浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

ETV特集

2011-07-31 23:22:14 | 日記
 テレビを見ない私が、とにかく見るのはNHK教育の日曜日、夜10時からのETV特集である。NHKの7時のニュースなど、多くの人が見る時間の番組は、問題があることが多い。

 しかし、ETV特集だけは、安心してみていられるし、また大いに心を動かされる。

 今日は、「失われた3万冊のカルテ~陸前高田市・ゼロからの医療再生~」である。

http://www.nhk.or.jp/etv21c/file/2011/0731.html

 高齢者の多い陸前高田市の県立高田病院の震災後の取り組みをとりあげたものだ。

 石木院長はじめ、病院スタッフによる高齢者の多い地域医療はどうあるべきかを追求しているときに、大震災に見舞われ、巨大津波が病院を襲った。病院は壊滅状態になった。今までの病院では診療はできない。

 病院を失った後、石木院長はじめ病院スタッフらが(石木院長らスタッフにも家族を失った人がいる、その悲しみを乗り越えて)、困難な状況の中、一丸となって地域医療に取り組む姿が描かれていた。交通困難なところであっても、病院がないから、医療機関に行く手段がないからといって、病院スタッフがそれぞれの家庭に足を運ぶ。そして高齢者の現状を知り、医療スタッフだけでなく福祉関係の人、保健師などと連携して、地域の人々の命と健康を守ろうとする。

 本当に頭が下がる。世の中には、このように立派な人がたくさんいる。彼らは当たり前のことをしていると思っているのだろうが、その生き方そのものが、感動を呼び起こす。ありがとう。

 こういう人々を取材するETV特集のスタッフにも感謝したい。

 今では死語に近いが、「世のため人のため」という言葉が、私は好きだ。 
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東京の道路

2011-07-31 07:43:22 | 日記
 昨日、家人の退院のために東京に車で行った。東名では事故による短い渋滞が2ヶ所あったが、そんなに時間はかからなかった。しかし横浜町田インターから、反対車線は用賀料金所の先までずっと渋滞であった。都内から出ていく車の渋滞が20キロ以上だという。
 東名をでて環状八号線を北上したが、ここも渋滞。7~8年かまえにも環8を通って東北自動車道に出たことがあったが、そのときもひどく渋滞していた。

 家人を乗せて帰ろうとしたが、東名の渋滞状況は改善されていなかったので、所沢の親戚に行った。その後、関越、圏央、中央の自動車道を使い御殿場に出て、東名に入って帰宅した。このコースではまったく渋滞はなかったが、中央道の上りは渋滞。

 東京都内で自動車を持っていた場合、蔓延する渋滞により都内では普通には走れない、だから休日に東京を離れて行くのだろうかと思った。

 いつもいつも、東京は車だけではなく、人も多い。どこからこんなに湧いてくるのだろうかと思うくらいいつでも大勢の人がいる。東京に学生時代住んだこともあるし、子ども二人は東京で生活している。しかし今の私は、こんなに混雑した東京では生活できない。

 東京一極集中が、新自由主義の台頭によりさらに進んだとも言われている。東京一極のために、僻遠の地に原発をつくり送電し、事故を起こして国土の一部を住めなくした。都内の道路を渋滞で覆い尽くした。これによる経済的損失は莫大であろう。

 均衡ある国土の発展という方針は、いつのまにか政策から消えてしまっている。地方は、東京を支える構造、東京の植民地のようになっている。地方で育まれた人材は、東京へ、東京へと集まる。関西の大学を卒業した者ですら、就職は東京だ。

 地方は若い人が東京などに出て行くため人口が減り、さらに高齢化も進む。労働人口が減り、地方財政も厳しい状態だ。

 日本には地方発展の政策がなくなっている。

 
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はびこる「やらせ」

2011-07-30 22:15:37 | 日記
 原発は、このように「やらせ」を組織しないと推進できないものなのだということがはっきりした。危険な原発をそのまったく反対の「安全」に強引に持って行かなければならない原子力マフィアの方々は、どうしても無理をする。無理をしないと道理が引っ込まないのだ。道理を引っ込ませるためには、無理を承知で「やらせ」に頼る。

