。上乗せ分をなくせば25.1円は安くなるのだが、それはしない。要するに、大企業への補助金として出す。

 オリンピックが開かれる、電通をはじめとした大企業にカネが支出される。

 政府が何らかのカネをつかうとき、国民にはカネを出し渋る。生活保護費もできるだけださないようにするし、減らしたりもする。

 しかし大企業には湯水の如くカネをだす。

 長い間政権交代のなかった日本は(民主党政権はあったが、野田という人物は負けることが分かっていても選挙をやって政権を自民党・公明党に譲った)、政府や自治体の財政を狙って大企業は言うまでもなく、有象無象がたかりにくる。長い間にその関係は固定化し、それぞれの業界は団体をつくって自民党をカネと票で支えてきた。その関係はもう岩盤のようになっている。

 そこには、アメリカの大企業も入り込む。AWACSを買え、何々を買え・・・・・と言ってくる。日本政府は、いうがままにカネを払う。日本政府とアメリカの軍需産業とは、深いつながりがありそれは利権化している。

 さて、新型コロナウイルスが蔓延し、ワクチンを買わなければならない。日本ではできるだけ研究開発しないように、国内企業にはほとんど支出しない。しかしアメリカ企業には大盤振る舞い。

 なぜ日本政府は、ファイザーなどからワクチンを買うのか。政府の支出がほとんどすべて利権とつながっていることから推測すれば、これも利権としか考えられない。

 コロナワクチンが危険であるというだけではなく、日本の富を利権のある外国に移すために、コロナ対策として唯一ワクチン接種をすすめる日本政府。それ以外の対策はなきに等しい、ワクチン一辺倒である。

 第2次安倍政権から始まる2012年体制は、統一教会とつながる自民党と創価学会の公明党による宗教政権である。統一教会が日本から多額のカネを集めて韓国に送金し、さらには韓国の寒村ヘ花嫁を供給していることは周知の事実である。そうした統一教会とつるんでいる自民党が、日本の富を外国に渡すことは、朝飯前ということだ。それにより、日本国の人が苦しもうとそんなことはかまわない、というのが、自民党という政党なのだ。

 なぜ日本政府がコロナワクチンを大量に爆買いするのか、そこに利権の存在を嗅ぎつけるのは、日本政府のカネのつかいかたから推測すれば、答えは明らかだ。

 日本国の人々の健康を考えて、日本政府がワクチン接種をすすめているとどうして考えられようか。

 

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コロナワクチンへの疑問(2)

2022-11-28 16:45:54 | コロナ

 これも読んだ方がいいかな。

科学的怠慢に満ちた国の新型コロナ対応

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コロナワクチンへの疑惑

2022-11-28 14:31:02 | コロナ

 私はコロナワクチンを二度打ったが、その後いろいろ調べてみて、これは打たない方がよいと判断し、打つのを止めた。私といろいろな関わりのある方々は、「今度何回目のワクチンをうつ」などと話している。そうした人に対して、私は、みずからの考え、すなわち打たない方がよいとは言わずに、私は二回だけで今後打つつもりはない、と言うだけにしている。ワクチンを接種するかどうかは、それぞれが判断することだと思っているからだ。

 私はとにかく感染しないようにするだけである。

 さて、ワクチンの問題について、議会でいろいろな会合が行われている。それを紹介する。

 

令和4年11月25日「新型コロナワクチン接種と死亡事例の因果関係を考える」勉強会

 

 

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【演劇】劇団俳優座「雉はじめて鳴く」

2022-11-26 16:47:18 | 演劇

 劇団俳優座の「雉はじめて鳴く」をみた。休憩なしの一挙上演である。その理由はよくわかる。展開がすこぶる劇的(ドラマティック)だから、途切れさせるわけにはいかない。最後まで観客をドラマのなかに惹き付けるには、これしかない。

 劇では、篠原高校の教員、生徒、保護者、カウンセラー間にいくつもの葛藤を次々とつくりだす。高校生サッカー部員の舞原健と担任の浦川麻由、健とその母親、浦川と不倫相手のサッカー部の顧問・戸倉、浦川とカウンセラーとして赴任してきた藤堂、サッカー部のマネージャーで健を気に掛ける奥野と浦川、登場しない健の父親と母親、サッカー部の生徒・片山と健、それらの葛藤が重なり合いながら話は展開していく。そして副次的な葛藤として教頭、校長の存在がある。

