浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

ある映画のこと

2024-12-31 19:36:08 | 日記

 今日、『さようなら!福沢諭吉』第18号が送られてきた。熱心な読者ではなく、惰性で購読しているのだが、この号に、映画「福田村事件」についての議論が紹介されていた。

 わたしは「福田村事件」をみていない。浜松市でも上映されていたがみたいとは思わなかった。予告編をネットで見て、そこに性描写があり、なぜこの事件を描くのに性描写が必要なのかと思ったからだ。要は、そういう場面を入れることにより、観客数を増やそうとしているのではないかと思った。「福田村事件」を描くに、性描写はいらない。関東大震災に関する虐殺事件を描くというとき、やはり史実をもとに忠実に描くべきだというのが、わたしの意見である。

 さて『さようなら!福沢諭吉』に、増田都子さんが「映画『福田村事件』性描写問題&趙博氏の「マンスプ」&歴史事実の改変(創作)」という文を寄せている。

 この映画について、『東京新聞』のコラム「大波小波」も性描写などを俎上にあげて批判し、また有田芳生さんも疑問を呈したことが紹介されている。それを紹介した増田さんも異和感を持った。

 しかしそれに対し、趙博さんが増田さんの批判に反批判を加えた。わたしは趙博という人を知らない。有名人らしいが、その反批判の文には、上から目線というか、謙虚さがない。増田さんの批判に、わたしは同意する。

 労働問題を研究されている熊沢誠氏の、この映画を賞賛する文も載せられているが、熊沢さんが高い評価をするとは思わなかった。

 増田・趙間の批判、反批判について言及したくはないので、これでやめるが、しかし、予告編だけをみて、わたしはこの「福田村事件」という映画について、見る価値はないと判断したことだけは記しておきたい。

 映画をどうみるかは、それぞれの主観的判断であるから、これ以上は言及しない。「大波子並」や有田さん、増田さんの意見にわたしは同意する。

 

 

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「魂の連帯」

2024-12-30 21:21:48 | 

 『ユリイカ』のハン・ガン特集号を読む。すべてを読み終えたわけではないが、そのなかで佐藤泉さんの「腐肉の愛しさ」に大きな衝撃を受けた。ハン・ガンの『少年が来る』『別れを告げない』を深く読み切っているという印象を持った。

 「人間はどうしようもなく体を持っていて、そのため恥辱を抱えて生きていかなければならない」

 これが、佐藤さんの通奏低音である。このことばで、ふたつの作品を読み解くのだ。

 魂と体(肉体)。わたしの魂は、わたしの体と共にある。しかし、その魂と体は、いつも協調しているのではない。魂がよりよき生を求めて生きんとするとき、体は魂と協調してそのように生きさせるようなことはしない。体は、魂を裏切るのだ。

 「私の意識の統御を超えて、病み、老い、死んで、腐る。私の身体は私が在ることから切り離すことはできないが、それは私の内の他者なのだ」と佐藤は書く。

 激しい拷問が襲いかかってくるとき、良き生き方をもとめる魂が苦痛に耐えようとしても、体は苦痛に耐えられない。他者としての体が暴力に耐えきれなくなり、体が体としての役割を放擲するとき、魂も体と共に消えてしまう。体と共に、魂も死ぬ。

 拷問でなくても、光州で戒厳軍の銃弾に斃れた場合でも、魂は消えていく。だが、ハン・ガンは腐っていく体、死臭を放つみずからの体を見つめる魂を描く。死後に於ても、ハン・ガンは、魂と体を融合させる。

 ハン・ガンは、みずからの体と魂を融合させるだけではなく、他者のそれとも融合させる。それは、現実に光州で起きたからだ。

 佐藤は、画家・洪成潭の経験を記す。ジャージャー麺の出前持ちの少年は、市民軍の一員として光州を守る。少年に、洪らは帰りなさいという。しかし少年は、「ぼくは生まれてはじめて人間的な待遇を受けました。それもすべての市民から。だからぼくが代わりに守らなければならないのです」、死んでも悔いはない、と。

 洪はこう書く。「私たちは本当に美しかった。光州抗争の十日間、そのコンミューンの美しい記憶だけで、私は一生幸福に生きていける」。

 「魂の連帯」。このことばを佐藤さんがつかっているわけではない。魂は、体と魂が協調しているときも、体が魂を支えることができなくなったあとでも、魂は他の魂と連帯することができる。わたしは、佐藤泉さんの文を読んで、「魂の連帯」ということを学んだ。ハン・ガンのふたつの小説は、時空を超えて、人間の魂と魂は共鳴し、魂が連帯できることを示したのだと思った。

 しかし魂は、その魂を支えていた個としての体とまったく分離しているものではない。体が体としての働きを失っても、その体に刻印された諸々のことは、魂とともにありつづける。

 光州や済州島に於て、国家権力により発動された暴力が、個々の魂と体に対して吹き荒れたのだ。

 近代に於ける朝鮮半島は、いつ終わるともなく国家の暴力が襲いかかっていた。人びとは、その暴力に魂と体を奪われていった。そうした人びとは、しかし歴史のなかで忘却されてよいわけではない。魂と体は、それぞれがもっていた個人としての尊厳を取り戻さなければならない。

