浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

総裁選・立憲民主党代表選

2024-08-31 20:16:11 | 政治

 極右政党である自由民主党の総裁選に立候補する者たちの顔なんか、わたしは見たくない。どうして、かくもワル顔が並んでいるのかと思う。とりわけマイナ保険証を強行する河野の、あの顔は見たくない。

 テレビが総裁選を熱心に報道しているようだが、国民とは直接関係ない選挙は熱心に報じるが、東京都知事選は報じないという不思議。テレビメディアはすでに報道機関としては、終わっている。

 さて立憲民主党の代表選、わたしにとっては、まったくどうでもよい選挙である。野田だとか、枝野とか、泉とか・・・庶民の生活を少しでもよくするきちんとした政策を、全員もたない方々だからである。庶民の生活を良くする政策であるかどうかの試金石は、消費税に対する態度である。立憲民主党は増税の立場である。そんな政党に、わたしは関心を持たない。同党には、自由民主党から立候補できなかったのでやむなく立憲民主党から立候補した政治家もたくさんいる。

 社会民主党という政党がある。いま、福島さんや大椿さんらは頑張っているけれども、わたしはこの政党にも不信感をもつ。小選挙区制に賛成しみずからが当選しないようにしたり、静岡県社会民主党のトップ二人が、あっという間に社会民主党を去り立憲民主党に移っていったり(それは福島さんの前の党首も同じことをした)、社会民主党のフラフラしている姿は、忘れることはできない。

 選挙には行くけれども、選挙によって政治がよくなる、という期待は持てない。人びとが政治に関心を持たないのは、政治に希望がないからだ。

 

 

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関東大震災101年

2024-08-30 21:52:35 | 大杉栄・伊藤野枝

 大杉栄・伊藤野枝・橘宗一の分骨された遺骨は、静岡市の沓谷霊園にある。2013年、それまで断続的に開催されてきた墓前祭を復活させ、2023年まで継続してきた。「沓谷だより」を13号まで、また資料集も刊行し、静岡に大杉らの墓があることを後世に残す作業もしてきた。

 昨年の墓前祭には、多くの人が参加したが、墓前祭は、しかし2023年でピリオドを打った。毎年、全国に呼びかけて墓前祭を開催していくことはなかなかたいへんであったからだ。墓前祭実行委員会には組織的な支援はいっさいなく、また求めることもしなかった。

 関東大震災では、朝鮮人・中国人が虐殺され、また亀戸では労働運動家らが殺された(亀戸事件)。101年目になっても、彼らの死を追悼し、心に刻む行事は続けられるようだ。

 それでも、9月16日、大杉らが虐殺された日はやってくる。墓前祭はなくとも、大杉や野枝の思想を考え、死を悼み、権力の暴力を糾弾し続けることは必要だ。

 多くの人が沓谷霊園の大杉らの墓を訪れることを期待したい。沓谷霊園は広い。Google mapには、記載があるが、場所は、北街道から静岡市立東中学校の西側の道を南進し(長源院方向)、小さな交差点を右に入り、50㍍ほど歩くと霊園の入り口がある。そこから入ると左側に大杉らの墓がある。

 

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自治体首長の専制化を阻止する

2024-08-30 20:21:41 | 政治

 兵庫県知事のパワハラやおねだりが大きな問題となっている。兵庫県だけではなく、自治体の首長のパワハラ、セクハラなどが報じられ、いったい自治体はどうなっているか、という疑問が寄せられている。

 わたしは、個々の首長の問題もあると思うが、それよりも構造的な問題があると思う。

 いつの頃からか、新自由主義が席捲するなかで、自治体改革が叫ばれるようになった。自治体を私企業の経営に似せて経営するというものだ。

 最近、もう読まないだろうと思って、自治体経営に関する書物を処分してしまったので、詳しくここに記すことはできないが、その特徴は、首長への権限集中、それに伴う上意下達のシステムの構築、旧来の組織的経営ではなく一定の目的を持ったグループ、それも首長直属のそれをつくっての運営、減量経営(正規公務員を減らし、非正規を増やす。公的な業務を民間企業などに委託する。要は人減らしである。)、浜松市の場合は、スズキ式経営方式を真似るということであった。

 こういう経営方式が全国の自治体に普及した背景には、公務員の労働組合が弱体化したことによる。公務員の労働組合は、自治労と自治労連と分裂している。連合ができたときに、連合に入る公務員労組と、連合には入らない労組とが分裂したのである。後者は共産党系であるが、分裂する前は、自治労の中にいろいろな潮流があった。分裂する前は、自治労はいろいろな学習会をやっていて、わたしも講師を務めたことがある。しかし分裂してからは、呼ばれなくなった。わたしは共産党系ではないから自治労連からは呼ばれないし、自治労はそうした学習会をしなくなった。

 わたしはそうなることを予想していた。共産党がいない労働組合は切磋琢磨がなくなるから闘わなくなる、共産党系だけの労働組合は加盟する労働者が減る。それは教員の労働組合でも同様で、日教組と全教に分裂し、前者は連合の芳野体制を支えているし、全教の組織率は後退している。全体的に労働組合の力は弱くなっている。

 公務員労働者を守る労働組合組織が弱体化すると、公務員は個々バラバラに自分自身を守らなければならなくなる。その場合、力ある者に従うことによってみずからを守ろうと考える者がでてくるのはやむを得ない。

 新自由主義的な行政改革と、労働組合の弱体化が、自治体の首長の専制化を生みだしている。

 ただし、そういう状態であっても、いわゆる「出世」をしなくてもよい(給与が上がらなくてもいい)、上司に嫌われてもいい、指示があっても問題があると思ったらやらない・・・・などという姿勢を堅持できる人が多ければ、専制化は阻止できるはずだ。しかしそういう人間は、絶対的にマイノリティである。

 現代においては、わたしはそうしたマイノリティ、少数派が抵抗の核になると思っている。

 

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検察は、自由民主党には甘い!!

