当たり前だが、聖隷クリストファー高校を推薦しなかった高野連への批判が渦巻いている。毎日新聞、高野連はどう対応するのか。
センバツが抱える矛盾と限界…聖隷クリストファー落選の不可解選考に名将も「NO!」
高校野球界も利権にまみれているから、こうした不可解な決定がなされる。
当たり前だが、聖隷クリストファー高校を推薦しなかった高野連への批判が渦巻いている。毎日新聞、高野連はどう対応するのか。
高校野球界も利権にまみれているから、こうした不可解な決定がなされる。
浜松市に住む私の周辺で、東海大会準優勝であった聖隷クリストファー高校が、春の選抜大会に、なぜか選出されなかったことに関して騒ぎが起こっている。
私は高校の過剰な部活動に関して疑問を抱いているので、こういうことについてコメントするのははじめてである。高校の部活動であっても、そこには常に何らかの利権が絡みついている、というのが私の理解で、今回の選出に関しても、何らかの利権があったのではないかと思う。
東海大会では3位決定戦はない。従来、春の選抜大会には優勝、準優勝チームが出場するということが慣例になっていた。それがなぜか大垣日大のチームが選ばれた。44年ぶりの珍事である。
その理由を、『毎日新聞』は、「東海地区の鬼嶋一司委員長は、選考委員会後のオンライン記者会見で「大垣日大が投手力で上だった。春先は特に投手力でチーム力に差が出る。どちらが甲子園で勝てるのかを考慮した」などと理由を説明。」と書いている。
この説明では、おそらく納得いかないだろう。なぜなら「21世紀枠」というのがあるからだ。それにきわめて主観的な意見である。
この説明は外部向けのものだろう。ウラに何らかの利権が隠されているはずだ。
高野連加盟校の数は、東海地区429校、そこから選抜されるのはたった2校、しかし加盟428校の中国・四国地区は5校である。すごい差別である。
こういう差別状体をそのままにしている、主催の高野連と『毎日新聞』に問題がある。
何年か前、地域の連続の歴史講座で、日本近代史を6回にわたって話したことがある。そのなかにひとり、「歴史戦」ということばをつかって、私に論争を挑んできた方がいた。南京事件に関してだった。
私は、南京での虐殺を証明する一次史料をもっているので、それをつかって説明したことからその方には理解を頂いたように思う。
その時に、「歴史戦」ということばを知り、それが『産経新聞』に掲載されていることを知った。
その後、「歴史戦」という語は、今まで長い間の歴史研究によって積みあげられてきた歴史的事実を「くつがえす」ことを目的とする動きのなかで多用されていることを知った。
その「歴史戦」ということばがNHKで使われていることを知った。
そこにはあの岩田明子が登場する。そう、安倍晋三と蜜月関係をみせつけたあの女性である。
その説明に、「政権の歴史認識に基づき・・・」とある。これにも驚いた。つまりNHKは、「政権の歴史認識」を前提に、「事実集めて検証」する、というのだ。
NHKは、『産経新聞』が推進してきた「歴史戦」の一翼を担うことを宣言したようだ。
「公正中立」ということばを、NHKは公然と投げすてたのだ。
小泉純一郎首相(当時)の「郵政民営化」に、多くの国民、メディアも熱狂的な支持を与えた。
それからの郵便局は、「公」的事業としての機能をつぎつぎとなくしていった。
わが家に郵便配達にこられる人が変わった。長年同じ人が来ていたのに、最近は若い人となり、その若い人も変わる。どこの家か、どういう廻り方をするか、覚えるのはなかなかたいへんだろうに。最近配達される方が変わった影響か、配達時間がばらばらになっている。ある時は昼頃、あるときは夕方暗くなってから・・・というように。以前は、いつも昼頃だったのに。
土曜日の配達がなくなった。日本郵便株式会社は、その分の労働者を削減するのだという。計算して、このくらいの人数を減らすことができる、ということらしい。
民営化後の経営者は、なんども失敗して巨額の損失をだしている。その尻拭いを郵便労働者に強いる一方、サービスを低下させてきた。
「民営化」=株式会社化ということは、できるだけ利益を確保して、株主への配当金を増やすということが目的になる。そこで働く人々の労働強化、国民へのサービス低下(硬貨取扱いの際に手数料をとるだって)・・・が次々と生み出される。
小泉純一郎によって躍らされた「郵政民営化」のツケが、郵便労働者や国民にまわされてきた。
それでも躍らされた人々は、それに気付かずに、また躍らされることだろう。
「公」はどんどん消えていく、税金を納めているのに。
しかし、『週刊文春』の調査能力はすごい。新聞やテレビは社員を多く抱えているのに、こうした調査はしていないし、できない。それが実態だ。
福島原発の事故で、大量の放射性物質が飛散した。その結果、多くの子どもたちが甲状腺ガンに苦しむことになった。
しかし、東電、国や福島県は、その原因が福島原発の事故によるものだと認めない。
私は長い間、たくさんの高校生を見てきたが、甲状腺ガンになった子どもを誰一人知らない。
