浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

警職法改悪反対闘争

2015-03-31 22:41:52 | 近現代史
 静岡県の運動史をまとめる仕事に関わっているが、ボクの担当の一つが1960年の安保闘争である。通常、こういう闘いは東京で展開されるのだが、いうまでもなく地方でも繰り広げられている。静岡県ではどうであったのかを調べなければならないのだが、なかなか進まない。

 今はその前哨戦として存在している警職法改悪反対闘争について書いている。執筆委員の方々に、一応見本として書いたところ、いろいろな注文がついてきた。そのなかに、なぜ警職法改悪法案が問題なのか、戦前の治安立法との関連から記すべきだという意見があった。

 こういうとき、法学部出身であることが幸いする。書庫に入り、それに関する文献をさがす。あったあった、宮内裕『戦後治安立法の基本的性格』(有信堂)。1960年に出版されたものだが、ボクは1971年の2刷りをもっている。

 そして『治安と人権』、『昭和の法と法学』(いずれも日本評論社刊、『法律時報』臨時増刊号)。学生時代に治安立法に関して関心を持っていたので購入したのだ。ページを繰ると、きちんと赤線が入っていたりする。ちゃんと読んだのだと、自分に感心する。

 ボクは、おそらく『法律時報』の臨時増刊号は、判例・学会回顧に関するものを除き、全部もっていると思う。そういえば、譲ってという声を聞いたことがあるが、それは無理というものだ。

 1978年刊行の『昭和の法と法学』をもう一度読み直そうと思い始めた。というのも、やはり安保法体系と憲法体系の矛盾について、歴史的にきちんと学ぶべきだと思っているからだ。しかしその執筆者のなかで、長谷川正安、家永三郎、本間重紀、島田信義、渡辺洋三など、すでに亡くなっている方もいる。戦後の民主主義法学を担ってきた人々も高齢化し、徐々にこの世を去っている。さびしいことだ。

 本題からはずれたが、警職法改悪案は、治安警察法と行政執行法、警察犯処罰令などの実質的復活で、警察(官)にフリーハンドを与え、治安維持のために身体の自由をも奪うことができるというものだ。そのとき、「デートを邪魔する警職法」などというコピーが流行し、激しい抵抗闘争が出現した。静岡県でも各地に活発な動きがおこり、また労働組合も戦前の「警察国家の復活」を阻止すべく果敢に闘った。国鉄労働組合も、特急や急行を止めて激しく抵抗した。

 その結果、警職法改悪法案は審議未了・廃案となった。その時の首相は,岸信介であった。岸政権が完璧に敗北した事例である。

 そのような闘いが、いつか再び日本に起こるだろうか・・・・?
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市長選

2015-03-31 00:15:54 | 政治
 市長選が始まった。浜松市には現在6つの区があり、それぞれに区役所がある。現市長は、浜松商工会議所などの要求に従って、区を減らそうとしている。区を減らして、それで浮いたカネで市民サービスを充実させると言っている。

 しかしそれはウソだ。

 浜松市は、商工会議所の要望をストレートに表す行革審の命令によって、人件費を削るために徹底的に市役所の吏員を減らしてきた。市当局はこういう、市役所の吏員は行政の中核的業務に従事する、と。他方窓口など、市民と直接対面するところは、非正規の職員などに対応させるようになっている。

 だが、行政というのは、市民と直接対面する中で問題点などが明らかになり、それを解決すべく次の対策が打てるようになるのではないか。市の吏員こそ、市民と接する場にいないといけないのではないか。

 すでに吏員を徹底的に減らしてきた浜松市は、区をなくしてもっと人件費を減らそうとする。

 だいたいにして、もし区を減らすことになったら、浜松市役所の駐車場は満杯状態なのに、もっと混雑するようになる。いったいどうするつもりなのかと思う。現在は区役所があって分散しているから、現状ですんでいるのだ。市民サービスは後退する。

 では現浜松市長は、人件費を削ってどういう市民サービスを充実させようとしているのか。その答えは簡単である。浜松市の財政支出の傾向を見れば良い。つまり、市民サービスというのは、市民は市民でも、企業へのサービスである。企業への補助金を増やしていくのである。あるいは企業が喜ぶようなところにカネを散布させるのである。

