浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

日本の価値

2025-02-19 08:48:43 | 国際

 国際社会における日本の価値は、下がる一方である。

 まずひとつ。「唯一の被爆国」を自認する日本は、いまだに核兵器禁止条約の締約国に参加していない。それでも少しは核兵器全廃に尽力するのかと思いきや、開催される第3回締約国会議にオブザーバーでも参加しない、ということだ。

 平和問題、核兵器廃止問題などで、日本の国際的信用度はがた落ちであり、「唯一の被爆国」ということばが空しく響く。

 日本政府は、いまもって、先に山本義隆さんの論稿を紹介したが、核兵器をもつことを今も追求しているのであろう。

 次に、アメリカ大統領・トランプが、ICC職員に対して制裁を科すという大統領令に署名したということである。国際司法裁判所(ICC)は、国際社会における「法の支配」、「人権尊重」などを実効化させる国際機関で、日本の拠出金がもっとも多いとされる。所長も、日本人である。多くの国々は、トランプのICCに対する制裁を、厳しく批判したが、日本政府はそれに加わらなかった。これほどまでに、日本国家は、アメリカに隷属しているのである。

 「多くの国々」には、フランス、ドイツ、英国など約80カ国で、「国際的な法の支配を脅かすものだ」と非難する共同声明を出したのに、日本は加わらなかった。日本に対する国際的信用はがた落ちである。

 経済的地位でも下がりっぱなしの日本。こうした自民党・公明党政権の政策が、国際政治面でも評価を下げ続けている。

 いい加減に、こうした政権を崩壊させなければならないと思う。ほんとうに情けない。

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韓国の「歌う民主主義」

2025-02-10 20:42:19 | 国際

『世界』3月号には、韓国に関する文がいくつか掲載されている。毎日新聞の堀山さんと金成玟さんの二つを取り上げよう。

 尹錫悦韓国大統領が、突然、戒厳令を発したが、即座に韓国の民衆が動き始め、戒厳令をストップさせた。街頭に出て来たのは、民主化世代と若者世代で、なかでもK・ポップファンの20代~30代の若い女性たちが多かった。

 他方、大統領を支持する保守派は、韓国の太極旗、アメリカの星条旗、そして何とイスラエル国旗をはためかし、彼らは、「保守化する20~30代男性と連帯し、世論の支持を高めることで状況を変えようとしている」と、堀山さんは書く。

 ということは、韓国では20~30代という世代において、男性と女性との間に断絶が生まれている、ということなのだろうか。

 金さんは、「2024年12月3日以降、自由にファン活動を楽しんでいた平和で平凡な日常を取り戻すために始まった彼女たちの闘いは、もはや戒厳令に抗議する市民のデモ全体をリードしている。真冬に一日も欠かさずデモを続ける彼女たちの姿は、敗北と無関心になれていた人びとにまで勇気と刺激を与えながら、新たな「歌う民主主義」の到来を実感させた。」と書く。

 韓国は、日本以上に儒教道徳が強い社会であった。長幼の序、男尊女卑は、韓国社会のあり方であった。しかし、韓国社会が民主化していくなかで、そのような儒教道徳は力を失い、そのなかで女性たちは、かなりの程度解放されてきた。それは韓国映画でもみることができる。女性の視点が、重要視されるようになってきたのだ。

 女性たちは、民主化への動きと自分たちの解放が、並行して進んできたという実感を持っている。だから、戒厳令が布告され、軍事警察国家が復活すれば、自分たちは再び、儒教道徳に縛られる、自由のない、K・ポップを楽しめない日常に戻されてしまうのではないかという強い危機感を持ったのだろう。

 女性たちが解放され、自立的な行動をとればとるほど、そういう女性を快く思わない保守的な思考をもった男性は、不愉快になっていくことだろう。

 いま、韓国の若い女性たちにとって、歴史を過去に引き戻すことは許せない。だから「歌う民主主義」の場に熱く参加してくるのだ。

 韓国の男性は、そして日本の男性と共に、現在が「男性の世界史的敗北」の時代であることに気づいていない。しかしそれは歴史の必然なのだ。「男性の世界史的敗北」というとき、それは、男性が女性に支配されることではない。男性と女性が、そしてそれにとらわれない性の人びとも含めて、できうる限り平等に、自由に生きていける社会を築いていく段階に来ているからだ。

