ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県加美町、麓山「飯豊(いいとよ)神社の大木(スギ)」(市指定)です!!

2023-05-17 18:32:28 | 巨樹・大木
 麓山地区は、加美町役場の西約6kmのところ

 加美町役場南側道路を北西へ、約900mで信号を左(西)へ国道347号線です

 約1kmで鳴瀬川の支流の田川を田川橋で渡って道成りに進みます、約2kmの三叉路は左(尾花沢方面国道)へ

 約3kmで、右カーブの龍川寺の山門前を左(南)へ、間も無く鳴瀬川の河川敷に降りて行きます

 赤い欄干の石神橋の東側、鳴瀬川の南側の山に飯豊神社が鎮座しています

 石神橋を渡ってすぐ右に飯豊神社社務所が在り、左には駐車場があります

 西向きに飯豊神社の一ノ鳥居が建ちます

 参道を進みます

 右側の斜面の上に大きなスギの幹が見えました

 手水舎です

 ニノ鳥居は北向きに建っています、石段を上ります

 中段に水の出ているところが有ります

 石碑も並んでいます

 中段で右に折れ、更に石段を上ります

 境内に上がって来ました

 右手に鐘楼です

 拝殿前に注連縄を巻かれた杉の大木ですが、目的の杉ではありません、大木の影にもスギの枝が見えます

 拝殿です

 社殿の北側に目的のスギです

 南側から


 町指定天然記念物 飯豊神社の大木(杉・松)の標柱です、裏面の文面には・・・スギは本殿南側にあり、幹回り5.5m、高さ約30mあり、古くから名木として名高く、18世紀後半に書かれた安永風土記にも記載されている。
 松は本殿北側にあり、幹回り3.9m、高さ30mの大木である。
 *裏側文面の南と北・(スギとマツ)が反対になっています、松は無くなってしまったようです

 西側から見上げました

 根元の割れた石は「夫婦石」と言って「御神体」だそうです、玉垣は平成28年に下区南氏子一同が建てたものです

 本殿です

 本殿標柱です、文面には・・・当社は慶雲2年(705)巨勢麿の勧請と伝えられ、延喜式内社として大石を御神体としたが、その後天平9年(737)大野東人が社殿を造営し、正安2年(1300)朝日館主内海氏が再建したとある。
 現在の社風が当時のものか不明だが、歴史的建造物と推定される。
 現本殿は昭和46年老朽のため再建された。
 *巨勢麿とは、飛鳥時代後期から奈良時代前期にかけての公卿。小徳・巨勢大海の孫で、京職大夫・巨勢紫檀の子。官位は従三位・中納言。持統天皇7年(693年)直広肆に叙せられる。大宝元年(701年)の大宝令施行に伴う位階制度の制定を通じて従四位下に叙せられ、慶雲2年(705年)民部卿に任じられる(ウィキペディア一部抜粋)。この年に陸奥に視察にでも出たのかもしれませんね~、その後、和銅2年(709年)陸奥・越後両国の蝦夷征討のため、陸奥鎮東将軍に任ぜられています。
 *大野東人とは、天平元年(729年)陸奥鎮守将軍に任じられ、鎮兵の功績があって昇進し、その後も蝦夷の開拓を進め、天平9年(737年)正月に陸奥按察使兼鎮守将軍の任にあったことから、このころに社殿を造営したものと思われます。


 境内社です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月7日午前6時40分訪問です
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宮城県加美町、米泉高田原「高橋家のサイカチ(市指定)と隣の高橋家の梍」です!!