 かつてそれぞれが体と魂を協調させていたこと、それを、現在魂と体を協調させている者たちが、「魂の連帯」により、呼び戻さなければならないのである。

 

 

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「態度を養う」

2024-12-30 10:12:53 | 学校・教育

 文科省が作成して学校現場を強く拘束する学習指導要領。以前はそのなかに「態度を養う」という語句が多用されていたが、最近は少なくなっているようだ。しかしわたしは、「態度を養う」という意味がわからない。

 たとえば、小学校の学習指導要領の「外国語」。そこに、「主体的に外国語を用いてコミュニケーションを図ろうとする態度を養う」とある。要するに、「主体的に外国語を用いてコミュニケーションを図」る、のではなく、それらしく振る舞えば良いということから「態度を養う」とするのだろう。「特別活動」でも、「自主的,実践的な集団活動を通して身に付けたことを生かして,集団や社会における生活及び人間関係をよりよく形成するとともに,人間としての生き方についての考えを深め,自己実現を図ろうとする態度を養う。」とある。

 日本の学校では、「それらしく振る舞うこと」が求められるのだ。つまり外面、そとづらを重視するのである。

 さて、昨日の『東京新聞』、「本音のコラム」で、前川喜平さんが「小学校~それは小さな社会~」という映画を見た感想をこう書いている。

 冒頭は、新一年生が家庭内で給食の配膳の練習をする場面。さらに教室の机を目測しながらまっすぐに並べる児童の姿が映る。新一年生の担任教師は「腕を耳に当てて」と挙手の仕方を教える。六年生の担任教師は、体育の授業の開始時刻に全員が揃わなかったことをきびしく叱る。提出物を忘れた児童にはタブレットを取り上げる罰を与える。音楽教師は、合奏の練習で暗譜してこなかった一年生を叱責する。教師は児童に「殻を破る」よう促すが、破った先に求めるのは、教師の規範意識にかなう児童像だ。教師の規範意識は確実に児童間の同調圧力になる。脱いだ上履きはかかとを揃えておくこと。係の児童は靴箱の中を点検して〇や△で評価し、タブレットで証拠写真を撮る。教室では背筋を伸ばして着席すること。係の児童は各人の座り方を点検し、正しく着席した者の名を挙げる。コロナ対策でマスクを着用すること。マスクをする児童が、マスクをしない児童を「良くないね」と言う。こうして規律正しい「良き日本人」がつくられる。ここには障害のある子も、外国ルーツの子も、性的マイノリティの子も、不登校の子も登場しない。この映画の原題は「The making of a Japanese」だ。

 「態度を養う」というのは、こういう子どもたち、日本人をつくりだすための、文科省のやりかただ。

 登校しない、できない子どもたちが増えている。あたりまえだ。こんな学校なら、行きたくもない。教師が設定する(それは、文科省ー教育委員会ー学校長へと下された命令でもある)規範に従うという「態度」なんて、クソくらえである。

 今学校では、子どもたちがおとなしくなっているそうだ。反抗精神が抑えられ、「規範」に息苦しさを感じる子どもたちが学校に行くことを拒否する。おとなしい子どもたちが教室を埋める。

 日本の未来は暗いといわざるをえない。

 

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2024-12-29 21:10:18 | 社会

 今年の1月1日、能登半島で烈しい地震が起きた。ほぼ一年経っても、被災地の復旧、復興は進んでいないという。今まで、大きな地震が起きるたびに、わたしはその現場に行っていたが、北陸には未だ行っていない。歳を重ねてしまったわたしの意志が弱くなったようだ。しかし、早く日常生活を取り戻してほしいという願いは強い。

 しかし、ニュースを見て驚いた。石川県知事の馳浩は、今年12月27日、こう語ったという。

 来年は復興元年

 えっ?来年が「復興元年」なの?では今年は何だったのか。

 北陸の被災地の復旧、復興がまったく進んでいないという。なるほど、この知事の下では、そうだろうな、と思う。

 しかし、この知事を選んだのは、石川県民である。この人が自由民主党の森喜朗の影響下にあることは周知のことだが、自由民主党という政党は、「今だけ、カネだけ、自分だけ」に徹底している政党であり、その考えに賛同している経済界などが絶大に支援されている。

 「今だけ、カネだけ、自分だけ」という精神を持ち合わせていない庶民は、もちろんこのような政党やそれに指示されている輩に票を投入するということはすべきではないのだ。しかし庶民も、そういう輩に投票し、その結果、北陸のような事態を招く。

 「今だけ、自分だけ、カネだけ」の精神に凝り固まっている人びとや政党が、庶民の生活を立て直そうなんて、考えるわけがない。

 投票行動は、しっかりみずから考えてすべきであることは、いうまでもない。

 しかし庶民は、なぜか、誤情報に躍らされたりして、投票すべきではない輩に投票する。兵庫県知事選でも、斎藤某という鉄面皮を当選させた。ネットを見ていても、質問に対してまともに応えず、顔色一つ変えない。まさしくみずからに責任が及ばないような姿勢を貫く、まさに官僚そのものである。なぜか、兵庫県民は、そういう輩に投票した。

