ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県栗原市、志波姫南郷漆崎「水神社の老杉」(市指定)です!!

2023-05-10 18:37:53 | 巨樹・大木
 志波姫南郷漆崎地区は、栗原市役所若柳総合支所の南西約3kmのところ

 栗原市役所若柳総合支所前から市道を南西に道成りに進みます

 約2.3kmの田圃の中で標識に従って右(南西)くりこま高原駅方面へ

 約1kmで道路右手に水神社が南東向き参道で鎮座します

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 参道入口です

 由緒石碑です
 村社水神社は、罔象女命(みずはのめのみこと)を祭る、其の由緒詳かならざるも、寛文5年(皇紀2325年:西暦1665年)杭ヶ浦溜池守護神として勧請したりと傳ふ、古来霊験顕著にして地方民の崇敬最も厚く、明治10年10月村社に列せらる。
 昭和7年2月氏子相会し、杭ヶ浦沿岸振興会を組織して、相互の親睦を圖(図)り、共同一致養し地方産業経済の振興を期するため種々の施設を行い、以て敬神の寶を挙げるに務む時偶、杭ヶ浦干拓工事あり、即ち本会は村長の推薦により、本村地内の工事を請負し会員一致之に従い、其の収入の内弐百拾圓を以って社前に石造鳥居を奉献して、御神徳を敬仰し併せて開墾地の豊穣と本会の隆盛を祈願し奉るものなり。
  昭和7年旧3月19日 菅原仁志撰
 *罔象女命(みずはのめのみこと)は、日本書記に出てくる日本を代表する「水の神」です、神社前に広がる田圃は字名:杭ヶ浦です。


 鳥居です

 社殿前に目的の老杉です

 神木 水神社の老杉の標柱です、文面には・・・寛文5年(1665)杭ヶ浦沼新田開発のとき村民一同が「お水神様」として勧請したものと伝えられる。
 境内の老杉は、樹齢は不明であるが、目通り約5.5m、樹高約15mである。
 枝の繁茂は実に見事で枝数は百を越し四方に這い広がり、神木にふさわしい。
  

 南側から、枝が無数に出ています

 南西側から

 北側から、こちら側は枯れ枝が目立ちました

 北東側から、幹は綺麗です

 境内の建物は神楽殿のようです

 拝殿です

 本殿です


 境内東側に石碑や祠が並んでいました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午前7時5分訪問です
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宮城県栗原市、若柳川南町浦「柳徳寺の桂」(市指定)です!!

2023-05-10 12:30:48 | 巨樹・大木
 若柳川南町浦地区は、栗原市役所若柳総合支所の直ぐ東側(約500m)です

 栗原市役所若柳総合支所前の県道176号線を北東へ、若柳大橋手前の信号を右へ国道398号線です

 国道398号線を約80mを右で柳徳寺山門前の駐車場です

 東向きに曹洞宗 柳徳寺の参道です

 北国八十八ケ所霊場 第十三番札所 鳳凰山 柳徳寺です

 山門です

 左側には閻魔大王です

 右側には奪衣婆です

 参道南側のお堂です

 本堂です

 本堂前には、若き日の道元像です
 求道の志に燃えた若き道元さまは、中国に渡り天童山に修行中、佛殿前に在って炎天下に笠もかぶらず、汗を流し、背骨は弓の如くにし、苔を晒している老典座に  あなたは何歳になられますか、と  老典座 68歳になります
 なぜ若い修行僧にさせないのですか  老典座 他はこれ吾にあらず  それでは少し日が陰ってからなさっては如何ですか
 老典座  更にいずれの日をか待たんと、この言葉によって、仏道修行の何たるかを学び、心の目が大きく開かれていく、その瞬間の老典座と若き道元禅師の逸話です
 この銅像をご覧頂いて、道元禅師を敬慕し、日々を充実して生きる為の指針として頂ければ幸甚です


 本堂の南側、墓地との間に目的のカツラです

 北東側から、根元には多くの石仏です、道祖神の様です

 東側から、目通り幹囲6.0mの巨木です

 ようやく芽吹きですね

 天然記念物標柱です

 幹にはカツラのプレートが在ります
 カツラ科、カツラ属、分布=日本、山地の谷筋に生える、葉はハート形、花は暗紅色・・・カツラは水の豊富な所に巨木が見られます、山地の沢筋や谷底の土石流の無いところが多いですね、でもここは水は豊富なのでしょうか

