ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県色麻町、四竈町「伊達神社(いだてじんじゃ)のイチョウ」です!!

2023-05-16 18:30:02 | 巨樹・大木
 四竈町は、色麻町役場のすぐ南東側です、約500mの花川の畔です

 県道156号線を南へ、伊達神社に西からの入り口を入り損ねて、花川橋手前から境内へ入りました

 南向き参道の境内は駐車場になっています

 一ノ鳥居です

 手水舎です

 文化財標柱です、ここも古墳の上に神社があります、文面には・・・伊達神社、延暦年間坂上田村麻呂の蝦夷征討の際勧請された、延喜式神名帳に「色麻郡伊達神社」とある由緒ある神社である。
 また、播磨国飾麻郡「射楯兵主神社」と関わりがあるともいわれている。
 御山古墳、伊達神社の建つ小山が御山古墳である。直径約50m、高さ約6m、の古墳で、2段築造と考えられる。
 古墳時代中期の古墳といわれており、多くの円筒埴輪が見つかっている。
 *射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)は兵庫県姫路市総社本町190番地、姫路城の中曲輪の位置(姫路城天守の南東側約500mに鎮座します播磨国総社です。
  祭神は、射楯大神(五十猛尊)兵主大神(伊和大神、大国主命)の2柱。摂社7社、末社は12社合殿の12社の外に6社があるようですが、伊達神社との関係は分かりませんでしが。一説には、この地にやってきた播磨国飾磨郡付近に住んでいた人々が、飾磨郡伊達の射楯兵主神社から射楯大神(伊達神社の主祭神の一柱の五十孟神)を勧請したともいうそうです。
 *伊達神社と前に投稿させて頂いた鹿島神社、そして宇伎須神社 (加美町下新田)と合わせて「色麻古社三社」と呼ばれます。
 *御山古墳は、鹿島神社古墳(円墳:直径30m)の二回り大きい古墳です。

 随身門です

 随身門の北側には、イチイの幹が保存されています、高木家の庭木でしたが、平成13年(2001)1月4日に豪雪のため倒木、樹齢は550年だったそうです。

 上り口左手にはスギの大木です

 石段を上がります

 拝殿前境内のニノ鳥居です

 境内右手に目的のイチョウです

 西側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 北側から

 東側から、多くの乳柱を見る事ができました

 鐘楼です

 拝殿です

 本殿です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午後4時20分訪問です
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宮城県加美町、赤塚八番「鹿島神社の神木・杉」(市指定)です!!

2023-05-16 12:30:26 | 巨樹・大木
 赤塚八番地区は、加美町役場の南南東約2kmのところ

 加美町役場前から東へ花楽小路へ出て南へ進みます

 花楽小路は鍵の手に曲がって更に南へ、鳴瀬川の土手道へ出ます

 川沿いを南東へ、国道457号線の信号を超えると土手道は県道157号線です

 約800mで、「鎮守 鹿島神社入口」の案内板が有りますので左(東)へ降ります

 左手に鹿島神社参道の鳥居です

 すぐ先に広い参拝者用駐車場がありますので車を止めさせて頂きました

 村社 鹿島神社です

 参道を進みます

 参道右手に鐘楼です

 手水舎です

 説明版です
   鹿島神社沿革史
  鎮座地 加美町赤塚八番の14番地
  境内地 2185坪
  祭神  武甕槌大神
  本殿  神明造承応3年(1654)9月建立
  拝殿  流造り天和3年(1683)9月建立
  長床  明治31年本間半右衛門修復寄進
  神紋  九曜(別紋立三引)
 延暦年中征夷大将軍坂上田村麿東征の砌、奥州一之宮塩釜神社左宮を勧請して、四日市場南元宿囲小松塚の地を卜として創建され、千葉家遠祖、千葉大膳川瀬清久をして奉斎せしめられ。
 下って大崎伊達累代の尊崇殊に篤く、大崎の祖家兼の貞和4年、千葉家27代大膳久基を社家として初めて神事を行い、毎年9月9日湯立ての儀あり、翌10日には宮城郡松ケ浜に神輿を下し、海水煙潔し還日して鏑流の式あり盛大に祭礼を行うを例とした。
 越えて寛永17年(1640)御竿入の際、鳴瀬川の水路移動による水難を阻れて現地に遷座し、中新田・四日市場・雑式目・上狼塚・下狼塚・城生・羽場・菜切谷の八邑の鎮守の神として齊き祀り
 明治5年村社に列し明治43年7月神明社・田川稲荷・八幡社の三社を合祀、昭和29年の町村合併を記念し神鐘を奉献、鐘楼を改築献納、33年5月幣殿を拡張新築、40年5月社務所竣工、46年神殿・長床の屋根を大改造した、47年8月参道の舗装工事、50年10月丸か株式会社より奉納せられる要石を古事来歴により奉祀す、平成15年5月10日宮司神明奉仕50年記念として大鳥居修複、同18年5月10日遠藤石材より昭和天皇御製碑を奉納せらる。
    平成19年5月10日  千葉家52世 宮司 千葉文雄 敬白


