浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

安倍政権になってから

2018-08-31 20:36:29 | 政治
 安倍政権になってから、政治のニュースを見るのが苦痛になっている。とにかくよいニュースがまったくないからだ。

 以下に、今日気がついた政治に関わるニュースを示す。


理由不明の8機一斉交換

「政治家発言 記録残すな」 経産省、公文書管理で指示

住民の反対むなしく進む「汚染土」再利用計画、放射能バラまきに待ったなし!?

地上イージス2基取得 防衛費、5兆2986億円要求 過去最大更新

 日本の政治には節操がない。安倍政権になってから、官僚の質が極端に悪質化し、日本は地獄へと向かっている。
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サマータイムはやめよう!

2018-08-30 11:33:51 | 政治
 もう結論はでている。サマータイムはやめよう!

「サマータイムやめて」スーパーとコンビニの悲鳴の裏側
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武田砂鉄『日本の気配』(晶文社)

2018-08-30 11:33:45 | 
 良い本である、ということをまず記しておかなければならない。

 副題は、「「空気」が支配する国から、「気配」で自爆する国へ」とある。山本七平が『空気の研究』だったか、日本のとらえどころのないある種の社会的雰囲気について論じたのは、ずっと前だ。日本は、これといった主義主張ではなく、空気というものが支配していて、社会全体がそれに流されていく。そういう趣旨だったように思う。

 私は、同じような内容を、山本の「空気」ではなく、「時流」として表現している。一定の「時流」ができあがるとそれが良かろうと悪かろうと、ほとんどの人がそれに呑み込まれて社会が動いていく。

しかし今は、忖度というか気配というか、「時流」ができる前に、支配権力に連なる者たちが「気配」を感じて動いていく。武田は、そうした動きの果てに「自爆」があると言いたいようだ。

 読んでいて参考になる箇所はたくさんあるが、実を言うと、その参考になるはずの箇所が、私の脳髄に入ってこないのだ。私の脳髄と武田の文体が切り結ばないのだ。いつもは朱を入れて読んでいくのだが、そうした箇所がほとんどない。おそらく武田の文は、論理的ではないのだろうと思う。重要な情報はあるのだが、その情報が表面だけに流れている、ぐいっと深みにもっていかないのである。立体的な文ではないということなのだろうか。

 社会に起きている問題とすべきことの、その表層を批評していくという文といえばよいだろうか。問題は、社会の構造などとつなげていくことが大切ではないかと思う。

 何度も書くが、良い本であり、よい情報もたくさんある。ただ私とはあわない、ということだ。

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行政はウソばかり

2018-08-29 16:08:28 | 政治
 こういうことをしても、誰も責任をとらないだろうなあ。日本はそういう国家で。

民間なら罰金1.7億円 障害者水増し“死者”も算入の悪質実態
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スルガ銀行の底なしの不正

2018-08-29 09:14:08 | 社会
 スルガ銀行は狂っている。

 私はスルガ銀行に口座を持っているわけはないが、某事典にスルガ銀行の創業者のことを書いたことから、どうも気にかかる。

 今日の『朝日新聞』にも、「抱き合わせローンで虚偽申告の不正が横行 スルガ銀融資」という記事があった。不正の上に不正を重ねていったスルガ銀行の行員たち。それを何らチェックできなかった経営陣。信じられない所業である。

 事件発覚後の対応もまったくまずい。銀行内部で実態をみずから調査し、第三者委員会に丸投げするのではなく、説明責任を果たすべきなのに、いっさいそれをしていない。

 銀行は、信用をもっとも大切にする業務である。静岡県には、他に静岡銀行、清水銀行という地方銀行あるが、スルガ銀行のような強引な不正にまみれた融資はしないだろう。

 スルガ銀行の信用は地に堕ちた。
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Kさんのこと

2018-08-28 07:45:21 | その他
 ちびまるこちゃんの原作者が亡くなった。

 何年か前に、大学の講義終了時に亡くなったKさん。その時は首都圏に住んでいたが、その前は静岡に住んでいた。彼はよく、ちびまるこちゃんが静岡周辺のもろもろのことを実にうまく映し出しているということを語っていた。