 人間を見抜く眼をもたなければならない。顔には、その人物の半生が投影されている。顔は、その人物の「人格の陶冶」が刻まれている。

 

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2024-12-29 17:22:14 | その他

 『ユリイカ』の最新号を買った。特集は「ハン・ガン」。ハン・ガンの小説を読み、ハン・ガンという作家を理解したいと思ったからだ。

 その『ユリイカ』の巻頭に、ハン・ガンとはまったく関係のない、中村稔による「故旧哀傷・川喜多長政・かしこ夫妻」という文があり、最初にそれを読んだ。

 最初の出だしは、「川喜多長政、かしこ夫妻の容貌を思い出すと、人の容貌は天賦のものというよりそれぞれの人の人格の陶冶によってつくりだされるものだという感をふかくする。」である。

 洋画を日本に紹介し続けた川喜多夫妻、わたしは名前だけを知っているが、その顔は知らない。しかし、中村が書く容貌についての指摘は正しいと思う。

 女性の場合、若い頃美人であっても、齢をかさねるなかで美貌は衰えていく。だが美人ではなかったけれども、歳をとってから、輝くような容貌をあらわす人がいる。それは男性も同じである。

 男性の場合、「人格の陶冶」がしめる割合は大きいと思う。良い人は、良い顔となり、悪い人は悪い顔となる。ただ、ふつうの人生を生きていた人の顔については、良い顔、悪い顔を判断できるほどの差はない。

 ところが、政治家、とりわけ自由民主党や維新の政治家の顔は、ほんとうに悪い顔が多い。だから、政治的な漫画は、自民党の政治家の、その悪い顔の特徴をみごとに表現する。

 なぜ自由民主党の政治家の顔が悪いのかというと、傲慢であるからだ。政権を掌握しているから、カネは集まるし、高いポストも与えられる。能力がなくても、ただ自由民主党の議員というだけで、それらが手に入るのである。

 今までわたしは多くの学者と交流してきたが、有能な学者ほど謙虚であったということだ。「能ある鷹は爪を隠す」というように、能力ある人は、その能力をひけらかすことはしないのである。

 自民党などの保守系の政治家の多くは、みずからの能力についての自覚もなく、地位と名誉とカネを求めて立候補する。世のため、人のため、なんていう気持ちはさらさら持ち合わせてない。そういう輩が、権力と関わるようになると、能力がない輩ほど傲慢になり、それが顔に現れ、悪い顔になるのだ。

 「能なき鷹は爪を出す」のである。その爪が、悪い顔をつくりだす。

 新聞、雑誌も、そうした輩に関する記事を書く場合、その輩の写真を掲載しないでほしいと思う。見るだけでうんざりするからだ。

 

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「世界史」を読む

2024-12-28 20:07:37 | 学校・教育

 高校の教科目に「歴史総合」ができてから、いったい何年になるのだろうか。今までの世界史と日本史の近現代史が一緒にされて「歴史総合」となり、そのあとに「日本史探究」「世界史探究」を学ぶということになっている。

 この「歴史総合」について少し勉強しようと思い、岩波新書の『新しい世界史へー地球市民のための構想』(羽田正)、『世界史とは何かー「歴史実践」のために』(小川幸司)の二冊を読んだ。いずれも触発される内容であった。羽田は大学の教員、小川は長野県の高校教員である。

 羽田は、副題にあるように「地球市民」をつくりだすための世界史をつくろうという、ある種無謀な構想を抱いたものだが、新鮮な内容であった。最近、わたしも実感しているが、若い研究者のタマゴには、「なぜそのテーマを研究するのか、現代においてそのテーマを研究する意義は何か、という点について、歴史研究者は、十分自覚的でなければならない」と書くほどに、そうした自覚が感じられない。羽田は、この点について、「地球市民」意識をつくりだすための世界史を提案する。現在、ロシア・ウクライナ、パレスチナその他、世界各地で戦乱が起きているし、また気候変動が地球上の生物に危機的な状況を生みだしているから、そうした提案は、難しいけれども、取り組むべき課題であると思う。ただ、今までの世界史の研究が、それぞれの地域、国の研究に特化しているから、「地球市民」の立場から世界の歴史を構想するのはまったくもってたいへんなことだと思う。

 小川の本は、歴史教育に携わっている者には、必須の文献ではないかと思った。わたし自身もたいへん参考になったが、しかし小川はこの本を書くに当たって、また授業を展開するにあたって、厖大な文献や資料を博捜して組み立てている。歴史教育は、そうでなければならない。

 小川は、「ノートや穴埋めプリントを用意しません。教科書と生徒のタブレットパソコンに配信する資料プリントが主な教材」だと書いている。わたしも現職時代は、毎時間複数の資料プリントを用意し、それに沿った授業を行った。その資料をつくるためには、厖大な時間とカネを要した。小川がこの本を書くに当たっての文献が各章ごとに記されているが、まことに多い。しかしたくさんの文献その他を渉猟しないと、授業に効果的な、あるいは子どもの歴史認識に影響を与えることができるものは手に入らない。

