ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

福島県楢葉町、上小塙柴坂 「大滝神社のじい杉・ばあ杉」(町指定)です!!

2022-12-17 18:35:18 | 巨樹・大木
 上小塙柴坂地区は、楢葉町役場の西約7kmのところ

 楢葉町役場前から国道6号線を越えて県道250号線を西へ進みます

 常磐自動車道の高架を潜り、楢葉スマートインター入口を過ぎると県道は南を向きます

 木戸川を大滝橋で渡って直ぐを右(西)へ入ります、採石場の脇を通って道成りに進むとT字路です

 ここを左(南)へ、間も無く木戸川ダムの案内板に従って右(北西)へ

 牧場の所で、また案内板に従って左(北西)へ、道成りに進んで第一駐車場(木戸川渓谷歩きにはこちらから)前を過ぎて間も無く
 

 第二駐車場の所に鳥居が見えました

 大滝神社です

 大滝神社の浜下り行事の石碑です

 駐車場脇の説明版です
 楢葉町指定文化財
   大滝神社のじい杉・ばあ杉
 ■目通り5.3m、5.1m、樹高37m
 ■樹齢 約1000年(推定)
 ■所有者 大滝神社
 ■指定年月日 昭和49年9月20日
   (昭和58年2月17日 福島県 緑の文化財指定)
      昭和58年3月設置
 *板面にいたずら書きがあるのはイケませんね


 鳥居を潜って向かいましょう

 すぐに下りの参道は右に「大滝神社のじい杉・ばあ杉」を示しています

 右へトラバース気味に進みます

 モミの大木です

 折り返して進みます

 また折り返します

 案内板があります、ここは左です

 右手の一段下がった所に大きな杉が見えました

 少し下ると、目的のぢい杉・ばあ杉です、一本は後ろ側に隠れています

 天然記念物標柱です

 説明版です
 楢葉町指定天然記念物
   大滝神社のじい杉・ばあ杉
 樹齢(推)1200年、幹周り(左)5.5m、(右)5.1m、指定年月日 昭和49年9月20日
由来
 そのむかし、紀州熊野山の那智麻呂という行者がカラスを道案内に本宮から熊野の神霊を奉じ、鎮座の地を求めて海路北上してきた。木戸川の河口にさしかかった時、那智麻呂はこの川の上流に縁があることを直感し、村人を道案内に立てて木戸川をさかのぼり、雄滝・雌滝のある所を神地と定め、ここに大滝神社として祀った。
 那智麻呂がこの時携えていた杖を地面にさしたところ、芽を吹き、根を張り大きな杉に成長した。これが大滝神社の境内にそびえる「じいスギ、ばあスギ」といわれる。
  楢葉町教育委員会
   平成21年11月設置
*駐車場の説明版設置から約30年の間に、左と表記されている「じいスギ」が20cm大きくなっていますが「ばあスギ」の方は大きくなっていようですね~

 「じいスギ」です

 南東側から二本を見ました

 東側から

 「ばあスギ」です

 北東側から

 木戸川に流れ落ちる「布滝」が見えました、参道へ戻りましょう

 説明版の左手(西側)から二本を見ました

 一段下がった西側から

 崖際によって見上げました

 参道に戻って見ました

 布滝の案内板です

 布滝が良く見えました

 案内板の西側参道から、河原に降りることもできます

 大滝神社拝殿です

 本殿です

本殿裏側の観瀑台から「雄滝」を見ました、「雌滝」は左の岩の陰になっています

 「雄滝」をズームアップしてみました
 
 案内図です、河原に降りると「雌滝」も見えるようでしたが・・・

 では、次へ行きましょう
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福島県楢葉町、下小塙風呂内「広徳院(高斉寺)の大公孫樹」(町指定)です!!

2022-12-17 06:41:29 | 巨樹・大木
 下小塙風呂内地区は、楢葉町役場の南南西約2kmのところ

 国道6号線を南へ、木戸川を越えた大木信号を右(西)へ

 直ぐに斜め左(南西)へ進み次の変形十字路を右斜めに登って行くと.

 高徳院高斉が右手に見えて来ます、向かい側に駐車場が有りますので利用させて頂きました

 山門の仁王門です

 真言宗 智山派 法樹山 広徳院 高斉寺です

 福島八十八ヶ所第四拾四番札所です

 山門を潜ると直ぐ左に目的の大イチョウです

 南側から

 説明版です
  楢葉町指定文化財 天然記念物
    高徳院の大公孫樹(イチョウ)
 ■目通り6.1m、樹高29m
 ■樹齢 850年(推定)
 ■所有者 高徳院
 ■指定年月日 昭和49年9月20日(昭和58年2月27日福島県 緑の文化財指定)
    昭和58年3月設置 楢葉町教育委員会

 西側から

 北側から

 北側には大きな傷が有ります、中を覗くと根のようなものが伸びています

 東側から見上げました

 参道右手に手水舎です

 左手には稲荷社のようです、前の石塔には〇〇稲荷社の文字が読み取れます

 子安観音堂です

 説明石碑です
  法樹山沿革
 當山は平安朝の末、久安6年(1151年)藤原清衡の娘徳姫が磐城則道のもとへ嫁ぎし時、森閑とした山谷の霊気にいたく感動され、その発願により鏡意上人開基となり、此の地に一寺を建立し徳姫の一字をとって廣徳院と名付け、以来密乗論議の談林ととして七堂伽藍の甍が並び、門葉集合して寺門隆盛を極めたと傳えられる。
 しかし元亀元年相馬岩城氏のたたかいの兵火は一朝にして灰燼に帰し、傳承の什物古記録を烏有に帰す。
 くだって徳川時代に入り磐城平藩主の外護を受け、寺領30石を有したが、地方政治の變遷時流の推移量り難く、寺門の隆衰またのがれられず、安政3年の野火の大火は、平藩主内藤風山公寄進の秘佛本尊聖観音菩薩を残し、残存の遺構悉く類焼せしめ、800年の夢を眠りの中に没せり。
 爾来法燈衰微の一途をたどりしも、昭和29年本堂を再建し萬古の眠りを覚ます。ここに法灯恵命を点じて寺門の興隆を見るに至る。
 昭和49年より5ヶ年計画にて内陣整備事業
 昭和55年本堂屋根銅板葺替工事並庭園の整備
 昭和59年御遠忌事業として當の大計を画して聖天堂の再建
 平成元年3月仁王門並仁王尊像の再建に着手檀信徒の絶大なる協賛を得て工事順調に進捗し、平成2年7月完成に至る
 平成2年9月真言宗智山派管長大僧正藤井龍心倪下御親修のもと本尊の威光倍増を祈り落成慶讃入佛大法会を修す
 仰ぎ願わくは本尊の誓願を廻らし哀愍納受し當山の興隆発展と檀信徒の諸願悉く成就せしめ給わんことを
   平成2年9月吉日
     法樹山廣徳院高斎寺第32世 島 秀隆 敬白

 弁財天堂です

 本堂は、屋根の工事中でした

 本堂前から大イチョウを見ました

 帰り際に駐車場から境内の大イチョウを見ました

 では、次へ行きましょう
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