 堀山さんは、「客観的な事実より自分の価値観に沿った情報を信じる「ポスト真実」」の世界があることを指摘するが、わたしたちは、「真実」をこそ、求めていきたい。そうでなければ、よい時代をつくることはできないからだ。

 

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アメリカ合州国のこと

2025-01-21 07:33:48 | 国際

 アメリカ大統領に、トランプが就任した。就任と同時に、彼はかなりのスピードで動いている。

 ネット記事などから引用すると、以下のような政策がある。

 「米国の黄金時代が今始まる」「米国を再び偉大にするため、私は神によって救われた」「私は今、米国では何事も不可能ではないことの証としてここに立っている。不可能とされることこそ、われわれが最も得意とすることだ」「不法入国を即座に阻止し、何百万人もの外国人を送還する手続きを開始する」「パナマ運河を取り戻す」「メキシコ湾の名称を「アメリカ湾」に変更する」「気候変動問題に対する国際的な枠組み「パリ協定」から脱退する」「政権の一日一日、米国を第一に考える。最優先事項は誇り高く、繁栄し、自由な国をつくることだ」「米国は富を増やし、領土を拡大して成長する国家だと考える」「米国民を豊かにするため、(輸入製品に)関税を課す」「今日から性別は男性と女性の2つだけであることを政府の公式方針とする」

 

 これらの政策をみると、別段新しいものでもない。どんな人が大統領であっても、アメリカ合州国は歴史的に独善主義をひたすら追求してきた国家だからだ。

 アメリカ合州国は、当初から先住民・インディアンを「殲滅」し、そのあとに「明白なる運命」だとして「新大陸」(彼らにとっての新、である)の支配を正当化してできた国家である。最初の移民たちは、ピューリタンたちだ。彼らの信じる宗教にもとづいた国づくりを、彼らは始めた。

 さて、岩波新書に『アメリカ 過去と現在の間』(古矢旬、2004年)がある。同書は、アメリカ合州国を次の五つの概念で分析している。

 ユニラテラリズム、帝国、戦争、保守主義、原理主義

 これらが通時的に出現していることを描いていて、当然これらは移民が「新大陸」に入ってきたところから始まっている。キリスト教の聖書をもとにした宗教的原理主義、それらを墨守する保守主義、そしてインディアンとの戦争の中で、アメリカ合州国は建国されたこと、まさにそれは帝国としての方法であった。そして先住民を殲滅した後にかれらが奪い取った広大な大陸は、孤立していても豊かな生活ができたのである。

 建国後も、通商政策に於いても独善主義は貫かれ、自分たちだけがよければいい、という方針は常に保持されてきた。

 トランプの政策の基本は、アメリカ合州国の伝統的なもので、アメリカ国民にとっては、別に目新しいものではないだろう、だからトランプが支持されるのである。

 トランプが独善的な政策を繰り広げるだろうが、それこそがアメリカ合州国の本質だとみれば、トランプによってアメリカ合州国の真の姿が世界の人びとの前に示されるのである。

 

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「悲しみの総量」

2025-01-01 15:47:39 | 国際

 なぜか『世界』が大晦日に届いた。『世界』の発売日は、通常、7日か8日だったのではと思った。『世界』とほぼ同じ体裁をもつ『地平』が、毎月1日に届けられるので、競争意識が働いたのか。ちなみに『地平』は届いていない。

 今月号の内容はなかなか読ませるものが多い。おいおい紹介していくとして、韓国文学の翻訳者、斎藤真理子さんが、ハン・ガンの小説について、「大勢の人が無言のままで抱えてきた、一人の人生では支えきれない無念さや悲しみの質量。私的領域にとどめておけるはずがなく、公の領域で共有されることが許されない、だからこそとめどなく湧いてくる悲しみの総量。」と書いている。

 済州島4・3事件で、「大勢の人」が韓国という国家と米軍により虐殺され、「大勢の人が」はかることができないほどの「悲しみ」を抱えてきた。しかし、その後に続く、長い長い独裁政権の下で、「公の領域で共有されることが許されない」時代が続いた。「悲しみ」の総量は、減るどころか、増える一方であった。「悲しみ」は、忘れられるのではなく、それが表出できないとき、さらにさらに増していくのだ。

