ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県登米市、登米町日根牛浦小路「日根牛の大クリ」(県指定)です!!

2023-05-01 18:29:00 | 巨樹・大木
 登米町日根牛浦小路地区は、登米市役所登米総合支所の東南東約1.5kmのところ

 登米市役所登米総合支所前から県道36号線を東南東へ、登米大橋の手前信号からは国道342号線となって北上川を渡ります

 登米大橋を渡って土手から下り始めた左下に大きな木が見えます、目的のクリです

 下り切った交差点を左・左と曲がって北側の道路へ入ります、道路脇に車を止めさせて頂きました

 畑地の先にクリの木が見えます

 ズームアップしましたがまだ遠いですね

 車を乗り入れた道路は、細い通学路になっていて西側道路へは行けませんでした(軽自動車ならば通行可?)ので歩いて行きます

 西側の北上川土手下の道路(北西側)から

 西側から

 南西側から、すぐそばまで近づいて来ました

 南側から
 
 「県指定天然記念物 日根牛の大クリ」の標柱です
 文面には・・・
 この栗は丹波栗で、直立する巨幹の樹皮に右巻きの、粗くかつ深い割れ目があり人目をひく。
 高さ約12.0m、根回り約8.1m、目通りの幹囲約5.45mで、栗としては県下稀に見る大木である。
 慶安元年、この地に真言宗岩王山蔵福院という寺が開山され、そのころ境内に植えられたものといわれ、樹齢約370年位と推定される。
 クリの老木として学術上貴重である。
   昭和48年5月15日 宮城県文化財指定

 文字が薄くなってしまっている説明版です、標柱より40年ほど前に立てられたもののようです(内容はほぼ一緒でした)

 *ウイキペディアでは、クリはブナ科クリ類・・・丹波栗(たんばぐり)は、主に日本の丹波・篠山地方で栽培される和栗の総称で、一般に、大果系の立派な和栗で知られ、オウグリともいい、代表品種は銀寄(ぎんよせ)で、別称の有った呼び名は「銀寄」に統一されたそうです。
 江戸時代には丹波地方から苗木が各地に伝たえられ、「タンバグリ」の名を冠した当時から生き続ける「栗古木」が宮城県登米市「日根牛の大栗」や広島県庄原市「平子のタンバグリ」などに今ものこります。このような意味では、公式には必ずしも特定の栗の品種を示した用語ではないとのことでした。

 
 北側の幹を見ました

 北側から

 では、次へ行きましょう
   
 2023年4月5日午前10時訪問です
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宮城県登米市、津山町柳津黄牛比良「音声寺の一位(おんこ)とスギ」(市指定)です!!

2023-05-01 12:36:31 | 巨樹・大木
 津山町柳津黄牛比良地区は、登米市役所津山総合支所のすぐ北側約1kmのところ

 国道342号線を北へ、北上川の土手に上がって約350mで右(東)に降ります

 約350mで山際の親子地蔵の所を斜め左(北)へ入ります


 間も無く寺院が見えて来ます、周囲の桜は満開でした

 音声寺山門です

 山門前道路脇に車を止めさせて頂きました

  山門を入ると、正面に本堂です

 境内左手に目的のイチイです

 文化財標柱です
  町指定文化財 音声寺の一位(おんこ)
  文面には・・・樹種 一位(イチイ科)
         樹齢 推定1000年
         樹高 約15m
         樹周 3.35m
 *長生きで知られるイチイでもこの幹周で驚きの推定樹齢1000年のイチイです。
  岐阜県高山市荘川町惣則「治郎兵衛のイチイ」国指定天然記念物(1994年1月25日指定)が推定樹齢1000年で幹周8.0mに達する巨木ですので、過酷な環境で育て来たといえるのでしょうか

 東側から、下の大枝などは伐り払われています、風の被害を凌ぐのには良いのかもしれませんが・・・心配ですね~

 東側から見上ました

 北側本堂脇から見ました

 では、「音声寺のスギ」へ行きましょう、本堂裏側の山の中腹にあるようです

 山門前の集会所脇から本堂裏側の道路を上がって来ました

 文化財標柱が笹薮の中に見えます、「音声寺の一本杉」です

 竹藪の上に樹冠らしきものが見えるのですが幹を見る事はできませんでした

 もう少し登って見ました

 福祷観音です

 恵比寿大国様です

 七福神です、こちらにも恵比寿様も大国様もいらっしゃいました

 展望台から南側の眺めです、サクラと観音様の背中越しに北上川に掛かるJR気仙沼線の鉄橋と奥に柳津大橋が見えました
 *2011年東日本大震災後の復旧で、登米市役所津山総合支所の近くの柳津駅から気仙沼駅間は「BRT」(バス・ラピッド・トランジット)が一部一般道を使用して運航しています。

 では、次へ行きましょう

 2023年4月5日午前9時30分訪問です 
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宮城県石巻市、桃生町倉埣山居「永井分校(跡)のカヤ」(市指定)です!!

2023-05-01 06:29:35 | 巨樹・大木
 桃生町倉埣山居地区は、石巻市役所の北約19km、石巻市桃生総合支所の北東約4kmのところ

 石巻市桃生総合支所の北西側の県道21号線を北東に進みます

 約1.8km旧北上川の豊里大橋南詰信号を右(東)へ県道61号線です直ぐ左に旧北上川の土手沿いを進みます

 約2.3kmで標識に従って三陸道方向(東南東)へ、昆布沼南側の交差点の北東側に


 目的のカヤが見えました、すぐ東側を三陸道が通っています

 南側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側に二基の大きな石碑です、右側は村田先生頌徳碑です
 *村田先生は明治から大正3年にかけて教育や同窓会組織・校舎の建築・植栽などにまで貢献された方のようで、昭和2年11月の建築です

 左側は、永井分校跡石碑です
 碑面には・・・明治6年5月永井小学校創立、以来百十余年、数千人の児童を育て、地域文化の中心としての役割を果たし 昭和58年3月31日閉校する。
 *石巻市立桃生小学校のホームページに永井分校の古い写真が載っています、カヤの木も見る事が出来ます。
 *昭和58年(西暦1983年)は、すでに40年前になります。
 *明治6年5月に永井小学校として開校しました。裏永井の浄音寺を教室にして、読書・算術・習字の授業を始めました。
  明治14年2月には、西前に校舎を新しく建てて移り、それまで倉ぞねにあった分校の子どもも一緒に勉強することになりました。
 *桃生小学校(本校)は明治6年6月にできたもので、樫崎小学校といい、先生をしていた樫崎東の榊田員枝(さかきだかずえ)さんという人の家を教室にして、読書・算術・習字の授業を始めました。ということは、永井小学校の方が先に開校していました。
 *太田分校は太田十貫の吉祥寺を校舎として使いました。

 南側から

 文化財標柱です 
 文面は・・・推定樹齢700年、明治29(1091年この木の背面に永井分校が建てられ、分校のカヤの木として親しまれている。
 平成16年12月1日、桃生町文化財に指定されました。

 南東側から、目通り幹囲約4m(目測)の大木です

 東側から

 北東側から

 北側から、幹を見上げました

 西側から、北側には駐車場が広がっていました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月5日午前9時10分訪問です
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