 彼はちびまるこちゃんと自分の子どもを見比べて、そこに共通点を見出していたようだ。

 私はテレビを見ることが少なかったが、彼が何度もちびまるこちゃんのことを語るのでその頃私も見るようになった。今はテレビがないのでもちろん見てはいないが・・・・

 彼も若かった。さくらももこも53歳では、あまりに若い。

 ほのぼのとして、好感の持てるアニメだった。

 さくらももこの死が、Kさんのことを思い出させた。財政史の専門家だった。

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スクールグッヅ

2018-08-27 21:53:15 | 社会
 『東洋経済新報』のサイトで、学校制服に関する記事を読んだ。

 私は自身が高校生の頃から、制服廃止論を主張していた。私が通った高校は詰め襟の学生服。中学校もそれだったが、何でこんな窮屈な服を着なければならないのかいつも疑問を持っていた。

 なぜ私服ではいけないのか、まったくもって訳がわからなかった。

 しかし、私の母校は相も変わらず詰め襟学生服である。なぜ制服がなくならないのか、いつも思う。

 私が高校生の頃は、私と同様の考えを持った人がいたが、その後はそういう人に会ったことがない。高校生も、制服が好き!なんて言うので驚いたことがある。

 制服をなくせば、制服の価格の問題は消える。

 しかし制服がなくなり私服となると、子どもたちや親は、自ら服を選ばなければならなくなる。それがイヤだという人もいる。しかし自由は、みずからが行使するしかない。自由から逃げるな!
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浜松市の区

2018-08-27 09:13:23 | 政治
 浜松市は、高山市に次いで二番目に広い面積を有する都市である。浜松市は政令指定都市をめざして、周辺の市町村を、まさに「併合」して「大都市」となった。市民にとってみれば、政令指定都市であろうと何であろうと、あまり関係はない。関係するのは民間企業であろう。公共事業を市独自でやれるのか、それとも県と相談しなければならないか・・・そこには手続きの煩雑さの違いがある。

 ふつうの浜松市民にはないけれども、浜松の企業家や政治家には、静岡市に競争心をもっているようだ。静岡が政令指定都市なら、浜松も・・・というように。

 確かに明治4年11月から9年8月迄、浜松県があり、おそらく浜松県民の地租改正に対する粘り強い闘いが明治国家により浜松県を廃止させたのだろうが、そういう歴史を背景に対抗心を懐いているようだ。

 さて、浜松市には、今はどうか知らないが、市長と浜松商工会議所の面々との会合が「〇曜会」という名称で週一回開かれていた。市長に商工会議所の要求を突きつける場である。したがって、市長はいつも商工会議所の意向に沿った市政を展開する。それに従わなければ対抗馬をたてられて失職する。今の市長は、商工会議所の要求に素直にしたがっている。その前の市長は、商工会議所との「〇曜会」を廃止したりして、従わなくなった。すると商工会議所は対抗馬、現在の市長を出馬させ当選させた。だから現市長は、商工会議所推薦候補なのだ。

 だから市の公共的な事業を惜しげもなく、民間企業に民間委託、指定管理その他の手段で投げていく。一昨年だったか、どこかの小学校の学校給食を指定管理に出したら、その企業が労働者が集まらないといって返上したことがあった。次ぎに決まるまでどうしたかは知らないが(もちろん給食はストップしたはずだ)、ヒドイ話しである。

 広大な浜松市ができたときは、前市長であった。地方分権の声があった頃と広域合併が喧伝された時期とは重なる。だから地方分権を主張していた人々は、基礎的な自治体が広域化すればするほど地域自治は消えていく、だから基礎自治体に区を設定したり、地域自治組織を設けたりして、自治の火を消さないようにと言うことを主張した。

 前市長はそうした背景を考慮して、7つの区をつくり、旧町村には地域自治組織を設けた。しかし商工会議所はそれが気にくわない。新聞にそうしたありかたを批判する広告を出したりして抗議した。市に行政改革審議会を設置させ、ことあるごとに市政を非難してきた。