 浜松市ほど企業優先の都市はないのではないか。通常、基本計画を行政がたてるときには、たとえば「市民が暮らしやすい浜松市をつくる」というようなものが先に来るはずだ。しかし浜松市は、いつも「産業経済」が真っ先に来る。

 下記のサイトに行ってみればすぐわかる。重点戦略の戦略1が、これである。

 http://www.city.hamamatsu.shizuoka.jp/kikaku/totalplan/keiei_plan/chapter4-2.html

 市民生活より、まず「産業経済」、そのなかでも工業である。なんと言っても、浜松市にはスズキがあるから。スズキの言うことを聞いておきましょう、ということである。

 浜松市におけるスズキは、日本におけるアメリカに対応する。

 いつになったら、浜松市は市民主権を取り戻すのだろうか。
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戦後日本の構造

2015-03-30 18:41:30 | 
 矢部宏治の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)は、現在起きている日本の政治と原発にかかわる問題を、なぜそうなのかを丁寧にかつ虚心坦懐に1945年にさかのぼって検討したものだ。

 本を読みながら、線を引き、付箋をつけていったら、いっぱいになってしまった。こんなに多くしるしをつけた本は、久しぶりである。それほど、重要な指摘がたくさんあるということだ。この本は、1200円+悪税、内容から見ればとても安い本である。とにかく読むことを薦めたい。いや、現代日本に生きるものの必読文献である。

 本書のスタートは、普天間基地から始まる。世界一危険な基地といわれる普天間基地。基地周辺の住宅や学校などが密集する上空を、米軍機が何の遠慮もなく飛行している。爆音と危険を振りまきながら。

 ところが、米軍機が絶対に飛ばない地域がある。米軍住宅のある地域である。

 著者は、当然であるがこう断じる。

米軍機は、沖縄という島のなかで、アメリカ人の家の上は危ないから飛ばないけれども、日本人の家の上は平気で低空飛行する。

 著者は、それはなぜなのかを検討していくのだ。

 「安保条約とそれに関する取り決めが、憲法を含む日本の国内法全体に優越する構造」が、日本に存在することを、著者は指摘し、ではなぜそういう事態があるのかを、日本の敗戦にまでさかのぼって検討していき、その結果日本は独立した国家ではなく、アメリカによる占領状態が続いているという。

 またなぜ日本政府は、ドイツのように脱原発に進まないかを考えるとき、そこに「日米原子力協定」の存在にぶち当たる。日本は、原子力に関して自主的に結論を出すことはできないという構造になっているのだ。

 基地問題にかかわっての、安保条約とその関連法(安保法体系)、原発に関しての「日米原子力協定」にもとづく無法状態。

 なぜそうなのか。

 日本の敗戦のありようを、著者は検討し、上記の事態が生じる構造を浮き彫りにしていく。

 とにかく読むべきである。書店に、この本は積まれているはずだ。すぐに書店で買い求めよう。そうすると、戦後の日本の構造が目の前にはっきりしてくる。

 しかしその後、ではどうしたらよいのだろうか、と考えてしまう。

 だがそれでも知っておくべき事柄である。

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【本】堀田善衛・武田泰淳『私はもう中国を語らない』(朝日新聞社、1973年)

2015-03-29 11:04:53 | 
 本はどんどん出版される。なかには良い本も多く、それについていくのがやっとであるが、古い本にもよいものがある。この本もその一つ。

 なかでも、なるほどと思ったのは、次のこと。

 武田泰淳は中国戦線にも行ったことがある。中国についてはかなり詳しい。中国語もできる。その彼がこういうのだ。

 中国は何度も他民族に支配されたことがある。漢民族は、たとえば清の時代なら満洲族を表面的に敬っていればよく、実は自分たちの考えでやっていけば良い、それで済むという考え方だという。他民族による支配を何度も経験しているから、他民族に対する対し方の訓練ができている、したたかさをもっているというわけだ。己を空しくすることもないのだ。

 ところが日本は運良く、今まで他民族に支配されたことがない。だからその意味で「処女」なのだ、初めてアメリカに「強姦」されたその結果、政治家にも「だらしのない」奴がたくさんでてきた、と。