 その「悲しみ」が、ハン・ガンの『別れを告げない』や、『少年が来る』に、これでもか、これでもかと描かれる。読む者は、その押し寄せる「悲しみ」の波間をみつけながら読み進むのだ。

 戦争をはじめとした暴虐が、庶民の生活を襲う。その暴虐は、国家権力が主体である。ロシア・ウクライナ戦争、イスラエルによるガザでのジェノサイド・・・・・・世界各地で新しい、それもはかりしれない「悲しみ」を生みだしている。

 2025年、どうか、もう新たな「悲しみ」をつくらないでほしい、と願わざるを得ない。

 ところで、こういう映画があることを知った。

From Ground Zero

 イスラエルによるジェノサイドが行われているガザで、「大勢の人が」生きている、生活している。踊り、凧を揚げ、足に名前を書き、とにかく生きている。その姿が、ここに描かれる。もちろん「大勢の人」の「悲しみ」は、日々、いや一瞬一瞬、つぎつぎとつくられ、それらは蓄積されている。わたしたちは、その蓄積される「悲しみ」を知る。

 「悲しみ」は、ウクライナでも、その戦場でも、つくられ、蓄積されている。しかし、わたしは戦争をはじめたロシアで、「新春コンサート」がおこなわれ、着飾った者たちが集い、音楽を楽しんでいる姿をみる。

 同時的に、人殺しと演奏会がある。この落差に、わたしは、さらに心を痛めるのだ。

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暴力に対抗する(暴力についての考察4)

2024-11-16 23:21:38 | 国際

 ハン・ガンの『少年が来る』は、1980年の5・18光州事件を舞台としている。そこでは、韓国の軍隊が、韓国の市民を虐殺するという信じられない事件であった。

 さきほど、YouTubeで、光州MBCが制作したドキュメンタリーをみた。

Without leaving a name1 Without leaving a name2

 そこには、軍によって交通も通信も閉じられた光州の市民たちが韓国軍隊の暴虐にあっていることを見、あるいは知った人が、危険を冒して光州に入り込み、あるいは滞在していた外国人らが、世界に知らせようと必死に努力した姿が映されていた。また東京などでも、雑誌『世界』のT・K生の「韓国からの通信」に見られるように、光州を世界の市民に知らせること、そして韓国政府やアメリカに抗議する行動が展開された。

 そのなかには、牧師、ジャーナリスト、アメリカに密航した活動家、画家などがいた。何の見返りも求めず、彼らは行動した。

 わたしたちは、激しい暴力を市民にふるった全斗煥やその配下の軍人たちに対しては、強い怒りを持つ。おそらくその軍人たちは、みずからが行った蛮行を語ることもなく、また他人から賞賛されることはない。

 しかし、このドキュメンタリーに映し出された人びとは、まさにみずからの「良心」に基づいて行動した。そうした彼らを、わたしたちは賞賛すると共に、その姿に感動する。かれらの「良心」が他者の心を動かすのである。

 暴力に対抗する「良心」。ハン・ガンは、それを「この世でもっとも恐るべきもの」と書いているが、「恐るべきもの」といわれるほどに、「良心」は力をもつ、力を生みだしていくのである、それも連鎖的に。

 ひとりの「良心」が他者のこころを動かし、その他者の「良心」を呼び起こす、さらに・・・・・と、「良心」の波動は世界の人びとに伝わっていき、結果的におおきな力となっていくのである。

 このドキュメンタリーは、それを示していると思った。

 ハン・ガンのこの小説は、世界各地で戦争という暴力が吹き荒れているからこそ、書かれたのだと思う。

 わたしは、この小説に、大きな衝撃を受けている。

 

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『週刊金曜日』11月15日号

2024-11-14 16:55:01 | 国際

 特集は、「米大統領選 トランプ復活」である。

 実を言うと、わたしはアメリカ大統領選にあまり関心を持たない。民主党であろうと、共和党であろうと、たいして変わりはないと思うからだ。大統領が変わっても、パレスチナの人々の置かれた状況がよくなることもない。

