浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

菩提寺との別れ

2024-05-31 22:25:39 | 日記

 2月に母が亡くなった。晩年を過ごした娘(私にとっては姉)のところであった。住民票を移してあったので、その地で葬儀を営んだ。家族葬であった。

 さて遺骨であるが、亡くなった次の日、浜松へ帰って菩提寺の世話人と話をした。そこにはすでに父の墓があった。菩提寺に遺骨を納めたいなら、浜松でも葬儀をしないと、つまり菩提寺の住職を中心とした葬儀をしないと納められないといわれた。

 亡くなった地での葬儀は、母の遺影を無数の花(それも母の好きな花)で覆い、葬儀後の棺の中は花でいっぱいとなった。花の好きな母であった。花代は消費税を含めて66万円であった。そのほかを含めて、葬儀費用は100万円をはるかに超えていた。もう一度葬儀をすることは考えられなかった。

 父の法事の際、菩提寺の住職は、いつもカネの話をしていた。法話なんて聞いたこともなかった(法話が話されることは、親戚の法事に参加してはじめて知った)。そんな住職一家に、母の戒名をつけてもらう、また読経をお願いする気持ちはさらさらなかった。亡くなった地での葬儀と戒名は、坊さんドットコムの僧に依頼した。とても良い僧だった。

 父の墓を撤去すること、つまり菩提寺から離れることを決断した。

 菩提寺は、私の祖先が室町時代に建立した寺で、子どもの頃は住職がいたが、檀家が少なく生活できないということから、他寺に移っていった。そこで、住職を近くの寺に頼み、その住職を兼務住職とした。しかし余りにひどいので、世話人代表であった私の叔父を中心にして、排斥運動を行ったが失敗した。かなりの金額をよこせと言ったようだ。

 さて、菩提寺を離れるということは、離檀するということである。いろいろ調べると、その際には高額な離檀料が要求されるということであった。私のもう一人の叔父の墓も、子ども(私にとってはいとこ)が関西で生活することとなったために、離檀し撤去されたが、その際高額の離檀料を求められ大もめにもめたと聞いていた。しかし、離檀料には、法的根拠はない。

 私は、もし請求されたら、徹底的に抗戦するつもりでいた。そのことを周囲にも洩らしていた。

 そして今日の朝、住職が読経をしにきた。わずか10分程度のそれであった。事前に3万円ときいていたので、その金額を納めた。読経が終わって一時間ほど経ってから、住職から電話があった。本日いただいたおカネの領収書はありません、ということだった。私は、それで結構ですと答えた。

 数日後、墓は撤去される。すでに石屋さんとは話をつけてある。「◎◎家先祖代々霊位」とある石と、姉と私との間に生まれ亡くなった水子の地蔵は、どこかの山寺で引き取って供養されるということである。その供養料も含めて約28万円である。

 すでに市役所へ行って、改葬の手続きは済んでいる。さて、父と母の遺骨はどうするか。最終的には決まっていない。しかしもう墓をつくらない。私のも含めて、である。墓があってもなくても、死んでしまったら終わり、再生はないのだから。人の一生は、はかないものだ。

 ずっと昔読んだ本に、「はか」という語は、「狭い場所」を示すということが書いてあった。「はかなし」とは、生きる「狭い場所」すらない、ということらしい(今、大野晋の『古語辞典』をみたら、そのような記述はない。日本語をさかのぼって研究した大野晋が書いていないのなら、この説は少数説かもしれない)。

 死ぬということは、生きる「場所」を失い、「狭い場所」である「はか」に入れられる、ということでもある。私は「狭い場所」は好かない。手塚治虫のまんがに「百物語」という作品がある。亡くなると、宇宙の大生命に合体するというような内容であったと記憶する。そのとき、死がそういうものであってほしいと思った。

 とにかく、「子孫に墓は残さず」である。子どもたちに、この問題で苦しませない、ということである。

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東京都知事の事前運動?

2024-05-30 20:57:38 | 政治

【都知事選「公選法違反」疑惑浮上の小池氏、三選は絶対阻止!一方「宣戦布告・蓮舫氏」多くの「課題」を乗り越えられるか?】

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重要文化財が売られる?