 ただし、そういう教員はまれだ。ほとんどの教員は、穴埋めプリントか歴史的事項をただ書きこむだけのノート(すでに印刷されたもの)を使用し、書き入れるべき用語を書入れさせるだけの授業を行っている。いろいろな文献を読んで授業を組み立てる教員なんか、今はほとんどいないだろう。現職の頃、若い頃は別として、同僚と授業に関係する文献について話したことは一度もない。出入りしている書店主から、先生方が最近本を買わなくなったという愚痴を聞いたのはかなり前だ。

 だいたいにして、部活動の顧問をしたいから教員になったという社会科教員がかなりいた。野球などの部活動の顧問をしていたら、本を読む時間はない。

 小川は、子どもたちに問いを持たせる授業を提唱している。問いを持つことにより、より深く歴史について考えることができるはずだから。

 小川は問いを持たせるということだけではなく、有益なことを提起している。それは市民向けの歴史講座でもいかせる内容にもなっている。時にこういう本を読むと、いろいろ考えさせられる。

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巨星だったのか?

2024-12-28 09:11:52 | 社会

 今日の『中日新聞』東海本社版は、SUZUKIのトップであった鈴木修氏(以下、敬称略)が逝去したことに関する記事で埋め尽くされている。一面トップはいうまでもなく、10面、11面、16~17面、社会面(28~29面)は見開きである。同社は、号外までだした。

 このように、『中日新聞』が鈴木修について紙面を埋め尽くしたのには理由がある。SUZUKIが何らかの発表をする際には、まず『中日新聞』に報じさせ、その後に他社に報じさせるということが続いていた。その慣習は、ある記者から始まった。その記者はもう亡くなったが、わたしの仲の良い友人であり、このブログの読者でもあった。

 そのある記者について、志方一雄(編集委員)さんが書いている。彼が若い頃、鈴木修の取材に行ったときに鈴木宅の門柱に接触した、正直に弁償しますというと、それを契機に「修さんにかわいがられ」るようになったというのだ。この話について、彼から聞いたことはない。彼はもとは業界紙にいて、中途で『中日新聞』に入り、経済担当になった。彼は静岡から浜松に住居を移したが、彼の家を訪問したとき、SUZUKIのマークが入ったボールペンをもらったことがある。かなり早い段階から、鈴木修と接触していたようだ。しかし彼は「かわいがられ」たが、実力者におもねるような人物ではなかった。「かわいがられ」てしまったのである。

 わたしは、鈴木修についてなんらの感情も意見ももっていなかった。

 しかし、浜松市が周辺の市町村を「併合」して現在の浜松市となったときのことだ。わたしは、自治体が大きくなることが、決して良いことではないと考えていた。地方自治は、団体自治と住民自治によって構成されるが、広域自治体になると、住民自治は影が薄くなり、自治体行政が住民から離れていくことを危惧していたからだ。だから、知り合いの議員などに、広域合併はよくないと伝えていた。当時の市長、北脇くん(高校で一緒だったので、くんづけにする)は、その欠点を補うために、旧市町村には地域協議会を設置し、区を、静岡市のように3区ではなく、7区を設置しそこに区協議会を設け、住民自治を軽視しない姿勢を示した。その新しい浜松市が誕生したその日、鈴木修は、新聞一面をつかい、この住民自治を担保する制度に噛みついたのである。当時、鈴木修は、政令指定都市には区の設置が必須のものだという認識も持っていなかった。

 SUZUKIは、いわずとしれた、徹底的にコストを削減した経営、スズキ式生産方式を行っていた。そんな鈴木にとって、住民自治に配慮した制度はまったくムダだと思ったのだろう。

 北脇くんが市長になったのも、鈴木修にかつがれたからだ。その北脇市政に、鈴木修は浜松商工会議所をバックに強く介入を始めた。浜松市行財政改革推進審議会をつくらせ、その初代会長におさまり、市政に関してさまざまな注文を出し始めた。今は知らないが、当時市が作成した文書の宛先は、市民ではなく、その同審議会であり、審議会への回答という内容であった。あまりの強引な注文に、さすがの北脇くんも音を上げ、鈴木修と離れていった。すると、次の市長選に鈴木康友(現在は県知事)を擁立して、市長選をたたかい、康友を当選させた。したがって、康友の顔は常に鈴木修をみていた。そうしなければ落とされてしまうからだ。ちなみに、鈴木修は票を握っていて、敵対する者を落としたり、近寄ってくる者は当選させることができる。

 そして康友に、地域協議会をなくさせ、区を7から3にさせた。そして浜松市がいろいろなところに出していた補助金を廃止させ、SUZUKIをはじめとした企業への補助金へと変えていった。

 このように、鈴木修は市政に口を出して、市政を牛耳ってきた。県営浜松球場の新設計画も、鈴木修の希望である。現在浜松市には、陸上競技場と市営球場が隣り合って存在しているが、陸上競技部をもつSUZUKIは、野球場をなくして、現在の陸上競技場を規模を大きくしてつくりなおさせたいと考えていた。その希望は徐々に実現の方向に動いている。

