常国地区は、高岡市役所の南約7kmのところ、庄川の扇状地の東端にあたります
高岡市役所の南側道路を南東へ、道路は右にカーブして約700mで中川信号を左(東)へ県道44号線です
道成りに2.4km進んで庄川を渡った北野信号を右(南)へ県道11号線です
約2,6kmの下条の交差点を斜め左へ県道11号線から県道239号線へ道成りに南へ
約3.1kmで串田信号を右(南南西)へ、約700mで坂道を下る左手に
弓之清水があります
右手の常国神社の駐車場に車を止めさせて頂きました
案内図です、図の左側が北に当たります、弓之清水は庄川扇状地の段丘崖の下の面です
源(木曽)義仲像です
西側から「弓之清水」を見ました、綺麗な水が湧出しています
水源は玉垣に囲われて井戸状になっています
とやまの名水「弓の清水」の標柱です
石碑です
弓之清水
寿永2年(1183)源平般若野の合戦に木曽義仲の軍勢人馬諸共渇したるところ甚だしく、この地の松原大助の進言でこの地に弓を射た所、清き水涌出して渇きを医て士気大いに上がったところである。
常国旧蹟保存会
弓泉碑です、漢文の為読めませんが・・・
弓之清水の直ぐ北側に目的の大杉です
南東側から、目通り幹囲5.5mの巨木です
東側から、幹は大きく二幹に分れています、合体木かもしれませんね~
北側から見ました
階段を上って上の段へ行ってみました
祠があります
北側へ進むと
源平般若野古戦場の石碑です
般若野古戦場
この地帯は、寿永2年(1183)5月9日源義仲の今井四郎兼平と平家の武将平盛俊とが戦った古戦場である。
弓の清水は、その時の遺蹟である。敗れた平家軍は西に走って5月11日、倶利伽羅で両軍が雌雄を決したのである。
常国旧蹟保存会
*今は東側を道路が通って田圃が広がっています、庄川扇状地の段丘崖の上の面です
では、次へ行きましょう
2023年4月21日午後2時20分訪問です
高岡市役所の南側道路を南東へ、道路は右にカーブして約700mで中川信号を左(東)へ県道44号線です
道成りに2.4km進んで庄川を渡った北野信号を右(南)へ県道11号線です
約2,6kmの下条の交差点を斜め左へ県道11号線から県道239号線へ道成りに南へ
約3.1kmで串田信号を右(南南西)へ、約700mで坂道を下る左手に
弓之清水があります
右手の常国神社の駐車場に車を止めさせて頂きました
案内図です、図の左側が北に当たります、弓之清水は庄川扇状地の段丘崖の下の面です
源(木曽)義仲像です
西側から「弓之清水」を見ました、綺麗な水が湧出しています
水源は玉垣に囲われて井戸状になっています
とやまの名水「弓の清水」の標柱です
石碑です
弓之清水
寿永2年(1183)源平般若野の合戦に木曽義仲の軍勢人馬諸共渇したるところ甚だしく、この地の松原大助の進言でこの地に弓を射た所、清き水涌出して渇きを医て士気大いに上がったところである。
常国旧蹟保存会
弓泉碑です、漢文の為読めませんが・・・
弓之清水の直ぐ北側に目的の大杉です
南東側から、目通り幹囲5.5mの巨木です
東側から、幹は大きく二幹に分れています、合体木かもしれませんね~
北側から見ました
階段を上って上の段へ行ってみました
祠があります
北側へ進むと
源平般若野古戦場の石碑です
般若野古戦場
この地帯は、寿永2年(1183)5月9日源義仲の今井四郎兼平と平家の武将平盛俊とが戦った古戦場である。
弓の清水は、その時の遺蹟である。敗れた平家軍は西に走って5月11日、倶利伽羅で両軍が雌雄を決したのである。
常国旧蹟保存会
*今は東側を道路が通って田圃が広がっています、庄川扇状地の段丘崖の上の面です
では、次へ行きましょう
2023年4月21日午後2時20分訪問です