2024-05-30 09:02:17 | 社会

 今朝この記事を読んで驚いた。こんなことがあっていいはずはない。何とか売らずに済む方法はないものか。

 『中日新聞』の記事。写真を除いて、全部を貼り付ける。

重要文化財がなぜオークションに? 春日井の密蔵院、区画整理で泣く泣く…

14世紀に創建された愛知県春日井市熊野町の天台宗寺院の密蔵院が、国の重要文化財(重文)の建造物「多宝塔」の売却を検討していることがわかった。周辺の土地区画整理事業に伴う多額の清算金を求められるなど、寺を維持する資金面で困窮。オークションへの出品を有力な選択肢の一つとして考えている。

重文の売却を巡って文化財保護法は、正式な売買契約の前に買い主や予定額などを国に申し出ることを義務付け、買い主や管理体制に問題があると判断すれば国が同額で買い取ることを定める。問題なければ売買は可能だが、文化庁によると、過去に重文の建造物がオークションに出品された例はないという。
 密蔵院の境内中央にある高さ16・5メートルの多宝塔は、室町時代初頭に建てられたとされる。二重塔に見えるが、実は屋根がある一重塔にひさしを付けた構造。薄くはいだ木片を重ねる「こけら葺(ぶ)き」の屋根のそりが、各地の多宝塔に比べて急なのが特徴で、1920(大正9)年に国の重文に指定された。

◆3800万円要求「払うお金なんて…」

 男性住職(76)によると、売却を検討するきっかけは、2010年に始まった地元の区画整理事業。事業組合側への一部土地の拠出を求められたが、神聖な境内の土地を削ることはできず、昨年3月、代わりに清算金8300万円を要求されたという。
 交渉で3800万円に減額されたが、それでも「とても払うお金なんてない」と住職は嘆く。春日井市にも相談したが、助け舟は得られていない。

◆檀家を持たない密蔵院、乏しい収入

 密蔵院はもともと僧を養成するための寺で、檀家(だんか)を持たない。近年、周辺の寺が閉じる際に引き受けた檀家が29軒あるが、収入の柱にはならない。保有する土地の一部を貸すことで収入を確保し、なんとか固定資産税など年間の税金200万~300万円の支払いを賄っている。
 収入が乏しい上、多宝塔をはじめとする多くの文化財の維持管理にも費用がかかる。自身は01年、天台宗総本山の比叡山延暦寺(滋賀県)から派遣されて住職に就いたといい「独身だからやっていけるだろうと白羽の矢がたった」と自嘲する。生活は、自らの年金が支えだ。
 清算金の支払期限は区画整理事業が終了する2029年度の予定。時間的な猶予はあるが、「寺の現状を考えれば、いつまでたってもそんな大金をつくれるはずがない。売り払うしか方法はない」。海外の富豪などの目に留まりやすいサザビーズなど著名なオークションのほか、手軽なインターネットオークションなども検討している。売却後、多宝塔を移築するかどうかは購入者の判断に任せるつもりだという。
 (多園尚樹、長谷川和華)

 密蔵院 正式名は医王山薬師寺密蔵院。1328(嘉暦=かりゃく=3)年、岐阜県御嵩町の寺から移ってきた慈妙上人(じみょうしょうにん)が開いた。栄西が創始した密教「葉上(ようじょう)流」を伝え、ここで修行した僧が開いた末寺は全国700カ所に達したとされる。織田信長の比叡山焼き打ちの影響もあり戦国時代末期に衰退したが、江戸時代初期に尾張藩の支援で再興。多宝塔と本尊の木造薬師如来立像が国の重要文化財に指定されているほか、愛知県や春日井市指定の文化財が絵画や工芸品など計27件ある。

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何のために・・・

2024-05-29 11:38:43 | 社会

 リニア新幹線のトンネル工事に伴い、水涸れが起きている。岐阜県だけではなく、長野県でもである。おそらく、このまま進んで行けば、他の地域でも同じことが起きることであろう。

 私ははじめから、リニア新幹線なんかはまったくいらない、いったい何のために、大きな自然を破壊してまで、またばく大な電力を使ってまでつくらなければならないのか。東海道はすでに新幹線、在来線、東名高速道路、新東名高速道路があって、関東、関西の交通には問題はない。何のために、というとき、おそらくは原子力発電を再稼働させるため、ということがあるのではないかと疑っている。

 また大阪万博も、まったくやるべきではないものだ。大阪維新の幹部たち(橋下、松井ら)がアベや菅との談合で、博打施設であるIRのために誘致したのが万博で、IR企業のためのインフラ整備に利用しようしたためだといわれている。

