和田大仏地区は、須賀川市役所の南東約3kmのところ
県道63号線を南東へ、南に向きが変わると間も無く国道118号線との交差点です
標識に従って信号を左(空港)へ県道63号線で約900m側道に入り県道の下へ
阿武隈川を渡る大仏大橋の下に車を止めさせて頂きました
橋の下から東側に目的地の和田大仏及び横穴墓群が有ります
南側から大仏への参道です
参道右手に目的のサワラです
南西側から、目通り幹囲4.9mの大木です
西側から
北側から
左手にもサワラとイチョウの大木です
東側から
北側から
参道を進みます
和田大仏(摩崖仏)です
説明版です
市指定史跡
和田大仏及び横穴墓群
指定年月日 昭和44年5月30日
所在地 須賀川市大字和田字大仏
所有者 和田区
この大仏は、横穴古墳群が築造されていた崖面に彫り込まれた鎌倉時代の摩崖仏で、高さ約3.6mの大日如来(一説には阿弥陀如来)坐像です。
伝説によると大仏は、大同3年(808)、弘法大師が諸国行脚のときに、この崖面に三鈷(杵の形をして両端にわん曲して分岐した三本の矛がついた金銅製の仏具)をもって彫ったと伝えられています。
現在、大仏の乳部がえぐられていますが、昔、乳不足の婦女子が大仏の乳部を削って飲むと母乳の出がよくなるとの信仰からで、当時、人々の生活に密接なかかわりをもっていたことがうかがわれます。
この付近一帯は、古墳時代、石背の国の中心地であったらしく、たくさんの古墳が点在しており、大仏の彫られた崖面にも数十基の横穴古墳が築造されています。これらは、阿武隈川流域を中心に支配していた豪族の墓跡と考えられています。
昭和63年5月12日建立
須賀川市教育委員会
では、次へ行きましょう
県道63号線を南東へ、南に向きが変わると間も無く国道118号線との交差点です
標識に従って信号を左(空港)へ県道63号線で約900m側道に入り県道の下へ
阿武隈川を渡る大仏大橋の下に車を止めさせて頂きました
橋の下から東側に目的地の和田大仏及び横穴墓群が有ります
南側から大仏への参道です
参道右手に目的のサワラです
南西側から、目通り幹囲4.9mの大木です
西側から
北側から
左手にもサワラとイチョウの大木です
東側から
北側から
参道を進みます
和田大仏(摩崖仏)です
説明版です
市指定史跡
和田大仏及び横穴墓群
指定年月日 昭和44年5月30日
所在地 須賀川市大字和田字大仏
所有者 和田区
この大仏は、横穴古墳群が築造されていた崖面に彫り込まれた鎌倉時代の摩崖仏で、高さ約3.6mの大日如来(一説には阿弥陀如来)坐像です。
伝説によると大仏は、大同3年(808)、弘法大師が諸国行脚のときに、この崖面に三鈷(杵の形をして両端にわん曲して分岐した三本の矛がついた金銅製の仏具)をもって彫ったと伝えられています。
現在、大仏の乳部がえぐられていますが、昔、乳不足の婦女子が大仏の乳部を削って飲むと母乳の出がよくなるとの信仰からで、当時、人々の生活に密接なかかわりをもっていたことがうかがわれます。
この付近一帯は、古墳時代、石背の国の中心地であったらしく、たくさんの古墳が点在しており、大仏の彫られた崖面にも数十基の横穴古墳が築造されています。これらは、阿武隈川流域を中心に支配していた豪族の墓跡と考えられています。
昭和63年5月12日建立
須賀川市教育委員会
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