ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県登米市、迫町森東表「上行寺の大銀杏」です!!

2023-05-03 18:30:00 | 巨樹・大木
 迫町森東表地区は、登米市役所迫支所の南東約4kmのところ

 登米市役所迫支所の南側道路を南東へ迫町市街地を進みます

 間も無く国道398号線となって迫川を錦橋で渡ります

 橋を渡って直ぐの信号を右(南東)へ、県道36号線を道成りに進みます

 約4.3kmで森公民館入口看板を右(南)へ田圃の中を進みます

 丘を回り込む様に進むと右手に上行寺の参道が東南東向きに開いています

 駐車場へ入りました

 日蓮正宗 法栄山 上行寺です

 山門です

 境内へ入ると目的のイチョウです

 説明版です
  森風おこし
   法栄山上行寺(開基由来)
 日蓮正宗総本山大石寺末法栄山上行寺は弘安6年(1283年)、時の領主三浦対馬の帰依により法華草庵を建立。同10年に現在に移る。開基は宗派第3祖日目上人。
 天保10年(1839年)本堂火災に遭う。安政4年(1857年)秋に再建される。
   大銀杏
 文明18年(1486年)の植え付けと伝わるこの大樹は、天保の火災に遭っているが見事に蘇生し現在に至っている。
 樹高30m、幹廻り5m町内最古、最大の銀杏である。
   平成3年 秋
     森公民館
     森邑史会

 本堂です

 南西側から

 西側(本堂前)から

 北側から

 鐘楼です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月5日午後0時訪問です
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宮城県登米市、中田町宝江新井田後田「赤城神社の一位(おんこ)」(市指定)です!!

2023-05-03 12:58:00 | 文化財・樹木
 中田町宝江新井田後田地区は、登米市役所中田庁舎の南約3kmのところ

 登米市役所中田庁舎の南から国道346号線を南西に進みます

 約1.9kmで信号を左(南東)へ県道201号線です

 道成りに進んで右にカーブすると間も無く右手に登米市立宝江小学校があります

 校庭の南側を右(南西)へ入ると東向きに赤城神社参道です

 光永山 赤城神社の社號標です

 社號標の脇に車を止めさせて頂きました

 鳥居です

 赤城神社縁起の石碑です
   赤城神社縁起
 伏見天皇の正応2年(1289)春3月、新井田領主千葉掃部草創の際、凶作が続いて、領民の苦しむこと一方ならざるを憂い、当時下向して来た加賀国の産、増田掃部之輔と相い謀り、上野国の東宮赤城大明神に祈願せしに神験あり。
 その年の9月、城の鬼門に当たる地を選び、境内を寄進し、社殿を建造して、大国主命を勧請し、厚く祀る。
 以後、藤原晴信に神主を命し、産土神として崇敬し、3月・9月の28日を祭日と定め、領民挙つて信仰し、領主親しくい臨んで、家内安全、五穀豊穣の祭祀を行ったと云う。
   嘉吉2年(1442)3月   一乗院清良之記
 *古文書に書かれていたものを刻したようです

 手水舎です

 直角に右に曲がるとニノ鳥居です

 正面に拝殿です

 参道右手に目的のイチイです

 「赤城神社の一位(おんこ)」の文化財標柱です
 文面には・・・赤城神社、祭神「大国主命」社殿、3間4尺、4面、正応2年9月(1289)新井田城主、千葉掃部、当村草創の際、当寺下向の加賀国産、増田掃部之輔藤原晴信と謀り、新井田城鎮護のため、鬼門に当たる此の地に宮殿を建立す。
 神木としてあがめられている。これはイチイの変種であるキャラボクで、アララギ、オンコとも呼ばれる。幹が高さ2mで5~6本に分岐して屈曲し、キャラボクとしては大きな樹冠を呈している。最近外科治療が行われ、3本の生存枝が蛇行しながら旺盛な生育を示し樹勢を保っている。

 南側から

 西側から

 北西側(拝殿前)から

 北側から太い幹を見ました

 東側から

 南東側から見ました

 本殿です

 本殿西側に御神木の杉の大木です

 境内社です 

 では、次へ行きましよう 

 2023年4月5日午前11時40分訪問です
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宮城県登米市、東和町米谷越路「東陽寺のイチョウ(県指定)と原田甲斐の墓」です!!

