自治体の窓口で対応するのは、ほとんどが非正規の方々です。地方自治体が、安い労働力をつかった業務を運営しています。そうした非正規を雇用することにより生み出された金が、企業などに補助金として支出されています。ヒドイ時代です。
友人が、私のブログは文が長いので・・・・・と言っていた。多くの人はTwitterに慣れていて、短い文を読むことには苦痛を感じないらしい。
私は、自らの意思を伝達するためには、きちんと文として展開しなければ不可能であり、またへんな誤解を与えてしまうのではないかという虞をもつ。
実際、Twitterの文を読むと、短い文章で批判したり、論争したりしている。そこで使用されていることばはきたないものもあり、なかには暴力性をもったことばもある。そういうことばをつかわないと、短い文で何らかの意味ある内容を伝えられないのかもしれない。
だが、それによって不要な対立を生む。
Twitterは簡単にネット上に思ったことをアップするわけで、みずからのなかでは未消化なもの、あるいはきちんと調べていないもの、吟味されていないもの、ふと思いついただけのもの・・・・が渾然としている。そういうものは、以前だったら他人の目に入るところに示されることはなかったのだが、Twitterはだれでも見ることができるから、それらが問題視されることになる。
だから、私はTwitterをやる意思はない。生煮えの思考は、公の場に示すべきではないと考えるからだ。
とくに、本来ならば手を結ぶべき人びとが、生煮えの思考をさらすことによって不毛な対立関係に入っている事例もあり、そういうことは避けなければならない。理性的で冷静な対応ができるように、慎重な意見発表が求められていると思う。議論の場を、感情的な対立が台無しにしてしまうこともあり得るからだ。
TBSの「報道特集」が、福島原発事故による甲状腺ガン多発に関する番組を放映したところ、激しいバッシングがなされたという。
福島の子どもたちが甲状腺ガンで苦しんでいるのは、東京電力・福島原発事故による放射能によるものであることは事実であると私は思っている。今まで、多くの高校生のなかで生きてきたが、一人として甲状腺ガンに罹患した者はいなかった。しかし、福島県で原発事故に遭った子どもたちに甲状腺ガンが多発しているのなら、それは原発事故が原因であると言うしかないだろう。
しかし、日本の支配層は、政治権力を動かしてその事実を完全に否定し続けるつもりである。それはなぜか。今もって、支配層は、原発輸出をあきらめていないからだ。それはリニア新幹線建設をあきらめていないということと連動する。リニア新幹線は膨大な電力を必要とする。リニアを動かすためには原発が必要となる。リニア新幹線も輸出を狙った事業であり、それは同時に原発輸出とつながっていく。リニア新幹線と原発はひとつのセットなのである。
そのためには、原発事故によるこうした被害はあってはならないのである。
しかし甲状腺ガンにより人生を狂わされた若者がいる。私たちはその声に耳を傾けなければならない。
「子ども甲状腺がん裁判」 始まる~20代女性陳述「大学行きたかった」
ウクライナだけではなく、世界各地で戦争が起きている。それらの戦争の下で、多くの庶民が殺され、傷つき、逃げ惑っている。そういう現実を前に、私たちはどうすればよいのか、という問いに立たされる。
しかしすべての戦争に対して、少なくとも私は何らかの対応をとることはできない。遠方であり、いかなる原因で戦争が開始されたのか、その真実を知ることができないし、また戦争を行っている当事者のいずれかが「正義」なのかを判断することすらできないからだ。
アフガニスタンにおいて、故中村哲さんは、いかなる勢力や国家が戦争を行おうとも、そこの大地に生きる人びとのために、医療を施し、井戸を掘り、運河をつくり沙漠を緑の地に変えてきた。だから私は、ペシャワールの会を支援してきた。
その他はどうだろう、私は判断できないが故に、国境なき医師団、UNICEFに寄付してきた。そして今回のロシアによるウクライナ侵略に際しては国連難民高等弁務官事務所にも寄付するようになった。
そして明らかな侵略に対しては、例えばベトナム戦争におけるアメリカ、イラクへのアメリカなどの侵攻、ソ連によるアフガニスタン侵攻、アメリカなどによるアフガン侵攻、イスラエルによるパレスチナ侵略・・・・などを批判してきた。