2023-05-17 12:29:53 | 巨樹・大木
 米泉高田原地区は、加美町役場の西北西約2.5kmのところ

 加美町役場南側道路を北西へ、約900mの信号を左(西)へ国道347号線です

 約1kmで田川を田川橋で渡った西詰を右(北西)の土手道へ

 土手道を下ると間も無く米泉高田原集落です、田川橋から約600m道路脇に

 「高橋家のサイカチ」の標柱です、裏面表記には・・・幹回り約4.5m、樹齢は300年以上と推定され、一部が枯れているものの、県内のサイカチでは5番目に大きい。
 高橋家は大崎葛西一揆の後に帰農した大崎氏の家臣で、再勝(さいかち)を願って植えられたとも伝わる。
 *日本の巨樹・巨木林のデータベースでは、幹周591cmと表記のサイカチではないかと思われます。

 北側の住宅前に大きなサイカチが見えました

 住宅への参道を進むのは、まだまだこんなご時世ですので遠慮して、ズームアップで撮影させて頂きました

 住宅前でご主人が出ておられたので会釈だけしましたが、解かったかどうかは不明です

 少し西側から

 もう一枚だけ

 すぐ、東側の住宅前にも前調べ段階でサイカチの巨木がありましたので行ってみました

 少し戻り(約100m)ます、左斜め鋭角(北西)に入ると

 左手にサイカチが見えて来ます

 こちらも大きなサイカチです

 北東側から

 北がわから、枝が折れた跡が傷になってしまっています

 こちらも表札は「高橋」家でした、日本の巨樹・巨木林のデータベースで、幹周570cm、大枝枯損、空洞あり、異常なコブありと表記されているものと思われます

 では、次へ行きましょう

 2023年4月7日午前6時20分訪問です
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宮城県色麻町 、一の関東苗代「磯良神社(いそらじんじゃ)の杉」です!!

2023-05-17 06:37:56 | 巨樹・大木
 一の関東苗代地区は、色麻町役場の南東約2kmのところ

 色麻町役場から東の県道156号線へ出て、南へ進みます

 花川を花川大橋で渡って約1.3kmで左(東北東)へ田圃の中の道を進みます

 約700mで橋の所に磯良神社の標柱が在りますので左(北)へ

 磯良神社の境内へ入り車を止めさせて頂きました

 参道入口の赤鳥居です

 参道右手にイチョウの大木です、後方に目的のスギでしょうか

 手水舎です

 南側から、目通り幹囲約4、4m(巨樹・巨木林データベース より)の大木です

 東側から

 北側から見ました

 参道左の社務所建物の南側にカヤの大木です

 南東側から、目通り幹囲は約3.8m(巨樹・巨木林データベース より)です


 伝河童生息地の石碑です

 境内には「河童像」がいっぱいです

 説明書きです
   河童膏の伝説(由来)
 いまから千五六百年前、坂上田村麿東夷征伐のおり、その先導をつとめた川童東右衛門という男が一関に永住した。その後子孫たちによって祀られた。
 磯良神社は、一名川童大明神呼ばれている縁結びと下の病に霊験あらたかという妙な取り合わせの神様である。
 昔、ある殿様の館に夜な夜なカッパが現われ、トイレの姫様に悪さした。そこで女装した若侍がトイレの中でカッパの腕を切り落とした。カッパは前非を悔いて腕を返してもらい、交換条件として霊薬川童膏を贈った、もちろんカッパの腕はピッタリと元どうりになった。
 若侍もこの膏薬の神通力で輝かしい武功をたてたという「この膏薬若侍の話のように、切り放された首や手足がぴたりとつながるという霊験があるが、逃げた恋女房や、かたくなになびかぬ思う人に貼れば、バッチリねばって離れない。ただしこの霊薬は、みだりに用いればカッパの罪がたちどころにあたること必定だ。」ということである。
 昔社のうしろを流れる川童川から東右衛門方にカッパが挨拶に来たという。旧6月14日の前夜祭、15日の祭典日である。
 どんな結びつきであるか詳かでないが、川童様にあげないうちは胡瓜を食ていけないといって、初物キュウリは必ず川へ流す風習が現在もつづけられている。
 東右衛門の子孫は、代々川童の姓を名のって川童様神主さんである当主は川童嵩氏。
    昭和59年7月吉日      磯良神社

 目的のスギは、太い注連縄の巻かれた御神木です

 北東側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 北側からは、少し傷みが見えはじめています

 拝殿です

 本殿です


 境内社です

 そろそろ陽が沈む時間になりますので、古川市街へ移動しましょう

 2023年4月6日午後4時35分訪問です
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