2023-05-03 06:30:00 | 巨樹・大木
 東和町米谷越路地区は、登米市役所東和総合支所の西南西約5kmのところ

 道の駅林林館のある東和総合支所前から国道346号線を南西へ

 約650mで左(南)への県道202号線を道成りに進みます

 北上川沿いの米谷の町です、県道に入って約4.8km国道398号線に合流します

 次の信号で左(東)へ標識に従て南三陸方面へ国道398号線を進みます

 約200mで登米市立米谷小学校の東側を左(北)へ入ると

 東陽寺の駐車場に入りました

 山門です

 説明版です
   東陽寺と原田甲斐
 亀松山東陽寺は原田家の菩提所として応仁・文明(1467~1472)間に羽前西置賜郡小松(山形)に開創されたが、伊達家が仙台に移り元和3年(1617)原田氏は船岡(宮城県柴田町)移封されて際・東陽寺もまた船岡に移った。
 いわゆる「寛文事件ー伊達騒動」で原田氏は断絶船岡は米谷の領主であった柴田氏の領地となり、現在地にあった柴田氏の菩提所大光寺が柴田氏と共に船岡へ移り東陽寺がこの地に移転してきた。
 寛文11年(1671)3月27日酒井雅楽頭の屋敷で斬死した原田甲斐の死体は、芝山内の良源寺に葬られたが、首だけは密かに船岡の東陽寺に運ばれ、後に東陽寺が米谷に移るとき原田甲斐寄進の梵鐘に首桶をかくし舟で密送、この地に埋葬し銀杏を目印にしたと伝えられる。
 延宝5年(1677)3月27日原田甲斐7回忌に当たり、遺臣堀内茂助以下139名が密かに集まり法要を営み、逆臣の汚名を受けた故主の孤忠を偲び追福を修した。その時の連名状が現在寺宝として当寺に蔵されている。
 当寺は文化13年(1816)火災で鐘楼門を残し全焼、現在の堂宇は同年代に再建されたものである。
 *左下にイチョウへのルート図が在ります庫裏の東側が通路です
 *『樅ノ木は残った』は、山本周五郎の歴史小説。江戸時代前期に仙台藩伊達家で起こったお家騒動「伊達騒動」を題材にし、悪人とされてきた原田甲斐を主人公とし、江戸幕府による取り潰しから藩を守るために尽力した忠臣としています。
 *昭和45年(1970)NHKの大河ドラマ(平幹二朗の主演)ともなっていて、私も白黒テレビで見た記憶るが残っています。

 山門の次に説明版に有った鐘楼門です

 説明版です、戦時供出でなくなった鐘は戦後に再鋳して、新しい鐘楼に掛けられています

 境内に入ると本堂です

 左手に鐘楼です

 東側に庫裏の脇を進みます

 綺麗な庭園が目に入ります、大きんイチョウも見えました

 山際に標柱です、米渓が泉(米谷地名の由来)・・・昔この地に庵を結び修行していた僧が、この泉より湧き出た米を食していたと伝えられていた。そしていつの頃からか「前谷」だった地名が「米谷」に呼び改められるようになった。

 原田甲斐の墓とイチョウです

 墓石が在ります、表面に文字は見えませんでした

 原田甲斐宗輔之墓の説明版です

 傍の板碑です

 目的のイチョウです

 南西側から

 「県指定天然記念物 東陽寺のイチョウ」標柱です

 案内板です
   乳銀杏
 この大銀杏は、原田甲斐の首を埋葬した目印と伝えられている。
 樹齢はあきらかでないが、周囲8m、樹高50m余り、大木で乳銀杏と称し、祈願をすれば乳の不足することがないと、語りつたえられている。

 西側から

 北側から

 乳柱が見られました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月5日午前11時訪問です
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