 それはお父さんが九州電力の社員であった佐賀県知事も同じ。「東京新聞」の記事。


佐賀知事が九電のやらせ誘発か 玄海原発の説明番組で

2011年7月30日 19時39分


 九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の説明番組をめぐる「やらせメール」問題で、同県の古川康知事は30日、番組放送数日前に九電の当時の副社長らと面会し「原発の再稼働を容認する意見を出すことが必要だ」と、番組にやらせ投稿を促すような発言をしていたことを明らかにした。

 記者会見した古川知事は「やらせを指示する意図はなかった。たくさんの人に番組を見てほしいと思って言ったが、軽率だった」と釈明。

 6月21日、副社長退任のあいさつのため副社長らが知事公舎を訪問した際、知事は「経済界には容認の声もあると聞くが表に出てこない。この機会に出すことも必要だ」と発言したという。


 次は「朝日新聞」の記事。

四電副社長、やらせ質問を黙認 シンポに出席、自ら回答関連トピックス四国電力 原子力発電所

 経済産業省原子力安全・保安院からの要請で、原子力関連のシンポジウムに社員らを動員して「やらせ質問」をさせていた四国電力(高松市)の当時の副社長(現在退職)が、やらせを黙認したのち、シンポにオブザーバーとして参加し、社員のやらせ質問に自ら答えていたことが、四電への取材でわかった。

 四電によると、同社が社員らを動員していたのは、2006年6月の伊方原発3号機(愛媛県伊方町)のプルサーマル発電をめぐる経産省主催のシンポ。四電東京支社の副支社長が06年4月、保安院の広報担当者から動員や参加者の質問を要請された。

 四電では同月27日、本社の原子力本部と伊方原発の課長級社員が協議し、要請に応えて動員や質問を社員や関連会社に働きかけることを決定した。反対意見は出なかったという。


 経産省などが行うシンポジウムは、結論ありきの形式的なもの。次は「読売新聞」の記事。

保安院やらせ要請、「ふざけるな」反発の浜岡

 国が2007年8月に静岡県御前崎市で開いた中部電力浜岡原子力発電所のプルサーマル計画に関するシンポジウムで、経済産業省原子力安全・保安院が中部電力に関係者や関連企業の社員を出席させ、会場が反対一色にならないよう質問を依頼、中部電力は「やらせ質問」を拒否していた。

 同社が内部調査結果を明らかにした29日、地元関係者から反発の声が相次いだ。

 シンポジウムは浜岡原発4号機のプルサーマル計画が国に認可されたことを受け、国の主催で地元・御前崎市で開かれ、524人が参加した。国側が審査経緯を説明した後、「プルサーマルの必要性と安全性」について専門家が議論した。

 シンポジウムに参加した御前崎市、無職伊藤実さん(70)は「反対派の自分は、手を挙げても指してもらえず、『避けられている』と感じた。国や中部電力が主催する説明会でこのようなことがよく見られるので、今更驚かない」とあきれる。さらに「良識を持っている会社に原発を運営してもらいたいが期待できない」と批判した。

 掛川市の市民団体「地震で原発だいじょうぶ?会」の代表の藤田理恵さん(54)も参加した一人。「『理解できない』と何度も質問をしたのに、最後に国の担当者は『これで一定の理解が得られたと思う』とまとめていた」と強引な運営方法への不満を語った。

 住民グループ「浜岡原発を考える静岡ネットワーク」の鈴木卓馬事務局長(71)は「国が指示していたとはひどい話だ。国は国民の意見を広く聞くべきで、国民の意見を無視するようなことを進めるのは全くけしからん」と憤り、浜岡原発から約10キロの距離にある「御前崎グランドホテル」の福田昌朋社長(56)も「ふざけるな、の一言。中部電力がその依頼を拒否したのは安心したが、指示系統のトップがそういう工作をするなんてばかなことはありえない」と語気を強めた。