 随身門です

 鹿島神社古墳の標柱です神社社殿の建つ高まりは古墳で、裏面には・・・古墳時代に造られた円墳である。直径約30m、高さ約4mあり、円墳としては、大崎地方でも有数の規模である。墳丘からは埴輪が採取されている。

 随身門を潜ってもう一段上に拝殿です

 本殿です


 本殿西側のスギの大木です

 南西側から見ました、目通り幹囲3.5m(目測)ほどなので、目的のスギでは有りません

 境内には神馬堂と境内社です、神馬堂には白馬が居ます

 墳丘の西側に「要石」が有るよですので行ってみました

 境内社です

 要石です、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮にも要石が有りますね

 説明版です
   「要石」を祀る由来
 要石は「建御之男神(たけみかづちのおのかみ)」の象徴として国家鎮護の石剣として祀る。
 要石は国を鎮める意想で日本をとりまく「リュウ」を鎮める石剣とされる。
 龍は海水を表徴する日本をとりまく「リュウ」が転化してナマズ(鯰)になった、地震は地下にもぐった鯰の寝がえりだとされて、この要石は地震ナマズを永遠におさえていると言う信仰を生んだ。
 鹿島神社には要石が祀られているから、昔からこの地方には大きな災害がないと語り伝えられている。
   ゆるげども よもや抜けじの 要石 鹿島の神よ あらん限りは
 これは要石に鹿島の大神が降臨して守護っているから、日本の国土はぐらぐらしないと云う意である。
 要石は鹿島神社以外の神社には祀られていない。
 此の要石は、昭和48年故事来歴により、丸か建設様より奉納された「約10t」の要石で、往古の要石と共に祀る。
 故に今年は天皇陛下御在位満60年を記念して、御影石をもって要石の玉垣を建立す。
    昭和61年10月10日
    千葉家52世 鹿島神社宮司 千葉文雄 敬白

 稲荷堂です、中には沢山の狐の置物が並んでいます

 墳丘西側下に目的の大杉です

 天然記念物標柱です、裏側文面には・・・鹿島神社の神木である杉は二本あったが、拝殿右手前の神木は平成22年9月6日、ダウンバーストとみられる突風により倒れた。
 幹周りが5.4m、高さ約30m、樹齢はおよそ340年と推定した。
 現存している神木は拝殿左奥にあり、幹周りが4.5m、高さ約30mある。
 昭和53年3月31日指定。

 南側から見上げました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午後4時10分訪問です
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宮城県登米市、南方町尼池「宗恵寺のイチョウ」(市指定)です!!

2023-05-16 06:30:26 | 巨樹・大木
 南方町尼池地区は、登米市役所南方総合支所の西約4kmのところ

 登米市役所南方総合支所から県道1号線を南西へ、道成りに進みます

 約4kmで標識に従って「市内⇒」右(北北西)方向へ

 約500mで登米市立西郷小学校前の信号の手前を斜め左へ

 坂道を上ると間も無く右手に宗恵寺の駐車場があります

 曹洞宗 日秋山 宗恵寺(そうえいじ)参道です

 参道石段の右手に目的のイチョウです

 大枝は伐り払われてしまっています
 
 西側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 北側から

 手水舎と鐘楼です、鐘楼は鍾桜堂と呼ばれています

 奥行七間半、表面九間半、五五坪二合五勺 安政四年(1857年)に建築されたと伝えられる本堂です

 本堂前から

 お地蔵様です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午後2時20分訪問です
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宮城県大崎市、田尻大嶺薬師「小松寺・薬師の乳イチョウ」(県指定)です!! 

