浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

2018-10-30 21:39:21 | その他
 伊藤野枝について。
 
 野枝に対する評価は、堀保子、神近市子と争って大杉栄を「寝取った」というような、これだけをもとにしたまことに低いものだ。

 しかし私は野枝を理解する。

 今月号の『図書』に瀬戸内寂聴の対談があった。そこに、こうあった。さすが寂聴さんだ。

 人を好きになるとか、不倫なんていうのはね、雷が落ちてくるようなもので。だから、それに当たるか当たらないかであって、特別なことじゃない・・・

 人を心底から好きになってしまうと、自らが既婚者であるかどうか、そういうことはどうでもよくなる、とにかくその人と一緒にいたい、愛し合いたい、と思うのだ。それも全身で、心と体、全体がそうなるのだ。

 その雷に当たったことのない人には、ひょっとしてわからないかもしれないが、野枝の大杉への傾倒は、そういうところにあったと私は思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

もと徴用工への韓国最高裁の判決

2018-10-30 20:15:20 | 政治

元徴用工への賠償確定 韓国最高裁、新日鉄住金に 2018年10月30日 18時43分

 【ソウル共同】韓国最高裁は30日、植民地時代に強制労働させられたとして元徴用工の韓国人4人が新日鉄住金(旧新日本製鉄)に損害賠償を求めた訴訟の上告審で、同社に賠償を命じた二審判決を支持して同社の上告を棄却した。同社に原告請求の全額の4億ウォン(約4千万円)の賠償を命じた二審判決が確定した。

 日本政府は元徴用工への請求権問題は1965年の日韓請求権協定で解決済みとの立場で、同社も同様の主張をしていたが、最高裁はこれを退け、不法行為による個人の請求権は協定では消滅していないと判断。

 安倍首相は「国際法に照らし、あり得ない判断だ。毅然と対応する」と反発した。


 この訴訟については、きちんと掌握していないので、一般的なことを記す。まず法的には、個人の請求権は、日韓請求権協定では消滅していない。国家の請求権は、同協定で消滅しているが、個人についてはそうではない。日本人で、シベリア抑留された人びとについては、日本政府もそうした理解をしていたはずだ。

 私が関わった東京麻糸紡績もと朝鮮人女子勤労挺身隊に関わる戦後補償請求訴訟では、日本政府に対して訴訟を提起した。東京麻糸紡績に女子勤労挺身隊として働いていた少女たちは、1945年の敗戦とともに帰還したが、その際東京麻糸は給料はあとで送るからと言っていたが、いつまで経っても送られてこなかった。働いたのだから賃金が支払われるのは当たり前だ、そういうふつうの感覚で裁判は開始された。なぜ日本政府かというと、戦後、彼女たちの給料は日本政府に供託されていたからであり、また朝鮮半島から女子を労働力として「利用」することは当時の国家政策であったからだ。

 残念ながら、静岡地裁、東京高裁、最高裁と、請求はすべて棄却された。

 しかし、訴訟に関与していなかった東京麻糸紡績を法的に継承した帝人は、2004年1月13日、労働していたことが判明している14人に対して各20万円を「見舞金」として支給した。

 すでに高齢になっていた原告たちは、おそらくこの帝人の姿勢により、戦時下日本で過酷な労働に従事した対価として、それを受けとったはずである。当初から彼女たちは、働いた賃金をすべてよこせとは言っていなかった。自分たちが戦時下日本で女子勤労挺身隊として働いていたこと、それをきちんと認めてほしいということを求めていたのだ。もちろん日本側が「認める」ということは、それ相応の金員を払うことを意味する。

 東京麻糸紡績もと朝鮮人女子勤労挺身隊の場合は、東京麻糸紡績を吸収合併した帝人が、その金員を支払ったのだ。

 新日鉄は、それすらしていないのではないか。今からでも遅くない、帝人を見習いなさい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『東京新聞』の記事

2018-10-29 21:31:06 | 政治
 この記事は、きちんと読んでおく必要あり。

 米から購入 安倍政権で急増 兵器ローン残高、5兆円突破
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

白紙の人

2018-10-29 12:23:54 | その他
 何も考えない人っていますよね。頭の中が白紙状態。しかし何か言わなければならないから、周りの人びとのことばにあわせて何かを話すのです。周りの人がどういう人かによって、表明される意味あることばの中身が変わっていきます。こういう人は、みずからの思考の核がないので、ただ漂うだけなのです。周りの人が健全で批判的な思考をしていると、なぜか白紙であるにもかかわらず、その人がよく見えてしまう、そういう人が有働由美子という人なんじゃないでしょうか。

