ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県色麻町、四竈町「伊達神社(いだてじんじゃ)のイチョウ」です!!

2023-05-16 18:30:02 | 巨樹・大木
 四竈町は、色麻町役場のすぐ南東側です、約500mの花川の畔です

 県道156号線を南へ、伊達神社に西からの入り口を入り損ねて、花川橋手前から境内へ入りました

 南向き参道の境内は駐車場になっています

 一ノ鳥居です

 手水舎です

 文化財標柱です、ここも古墳の上に神社があります、文面には・・・伊達神社、延暦年間坂上田村麻呂の蝦夷征討の際勧請された、延喜式神名帳に「色麻郡伊達神社」とある由緒ある神社である。
 また、播磨国飾麻郡「射楯兵主神社」と関わりがあるともいわれている。
 御山古墳、伊達神社の建つ小山が御山古墳である。直径約50m、高さ約6m、の古墳で、2段築造と考えられる。
 古墳時代中期の古墳といわれており、多くの円筒埴輪が見つかっている。
 *射楯兵主神社(いたてひょうずじんじゃ)は兵庫県姫路市総社本町190番地、姫路城の中曲輪の位置(姫路城天守の南東側約500mに鎮座します播磨国総社です。
  祭神は、射楯大神(五十猛尊)兵主大神(伊和大神、大国主命)の2柱。摂社7社、末社は12社合殿の12社の外に6社があるようですが、伊達神社との関係は分かりませんでしが。一説には、この地にやってきた播磨国飾磨郡付近に住んでいた人々が、飾磨郡伊達の射楯兵主神社から射楯大神(伊達神社の主祭神の一柱の五十孟神)を勧請したともいうそうです。
 *伊達神社と前に投稿させて頂いた鹿島神社、そして宇伎須神社 (加美町下新田)と合わせて「色麻古社三社」と呼ばれます。
 *御山古墳は、鹿島神社古墳(円墳:直径30m)の二回り大きい古墳です。

 随身門です

 随身門の北側には、イチイの幹が保存されています、高木家の庭木でしたが、平成13年(2001)1月4日に豪雪のため倒木、樹齢は550年だったそうです。

 上り口左手にはスギの大木です

 石段を上がります

 拝殿前境内のニノ鳥居です

 境内右手に目的のイチョウです

 西側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 北側から

 東側から、多くの乳柱を見る事ができました

 鐘楼です

 拝殿です

 本殿です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午後4時20分訪問です
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宮城県加美町、赤塚八番「鹿島神社の神木・杉」(市指定)です!!

2023-05-16 12:30:26 | 巨樹・大木
 赤塚八番地区は、加美町役場の南南東約2kmのところ

 加美町役場前から東へ花楽小路へ出て南へ進みます

 花楽小路は鍵の手に曲がって更に南へ、鳴瀬川の土手道へ出ます

 川沿いを南東へ、国道457号線の信号を超えると土手道は県道157号線です

 約800mで、「鎮守 鹿島神社入口」の案内板が有りますので左(東)へ降ります

 左手に鹿島神社参道の鳥居です

 すぐ先に広い参拝者用駐車場がありますので車を止めさせて頂きました

 村社 鹿島神社です

 参道を進みます

 参道右手に鐘楼です

 手水舎です

 説明版です
   鹿島神社沿革史
  鎮座地 加美町赤塚八番の14番地
  境内地 2185坪
  祭神  武甕槌大神
  本殿  神明造承応3年(1654)9月建立
  拝殿  流造り天和3年(1683)9月建立
  長床  明治31年本間半右衛門修復寄進
  神紋  九曜(別紋立三引)
 延暦年中征夷大将軍坂上田村麿東征の砌、奥州一之宮塩釜神社左宮を勧請して、四日市場南元宿囲小松塚の地を卜として創建され、千葉家遠祖、千葉大膳川瀬清久をして奉斎せしめられ。
 下って大崎伊達累代の尊崇殊に篤く、大崎の祖家兼の貞和4年、千葉家27代大膳久基を社家として初めて神事を行い、毎年9月9日湯立ての儀あり、翌10日には宮城郡松ケ浜に神輿を下し、海水煙潔し還日して鏑流の式あり盛大に祭礼を行うを例とした。
 越えて寛永17年(1640)御竿入の際、鳴瀬川の水路移動による水難を阻れて現地に遷座し、中新田・四日市場・雑式目・上狼塚・下狼塚・城生・羽場・菜切谷の八邑の鎮守の神として齊き祀り
 明治5年村社に列し明治43年7月神明社・田川稲荷・八幡社の三社を合祀、昭和29年の町村合併を記念し神鐘を奉献、鐘楼を改築献納、33年5月幣殿を拡張新築、40年5月社務所竣工、46年神殿・長床の屋根を大改造した、47年8月参道の舗装工事、50年10月丸か株式会社より奉納せられる要石を古事来歴により奉祀す、平成15年5月10日宮司神明奉仕50年記念として大鳥居修複、同18年5月10日遠藤石材より昭和天皇御製碑を奉納せらる。
    平成19年5月10日  千葉家52世 宮司 千葉文雄 敬白