 わたしは、SUZUKIそれ自体にはなんら関心を持っていない。SUZUKIについて、入社した労働者の離職率が高いこと(おそらく労働が過酷なのだろう)、外国人労働者をたくさんつかっていること、安価な部品しか使わないなどコスト削減を徹底させていること、くらいしか知らないし、SUZUKIの車は乗りたいとも思わない。

 ただ、鈴木修の浜松市政や県政への強引な介入に、わたしは怒りを抱いていた。少なくとも、浜松市政は、鈴木修にとって大きく歪められたという認識を持っている。

 鈴木修は、あの世で、わたしの友人と会っているのだろうか。友人が亡くなったとき(突然の死であった)、わたしは愛知県の彼の自宅を訪ね、奥さんとともに涙を流した。

 彼は最後の仕事として、SUZUKIのインド会社の歴史を書いていた。その際、歴史の書き方についていろいろ尋ねられた。その本が刊行される直前に彼は逝ってしまったから、わたしはその本がどうなっているのかは知らない。

 

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【本】三谷太一郎『日本の近代とは何であったか』(岩波新書)

2024-12-22 11:37:40 | 

 この本は二度目である。ある本を読んでいたらこの本に言及していたので、読み直した。2017年に出た本で、わたしはその年に購入している。赤線が引いてあったり付箋が貼られたりしているが、その内容についてほとんど記憶がない。最近は、よほど刺激的な内容が書かれていないと読んだ本について忘れてしまう。若い頃は、読んだ本についてどんな内容であったかその概略くらいは覚えていたのだが、最近はとみに記憶力がなくなっている。悲しいことだ。

 本書の内容は、近代史研究家としての著者が、いま日本近代をどう考えるかを綴ったものだ。じっくりと読むと、なかなか刺激的である。おそらく前回は、わたしに問題意識がなく、さらっと読みとおしただけだったのだろうと思う。本書は、新書ではあるが、なかなか現代的課題を見通しながらの、重厚な内容であると思った。

 「あとがき」には、老境に入った著者の感慨が記されている。「俊傑は老いても志は衰えない」という、著者の気持ちが書かれているが、著者80歳の頃に書かれたこの本は、まさに衰えない志を証明している。また「私は学問の発展のためには、学際的なコミュニケーションの他に、プロとアマとの交流がきわめて重要だと思います。そのためにも、「総論」(general theory)が不可欠であり、それへの貢献が「老年期の学問」の目的の一つではないかと思います」とあり、お世話になった故海野福寿先生も、晩年、最後には古代から現代までの通史を書きたいと語っていたが、それに通じることばである。

 本書は、副題に「問題史的考察」とあるように、近代日本に於ける、政党政治、資本主義、植民地帝国、天皇制に絞って考察を加えるという体裁をとっている。まず政党政治について考察したのは、著者が政党政治の研究にもっとも力を入れていたからである。四つの問題で、植民地帝国、天皇制についてもっとも教えられたが、植民地に日本の国内法が適用されなかった問題は、戦後補償にも大きな影を落としている。また天皇制に関しては、教育勅語成立史に多く紙面を割いていて、井上毅という人物の役割が詳述されている。教育勅語が、近代日本の民衆にきわめて重いものを強いたことを考えると、勅語を中心になってつくった井上というひとりの人間の存在に複雑な思いをもつ。

 とにかく、読む価値のある本である。

 

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「私は良い人間だっただろうか」

2024-12-19 19:42:14 | 

 『週刊金曜日』1月3日号が届いた。その雑誌と一緒に、一枚の紙が入っていた。『週刊金曜日』の価格改定のお知らせだった。背景には、印刷製本費の上昇がある。たしかに、紙代、インク代・・・など印刷にかかる経費が大きく上昇してきていたことは、この2013年から2023年まで11号の冊子を発行してきた経験から、よく理解できる。すべての物価が高騰している。価格改定もやむを得ないと思う。

 その一枚の紙にもうひとつ、創刊時、定期購読者が5万部あったものが、今や1万部となっているということが書かれていた。人びとは、いま、新聞を読まず、本を読まず、雑誌を読まず・・・・という、紙媒体に接することがなくなっている。人類が文明社会に入ってから、紙は大きな、大きな役割を果たしてきたにもかかわらず・・・。

 わたしが購読している『週刊金曜日』、『世界』、『地平』を読む人は、おそらく多くはないだろう。多くはない、というところに、現在の悲しい現実があるように思う。これらの雑誌には、市民として生きているなかで、知るべきこと、考えるべきこと、気付くべきこと・・・・・が書かれている。これらを栄養にして、わたしはみずからの精神を養ってきた。ほかの人びとにそれを強いるつもりはないけれども、読んで欲しいとは思う。

 なぜか。今週号の『週刊金曜日』の特集は、谷川俊太郎である。彼は11月に亡くなった。新聞でも、彼のことが紹介されていた。彼は、多くの学校の校歌を作詞していたからでもある。いくつかを調べてみたが、よい詩であった。彼の詩には、希望がある。いのちの讃歌がある。