 日米関係を見れば、日本はアメリカの言うがままに行動するのは、今まで通りであるし、産軍複合体のアメリカは、時々戦争をやって、あるいは他国の戦争に武器を輸出して、とにかく軍需産業を太らせる。共和党が政権を握っても、おそらくアメリカの支配層がやることはあまり変わりはないだろう。いずれにしても、歴史的に見ても、アメリカは常にアメリカファーストであり、それも変わることがない。アメリカが人道主義に基づきよいことをするとか、戦争をしている国に「やめなさい」ということもありえない。トランプであろうとハリスであろうと、である。

 だから、新聞などが騒いでいても、わたしはほとんど読まなかった。

 次の記事は、「アベ政治の終わり・・・」で、山口二郎へのインタビュー、これは読まない。わたしは山口という人物を学者としても、人間としても、まったく信用していないからだ。

 読んだ中で、「長谷川綾の政治時評」が面白かった。わたしが支持するのは、れいわ、共産党、社民党である。いずれの政党にも、全幅の信頼をよせているわけではないが、その他の政党よりずっとマシだと思っている。

 れいわの票が伸びたのは、消費税を廃止するという公約が支持されたのだろう。今のように、五公五民という、江戸時代だったら百姓一揆や打ちこわしが起きるような重税のなか、政治家は裏金をつくったり、銀座や料亭で飲む食いしている、そのことに国民は異を唱えたのだろう。

 減税を訴えると、メディアは財源は・・・?と問うが、岸田政権が軍事費(わたしは防衛費とは言わない)を今後43兆円をつぎ込むといったとき、財源についてメディアはとりあげ批判したか。

 とにかく庶民の生活は、日々の買い物でできるだけ安い物を買い、経済生活に不安をもち(人々と会話すると、最近の食品などの物価上昇は困る、というようなものばかりだ)、将来はどうなるだろうかと心配している。そういう庶民の気持ちを代弁できたのがれいわであり、共産党、社民党はそこまで庶民生活の改善策を訴えてこなかった。国民民主党という政党も、「手取りをあげる」という空疎なキャッチで支持を集めていた。

 「戦争反対、平和は若者に響かない」と憲法学者の清水愛砂さんは言っているが、その通りだと思う。ウクライナへのロシアの侵攻、イスラエルのガザでのジェノサイド、いずれも若者たちの関心領域のはるか外部にしかないのだ。若者はテレビもみないし、新聞も読まない。それに、わたしが高校生の頃、新聞紙上でベトナム戦争の記事がたくさんあったが、今は報じられてはいるが、そんなに大きく取り上げられてはいない。若者の関心領域は、今、きわめて狭くなっている。

 今まで通りの政策宣伝では、若者のこころは掴めない。

 

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ヨーロッパの暴力性

2024-11-01 21:56:49 | 国際

『中学生から知りたいパレスチナのこと』(ミシマ社)を図書館に返した。同時に、『ブラッドランド』上(筑摩書房)と『暗黒の大陸』(未来社)を借りてきた。いずれも『中学生から知りたいパレスチナのこと』のなかで言及されていた本である。

 今、『ブラッドランド』の「まえがき」を読み、バルト三国、ポーランド、ウクライナ、ポーランドの、黒海からバルト海にかけての地域では、スターリンとヒトラーによって、政治的な殺人が行われ、1400万人が殺されたと書かれている。

 『中学生から知りたいパレスチナのこと』のなかで、なぜ『ブラッドランド』に言及されていたのかというと、その地域からイスラエルに移住してきたユダヤ人が最も多いということで、イスラエルのパレスチナ人に対するジェノサイドの背景にその地域に起きた諸々のことが影響しているのではないかということであった。

 わたしは先に、『ナチズム前夜』(集英社新書)を読みはじめているが、ドイツの帝政が崩壊しワイマール共和国が誕生するそのなかで、ドイツ国内で政治的暴力が頻繁に振るわれていた、ことを知った。

 現在のヨーロッパをみると想像できないが、実はヨーロッパは、暴力が吹き荒れる地帯でもあったのではないかと思う。

 昔図書館で西欧の拷問具の図解本を見たことがあるが、その残酷さは、日本のそれをはるかに凌駕すると思ったことがある。こうまでして人間が他の人間を肉体的に苦しめるということが、なぜできるのか。振り返って見れば、十字軍やヨーロッパでの「魔女狩り」、さらに非ヨーロッパ地域への侵入に際して行われた非白人に対して行われた無数の虐殺。