 随身門です

 鹿島神社古墳の標柱です神社社殿の建つ高まりは古墳で、裏面には・・・古墳時代に造られた円墳である。直径約30m、高さ約4mあり、円墳としては、大崎地方でも有数の規模である。墳丘からは埴輪が採取されている。

 随身門を潜ってもう一段上に拝殿です

 本殿です


 本殿西側のスギの大木です

 南西側から見ました、目通り幹囲3.5m(目測)ほどなので、目的のスギでは有りません

 境内には神馬堂と境内社です、神馬堂には白馬が居ます

 墳丘の西側に「要石」が有るよですので行ってみました

 境内社です

 要石です、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮にも要石が有りますね

 説明版です
   「要石」を祀る由来
 要石は「建御之男神(たけみかづちのおのかみ)」の象徴として国家鎮護の石剣として祀る。
 要石は国を鎮める意想で日本をとりまく「リュウ」を鎮める石剣とされる。
 龍は海水を表徴する日本をとりまく「リュウ」が転化してナマズ(鯰)になった、地震は地下にもぐった鯰の寝がえりだとされて、この要石は地震ナマズを永遠におさえていると言う信仰を生んだ。
 鹿島神社には要石が祀られているから、昔からこの地方には大きな災害がないと語り伝えられている。
   ゆるげども よもや抜けじの 要石 鹿島の神よ あらん限りは
 これは要石に鹿島の大神が降臨して守護っているから、日本の国土はぐらぐらしないと云う意である。
 要石は鹿島神社以外の神社には祀られていない。
 此の要石は、昭和48年故事来歴により、丸か建設様より奉納された「約10t」の要石で、往古の要石と共に祀る。
 故に今年は天皇陛下御在位満60年を記念して、御影石をもって要石の玉垣を建立す。
    昭和61年10月10日
    千葉家52世 鹿島神社宮司 千葉文雄 敬白

 稲荷堂です、中には沢山の狐の置物が並んでいます

 墳丘西側下に目的の大杉です

 天然記念物標柱です、裏側文面には・・・鹿島神社の神木である杉は二本あったが、拝殿右手前の神木は平成22年9月6日、ダウンバーストとみられる突風により倒れた。
 幹周りが5.4m、高さ約30m、樹齢はおよそ340年と推定した。
 現存している神木は拝殿左奥にあり、幹周りが4.5m、高さ約30mある。
 昭和53年3月31日指定。

 南側から見上げました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午後4時10分訪問です
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宮城県登米市、南方町尼池「宗恵寺のイチョウ」(市指定)です!!

2023-05-16 06:30:26 | 巨樹・大木
 南方町尼池地区は、登米市役所南方総合支所の西約4kmのところ

 登米市役所南方総合支所から県道1号線を南西へ、道成りに進みます

 約4kmで標識に従って「市内⇒」右(北北西)方向へ

 約500mで登米市立西郷小学校前の信号の手前を斜め左へ

 坂道を上ると間も無く右手に宗恵寺の駐車場があります

 曹洞宗 日秋山 宗恵寺(そうえいじ)参道です

 参道石段の右手に目的のイチョウです

 大枝は伐り払われてしまっています
 
 西側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 北側から

 手水舎と鐘楼です、鐘楼は鍾桜堂と呼ばれています

 奥行七間半、表面九間半、五五坪二合五勺 安政四年(1857年)に建築されたと伝えられる本堂です

 本堂前から

 お地蔵様です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午後2時20分訪問です
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