 なるほど初めて支配されたので、それ以後ずっと一貫して、日本は己を空しくし、アメリカの「属国」となって忠勤を励んでいる。

 それから武田は、「武器を持つと、ふつうの心理とはまったくちがったものになってしまう」と言う。それを受けて堀田は、「銃を持っていない人間は、自分たちの仲間ではない」として相対する、と。そして武田。「それは日本人がことにひどいと思うんだ。とうのはね、日本人というのは、いつでも外国人を恐れていて、おびえているんだな。そのおびえが反対に軽蔑するような形で現れてね、恐ろしいからやっつけるんですよ」。

 武器を持ったことがないから何とも言えないが、武器を持つと人間は変わるんだろうなという想像はつく。そして外国人に対する「おびえ」か。

 その「おびえ」は、実際には、白人に対する劣等感、有色人種に対する優越感となって現れるのだろうか。

 図書館で借りた本である。


 
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and and and  ・・・・・・

2015-03-29 01:36:04 | 
 武田泰淳、堀田善衛の対談本、『私はもう中国を語らない』(朝日新聞社、1973年)を読んだ。これも辺見庸の文に紹介されていたから読んだ。

 そのなかにこういう文があった。

 木下順二君の説によりますとね、and・・ and・・でやってゆくのはストーリーだというんです。because・・・ because・・・でつないでゆくのがプロットだ、というんです。プロットというのは、なんと訳したらいいかな。構造のあるもの、筋立て、ですか。

 ここの部分を読んでいて、分かった気がした。というのは、最近歴史の研究発表を聴いていたとき、and・・ and・・だけでつないでいるような気がしてならなかった。こういう事実があった、こういう事実があった、こういう事実があった・・・・・・しかし、そういう研究で良いのだろうか。その事実に、どのような意味や意義があるのか、をボクはどうしても問いたくなるのだ。


 ボクはそういう研究を“ベタ実証”と呼ぶのだが、要するに問題意識がきちんと鋭角的になっていないのだ。何を明らかにするつもりなのかが不鮮明だと、どうしてもベタ実証になってしまう。最初の問題意識が鮮明だと、どうしてもこれについて考察を加えて論点を明確にしたいという欲求がでてくるから、無数の事実から何を選択するかが明確になるし、事実と事実とのつながりが意味を持つようになってくるのだ。

 ボクは、何かを書いたり、研究したいという人に言うことのまず第一は、問題意識を鮮明にせよ、ということである。何を明らかにしたいのか、何を主張したいのかが明確なら、その文は構造を持つようになると思うからだ。

 もちろん、その問題意識の中には、何のために、も当然入ってくる。

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銅像(2)

2015-03-29 00:48:02 | 日記
 志賀直哉の「銅像」について、続ける。志賀は、今日の日本のありさまを想像していたかもしれない。以下に掲げたように記している。

 日本人は、戦争の記憶、戦争の記録を忘れ、あるいは直視せずに、「熱さ」を忘れてしまっているようだ。「第二の東条英機」も出現している。歴史の真実をきちんと記憶していくこと、それが肝要なのだ。志賀直哉は、まっとうなことを書く。

 扨て、我が国でも百年、二百年経ち国民が喉元の熱さを忘れた時、どんな歴史家が異を立てて、東条英機を不世出の英雄に祭上げないとは限らぬ。東条は首相の頃、「自分のする事に非難のある事も承知している。然し自分は後世史家の正しい判断を待つよりないと思っている」かう云っていたと云ふ。その後新聞で同じ事を云っているのを読んで、滑稽にも感じ、不愉快にも思った。吾々は秀吉の愚挙を漫然壮図と考へたのだから、西は印度、南は濠州まで攻め寄せた戦争を、その結果を忘れて、自慢の種にする時が来ないとは云へない気がする。自慢の種にするだけなら差し支へないが、第二の東条英機に出られるやうな事は絶対に防がねばならぬ。

 この予防策として、東条英機の大きな銅像、それも英雄東条英機ではなく、今、吾々が彼に感じている卑小なる東条英機を如実に表現した銅像を建てるがいいと思ふ。台座の浮き彫りには空襲、焼け跡、餓死者、追い剥ぎ、強盗、それに進駐軍、その他いろいろ現はすべきものがあらう。そして柵には竹槍。かくして日本国民は永久に東条英機の真実の姿を記憶すべきである。