 中部電力の発表を受け、御前崎市の石原茂雄市長は「開催の案内や参加者の動員はある程度理解できる」と一定の理解を示したが、「質問を作成し、地元の方に質問してもらうよう依頼することには強い違和感を覚える。国民の信頼を失墜させかねず、保安院のあり方が問われるだろう」とコメントした。掛川市の松井三郎市長も「原発に関する不信感や不安感を一層増加させたことになり、誠に残念」とのコメントを出した。

 また、県の小林佐登志・危機管理監も「保安院は安全性を守る立場なのに使命を放棄している。第三者機関としての中立性が損なわれている。経産省から早く独立させた方がいい」と厳しく指摘。中部電力に対しても、「質問を断ったのは見識のある判断だが、参加者を集めたことはあってはならない行動」と反省を促した。

(2011年7月30日12時24分 読売新聞)


 次も「読売新聞」の記事。腐臭を放つ保安院が原発の規制機関?笑わすな、ふざけるな!

保安院、四国電関係者呼び出して依頼…動員問題

 経済産業省原子力安全・保安院が、原子力発電所のプルサーマル計画に関するシンポジウムで電力会社に動員や「やらせ質問」を要請していた問題で、保安院が四国電力の関係者を呼びつけて協力を依頼していたことがわかった。

 四国電力側は、「それなりの要請」と受け止めて、動員などの計画を練っていったという。

 関係者によると、シンポ2か月前の2006年4月上旬、保安院の広報担当者(課長級)から四国電力東京支社に「シンポジウムについて保安院からお話ししたいことがある」と連絡があった。

 東京副支社長と原子力担当社員(課長級)が保安院に出向き、広報担当者から「活発に議論することが大事だ」などと頼まれたという。

(2011年7月30日14時32分 読売新聞)
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やらせ質問は経産省から

2011-07-29 18:32:07 | 日記
 原子力保安院という組織は、もう存続すべきではない。

 まず、時事通信社の配信記事。

10人が原発説明会で質問=経産省、四国電にやらせ指示

 四国電力は29日、2006年6月の国主催のプルサーマルに関する住民説明会で、同社や関連企業の社員に質問・意見を要請、質問した15人中、10人が四国電力の依頼により質問したと発表した。四国電は、説明会の運営が円滑に進められるよう経済産業省から協力を依頼された、としている。(2011/07/29-14:12)



 もうひとつは、中電、『東京新聞』の記事。経産省、保安院とも、腐臭を放っている。



保安院 「やらせ」依頼 中部電力シンポ   2011年7月29日 14時30分

 二〇〇七年八月に中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の「プルサーマルシンポジウム」が国主催で開かれ、経済産業省原子力安全・保安院が地元住民に発言させる「やらせ」の依頼があったことが二十九日、分かった。中部電力の寺田修一法務部長が同日、名古屋市の本店で会見し説明した。

 中電側は依頼を受け、本店の社員が発言の文案をいったん作成したが、「特定意見を表明するように依頼することはコンプライアンス(法令順守)上、問題がある」と最終的に依頼を拒否した。

 保安院の森山善範原子力災害対策監は同日の記者会見で、依頼について「把握していない」と述べた。

 九州電力の「やらせメール」問題など一連の問題で、国の関与が明らかになったのは初めて。シンポジウムは国による「自作自演」と批判を浴びそうだ。

 また、保安院からは、会場に空席が目立たないように参加者集めの依頼もあった。

 寺田部長は「特定の意見を表明するよう依頼することは行っていない」と説明。シンポでは、参加者による質疑で十二人が発言したが、すべて原発の安全性やプルサーマルに否定的な考えで、「当社が事前に作成した文案と類似する発言はなかった」と否定した。

 シンポへの参加依頼では、浜岡原発の関連部署に勤務する社員約七百人にメールや口頭で求めたほか、協力会社三十六社や地元住民にも幹部が訪問するなどしていたことを明らかにした。シンポには全体で約五百人の参加があり、中電からは百五十人程度が出たという。協力会社などからの参加人数は「把握していない」と明言を避けた。