 ヨーロッパの歴史は、常に、暴力性を帯同しているのではないか。そのヨーロッパ人が移住してつくったアメリカ合州国も、それは同様だろう。

 わたしたちの社会的・歴史的認識には、西欧中心主義的なものが入り込んでいるが、サイードが『オリエンタリズム』で指摘したことを、もう一度考えてみる必要があるだろう。

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差別の問題

2024-10-05 22:05:55 | 国際

 久しぶりに『現代思想』を買った。特集は、「〈人種〉を考える」である。「〈人種〉を考える」ということは、「差別」の問題でもある。そのなかで、巻頭におかれていたのが、竹沢泰子さんと梁英星さんの対談である。その内容を紹介することはしないが、そのなかの議論にひっかけて、イスラエルによるパレスチナ人へのジェノサイドについて考えていきたい。

 梁さんは、フーコーの言説をとりあげ、「前近代は殺す権力で近代は生かす権力」というフーコー理解は「俗流化」された理解だとしている。そしてフーコーは「生きるべき人間と死ぬべき人間を分け、資本主義にとって要らない人間を廃棄するところで、「レイシズム」が近代的に機能する」と言っている、と指摘する。

 私は、「俗流化」されたとするフーコーの理解はそれはそれで間違いではないと思う。しかしネオリベラリズムの時代になってからは、明確に「生きるべき人間と死ぬべき人間を分け、資本主義にとって要らない人間を廃棄する」という状況になっていると思う。

 そして「要らない人間」をつくりだし、彼らを「廃棄する」そのこと自体から利益をだそうとしている、というのが、今の資本主義の段階であると思う。

 イスラエルが、ガザや西岸地区のパレスチナ人をジェノサイドするにあたって使用する武器から(武器を売ればカネになる!!)利益を産みだしている。

 現在の資本主義の段階、ネオリベラリズムが跋扈する段階は、あからさまな利益至上主義の資本が、人間を監獄に入れる、あるいは殺すということからも、とにかく、ありとあらゆることから利益を引き出そうとする資本主義の終末期なのではないか。そこに、人道とか、権利とか、そういうものが入り込むことはない。

 イスラエルによるパレスチナ人に対するジェノサイドは、ネオリベラリズムに席巻された世界の象徴ではないかとさえ思う。 

 しかし終末期と言っても、その終末期のあとに違った、人間が住みやすい社会が来るとは思えず、資本主義の終末が、人間への終末へと進んでいくことしかないように思われる。

 またレイシズムで言えば、ネオリベラリズムというのは、きわめて残酷で、選別して「要らない人間を廃棄する」という段階であるから、いかなるレイシズムも、差別も最大限強化されていくのではないかと推測する。

 しばしば「西側諸国」の指導者がいう「法と秩序」は、そういう社会を維持するためのイデオロギーではないか。

 

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バングラデシュの若者たち

2024-08-25 08:30:29 | 国際

 庶民のための政治が行われない国では、若者たちが立ち上がる。そして自由で平等な国づくりをしようと考える。果たして日本ではどうなのか。極右政党=自由民主党がいかなる悪政をしようとも、彼らの政権はつぶれない。大手メディアが政権を支え、短期的なカネ儲けに励む財界も、極右政権を支える。

 いつ日本では、変革が起きるのであろうか。TBSの唯一の良心的な番組。TBS全体は、テレ朝と同様に、政権にすりよる。

「これは学生が導いた革命です」首相が国外逃亡…バングラデシュの政変、現地で何が?金平キャスターが緊急取材【報道特集】

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8月9日に分かったこと

2024-08-15 12:50:28 | 国際

 長崎の平和記念式典にイスラエルが招待されなかったことに関わってのいろいろな事実が報じられてきた。

 イスラエルが招待されなかったことに抗議して、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、カナダの駐日大使が参加しなかったこと、7月19日には、日本を除くG7の主要7か国とEU(ヨーロッパ連合)の駐日大使が連名で、長崎市長に対して『式典にイスラエルを招かないことはロシアなどと同列に扱うようなものだ』として、招待するよう呼びかけたそうだ。