 「真実の姿」を忘れぬよう、日本ではほんとうにたくさんの銅像を建てなければならない。東条のような人物が、日本の歴史をひもとくと、次々と出現してきているからだ。

 銅像だらけにならないように、何とかしなければならない。
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今日の『中日新聞』社説

2015-03-28 23:05:17 | メディア


沖縄戦70年 再び捨て石にはできぬ

2015年3月28日

 沖縄の反基地闘争が知事を先頭に空前の高まりを見せている。本土の捨て石になった沖縄戦から七十年。再び犠牲を強いてはならない。

 名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前。新基地の建設に反対して座り込む人々の中に八十五歳の島袋文子さんがいる。

 地元の集落に一人で暮らす島袋さんは昨年夏から、雨の日も風の日も休まずに朝から座り込みに加わる。島袋さんにとって辺野古は、日本を再び「戦争のできる国」にしない闘いの最前線という。
◆血の泥水すする15歳

 ジュゴンが生息するサンゴ礁の大浦湾に沖縄防衛局の船が物々しく停泊する。その光景は、島袋さんに沖縄戦を思い起こさせる。

 先の大戦で沖縄は米国との本土決戦を遅らせる“捨て石”だった。

 一九四五年三月二十六日、米軍艦隊は沖縄本島西の慶良間諸島に上陸。猛攻撃によって、日本軍が組織的戦闘を終える六月二十三日までに全土を壊滅状態にした。

 日本軍は住民に軍と一体となった戦いを強いながら、スパイ行為を疑って方言を禁じた。手りゅう弾を配り、捕虜になるよりも「自決」を促した。肉親同士が手をかけての集団自決は沖縄戦の壮絶さを象徴する。餓死、病死者を含め、県民の四人に一人、約十五万人が犠牲になった。

 十五歳だった島袋さんの古里、糸満市も激戦地となった。累々と死体が横たわる戦場を目の不自由な母の手を引き、十歳の弟を連れて逃げた。昼は木陰に隠れ、夜に移動した。のどが渇き夢中で水たまりの泥水をすすった。

 翌朝、その水たまりには血だらけの死体が横たわっていた。

 親子で身を潜めていた壕(ごう)を米軍に火炎放射で焼かれ、全身に大やけどを負った。捕虜となって命を取り留めたが、生涯足を引きずる傷が残った。
◆琉球処分の総仕上げ

 沖縄の戦後はこの悲惨な体験に報いるものではなかった。本土と異なる戦争が継続する島だった。

 一九七二年の施政権返還まで戦後二十七年間、米軍施政権下に置かれた。基地周辺ではレイプなど米軍犯罪が頻発。本土復帰後も治外法権は変わらず、平和や人権の憲法よりも日米安保条約や日米地位協定が優先された。ベトナム戦争ではB52爆撃機の出撃基地になり、湾岸、イラク戦争では海兵隊が沖縄から出撃していった。

 狭い県土に広大な基地がある。フェンスの向こうには迷彩服で銃を構える兵士の姿がある。沖縄には常に戦争が隣り合わせていた。

 宜野湾市の米海兵隊普天間飛行場の移設先として、辺野古に造られようとしているのは、二百年は使える最新鋭の基地だ。オスプレイを搭載する強襲揚陸艦が接岸できる軍港機能も備え、沖縄の軍事基地化はより強固になるだろう。

 沖縄に新たな基地負担を強いる計画に県民の怒りは頂点にある。

 仲井真弘多前知事を公約を翻して建設を認めたのは無効だと、昨秋の県知事選で落選させた。衆院選では全選挙区で反基地派を当選させた。翁長雄志新知事は作業停止を指示した。

 安倍晋三首相や官房長官は新知事に一度も会わず、掘削調査を強行する。沖縄の怒りに鈍感すぎないか。かつて自民党の幹部には沖縄への罪責感から思いを寄せる人が少なくなかった。

 野中広務元官房長官はたびたび沖縄を訪れ「沖縄を忘れることは、第二次大戦を忘れること。戦争の恐ろしさを忘れないためにも沖縄を絶対に忘れてはいけない」と語り、遺骨の一部を慰霊塔に納めてほしいと望んだ。そんな自民の心はどこにいったか。