2024-08-30 17:38:48 | 政治

 検察がいかに政治権力を掌握している極右政党=自由民主党に甘いかは、あの裏金問題でも明らかだ。検察庁だけではなく、国税庁も自由民主党には甘い。

 極右政党の人びとが犯罪を犯しても、逮捕されない。一般人や検察に狙われた人物は、悪いことをしていなくても逮捕されるが、自由民主党の関係者は逮捕されない。

 検察庁も、極右なのである。

広瀬めぐみ前参院議員(58)を在宅起訴 勤務実態のない公設秘書の給料をだまし取った罪 東京地検特捜部

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危険信号を感じる

2024-08-30 08:00:18 | 日記

 目が覚めたときに耳に入ってきたのは、小鳥のさえずりであった。

 最近は、大きな雨音が続いていた。これでもか、これでもかと、7月からの「日照り」を打ち消すかのように、雨が降り続いていた。

 未明、ものすごい雨音が眠りを妨げたが、しかしそれは一瞬であった。

 台風10号ははるか西にあるというのに、ずっと雨が降り続いていた。雨雲レーダーには、赤色に塗られた雨雲の切片が、次々にわたしの住む周辺に押し寄せていた。

 一度だけ、畑に行ったが、畑は雨水に覆われ、今まで土色であったところには、性懲りもなく雑草が覆い始めていた。そして雑草の丈は十分な水分を得て、さらに伸びていた。

 この雨が止んだら、そして一定程度土が乾いたら、スコップをつかって雑草を根ごと取り去り、秋冬野菜を植えるスペースを確保しなければならない。

 そして「日照り」のために実がつかなかったとうもろこしの残骸をも取り去らなければならない。

 猛暑、日照り、そして降り続く雨、そうした自然の中で野菜を育てるという仕事には際限がない。

 農作業というのは、いつでも自然との応答の中で行われる。自然が、気候変動の中で、大きく変化してきていることを感じる。

 ただ購入して食べるだけの人びとには、自然の変化がどういう悪影響を与えているのかを実感することはないだろう。

 危険信号が出ていることを、わたしたち農作業に関わっている者は感じている。

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核のごみ

2024-08-29 16:35:19 | 政治

 「一度決めたことは変えない」ーこれは近代現代を通じる日本の支配層の宿痾である。これが1945年の敗戦をもたらした。

 途中でやめることもしない、方向転換もしない、決めたことがうまくいかなくても、破滅するまで突き進む。戦争も、原発も、あらゆる場面でその姿が見られる。

 核のごみの最終処分場の「文献調査」に立候補した北海道の寿都町、その姿を追ったドキュメンタリーがある。今日届いた『週刊金曜日』で、発行人の植村隆さんが紹介していたドキュメンタリー、

 「ネアンデルタール人は核の夢を見るか

をみた。よくできたドキュメンタリーである。

 最後は、寿都町長選が描かれるが、おそらく文献調査に立候補した片岡町長のバックには、大きな力がついているはずだ。

 役場職員をやめた大串さん、海産物の店をやっている吉野さんら、良心的な人びとがいるが、「大きな力」がはたらくと、「大きな力」についたほうが「トク」だと考える人びとがでてくる。その後ろにはカネがあるのだろうが、それに目が眩むのだ。

 今まで生きてきて、わたしは「大きな力」の側に一度たりともついたことはないが、たしかに「大きな力」の側についた人びとには、何らかのかたちでカネが入ってくる、あるいは「トク」するようになっている仕組みが存在していると思う。

 そういう仕組みを拒否できる人たちはそんなに多くはない。だが拒否する人たちは、カネにも「トク」にも惑わされないが、しかし夢を見る人びとである。わたしも夢を見続けたい。

 

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【歴史講座レジメ】欧米の帝国化と開国、そして討幕(その1)

2024-08-29 13:34:17 | 歴史

 わたしは日本(人)が、白人の文化に心酔する様子をみて、日頃「アジア人の自覚を持つべきだ」と言っていた。豊かなアジアが何故に「貧困」、「停滞」、「遅れている」などというネガティブなレッテルを張られるようになったのか。その背景には、欧米の侵略、収奪があったことを忘れてはならないと思う。

◎欧米の変動 覇権の移動

 16世紀 スペイン←ラテンアメリカの銀、プランテーション

 17世紀 オランダ←アジア貿易、東ヨーロッパ=穀物供給地

 18~9世紀 イギリス←アジア(インド支配、中国との貿易)

※ ウォーラーステインの「中核」「周辺」「半周辺」の「近代世界システム論」

◎大航海時代以降、世界はヨーロッパ中心の世界分業体制に組み込まれていく。

 ①アジアへの侵出=「アジアの富」の収奪

 ②新大陸への侵出=新大陸の銀・生産(砂糖、綿花、タバコ・・)←奴隷労働

 ③文化革命

 ④ヨーロッパの思想(哲学、政治思想、経済思想)と自然科学の発達=16世紀の文化革命

 ⑤継続し頻発する戦争→武器の発達・思想や文化への影響

◎「主権国家」の誕生

国境線に囲まれた領域を国土とし、その内部に生まれ住む人々を国民として、その内部の政治的決定において国外からの支配や指図を受けずに独自の判断を下しうる、という原則を保持した国家。

国家の存立に関わる独立至高の決定権を「国家主権」という。←16~17世紀に成立

【その内実】

  ① 絶対王政(人と人との主従関係が原則であった中世的秩序から、国王権力が台頭)。国家主権の担い手は、国王。

  ②属人主義から属地主義。

  ③皇帝権の後退(神聖ローマ帝国など)