 私はzeroをみていないので、この記事をもとに感想を書いているだけなので、無責任かも知れませんが、私が生きてくる中であんがいこういう白紙の人っていたんですよ。

『zero』で忖度全開、有働由美子が杉田水脈までフォロー!「生産性を撤回」とコメント、訂正する事態に

 こういう人は、安倍首相がねらうでしょうね。今度選挙に出ない、って。自民党にはいれば、十分自民党議員でやっていけます。自民党にはそういう人が多いから。

 稲田っていう人も、白紙の人だと思いますよ。幼い頃から「生長の家」の教義が家庭に転がっていたからそれに染まってしまったのです。だけど、日頃の言動をみていると、思考力が働いているとはとても思えませんよね。ああいう人です、有働さん。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

演劇

2018-10-29 08:50:58 | その他
 昨日、劇団朋友の「残の島(のこのしま)」を観た。学生時代、東京労演に入っていた私は、都内各地の劇場に足を運び、いろいろな演劇を見て歩いた。演劇は、ある種の創造空間である。映画やテレビのようにあらすじが展開する場が丁寧に再現されるわけでもなく、限られた空間(舞台装置)の中で俳優たちが動き、話し、歌う。観劇をする者は、その空間を前提に、みずからの想像力を働かせて、その空間を演者と共に創造する。

 そういう演劇をみる人が少なくなっているようだ。

 昨日、劇場でたくさんのチラシをいただいた。文化座の「太陽の棘」、民藝の「グレイクリスマス」、ASPイッツフォーリーズの「YOSHIKO」、劇団東演の「屋根裏の仏さま」、劇団昴の「評決」、燐光群の「サイパンの約束」、フォーラム・コイナさんの会の「今、僕らにヒロシマが見えているか。」、貴種流離の「KENJIの妹」、劇団朋友の「東おんなに京おんな」、文学座「ジョー・エッグ」、テアトル・エコー「おかしな二人」。

 私は、翻訳劇は好きではない。いや、ブレヒトやシェイクスピアはよい、しかしその他がダメだ。

 翻訳劇ではないもののチラシを見ると、日本の現実を見据え、それとどう対峙するのかという問題意識に溢れた作品が多い。現実にものすごい違和感や怒りを持つ私としては、それぞれの劇団がどのように現実を見、その中から何を切りとり、どのようにそれを観劇者に示し、考えさせようとしているのかを知ることは、私自身が現実と対面し闘う際の大きな肥やしになる。

 このチラシの劇、翻訳劇を除き、すべて観たいという気がする。

 演劇というのは、映画やテレビドラマと異なり、情報量が少ない。映画やテレビは、あらすじが展開する場が設えられ、何の違和感もなくそのストーリーに身を委ねることができる。しかし演劇はまったくそうではない。あらすじが展開する場は、仮想空間である。そうであるが故に、みるものの主体的参加、それは想像力であったり、創造力であるのだが、それが求められる。

 演劇が求められる時代というのは、人びとがみずからなんらかのものと関わろうという意欲が満ちる時代なのだと思う。今はそうではない。与えられた情景を、それがあまりに具体的であるがために、少しもみずからの想像力を働かせることなく受容する、そう、受け身の時代が今なのだ。

 だが歴史を繙くと、演劇空間は、いつの時代でも流行ったり廃れたりすることはあっても、ずっと存続してきた。人びとが演劇を求める時代は、必ずやってくるだろう。

 だから、演劇の火は燃やし続けなければならないのである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

森友問題に新たな証言

2018-10-29 07:23:31 | 政治
 自民党全体が、森友問題の火消しに廻っていた!

籠池夫妻が新証言 自民党は森友問題の“火消し”に暗躍した
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「引き受ける」ということ

2018-10-29 06:55:10 | 近現代史
 昨日、「引き受ける」ことについて書いた。1923年9月16日に起きたこと、この事件を引き起こしたのは、甘粕をはじめとした憲兵組織だとされる。つまり国家犯罪である。近代日本国家は、1910年の大逆事件以後、こうした事件を起こしている。

 1923年9月16日のことを「引き受ける」ということは、こうした近代日本国家とはいかなるものであったのかを認識することでもあるはずだ。

 静岡の墓前祭は2023年まで行う。その行事を、近代日本国家とはいかなるものであったのかを考えていくものにしていきたい。それは「明治150年」を“祝福”するのではなく、その負の側面に焦点をあてるものでなければならない。

 このブログでも、今後、1923年9月16日に関わる文献を紹介していく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

外国人

2018-10-28 21:38:46 | その他
 ほんとうに外国人が増えた。日本では、高額なものもあるが、安く済ませようと思えばそれが可能な社会でもある。賃金が下がっているから、デフレ状態が続き、またトヨタを始め輸出産業を保護するための経済政策が行われ、円安が続く。