 寺田部長は「任意での参加を呼び掛けたもので、強制的な方法はとっていなかった」と強調する一方、「呼び掛けは誤解を招く行為だと反省している。今後は動員についても慎重に判断したい」と陳謝した。

 九州電力の「やらせメール」問題を受け、国は電力会社に二十九日までに報告するよう指示。これを受けて中電は社内調査を進め、報告書を同日提出した。

 シンポは、中電が浜岡原発4号機でのプルサーマル計画を国が同年七月に許可したのを受け、プルサーマルの必要性や安全性への理解を求めるために開かれた。

(東京新聞)




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福島産などの野菜の放射線量

2011-07-29 07:02:18 | 日記
 基準以下なら大丈夫なのか・・・・・それぞれの野菜の基準、しかし私たちはいろいろなものを食べる。たとえば牛肉だけではない。それぞれに放射能が含まれていれば、体内被曝量は増えていく。

 さて農水省が野菜の放射能汚染について数字を出している。最近市民放射能測定所も検査結果を発表し始めた。すべての野菜に放射能が含まれている。

 http://savechild.net/archives/6045.html


 もう自分は高齢だから、廃棄する牛肉をタダでもらえないだろうかと語る人もいるが、放射能を体内に取り込むことによりいかなる事態が生ずるか、危険性があるのだから、たとえ歳をとっていても、食べない方がよいと、私は思う。
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広瀬隆・明石昇二『原発の闇を暴く』(集英社新書)

2011-07-29 06:43:51 | 日記
 『原子炉時限爆弾』(ダイヤモンド社)を刊行した後、原発事故が起きた。広瀬隆の指摘するとおりの事態が生まれた。なぜ原発は事故を起こしたか、今どうなっているのか、この事故の責任は誰が負うべきなのか、放出される放射能の危険性はどれほどなのか、げんしりょくを廃止した後の電力はどうあるべきなのか・・・・・

 本書は、広瀬隆、明石昇二の二人が、これらの問題について縦横に語り合ったものだ。マスメディアから流されてこない重要な情報、実際原発事故そのものの情報は東電などが取捨選択して出しているので分からないことが多いが、発電に関する情報はとろうと思えばとれるようだ。広瀬は、各所から、あるいは産業界から貴重な情報を入手し、原発に変わる発電のあり方について提言する。

 福島原発事故は収束のめどがたっていない、これからどうなるかもわからない。大きな余震が起きたり、あるいは溶け出した核燃料が別の動きを始めるかもしれない。今も危険な状態は続いているのであり、最悪の状態になる可能性は十分ある。原発周辺の人々は、もう生きている間には帰れない可能性もある。国土を、そこに住む人々の財産を、健康を、そして食料生産を危機に追い込んだ〈原子力マフィア〉たちの罪は重い。

 地震列島、それも活発化してきている地球の動き、フクシマだけではない原発事故の可能性。万が一、原発事故が別の場所で起きた時、日本人はこの日本には住めなくなるだろう。原発や六ヶ所村の施設は、危険なところに立地している。

 想像力を少し働かせれば、原発は即時停止し、廃炉に持って行くべきである。廃炉にしても使用済み核燃料が残り、それも冷却を続けなければならないというように、危険はなくならない。だが、これ以上廃棄物をつくらないことが必要である。

 原発にまつわる数々の「神話」が、本書によって崩される。そして現実的な方向性が示される。東電などからのマネーによって曇らされていない情報が、本書にはある。

 読むべきだ。


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石橋克彦編『原発を終わらせる』(岩波新書)

2011-07-28 06:45:20 | 日記
 フクシマの原発事故はいつ収拾するかまったく不明である。現在は放射能の放出も少なくなっているが、何らかの事情で再び高濃度の放射性物質を放出する可能性がないわけではない。

 またすでに放出された放射性物質は、何をどうしようと放射線を出し続ける。放射性セシウムは半減期が30年とはいっても、30年で半分しか減らないのだから、30年経っても放射線は放射され続ける。本書によると、放射能の影響がなくなるのは、半減期の20倍になるそうだ。そうすると600年ということになる。