 集団的自衛権の閣議決定と安保法制の整備によって、安倍政権は戦争のできる国に進んでいるようにみえる。辺野古に何がなんでも新基地を造る姿勢だ。

 那覇市在住の作家大城立裕さんは語る。「日本政府は沖縄の歴史に対する反省もなく、沖縄を軍事植民地のように扱い続ける。社会的差別は薄らいでも、政治に差別が残っている。辺野古の新基地は、明治以来の琉球処分の総仕上げだ」。百五十年続く差別と犠牲の歴史。基地の県外、国外移転が真剣に考えられてもいいのではないか。
◆両手を上げて抵抗

 沖縄戦で無念に死んでいった人や子孫の未来を思いながら、島袋さんは今日も座り込みに連なる。「国を守るだなんて言う人は、血の泥水をすすってから言ってごらん。自衛隊を戦場に行かせて、格好いいのか、面白いのか。その目で見てから辺野古に基地を造ると言ってごらん」

 沖縄戦で島袋さんは、大やけどを負った両手を上げて壕から投降した。今、その両手を上げ、基地建設のトラックの前に立ちはだかる。それは七十年前、十五歳の少女にかなわなかった抵抗の姿だ。
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「報道ステーション」、権力に屈するか?

2015-03-28 22:47:44 | メディア
 安倍政権、とりわけ菅官房長官に目の敵にされていたテレビ朝日の「報道ステーション」。4月から、きっとかわる。おそらく政府批判は確実に減るだろう。テレビはほとんど「権力のイヌ」になってきているが、テレビ朝日も変質する。権力による圧力がもうじき、結果として現れる。

http://lite-ra.com/2015/03/post-980.html

http://lite-ra.com/2015/03/post-981.html
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訃報(続)

2015-03-27 09:12:47 | その他
 昨日のブログで記した訃報は、熊本大学の小松裕(こまつひろし)さんの訃報であった。田中正造やハンセン病、朝鮮人の強制連行などについて研究されていた。いくつかのテーマを共有している関係から、小松さんとは何度か会っているし。メールでの情報交換も行っていた。温厚で優しい人柄であった。

 昨日、訃報が届いたとき、たいへんなショックを受けた。昨年、掛川市で発見された田中正造書簡についてメールで連絡を取り合い、その書簡の意義について教えを受けたりしていた。そしてまだまだ若い研究者であった。すぐに共通の知人に連絡したが、一様に驚くばかりであった。

 傍らにあった彼の著書、『真の文明は人を殺さず』(小学館、2011年)を手に取った。東日本大震災、そして福島原発事故に直面したとき、小松さんに湧き上がるのは日本近代に対する激しい憤りであった。そして近代日本のあり方に対して、生涯をかけて抵抗した田中正造の思想を、人々に伝える努力が弱かったと、小松さんは自省する。

 正造の言葉、「真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さざるべし」は、近代日本の「文明」に対する根底的な抗議であった。

 この本に、ボクは付箋をただ一カ所つけていた。そこには正造のことばがあった。

 智識あるものは智識を他人に恵ぐめよ。足手あるものは足手を寄付せよ。金銭あるもまた同じ。かく互いに長短補足して一致漸くなる。また人は金のみで動くものにあらず。人は心、人は精神、人は道理、人は大義名分、人は誠実。高く信じ、厚く信じ、深く信じ、互いに信と信との結合に限るべし。

 小松さんは、正造の思想を研究し、またみずからも正造のように生きた。

 小松さんの遺志を継ぐということは、正造の思想をもっともっと多くの人々に知らせていくことだろうと思う。

 ただただ、故人の冥福を祈るのみである。   合掌





 
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訃報

2015-03-26 20:34:03 | 日記
 訃報が届いた。

 訃報が届くと、厳粛な気分になる。姿勢を正して、亡くなられた方との交遊を思い出す。それと同時に、なぜ?と問いたくなる。
 もっともっと生きていて欲しかった。いや亡くなるなんてことは、考えてもいなかった。