東電、政府、県などの対応は信じられないほど悪質だ。彼らはよくも平気でいられるものだ。
甲状腺ガンに罹った子どもたちが提訴するという。しっかりと応援していきたい。
名護市長選、南城市長選、いずれも自民党・公明党推薦の候補が勝利したとのこと。残念な結果である。
国民の税金を大胆につかって、札束で選挙民の頬を撫でる。市民の正当な要求は無視し、辺野古米軍基地の建設など、県民・市民の反対の意思はいっさい考慮せずに突き進み、「反対してもムダだ」という諦観をつくりだす。
カネと横暴な権力に、選挙民は崩されていく。その結果としてこの選挙結果がある。
沖縄でさえ、このような結果になるのだから、支配層はこの手法を使って、あらゆる選挙で同じ手法をつかってくるだろう。といっても、今までも札束攻勢は、選挙で使われる常套手段である。もちろん政治権力を掌握している支配層がそれをやる。とりわけ、彼らは税金をつかってそれをやるのだ。業界団体はそのカネに群がる者たちだ。カネをもらえるなら、何でも来い、なのだ。倫理や正義、平和などは蹴散らされる。
いわゆる野党(ゆ党ではない!)はそんなにカネがあるわけではない。札束攻勢を展開することはできない。
私は、辺野古の新基地建設は、これも利権のためだと思っている。アメリカ軍は、辺野古新基地の建設についてはあまり評価していないようだ。完成しても(軟弱地盤で完成しないが)使い勝手がよくないからだ。ではなぜ強引にすすめるのか。利権に群がる者たちと官僚たちの合作としてあるからだ。
日本の政治は、利権政治として貫徹している。なんらかのかたちで、国民の多くは利権とつながっている。利権を拒否しない。
かくて日本は、沈没していく。しばしば紹介するが、開高健の小説「パニック」に描かれたネズミのように、海にむかって集団自殺していくのである。このネズミたち、将来のことなど考えずに、現存する「今」だけが重要で、腹一杯メシを食べ、子孫を増やし、その島で生きていけなくなるまで「今」を享楽する。そして「今」は継続しなくなる。
それがおそらく、近代日本の人間たちのありようなのだろう。
日本の全てのメディアは腰が引けて、政界の不祥事を追及しないから、それらはすぐに消えていってしまう。
Netflixの「新聞記者」は、安倍政権下で起きた様々な不祥事=犯罪を、フィクションにして描いている。現実はもっとひどく悪質なのだが、メディアがきちんと報じないからこそ、みた方がよい。
北原みのりさんの評価は重要な点であるが、しかしやはり見た方がよい。
報道特集をみた。「急増する子どもの感染、後遺症も・・・」である。
浜松市の今日の感染者数は、263人、中等症以上の感染者が11人だという。急増してから減らない。感染力がよほど強いのだろう。私などはできるだけ人が集まるところに行かないようにしている。行くのは、スーパーだけだ。
浜松市内の高校で感染者が増えているという。この番組の末尾で言っていたが、 COVID-19は空気感染が主流である。マスクをきちんとやって、換気をきちんとすることが重要だ。
となると、この寒さだ。窓を開ければ寒気が入ってくる。ならば、それを前提とした服装で登校するようにするのがあるべき姿ではないか。
制服なんかないほうがよいと思い、私は高校生の時に制服撤廃を訴えたりしたが、しかしその後、制服の好きな高校生の声を聴いてがっくりした。
ならば、制服の上にダウンを着てこい、カイロを使いなさい・・・というように、寒さに耐えうる格好をして登校してきなさいと指導すべきではないか。何なら私服登校もOKにすべきだ。
最近学校の規則(生徒心得)が問題になっているが、高校生の時から私たちはそれを生徒会でとりあげた。なんで今ごろ、と思うこともあるが、見直しをする、あるいは廃止するのが当然だと思う。傘なんかも「地味な色」とかいうあほくさい規則があったが、交通事故のことを考えれば、明るく派手な色の方が目立つだろうに。
とにかく、学校のアホらしい校則を見直して、またコロナ禍の対応として、臨機応変に対応するように、学校関係者は努力すべきだ。
会長が新しくなった連合が、「夏の参院選 で支援政党を明記せず、政党と政策協定も結ばない基本方針案をまとめ、加盟組合に伝えた。共産党と「野党共闘」する候補者を推薦しない考えも盛り込んだ。」(「朝日新聞」記事)という。
なるほど、「労働戦線の統一」というかけ声のなかで結成された連合が、いよいよ自民党・財界と手を組むのだろう。「労働戦線の統一」の真の目的=隠されていた目的がついに完成する。この方向は、1980年代から本格的になっていたことだ。
「労働戦線の統一」とは、労働組合が闘いを放棄することであったのだ。
連合が出来てから、その傘下の労働組合がなんらかの闘いをしてきたか。ノーである(少しはあったが)。参加の労働組合が、社会運動に積極的に参加してきたか。ノーである。
日本社会は、軋轢のない、ノッペラボーの社会へと変質するだろう。そこでは、支配層に役立たない者は公然と見捨てられる社会である。それに抗う人々は抑圧され差別される。メディアは、支配層の肩を持つ。
そういう社会が、そこまできている。