今回のウクライナへのロシアの侵略は、明らかに批判されるべきであり、アメリカなどがイラクに侵攻した例をあげてみずからの「合法性」を主張するのは、まったくの誤りである。いけないことは、いけないのである。
私は、そこに住む庶民の目線からみようとする。権力者などの目線ではない。そこで主張するのは、「殺すな」である。だから、殺そうとする者たちに、当然批判の眼は向けられる。ウクライナの場合は、ロシアが批判の対象である。ロシアが侵略してこなかったら戦争は起きていない。
ミャンマーの場合は、もちろん国軍が批判の対象である。
そして私は、ロシア軍にたいしてウクライナの人びとが軍事的に抵抗すること、ミャンマーの人びとが武器をとって戦うことを否定しない。その結果、より多くの死傷者がでることが予想される。その事実の前に私は立ちすくむが、私は「仕方がない」というしかない。早く戦争がなくなり、もとの日常が戻ることを祈るしかない。
私の原点は、ベトナム戦争反対である。そのときにとった自分の行動にしたがって、世界各地の戦争への態度を決めている。私は、ベトナム戦争のとき、ベトナムの人びとに武器による抵抗をやめろと言わなかったし、アメリカに南半分をあげればよい、などと言わなかった。アメリカを、ベトナムから追い出すことだけを願い支援した。
いろいろな言説が、ロシアによるウクライナ侵略に関して出回っている。私はこの件でも、ベトナム戦争反対運動の経験から判断する。ロシア軍をウクライナから放逐しようとするウクライナの人びとの行動を支持する。
『現代思想』、「ウクライナから問う」に、ドメイトロー・ドンツオーウの「モスクワ人魂」の翻訳が載せられていた。
まずショックだったのは、プーシキンの「転向」が記されていたことだった。高校生の頃、プーシキンの詩に心を高ぶらせていた。プーシキンはデカブリストの乱の周辺にいた。ところが彼は「ロシア専制政治」の宮廷詩人となったのだという。
同時代の詩人がこういう詩を書いている。
彼は自由を人びとに布教せり/ツァーリを民とともに裁きに呼べり/しかるにツァーリのシチュー(キャベツスープ)を味をしめるや/宮廷の皿まで舐めるおべっか使いと成りにけり
何ということだ!
そしてドンツオーウはモスクワ人=ロシア人の特徴を記している。
・・彼らの「自然な状態」とは、本物の力の奴隷であることである。このような力が彼らの眼前に立ち上がるところ、彼らは跪く。我が君主の前で、もしそれがピョートル一世かスターリンのような者であったれば、そして外国人の前で、もしそれがタタールの汗(ハン)のような(強大な)者であったれば跪いて改悛する。そうでない者たちには、襲い掛かり齧りついて噛み殺す。
ロシア専制政治により支配され、その後社会主義権力のスターリンにより支配されてきた人びとが、一挙にそうした習性から脱して自由人になることはない。奴隷状態のまま生きてきた、というのだろう。
しかし、権威や権力者に従属的であるという習性、長いものには巻かれろ、そして自分よりも「弱い」と見做した者には、暴力を振るう、暴力を振るわなくても、暴言を吐く、という習性は、日本人のものでもある。そうした姿を、たくさん見てきた。ロシア人の習性は、同時に日本人のそれでもある。
そのような習性は、学校で強く育成される。目立たないように、まわりと同調する。教師に逆らわない。抑圧された感情は、イジメという陰湿な行為へと転化する。イジメの相手は、「弱い」とみなした者である。
ロシア社会と日本社会は、似ているのだろうか。
『現代思想』に収載されている論攷をほとんどすべて読み終えた。2月24日にロシアによるウクライナ侵略が始まり、この特集を企画したのだろう、執筆者の執筆時期は4月20日前後が多い。この短期間にこれだけの原稿を集められたことに敬意を表したい。
数編だけ冗長なものがあったが、多角的な視点からこの侵略を捉えようとしていて、とても参考になった。
この本がどれほど売れているかはわからないが、これを多くの人が読むことは、この侵略を理性的に把握することに大きく寄与すると思う。
ここには、れいわ新選組のように、バイデンが戦争をながびかせているというような憶測に基づく論攷は見当たらない。またどっちもどっちという無責任な論攷もない。「代理戦争」ということばは、青山弘之氏の「シリアとウクライナ」の文にはあったが、シリアとの関係からの主張は理解できるもので、無責任な放言を繰り返している方々が語るような内容ではなかった。それはそれで考えさせるもので、シリアにおける戦争がウクライナにおける戦争と連動する動きは警戒しなければならないと思う。
