志波姫南郷漆崎地区は、栗原市役所若柳総合支所の南西約3kmのところ
栗原市役所若柳総合支所前から市道を南西に道成りに進みます
約2.3kmの田圃の中で標識に従って右(南西)くりこま高原駅方面へ
約1kmで道路右手に水神社が南東向き参道で鎮座します
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
参道入口です
由緒石碑です
村社水神社は、罔象女命(みずはのめのみこと)を祭る、其の由緒詳かならざるも、寛文5年(皇紀2325年:西暦1665年)杭ヶ浦溜池守護神として勧請したりと傳ふ、古来霊験顕著にして地方民の崇敬最も厚く、明治10年10月村社に列せらる。
昭和7年2月氏子相会し、杭ヶ浦沿岸振興会を組織して、相互の親睦を圖(図)り、共同一致養し地方産業経済の振興を期するため種々の施設を行い、以て敬神の寶を挙げるに務む時偶、杭ヶ浦干拓工事あり、即ち本会は村長の推薦により、本村地内の工事を請負し会員一致之に従い、其の収入の内弐百拾圓を以って社前に石造鳥居を奉献して、御神徳を敬仰し併せて開墾地の豊穣と本会の隆盛を祈願し奉るものなり。
昭和7年旧3月19日 菅原仁志撰
*罔象女命(みずはのめのみこと)は、日本書記に出てくる日本を代表する「水の神」です、神社前に広がる田圃は字名:杭ヶ浦です。
鳥居です
社殿前に目的の老杉です
神木 水神社の老杉の標柱です、文面には・・・寛文5年(1665)杭ヶ浦沼新田開発のとき村民一同が「お水神様」として勧請したものと伝えられる。
境内の老杉は、樹齢は不明であるが、目通り約5.5m、樹高約15mである。
枝の繁茂は実に見事で枝数は百を越し四方に這い広がり、神木にふさわしい。
南側から、枝が無数に出ています
南西側から
北側から、こちら側は枯れ枝が目立ちました
北東側から、幹は綺麗です
境内の建物は神楽殿のようです
拝殿です
本殿です
境内東側に石碑や祠が並んでいました
では、次へ行きましょう
2023年4月6日午前7時5分訪問です
栗原市役所若柳総合支所前から市道を南西に道成りに進みます
約2.3kmの田圃の中で標識に従って右(南西)くりこま高原駅方面へ
約1kmで道路右手に水神社が南東向き参道で鎮座します
前の道路脇に車を止めさせて頂きました
参道入口です
由緒石碑です
村社水神社は、罔象女命(みずはのめのみこと)を祭る、其の由緒詳かならざるも、寛文5年(皇紀2325年:西暦1665年)杭ヶ浦溜池守護神として勧請したりと傳ふ、古来霊験顕著にして地方民の崇敬最も厚く、明治10年10月村社に列せらる。
昭和7年2月氏子相会し、杭ヶ浦沿岸振興会を組織して、相互の親睦を圖(図)り、共同一致養し地方産業経済の振興を期するため種々の施設を行い、以て敬神の寶を挙げるに務む時偶、杭ヶ浦干拓工事あり、即ち本会は村長の推薦により、本村地内の工事を請負し会員一致之に従い、其の収入の内弐百拾圓を以って社前に石造鳥居を奉献して、御神徳を敬仰し併せて開墾地の豊穣と本会の隆盛を祈願し奉るものなり。
昭和7年旧3月19日 菅原仁志撰
*罔象女命(みずはのめのみこと)は、日本書記に出てくる日本を代表する「水の神」です、神社前に広がる田圃は字名:杭ヶ浦です。
鳥居です
社殿前に目的の老杉です
神木 水神社の老杉の標柱です、文面には・・・寛文5年(1665)杭ヶ浦沼新田開発のとき村民一同が「お水神様」として勧請したものと伝えられる。
境内の老杉は、樹齢は不明であるが、目通り約5.5m、樹高約15mである。
枝の繁茂は実に見事で枝数は百を越し四方に這い広がり、神木にふさわしい。
南側から、枝が無数に出ています
南西側から
北側から、こちら側は枯れ枝が目立ちました
北東側から、幹は綺麗です
境内の建物は神楽殿のようです
拝殿です
本殿です
境内東側に石碑や祠が並んでいました
では、次へ行きましょう
2023年4月6日午前7時5分訪問です