2023-05-15 18:29:52 | 巨樹・大木
 田尻大嶺薬師地区は、大崎市役所の北東約6kmのところ

 大崎市役所の北側の「道の駅おおさき」前から国道108号線を北西へ

 約1kmの古川上古川信号を右(北東)へ国道4号線です

 約5kmの「田尻⇒」への標識に従って信号を右(東)へ

 道成りに2.6km進むと「八幡寺⇐700m」の看板を左(北東)へ入ります

 約400mで一時停止の三叉路を右(南東)へ

 約200mで「田尻町第9行政区大嶺第3区案内板」の有る所を左へ

 坂道を登る様に進み

 左に曲がると右手に小松寺参道へ脇からの入り口です、薬師山柵跡の標柱が立ちます

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 正面に「薬師の大イチョウ」です、道路は田尻町水道タンクへの道路です

 「県指定天然記念物 薬師の乳イチョウ」の標柱です、平成12年10月に整備事業が行われたようです

 南側から

 南東側から、目通り幹囲8.2mの巨木です

 東側から、名前の乳イチョウと呼ばれる割には「乳柱」の数は少ないようです

 北東側から

 北側から見ました

 薬師堂へ行って見ましょう

 小松寺薬師堂です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午後1時45分訪問です
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宮城県大崎市、田尻八幡御殿坂「大崎八幡神社の馬形杉」(市指定)です!!

2023-05-15 12:32:23 | 巨樹・大木
 田尻八幡御殿坂地区は、大崎市役所の北東約6kmのところ

 大崎市役所の北側の「道の駅おおさき」前から国道108号線を北西へ

 約1kmの古川上古川信号を右(北東)へ国道4号線です

 約5kmの「田尻⇒」への標識に従って信号を右(東)へ

 道成りに2.6km進むと「八幡寺⇐700m」の看板を左(北東)へ入ります

 約400mで一時停止の三叉路を左(北)へ、約200mの十字路を左(西)へ

 更に約200mを右(北)へ入ると大崎はちまん神社の参道が南向きに開いています

 参道入口です
 
 参道入口前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 本宗 大崎八幡神社です
 *本宗とは、神社本庁が伊勢の神宮(一般的には伊勢神宮:内宮・外宮)を「本宗」と仰ぐ、日本固有の信仰である神道のことです。
 全国8万社の神社を包括する組織として神社本庁が昭和21年に設立されました。

 長い石段です

 石段には杉の大木が並びます

 石段の左に注連縄を巻かれた大きな幹が見えて来ました

 御神木です、目的の「馬形杉」のようです

 まさしく馬の体の様に見えます、石段に掛った根が左前脚、参道斜面側に右前脚のようですね

 天然記念物「馬形杉」の標柱です、文面には・・・地上1mで太さ7m、樹高38m、町内最大の杉の大木で、樹勢旺盛、根元が馬の臀部、後足、尻尾に似る、御神木として保護する。

 石段の少し上側から、たしかに臀部に左後脚と尻尾の造形です

 石段を更に上がりましょう

 上側から見ました

 手水舎です

 拝殿前から参道を見ました

 西側の木々の中に石祠が見えました 

 拝殿です


 本殿です


 社殿西側に境内社です
 

 西側の作業用道路を下りました

 西側から馬型杉を見ました

 西側から下側の大杉です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午後1時25分訪問です
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宮城県大崎市、古川小野宮前「表刀(うえとの)神社・弁天様の大杉」(市指定)です!!

2023-05-15 06:30:09 | 巨樹・大木
 古川小野宮前地区は、大崎市役所の北北東約8kmのところ

 大崎市役所の北側の「道の駅おおさき」前から国道108号線を北西へ

 約1kmの古川上古川信号を右(北東)へ国道4号線です

 約5.2kmの羽黒信号を右(東)へ、道成りに進んで東北新幹線の高架を過ぎて約200m

 表刀神社の案内板が有ります、ここを左(北)へ

 道は北へ進んで直角に左へ曲がり、新幹線の高架をまた潜り、すぐ先を右(北)へ

 正面に表刀神社の樹叢が見えて来ます

 道路突き当りに駐車スペースが在ります

 南側道路沿いには井戸の様です

 南西側に境内入口です

 説明版です
   表刀神社
 表刀神社(うえとのじんじゃ)の創建は古く記録では、奈良時代の天平神護年間(765~766)ころと伝えられ、延喜式内社奥州100座の一つと言われ、12の末社があったという。
 祭神は、伊邪那美命(いざなみのみこと)の外に須佐之男命(すさのおのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)である。
 又戦国時代末期、時の奥州探題、大崎義隆公が社殿修復の時、同時に弁財天を祀ったといい、今は通称弁天様ともいう。
 周辺は昔、千枝湖(ちえのみずうみ)という入りくんだ湖沼で
  古歌・・・みちのくの 華嶋山に 陰(かげ)落ちて 木末(こずえ)の魚の のぼるとぞ見ゆ(読み人知らず)・・・にあるとおりであった。付近一帯を弁天埼という。
 昭和23年(1948)9月アイオン台風で蝦沢堤が(国道4号線)が決壊した時は沼田一面冠水し往昔の千枝湖再現の観があったが萱刈潜穴の改修により一面美田と化した。
 明治44年八雲神社、羽黒神社を合祀した。
 祭日は9月25日、社殿南方入口の笠松、東南の大杉は古川市指定の天然記念物だったが、笠松(赤松)は虫害で枯れた。大杉は今も樹勢旺盛で市内最大の巨木である。
 神徳神威は五穀豊穣、商売繫盛、健康安全、夫婦円満、子孫繁栄、交通安全、学芸上達、国家安泰、武運長久、大願成就に霊験ありという。
   姉歯景孝 撰文