 これらの事業に、ばく大なカネが費やされる。このカネが、人びとに直接役立つようにつかわれるなら、日本はもっと住みやすい社会になるだろうに、自民党・公明党政権はそんなことを露とも考えない。彼らは、これらの事業につながることによって、おそらくカネが自分たちにもはいってくるだろうと思っているはずだ。とにかく、日本の政治はすべて利権につながっているからだ。

 さて万博工事には多くの労働者ガ働いている。彼らの勤労意欲もあがっていないそうだ。

「壊すものを造って、批判を浴びとる。万博は、もっと夢があるもんやと思ってた」工事業者が語った「士気の上がらない現場」 リングやパビリオン建設の下請け経営者や作業員の本音

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ナメクジ退治

2024-05-28 20:41:42 | その他

 もう雨は止んだ。この時期、雨が続くとナメクジが徘徊する。

 わが家の庭には、ポットや育苗箱が並んでいる。野菜や花の苗が育ちはじめている。その苗を、夜、ナメクジが襲う。葉がきれいになくなり、小さな茎だけが土から少しだけ伸びているものもある。あるいは葉の一部が消えたり・・・・

 私は雨の日の夜は、懐中電灯を左手に持ち、ナメクジを瞬殺するスプレーを持って見まわる。今日も今、行ってきたばかりである。10匹ばかりのナメクジを瞬殺してきた。苗の周りには、ナメクジを誘引して殺す、という粒状の薬剤を撒いてあるのだが、そのなかをかいくぐる猛者もいる。

 毎年、この時期、かなりの被害を受ける。

 私は野菜も花も、すべて種から栽培する(イモ類は別)。となりの畑で野菜をつくっているHさんも、その他の人も、皆苗を購入している。もちろん、種はたくさんあるので、私がつくった苗を周辺の人びとに分けることもある。種を蒔く時期に、すでに苗は売られているから、わが家の夏野菜の収穫は遅れる。それでも、私は種からにこだわっている。

 だからこそ、ナメクジに襲撃されるのである。ナメクジも生きているのだが、私とナメクジは共存は出来ない。ナメクジには諦めてもらうしかない。

 

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正当な批判ー冷笑する『朝日』

2024-05-28 18:47:33 | メディア

 『新聞記者 疋田桂一郎とその仕事』と、現在の朝日新聞は遙か遠いところにきてしまっている。疋田や疋田を慕う数多くの記者はすでに朝日を去っている。新聞とはかくあるべき、という信念は、とうの朝日の記者にはなくなって、新聞の行く末を憂えている者たちがもつようになって久しい。

 今日も私は『東京新聞』を読みながら、社会や世界各地で起きている理不尽なことを知り、どうしたらこうした理不尽をなくすことができるのだろうかと考える。新聞を読まず、ネットなどで自分の好みだけの情報だけを得ているだけでは、この世の理不尽を知ることはない。そうであってはならない。

 プチ鹿島さんは、朝日新聞の投稿へのタレントによる非常識な回答、それに伴う朝日の記者の対応に、あきれながらその顛末を記している。 

読者を小馬鹿にする記者の態度にビックリ…野沢直子(61)の「悩み相談」騒動に見る“朝日新聞の冷笑主義”

  朝日新聞を退職した人びとは、この朝日の冷笑主義をどうみているのだろうか。もと朝日の記者、Arc TIMESの尾形聡彦さんは、みずからのネット番組で厳しく批判していたが・・・。

 何度も書いているが、今や朝日新聞はリベラルでも何でもない。読売新聞と共に築地再開発の一員となり、新聞社としての矜持をかなぐり捨て、不動産業などに邁進しようとしている。今残っている者たちは、そうした朝日の経営姿勢と同調する人びとである。

 新聞記者は、この『新聞記者』や『外岡秀俊という新聞記者がいた』を読むべきである。

 

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マイナンバーカードを推進する人って・・?