 全国の市では、浜松のように地域自治を充実させる方向に舵を切り、市域全体に区、地域自治組織を設け、市民のまさに「協働」、さらに「協同統治」にまで進もうとしている。

 最近の地方自治体は、少子高齢化、人口減で、市の財政が心配だ、だから市の職員を減らし、減量経営をしなければならないなどと言っているが、人口減や少子高齢化はずっと前からわかっていたことだ。にもかかわらず、それに対応することなく、たとえば水が足りなくなるからダムを建設しなければならないなどと大型の土木事業を展開してきた。ある時から急に、人口減の問題が持ち出されてきた。それは新自由主義的な施策、公共的な仕事を民間企業に放出するための理由として出されてきたものではないのか。

 ほんとうに少子高齢化、人口減が差し迫っているのなら、基本的な自治組織を小学校区程度に細分化し、つまり地域自治を尊重し、地域住民の力を借りながら行政を展開していくことこそ求められているはずだ。もちろん行政が地域自治組織に丸投げであってはいけない、きちんと市が責任をもち、財政的な裏付けをしながら、地域住民の相互扶助の精神と共に動いていくのだ。

 ところが、浜松市は、経済的な効率をふりかざす商工会議所の前で、区をなくそうとしている。しかし政令指定都市には区がおかれなければならない。だから仕方なく区を二つにしたいと主張する。つまり二つでは区がないのと同じである。

 まさに時代と逆行する動きである。

 浜松市に区がないとき、市役所の周りは市役所に入ろうとする車でいつも渋滞を起こしていた。そういう対策も全く考えないで、商工会議所の意向のままに区をなくそうとしている。

 理念なき減区、まさに自治の破壊である。

 企業経営と自治体経営とは、根本的に異なるのだ。浜松市は、企業経営のやりかたを強要されている。市役所では静かに黙々と仕事をする、給与は安い、市民と接する業務はほとんどが非正規。市の職員はぎりぎりにまで減らされている。民間企業や非正規でもできることはすべてそちらに任す。しかし、企業立地のためには、市に土地を整理させ、補助金を出させる。

 市を、住民のためではなく、企業のためのものにかえようとしている。

 どこの市でも、市の長期計画の第一番目は、市民の生活のことがうたわれる。しかし浜松市の場合は、産業の発展が第一に来る。それが浜松市である。この浜松市に自動車会社の本社がある。スズキである。商工会議所も、おそらくスズキが支配している。

 私は、挙母町が豊田市になったように、浜松市がスズキ市になってしまうのではないかと心配している。

 
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自民党という政党

2018-08-26 14:05:50 | 政治
 自民党という政党は、どういう人々の集団なのだろうか。

 自民党という政党は、道徳教育にきわめて熱心であった。私が常日頃言っているように、道徳を説く者ほど非道徳な者はいない、というほどに、自民党の各級議員はろくでもないことをやらかしている。

 さて、今度のその自民党総裁選挙。石破茂が出ているが、そのキャッチフレーズに「正直、公正」を掲げていた。ところが何と、このことばが安倍への批判となっていると自民党の中で議論があるのだという。

 その記事

自民党総裁選(9月7日告示、20日投開票)に立候補する石破茂・元幹事長は25日、立候補表明時に掲げたキャッチフレーズ「正直、公正」を今後使わない考えを示した。「安倍晋三首相への個人攻撃」との反発が党内に根強いことから、支持拡大のため封印したとみられる。

 「正直、公正」が安倍への「個人攻撃」と認識するということは、安倍は「正直、公正」ではないと自民党の人々は思っているということなんだろうか。

 そうか、自民党の諸氏もわかっているんだ。

 しかし「正直、公正」という敢えて主張するほどのことでもないことが、自民党のなかではあたりまえのことではないということになる。

 なんと情けない国であることか。首相は「正直、公正」ではないのだ、この国は。
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大学生の水難事故

2018-08-26 09:50:47 | その他
 天竜川の河口を泳いでいて遭難した学生の遺体が発見され、静岡市の海岸で遊んでいた3人の学生のうち、一人の遺体が発見されたという。