  ④ローマ法王の権威の後退

国家理性」の登場=国家利益の追求

◎18世紀ヨーロッパの戦争

「王位継承戦争」(例 オーストリア継承戦争)=国家主権の担い手としての国王の戦争、しかし戦争の目的は「国家利益」の追求。国王の勢力拡大=国家の勢力拡大

絶対王政ではあるが、国王は絶対無制限の存在ではない。

イギリス=立憲王政(国王は国家主権の担い手ではあるが、議会の意思に反した政治を行うことはできない。恣意的な政治をすれば、否認・排斥される)/フランス・プロイセン・ロシア=啓蒙王政 「君主は国家第一の下僕なり」

国王・皇帝の権威、身分制を温存しつつ、経済的な近代化を図る

◎「国民国家」の誕生=「国民」の誕生

・「国民」=その国に住む民が、その国家に帰属していることを意識する、その属している国家にidentityをもつ。

・均質な空間(民族性、言語、文化、国境内における経済=「国民経済」など)と時間

・「国民」は、ナショナリズム、愛国心(他国との「差異」の強調)をもつ←「人々にそのために死ぬことが永遠に生きることを意味するような気持ち」(柄谷行人)をもたせる

市民革命と産業革命が推進力となる

 

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睡眠不足

2024-08-28 17:09:38 | 日記

 今日の午前一時過ぎだったか、iPhoneが大きな音を立てて、緊急速報を何度も流した。それでわたしは起きてしまい、3時過ぎまで眠れないままとなった。

 たしかにその頃、戸外では強い雨が降っていた。ウエザーニュースの雨雲レーダーをチェックしたら、わたしの住む地域は、真っ赤っかであった。天竜川の支流である安間川が氾濫危険水位に達している、避難せよ、というものであった。安間川だけではなく、芳川、馬込川という住居地と離れている河川についても、緊急速報が入り、これでは安眠が妨げられることから、緊急速報は受信しないようにした。

 今まで、わたしが住むところの安間川が氾濫したことはない。天竜川の堤防いっぱいに濁流が流れているとき(今までに4回くらいあった。その度にわたしは天竜川を見に行っている。)でも、一度として安間川が氾濫したり堤防が決壊したことはないので、避難勧告が出ても逃げるつもりはない。

 最近は、雨ばかりである。一ヶ月以上「日照り」が続いていたときには、近くの用水から水を汲み、キュウリや茄子その他に水を遣っていた。水を汲むのは一回だけではない。何度も用水と畑を往復する。すると、背中の筋肉が痛くなる。それでも、野菜が水を求めていると思い、せっせと水遣りをしていた。

 しかし最近は、雨が降りすぎる。今日、合羽を着て畑にキュウリなどを収穫に行ったが、畝と畝との間には水がたまり、畑は雨水に覆われていた。しばらく前迄は、雨水をためておく大きな容器には水が一滴もない状態であったのに、今は満杯である。農業に適すように、都合よく雨は降ってくれないものかと思う。

 隣家は米作農家であるが、今年の米は不作だという。暑すぎたのだ。昨年も暑すぎた。農業をやっていると、気候変動を肌で感じる。

 わたしが子どもの頃は、良い気候だった。夏でも30度を越すことはあまりなかった。今では35度超えは当たり前になった。日向では40度である。生きにくい時代となった。

 

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【歴史講座レジメ】「大航海時代のなかの戦国時代(15~6世紀)」その3

2024-08-28 16:18:14 | 社会

 ヨーロッパが「欠乏」の下、豊かな物産に恵まれたアジアへ進出し、さらに新大陸へ侵出し、先住民を虐殺し、略奪を繰り返すなか、ヨーロッパの学問は大きく進歩した。

ヨーロッパにおける学問の進歩(16世紀文化革命)

○人文主義←ルネサンス(14~16世紀)=エリート知識人の運動(ラテン語教育、ギリシャローマの普遍的教養)

○商人・職人の動き13世紀「商業革命」(「遍歴商業」から「定住商業」へ)→為替手形と書簡による商業→“読み書きそろばん”の必要性→「算数教室」、「俗語(地域の口語)学校」→文字文化の浸透→16世紀数学革命(複式簿記、代数)

○俗語の発達(ラテン語はキリスト教と結合した統治のための言語。庶民は知らない)=「国語」の形成→宗教改革(聖書の各国語への翻訳+15世紀半の活版印刷)
※16世紀は、「宗教改革」の時代。
 俗語=無知な大衆の話し言葉(英語、仏語、独語、伊語)の普及←職人・芸術家・技術者が俗語で学問的な書物を発刊
※俗語(国語)の成立と活版印刷が、16世紀ヨーロッパを変えた。

○透視図法、分解組立図法、断面図法などの発明(三次元物体の二次元平面への投影法)

○美術の宗教への従属からの解放

○戦争(火薬の使用)→学問・技術の発展
 ※百年戦争(1337年~1453年、イギリスとフランスとの間で断続的に行われた戦争)
  火薬使用→火砲(大砲)→小火器(マスケット銃)
  鉱山業の発展(機械化)、機械学、力学、数学などの発展
  大砲を船に積載(ポルトガル、スペイン)
※16世紀には、陸上でも海上でも火力が使用されるようになり、17世紀には火力が支配的となる。熱心に戦争していたヨーロッパでは、武器が発達していた。その武器を持って、非ヨーロッパ世界に侵攻していく。

 

大航海時代と日本 16世紀のヨーロッパの変化をうけて、ヨーロッパ諸国はアジアの交易のネットワークに入り込む。

(1)環シナ海交易圏
○冊封体制と勘合貿易システム
明(1368~1644)海禁政策(民間の海外貿易を禁止)=冊封体制(朝貢貿易)・・「人臣ニ外交ナシ」
 冊封・勘合貿易・海禁政策はセット

○後期倭寇の時代(16世紀)←明の海禁政策
  王直(密貿易商人の首魁五島列島から平戸へ)
   中国人を中心とした密貿易集団(海賊)

