何度も記しているが、今回の福島原発の事故に関わって、わたしたちは、ヒロシマ・ナガサキ、第五福竜丸の事件を振り返り、日本における核問題の歴史として、きちんと位置づけなければならないと思う。ニューヨーク・タイムズの4月15日付けには「フクシマとヒロシマ」という記事があり、またザ・ネイションにも「ヒロシマからフクシマへ」(3・15)という記事がある。原発事故は、ただ単に原発事故として片付けてはならない大きな問題を抱えているのである。日本の論者にも、ヒロシマ・ナガサキに言及する者もある。たとえば『現代思想』5月号の関論文。
そして特に、第五福竜丸の事件こそ、日本の原発推進政策に関わるものとして見直されなければならない。
そこで私は今、『焼津市史』(通史編 下)を読んでいる。焼津市の歴史にとって、この事件はきわめて大きな事件である。今、フクシマが世界的に有名な地名となっているように、1954年当時、ヤイズという地名は世界に発信された。たとえば1954年10月10日のニューヨークタイムズには、久保山さんの葬儀が執行された記事が掲載されている。
だがしかし私は、該当箇所を読みながら、首をかしげざるを得ない記述を発見してしまうのだ。たとえば、まず最初に福竜丸事件の資料についての記述がある。こういう記述は、資料編かあるいは末尾にもっていったほうがよいのではないか。
「ビキニ水爆実験と第五福竜丸」の項目には、第五福竜丸とアメリカの原水爆実験(キャッスル作戦)が混然と記述されている。第五福竜丸の被災とアメリカのキャッスル作戦とは分けて記述した方がよかったのではないか。第五福竜丸の被災、続いてキャッスル作戦の説明があって、「その後第五福竜丸は3月14日・・・・」とあり、その直前の3月19日の危険区域拡大について書かれている箇所と時間が前後しているし、被災の記述がキャッスル作戦によって分断されてしまっている。
また536ページ。「焼津港の(放射能に汚染されたー引用者注)廃棄漁船数が108隻、漁獲廃棄量1万4875貫(約56㌧)である」という文の次に、行を変えて「焼津港にて放射能に汚染された漁獲物を廃棄した漁船隻数が、112隻と判明した」とあるのだ。典拠が異なることが分かるようにはなってはいるが、そうであればそう説明すべきであろう。
また「世論が支えた原水爆禁止運動」に、杉並区の署名運動の記載がないのはどうしてなのだろうか。
「事件当時の経済社会」の最初の6行目を除き、なぜこのような日本経済の状況が、「第五福竜丸事件と原水爆禁止運動」のなかに記述されなければならないのだろうか。次の項目の「原水爆禁止と平和産業の流れ」と関係する記述なのかと読み直してみても、その気配はない。そこに第五福竜丸事件が「財界の基本的立場を平和産業優先へと転換させる結果となった」とあるが、その説明はない。また「三度にわたる原水爆被害の実態を、アメリカ占領軍の支配下で国内はもとより大きく世界中に広めることは到底困難であった」という記述は誤解が生じかねない表現である。第五福竜丸事件は1954年であり、考え方はいろいろあるだろうが、「占領下」ではない。
総じて、大石又七氏の『ビキニ事件の真実』のほうが、わかりやすい。
そして特に、第五福竜丸の事件こそ、日本の原発推進政策に関わるものとして見直されなければならない。
そこで私は今、『焼津市史』(通史編 下)を読んでいる。焼津市の歴史にとって、この事件はきわめて大きな事件である。今、フクシマが世界的に有名な地名となっているように、1954年当時、ヤイズという地名は世界に発信された。たとえば1954年10月10日のニューヨークタイムズには、久保山さんの葬儀が執行された記事が掲載されている。
だがしかし私は、該当箇所を読みながら、首をかしげざるを得ない記述を発見してしまうのだ。たとえば、まず最初に福竜丸事件の資料についての記述がある。こういう記述は、資料編かあるいは末尾にもっていったほうがよいのではないか。
「ビキニ水爆実験と第五福竜丸」の項目には、第五福竜丸とアメリカの原水爆実験(キャッスル作戦)が混然と記述されている。第五福竜丸の被災とアメリカのキャッスル作戦とは分けて記述した方がよかったのではないか。第五福竜丸の被災、続いてキャッスル作戦の説明があって、「その後第五福竜丸は3月14日・・・・」とあり、その直前の3月19日の危険区域拡大について書かれている箇所と時間が前後しているし、被災の記述がキャッスル作戦によって分断されてしまっている。
また536ページ。「焼津港の(放射能に汚染されたー引用者注)廃棄漁船数が108隻、漁獲廃棄量1万4875貫(約56㌧)である」という文の次に、行を変えて「焼津港にて放射能に汚染された漁獲物を廃棄した漁船隻数が、112隻と判明した」とあるのだ。典拠が異なることが分かるようにはなってはいるが、そうであればそう説明すべきであろう。
また「世論が支えた原水爆禁止運動」に、杉並区の署名運動の記載がないのはどうしてなのだろうか。
「事件当時の経済社会」の最初の6行目を除き、なぜこのような日本経済の状況が、「第五福竜丸事件と原水爆禁止運動」のなかに記述されなければならないのだろうか。次の項目の「原水爆禁止と平和産業の流れ」と関係する記述なのかと読み直してみても、その気配はない。そこに第五福竜丸事件が「財界の基本的立場を平和産業優先へと転換させる結果となった」とあるが、その説明はない。また「三度にわたる原水爆被害の実態を、アメリカ占領軍の支配下で国内はもとより大きく世界中に広めることは到底困難であった」という記述は誤解が生じかねない表現である。第五福竜丸事件は1954年であり、考え方はいろいろあるだろうが、「占領下」ではない。
総じて、大石又七氏の『ビキニ事件の真実』のほうが、わかりやすい。