 私からみれば、学校での出来事というのは、極端に劇的になるような場面はほとんどない。しかしシチュエーションを整えることにより、様々な葛藤を生み出すことができる。健の母親(酒を飲み、薬剤に頼り、夫を怨み、健に冷たく当たり、時に騒ぎを起こす)を最悪の存在として設定し、それによる健の精神的不安定を中心として話は進んで行く。これがこの劇の中核である。これなしにその他の葛藤は生まれない。

 パンフレットに、「例えば彼女が教師じゃなかったら、あの恋愛はスタートしていたのだろうか。もしも彼が大人だったら、あの恋は成就していたのだろうか」と書かれていたが、健とその相談相手であり、ある意味の避難所的存在であった担任の浦川とのあいだの「恋愛」を言っているのであろうが、私はそれはまったく成り立たないと思った。その「恋愛」に必然性は感じられなかった。もしもそのようなことを主題とするなら、健と浦川との葛藤はもっと別のものとして設定すべきであった。

 ぐいぐいと観客を引っ張り込む展開は、見事ではあった。しかしこの劇から、なにごとか普遍的なものを引き出すということはないのではないかと思う。

 ときおり、舞台上で、老女と男性との会話がはさまれるが、私は当初、健の父親が母の介護をするために家を離れていったというシチュエーションだったので、父とその母(健の祖母)だと思っていたが、そうではなく、30年後の健と施設にいる浦川であった。

 

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デモクラシー・タイムス

2022-11-25 12:33:42 | メディア

 基本的に、テレビも新聞も、「2012年体制」(それは日米安保体制と密接につながっている)を支えるものであると、私は思っている。「朝日」や「毎日」はリベラル系だと言われているが、社説の動向を分析すれば、体制と歩調を合わせていることがよく分かる。

 そういうメスコミ状況のもとで、私は『東京新聞』を購読し、テレビはみず、そのかわりユーチュブの番組を見ている。その筆頭がデモクラシータイムスである。ほぼ毎日新たな番組を流しているが、学ぶところが多い。それぞれのテーマに精通している人が解説してくれるので、日々流される碌でもない情報を頭に入れることはないので助かる。

 今週号の『週刊金曜日』に、その中心にいた早野透さんのことが記されている。もと朝日新聞記者で、田中角栄の著書もある。11月5日、心不全で突然亡くなられた。77歳だとのこと。残念というしかない。

 最近心不全でなくなる方が多いように思える。まさかコロナワクチンが原因となっているのでは・・・と思ってしまう。ついでに帯状疱疹で苦しむ人も増えている。これもコロナワクチンによる免疫力の減退が原因ではないかと思ってしまう。

 話は逸れたが、このデモクラシータイムスと、Arc timesは、なかなかよい。ジャーナリズムの精神が生きている。

 『週刊金曜日』はジャーナリズム精神が横溢しているが、今週号は冤罪をとりあげ、中身の濃い特集となっている。また「標的の島」を制作した三上智恵さんのインタビュー、これからメディアの世界に入る人たちのための講座であるが、こういう講座を体験した若者が、ジャーナリズム精神をもってメディアの世界に入っていって欲しいと思う。それでもこういう人は少ないだろう。

 現実の政治やメディアには絶望するばかりだが、こうしたジャーナリズム精神をもったマイナーなメディアには期待が持てるというものだ。

 

 

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辻まことのこと

2022-11-24 19:41:33 | 

 先日、『聖子』という本を紹介した。そこにあった、辻まことが浜松に預けられたことがあるという記述は、おそらく間違いであろうと思う。辻は一時期静岡工業学校(現在の静岡県立科学技術高校。静岡工業高校と清水工業高校とが合併)にいたことがあるから、静岡市にいた、ということだと思う。

 早速、駒村吉重『山靴の画文ヤ 辻まことのこと』(山川出版社)を、図書館から借りて読んでみた。以前、伊藤野枝について歴史講座で話したことがあるので、野枝が大杉と一緒になる前、辻潤との間に生まれたまこと(辻一)と若松流二(若松家の養子となった)について、その軌跡を調べたことがあった。しかし、辻まことの本はほとんど読まなかった。『虫類図譜』は買ったのだが、読まなかった。

 駒村のこの本は、辻まことの人生の軌跡を追う。それは同時に、辻潤の生を追うことにもなる。読みながら、辻潤と辻まことは、その生き方は異なっているが、本質的にふたりとも放浪する魂を持っていたのではないかと思った。放浪する、ということは、落ち着いた生活とは無縁である。落ち着いた生活と見えても、しかしいつでも魂はどこかをふらつく。