 必要があるときに、連絡をしてその応答を待つ。最近はほとんどメールであるが、そして何度かのやりとりを経て、またしばらく連絡しないときが続く。それでも、死んでしまうなんてことを考えもしないので、またいつか連絡することもあるだろうという開いた状況のまま推移する。

 だが、死は、そうした関係を閉ざす。

 生きていく中で、無数にはりめぐらされた他者とのつながり。年齢を重ねていくと、もちろん新たなつながりもできるが、他方で今までのつながりが、無情なる死によって断ち切られていく。

 年を重ねると言うことは、新たにできるつながりと、失われていくつながりとが競いあうなかで、後者が徐々に増えていくことなのだろう。そして“孤“の感覚が強くなり、その“孤”に耐えられなくなって、自身もこの世を去って行く。

 今思うことは、良き人が逝ってしまうということだ。

 HKさん、さようなら。
                                合掌

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「銅像」(1)

2015-03-26 13:00:08 | 社会
 『週刊金曜日』に連載されている辺見庸の文を読んでいたら、そこに志賀直哉の「銅像」という随筆の紹介が載っていた。図書館から志賀直哉の全集を借りて、「銅像」を読んでみた。なかなか味のある文章だ。さすがに大家の文章は違う。文章の裏側に「大河」が流れている感じだ。

 今日は、そのさわりに書かれていることを紹介しよう。

 志賀は、幕末期の、有能なひとりの幕臣のことを記す。川路聖謨(かわじとしあきら)である。日露和親条約締結など、幕末に活躍した外交官であった。

 彼の、天保11年の日記を、志賀は紹介する。川路が佐渡奉行として赴任したときの日記である。

 「西洋人襲来の時、民兵の用ゆる備えの由にて、いつ頃より出来しや、竹槍数百本あり、これにて凡のこと、おし量るべきなり」

 彼我の武力の差を認識している川路は、西洋人が襲来してきたときに竹槍で戦おうとする日本の人々の状況を、即「おし量る」ことができたのである。

 志賀がこの文を読んだのは、戦時中だ。20世紀の中盤でさえ、日本の人々は竹槍で米軍と戦おうとしていたのである。川路が日記を書いたのは、1840年。それから100年が経過しても、日本人はまじめに竹槍で戦おうとしていたのである。志賀は、川路聖謨が「呆れた」こと、戦時下の日本人がそれ以上のことをしようとしたとして、以下の例を挙げる。

 「近江八幡にいる兵隊たちは銃がなく、毎日睾丸蹴りの稽古をしている」

 現時点から見れば、非合理そのものである。しかし当時の日本人は、彼我の戦力差を知ってか知らずか、まじめにこういう竹槍訓練などに従事していたのである。もちろん少しでも知識がある人は、疑問を抱いたであろうが・・・・

 集団は集団であるが故に、こうした非合理なことを信じ込んでしまうということはあり得ることだ。オウムについても然りである。オウム信者の、権力がオウムを標的にして攻撃を仕掛けてくるという、ボクらから見れば「妄想」と、米軍に対して竹槍や「睾丸蹴り」で戦うという、ボクらから見れば「妄想」と、どう違うのだろうか。

 普通の人々は、集団になると、非合理な信じられない「妄想」を、まさに物理的な力にしていくことがあるということを、知るべきなのである。

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「宰相A」

2015-03-25 21:02:49 | 
 『宰相A』は小説である。書いたのは田中慎弥。芥川賞作家である。おそらく「宰相A」は、安倍首相である。内容は、安倍首相が創造したい国家ができあがった後の時点、その時点を描く。そしてその時点でも、安倍首相は「宰相」なのだ。

 この小説は、アイロニーに富む。アイロニーとっても、それはどうやら「ロマン的イロニー」である。

 さて主人公Tは、母の墓参りのためにO町に行く。駅に降りて改札口をでようと思ったとき、そこが別世界だと気づく。そこに住む人々は、緑色の制服を着て英語を話す、姿形はアングロサクソン。それなのに、彼らはみずからを日本人と自称する。

 Tは日本軍に拉致される。その日本軍を擁する日本国は、「民主国家」である。その「民主国家」はアメリカとともに戦争をしているのだ。

 「世界は我が国のように正義と民主主義が確立されたばかりではありません。そこでアメリカ主導のもと、他の同盟国の協力も得て、戦争主義的世界的平和主義の精神を掲げ、横暴な反民主主義国家に対し、平和的民主主義的戦争を行っている」