 わたしはあまり詩を読まないのだが、今週号では、フォークシンガーの小室等が、谷川を回想していた。それがいいんだ。小室と谷川が、「プロテストソング2」というアルバムを出していた。すぐにアップルミュージックでそれをダウンロードした。いいんだな、それが。じんわりと、しみじみと、こころに響いてくる。

 そのなかで、いちばんよかったのが、これ。「風と夢」。

どこから吹いてくるのだろう

やさしい風 むごい風

どこへ吹いてゆくのだろう

風は怒り 風はほほえむ

 

傷ついた大地の上に 

風が夢を運んでくる

 

苦しみの昨日から

歓びの明日へと

 

誰のこころに住むのだろう

楽しい夢 つらい夢 

どんな未来見るのだろう

夢は実り 夢ははじける

 

よみがえる大地の上に

夢が風を巻き起こす

 

こころからこころへと 

ひとりからひとりへと

 

とりわけ紙に印刷されたものからは、気付かせられるものがある。谷川俊太郎というひとりの詩に出会わせてくれた。そして新たな発見へとつながっていく。

 このブログのテーマも、谷川の詩の一節である。『週刊金曜日』のこの特集が、谷川俊太郎という詩人を知るということへと誘ってくれた。『週刊金曜日』はよい雑誌である。

ついでに、谷川の「生きる」もすばらしい詩だ。

生きているということ
いま生きているということ
それはのどがかわくということ
木もれ陽がまぶしいということ
ふっと或るメロディを思い出すということ
くしゃみすること
あなたと手をつなぐこと

生きているということ
いま生きているということ
それはミニスカート
それはプラネタリウム
それはヨハン・シュトラウス
それはピカソ
それはアルプス
すべての美しいものに出会うということ
そして
かくされた悪を注意深くこばむこと

生きているということ
いま生きているということ
泣けるということ
笑えるということ
怒れるということ
自由ということ

生きているということ
いま生きているということ
いま遠くで犬が吠えるということ
いま地球が廻っているということ
いまどこかで産声があがるということ
いまどこかで兵士が傷つくということ
いまぶらんこがゆれているということ
いまいまが過ぎてゆくこと

生きているということ
いま生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ

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音楽座ミュージカル「ホーム」

2024-12-14 23:27:32 | 演劇

 演劇が好きだ。そしてミュージカルも。ミュージカルと言えば、音楽座である。まだまだ若い頃、音楽座のミュージカル「シャボン玉とんだ宇宙 (ソラ)までとんだ」「とってもゴースト」をみて、心から感動し、それ以来音楽座のファンになった。「マドモアゼル・モーツァル」「トリトルプリンス (星の王子さま)」なども見た。

 音楽座のミュージカルは、音楽座の創作である。音楽座のミュージカルをはじめて見たとき、ミュージカルの楽しさ、心の躍動を感じ、さらにそのなかからにじみ出る、生きるって素晴らしい、生きていこうという希望ということを感じさせてくれた。

 高校で演劇鑑賞の係をしていたとき、音楽座のミュージカルを見せたくて、2年がかりでお金をためて生徒に見せたことがある。その時見せたのは「とってもゴースト」であった。高校単独での公演は無理であったが、それを何とかして上演にこぎつけた。

 それ以降、わたしのところに音楽座のレターが送られてきていた(係を外れてからかなり経って来なくなったが)。音楽座が近くに来たら必ず見に行った。それだけ、音楽座のミュージカルは素晴らしいと思ったからだ。

 明日15日23時59分まで、このミュージカルを自由に見ることができるとのこと。ぜひ多くの方に見てもらいたい。これが日本のミュージカルだ、ということを知ってもらいたい。

 見られるのは「ホーム」である。筋の展開に、劇的な変化をもとめたせいか、この展開はどうも・・・・というところもあるが、全体として、さすが音楽座!!!というミュージカルである。

 音楽座というミュージカル劇団があること、そして音楽座がこういう素敵なミュージカルを上演しているということをぜひ知ってもらいたくて、ここに紹介する。明日15日の23時59分まで、である。2時間31分の大作である。

 音楽座ミュージカル 「ホーム」

 

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裁判のこと

2024-12-13 19:57:12 | 

 昨日届いた『週刊金曜日』(12月13日号)には、裁判所に関する記事が多かった。東京高裁の白石哲、東京地裁の村主隆行、東京高裁の相澤真木、これらの裁判長が、白石哲がすべきことをせずに(違法である)結審させたことを、村主、相澤の両裁判長もその不始末(違法)を追認したことが記されている。裁判長が違法なことを次々と追認するという、裁判所の無能ぶりを記していた。手続き法を踏みにじった行為が平然と行われたことに、わたしも呆れかえった。

 全国の医師、歯科医師による「マイナンバーカードを使った健康保険のオンライン資格確認を義務づけられるのは違法」だとして、東京地裁に訴えたのだが、裁判長・岡田幸人が請求棄却した。この訴訟は、当然原告が勝訴すると思っていたのだが。

 裁判所の位置が、行政の追認組織となっていることは、もうふつうのことになっているように思う。1970年代、極右の石田和外が最高裁の長官になってから、裁判機構をひどく右傾化させ、強権的に司法の独立を奪った。それ以降、裁判所の右傾化が続き、裁判所の本来の役割が失われていった。

