若柳大林境前地区は、栗原市役所若柳総合支所の北西約3kmのとこと
栗原市役所若柳総合支所前から県道176号線を北東へ、県道185号線となって迫川を若柳大橋で渡ります
すぐの信号を左(北西)へ県道4号線です、道成りに迫川の土手道を2.4km進むと
土手下に熊野神社が南西向き参道で鎮座します
手前の道路を下って境内に車を止めることが出来ました
土手上から鳥居です
参道の脇には板碑や石碑・祠が並びます
社殿です
境内左(西端)に目的のスギです
天然記念物標柱です
説明版です
熊野神社の大杉
兄・源頼朝の怒りによって、都を追われ野山をさまよい、尾松・栗原寺にたどり着いた義経とその家来たちは、平泉・藤原氏の迎えを受け、一路平泉へ向かいましたが、その中に家来の一人である鈴木三郎重家だけがおりませんでした。
重家は、故郷の紀州熊野で年老いた病気の母を看病していたため、義経と一緒に平泉に行けなかったのです。しかし、義経を慕うあまりに、病気の母を残して義経の後を追い掛け、たどり着いたところが熊野神社でした。
夕日を浴びた森の上空には、めでたい鳥であると言われている「カササギ」が空いっぱいに飛んでいました。重家は、この場所はめでたいところだと感じ、ここに、故郷の氏神である熊野神社をお祀りして、約300mごとに杉の木を植えました。
そのうちの1本が「熊野神社の大杉」で、町では、この大杉を天然記念物に指定しています。
この大杉に言い伝えは、文治4年(1188)のことですが、翌年の文治5年4月30日に義経とその家来たちは戦死してしましました。
平成14年1月1日建之
若柳町教育委員会
奉納 相馬征男 彩の国川口市在住・若柳町出身
南側から
西側から、目通り幹囲6.5mの巨木です
北側から見ました
東側から
では、次へ行きましょう
2023年4月6日午前6時20分訪問です
栗原市役所若柳総合支所前から県道176号線を北東へ、県道185号線となって迫川を若柳大橋で渡ります
すぐの信号を左(北西)へ県道4号線です、道成りに迫川の土手道を2.4km進むと
土手下に熊野神社が南西向き参道で鎮座します
手前の道路を下って境内に車を止めることが出来ました
土手上から鳥居です
参道の脇には板碑や石碑・祠が並びます
社殿です
境内左(西端)に目的のスギです
天然記念物標柱です
説明版です
熊野神社の大杉
兄・源頼朝の怒りによって、都を追われ野山をさまよい、尾松・栗原寺にたどり着いた義経とその家来たちは、平泉・藤原氏の迎えを受け、一路平泉へ向かいましたが、その中に家来の一人である鈴木三郎重家だけがおりませんでした。
重家は、故郷の紀州熊野で年老いた病気の母を看病していたため、義経と一緒に平泉に行けなかったのです。しかし、義経を慕うあまりに、病気の母を残して義経の後を追い掛け、たどり着いたところが熊野神社でした。
夕日を浴びた森の上空には、めでたい鳥であると言われている「カササギ」が空いっぱいに飛んでいました。重家は、この場所はめでたいところだと感じ、ここに、故郷の氏神である熊野神社をお祀りして、約300mごとに杉の木を植えました。
そのうちの1本が「熊野神社の大杉」で、町では、この大杉を天然記念物に指定しています。
この大杉に言い伝えは、文治4年(1188)のことですが、翌年の文治5年4月30日に義経とその家来たちは戦死してしましました。
平成14年1月1日建之
若柳町教育委員会
奉納 相馬征男 彩の国川口市在住・若柳町出身
南側から
西側から、目通り幹囲6.5mの巨木です
北側から見ました
東側から
では、次へ行きましょう
2023年4月6日午前6時20分訪問です