 我々はどうあがこうとも、東電など原子力マフィアが金儲けを求めて「安全」を軽視することにより起こした事故のために、放射能汚染に苦しむこととなる。なぜ東電などから何の利益も得ていない我々が汚染されなければならないのか。あまりに理不尽だ。福島県でも原発からのマネーをもらっていなかった飯舘村の人々は、相対的に大きな都市と合併もせず、自力で生きていこうとした矢先にこの事故だ。ひどいのは高濃度汚染のために村を離れなければならなくなったことだ。そして福島市や郡山市、その他の地域は、高濃度の汚染があっても何の避難対策もなされていない。自分の土地に、長期間戻れないのだ。

 こういう事態になっているとき、もう我々の選択は、一つである。脱原発、これしかない。もう一カ所、同じような事故が起きたら、我が日本は終わりだ。他の原発大国、たとえばアメリカは地震が起きるところには原発はないし、フランスは地震のない国だ。地震列島である日本は、国土が狭く、逃げるところがない。電力会社など原子力マフィアなど一部の者のために、我々は自らに降りかかってくる不利益を甘受するのか。ノーだ。

 現実をしっかと見据えようとする時、脱原発に向かってどういう認識を持つべきか。本書はそれを示す。そう「原発を終わらせる」、そのために今知っておかなければならないこと、それが書かれている。

 本書はまず最初に福島原発事故について、現状分析を含めて記す、そして二つの側面から、一つは科学・技術的側面から、もうひとつは社会的側面から原発のもつ問題性を浮かび上がらせる、そして最後に「原発をどう終わらせるか」を記す。


 これから長期間、日本に住む者たちは、放射能汚染されたものを食べたりするのだ。「直ちに影響はでない」かもしれないが、後になって影響、それも悪い影響だ、それがでてくる。東京付近に住んでいる者から、食料はどうしたらよいかと問い合わせがあった。外食したりするとき、どこの野菜や牛肉がつかわれているかわからない、外食はできるだけしないことだ。これから長期間放射能とつきあっていかなければならない、だからできるかぎり体内に放射能を取り込まないことだ。ここを見よ。

http://nerima-kosodate.net/07oyakudachi/housyanou.html

 原発事故に遭遇した我々は、何としてでも脱原発を実現し、後に続く日本列島に住む人々に安心、安全を創出しなければならない。

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差別

2011-07-27 13:35:50 | 日記
 差別的な意識は、様々なかたちで存在する。こういう説明の仕方は問題ではあるが、たとえば成績の良いある生徒が、より低い生徒に対して優越意識を持つという感情。しかしこれは一過性であり、問題にすべきことではない。差別的な感情は、日常的な生活をしているなかで、生まれては消え、消えては生まれる。

 ところが、継続的に、社会的に行われる差別というものがある。これを、社会的差別と呼んでいるが、これについては背後に必ず公的権力の、差別を肯定する言説や制度がある。それがあってはじめて、人々は後ろめたさを感じずに差別的な感情を維持し、時にはそれを表出する。

 韓国などコリアンに対する差別意識は、「韓流」ドラマの浸透や韓国のミュージシャンらの活躍によって、継続的な、社会的な差別としての差別ではなくなってきているのではないか、と思っていた。

 インターネットで、日仏会館が行った国際シンポジウム「移民と国境」のレポートを読んでいたら驚くことがあった。レポートの報告者、辛淑玉(シンスゴ)は在日の3世、コンサルタント業を営んでいる。著書も多く、各方面で活躍されている。

http://www.shinsugok.com/

 さてそのレポート中に、辛さんの会社などに「朝鮮」に対する差別意識を背景にした迷惑電話などがかかってきていたが、それらは匿名であった、ところが、2000年から変わった、実名でファックスやメールで「外国人は出て行って欲しい」とはっきりというのだそうだ。堂々と、自分自身の素性を明かして「外国人は出て行け」と言うようになったという。そのきっかけは、石原都知事の「三国人発言」(「大きな災害が起きた時には三国人、これは朝鮮人に対する差別語です。三国人がまあ物騒なことを起こしかねないからその時は自衛隊が出てきて始末してくれ」(辛さんのレポートを引用)と、2000年4月陸上自衛隊練馬駐屯地での記念式典で自衛隊員に語ったもの)であるというのだ。