 私は天龍川のほとりに育った。子どもの頃から天龍川は私の遊び場であった。周囲のおとなから、天龍川の本流では泳いではいけない、ゆったりと流れているように見えても流れは速いから流されるからといわれてきた。

 天龍川は遊泳禁止であったが、私たちは堤防の中の湧き水によってできたところで、毎夏水泳を楽しんだ。冷たく澄んだ水、小さな魚。

 しかし時に元気がよく、水泳に自信がある者が本流を横断することに挑んだ。しかしなかには帰ってこない者もいた。私の一つ上のX君は、帰ってこなかった。私たちは遠州灘海岸に流れ着いていないか、さがしにいったことがある。

 天龍川の河口を泳いでいた学生が行方不明になった、という情報に接したとき、昔のことを思い出した。

 静岡大学をずっと南下すると、海岸にでる。テトラポットが並び、砂浜から波打ち際までは狭い。台風が来ていたから、時には大きな波が打ち寄せていただろう。波は、テトラポットをも動かす。無謀だと思う。海岸沿いの道は、久能街道だったか、台風が来ると通行止めになったのではないか。

 この海岸では、以前も静大生が水難事故にあった。その教訓は、いつのまにか消え、同じような事故が起きる。

 天龍川の本流は泳いではいけない、というおとなたちの忠告は今も生きているのだろうか。それがきちんと伝達されているのだろうか。

 
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国民民主党の末路

2018-08-25 21:16:12 | 政治
 国民民主党という政党、自民党の補完政党へと直進していると思っていたら、さらにひどいことを主張している。

 
 先日、私の家のポストにチラシを入れている老人がいた。その老人は、すでに腰が曲がり、自転車の乗り降りもゆっくりとしていて、体も自由に動かないようだった。ポストの中を見たら、宣伝用のチラシ。もちろんそうした作業の対価を得ているはずだ。

 その老人がそうした労働をなぜしているのかは知らないが、私は、哀しみを覚えた。カネのためか、運動不足を補うためか・・・?その老人には、この仕事はあわないと思った。

 今日、国民民主党の玉木という政治家の記事を読んだ。国民民主党って、こういう人の政党なのかと思った。私の視野からこの政党は消さなければならない。

 国民民主党・玉木代表「高齢者就労のためには最低賃金以下でも働けるような労働法制の特例も必要」
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佐賀空港にオスプレイ

2018-08-25 21:01:10 | 政治
 札束を見せれば、何でもできる。

 佐賀県知事は、オスプレイ配備については、消極的だったと記憶している。

 『日刊ゲンダイ』は、「オスプレイ受け入れ 佐賀県知事の裏切りと国の“札束作戦”」という記事を流している。

 「裏切り」というか、そういう人だったのだ。

 そういえば、鹿児島県知事も、知事選の時には原発に否定的だったのに、すぐに転向。

 九州の知事は、変わり身が早いのかしらん。
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木庭顕『誰のために法は生まれたか』(朝日出版社)

2018-08-25 15:39:34 | 
 ローマ法の権威といってよいかどうかわからないが、東大名誉教授木庭彰氏の、おそらくもっともやさしい内容をもった本である。

 本を読んでいて、緻密でなかったり、よくわからない文意の箇所に差し掛かった時には、往々にして執筆している側にその責任を課す。ところが木庭氏の著作については、理解できない場合は、読む側に責任があるとおもってしまうほど、深い内容を秘めている。深い内容というのは、想像できないほどの学識ということだ。みずからにはそういう学識が備わっていないということを、はっきりと自覚させられる文が並ぶのが、木庭氏の著作である。

 おそらく本書は、氏にとってもっともやさしく記したものとなるのだろうが、しかしとはいえなかなか難解である。私は一度しか読んでいないが、もう一度読まなければならないと思う。それでないと、理解できたかどうか自信がない。

 したがって、ここにその内容を紹介するのは差し控える。もっと木庭氏の所説を理解できた時に紹介しよう。

 木庭氏のキーとなる概念は、「占有」であり、「政治」であり、「デモクラシー」であるが、その考察はギリシャ、そしてローマの社会とか政治とかそういうものにまで遡って論じているところに特徴がある。