(2)ヨーロッパ人の参加
○ポルトガル
 1511年マラッカ(インド洋と南シナ海を結ぶ海の道の要衝)占領
 ※西方インドからは、綿織物・アヘンが、東方中国からは陶磁器・絹織物・武器などがもたらされ、現地東南アジアからは香料・象牙・白檀・獣皮・樹脂・金・スズ・銅・硫黄・真珠母・貝・鼈甲・さんごなどの特産品がインドと中国に輸出された。
 1517年 明との国交を求める、皇帝拒否ポルトガル人=仏郎機(フランキ)
 1519年 ポ船、広州湾の船舶を襲撃・略奪
  以後、密貿易に従事。
 1552年 王室艦隊司令官リオネル・デ・ソーサポ海賊や密貿易商人を服従させる
 1553年 マカオ上陸
 1557年 明、暫定的にマカオ居住を認めるマカオ←→長崎
 1573年 明、正式にポ人のマカオ居留を認める
    (マカオのポルトガル植民地化は、1887年)
ポルトガル人の貿易(日中貿易の運送業)
明から日本へ 生糸・陶磁器  日本から明へ 銀
 ※ヨーロッパ人、輸出用の物品なし(毛織物、各種金属、珊瑚、象牙、宝飾品、時計、美術工芸品など)→運送業をやるしかなかった。

○スペイン人の参加
1571年 マニラに拠点を置く。
   マニラ-アカプルコ間の定期航路・ポトシ銀山の銀、アジア(中国)へ

(3)ヨーロッパ文化の日本浸透
○鉄砲の伝来(木綿の使用=16世紀に栽培が始まる)
1543(1542カ?)年 中国のジャンク船(王直)、種子島に漂着←倭寇のネットワーク
  種子島→根来寺(僧兵という軍事集団)
  堺(橘屋又三郎)→国友
1575年 長篠の戦い

○キリスト教、日本上陸
1549年ザビエル、アンジローと鹿児島へ(アンジローは鹿児島でポ船に乗り込みマラッカへ)。
もちろん密貿易商のジャンク船。
鹿児島→平戸→山口(大内氏)→京都→山口→豊後(大友氏)→インドへ

○キリシタン大名=大友義鎮(ポルトガルと積極的に貿易)、大村純忠(肥前・最初のキリシタン大名、長崎を教会領として寄進)、有馬晴信(肥前)、高山右近(摂津)、小西行長(肥後)
※ポルトガル・スペインの貿易活動とキリスト教布教は一体。植民帝国建設の先兵としての宣教師の活動
※イエズス会の日本報告書(松田毅一『南蛮史料の発見』中公文庫、1964年)

○南蛮文化・・金平糖(confeito)、合羽(capa)、castella、『日葡辞書』
※「南蛮」は差別語。

 

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歴史講座レジメ「大航海時代のなかの戦国時代(15~6世紀)」その2

2024-08-27 14:46:56 | 歴史

 極右政権である自民党・公明党政権は、欧米諸国と気脈を通じ、NATOと歩調を合わせようとしている。しかし、今年の八月九日、長崎の原爆記念式典にイスラエルが招聘されなかったことに抗議して、アメリカなど白人帝国主義諸国が長崎市長に抗議行動を展開したことは記憶に新しい。白人帝国主義諸国は、歴史を振り返ると、ほんとうにろくでもない国家群である。戦争ばかりしてきたし、ヨーロッパ以外の地域では虐殺をはじめ、人道に悖ることを平気で、それも長い間行ってきた極悪人どもである。

 それを歴史的に振り返ってみよう。

 アジア諸地域が豊かな物産に恵まれ、頻繁に平和的な交易活動を行っていた。その頃貧しいヨーロッパはどうだったのか。

(2)戦争に明け暮れるヨーロッパ→武器の発達
○ヨーロッパと戦争
「ヨーロッパの起源は戦争という鉄床の上でたたき出されたのだ」(マイケル・ハワード『ヨーロッパ史における戦争』中公文庫、13頁)といわれるほどに、戦争に明け暮れていた。


「ローマの平和」の崩壊→東方からゲルマン人、南方からムスリム、北方からヴァイキング(5世紀~10世紀末)→その後は、ヨーロッパ自身が膨張運動を展開、まず東方へ、そして航海術を学び、南方と西方へと膨張する。

「ローマ帝国の分裂後、小国家間の闘争や侵入者との攻防により、戦乱の時代を迎えた西洋中世。政治、経済、宗教はすべて戦闘を優先して営まれ、人々は闘いのなかで技術を育み、社会の規律を整えていった」(『中世ヨーロッパの戦い』)


○ヨーロッパ中世(5世紀後半から15世紀末)
封建制(軍事的専門家・土地保有権・個人的義務)+キリスト教(ラテン)
 その中での戦争=報酬目当ての戦争(私戦、公戦、死戦)

 火薬の使用(中国、欧とも13世紀前半)=「火薬の爆発力は、うまい具合にまわりをふさいでとじこめれば、それまで不可能であったような力で投射物をとばすのに使えるという着想」(ウイリアム・マクニール『戦争の世界史』170頁)→百年戦争で大砲使用

(3)ヨーロッパ人の東方貿易
○中世ヨーロッパ人の食生活・・野菜や穀物の他には塩漬け肉、野鳥類、塩乾魚。塩漬け肉には強力な防腐剤やにおい消しが必要。天然痘やコレラ、チフスなどの死病に効果(医薬品)→胡椒・香辛料が欲しい!!