 東京都知事という権力機関の長が、堂々と差別発言をする。つまりコリアンに対して公然と差別することを公然と肯定したのだ。一般大衆は自信を持って、差別発言をおこなうようになったのである。

 韓流が一般的になったからといって、「朝鮮」に対する差別意識は、社会的差別として存在している。辛さんのレポートは、そのことをはっきりと教えてくれた。
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鄭甲寿『〈ワンコリア〉風雲録』(岩波ブックレット)

2011-07-27 10:15:13 | 日記
 昨日図書館で借りてきた。ブックレットなのですぐに読める。

 戦後静岡県の「在日」の問題について、文を綴らなければならない。そういうとき、ただ単に過去に起きた事実を並べるだけでは、それは歴史にはなるが、生きた歴史にはならない。どういう問題意識を持ち、どういう視覚から戦後静岡県の「在日」の問題に切り込むか、それを考えるためには、現時点での「在日」が抱える問題を共有する姿勢が求められる。

 そのために借りてきた本の一つである。

 本書は副題に「在日コリアンたちの挑戦」とあるように、日本に住むコリアンが、本国は南北に分離され対立をしているが、それだからこそ、〈ワンコリア〉をめざして何ができるのかを示したものだ。

 著者は、そういう問題意識をもって、ワンコリア・フェスティバルを開催する。1985年のことだ。しかし日本に住むコリアン、難しい問題がある。本国が南北に分断しているが故に、「在日」の組織も民団と朝鮮総連と分断され、対立をしている。それを超えて一緒に〈ワンコリア〉をめざす「祭り」を企画したのである。未来をめざしながら、「語るだけでなく歌ったり踊ったり」する「闘っているようにみえない闘い」を開始したのである。
 その歩みは、下記のHPに紹介されている。

http://hana.wwonekorea.com/ 

 新鮮な問題意識や感覚で、多くの人々に分け隔てなく向き合って運動をつくっていく、その姿はきわめて清新である。

 なぜこのような運動が必要か。それはただ単に日本にコリアンが住んでいて、そのコリアンの祖国が南北に分断され対立している、その対立が日本のコリアンにも影響を及ぼしている、というだけではない。日本に住むコリアンには、常に「差別」という問題がある。

 言うまでもなく、日本人による「差別」である。鄭はこう書く。

 「差別とは人間を優劣の関係においてとらえ、優が劣を蔑む、見下すことだと思います。もちろん、誰が優で誰が劣かは力のある者が決めるわけです。その意味で差別は権力関係でもある」と。

 差別は権力関係であって、泡のように生まれたり消えたりする差別は一過性のものであって、継続される差別、つまりコリアンに対する差別など(これを私は社会的差別と呼ぶ)は、公的権力が差別を肯定することによって社会的差別となると考えている。だから社会的差別は、まさに公的権力=「力のある者」がつくるのである。

 そういう難問を抱えながらも、フェスティバルは今も続けられている。

 「在日」の彼らは、自らの存在をよりポジティブに捉えようとしている。自らを「ディアスポラ」として、そのような存在であるからこそ、現代の世界的課題にもっとも関わることができるのではないかと。

 ポジティブにしてくれる本である。

また、ワンコリアフェスティバルというものが毎年開催されていることを知っただけでも、この本を読んだ意味があった。

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当然の対応

2011-07-26 20:24:33 | 日記
  新潟県知事が、新潟県内にある原発の再稼働はありえないと言っているという。これはNHKの報道だが、当然の対応だ。放射能汚染が全国に拡大している中、福島原発事故の原因がほとんどわからない(東電などは想定を越えた津波が襲ったから、で済まそうとしているようだが、実際は大地震により配管などが破断した可能性が強いという指摘もある)状態で稼働させるなんてありえない。当然即現在稼働している原発を停止すべきである。


新潟知事“原発再稼働は困難”