 昭和28年6月の表刀神社造営記念碑です(現社殿か)

 大地創造(圃場整備事業)の石碑です
    大地創造   古川市長 大衝照夫 書
 古川市の北東部に位するこの小野地域は、その昔千枝の湖と称せられ、寛永時代100ヘクタール余の沼地を干拓した耕地であり、別名沼田とも呼ばれていた。
 呼び名の如く、沼特有の低湿地と未整理の水田で、農道、用排水路等は、殆どなく、幹線的な排水路は、蛇行甚だしく常習冠水地帯であった。用水に致っては、遠く藩政時代しのままの田越し灌漑を余儀なくされ、農作業は云うに及ばず農業経営上多大の支障をきたしていた。
 時あたかも、本地域の中央部を東北新幹線が南北に建設されえることが確定したことから、耕地、道水路の分断など、土地条件が益々悪化の度を加えることが予想された。
 こうした事情から、地域関係農家は、長年の願望であった未整理水田の解消と併せて、土地条件の整備改善を一挙に図るため、国県の諸施策について、鋭意検討、模索していたところ、昭和47年国策として、東北新幹線建設関連農林業対策事業が制定された。
 直ちに市の技術援助を請い、計画立案に着手すると共に、本改良区役職員共々趣旨の啓蒙普及に務めた結果、組合員の賛同を得、昭和47年を計画年次、昭和48年から同51年を実施年次とし、組合員150戸、受益面積114ヘクタールにおよぶ圃場整備事業計画を策定し、県当局に申請、昭和48年5月14日事業認可を受け、同年10月本格的事業に着手した。
 依頼4ヶ年役職員の日夜をいとわざる献身的活躍と関係者のたゆみない努力が功を奏し、昭和52年3月総事業費356,833,000円をもって、道路、用排水路の完備した近代的圃場が見事完成するに至った。
 長い間厳しい自然とたたかい、幾多の苦難を克服した地域農業関係者が、その喜びと感激を忘れることなく手に手を携え、この美田化した母なる大地に、あまねく慈しみがゆきわたるであろう。
   古川萱刈土地改良区 理事長 大衝照夫 撰
     昭和52年3月
 *農業経営者にとって土地改良(耕地整理・圃場整備)は、この時代からのトラクターやコンバイン等の大型機械の導入の為には欠かせないことになりますね

 鳥居です、石鳥居と赤い鳥居が三基連続しています

 鳥居前から境内東端よりに目的の大杉です

 石段の上にも赤鳥居です

 石段中段から大杉を見ました

 水盤です

 拝殿です

 本殿です

 境内石祠は説明版にあった八雲神社と羽黒神社です

 拝殿前から見ました

 北側から、目通り幹囲5.8mの巨木です

 東側から

 南側から

 南西側から見ました


 東北新幹線が通過していきます

 では、次へ行きましょ

 2023年4月6日午後1時訪問です
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宮城県大崎市、古川宮沢裏馬田町「長久寺のまるみがや」(県指定)です!!

2023-05-14 18:42:30 | 巨樹・大木
 古川宮沢裏馬田町は、大崎市役所の北約6kmのところ

 大崎市役所の北側の「道の駅おおさき」前から国道108号線を北西へ

 約1kmの古川上古川信号を右(北東)へ国道4号線ですが、すぐ先の信号を斜め左(北)へ入ります、県道59号線です

 道成りに2.4km進み丁字路を右(東)へ、約80mで左(北)へ

 間も無く道路沿いに「長久寺のマルミガヤ⇒」の標柱が在りますので右(南東)へ進みます

 東側に回り込むと、南東向きに参道入口です

 法華宗 本成山 長久寺です

 慈悲地蔵尊です

 参道左手に大きな樹冠が見えました

 北東側から

 説明版です
   長久寺のまるみがや
 この榧の由来については、中世大崎氏三代詮持の頃、長久寺の開山日幡上人がかやの実を植えたものと伝えられています。
 実が丸みをおびているので一般に゛まるみがや〝とよばれます。
 なお、境内には子育ての神としてしたしまれている鬼子母神が祀られていて、「鬼子母神様のまるみがや」ともよばれ、樹勢がよく毎年多くの実をつけており、昭和46年3月2日に宮城県の天然記念物に指定されました。
 市内には、ほかにも多くの天然記念物があり、これらは長年の風雪に耐えぬいてきたものです。
 これらの貴重な文化財を私達みんなで守り育てていきましょう。
 ■樹齢 約650年 ■幹囲 目通り約5.87m、根元約7.85m
 ■枝張 東8.0m、西9.4m、南12.0m、北11.6m ■樹高 約16m
    ㈶宮城県文化財保護協会
    大崎市教育委員会