2024-05-28 13:09:55 | 政治

 マイナンバーカードは持っていないし、マイナ保険証もない。それが偽造されているという情報が流されている。

マイナカード偽造「1枚5分、技術や準備は不要」中国籍の女証言…本人確認に目視のみ多く悪用拡大

 自民党・公明党政権は、マイナンバーカードを国民につくることを強制しているが、私はマイナンバーカード詐欺をする犯罪集団と自民党・公明党政権とはグルではないかと思う。

 私は持つつもりはない。

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本を借りてきた

2024-05-28 11:11:38 | 

 先ほど図書館に予約していた本を借りだしてきた。その本とは、『新聞記者 疋田桂一郎とその仕事』(朝日新聞社、2007年)である。先に紹介した『外岡秀俊という新聞記者がいた』(及川智洋、田畑書店、2024年)のなかに記されていた。

 まず外岡の文を読んだ。彼が疋田の思いで、そして彼から教えられたことが記されていた。

 取材の基本は、6つ記されていた。そのうちなるほどと思ったのは、「記事を書く場合に、読者にとって未知のことは2割でいい。8割のことが既知であれば、読者は楽々と道行きを楽しみ、自分の記憶を確かめながら文章を味わえる。2割の驚きがあれば、満足感が得られる。これが逆だと、読者はせっかくの発見も味わうことなく、読むのをやめてしまう。」である。なるほど、である。読者は既知のものを駆動させながら、新たな知を受け入れるのだ。私も、歴史についてしばしば話をするが、これは留意するべきことなのかなと思った。

 また疋田は反権威の人であると、書かれている。「武威を張る者、権威をかさに力押しにする者、序列をおしつけたり、権力に擦り寄ったりする者に対しては、容赦のない侮蔑のまなざしを向け、口もきこうとしなかった。」という。私も疋田同様、こういう輩は大嫌いで、こういう輩とは原則的にはつきあわない。上下のタテ関係を重視する者はろくでなしばかりだ。しかしそういう輩は多い。必然、私の交友関係は狭まっていく。

 次に、疋田が書いた伊勢湾台風、東大生らの山岳遭難の記事を読んだ。記事は読みやすく、事件の概要は書かれているが、そのなかに考察が記され、それははっきり言って主観的な内容であった。だがそこには鋭い視点が貫かれていた。おそらく他の誰もが気づかない視点、そこから素人的な疑問をもとに、事件のなかに隠れている本質的な問題をえぐり出す、いやえぐり出しているのだが、その文自体は静かなのだ。決して声高に主張するのではない。読者は、この文を読みすすめながら、本質というか普遍的な問題のありかへと誘われる。

 こういう文は、そう簡単には真似できないと思った。

 読めば読むほど、この本に引き込まれる。

 

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報道

2024-05-28 08:02:57 | メディア

 メディアを注視していて、ときにその内容をメールで送っていただいているが、そのなかに、静岡県知事選について、NHKは、朝のニュースの6時台、6時30分台ニュースでは伝えたが、7時のニュースではまったくとりあげなかった、という。

 この県知事選は、SUZUKI康友浜松市政を批判してきた私にとっては、決して与野党対決ではなく、与党と野党の名を騙った与党との対決で、そのなかみは、SUZUKIのトップ鈴木修の地方政治への容喙を認容するかどうかの選挙であった。SUZUKI康友は決して野党候補ではないことは、前回のSUZUKI康友の市長選に、菅義偉が選挙応援に来ていたことで示されている。

 とはいえ、自民党が推薦した候補が落選したことは事実であって、この事実は自民党・公明党政権にとってはあまり知られたくないことであろう。これが全国に波及していけば、彼らの政権は危機状態になる。NHKは政権の意向を十二分に意識して、報じなかったのだろう。NHKの政治的立場は、いよいよ明確である。

 私はテレビを見ない。テレビを見ている人からは、NHKのニュースは問題だけど、良い番組がある、という。では、良い番組と悪い番組の割合はどの程度なのだろう。すべてのテレビは、今や政権の広報機関と化している。見る価値はないと、私は断じている。

 いずれにしても、NHKの政権の広報機関化は顕著である。

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ある映画について(暴力支配下の大学)

2024-05-27 21:07:27 | 社会

「ゲバルトの杜ー彼は早稲田で死んだ」という映画が上映されている。残念ながら、私の住む浜松市では上映されないようだ。

 この映画は、1972年11月8日、早稲田大学文学部の学生であった川口大三郎君が、暴力集団革マル派に中核派のメンバーだとされて(川口君は、中核派のメンバーではない)、文学部校舎で革マル派によって惨殺された事件である。

 当時法学部の学生であった私も、その後に展開された虐殺抗議・革マル派追放運動に参加はしたが、しかし熱心に参加していたわけではなかった。

 この事件について、樋田毅さんが『彼は早稲田で死んだ』を著し、この事件を詳細に記した。この本についてはかつてこのブログに書き、また革マル派の暴力の主体であった者が反省もなく堂々と生きていることについても書いた