7月26日 16時41分
新潟県の泉田裕彦知事は、東京電力柏崎刈羽原子力発電所の定期検査中の原発の運転再開について、政府が実施する方針の「ストレステスト」と呼ばれる追加的な安全確認を行っても、福島第一原子力発電所の事故原因が解明されないかぎり再開は難しいという考えを示しました。

これは26日、新潟県の泉田知事が全国知事会を代表して海江田経済産業大臣を訪れたあと、記者団に対して述べたものです。この中で泉田知事は、政府が実施する方針のストレステストについて、「福島第一原発の事故を考慮に入れず、既存の知識の範囲内でテストを行っても意味がない」と述べました。そのうえで泉田知事は「やらないよりやったほうがいいという程度で、原発の事故の検証なしに運転を再開することはありえない」と述べ、定期検査中の原発の再稼働にあたっては、ストレステストでは不十分で、福島第一原発の事故の検証が欠かせないという認識を示しました。一方、泉田知事は、全国知事会を代表して海江田大臣に対して▽福島第一原発の事故を早期に収束させることや、▽事故に関する情報開示を徹底し、的確に説明することなどを要望しました。
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瀬戸内寂聴『寂聴古寺巡礼』(平凡社)

2011-07-26 14:48:55 | 日記
 午後になって雨が強くなった。窓を雨が打つ。図書館に本を返しにいこうと思っていたが、しばし雨が小降りになるまで待とうと思う。

 その間に、この『寂聴古寺巡礼』を読んだ。1994年刊行で、今は新潮文庫に入っているようだ。


 ここに紹介されているのは、京都、奈良、近江にある古寺で、行ったことがあるところがほとんどである。だから読んでいて、その寺の雰囲気が思いだされるのだ。

 京都や奈良の寺はいつも混んでいるが、石山寺を除いて近江の寺は参詣人をみることは少ない。人混みの中に古寺を訪ねることは好きではない。だから近江に行く。

 私は三井寺や延暦寺など近江の古寺が好きである。寂聴さんも近江の古寺を訪れている。寂聴さんのこの本は学ぶところが多い。

 古寺やそこにおさめられている仏像などの描写もさることながら、その寺院にまつわる歴史や文学に対する深い造詣をもった記述に感服する。

 熾烈な人生を生きてきた寂聴さんならではの見方と、それらの知識とが織り込まれ、今一度巡礼に向かいたくなる。

 この本を読むと、五木寛之の『古寺巡礼』はいけない。一冊だけ購入したが、古寺を訪問してそこで感じたことだけを書く。その記述は、寂聴さんのように歴史や古典文学についての知識を持たないで書いているので、きわめて表面的なのだ。

 京都や奈良、近江の古寺を訪ねる時、事前・事後にこの本を読むとよい。

 雨音がしなくなった。今から図書館に行こう。
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玉川しんめい『エコール・ド・パリの日本人野郎』(朝日新聞社)

2011-07-25 11:35:49 | 日記
 1989年刊行である。書棚の奥にあったものを取り出した。この秋から歴史講座を担当することになり、大正期の雰囲気を例示する材料として、本書の主人公である松尾邦之助をとりあげるためだ。

 松尾は引佐町金指(現在は浜松市)出身。金指の呉服屋の次男、中学校を出て現在の東京外大仏語科へ進み、その後長期間フランスに滞在し、フランスにいた多くの文化人(たとえば藤田嗣治ら)と交流したことなどを記したものだ。

 戦後松尾は、読売新聞の論説委員などになる。

 松尾のように、大正期に青春時代を過ごした人間が、いかに自由に生きていたか。そういう自由人はたくさんいたのだが、この地域出身の松尾や宝塚歌劇団の生みの親である白井鐵造などの生き方は、大正期を象徴的に表す。

 本書は、松尾が滞仏中に交遊した様々な人物の姿が、生前松尾と交流していた玉川の眼から活写されている。この頃の日本人は、フランス語もできないままにフランスに行き、そこで自由に、また貧しさに悩みながら生きた。その度胸に感服する。