私たちは、侵略という暴力に対して、暴力を以て対応するのではなく(ウクライナの人びとが武力で抵抗するのは理解できるが)、ことばをもって闘うことが大切だと思う。侵略という暴力、この場合はロシア=プーチン政権による国際法違反の暴力を徹底的に批判すること、これである。
そして私たちは、このような非道な暴力を振るう、ロシアやプーチン政権なるものを理解しなければならない。理解する、それはことばによってなされる。
この『現代思想』はそうしたことを試みている。収載された論攷を前に、私たちは脳を活発化させるのだ。
肥大化したロシア国民の愛国心…プーチン政権がプロパガンダであおる 侵攻の出口は見えず
ウクライナ侵攻の原型は「自作自演」か…プーチン氏が権力を握った爆破事件と謎の死
プーチンは、権力保持のためには、自国民をも殺害する。
過去の栄光を取り戻そうという動きがある。ロシアがそうだ。経済力その他も低下してしまったロシア、ただ核兵器だけを大量に所有している国である。
そこに住む人々は、落ちぶれていくロシアの現状をみて、過去の栄光を探っているようだ。
プーチン氏は「手ぬるい」 ロシアで高まる独裁者スターリン人気「民主主義ではなく『皇帝』が必要」
一般的な庶民は、どこの国でも、権力に従い、権威に弱い。権力や権威に異を唱える人びとは多くはない。
しかし私は、反骨精神を持った人びとと、たとえ少数であっても、支えあいたい。
ロシアには、こういう声明を出す人たちがいる(『現代思想』沼野恭子さんの文からの引用)。
ロシアがウクライナに対してしかけた戦争、これは恥辱である。これは私たちの恥辱であるが、 残念ながら、その責任を負うはめになるのは、私たちの子どもたち、まだ全く若い世代、 そしてまだ生まれてもいないロシア人たちだ。 私たちの子どもたちが、侵略国に住むことになるのも、自分の国の軍隊が隣の独立国を攻撃したことを恥じるようになるのも、まっぴらごめんだ。
私たちはロシアのすべての市民に、「この戦争にノーと言おう」と訴える。私たちは、独立国家ウクライナがロシアやその他の国の脅威になっているなどとは思わない。 ウクライナ国民が「ナチ党員」の影響下にあるとか、ウクライナ国民を「解放」する必要があるなどというウラジミール・プーチンの言明を信じるわけにはいかない。 私たちはこの戦争を中止することを求める。
アベ主催の「桜をみる会」、ホテルでの前夜祭にサントリーが酒を無償提供していたそうだ。
私は、森永、雪印を、事件が起きてから一切買わないで生きてきたが、ここでサントリーも買わないことにした。といっても、私は酒を飲まないから、ほとんど関係ないが。
【追記】『日刊ゲンダイ』がこの問題を記事にしている。サントリーの社長はアベ友のようだ。
北朝鮮がミサイルを撃ったそうだ。そして中国によるウイグル族迫害の証拠となる文書が公開された。ロシアによるウクライナ侵攻・・・・すべて社会主義を謳った国家である。
私は若い頃、マルクスやエンゲルスを読みあさった。レーニンについては、すでにその頃から「レーニンから疑え」という意見もあったので、あまり深くは読んで来なかった。
ロシアもかつて社会主義権力、中国も、北朝鮮も社会主義権力が牛耳っている。
本来ならば先進国で革命が起きるということであったが、ロシアなど中後進国、民主主義的経験が未熟なところでしか起きなかった。そこで打ち立てられた政治権力が行ったことを振り返れば、「スバラシイ!」というようなことはなかった。
なぜなのか。ロシアのウクライナ侵攻を契機に、私は社会主義という社会における政治権力には、本来的な欠陥があったのではないかと思うようになった。
プーチンの個人的資質に大きな問題があることは当然ではあるが、中国の習近平が行っている強烈なウイグル族「同化」策(同化できないヤツは殺してもよい)を見ても、「こりゃダメだ!」というしかない。
もちろん近代日本国家も、アイヌを同化し、沖縄を迫害し、朝鮮を植民地化し、中国始め東アジア、太平洋地域に侵略していったことをみれば、資本主義権力も同じようにヒドイということだ。アメリカはもっとヒドイ!
ということは、政治権力というのは、本質的に「悪である」という認識が正しいということだ。政治権力は「悪」を付帯しているといってもよいだろう。