※農業生産力が低いために、高価な農業生産物、したがって職人の高賃金、それに伴い貨幣経済の発達

○胡椒・香辛料の輸入ルート・・カリカット→ペルシャ湾・紅海→シリア・エジプト→ヴェネチア→ヨーロッパ各地・・・・・高額(運送代、関税など)

○オスマントルコ(1299~1922)→ヨーロッパ・キリスト教世界と対峙(特にハプスブルク帝国)と融和(フランスなど)
 アナトリア(小アジア)、バルカン半島、中東、アフリカ北岸の支配。地中海の制海権→ヨーロッパ商人、アジアとの直接交易が困難。オスマン政府からの貿易許可状必要

◎1492年がやってきた 
「あるときヨーロッパは自分を取り囲む者たちを追い払って世界征服に乗り出し、手当たり次第に民衆を虐殺し、彼らの富を横領し、彼らからその名前、過去、歴史を盗み取る」(ジャック・アタリ『1492ー西欧文明の世界支配』ちくま学芸文庫、012)


(1)キリスト教純化への動き・・ローマ教会、ヨーロッパのすべての君主に、非キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒を追放して、大陸を「純化する」よう促す(1073年から)。それは1492年に完成する(レコンキスタ=再征服)。魔女狩り(15世紀から18世紀、最盛期は16~7世紀)

(2)イベリア諸国の旅立ち①・・新世界へ=凄まじい破壊と略奪、狼藉
ヨーロッパ人の世界認識=ヨーロッパ、アジア、アフリカの三大世界

  コロンブス(1451~1506、イタリア人だが、スペイン王の援助)1492年8月出発→バハマ諸島到達→1493年帰国、第二回航海(1493~96)、第三回(1498~1500)、第四回(1502~04)

(3)アメリカの植民地化
○命名「アメリカ」←アメリゴ・ヴェスプッチ=1499~1504まで4回新大陸にいく。1507年地図学者ヴァルトゼーミューラーが「アメリカ」「アメリガ」と命名。1514年レオナルド・ダ・ビンチは「アメリカ」と呼ぶ。スペインで「アメリカ」を使用するようになるのは、19世紀。それまでは「インド諸島」。

○先住民の言語の喪失=ヨーロッパ言語の普及
○虐殺エスパニョーラ島(30万人→1000人=1540年)
1519年コルテスの上陸(700人の男、14門の大砲)→アステカ帝国を滅ぼす。
1548年サカテカス銀山発見(スペイン人の殺到、黒人奴隷の導入)
 メキシコのインディオは、1519年2500万人→1605年100万人
1531年ピサロ、ペルーへ。インカ帝国を占領。
    1530年1000万人→1600年130万人
1545年ボリビア南部でポトシ銀山発見。800万人のインディオが酷使される。銀はスペインへ運ばれる。→「価格革命」
ラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』

○フランスとイギリスは、アメリカ北部へ。植民地化は、17世紀に始まる。
1620年清教徒のメイフラワー号、ニューイングランドへ。先住民との戦闘、虐殺。伝染病。
17世紀後半ジャマイカなどへのイングランドからの移民→砂糖プランテーション+奴隷貿易

※「環大西洋世界の形成」
コロンブスの発見=ジャガイモ、タバコ、トウモロコシ、カカオ、バニラ、ピーナッツ、パイナップル、七面鳥(金銀だけではなく、有用な植物の探索→植物園)
コロンブスが持ち込む=サトウキビをエスパニョーラ島へ→サトウキビの生産

※「キニーネ」(マラリアの治療薬)・・ペルーの治療師がスペイン人入植者に教える!

17~8世紀の三角貿易

  アメリカからヨーロッパへ 綿花、タバコ、砂糖、コーヒー
  イギリスからアフリカへ  火器、雑貨、綿織物 アフリカからアメリカへ 奴隷

※黒人奴隷は1000万人以上。ポルトガル、イギリス、フランスが主。
※イギリスの紅茶文化
   東アジアの茶とカリブ海の砂糖が結合←17世紀半ばから一般化(「商業革命」)
   茶の効能=風邪、健忘症、壊血病、頭痛、胆石などの特効薬

(4)イベリア諸国の旅立ち②・・アジアへ(破壊と略奪、狼藉)
    特徴=火器による武装と選民思想(キリスト教)
●バルトロメウ・ディアス(1455頃~1500、ポルトガル)1488年喜望峰へ到達(プレスター・ジョンの国を求めて)
※プレスター・ジョン伝説=アジア、アフリカにいるキリスト教君主。これと組んでヨーロッパは異教徒と戦おうと考えた。
●バスコ・ダ・ガマ(1469~1524、ポルトガル)1497年7月リスボン出発→11/22喜望峰→1498・3モザンビーク(砲撃・略奪)→(途中、略奪)→5/20カリカット沖到着→5/28上陸(王への謁見)→8/29カリカット出港→1499/8旗艦リスボン帰港
   ガマの贈り物=布地、外套、帽子、珊瑚、水盤、砂糖、バターと蜂蜜←「何だこれは!!」
 その後、カブラルがインドへ(途中、ブラジルを発見)1年4ヶ月で往復

●ガマ、二度目のインド行き1502/2 砲撃、掠奪、船に砲火、カリカットでムスリム処刑、砲撃(400発)。翌年帰港。莫大な香辛料で莫大な富を得る。

※ポルトガル「海上帝国」=貿易活動を武力で支配→胡椒・香辛料貿易の独占を図る
1503~15インド洋の主要な港町を征服=ソファラ(東アフリカ、1505)、モザンビーク(1508)、ゴア(西インド、1510)、アンボン(モルッカ諸島、1512)、ホルムズ(ペルシャ湾、1515年)、マラッカ(マレー半島、1511年)
 インド洋で貿易を行うものは、ポルトガルに税金を納めるようになる。

◎ヨーロッパは、アジアの豊かな物品を交易するネットワークの中に入り込む。
インド洋では、火器を使用して暴力的に。
●マゼラン(1480~1521、ポルトガル人、しかしスペイン王の援助)1519年5隻で出発 1520年11月マゼラン海峡通過→1521年12月フィリピンに到達(先住民と交戦、死去)
 →1522年9月1隻帰国※暴力、略奪、殺人など