 そしてこの本をもとに、映画が制作された。上映される中で、11・8事件についてのサイトが立ち上がっていることを発見した。

 私は、樋田さんの本を読んで、暴力支配に抗する文学部の学生がどのような行動をとっていたかを改めて知ったし、彼らが体験したこと、そしてそれに伴う苦悩を知らなかったことを恥じた。さらにネット上で今日知った「川口大三郎リンチ殺害事件の全貌」は、まったく知らなかった、樋田さんの本でも詳しく記されていなかった事実を提示している。これを読み、またまた驚かされた。

 事件から50年以上経過して、こうして新たな事実が公にされていく。

 あの頃、私はサークル活動(裁判問題研究会)やアルバイトで日々を過ごしていて、そちらのほうに力を注いでいたので、他学部ということもあったが、反革マル運動に積極的に参加していなかった。しかし暴力支配(革マル派は、平気で鉄パイプを振り下ろしていた!!)の下にあった文学部生にとっては必死の闘いであったことが樋田さんの本や、このサイトで知らされた。

 革マル派の暴虐を見て見ぬふりをしていれば革マル派の暴力とは無縁であったが、そうでなければ彼らの鉄パイプは着実に振り下ろされたのである。

 私も法学部では彼らの暴力活動に抗する行動を行ったりしていたが、彼らは法学部の八号館では勝手な行動はとれなかった。

 振り返ってみれば、異常な大学であった。革マル派の暴力は日常的に振るわれていた。その暴力支配を利用して、大学当局は秩序維持を図っていた。暴力支配の構造を、大学当局と警察が支えていたのである。以前にも書いたが、大学正門を警察が入退構する者を見張っていたが、明らかにコートのなかに鉄パイプを隠し持っている革マル派の学生を見逃している姿を、私は見ている。

 私が通っていた頃と大学の姿はかなり変わってしまっているようだ。またあの頃、政治の問題や社会の不正義に憤っていた学友たちのなかには、不正義の側に「転向」してしまった者が、あんがいいる。

 不正義への怒りを、何故に捨て去ることができたのだろうか。

 11・8事件に拘泥している人たちは、革マル派による暴力への怒りを捨てることなく、強く強く持ち続けている。私も、あの頃の記憶を持ち続けていたい。川口君、そしてその前に革マル派の暴力を受け、穴八幡で自殺を遂げた山村政明(梁政明君、彼は在日であった)君を忘れない。そして革マル派への怒りは、死ぬまで消えることはないだろう。

 

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SUZUKI県へ

2024-05-27 08:20:08 | 政治

 静岡県知事選は、SUZUKI康友が当選した。これで、今まで浜松市はSUZUKI市と言われるほどであったが、こんどは領域を広げて静岡県が、SUZUKI県へと変貌することだろう。

 なぜ浜松市がSUZUKI市と言われるのかというと、SUZUKI康友市政は、天の声であるSUZUKIのトップである鈴木修のいうがままの行政を行ってきたからだ。この県知事選期間中、もと浜松市長であった北脇保之くんが自民党系候補の応援演説でそのことを指摘していたが、それは事実である。たとえば、政令指定都市である浜松市には7区であったが、それが修の命令の下に3区に減らされた。修は区はいらないと当初主張したが、政令指定都市では複数の区を設定しなければならないことを知ったことから、このように3区にしたのである。

 SUZUKI康友市政は、SUZUKI並みの合理化を図り、市の職員を減らし、市の業務の多くを民間委託し、下水道を民営化し(上水道の民営化も図った)、新自由主義的な施策を推進した。市民のための政治はしてこなかった。もちろんSUZUKIをはじめとした企業のための施策は積極的に行ってきた。

 県営野球場を浜松市に新設するという計画も、SUZUKIが持っているアスリートクラブのためである。浜松市には陸上競技場と野球場が隣り合っている。SUZUKIはみずからのアスリートクラブのために、陸上競技場を拡張したい、しかし野球場があるためそれができない。そこで県に野球場を建設させて、市営の野球場は廃止する、そこに本格的な陸上競技場を浜松市に建設させようと考えたのである。