 そしてその日本国の宰相は、「旧日本人」、つまりアジア系の人間が宰相になってるのだ。「旧日本人」にも受けが良いように、日本人的な精神をもった「旧日本人」たる日本人を宰相にしたのである。その宰相は、

 緑の服を着た六十くらいの男が現れる。いわゆる旧日本人、つまり日本人だ。中央から分けた髪を生え際から上へはね上げて固めている。白髪は数えられるくらい。眉は濃く、やや下がっている目許は鼻とともにくっきりとしているが、下を見ているので、濃い睫に遮られて眼球は見えない。俯いているためだけでなく恐らくもともとの皮膚が全体的にたるんでいるために、見た目は陰惨だ。何か果たさねばならない役割があるのに能力が届かず、そのことが反って懸命な態度となって表れている感じで、健気な印象さえある。

 そして宰相は、テレビで演説する。

 「我が国とアメリカによる戦争は世界各地で順調に展開されています。いつも申し上げる通り、戦争こそ平和の何よりの基盤であります。戦争という口から平和が流れるのです。戦争の器でこそ中身の平和が映えるのです。戦争は平和の偉大なる母であります。両者は切手も切れない血のつながりで結ばれています。健全な国家には健全な戦争が必要であり、戦争が健全に行われてこそ平和も健全に保たれるのです。」


「我々は戦争の中にこそ平和を見出せるのであります。戦争を通じてのみ平和を構築出来るのであります。平和を搔き乱そうとする諸要素を戦争によって殲滅する、これしかないのです。(中略)最大の同盟国であり友人であるアメリカとともに全人類の夢である平和を求めて戦う。これこそが我々の掲げる戦争主義的世界的平和主義による平和的民主主義的戦争なのであります。」

 そしてその日本社会は、国家至上主義のオーウェルの『1984年』を彷彿とさせるものだ。

 作家Tは、抵抗的な姿勢を見せるが、結局は日本という国家で、国家のお墨付きを得て、国家のための作品を書くようになる。しかしなぜ自分がそうなったのかはわからない。その経過の記憶は、消されているのだ。

 まさに安倍首相の妄想のなかにある国家社会が実現してしまった後の世界が描かれているといってもよいだろう。

 イロニーでもあり、警告でもある。

 なおこの作品は単行本となっているようだが、『新潮』2014年10月号に全文掲載されている。



 
 
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静岡市の生活圏にいないということ

2015-03-25 19:08:36 | 日記
 毎月何度か静岡に行っている。そのなかのひとつに研究会がある。毎月そこに参加しながら考えたことがある。それは、生活圏の問題である。

 静岡県は、伊豆、駿河、遠江の三国が合体し、静岡市を県庁所在地にしている。静岡市は、静岡県の中心となっている。地理的にも中心となる。浜松が中心となったら、伊豆の人が困るだろう。静岡市が県都になるのは、地理的にもやむを得ないことだ。

 ボクは浜松市に住んでいるから、浜松市を中心とした生活圏があり、静岡市とは基本的に無関係である。

 わが研究会の事務局は静岡大学にあり、会合も研究会も静岡市で行っている。いちおう県内各地から人は集まるが、駿河国の人がほとんどである。駿河国の人は静岡市を中心とした生活圏で生きているのだから、それは当たり前であり、生活圏と合致しているから参加することも容易である。

 ところが浜松に住んでいると、静岡に行くというそのこと自体がひとつの決断であり、「行くぞ!」という気持ちが必要なのだ。

 最近特に感じていることを記そう。ボク自身が静岡に行く場合は、きちんとした目的をもって、その目的だけのために行き、用事が済めば帰る。しかし、駿河国の人々は、生活圏を同じくしているので、多数の線でつながる関係ができる。多数の線でつながる一定の人間関係のなかに、単線だけでつながるボクが入り込むのだが、そこでボクは、実は大いなる違和感を感じるのだ。その違和感は、行けば行くほど大きくなり、一向に小さくはならない。
 つまりボクは、どうしても「よそ者」なのである。