※先占の法理=国際慣習法上の権利。ある国家が、どこの国家にも領有されていない無主の地に事実上の支配を及ぼし、自国の領土とすること。「所有すること、それはまず命名すること」

※ジャック・アタリ「一般に〈欠乏〉、つまりそれから生まれる挑戦意欲の方が、豊かさ以上に活力を与えるものだ」(『1492』、365頁)

 

 ヨーロッパの〈欠乏〉が、アジアアフリカ、新大陸などへの「挑戦意欲」を生み出し、そして非西欧地域を暴力的に従属化させていったのである。

 

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【歴史講座レジメ】「大航海時代のなかの戦国時代」(1)

2024-08-27 10:25:40 | 歴史

 毎年某所で歴史講座の講師を務めている。これは8年くらい前にやったもので、欧米帝国主義と日本との関係を戦国時代から追ったものである。講座で話したことは膨大なので、少しずつ紹介していこうと思う。

 まず「大航海時代のなかの戦国時代」をとりあげた理由は、以下の通りである。

 19世紀にやってきた欧米との接触により日本は近代へと歩みはじめた。そのときすで
に欧米は、近代化を推し進め、「帝国」として非ヨーロッパ世界を支配するようになって
いた。なぜヨーロッパの覇権が成立したのか、というのが、ここでの問題意識である。
ヨーロッパがアジアへ進出してきたのは15世紀末。そして16世紀の半ばには日本にも
到達し、これにより全世界が一体化した。なぜヨーロッパはアジアへ進出してきたのか。
それにアジアはどう対応したのか。ここでは16世紀を検証する。

※貧しくて戦争で奪い合う欧米諸国は、豊かなアジアの物産を求めてはるばるやってきたのである。

2豊かなアジア・貧しく戦争する西欧

(1)豊かなアジアの状況
①インド洋の交易・・特産品の交易(物々交換)
○高級香辛料シナモン(セイロン島、インド北西部)、クロウヴ(丁字)(東南アジア・マルク諸島)、ナツメグ、メイス(東南アジア・バンダ諸島)、胡椒・生姜(南インド、スマトラ)、乳香(アラビア半島)、馬(アラビア半島、ペルシャ)、金・象牙(東アフリカ)、絹織物・絨毯(ペルシャ)、綿織物(インド)
そして東アジアの特産物(絹織物、陶磁器など)

○季節風→帆船(ダウ船)
10月末~翌年3月北東の風(インド亜大陸から東アフリカへ)
4月~9月半ば南西の風(東アフリカからインド亜大陸へ)

異なった宗教を信じる多様なエスニック集団が共存し、相互に競争しながら行われる貿易(インド洋は「経済の海」・・インド洋沿岸の政治権力は海を支配しなかった)。

○主要港・・マラッカ(マレー半島)、カリカット(西南インド)、カンベイ(西北インド)、ホルムズ(ペルシャ湾)、アデン(紅海入口)、キルワ(東アフリカ)など

②東南アジアの交易(インド洋と相似。15世紀前半 鄭和の大航海→マラッカなどの朝貢)

③東アジア(中国を中心とした冊封体制「政治の海」)

○明帝国(1368~1644)朱元璋

 冊封体制(「人臣ニ外交ナシ」)・勘合貿易+海禁政策
  海禁政策(治下の民間商人の外国貿易を禁止。華人商人の私的貿易、外国渡航の禁止)
    →後期倭寇(16世紀中心、中国沿岸地域と東シナ海沿岸地域の人々が主力。密貿易)
 

※明帝国が海を管理・支配し、外国貿易を独占しようとした。東シナ海は「政治の海」。
永楽帝の時代には、40カ国が朝貢(東アジア、東南アジア)←中国の物産に対する需要大。朝貢船の港=広州、寧波、泉州

○日中貿易 1523年寧波の乱以降10年に一度となる→私貿易(倭寇の活発化)
  日本→明・・硫黄、銅、鎧兜、刀剣、蘇木(漢方薬に用いる生薬の一つ。マメ科スオウの心材(しんざい)を乾燥したもの。通経(つうけい)、止血、鎮痛などの作用がある)。

 1530年代 銀(石見銀山朝鮮から灰吹き法伝来)中国の需要増大(銀中心の徴税システム=一条鞭法)
  明→日本・・絹、陶磁器、銅銭

○琉球=中継貿易で栄える→16世紀半ばに衰える=ポルトガル、スペイン人、倭寇(=中国密貿易商)

※アジアには豊富な物産が存在し、それらが交易により各地に運ばれていた。倭寇はある種の海賊であるが、倭寇といっても日本列島の住人だけではなく、周辺の国々の民衆も加わった集団で、暴力的な行動が展開されていた。しかし国家が出て来て戦争状態になるということはなかった。あるとすれば、秀吉の朝鮮侵略だけであった。

 

 

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バングラデシュの若者たち

2024-08-25 08:30:29 | 国際

 庶民のための政治が行われない国では、若者たちが立ち上がる。そして自由で平等な国づくりをしようと考える。果たして日本ではどうなのか。極右政党=自由民主党がいかなる悪政をしようとも、彼らの政権はつぶれない。大手メディアが政権を支え、短期的なカネ儲けに励む財界も、極右政権を支える。

 いつ日本では、変革が起きるのであろうか。TBSの唯一の良心的な番組。TBS全体は、テレ朝と同様に、政権にすりよる。

「これは学生が導いた革命です」首相が国外逃亡…バングラデシュの政変、現地で何が?金平キャスターが緊急取材【報道特集】

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【本】樋田毅『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書)その2

2024-08-24 12:04:16 | 

 この本を読んでいて、統一教会に入信した者は、特殊な人格へと変貌している、「洗脳」されているとしか思えない。

 この「懺悔録」に記されている内容には、まさに統一教会の信者としての人格しかなく、高校生まではふつうの生活や学びをしてきたのであろうが、しかし書かれている内容には、知の集積はまったくみられない。たとえ統一教会幹部として生きてきたとしても、統一教会信者としての活動や思考だけではなく、それに関わらない、あるいは関わる諸々の知とまったくつながっていない。完全に削ぎ落とされているのだ。