 そしてそのなかでも、数少ない良心的な裁判官、上昇志向をもたない裁判官がいた。それが、西川伸一の「政治時評」で紹介した、もと裁判官・木谷明であった。

 残念ながら、どこの組織でも同じだが、良心的なそういう人間は少ない。しかし、そういうマイノリティがわたしたちの道行きを照らすのだ。

 

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日本被団協のノーベル平和賞受賞

2024-12-12 12:03:57 | 近現代史

 ノーベル平和賞を受賞した日本被団協代表の演説を聴いていたら、自然に涙がでてきた。

「核兵器は一発たりとも持ってはいけない 被爆者の心からの願い」ノーベル平和賞「日本被団協」

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【本】ハン・ガン『別れを告げない』(白水社)

2024-12-12 08:54:49 | 

 この本は、もう二日前には読み終えていた。しかしなかなか読後の気持ちを書こうとは思わなかった。

 わたしがこの本を読むなかで、何度も活字を追うのを止めて空を見つめることがしばしばであった。それだけではなく、読みはじめると、異次元の世界に入り込んだような気持ちになってしまい、現実の日常生活と『別れを告げない』の作品世界との間に、大きな懸隔があることにきづいた。何度も立ち止まり、立ち止まりつつ、やっと読み終えた。

 1948年韓国済州島では、あらんかぎりの暴虐が吹き荒れた。アメリカ軍、李承晩政権、軍隊、警察、そして右翼青年たち。国家のお墨付きを得た者たちが、次々と残酷な死を多くの人びとに強いた。

 きょうの新聞に、作者のハン・ガンのノーベル賞受賞記念講演で語られたことが記されていた。そこには、「私と肩を寄せ合いながら立っているこの人たちも、通りの向こう側の人たちも、一人一人が独自の「私」として生きている」と書かれていた。ハン・ガンらしい指摘である。

 たくさんの人びとが虐殺されるとき、それは数で表される。どこでも同じである。しかし、そこで表された数だけ、「私」があったのである。

 おそらくハン・ガンであろうこの小説の主人公キョンハは、友人のインソンとともに、済州島で虐殺された「私」を探っていく。インソンの母は、あの虐殺のまっただなかにいて、多くの血縁者、地域の人びとを殺された。インソンの母は、連行されていった兄の行方を探索していた。しかしインソンは、母が亡くなるまでそれを知らなかった。

 母も、兄もその他の人びとは、すでにこの世にはない。ならば、その「人びと」の「私」を知るためには、死後の世界に入りこむしかない。もちろん、生きている者が死の世界に入り込むことはできない、生と死のすれすれのところで、インソンもキョンハも母の行動をたどる。残された資料には、「私」に関する事項は残されている。しかし、それは「私」ではない。「私」には、怒り、悲しみ、歓びなどの感情がある。しかし資料には、「私」の感情は記されていない。母という「私」がどのように、人びとの死をたどったか、その足跡も記されていない。

 ならば、生きている者たちは、「私」を、どうして生の世界だけで知ることができよう。

 ハン・ガンは、「窮極の愛についての小説」を書いたという。愛情をもつ「私」が、亡くなった者たちの、同じく愛情を持つ「私」を掴み取るのである。掴み取らなければ、さまざまな感情を抱き、その感情を表していた亡くなった者たちの「私」は、わからないではないか。

 人間は、愛の対象でもあり、愛の主体でもある。しかしその人間が亡くなるということは、愛する、愛されるという主体・客体が同時に消えていくということである。愛によって結ばれていた人間の関係が、断たれること、それが死なのだ。

 その死が、突然、何者かの暴力によってやってくる。暴力は、人間を死に至らしめるだけではなく、愛によって結ばれていた無数の人間関係をも断つ。

 ハン・ガンは、そうした人間の死、そしてその死によって断たれた関係を、それぞれの心理の奥深くまで、静かに静かにさぐっていく。その先にあるのは、おそらく人間をつなぐ愛なのであろう。

 この小説の色は、黒と白と赤である。赤は、血の色だ。黒は木々であり、殺された人びとである。そして白は雪である。雪は、色を隠していくが、同時に、生きる者を包むものでもある。

 ハン・ガンは先のノーベル賞受賞記念の講演で、「文学を読み、書くという営みは、同じく必然的に、生を破壊する全ての行為に真っ向から対立するということです。この文学賞を受賞する意味を、暴力に真っ向から立ち向かう皆さんと分かち合いたい」と語る。

 暴力が吹き荒れる現在の世界で、「生を破壊する全ての行為に真っ向から対立する」ハン・ガンが受賞した意味は大きい。被団協のノーベル平和賞受賞と共に、その意味は大きい。

 ハン・ガンの小説は、続けて二度読まなければならない深みをもつ。もう一度、わたしも読み直さなければならない。

 なお、訳者あとがきに、1948年に済州島で起きた事件の内容が、記されている。この事件は、日本にも影響をもたらした。済州島から日本に逃れてきた人びともいた。作家の金時鐘らがそうである。