 参加しなかった6カ国をみて、白人帝国主義の過去の幻影を見る思いだ。彼らは非白人が住む地域に侵略して、乱暴狼藉を働いた。虐殺、植民地支配、奴隷貿易・・・・。パレスチナに対するイスラエルの蛮行と、よく似た行為をかつては行っていた。パレスチナ人に対するジェノサイドを、彼らは許容できるのだ。それが恐ろしい。彼らはまた非白人に対して同じことを行うだろう。日本人は、もちろん非白人であることを自覚すべきである。

 長崎の平和記念式典での鈴木市長の「平和宣言」はなかなかよいものだ。

圧力に屈しなかった鈴木史朗・長崎市長。肝が据わっているではないか。

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イスラエルの掃討戦

2024-07-15 13:52:24 | 国際

 イスラエルのネタニヤフ政権は、計画通り、ガザに住むパレスチナ人を掃蕩して、ガザを完全にイスラエルの支配下に置こうとしている。そうした作戦が続けられている。ガザが終わったら、次は西岸地区で掃討作戦が行われるだろう。

 その背後で、アメリカがイスラエルを支えている。アメリカにいるユダヤ人が、それをさせている。

 このままいけば、世界的に反ユダヤ主義が強くなっていくことだろう。パレスチナ人の怒りは、決して消えることはない。憎悪が日々強化されていく。 

イスラエル軍がガザ中部の学校攻撃 17人以上死亡80人けが パレスチナ人死者は約3万9千人に

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「ラベンダー」

2024-06-28 17:34:11 | 国際

 イスラエルによるガザへの侵攻、パレスチナ人に対するジェノサイドを理解する上で、『地平』創刊号は有益な情報を与えている。

 早尾貴紀さんの「イスラエルの過剰な攻撃性に関する三つの問いをめぐって」は、ガザ攻撃の背景など、様々な情報を与えてくれた。

 まずイスラエルの攻撃は、「西洋文明」を背後にしている。彼らの暴力性は「西洋文明」にルーツを持つ。せ「西洋文明」は、アメリカ大陸、アジア・アフリカ、太平洋の諸島へ侵略してきた。そこにあったのは、キリスト教につながる「明白なる天命(Manifest Destiny」がある。そして「西洋文明」のなかにいない者たちを「野蛮人」として大量殺戮を行ってきた。その上で、「西洋文明」の担い手たちは、「入植者植民地主義」を行ってきた。

 イスラエルがやっていることは、この「西洋文明」にルーツを持っているからこそ、たとえばアメリカ大陸に上陸したヨーロッパ人がインディアン(インディオ)におこなったことと相似的なことをするのだ。

 在米イラン人のハミッド・ダバシがこのような主張をしているという紹介であるが、この論考が手に入ったら、翻訳してみたいと思う。

 つぎに、「西洋文明」のもと、「理性の自己実現」を説いたあのヘーゲルが、アジア・アフリカに対する植民地支配と人種差別を正当化する代表的イデオローグだったという。驚きである。

 さらにガザへの空爆の目標には、AIが利用されているというのだ。その名は「ラベンダー」。

 「ラベンダー」は、「約230万人の全住民の行動履歴データが入力された監視システムから自動的に「テロリスト」の確立を判定する。写真や動画、移動した場所、会った人物、通話記録、SNSへの投稿やコメントなどなどが把握されて、それらのデータの集積からAI「ラベンダー」が、ハマースやイスラーム聖戦などの抵抗組織への関与の度合いを評価し、標的生成する。」攻撃対象となる「標的」の生成は、20秒ほどでつくられ、その「標的」が夜間に帰宅したところを爆撃する、その際、家族など20人程度の巻き添えがあることを前提にしている、というのだ。恐ろしい話である。

 そういう世界は、いずれ日本でも行われるだろう。「マイナンバー」がその基盤となるのだろう。

 自由がなく、統制され、国家にとって不要とされる人間が抹殺される、そういう社会が、すでにできあがりつつある。

 

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ガザのこと

2024-06-24 20:25:35 | 国際

 若い頃、アメリカ軍がベトナムに襲いかかり、無辜の民を虐殺していた事実は、いつも私の心に重くのしかかっていた。それを振り払うように、ベトナム戦争反対の運動に参加した。

 今、同じような、いやもっとひどい状況がガザで繰り広げられている。

 『地平』に掲載された岡真理の「ガザ 存在の耐えられない軽さ」を読み、まさにパレスチナの人びとを根こそぎ一掃するという、イスラエル国家の野望をみる。しかしそのイスラエル国家の野望、すなわちガザの人びとへのジェノサイドが、止まらない。日々、ガザで〇〇人が殺された、というニュースが流れる。