 たとえば彼は、自民党にはこれからは頼らずに「独自の政党」をつくるべきだとし、その「政党の政策は、愛国の義務、自衛隊を防衛軍に名称変更、国家機密保護などを盛り込んだ憲法改正と、家庭倫理の確立です」と書く。別に彼らの政策について詳細に知りたくもないが、本書は一般書籍であり新書である。なぜそのような政策が求められるのかという記述はなく、それらは所与の前提となっている。統一教会という宗教組織と、彼自身の思考とが完全に一致しているのであり、そこには彼自身の独自の考え、その政策に至るおのれの思考の連鎖などはまったく書かれていない。おそらく彼にとって、統一教会に入信することは、それまでの自分自身のなかにあった知とは無関係の「世界」(統一教会の精神世界)に飛び込む、ということなのだ。一般的に、キリスト教などの精神世界と日常の生活とは断絶があり、信仰を持つということはその断絶をのりこえ、一気に宗教世界に飛び込んでいく、その後はその宗教の精神世界を「丸呑み」するしかない。信仰の世界に入るということは、知の連鎖でつないでいく結果としてあるものではなく、飛びこんでその「教義」をある意味で「丸呑みする」のである。

 「丸呑み」した後は、その「教義」を疑問を持つことなく受容していくしかない。宗教的な精神世界にはいるとき、個人的な煩悶は、おそらく消えるのである。

 この本には、統一教会と、岸信介をはじめとした自由民主党政治家との深い関係、自衛隊との親密な関係、他の右翼勢力とのつながり、そしてクーデター計画など、統一教会が関わった諸々の動きが記されている。彼には、そうした諸々の活動について逡巡したり煩悶したりすることはない。正邪を考えることなく、統一教会の信者としてそうした活動の尖兵となって働く。疑問をもたない。

 今彼が「批判的」になっているのは、「霊感商法」であり、それが難しくなったあとに展開された信者を獲得してカネを巻き上げること、そしてそれらの活動の結果集められたカネが韓国の本部に送金されること、だけである。なぜそれに「批判的」になっているかといえば、そうした活動をやめることにより、彼があるべきだと考えている統一教会の教えに立ち戻ることができると思っているからだ。

 わたしは昨日も書いたが、おそらくそれは無理だろう。宗教の多くは、信徒からカネを集め、教祖はじめその周囲にいる者たちに豊かな生活を提供する組織だからだ。統一教会は、まさにその典型である。

 読んでいて、統一教会に入信するということは、身も心も教祖に提供する、それが正しいことと錯覚させる、まさに「洗脳」されるということだと思った。彼もまたそのひとりである。

 この「懺悔録」は、一般の庶民、統一教会の活動によって被害をこうむった人びと、そうした人びとに対する「懺悔」ではなく、いまだに文鮮明を信奉している自分自身への「懺悔録」でしかない。

 

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日本外務省と旧統一教会

2024-08-23 22:07:38 | 政治

「旧統一教会の痕跡を消し去れ!」 ロゴの消去を強要…外務省の「証拠隠滅」裏工作が発覚 “アフリカODA”を巡って【独自】

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【本】樋田毅『旧統一教会 大江益夫・元広報部長懺悔録』(光文社新書)

2024-08-23 20:26:29 | 

 若い頃、同僚からキリスト教への入信を強く勧誘されたことがあった。勧誘した方は、一家揃って熱心な信者であった。一度だけ誘われて教会に行ったことがある。今調べてみたら、その教会は「日本同盟基督教団」に属している。

 何度も何度も勧誘されたが、わたしはキリスト教徒にはならなかった。わたしが今まで築いてきた認識の延長線上に神の存在はなく、もし神を信じるならば、延長線上ではなく、ある意味で深く穿たれた谷を大きく跳び越える必要があった。わたしは跳び越えることをしなかった。

 キリスト教にはいろいろな派があるが、その家族は、社会とはつながることなく、自分の家族を一番大切に考えていた(それはそれで否定することではないが)。

 その頃、わたしは職員住宅に住んでいた。同僚は車を持っていなかった。わたしは、こどもが病気になったからと、近くの医院ではなく、遠くの医院(同僚にとって評判がよいと思われていたところ)に連れていくことをかなり頻繁に頼まれるなど、「アシ」としてつかわれた。そのため、わたしはキリスト教徒は、「利己的」だと思った。

 その後、良心的なキリスト教徒にであった。その人は、無教会派のクリスチャンであったが、人格高潔で、わたしに信徒になることを一度もすすめなかった。無教会派のクリスチャンは尊敬すべき方が多いと今でも思っている。

 さて、本の内容にいこう。統一教会の幹部であった大江という人物が、みずからが属していた統一教会を「批判」するという内容だ。しかし、大江は団体から脱けたが、いまだに文鮮明を崇拝している。だから、その「批判」は、根底的な批判になってはおらず、したがって統一教会がおこなってきた犯罪的な行為に対しての反省は不十分と言わざるをえない。

 さて大江は、高校時代に日本共産党系の民主青年同盟に入り、積極的な活動を行っていた。しかしあるとき、駅頭で街宣活動を行っていた統一教会員に論争を挑み、そのなかで統一教会にはいり、活動的な信者になった。高校時代にふたつの真逆な組織に入り、それぞれで熱心な活動家になったわけだが、なにゆえにそう簡単に組織の一員になれるのか、わたしには理解できない。統一教会は「キリスト教」をうたっているから、神を信じなければならない、神を信じるということにあまりに安易であったように思うし、統一教会員になるということは、文鮮明を崇拝することになるわけだから、そこに至るまでがあまりに短く、煩悶もないのが不思議である。