 また放浪とは、基本的にひとりでおこなわれる。つまり、放浪する魂とは、孤独な魂ということでもある。

 青春期、魂は彷徨するが、結婚し、父となり母となると、魂の彷徨状態はどこかへと去って行く。子どもを育てることはたいへんなことだから、みずからの魂の行方になんかかまっていられなくなるのだ。

 しかしなかには、魂が彷徨し続ける人々がいる。彼らは、放浪する魂と対話したり、あるいは放浪する魂に導かれる生き方をする。そういう人が、文学とか藝術でなにごとかをなしとげるのであろう。

 辻まこと、こうした評伝からではなく、彼が書いた画文などをもとに彼の人生を追跡することが正しい方法なのだろうが、今回は安易な途を選んでしまった。

 しかし辻まことのこの本を読んで、いろいろ感じるところが多かった。

 

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本を読む

2022-11-23 17:19:07 | 日記

 今日は雨。畑には行かない。だから本を読む。

 先程図書館に行って辻まことに関する本を二冊借りてきた。辻まことは、父が辻潤、母が伊藤野枝である。野枝が大杉の元へ走ったあと、まことは辻とともにあった。とはいっても、野枝と全く交流がなかったわけでもない。親子関係は続いた。しかし1923年9月、野枝は大杉と甥の橘宗一とともに官憲によって虐殺された。だから、母との親子関係は短かった。

 辻まことという名を教えてくれたのは、蝶の研究家である城内穗積さんである。彼は串田孫一のファンであると同時に、辻まことも好んでいた。私は彼から、辻まことの『山と森は私に語った』(白日社)を買ったことがある。今もそれは書庫にある。

 森まゆみの『聖子』には、その辻まことも登場する。当然である。聖子の父は林倭衛であり、大杉とはアナキスト仲間であった。

 だから林聖子が経営する「風紋」に、辻も出入りしていたのである。『聖子』に、辻まことが浜松に預けられていたことがある、という記述を見つけた。そうなると、いったいどういう人に預けられていたのか、調べてみたくなった。

 ある本を読んで、そこから別の本を読むきっかけを得ることは多い。

 藤田省三の『全体主義の時代経験』(みすず書房)を読みはじめた。今が全体主義の世の中ではないかと思い、書庫から持ち出した。その本の後ろのほうに、古代史学者の石母田正に関する記述があった。ここは以前読んだはずであるが全く忘れていて、あらためて石母田の高潔な人格に感じ入ってしまった。

 そこでまた書庫に行って、石母田の『戦後歴史学の思想』(法政大学出版部)をとりだしてきた。これも以前読んだはずなのに、記憶はない。

 数珠つなぎのように、次から次へと読みたい本がでてくる。

 人生は短い。あとどれだけの本を読めるのだろうか。ぼくが本を読むことによって、すこしはこの腐敗した日本社会をよくすることができるだろうか。おそらくそれはムリだろうが、しかし個人としてでも、知をインプットしていきたい。

 

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支配層の記憶

2022-11-23 12:14:04 | 近現代史

 支配層の記憶は、明治維新からの近代日本に係わるものでしかない。だから彼らが言う「伝統」というものは、前近代にはさかのぼらない。

 支配層、この場合自民党の政治家や官僚、財界、言論界をいうのだが、彼らの記憶は日露戦争以後の20世紀初期の「大日本帝国」のそれである。東アジアにおいて、大日本帝国は第一位の座を占めていた。彼らは、そうした時代の栄光を取り戻したいのだ。

 それは、プーチンが今はなきロシア帝国やソ連邦の「復活」を望むことと同じである。

 しかし1945年で断絶したはずであるのに、何故にかれらの記憶が「大日本帝国」時代なのか。

 1945年の敗戦に関して、もちろんそれに至るもろもろの支配層の悪事を含むのだが、彼らはほとんど責任をとらなかった。軍部、とりわけ陸軍に責任をおしつけて、政治家も、官僚も、財界も、そして言論界も、戦争に積極的に参加し、国民を戦争動員に駆り立てたのに、責任をとることもなかったし、国民もそれを追及することもなかった。

 だから彼らは、「大日本帝国」時代を悪い時代とは思っていなかったし、そうした時代の復活を夢みてきたのだ。

 だから自民党の改憲草案をみればよい。ほとんど大日本帝国憲法のようではないか。今、支配層はアメリカの力を借りて(中国の力が日本を遙かに凌ぐから)、アジアの盟主になろうとしているのではないか。