 南側から、蔓植物が巻き付いています

 南西側から

 北西側から、一番大きな主幹(第一世代)は既に枯れてしまっているようです

 本堂南側奥には達磨大師です

 達磨大師建立の碑です
 抑々日本と中国の間には長き仏教文化交流の歴史が有り、特に近代からは新中国改革開放以来、禅宗祖庭の嵩山少林寺と日本仏教会は緊密な繋がりを続けて参りました。
 その中に有って嵩山少林寺釋永信大方丈と尊敬して止まない、日本禅画家協会会長平岡嘉衛門先生は多くの老学徒を導きながらの禅画・達磨画の研鑽を通じて、強い絆で結ばれて居ります。
 此処に日本禅画家協会創立30周年を記念し、嵩山少林寺釋永信大方丈より日本禅画家協会に託された達磨大師像は、釋永信大方丈と日本禅画家協会平岡嘉衛門先生が、少林寺から初祖洞までの道すがら探し求めた61個の珍石を使用し、嵩山少林寺をイメージして作成されたお二人の想いの深く籠められた台座であり、初祖圓覺菩提達磨大師像であります。
 この度日本禅画家協会平岡嘉衛門先生のご好意により、東北の地に日本禅画家協会の発展と禅文化国際交流発展を冀し其の拠点として、柳徳寺前住21世・和成和尚が少林寺友好協会会長の任に当たって居るところから、当山柳徳寺境内に建立して欲しいとの要請を頂き、お引き受けする運びとなりました事は誠に有難く尊い事と併せてその責任の重大さを痛感している処であります。
 私たち禅宗僧侶は勿論又仏教徒にとってかけがえのない禅の祖師である圓覺菩提達磨大師の尊像を檀信徒と共に深く信奉し学び、日本禅画家協会発展と禅文化国際交流発展の為、この御縁と絆を大事にし、嵩山少林寺釋永信大方丈と平岡嘉衛門先生の意に添える様精進して参りたいと存する次第であります。
 去る平成23年3月11日午後2時46分、東日本大震災、栗原市震度7、国内観測史上最大の大地震であり、M5以上の連鎖3ヶ月間に505回も有りました。更に大津波、福島原発破損による放射能汚染・死者二万人とその恐怖、地震の被害は言語を絶するものがありました。併せて達磨大師は七転八起・だるまさんの愛称で親しまれて居ります事から、東日本大震災物故者の鎮魂・復興祈願を心底より祈願するものであります。この建立が達磨大師の精神を一層広め、日中文化交流の発展に資し、日本禅文化の更なる深まりに寄与線事を誓い達磨大師像建立の碑と致します。

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午前6時50分訪問です
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宮城県栗原市、若柳川南南大通「若柳金成商工会館の不老の松」(市指定)です!!

2023-05-10 06:30:12 | 文化財・樹木
 若柳川南南大通地区は、栗原市役所若柳総合支所の北東約600mのところ

 県道176号線の迫川に掛かる若柳大橋の上り口の信号の右手に「若柳金成商工会館」が在ります

 車を若柳金成商工会館の駐車場に止めさせて頂きました


 若柳金成商工会館への入口です

 若柳金成商工会館入口脇の道路のサクラは満開でした

 若柳金成商工会館の北側に北西側から)目的のマツです

 北側から

 説明版です
   若柳町指定史跡(旧仙台藩御一家) 塩森兵庫邸跡
   若柳町指定天然記念物 不老の松
 若柳町地頭塩森家先祖は塩森兵庫宗朝という。山形県東置賜郡高畑町塩森に居住していたので塩森を称し、伊達政宗の祖父晴宗の時、一家に列せられた。
 若柳に居住したのは宗朝の曽孫宗直の時で、寛永17年(西暦1640年)と伝えられ、この辺一帯が塩森家の邸跡である。邸内には享保15年(西暦1730年)長門の代りに祈願所として修験道当山派光寿院も開山された。
 この老松は、当時の庭園の名残をとどめるものと伝えられ、樹齢推定300年以上、古老は「不老の松」と呼んでいる。
 尚、塩森家累代の墓は柳徳寺に現存する。
    昭和58年12月
     若柳町教育委員会
 *山形県東置賜郡高畑町塩森は、現在の高畠町塩森で、明治22年村制施行時には「高畑村」、明治28年の町制施行寺には「高畑町」となっていました、明治38年に名称変更で「高畠」の文字に変更になりました。


 北東側から

 東側から見ました

 太い幹が地面に横たわっていました

 南側から

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午前6時45分訪問です
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