登米町日根牛浦小路地区は、登米市役所登米総合支所の東南東約1.5kmのところ
登米市役所登米総合支所前から県道36号線を東南東へ、登米大橋の手前信号からは国道342号線となって北上川を渡ります
登米大橋を渡って土手から下り始めた左下に大きな木が見えます、目的のクリです
下り切った交差点を左・左と曲がって北側の道路へ入ります、道路脇に車を止めさせて頂きました
畑地の先にクリの木が見えます
ズームアップしましたがまだ遠いですね
車を乗り入れた道路は、細い通学路になっていて西側道路へは行けませんでした(軽自動車ならば通行可?)ので歩いて行きます
西側の北上川土手下の道路(北西側)から
西側から
南西側から、すぐそばまで近づいて来ました
南側から
「県指定天然記念物 日根牛の大クリ」の標柱です
文面には・・・
この栗は丹波栗で、直立する巨幹の樹皮に右巻きの、粗くかつ深い割れ目があり人目をひく。
高さ約12.0m、根回り約8.1m、目通りの幹囲約5.45mで、栗としては県下稀に見る大木である。
慶安元年、この地に真言宗岩王山蔵福院という寺が開山され、そのころ境内に植えられたものといわれ、樹齢約370年位と推定される。
クリの老木として学術上貴重である。
昭和48年5月15日 宮城県文化財指定
文字が薄くなってしまっている説明版です、標柱より40年ほど前に立てられたもののようです(内容はほぼ一緒でした)
*ウイキペディアでは、クリはブナ科クリ類・・・丹波栗(たんばぐり)は、主に日本の丹波・篠山地方で栽培される和栗の総称で、一般に、大果系の立派な和栗で知られ、オウグリともいい、代表品種は銀寄(ぎんよせ)で、別称の有った呼び名は「銀寄」に統一されたそうです。
江戸時代には丹波地方から苗木が各地に伝たえられ、「タンバグリ」の名を冠した当時から生き続ける「栗古木」が宮城県登米市「日根牛の大栗」や広島県庄原市「平子のタンバグリ」などに今ものこります。このような意味では、公式には必ずしも特定の栗の品種を示した用語ではないとのことでした。
北側の幹を見ました
北側から
では、次へ行きましょう
2023年4月5日午前10時訪問です
登米市役所登米総合支所前から県道36号線を東南東へ、登米大橋の手前信号からは国道342号線となって北上川を渡ります
登米大橋を渡って土手から下り始めた左下に大きな木が見えます、目的のクリです
下り切った交差点を左・左と曲がって北側の道路へ入ります、道路脇に車を止めさせて頂きました
畑地の先にクリの木が見えます
ズームアップしましたがまだ遠いですね
車を乗り入れた道路は、細い通学路になっていて西側道路へは行けませんでした(軽自動車ならば通行可?)ので歩いて行きます
西側の北上川土手下の道路(北西側)から
西側から
南西側から、すぐそばまで近づいて来ました
南側から
「県指定天然記念物 日根牛の大クリ」の標柱です
文面には・・・
この栗は丹波栗で、直立する巨幹の樹皮に右巻きの、粗くかつ深い割れ目があり人目をひく。
高さ約12.0m、根回り約8.1m、目通りの幹囲約5.45mで、栗としては県下稀に見る大木である。
慶安元年、この地に真言宗岩王山蔵福院という寺が開山され、そのころ境内に植えられたものといわれ、樹齢約370年位と推定される。
クリの老木として学術上貴重である。
昭和48年5月15日 宮城県文化財指定
文字が薄くなってしまっている説明版です、標柱より40年ほど前に立てられたもののようです(内容はほぼ一緒でした)
*ウイキペディアでは、クリはブナ科クリ類・・・丹波栗(たんばぐり)は、主に日本の丹波・篠山地方で栽培される和栗の総称で、一般に、大果系の立派な和栗で知られ、オウグリともいい、代表品種は銀寄(ぎんよせ)で、別称の有った呼び名は「銀寄」に統一されたそうです。
江戸時代には丹波地方から苗木が各地に伝たえられ、「タンバグリ」の名を冠した当時から生き続ける「栗古木」が宮城県登米市「日根牛の大栗」や広島県庄原市「平子のタンバグリ」などに今ものこります。このような意味では、公式には必ずしも特定の栗の品種を示した用語ではないとのことでした。
北側の幹を見ました
北側から
では、次へ行きましょう
2023年4月5日午前10時訪問です