 北北東側からの太い幹です、大枝は支柱に支えられています

 北側から

 西北西側からの幹です、四方八方に太い枝を拡げています

 西側からの幹です

 本堂です

 南西側の参道から見ました、境内のサクラも満開でした

 南西側の参道入口です、こちら側が集落に向いているのでよく整備されていました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午後0時40分訪問です
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宮城県大崎市、古川小林荘厳寺「荘厳寺跡の大杉」(市指定)です!!

2023-05-14 12:30:06 | 巨樹・大木
 古川小林荘厳寺地区は、大崎市役所の北西約6kmのところ

 大崎市役所の北側の「道の駅おおさき」前から国道108号線を北西へ

 約1kmの古川上古川信号を右(北東)へ国道4号線ですが、すぐ先の信号を斜め左(北)へ入ります、県道59号線です

 道成りに約4.3kmで「日光山 馬場檀遺跡⇐」の有る交差点を左(西)へ

 道成りに約1.3kmに「荘厳寺址・大杉」の標柱が立っています

 手前北側の農道が荘厳寺跡への入口です

 200m程のようなので、入口脇に車を止めさせて頂いて歩いて行きましょう

 奥にお堂が見えて来ました 

 御堂はしっかり管理されているようです

 御堂の左手(南側)には、板碑(石碑)が並びます

 目的の大杉は御堂の裏側です

 天然記念物標柱です、文面には・・・荘厳寺は中世大崎氏代々の祈願寺として栄えたが、天正の役で焼失されたとされている。
 この杉の古木は当時のころからのものとみられる。推定樹齢400年。

 *グーグルマップに小野小町の生誕地とありましたが、なにもそれらしい形跡や説明書きは有りませんでした
 *ここから南に約1.5kmの宮城県大崎市古川新田熊野堂前には小野小町の墓もあります

 南側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

 北東側から

 北側農道から見ました

 北東側の車道に降りて来ました

 東側から、車に戻ります

 では、次へ行きましょう
 
 2023年4月6日午後0時20分訪問です
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宮城県大崎市、岩出山下金沢「鍋倉山八幡神社の樅ノ木群」(市指定)です!!

2023-05-14 06:30:33 | 巨樹・大木
 岩出山下金沢地区は、大崎市役所岩出山総合支所の西約1kmのところ

 国道457号線を西へ、陸羽東線の高架を潜ると、丁字路を右(西)へまだ国道(羽後街道)を進みます

 標識に従って県道226号線加美方面の左(南)へ、蛭沢川を渡って坂道を登って行きます

 橋から約300mで右の急な坂道の道路に入ります、無理やり登る感じで進むと

 鍋倉山八幡神社の裏参道駐車場に入りました

 先に八幡神社にお参りしましょう

 社殿です

 説明版です
   史跡のまち  鍋倉山八幡神社
 前九年の役に、源義家がこの地を通った折、安倍貞任討伐祈願のため、石清水八幡宮(京都)の分霊を勧請したと伝えられている。
 大崎氏の統治となり、社運も隆昌し、藩政時代は伊達政宗が、大崎一揆平定の祈願をこめた神社として、一揆平定後、社殿が造営され、社領三貫文(30石)を与えられた。
 正宗が岩出山城内に、米沢から成島八幡の分身を遷座し、八幡平と称し一祠を建立した。
 その後明治維新の神仏分離令により、鍋倉山八幡神社に合祀するなど由緒ある神社である。
 境内には、NHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」のタイトルに用いられた、樅ノ木の古木が今もなおそびえたち、樅ノ木公園として市民憩いの場となっている。
      大崎市教育委員会
 *山本周五郎の歴史小説に詳しく記されている「伊達騒動」は今も宮城県に大きく影響しているようです、
 