 松尾には『無頼記者、戦後日本を撃つ』(社会評論社)がある。これもとても面白い。
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河田宏『内なる祖国 ある朝鮮人学徒兵の死』(原書房)

2011-07-25 11:15:58 | 日記
 盧龍愚(ノヨンウ)、創氏改名により河田清治少尉は、1945年5月29日、大井川の上流川根本町上空で、横浜空襲のために飛来したB-29に体当たりを行った朝鮮半島出身の軍人である。

 このことについては、以前書いたことがある。『本川根町史』に書いたものであるが、全文下記にアップしてある。

http://comrade.at.webry.info/200505/article_12.html

 この本は、盧についていろいろ記しているが、どこまでが史実に忠実であるのかよくわからない。盧と友人らとの会話もあったり、著者の想像で書かれているところも相当あると思われる。また盧の南次郎宛の手紙も引用されているが、その史料の出所についても記されていないので、後追いができない。巻末に参考資料・参考文献が掲載されているが、記述のもととなった資料の提示がないので、史実としてどれほど信用できるのか不明である。

 この本は歴史書とも言えないし、小説とも言えないきわめて中途半端な内容である。盧の体当たり事件を主題とした歴史随想とでもいえようか。

 この本は図書館で借りたが、参考文献としては掲げられるが、歴史を叙述する資料としてはつかえない。
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想定された通りの事故だった

2011-07-25 08:57:45 | 日記

 「ヤメ蚊」さんのブログに貼り付けられていたyou tubeのビデオ。原子力安全整備機構が、福島原発事故と同じような事故を想定していた。


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&;v=wwYk62WpV_s#at=45
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原発マネーにまみれた自民党

2011-07-24 15:24:30 | 日記
 この記事は記録しておかなければならない。今日の『中日新聞』(『東京新聞』)の朝刊に掲載されていた。自民党がなぜ原発を推進してきたか。その背後にはカネがある。おそらく電力各社の組織的な寄付であろう。

 このように、日本の政治は、税金とは別途に政治家たちに渡されるカネで動くのだ。私たち国民は働いて税金を納めているのだが、その税金が、原発推進政策に費消され、それらが政治家たちの懐に入っていく。


電力各社役員 個人寄付 35年前から   2011年7月24日 朝刊

 東京電力など電力九社の役員・OBらによる自民党の政治資金団体「国民政治協会」本部への個人献金問題で、電力業界の役員による寄付が遅くとも一九七六年に始まっていたことが二十三日、共同通信の調べで分かった。献金額は三十五年前から各社とも役職別でほぼ横並びが固定化していた。電力業界は七四年に企業献金の廃止を決めたが、直後に個人での対応に切り替えた形になっており、個人献金に名を借りた組織的な政治資金拠出の構図が透けて見える。

 官報や有価証券報告書から、役員の献金が最初に確認できるのは七六年。当時の官報に記載された個人献金者は十万円以上が対象で、その氏名と電力各社の当時の役員を照合した。

 その結果、九社のうち東電、中部電力、関西電力、四国電力、九州電力計五社の役員が七六年に総額で千七百五十八万円を国政協に寄付。役職別では社長が三十六万円、副社長二十四万円、取締役十万円のケースが大半で、各社ともほぼ同額だった。

 企業としての献金廃止表明から五年後の七九年から十年ごとに推移を見ると、官報に記録が残る十万円以上支出した役員の献金額の合計は七九年が千七百八十八万円で、八九年二千三百三万円、九九年三千七百五十九万円と増加の一途だった。

 九〇年代前半からは九社の役員が足並みをそろえて寄付し、組織的な対応が広がった。

 電力九社は七三年まで、国政協の前身である国民協会に企業として年間数億円を献金。この年は計四億円ちょうどで、自民党派閥の政治団体などにも計千二百八万円を寄付した。しかし、翌七四年七月の参院選で当時の田中角栄首相に対する金権政治批判が高まったのを受け、企業献金廃止が決まり、その後に個人献金へ移行した。


 またこのブログの記事も見逃せない。日本の政治はこのように腐臭を放っている。

http://igajin.blog.so-net.ne.jp/2011-07-24

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