 だが歴史をさかのぼれば、アジアに於ける大国は常に中国であった。一時的に近代化に乗り遅れた中国は、今では過去の大国としての地位を復活させている。あの兵馬俑をみるがいい、あれがつくられた時代、日本はどのような状況にあったのかを。

 人間に謙虚さが必要なように、国家も謙虚さが必要だ。それは日本だけではない。中国やアメリカも、である。その謙虚さは、憲法前文に込められていると思う。だからこそ、私は日本国憲法が好きだ。

 支配層の願望を実現させてはならないと思う。それは、日本国解体の途だと思うからだ。

 歴史をさかのぼることにより、支配層にみずからを相対化させることが必要なのだ。残念なことに、支配層が、そうした想念を欠いた者ばかりであることだ。

 

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【本】大日方純夫『唱歌「蛍の光」と帝国日本』(吉川弘文館)

2022-11-23 07:50:57 | 

 「蛍の光」は子どもの頃卒業式で歌った記憶がある。最近はほとんど聞く機会はない。私にとってはまったくの過去の歌である。

 しかし「蛍の光」は、原曲がスコットランドで口承により受け継がれてきたもので、明治日本がその曲に日本語の歌詞をつけたものだ。本来は、友情を確認する歌詞で歌われていたものが、日本では別れの歌とされた。それだけではなく、別れていった先で「皇国」に尽くせというような国威発揚の歌となった。

 それが、大日本帝国の版図が広がるにつれて、歌詞も変容し(4番に帝国が領有する地名が書き込まれていたから)、そしてアジア太平洋戦争のもと、「鬼畜米英」策の中で、「敵」にルーツをもつ「蛍の光」は歌うなと言われるようになった。

 この曲、大日本帝国が版図を広げる中で、台湾や朝鮮でも歌われた。

 しかしこの曲は、スコットランド発祥のメロディであるために、ヨーロッパなどでも聞かれる。もちろん、日本の歌詞ではない。

 「蛍の光」が、スコットランド発祥であるために、空間的にも広がり、日本では大日本帝国の歴史に翻弄されながらも、歌われ続けてきた。「蛍の光」が、単独では存在せず、歴史や空間のなかでどのように翻弄されてきたのかが示される。

 この本、図書館で借りたものだ。私の後にも読みたいという方がふたりもいるようだからすぐに変えそう。

 読まなければならない本がたくさんあるのに、新しい本が次々と出現する。しかし良い本は読まなければならない。

 

 

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腐敗の温床・🏺自民党

2022-11-23 07:50:57 | 政治

 『週刊文春』による前総務大臣・寺田の政治資金に関わる疑惑に続き、総理大臣・岸田のこれまた意味不明の領収書、そして新総務大臣のパーティー券問題・・・・・・・・自民党政治家の底知れない腐敗の数々。

 それだけではなく、自民党の関係者も政務活動費を私的流用

 しかしそれでも自民党支持者は多い。政権支持率は低落しているが、自民党を支持する者は多い。

 白井聡が先に紹介した書籍で、「2012年体制」について詳しく論じているが、その体制はアベやスガに特有のものではなく、統一教会党・自民党と創価学会党・公明党、そして官僚や財界、マスコミなど既得権益層=支配層の総意として存続しているものである以上、岸田もまったくアベ・スガとかわらないのである。

 それは、東京五輪のように、国家が無数の利権とつながり、国家財政がほとんどすべて、かれらに流し込まれているという体制であり、その利権を求める様々な業界が選挙で統一教会党・自民党を支えるという体制であり、それに愛想を尽かした人びとが政治を毛嫌いし投票に行かないということから存続しているものである。

 この構造は長期にわたって存続しているもので、なかなか壊れることはないようだ。利権とつながらない人びとが投票行動をしないかぎり変わることはない。統一教会党・自民党にかわるべき政党が、残念ながら存在しないことから、明るい未来は想像できない。

 岸田に若干の期待をもつ人もいるようだが、2012年体制のうえに岸田もいるのである。何を考えているかわからない岸田が2012年体制を逸脱するような政策を打ちだすことはない。

 とにかく、統一教会党・自民党と創価学会党・公明党を、政治権力から追放することしか、日本の未来はない。

 

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【本】白井聡『長期腐敗体制』(角川新書)