 表参道から上って来る石段です

 では、目的の樅ノ木群に行きましょう

 駐車場に戻ります、樅ノ木群は駐車場の東側です

 駐車場の東端に説明版です
   大崎市指定天然記念物
  八幡神社の樅ノ木群
   平成12年1月27日指定
 ・樹種   マツ科 モミ属
 ・樹高   10m・ 22m・ 30m
 ・幹周り 5.1m・3.1m・5.2m 
 ・根元周囲9.2m・4.1m・7.5m
 境内にある樅の木は、岩出山地域の象徴ともなっている古木です。
 植栽間隔から人の手で植えられたとも考えられ、同年代の古木が群生している珍しい例です。
 この樅の木は、かつて遠方からも確認でき、この木をみることで帰郷を実感した市民も多く、古くから親しまれてきました。
   平成21年3月  大崎市教育委員会

 樅ノ木群には3本の大木があるようです(南側から)

 まずは西側手前の一本です、幹には大きな傷があります

 東側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

 東側の一本です

 西側から、目通り幹囲3.1mの大木です

 西側奥の一本は、幹の頂分が折れてしまっています

 南東側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 西側の2本を北東側からみました




 樅ノ木群の根元はカタクリの群落になっていました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午前11時20分訪問です
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宮城県大崎市、岩出山池月上宮小原「矢木のカヤ」(市指定)です!!

2023-05-13 18:29:22 | 巨樹・大木
 岩出山池月地区は、大崎市役所の北西約20km、大崎市役所岩出山総合支所の北西約9kmのところ

 大崎市役所岩出山総合支所前から国道108号線を道成りに約9.4km進みます

 緩い左カーブの国道の右手に「矢木のカヤ」の案内標柱が立っていますので見落とさなければ迷うことは有りません

 右(北)へ入って、JR陸羽東線の高架を潜り坂道を上ると・・・

 交差点に「矢木のカヤ⇒」の文化財標柱です、ここを右(東)へ

 約200mで道路脇に「お・老いたカヤの幹に宿りし山桜」の標柱が在ります

 この前に車を止めさせて頂きました

 坂道を登ると、田圃の先に大きな樹冠が見えました

 あぜ道を進みましょう(コンクリート平板が敷かれ通路になっています)

 南側から

 南東側から

 近付いて見上げました、カヤの木に上に葉の無い枝が見えています

 説明版です
   矢木のカヤ
 このカヤ(榧)の古木は、付近の地名から「矢木のカヤ」と呼ばれ親しまれています。
 南側から眺めると、カヤの幹の地上4m付近にカスミザクラ(霞桜)が着生しているのが分かります。
 着生木がこのように大木化し、元となる木と共生しているのは非常に珍しいことです。
 春には濃緑のカヤの樹幹の一部が桜の花の淡紅色に彩られます。
  樹種 イチイ科カヤ属カヤ、 推定樹齢  約830年
  樹高 18m、幹周り 7.5m、根元周囲 9.5m
  枝張り 東11m、西9m、南14m、北8m
 

 南東側から、葉の無い枝は、カスミザクラがカヤの幹に根を下ろして成長しているのですね

 残念でしたが、桜の花芽はまだまだ堅いようで咲いていませんでした

 東側から太い幹を見上げました

 北側から

 東側に離れて見ました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午前10時10分訪問です
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宮城県大崎市、岩出山池月上一栗岩下「如来寺のイチョウ」です!!

2023-05-13 13:19:59 | 巨樹・大木
 岩出山池月地区は、、大崎市役所の北西約20km、大崎市役所岩出山総合支所の北西約9kmのところ

 大崎市役所岩出山総合支所前から国道108号線を道成りに約6.4km進み右(北東)へ入ります

 JR羽越東線に踏切を越えて約300mの田圃の中の交差点を左(北西)へ

 約600mの根岸集会所案内板から約200mで如来寺の案内板がありますので右(北東)へ入ると

 如来寺参道です

 臨済宗 妙心寺派 巖上山 如来禅寺です

 境内の駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 境内のサクラは満開です
 
 本堂前の石段脇のツバキは花の時期は間も無くおしまいの様です

 石段から左上に目的のイチョウです

 石段中段から見ました、大枝は短く切り詰められていますが多くの乳柱が見られます

 東側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

 本堂です

 北側から、幹に傷が入って洞になっています

 西側から

 墓地前のサクラも綺麗に咲いています

 南西側下から見ました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午前10時40分訪問です
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宮城県大崎市、岩出山下一栗宿「樹林寺のカヤ」です!!