 彼は高校卒業後、早稲田大学教育学部に入学するのだが、主体的に入学したのではない。組織の指示であった。そしていろいろな活動を行うのだが、わたしも同じ頃に早稲田のキャンパスにいて、早稲田学生新聞、早稲田大学サークル連合が統一教会系であることを知っていたし、正門前で彼らが宣伝活動を行っていたことを覚えている。 わたしは、そうした活動をしている彼らをみているが、かれらの目は、革マル派のそれとよく似ていると思った。他者を信用しない、猜疑心をもった目だと思った。革マル派は反スターリン主義を掲げてはいるが、もっともスターリン主義的な組織で、統一教会も革マル派も、己を虚しくして組織に追従する組織至上主義ではないかと思っていた。

 この頃、学外でも、たとえば駅頭で、彼ら統一教会は、ウソを言って募金活動を行っていた。バングラデシュ洪水支援とかなんとか理由をつけて、募金はみずからの組織に入れるのであるが、当時の学生は統一教会が行うニセ募金だということを知っていた。またわたしは『朝日ジャーナル』を購読し、彼らの活動が「親泣かせ」であるということも知っていた。

 その統一教会は「霊感商法」を行っていた。人をだまして高額な多宝塔などを売りつけていた。彼はその活動を「懺悔」するのだが、しかし明らかに詐欺的な商法であり、「霊感商法」がおこなわれていたその時に厳しく批判しているわけではない。広報部長として、それは統一教会がやっているのではないと、ウソをついていた。ここにも己を虚しくして組織を至上とする思考がみられる。

 「霊感商法」が厳しく批判される中で、統一教会は信者を獲得して信者からカネを巻き上げると言う方針に転換した。彼は、それには否定的であり、すべきことではないと訴えたが無視された。「もっと徹底的に闘うべき」だったとして今「懺悔」しているが、その「懺悔」は有効ではない。

 統一教会=勝共連合と自由民主党との関係が、岸信介の介在により親密であったと記している。そんなことは周知の事実である。統一教会が選挙時に自由民主党の応援を積極的に行っていたことも、である。しかし彼は今は、自由民主党に激しい批判をあびせる。近い関係にあった者が、何らかのきっかけで対立するようになると、激しい憎悪を持つようになるが、彼にとってその契機とは、安倍元首相の暗殺事件であり、その後、積極的に支援していた自由民主党とその議員が、「統一教会なんて関係ないよ」と態度を大きく変えたことに対する怒りである。自由民主党という政党に対する批判は、きわめて一面的である。

 彼はまた、「憲法改正と、家庭倫理の確立」という課題を熱心に追い求めてきた。おそらく憲法改正は、共産主義勢力と戦うために必要であると考えたのであろうが、家庭倫理の確立も含め、彼個人の考えとして、なぜそれらが求められなければならないのかが記されていない。要するに、組織の考え=彼の考えであり、ここにも己を虚しくしての組織至上主義がうかがえる。

 彼はいろいろ活動してきているが、統一教会という組織の歯車のその重要な部署にいたのであろうが、ふつうの庶民をどう考えているか、どう見ているかなど、ふつうの人びとを見つめる眼がない。

  統一教会員として、日韓トンネル建設の中心メンバーにもなっているが、将来的にトンネルが建設されるとき、「先駆者としての栄誉を多少なりとも受けることができればと思います」と言う。ここに「栄誉を受ける」彼が想定されている。

 読んでいて、まったくもって民衆(一般の人びと)が、彼の眼中にないことに驚く。彼の関心は、あまりに狭い。ロシア革命史、中国革命史、昭和軍閥の興亡などを研究したと言うが、それもすべて組織のためである。

 またもうひとつ彼が見つめるのは、組織の中にある自分自身だけである。

 その日本の統一教会が、韓国の統一教会本部に多額の送金をしていることも周知の事実である。彼は韓国の統一教会本部から独立すべきだという。多額の送金が、統一教会を歪めているからだと。しかしわたしからみれば、日本の統一教会は、韓国の教祖をはじめ教団の幹部たちに優雅な生活を送らせるために存在しているのだと思っている。彼がそう考えようと、独立はできないだろう。両者は一体だからだ。

 静岡県袋井市に、デンマーク牧場がある。ルーテル派のキリスト教会がそこで福祉事業を行っている。デンマーク牧場は、まさに「世のため、人のため」の事業を行っている。はたして統一教会は、ひとつでも「世のため、人のため」の事業をおこなったことがあるだろうか。

 統一教会のもと幹部である彼が「懺悔」をしたとしても、わたしとしては「それがいったい何?」と言うしかない。統一教会は、「霊感商法」、ニセの募金活動など無数の犯罪をおかしてきた。赤報隊事件もその一つかもしれない。彼も統一教会は、「目的のためには手段を選ばず」だったという。その目的とは、韓国に多額のカネを送金することであった。

 彼がほんとうに「懺悔」するのであったなら、このあとの人生でいかに「世のため、人のため」の行動を展開するか、である。

 本書が出版されると聞いて、すぐに購入した。早稲田大学時代、革マル派の暴力支配と闘った樋田さんの本ということからであるが、内容的には期待外れであった。大江という、もと統一教会幹部の真摯な批判と反省の書だと誤解したからだ。真摯さはなかった。彼には、民衆を温かくみつめる眼は微塵もなかった。

 

 【補記】彼の娘は、3人とも大学に行かせることができたという。安倍元首相を銃撃した山上被告の家庭では、被告自身は大学進学もできず、兄は十分な治療もできなかった。多額のカネを献金したからだ。そういう人びとへの「思い」は、彼にはない。統一教会によって家庭が壊され、「家庭倫理の確立」も考えられない家庭がつくられた。「霊感商法」で苦しめられた人びとへの眼差しもない。大江という人物の、それが本質である。「懺悔」も、「批判」も、すべて自分が統一教会の教義の「あの世」にいったときのためである。

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