 木庭氏の所説は、日本の現実の政治や社会への原理的な批判となっていることは理解できる。

 たとえば、政治というのは、「自由で独立の人が」、「「主張(結論)」と「論拠」の二段に分ける」議論を行うことによって物事を決める、ということなのであるとされるが、しかしいうまでもなく、日本の政治にはそういうレベルの議論が行われていない。とくに政権側が、議論を避け、野党の主張にまともに答えず、だらだらと長口舌をしてそれで時間を稼ぎ、最後は強行採決で決めてしまう。

 つまり日本には「議論」がない、政治がないということだ。

 木庭氏の本は、これもなかなか進まない。しかしそこには極めて豊かな学識が詰まっていて、読み進める中で、学識だけではなく、思考力も鍛えられるような気がする。

 木庭氏の本で、もっとも安価である。挑戦してみることをおすすめする。

 私はもう一度読み直そうと思う。

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産経新聞系のおかしな批評

2018-08-25 11:18:05 | メディア
 私は、テレビも見ないし、週刊誌も読まない。現在では、瑣末な情報に対しては鎖国状態である。そんなことよりも、本を読んでいるほうがずっとよい。

 さて、したがって、ローラという女性(もちろんテレビで見たことはある)が、アメリカで活躍していたなんてことも知らなかった。そのローラが、UNICEFに1000万円寄付したという。自分自身が稼いだカネを、こういうところに寄付するのはよいことだ。私も毎年、UNICEFと国境なき医師団に自分が寄付できるだけの、少額ではあるが送っている。少しでも、世界の人々が暮らしやすくなるように、という気持ちからだ。

 そういうことに、産経新聞系の記者が冷水を浴びせているという。

ローラのユニセフへの寄付を夕刊フジが「セレブ気取り」と攻撃!社会貢献の足を引っ張る産経メディアのゲス

 私はその記者の人間性を疑う。
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生きること

2018-08-23 21:40:28 | 
 どう生きるのか、という問いは、何才になってもなくならない。忙しい日々を過ごし、ふと別なことをやる時に、その問いがあたまをもたげる。

 『原民喜』という作家について記されたこの本は、その「別なこと」だ。

 原民喜は、静かな人だ。沈黙に耐えられる人だ。私は、そういう人は強い人だと思う。私は沈黙には耐えられない。他人と一緒に居る時に、黙って居つづけることはできない。話す、話す、・・・・・・

 原と交遊があった遠藤周作は、沈黙に耐えられない人のようだ。だから、饒舌の中に孤を見てしまう。

 原は、裕福な家庭に育ったが、しかし父をはじめ、死が身近にあった。死から遠ざかった時は、結婚したとき。心から信頼できる貞恵との生活は、原にとって少ない、他者との幸せな時空であった。

 だが、結核が貞恵を奪う。そしてヒロシマで被ばく。多くの人の「死」にであう。その「死」を書きのこさなければらないと、「夏の花」などを書く。

 貞恵がこの世を去ってから、原は、この世界で生きることに執着は持っていなかったと思う。だから自死?

 しかし、彼は自死の直前に、「永遠のみどり」という詩を書いている。

 永遠のみどり


 ヒロシマのデルタに
 若葉 うづまけ


 死と焔の記憶に
 よき祈りよ こもれ


 とはのみどりを
 永遠のみどりを

 ヒロシマのデルタに
 青葉 したたれ


 この詩は、この世界に絶望を感じた人のものではない。未来を信じる詩である。


 なぜ原民喜は自死したのか。自分がこの世ですべきことはすべてしてしまった、と思ったのではないか。後事は、他の人に託す。遠藤周作、祐子さんたち。

 人間への信頼を持つが故の自死。そういう気がする。


 この本。読みながら、原民喜という作家の人生を見つめながら、いろいろな想念が湧いてくる。

 とてもよい本である。

 実は私は、原民喜の作品をひとつも読んで来なかった。読まなければならない、ということだ。


 
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