2023-05-13 07:19:42 | 巨樹・大木
 岩出山下一栗地区は、大崎市役所岩出山総合支所の北西約5kmのところ

 大崎市役所岩出山総合支所から国道108号線を道成りに進みます

 約4.1kmで「上野目駅⇒」の案内板を右(北東)へ入ります

 JR羽越東線の踏切を越えて真っ直ぐに進むと、平成30年(2018)に閉校した上野目小学校です

 ここを左(北西)へ、約1.1kmで樹林寺の案内板が有りますので右(北東)へ

 道成りに坂道を上って行くと 樹林寺の駐車スペースに入りました

 南南東向きに山門です

 山門を入ると本堂前の石段です

 樹林寺開創之記の石碑です
 頃は足利時代皇室第104代後柏原天皇の御代、大崎四郡の大将左衛門督大崎義隆公の重臣氏家兵部隆春公は
 当山の西隣館の山に一栗城を構い、当地方を治めたが、戦国の世に散った多くの武人達や一門一族の慰霊の為に一宇を建立、供養すべく大崎氏の前任地「上総州の名刹の真如寺」の開山秘山正厳禅師の高弟吉山自祥大和尚の高徳名僧なるに帰依し、福田山腹に一寺を建立、禅師を懇請して福田山樹林寺と号し開山する。
 時に永正10年9月也、以来477年の星霜を経て今日に至る。
 〇本寺千葉県木更津市真里谷 天寧山 真如寺
 〇末寺全国に48ヶ寺あり、内東北には当寺と川渡祥雲寺に二寺あり
 維時平成2年盂蘭盆
   23世 祖宝秀哉記

 本堂です

 開山開基 一栗城主 氏家兵部隆春公菩提塔です
 昭和58年に建立されたものですが、中ほどから割れてしまっています、東日本大震災の被害だったのでしょうか

 目的のカヤの樹冠が庫裏の南(本堂の東南東側)に見えます


 石段を下りて東へ進むと、目的のカヤを下から見上げる事が出来ました

 南東側から、大枝が箒状に広がっています

 東側から見ました

 庫裏の入り口から、目通り幹囲18mとの情報程の太さは有りませんでした、約6m程と思われます

 北側から、幹の太さの基準が目通りに幹それぞれの太さの合計となっていることが影響しての幹周の様です

 では、次へ行きましょう



 樹林寺参道を出て案内板のの有った交差点を北西に進むと、樹林寺の説明版に有った、一栗城跡です
   史跡のまち  一栗城跡
 室町時代末期に、奥州探題の大崎氏の家臣である一栗兵部隆春が築いて居城とした、東西約600m、南北約400mの範囲に、中館(本丸)東館、小館、西館が馬蹄形状に配置され、それぞれが深い谷や断崖を防御に利用している。
 中館には一栗兵部、東館には兵部の家来千田雅楽之丞、小館には兵部の家来半田土佐守、西館には兵部の祖父一栗放牛が居住していた。
 天正18年(1590)の大崎一揆の際には、兵部の一族がこの城に立てこもり、伊達政宗の軍に抗戦したが、翌年に大崎氏と共に滅亡し廃城となる。
 江戸時代には、大崎氏の元家臣、四釜氏が居住した。
    岩出山教育委員会

 さ、行きましょう

 2023年4月6日午前10時55分訪問です
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宮城県栗原市、一迫不動西「不動水神社の御神木銀杏と杉」(市指定)です!!

2023-05-12 18:30:15 | 巨樹・大木
 一迫不動西地区は、栗原市役所一迫総合支所の西約9kmのところ
 
 栗原市役所一迫総合支所から国道398号線を西へ長崎川に沿う様に道成りに進みます

 約8.4kmで、長崎川を小僧大橋で渡った先を右(西)へ入ります、

 曲がり角に「小僧不動の滝」の案内板が有ります

 約700mで赤い鳥が参道入口です

 鳥居前に車を止めさせて頂きました

 説明版です
   不動水神社
 この神社は、元は仏閣で「不動堂」といわれていたが、明治初年の廃仏毀釈の際「不動水神社」と改めた。
 祭神は「水速女命」で、疎通分配を司る、水分神としてあがめられた。
 又、龍善院が別当を務めなと言われ、古杉・古銀杏が御神木がある。御社殿裏に壮大な小僧不動の滝がある。
 現在でも栗原市内一円の用水の守護神として敬神され、地元の人達によって、毎年1月15日に小正月行事として「禊」の行事が行われている。
   総代会。

 滝も見て来ましょうね

 参道を進みます

 参道に大きな木です

 目的のイチョウです

 東側から、しめ縄の巻かれた御神木です

 南側から、目通り幹囲約3m(目測)の大木です

 社殿前から

 綺麗な水が引かれています

 社殿です

 御神木の杉です、目通り幹囲約3mの大木です

 社殿の裏側に「みやぎ新観光名所100選」にもなっている大きな滝です

 綺麗な水が落ちています、落差は約7mだそうです

 カタクリです

 アズマイチゲが咲いていました

 では、次へ行きましょう.