 どうしたらイスラエルの蛮行を止めることができるのか。いやイスラエルの蛮行は、おそらく止まらない。建国前から、イスラエル国家を建国しようとした集団、シオニストは、当初からパレスチナに住む人びとをいずれは一掃して、ユダヤ人だけの国家をつくろうとしていたからだ。ジェノサイドは、イスラエル国家の既定方針であった。

 何度も書くが、ユダヤ人迫害の当事者は、キリスト教徒である。パレスチナの地では、ユダヤ教徒とムスリムとは共存してきたのだ。キリスト教徒がユダヤ人を迫害し、その迫害の後始末をパレスチナに押しつけたのだ。それの流れに乗って、シオニストたちはパレスチナに住む人びとを虐殺し、追放し、難民化させる中でイスラエル国家をつくりだした。

 『週刊金曜日』6月21日号の「真の狙いはパレスチナ難民の帰還権抹消だ」は、国連の動きをあとづけ、国連の動きを無視していたイスラエルと、それを支えるアメリカ合州国の醜い姿を示す。

 そもそも、国連が勝手に、ユダヤ人国家の建設をパレスチナに設定したところからパレスチナ問題は発生した。1947年のことだ。シオニストは、そこにもともと住んでいたパレスチナ人を襲撃し、殺し、そして追放した。あまりにひどい!!

 そこで、1948年12月、国連は「可能な時期での難民の帰還とそれを望まない場合の財産の補償」を認める国連総会決議194号が可決された。それに基づき、国連パレスチナ和解委員会(UNCCP)がつくられた。しかし、イスラエルは交渉を拒否、「和解」はイスラエルによって葬り去られた。UNCCPは機能不全となった。

 そのため、1949年、「パレスチナ難民への人道援助・仕事の提供のための暫定機関」がつくられた(UNRWA)。パレスチナ難民救済事業機関である。UNRWAは、「人道援助に加え、帰還権が実施されるまで難民の生活を国連機関として支える」というものだ。

 国連による、1947年の「パレスチナ分割決議」が、多くの難民を生みだしたのであるから、当然国連には責任がある。

 ところで、難民に関しては、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)があるが、パレスチナ難民には、UNHCRは手を出さない。パレスチナ難民は、国籍を持つ国で迫害を受けて難民となるというふつうの難民とは異なり、国連が生みだした人びとであるからだ。

 UNHCRの難民保護は、物理的保護(難民・国内避難民の安全の確保)、物質的保護(基本的ニーズを満たすための救援)、法的保護(権利保障と永久的解決の保障)の三つの働きをする。ところがUNRWAは、物質的保護、「医療・教育・食料や労働の提供」だけである。安全の確保は、任務外なのである。

 イスラエルのジェノサイド政策により、ガザでは「医療・教育・食料や労働の提供」でさえできない状態だ。

 イスラエルの国連無視、そしてジェノサイド、それができるのは、あのアメリカ帝国が支持しているからだ。

 日本は、アメリカ帝国に隷属した国家である。であるがゆえに、日本政府も、日本政府と仲よくしている日本メディアも、イスラエルを批判しない。ロシアのウクライナ侵攻を強く批判するのに、イスラエルのガザでのジェノサイドにはほとんど関心を示さない。

 先にあげた、岡真理の論文が、それを厳しく指摘する。「イスラエル政府の発表をそのまま検証もせず報道する姿勢ともあいまって、いまだに主流メディアの報道に信をおき、これらを唯一の情報源にしている市民が、イスラエルのありようを批判的に問題にし、政治的に批判をあげることを抑制する結果にもつながる。」と。

 だからこそ、事実を知るためには、今や新聞やテレビではなく、『地平』『世界』『週刊金曜日』という雑誌に目を通さなければならないのである。

 何とかしたい、ジェノサイドを止めなければ・・・・

 

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ガザのこと

2024-05-19 13:45:20 | 国際

 『週刊金曜日』には、イスラエルによるガザ攻撃に関する記事がいくつかある。そのなかから二つ紹介していたい。一つは早尾貴紀さんの「パレスチナ人大虐殺という不正義から目を逸らすな!」であり、もう一つは「最先端産業としてのジェノサイド」である。