 すべてはSUZUKIのために、それがSUZUKI康友市政の本質であった。

 今度はそれが県全域にひろがるというわけだ。

 今回の県知事選、私は共産党系の候補に投票した。SUZUKI康友には県知事になってほしくない、さりとて自民党系の候補では、あの腐敗し腐臭を放つ自民党を利するだけだ、とするなら落選すること間違いない共産党党系候補しかないという判断であった。私は、SUZUKI康友も自民党系候補も支持しないし、彼らには反対、という姿勢を示したのである。

 選挙の時だけ主権者の人びとは、その後どのような政治が行われるかは関心の外になる。残念ながらそれが選挙民なのだ。しかし、政治が誰のために行われるかをみていればよくわかる。おそらく今度の県知事選では、SUZUKIはじめ浜松市の企業はかなりの選挙資金を提供しているはずだ。SUZUKI康友は、そのような資金を提供してくれた方々への返礼として、税金でお返ししていくことだろう。

 なお付け加えておけば、県知事選における行動など、最近の立憲民主党は、支持するに値しないことばかりしている。枝野の消費税減税は財政をパンクさせる、という発言は、疲弊し貧困化している国民をもっと困窮させようとするものだ、消費税減税こそが、疲弊する国民を救う道である。枝野が、体を張って、自民党・公明党政権のばく大な税金を投入する軍拡路線に抵抗したという事実はない。枝野も所詮は、庶民の敵なのだ。世界有数の議員報酬をもらってぬくぬくと生きている者には、庶民の生活なんか理解できないのである。

 

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【演劇】劇団NLT「MUSICAL O.G.」

2024-05-25 20:09:00 | 演劇

 日々忙しく動いているので、今日が演劇鑑賞日であることをすっかり忘れていた。36分前に私のiPhoneが、今日、演劇を見ることになっていることを教えてくれた。あわてて天竜川駅まで家人に乗せていってもらい、会場に着いたのは約5分遅れ。もうステージは始まっていた。

 今は浜松演劇鑑賞会といっているが、私の若い頃は浜松演劇鑑賞協議会といっていた。略称浜松演観協であった。高校生の頃からずっと、一時職場が忙しくなったことからやめていたが、人生の晩年になって再度入会した。

 私が若い頃、演劇を見る人びとは皆若かった。そして私が老いて行くにつれて、ホールに集まる人びとも老いてきている。演劇を見る年齢層はずっと一定だということである。若い頃からみつづけて、今はほとんどが老境にあるということである。

 さて今日の演劇は、そうした老境にある人びとに向けたミュージカルであった。キャストも、年齢はわからないが、おそらく齢いを重ねてきている方々。台詞の中に、みずからの老いを語るシーンが多かった。

 舞台では、二人の老いた女性が、キャバレー「ミラクル」があと一週間で閉店するということから、それぞれが昔語りをする。38年間、「ミラクル」でうたい続けた二人は、ここでたくさんの思い出を持っている。しかし二人の女性はそれぞれの人生そのものをすべて知っていたわけではない。閉店まじかになっているからこそ、語りたいことが次々と浮かんでくる。ボーイフレンドのこと、結婚のこと、夫が認知症になってきていることなど、とにかく過去のことを語る。

 でも生きていれば、いつも「新しい」ことが目の前に出現する。その「はじめて」を乗り越えていくことが生きていくことだということを語り、また唄う。

 老年期に差し掛かった女性が喜ぶような内容であった。老年期にある私も楽しんだが、台詞など女性の方がより身近に感じただろう。

 「O.G.」は、old girlsのOとGである。

 人は生まれて歳をとり、この世から去って行く。「灯が消えるのを待つ」老境にある人でも、舞台に立っている二人の女性のように、元気で生きながらえていく。老人は「集団自決」せよ、という過激な言説もあるが、しぶとく、この世の限り生き抜いて、生き抜いて、「はじめて」を体験していこう、と老境にある舞台上の二人の女性は、がんばっていた。

 

 

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袴田事件、警察の捏造疑惑

2024-05-25 07:38:01 | 社会

 袴田事件に関して、袴田さんを犯人とする根拠はないことは、ずっと前から判明していることである。あの五点の衣類だけではなく、警察があげているものは、信用性に欠けるものばかりであり、袴田さんを犯人とすることはできない。

 五点の衣類については、捜査当局が捏造したものというしかない、というのが弁護団の主張である。裁判所や検察は、捜査当局が捏造することはありえない、というが、村木厚子さんの事件でも、検察は捏造しているし、静岡県警は「静岡県は冤罪のデパート」といわれるほどに冤罪事件をだしている。裁判官は「警察官は悪いことをしない」という「思い」は、とりわけ静岡県警の場合は、そもそも成りたたない