 2023年4月6日午前9時40分訪問です
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宮城県栗原市、一迫真坂明神「明神の一本杉」(市指定)です!!

2023-05-12 12:39:41 | 巨樹・大木
 一迫真坂明神地区は、栗原市役所一迫総合支所の西北西約2kmのところ

 栗原市役所一迫総合支所の西側市道を北へ、約450mで左(北西)の小安街道へ


 栗原市立西中学校を過ぎて約1.3kmで道路右手の田圃の中に目的の一本杉が見えて来ます

 南側小安街道から見ました

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 農道を進みます

 南側から

 南西側から見上げました

 天然記念物標柱です、文面には・・・昔、この付近に明神様があり、その境内に残った老杉と言われている。
 この老杉は、以前、火災に合い根本が空洞になっており、表皮のみで生息しているめずらしい杉である。
 樹齢約200年、周囲は約4.3mある。

 幹の中に焦げ跡が見られます、向こう側まで抜けていますね~

 南側から

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午前8時40分訪問です
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宮城県栗原市、一迫真坂川内「保呂羽神社の姥杉(火伏の杉)」(市指定)です!!

2023-05-12 06:30:07 | 巨樹・大木
 一迫真坂川内地区は、栗原市役所の西北西約9km、栗原市役所一迫総合支所の北西約1.5kmのところ

 栗原市役所一迫総合支所から北へ市道を進んで、県道178号線に合流して北西方向へ

 約900mで右折して一迫川を川内橋で渡ります、川内集落内を進んで丁字路を左(西)へ

 突き当りの道路脇に

 保呂羽神社の説明版が建っています
   保呂羽神社
  鎮座地 一迫町真坂字山の上1番地
  祭神  名無稚命・天巳貴神・少名彦那神(天恩兼神)
 この神社は、鎌倉時代の長禄2年(1458)9月25日に、久我大夫貞行なるものの勧請と伝えられているが、安永7年(1778)の「真坂村風土記御用書出」には「勧請年月は不明」と記されている。
 奥州三保呂羽の一つで「医薬の神」または「智の神」として崇拝されてきた。
 境内には石鳥居、手水石鉢、寛政3年(1791)弘化2年(1845)の年号のある石灯篭、拝殿、そして羽黒派大性院道場跡、神官屋敷跡等があり、さらに石段を登り御殿崎見晴台を過ぎ、やがて本殿へとたどる。本殿は石灯篭を配し、二間造である。
 またこの一角に高さ11m程、根回り約5mで、幹の北側が落雷で焼けている町指定天然記念物「火伏の杉」がある。
 明治7年7月村社に列せられる。
 祭日は旧3月、9月の25日(現在4月、10月の25日)である。
   一迫町教育委員会
   財団法人 宮城県文化財保護協会

 *名無稚命は、日本神話のヤマタノオロチ退治の説話に「老夫婦」「クシナダヒメの親」として登場する。『古事記』では足名椎命・手名椎命のことか
 *天巳貴神は、大国主神(おおくにぬしのかみ)のことで、日本神話に登場する神で、国津神の主宰神とされる。
 * 天恩兼神は、有名な話では、岩戸隠れの際に、天の安原に集まった八百万の神に天照大御神を岩戸の外に出すための知恵を授けたこととされている神。国譲りでは、葦原中国に派遣する神の選定を行っている。その後、天孫降臨で邇邇芸命に随伴したとされています。

 車を道路脇に止めさせて頂いて、ここを北へ進んでみます

 地層の顕な岩壁が見えました

 左へ岩葛の歩きにくい山路を進みます 

 曲がり角の注連縄の張られた岩場から湧水が出ています

 下から見上げていた斜面の上に出ました、崖崩れに単管の手すりが設置されています

 左に曲がると石段です

 鳥居です

 保呂羽神社の拝殿の様です(グーグルマップには「拝殿」とあります)

 更に石段を上がりましょう

 石段が終わって山路になりました

 この辺が御殿崎見晴台でしょうか、一迫真坂の田園風景を見下ろしました

 尾根道を進みます

 石碑が倒れています、梵字が彫られていますが苔に覆われてしまって読める文字が有りません

 間も無く杉木立の中に建物が見えて来ました

 もう少し石段を上ると

 南向きに保呂羽神社の「本殿」です、左側に目的の姥杉です

 軒下の額です

 南東側から、特徴的な大枝が伸びています

 東側から、こちら側の幹は既に枯れてしまっています、北側の焦げ跡は落雷が原因ですね~

 北西側から、こちら側は元気ですね

 西側から、目通り幹囲は4.5m程の大木です

 離れて見ました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午前8時20分訪問です
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