 ちなみに、この事件の背景には、日本の植民地支配があったことを認識しておかなければならない。

 

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「平成」を振り返る(6)

2024-12-11 20:40:51 | 近現代史

 先に、「何が正しくて何が間違っているかという基準がない。価値論や倫理の問題が脱落」したことを指摘した。そのなかで、虚偽がはびこり、「無知」の「無恥」が幅をきかすようになった。

〇安倍晋三~青木理『安倍三代』(朝日文庫)をもとに考える
安倍晋三は、成蹊大学法学部政治学科卒業

▲「可もなく不可もなく、どこまでも凡庸で何の変哲もないおぼっちゃま」(225)

▲ ゼミ担当教授=成蹊大学法学部・佐藤竺(あつし) 地方自治制度などの研究者
「(ゼミで)そもそも発言したのを聞いた記憶がないんですから。他のゼミ生に聞いても、みんな知らないって言うんです。彼が卒業論文に何を書いたかも「覚えていない」って佐藤先生がおっしゃっていました。「立派なやつ(卒論)は今も大切に保管してあるが、薄っぺらなのは成蹊を辞める時にすべて処分してしまった。彼の卒論は、保存してる中には含まれていない」」(255)

▲学歴詐称 「1997年成蹊大学法学部政治学科卒業、引き続いて南カリフォルニア大学政治学科に2年間留学」

▲神戸製鋼時代の安倍の上司・矢野信治(同社、もと副社長)「彼が筋金入りのライト(右派)だなんて、まったく感じませんでした。普通のいい子。あれは間違いなく後天的なものだと思います。・・・・(政界入り後)に周りに感化されたんでしょう。まるで子犬が狼の子と群れているうち、あんな風になってしまった。僕はそう思っています」(281~2)

▲宇野重昭・もと成蹊大学学長(国際政治学)「・・彼を取り巻いているいろいろな人々、ブレーン、その中には私が知っている人もいますが、保守政党の中に入って右寄りの友人や側近、ブレーンがどんどん出来ていったのも大きかったのでしょう。彼の場合、気の合った仲間をつくり、その仲間内では親しくするけれど、仲間内でまとまってしまう。情念の同じ人とは通じ合うけれど、その結果、ある意味で孤立していると思います。・・・・彼ら(自民党)の保守は「なんとなく保守」で、ナショナリズムばかりを押し出しますが、現代日本にあるべき保守とは何か。民衆は生活のことを第一に考える穏健の保守を望んでいる層が大半でしょう。自民党がもっとまともな保守に戻って、そうした民衆の想いを引っ張っていってほしい。」(302~305)

▲2013年3月29日(問)「総理、芦部信喜さんという憲法学者、ご存知ですか?」(答)「私は憲法学の権威ではございませんので、存じ上げておりません」

◎まっさらな「白紙」(無知)状態で、政治家になって後、「仲間」からいろいろなこと(情報)を受け容れていった。今まで蓄積された「知」を持っていないが故(無知)に、また仲間から受容した「知」しかないが故に、さらに「仲間」と思う人だけを信じて共に行動することが当たり前となった。そしてそうした自分自身に羞恥心をもたない(「無恥」)。


◎国のトップに準じて、人々は「知」を蔑視ないし無視するようになった。そしてそれを恥ずかしいことだと思うこともなくなった。

 

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『現代思想』12月号 「田中美津とウーマンリブの時代」

2024-12-11 19:49:08 | 

 『現代思想』12月号、特集は、「田中美津とウーマンリブの時代」である。

 田中美津という名前は、若い頃から知ってはいたが、彼女の本は一冊も読んでこなかった。同じ時代の空気を吸っていたのに、要するに関心がなかったということである。

 その田中美津さんが亡くなった。そこで、『現代思想』が特集を組んだというわけだ。同時代に生きた、とはいっても当時でもかなり上の年令であったが、その名は知っていたし、彼女が始めたウーマンリブの運動については、その関係の雑誌記事は読んだことがあった。

 『現代思想』が田中美津の特集をするというので、田中美津とは何だったのかを知りたくて購入し、読んだ。

 田中美津のインタビューが、あった。それを見ていて、田中美津は、悩み、深い思考をへてたどり着いた彼女なりの論理があり、それが普遍性をもった内容として存在することを知った。だから、田中美津は振り返られるのである。

 さまざまな人びとが田中美津を論じているのが、『現代思想』12月号である。それを読んで、田中美津を通じていろいろなことを知った。

 人間はいろいろな矛盾を抱えて生きている。矛盾の中で、あるべきこととあるべきではないことが発見されるのだが、通常は、あるべきことを取り出し、あるべきではないことを捨て去ることを試みるのだが、田中美津はその矛盾を抱えて生きることから出発することを主張する。

 田中美津が主張したことには、もちろん多くの論点があるが、「今、生きている」、これこそがすべてだという主張に、わたしは感動を持った。

 いろいろ書きたいことはあるが、本書を読んで、ウーマンリブ運動の先駆けだった人間の、その体験などに基づいた創造的な思想に、刺激を受けた。

 やはりすごい人だ。

 

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