 外国人が観光のために大挙到来する。それにより、様々な問題が起きているという。


「観光公害」市民と摩擦 京都・やむを得ず外国人制限の店も




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

引き受ける

2018-10-28 20:04:55 | 社会
 私は幾つかの名刺を持っているが、ひとつの種類の名刺には、1923.9.16と記してある。その日、大杉栄と伊藤野枝、大杉の甥橘宗一が虐殺された日である。3人の墓は三箇所にある。野枝の出身地・福岡、宗一の父親が建立した名古屋・日泰寺の墓、そして静岡市の沓谷霊園である。

 名古屋と静岡では毎年9月、墓前祭を行っている。墓前祭の際には、大杉についての講演が主になる。しかし私は、野枝にもっと光をあてるべきだと思っていた。だから今年の9月の墓前祭では、「野枝について語ろう」とした。集会の内容については他日を期すこととして、ここでは劇団朋友「残の島(のこのしま)」について記そう。

 今日私は上京して、六本木の俳優座劇場で上演された「残の島」を見た。副題は、「伊藤野枝と代準介、そしてルイズ」である。

 私は伊藤野枝、大杉栄について全集はじめ関連する文献を読み込んでいる。当然私は、野枝や大杉についてのイメージをつくりあげている。

 こうした演劇(あるいは映画)をみるときには、それらが私自身のイメージに対して挑戦してくることを覚悟しなければならない。

 残念ながら、この劇の野枝も、大杉も、私のもつイメージとは大きく異なっていた。野枝について言えば、野枝はみずからを成長させようと本当に必死になって学び、交流し、生き、そして闘った。そういう野枝が、代家の女中さんたちに対して、みずからの思想やあるべき生き方を教えさとすようなことをしただろうか。あるいはみずからの思想をことばに出して(もちろん文筆ではしているのだが)、代準介らに主張しただろうか。私はそれはないのではないかと思う。
 
 野枝が日陰茶屋事件を経て大杉を獲得したことにより、野枝が強引に大杉を獲得したかのようにとらえられているが、私はそうは思わない。野枝は本当に心から大杉を愛し、どうしようもないくらいにみずからの心にわき上がる愛情に素直にしたがったのであって、そこに打算や企みはなかったと思う。野枝は、「恋愛は自発のものであり、何物をも焼き尽くす熱烈さをもっている。従って、何物の力をもつてしてもそれをふせぎとめる事は出来ない。」(「自由意志による結婚の破滅」)と書いているが、それはみずからの体験そのままなのではないか。こうした沸々とわきあがる愛を経験したことがないと、こういう気持ちはわからないかもしれないが・・・

 そして大杉との愛は、「彼はいつでも私を一人の同志として扱う事を忘れません。私は彼と一緒になる時には、常に運動の第一線に立つことを辞せぬ覚悟でした。今もその覚悟は捨てはしませんが、そして必要な場合には飛び出しもするつもりですが、それでも今までの処では引っ込んでいます。が、彼は私に対しても他の少数の同志と変わらぬ厳粛なコンフィデンスをいつも示しています。そしてこれはいつも私共の生活に対する最も真面目な反省を促す一番重大なものです。従って、これが私共の生活維持の基調であることはもちろんです。私は、彼の妻としてよりも友人としても、より深い信頼を示された一同志として、彼の運動に際して、後顧の憂いをなからしめる事につとめなければならないのです。そこにまた私を教育する重大な種々の事実が横たわっております。」(「愛の夫婦生活」、『女性改造』一九二三年四月号)とあるように、同志愛として昇華したのである。

 このように野枝は、みずからの真情に素直にしたがって生き、闘ったのである。そういう自分自身を他者に押しつけるようなことはしていないと私は思う。

 さてこの劇で、大杉役をつとめた男性は、私がイメージする大杉とは異なっていた。大杉は私からみても魅力的な男性である。みずからの生に確信をもち、気負うことなく常に堂々としていた。相手が頭山満であろうと後藤新平であろうと、誰であろうと、平常心のみがあった。そして優しく、家父長的な思想とは無縁であった。大杉栄の役をつとめるのは、とてもたいへんだと思う。

 劇は、辻潤と同棲して以後の野枝の生を切りとっていくのだが、もちろんそこにはフィクションが混じる。そして脚本を書いた詩森ろば(もちろんペンネームだろう)の主観が入る。

 詩森は、野枝を「勝手で獰猛で聡明で、どうしようなく愛らしい」と見ている(パンフレットにそうあった)。私は野枝が「勝手で獰猛」であるとは思えず、そのように見えるかもしれないが、ほんとうはそうではない、という野枝の内面と外面を統一的にとらえて欲しかったと思う。