2022-11-21 20:04:41 | 

 これでもか、これでもかと統一教会党=自民党の腐臭が全国を覆う。しかし人々はその腐臭がわからない。

 著者・白井は、この腐敗しきった政治の状況を、2012年体制と呼ぶ。中野晃一が提唱した概念のようだが、それを支えているのが、有権者の「無気力状態」だと最初に指摘する。

 この体制の特徴は、不正、無能、腐敗であるという。その通りである。よいことは何もない、悪ばかりなのだが、しかし人々はその体制を支え続けている。

 私はなぜそういう体制を人々が支持するのかが理解できなくなっている。政治から遁走したいと思うほどだ。

 そうはいっても、日々私が生きていれば消費税をはじめとした税金を払い、支配層の利権にカネを送り続けている。政治を見れば、政府支出を少し見るだけで、すべてが利権へとつながっていることがわかるほど、税は特定の勢力にばらまかれている。

 この腐臭にまみれた政治から逃げたいと思うのは、私だけでないはずだ。あまりにひどすぎて!!

 よく考えてみれば、創価学会の公明党は、やはり政治権力のなかにはいってはいけない政党であることがよくわかった。時折、公明党を「平和」の党だとして、右傾化する政権内でブレーキをかけることに期待する声が聞かれたことがあったが、それは明らかに間違いであることが、統一教会問題に於ける公明党の動きを見ればよく分かる。

 本書は、近年の政治の動きをおさらいするときに役に立つ。そしてそこに書かれていることが、私の思いと共感する故に、すらすらと読み進めることができる。

 いずれにしても、2012年体制はすでに「統治の崩壊」へとむかうものだと白井は記す。しかし、野党の体たらくを見れば、良い統治が日本に実現するとはとても思えない。

 白井がこのように2012年体制を撃つということは、いまも政治をなんとかしようという思いをもっているということだ。

 私はその熱がどんどんさめてきていることを実感している。あまりの不正、無能、腐敗に、もはや呆れるしかない。

 この本、読んだ方がよいと思う。

 

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【本】森まゆみ『聖子』(亜紀書房)

2022-11-21 13:01:13 | 

 昨日は雨。図書館に行き借りてきたものだが、一気に読み終えた。

 聖子という人は、新宿の「風紋」というバーの経営者。その父親は、大杉栄と交流があった画家・林倭衛で、「出獄の日のO氏」という人物画を描いた。O氏とはもちろん大杉である。

 第一部は戦前編で、父倭衛(しずえ)を中心としたものになっている。林聖子は1928年生まれであるから、戦前は成長過程ということとなり、したがって父倭衛の血縁、人間関係が主に書かれている。アナキストでありまた画家であることから、倭衛の交友関係は幅広く、次から次へと名だたる文化人らが列挙される。

 第二部は戦後編となり、父倭衛は1945年1月に亡くなるから、ここで聖子中心の記述となる。

 聖子が経営した「風紋」は文壇バーとして有名で、名だたる文化人が無数にそこに集まってきた。そこに挙げられた名前をみるだけで、驚くばかりである。

 東京というところは首都ということもあり、文化人その他がたくさん住んでいる。東京は文化の集まるところであり、またその文化の担い手が交流するなかで新たな文化が生まれてくるところでもある。

 私も4年間東京で学生生活を送ったが、卒業後は郷里に帰った。長男でもあり、父親がいなかったから、帰るということが当たり前という認識であった。東京を去る最後の日は、確かに後ろ髪を引かれる思いであったが、郷里に帰ってからは東京に住みたいとは思わなくなった。ただ、子ども3人の内、ふたりは東京で家庭を持っている。

 それに私は体質的に酒が飲めない。一度も酒がおいしいと思ったことはない。だから酒を飲むバーというところには足を踏み入れたことはない。就職してから酒を飲めるようにしようと努力したこともあったが、ムリだと分かってそれからはほとんど飲まない。

 だが、この本を読むと、酒を飲みながらいろいろな話をすることも、ある種の文化であることを感じた。

 面白く読んだ。こういう世界もあったのかという感慨である。

 興味深い本ではあるが、構成が雑のようにも思えた。ここでは行をあけたほうがいいとか、編集上の問題を感じた次第である。

 

 ただ今農繁期、かつ垣根の剪定などで、たいへん忙しい。雨が降らないと休むことはないほどだである。

 

 

 

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統一教会の勧誘の手口

2022-11-13 06:57:04 | 社会

ずっと闘い続けてきた弁護士が語る、これが統一教会の勧誘の手口だ

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