 やはり、静岡市に本部がある事業は、静岡周辺の人々が基本的に担うべきである。

 浜松市が、県で行っている事業(たとえば企業へ様々な補助金を支給する事業)と同様な事業を立ち上げることがある。ボクは市当局に、なぜ県が行うことと同じ事を浜松市でも行うのかを質問したことがある。当局者は、「静岡に行くのがなかなかたいへんなのです」と答えた。そのときは反発したけれども、今はその気持ちがわかる。

 静岡市やその周辺に住んでいる人にはわからないだろうが、やはり浜松から静岡に行くのはたいへんなのだ。それは地理的な問題だけではなく、生活圏の問題でもあるのだ。


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「我が軍」が始動

2015-03-25 10:54:55 | 政治
 安倍首相が自衛隊のことを「我が軍」と呼んだことは、先日このブログで報じた。メディアではこれを問題視する姿勢がないようだが、しかしこれはものすごく重要な発言だ。日本国憲法の条文そのものの否定であり、法治国家の否定である。

 さて何度も記すが、戦争とは、一定の政治目的を達成するために、「敵」とされた者やそのもつ財産(家屋やその他)を破壊することである。安倍首相の「積極的平和主義」というのは、積極的に戦争に参加して、その結果としての「平和」を獲得しようとするもので、「平和」の前に、殺戮と破壊をしなければならないのだ。

 自衛隊は、もちろんそのための組織である。だから、自衛隊員こそが殺戮と破壊をする当事者となるのであり、また同時に「敵」からは殺戮と破壊の対象となる。

 自衛隊は、その訓練を始めているという情報が、下記に記されている。

http://lite-ra.com/2015/03/post-970.html
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「法治国家」?

2015-03-24 18:22:54 | 政治
 翁長沖縄県知事が、辺野古沖での作業中止を指示し、従わない場合は、岩礁を破壊する許可を取り消すとした。それに対し、政府は翁長知事の指示に対し「法治国家」を否定するもの、と批判している。

 しかし政府に「法治国家」を云々する資格があるのだろうか。日本国憲法の平和主義を踏みにじる「集団的自衛権行使の容認」という日本国憲法に対する破壊行為を行っている政権が、翁長知事の決断を「法治国家を否定するもの」なんて言えるわけがない。

 だいたいにして、翁長知事の行動には、正当性があり、「法治国家を否定するもの」とは決して言えない。その理由を、『琉球新報』社説で説明する。

国は新基地建設に抵抗する市民を排除するため、埋め立て海域を取り囲む臨時立ち入り制限区域を設けた。その上で、埋め立てを承認した仲井真弘多前知事から昨年8月に岩礁破砕の許可を得た。
 広大な臨時制限区域を示す浮標灯を固定する重りとして、沖縄防衛局は海底に最大160キロの鋼板アンカー248個を設置したが、大型台風で120個が流出した。
 消えたアンカーの代わりにしたブロック塊の重量は10~45トン、低く見積もっても当初のアンカーの62~280倍に及ぶ。環境保全に背を向けた常軌を逸した対応だ。
 埋め立て海域とは関係ない海域で巨大なブロックがサンゴ礁を無残に押しつぶしている。「無許可行為」が確認されれば、岩礁破砕許可取り消しなどを命じることができる。知事の作業停止指示には環境破壊を防ぐ法的正当性がある。
 一方、県は臨時制限区域内で、サンゴ礁の破壊の有無を調べる立ち入り調査を申請したが、米軍は「運用上の理由」を挙げ、不許可にした。
 だが、沖縄防衛局は連日、潜水調査を実施しており、運用上の理由は成り立たない。防衛省や外務省は県の調査実現の仲介さえしようとしない。狭量な二重基準が極まっている。
 安倍政権と米軍が気脈を通わせた県排除の構図だ。日本国内の環境を守るための調査さえかなわないなら自発的な「主権喪失」と言うしかない。安倍晋三首相が国会などで連呼してきた「主権」は沖縄では存在しないかのようだ。


 安倍首相は、20日の参院予算委員会で、自衛隊を「我が軍」と呼んだ。憲法9条には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と定めている。

 これこそ、「法治国家」を否定するものではないか。憲法は、国家の最高法規である。
 
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