 早尾さんの論攷は、現在のイスラエルの蛮行の経緯がよくわかる。2023年9月22日、イスラエルのネタニヤフ首相は国連総会で、「新しい中東構想」について演説した。その際に示された地図には、パレスチナ自治区と言われるヨルダン川西岸地区もガザもなく、その地がイスラエルの色で塗られていた、つまりその時点でパレスチナは消去されていたのである。現在のガザ攻撃は、それを実現する、パレスチナ掃討作戦なのだ。まさにジェノサイドである。

 イスラエルの蛮行を、欧米の若者たちが、そして日本の学生たちも、糾弾に立ち上がっている。しかし欧米諸国は、大学までもそれらの動きを封じようと躍起になっている。イスラエルを批判することは反ユダヤ主義だというのである。さんざんユダヤ人を迫害してきた欧米諸国の、その迫害の代償がイスラエルへの全面支持というわけだ。そこには人道も、ヒューマニズムも何もない。何もないということで、欧米諸国は歴史的に一貫している。ユダヤ人も、パレスチナ人も、どうなろうと知ったことか、という姿勢である。

 そしてイスラエルの蛮行を支えているのが、アメリカの中東支配政策である。アメリカは中東諸国、エジプト、ヨルダン、アラブ首長国連邦、バーレーン、スーダン、モロッコを従属させ、これらの国々にイスラエルと国交を結ばせ、「アラブの大義」を葬り去ろうとしている。イスラエルを中心とした中東支配を、アメリカは画策している。

 次に廣瀬さんの文。ウィリアム・ロビンソンの「パレスチナとグローバル危機」という論文をもとに話しを進める。

 「西洋支配層においてジェノサイドは過剰蓄積あるいは余剰資本という経済問題と余剰人間の反乱という政治問題を同時に解決する手段として理解されて」いるという。余剰人間を抹殺すること、その事業に余剰資本が投下される、というのである。

「ジェノサイドはまずは余剰人間の抹殺であ」り、「世界各地で余剰人間が生み出され続ける限り、彼らの反乱やその可能性に対する「戦争」は終わらず、そうした戦争を糧とする国土安全保障産業は、世界経済が全体として停滞するなかで例外的に発展が約約束された部分として余剰資本を吸収し続けるだろう。加えてまた、ジェノサイドを伴うか否かにかかわらず、戦争による破壊では必ず「復興」が展望されており、発展限界に達した諸部門も復興に関わる限りで余剰資本に再投資の機会を与えることになる。」

  イスラエルのような、「入植者植民地主義」においては、「先住民抹殺それ自体が新種の産業として資本の価値増殖運動に組み込まれている」!!

 資本主義は生きている人間と極限までに絶対的矛盾関係にある、もう資本主義の廃棄しかない、という段階に、世界はきている。

 

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複雑だ

2024-01-03 16:12:00 | 国際

 ユーチューブで、「ニューイヤーコンサート」と検索したら、ロシアのマリンスキー劇場管弦楽団のそれがでてきた。同管弦楽団は、ゲルギエフが芸術監督として名を挙げ、ウクライナ戦争までは世界各地で演奏会を開いていた。ゲルギエフがプーチンとつながっているということから、ウクライナ侵攻以後、欧米ではゲルギエフの演奏がぴたりととまっているようだ。

 ゲルギエフ指揮のマリンスキー劇場管弦楽団は、浜松市にも演奏に来て、私はそれを聴きに行ったことがある。素晴らしい演奏であった。

 音楽は国境をこえるものだという肯定的な考え方を持っていたが、ロシアのウクライナ侵攻以後、ゲルギエフとマリンスキー劇場管弦楽団を聴かなくなっていた。彼のCDは何枚か持っている。

 今日、指揮はゲルギエフではないが、マリンスキー劇場管弦楽団の「ニューイヤーコンサート」を聴いた。読書するときには、いつも音楽をかけているので、いつものように、それをバックグラウンドミュージックとしてながしておこうと思ったのだが、これができない。しっかりと聴いてしまうのだ。耳がその音をとらえてしまう。

 戦争状態にあるとき、音楽というものをどう考えたら良いのか。複雑な気持ちをもちながら聴いてしまった。

 

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