「『警察官は悪いことをしない』という裁判官のバイアス」。外国人女性の訴えを棄却した地裁判決に透けるもの

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『朝日新聞』の変質

2024-05-23 22:13:26 | メディア

 もと朝日新聞の外岡秀俊が語る『外岡秀俊という新聞記者がいた』の内容を紹介しはじめたが、かつては朝日新聞には、良い記者がいた。「かつては」と書いたのは、もうそうした記者がほとんど残っていないからだ。

 私は、小泉内閣の郵政選挙の際の同紙の社説を読んで即購読をやめた。その一本の社説は、当時の小泉首相の演説を聴くとうっとりするというような内容であったと記憶している。それは私にとって、大きな衝撃だった。

 その後の朝日の動向をみていると、若干の変動はありながらも、「読売」「産経」と同質的な方向へと歩んできているように思える。

 その決定的な言説が、『朝日新聞』紙上に出現した。

「朝日新聞を読むの、もう止めようかな」

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【本】及川智洋『外岡秀俊という新聞記者がいた』(田畑書店)

2024-05-23 10:39:15 | 

 内容の濃い、とてもよい本である。外岡氏が知性の塊であるからでもあるが、インタビュアーの質問もよく、外岡氏の「知」をうまく引き出している。

 外岡氏の語ることに多くは同意できたが、日米安保の問題だけは同意できない。外岡氏は日米安保を是認している。自民党を中心とした日本政府の対米従属、いや今では対米隷属をつくりだす元凶がこの日米安保体制にあるからだ。自衛隊の運用その他をみると、日米安保体制が自衛隊員を危険にさらすものだと思うからでもある。

 多くの政党、一般の国民は日米安保を前提にしているが、「国家主権」のありかたを考えると、是認できるわけがない。現在の世界各国も、国際機関の存在、条約などで「国家主権」が制約されてはいるが、日本ほど「国家主権」がないがしろにされている国はないと思う。近代国家は、「領土」、「国民」、「国家主権」が大きな要素としてあげられているが、日本の領土を米軍は自由に使って良い(領土だけでなく、領空、領海も)、国民が米軍に被害があっても、損害は日本政府が行う・・・・というように、米国に対しては日本の「国家主権」はないに等しい。

 さて外岡氏が語ったものを順次紹介していきたいが、まず外岡氏が疋田桂一郎から教えられたことを記しておきたい。

 昔購読していた頃、『朝日新聞』日曜版の特集、「世界名作の旅」、「世界名画の旅」などにいつも感心していた。おそらく社内の名文家を揃えて書かせていたのだろう。その企画に参加した外岡氏は、名文家である疋田桂一郎は、取材には「仮説を持って現場に行きなさい」と言っていたそうだ。どんな内容を書くか、取材先、ストーリーをきちんとつくってから取材に行かせていた。「仮説を持って」ということは、じゅうぶんに下調べをしておくこと、「ストーリーをきちんとつくって」というのは、どういう取材をするのか、取材する相手、取材する内容を事前に用意していくということだろう。

 この話は、私が歴史の調査で海外に行く際の留意事項と共通する。事前準備、取材相手、取材内容などを明確にしていかないと、調査は漫然としたものとなり、得られるべきものが得られないということだ。

 また疋田桂一郎は、「体言止めはしない」と言っているという。新聞記事には体言止めが多く、もう亡くなったが某紙の記者は体言止めを多用していた。短い文で内容を伝えるためにはやむをえないこともあるだろうが、私はほとんど体言止めはやらない。

 またついでに言っておけば、「・・・・だ。」というかたちで文を終えるものも多い。私は「・・・・だ。」を多用しない。時に使うことはあるが、「・・だ。」が続くと、どうも上から目線で書いている、というような気がしてしまう。新聞記事で、「・・・だ。」が多用されるものがあり、そういう文は好きではない。

 つぎに、外岡氏の新聞記事のスタイルについて話されている。企画記事は、「〇〇を通して××を描く」ものであること、「〇〇が具体的な人であり、××が普遍的なテーマになる。」これも、敷衍できるものだ。私も、〇〇は人だけではなく、歴史的事件や文学作品、絵画・・・・など多様ではあるが、それらをモトにして、普遍的なことを語るようにする。まとめは普遍的な内容となる。

 以下続く。

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