 細かいことばかり書いてきたが、劇としては、素晴らしいものだ。私は大きな感動を得た。

 この劇は、野枝の生の軌跡だけではなく、その娘ルイズの生と父母に関わる想いが描かれる。ルイズは、松下竜一の名著である『ルイズー父に貰いし名は』、ルイズ自身による『海の歌う日』があり、私自身も会ったことがあるので、この劇のルイズは、まさにルイズそのものであった。ただ付け加えておくと、静岡の墓前祭には、ほかの大杉・野枝の子どもたちも姿を見せていた。しかし彼らは多くを語らなかった。なぜ語らないのか、も大きなテーマであると思う。

 私のように、野枝の人生を知っている者にとっては、ここは違うな、ここはそう描いたか・・・等々数々の批評がでてくるが、劇が終わったとき、私の後ろの観客が「むつかしい・・・」と語っていた。

 野枝は、名前だけが知られ、野枝の生の軌跡や思想が知られていない。それは私が痛感するところである。野枝は誤解されたままになっている。

 私はその誤解を解きたい、と思ってきた。

 この項目を、私は「引き受ける」とした。私は、静岡の墓前祭を引き受けている。大杉や野枝、宗一の墓が静岡市にあるのだ。にもかかわらず、そうした事実が知られず、野枝の生の軌跡や思想も知られていない。

 静岡が、この劇を全県下で上演して、静岡県民が、大杉と野枝を「引き受ける」、そうした動きが起こらないかと私はひそかに思うのだ。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「自己責任」論

2018-10-27 23:25:37 | その他
 「自己責任」論を追及すればするほど、自分に返ってくるはずだ。何のために社会があり、政府があるのか。

 タバコを吸って肺がんになったら、健康保険を使うな、というのか。

 柔道をやっていて頸椎を破損して首から下が動かなくなった人がいる。柔道を好きでやっていたんだから「自業自得」といえるのか。税金を使うなといえるのか。

安田さん解放 「自己責任論」に海外経験者ら反論投稿

スマホで安田さん批判に精出す人は憐れむ要素に事欠かない
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本政府は動いたの?

2018-10-27 19:48:35 | 政治
 私は、日本人が人質にされた過去の事例から、日本政府は人質にされた人びとの救出のために積極的に動くことはないと思っている。日本政府は、安田さんが解放されたが故に、あたかも日本政府が動いたからといいたいようだが、しかし過去の事例と、今回の政府の情報取得の遅さを見ると、日本政府は今回の解放に関わっていなかったと考えた方が筋が通ると思う。

 安田純平「日本政府が動いたと思われるのは避けたかった」の真意! 安倍政権は本当に救出に動いていたのか

 この記事中にあるように、日本政府が具体的にどのように動いたのか、まったく出て来ていない。出す材料がないからとしか思えない。 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本に対する声明

2018-10-27 15:15:17 | 政治
子供や女性は帰還しないで 国連の声明に政府は懸念

 国連理事会の報告は、正しい。チェルノブイリが起きたロシアのような対策すらとらない、自民・公明政権の反人道性。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自然破壊の暴挙

2018-10-27 08:19:27 | その他
 静岡県の地図をみると、北部に槍のようにとがったところがある。大井川上流のこの地域はすべて、明治初期、ホテルオークラなどを経営する大倉喜八郎が手に入れたところである。この地区の材木を大井川に流して島田付近で引きあげ、それで製紙業を営んだ。東海製紙、東海パルプと名を変え、今は特種東海製紙である。ウェイークデイに東海道線に乗ると、島田付近はなかなか臭う。

 大井川の上流部、田代地区にはダムもあるが、そこは南アルプスに入るに便利なところで、登山者は同社の系列会社が経営する椹島ロッジから山に入る。

 そのロッジのゴミが、山中に不法に捨てられていた。驚くべき暴挙である。企業の倫理はいったいどうなっているのか。

 山中に投棄している現場を『朝日新聞』がとらえた。

山小屋業者、エコパークに不法投棄か 静岡の南アルプス

 記事中、「フォレスト社の仲田勝利事業開発部長は「生ごみは燃えにくいという思いから、作業員の判断でそうしたのではないか。違法だという認識はなかったと思う」と説明。」があった。「違法だという認識はなかった」?ありえない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダルビッシュの正論

2018-10-26 22:57:36 | 社会
 ダルビッシュの正論は、傾聴に値する。

ダルビッシュが安田さんへの自己責任バッシングを次々論破! 「ジャーナリストが行かなければ殺戮は加速する」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

安田さんの解放

2018-10-26 19:20:51 | 政治
 今まで救出してこなかった日本政府が、安田さん救出に向けて何らかの行動をしていたとは考えられない。情報は集めていたかも知れないが・・・・

 安田さんも、日本政府の世話にはならない!と決めていたようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする