ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

富山県立山町、芦峅寺「芦峅雄山神社境内杉林」(県指定)です!!

2023-05-21 18:30:01 | 巨樹・大木
芦峅寺は、立山観光の要衝です、富山地方鉄道立山線に終点立山駅や、立山黒部アルペンルートの西端に当たります

 広い芦峅寺地区の入り口近く、立山町役場の南南東約13kmのところに芦峅雄山神社中宮が鎮座します

 役場前から県道15号線を東へ、約500mで中米沢信号を右(南)へ、すぐの米沢信号を左(東南東)へ進みます

 約700mの沢新信号を右(南)へ県道6号線です、道成りに約15kmで道路左側に芦峅雄山神社中宮が南向き参道で鎮座します

 すぐ先を左(北)に入って芦峅寺公民館前の駐車場に入る事が出来ました

 参道入口です

 鳥居の直ぐ左(西側)のスギです

 東側の参道から見上げました

 説明版です
  富山県指定天然記念物
   芦峅雄山神社境内杉林 昭和42年9月26日指定
 芦峅雄山神社境内杉林は、集落を抱く「美し山」の麓、祈願殿、大宮、若宮などの社殿をとり囲む18000㎡あまりの広大な境内林です。
 高さ40~50mのタテヤマスギの純林で、幹まわり6.6mの巨樹を最大として2m以上のスギが122本確認され、2m以下も合わせると一千本を超えるといわれています。樹齢は400~500年と推定され、過去に確認されたものには年輪が480以上あるスギもありました。
 幹まわりの太さの割に根まわりの大きなものが目立ち、巨木の中には根元から癒着したものや高さ2~3mくらいまで完全に癒着したものが見られます。百本を超える巨樹が揃うスギ林は県下でも珍しく、タテヤマスギの植生の代表例として価値の高いものです。
 巨大なスギが林立する境内は、日本三霊山の一つとして古くから崇敬されてきた立山の祈願殿にふさわしい尊厳な雰囲気を漂わせています。
 江戸時代には、神聖な領域として加賀藩による禁制が敷かれ、境内林の伐採は厳しく禁止されていました。また、台風や積雪の被害があったときは芦峅寺の人々が補植を行い、スギ林を守ってきました。数百年の間大切に守り継がれてきた境内杉林では、現在も多くの年中行事が執り行われ、立山信仰の伝統が息づいています。
 
 タテヤマスギ・・・富山県の代表的なスギの品種。富山県東部一帯に自生するスギの系統で、耐雪、耐寒性に優れる。
 「富山県の木」(昭和41年10月制定)、立山町「町の木」(昭和49年5月決定)
 スギ林の巨樹   幹まわり6m級   3本
              5m級  15本
              4m級  32本
              3m級  45本
              2m級  27本
               合計 122本(調査年1967)
   平成31年3月  富山県教育委員会 立山町教育委員会
*根回りの大きなスギが目立つのは密植されていないためでしょう、杉や桧などの植林は密植して大きくなるに従い間伐を進める事に依り、根元から幹上部まで幹の太さの揃った杉になります。
 (例:秋田杉・・・きみまち杉:このブログの2022年10月22日に紹介させて頂いております)
*スギの計測から50年以上が過ぎていますので、各級の本数にも変化が有りそうですね、境内を見て行きましょう


 手水舎北側のスギです

 西側から

 北側から見上げました

 講堂前の杉です

 東側から

 北側から見上げました

 右の参道を進むと若宮の手前両側にスギの大木です

 左側参道に入って直ぐ左手のスギです

 北東側から見ました、合体木かもしれませんね


 祈願殿前の参道左手のスギです

 北東側から見上げました

 祈願殿北側のスギです

 参道両側には同サイズのスギが並びます

 中には根元に傷みの見えるものも有りました

 大宮の周りにもスギの大木が並びます

 大宮西側のスギです

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午前7時40分訪問です
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富山県立山町、芦峅寺「芦峅雄山神社中宮」です!!

2023-05-21 13:29:52 | 文化財・寺社
 芦峅寺は、立山観光の要衝です、富山地方鉄道立山線に終点立山駅や、立山黒部アルペンルートの西端に当たります

 広い芦峅寺地区の入り口近く、立山町役場の南南東約13kmのところに芦峅雄山神社中宮が鎮座します

 役場前から県道15号線を東へ、約500mで中米沢信号を右(南)へ、すぐの米沢信号を左(東南東)へ進みます

 約700mの沢新信号を右(南)へ県道6号線です、道成りに約15kmで道路左側に芦峅雄山神社中宮が南向き参道で鎮座します

 すぐ先を左(北)に入って芦峅寺公民館前の駐車場に入る事が出来ました

 参道入口です

 雄山神社社號標です

 由緒書です
祭神  西本殿 立山大宮  伊弉那岐命
    東本殿 立山若宮  天手力雄命
    別宮  立山開山堂 佐伯有頼公
 當神社は日本三霊山立山を神山と仰ぐ雄山神社中宮にして、延喜式内国弊小社であり、鎌倉時代神道集によれば越中国一の宮称せらる。
 鎌倉幕府・室町幕府・金沢藩主の特別崇敬保護を享け、中宮寺塔中の衆徒社人三十八戸軒を列ねて奉仕し、全国に立山の霊験を布教せり。
 総拝殿を祈願殿と称し境内二万余坪あり、樹林は富山県天然記念物に指定せらる。
 境内に於て草木を採り、殺生を行い、無禮を為すことを固く禁制す。

 
 鳥居です

 手水舎です

 お不動様です

 さらに参道を進みます

 説明版です
  「立山信仰を今に感じる」
 1200年ほど前、大伴家持が「神が住む山」と歌に詠み、日本三霊山の一つに数えられる立山あh、死者の霊が集まる浄土と地獄の山として信仰を集め、江戸時代に隆盛を極めます。
 雄山神社は、三つの社殿からなっています。廃仏毀釈で壊滅的打撃を受けた立山信仰ですが、神仏習合の時代の伝統を守り、数々の宝物や祭礼行事を今に伝えています。
 中宮祈願殿には、樹齢500年のスギの境内林が醸し出す厳粛な雰囲気の中に社が点在します。
     立山町教育委員会
     とやまの文化遺産魅力発信事業実行委員会

 歌碑です
  「なにはがた おしの・ごとに 風おちて よし苅る舟の つくは彼の岸」

 左に治国社です(通称:宝童社・祭神:新川姫命、首から上の病気の守護神・子育ての守り神です)
 右には神明社です(左から、麻続御祖社・皇大神宮・豊受大神宮の三社宮です)

 神橋を渡ります、参道は三方に分れます

 右の参道入って見ます
 
 右の参道を進むと若宮です

 説明版です
   若宮社殿 立山町指定有形文化財(建造物)
        昭和39年6月11日指定
   構造形式 一間社流造、屋根銅板葺 桁行2.7m、梁間4.7m、棟高5.7m
   建立年代 安土・桃山時代
〈概要〉
 若宮社殿は、雄山神社祈願殿の境内にある自然の巨岩の上に建立された堂社です。
 立山信仰の拠点として栄えた宗教村落・芦峅寺は、古くは中宮寺(仲宮寺)と呼ばれ、若宮は媼堂、閻魔堂、帝釈堂、大宮などと並び中宮寺の重要な堂社の一つでした。
 一説には文治元年(1185)に鎌倉幕府が大内冠者惟義に命じて造営したと伝えられていますが、現在の建物は棟札の銘から天正16年(1588)の建設と考えられます。
 現在の若宮社殿は一間社流造で銅板葺ですが、当初の屋根は杮葺です。柱は全て角柱で、礎石に据えられています。明治初年には本殿の老朽化が著しく自立が危うくなったため、本殿の外側に全体を覆う軒支柱が造られています。
 巨岩の上に建立された姿から「岩の宮」とも呼ばれ、近世の絵図でも岩の上に建つ様子が描かれています。巨岩は、雄山神社祈願殿の境内でこの場所にしかなく、巨岩や大木を霊異の対象とした磐座祭祀の名残を感じさせます。
 棟札に記された「ह्रूं」は仏尊を梵字で表した種子と呼ばれるもので「ह्रूं」は不動明王を表す種子です。棟札には堂社に祀る仏尊の種子を書き込む例が多いことから、もとは剱岳を神体とする刀尾大権現を奉祀していたと考えられています。
 *「ह्रूं」は尊勝仏頂を表す種字(転写)です、不動明王の梵字に似ていたので文章内で使用させて頂きました、不動明王を種字では「ह्म्मां」フンマーンや「हां」ハーンで表されます。
 現在まで継承される雄山神社祈願殿の祭礼では、加賀藩ゆかりの神輿二基が巡幸されますが、若宮の神霊が移される一基には華鬘や錺の刀尾の神の化身とされる白鷹が彫刻されており、江戸時代以前の祭礼から古例を引き継いでいるものと思われます。
 若宮社殿は、雄山神社祈願殿境内に残る最古の堂社建築として価値が高く、また、宗教村落・芦峅寺での祭祀や信仰活動の発展について示唆を与える貴重なものです。


 剱嶽社です

 東側の一段上には開山廟所です

 公民館駐車場から見上げました


 真ん中の参道は霊廟への道ですです

 熊に乗った金太郎ではありません、熊は立山権現の化身です、乗っているのは立山開山の慈興上人佐伯有頼公ですよね

 立山開山御廟です

 裏面です、「慈興上人佐伯有頼公 天平宝字3年6月7日 入定留身之地也」とあります


 左の参道を進みます

 すぐ左に境内社ですがお名前が解かりませんでした

 右手に祈願殿が見えて来ます

 日本三霊山立山大権現祈願殿です

 石祠ですがこちらもお名前が有りませんでした

 祈願殿の北側奥に社です

 境内の一番奥には大宮です

 では、境内の杉の巨木を見て行きましょう

 2023年4月21日午前7時40分訪問です
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富山県立山町、伊勢屋「伊勢屋(神明社)の大杉」(町指定)です!!

2023-05-21 06:30:01 | 巨樹・大木
 ここからは、少し前になてしまいましたが、富山県の2023年4月21日取材分です

 伊勢屋地区は、立山町役場の南東約9kmのところ

 役場前から県道15号線を東へ、約500mで中米沢信号を右(南)へ、すぐの米沢信号を左(東南東)へ進みます

 約700mの沢新信号を右(南)へ県道6号線です、約1kmで坂井沢信号を左(東)へ大清水宇奈月線を道成りに進みます

 約3kmで丁字路を右(南東)へ県道67号線です、白岩川に沿う様に約4.6km

 坂道を登切った正面に石碑が見えます
 
石碑は平成16年に閉校になった「七つの谷の子 立山町立東峯小学校跡地」の碑です
裏面には・・・
 立山町立東峯小学校沿革
  明治 6年11月 目桑小学校設置  (目桑村の寺院)
  明治25年    目桑尋常小学校設置(目桑村に設置)
  明治32年 4月 伊勢屋(現在地)に平屋建て独立校舎を新築
  大正13年10月 伊勢屋村にて新校舎に建替え 
  昭和29年 1月 立山町発足により立山町立日桑小学校となる
  昭和38年10月 鉄筋コンクリート4階建新校舎竣工
           立山町立東峯小学校に改称
  昭和56年 4月 休校
  平成16年 3月 閉校 
 *鉄筋コンクリート建築の校舎が出来たころは、子供が多かったことが窺えますが、それから20年足らずで休校になり、更に20数年で閉校になって、現在は更地となってしまっています。
 平野部から約5kmの山間部であることや、冬季は立山観光の要衝である芦峅寺までの県道67号は通行止め(取材時にも工事のため通行止めでした)になってしまっている事で過疎化が進んでしまっているようでした。

 石碑の前に車を止めさせて頂きました

 旧校庭の右手(北端)には東峯地区集落センターです 

 石碑の左手から、目的のスギが見えます

 集落センターの前を通って元校庭の端から見ました

 伊勢屋神明社の新しい社です

 神明社前(北北東側)から

 北東側から

 説明版です
  立山町指定
    伊勢屋の大杉
概説   昭和51年12月1日指定
 この大杉は立山スギで、樹高33m、目廻り6.5m、樹令330年である。
 この地は伊勢屋村神明社が鎮座していた跡地である。
 この附近から対岸にかけての一帯は自然林であったが他の樹木は、ほとんど伐採されたが、白岩川の段丘崖に近かったことと、鎮守の森であったため保存されて来た。
 対岸の池田城が上杉の軍勢に攻略されたとき民家とともに神社も焼けたので、上杉謙信が二株の杉を手植したと伝えているが、謙信が越中を攻略した永禄後期から元亀(1560年~70年)は樹令より見て100年も早いので後世作られた話と考えられる。
   立山町教育委員会
   立山ライオンズクラブ

 北東側から

 北北東かた

 北側から見ました

 では、次へ行きましょう

2023年4月21日午前7時10分訪問です
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宮城県丸森町、大内青葉西「熊野神社の老杉群」(町指定)です!!

2023-05-20 18:31:11 | 巨樹・大木
 大内青葉西地区は、丸森町役場の南南東約11kmのところ

 丸森町役場北側の道路を東へ国道113号線を右(南)へ出ます

 道成りに南へ約7.9kmで標識に従って青葉方面へ右(南西)へ県道228号線へ入ります

 約3.7kmで右に熊野神社が東向きに鎮座します

 境内に車を止めさせて頂く事が出来ました

 境内入口です

 邨社 熊野神社です  (邨=村)

 鳥居の奥側の参道両側とその奥社務所脇に注連縄の巻かれた杉が立ちます

 説明版です
   熊野神社大杉
 この熊野神社は永承年間(1048年)安部貞任が勧請して紀州熊野神社から分霊して建立したという古い神社である。
 拝殿には応永年間(約550年前:1394~1428)に奉納された鰐口が残されている。
 境内の杉は樹齢600年ともいわれ、現在は5本(昭和52年10月に枯れたため伐採された)残されており樹勢はなお旺盛である。
 昭和40年(1965)11月27日丸森町指定天然記念物
   平成4年(1992)3月
     宮城県文化財保護協会
     丸森町教育委員会

 社務所脇の一本です、境内で二番目に太いと思われ、幹周4.20m 樹高35.0m (少しだけ遠くの風景の記事より、数値記入しました)の大木です

 拝殿です

 拝殿左(南側)にも注連縄の巻かれた杉が2本在ります

 拝殿雄南側の一本が(南東側から)境内で一番太いと思われる杉です、幹周4.35m 、樹高35.0m (少しだけ遠くの風景の記事より、数値記入しました)の大木です

 本殿です

 本殿裏側の杉の大木は注連縄が巻かれていないので、天然記念物の対象外のようでした


 境内のカヤの前には石碑が並びます

 境内社の山神神社です

 中には、狼像が三体並んでいます

 狼像説明版です
   由来
 この狼の像三体は明治の初期、佐野の後藤銭治氏の作と言い伝えられ、山野の害獣除災の守護神として縁起のある福島飯館に鎮座する山津見神社の眷属、白狼を模して神事に奉納。
 当時、青葉西の山神神社に鎮座、山の安寧・災難・火伏せの祀り神として崇め祈り願って参りました。
 時を経るにつれ損傷、民俗研究家の石黒伸一朗氏、狼像を初見、白蟻の食害、腐食甚だしいので修復をすすめられ、「東北芸術工科大学文化財保存修復研究センター」の藤原徹教授ご指導のもと修復、これを契機として其れぞれに祀られていました。
 青葉地区の氏神様三社、青葉地全域の善意を仰ぎ合祀に至りました。
      合祀遷宮 平成28年11月23日
      青葉契約会・熊野神社氏子一同

 四柱を祀った境内社です、左から歳神社・蚕神社・安産神社・愛宕神社です


 境内を南東側駐車スペースから見ました

 そろそろ関東へ帰ることにしましょう

 宮城県丸森町から旗巻峠を越えて福島県相馬市へ出て、東北中央高速道路の無料区間を伊達市霊山町まで乗りました

 県道51号線から県道39号線と辿って、二本松で国道4号線に出て、をゆっくり戻りましたよ

 金曜日の夕方は、本宮インター手前から郡山市日和田町の郡山西環状道路分岐までは

 いつものように渋滞        していましたので

 埼玉到着は夜遅くになってしまいましたけどね~
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宮城県丸森町、笠松「笠松」(町指定)です!!

2023-05-20 12:44:55 | 巨樹・大木
 笠松地区は、丸森町役場の西約7kmのところ

 丸森町役場前から西に出て、大通りを南へ、約400mを右(西)へ

 県道45線の交差点を過ぎた丁字路を標識に従って左(南西)梁川方面へ県道101号線です

 道成りに約4kmで標識に従って右(北西)出羽庭・あぶくま駅方面へ

 道成りに段田原峠を越えるようにし約3.3kmで下り坂の左手に

 笠松が見えて来ます、右手の道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側から

 東北東側から

 「町指定天然記念物 笠松」の標柱です、文面には・・・笠松は太さ3.3mの赤松の木で、樹齢400年以上と言われています。
 昔は峠道を通る人達の休み場になっていたと言われ、この松があることからこのあたりの地名を笠松と呼ぶようになったと言われています。
 

 北側から

 伏したアカマツの幹です

 北西側から 

 西側から

 南西側下側から見上げました

 南側から幹を見ました

 南南東側から

 南東側から見ました

 では、次へ行きましょう
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宮城県白石市、大平中目梨ノ木平山「嘉右衛門山の逆さケヤキ」(県指定)です!!

2023-05-20 06:40:52 | 巨樹・大木
 大平中目梨ノ木平山は、白石市の西側の山の中です、今回の宮城県取材の初日に東側(白石市街側)からアプローチしましたが、ルートが見つからなかったため、最終日の帰り道に西側(小原温泉側)から入りました

 国道113号線の小原温泉トンネルの南詰から約300mを左(東)へ、すぐに左の急坂を登ります

 赤坂の集落に入って丁字路を左へここから沢沿いの林道になり約700mで砂利道に変わります

 道成りにゴロゴロ石の林道をゆっくり進むと約1.6kmで四本の道路が交わる

 鉢森峠に出ました、南東側への道路を進みます

 尾根道の上空には送電線が通っています

 約400mで道路脇に「逆さケヤキ」の案内板です

 ここに車を止めさせて頂いて

 南へ下る林道を進みました

 最初は緩やかですが、徐々に急になります

 地図アプリで見ると、この下あたりなのですが~、下側の林道が見えました

 ヤマナシの木保護の立札が立ちます

 更に下って行きます

 林道分岐です、左へ進みます

 林道脇にケヤキの木が見られます

 林道のスギ木立の間にケヤキが見えて来ました

 北東側の折口です

 降り口から太い幹を見ました

 山道を降りて見ました

 北西側から

 西側に降りて来ました、角度40度ほどの急斜面にケヤキが立って居るのが分かります

 
 山道が無くなってしまいましたので、草むらを進みようやく南側に降りる事が出来ました

 説明版です
   天然記念物 嘉右衛門山の逆さケヤキ
     県指定 平成17年5月10日
     所在地 白石市大平中目字梨ノ木平山
   樹種 ケヤキ
   学名 Zeikova serrata(Thunb.)Makino
 嘉右衛門山の逆さケヤキが立っているのこの場所は、通称西山と呼ばれる一帯の山腹で、かつて小原方面に通ずる旧山道が通っていた。
 急な斜面に生育しているため、根元の南側は1mの根上がりとなっており、地上約1mのところで不明瞭な二幹に分れ、直立しているもの、斜上しているもの、また、横に伸びて枝の端が地上に接するほど垂れているものなどがある。
 中央に立っている最大の幹周りは、分岐部から1.3mのところで2.25mで、同様に2mを越える枝が数本ある。
 その昔、源義家が逆さに立てたケヤキの杖が活着したとの言い伝えから、嘉右衛門山の逆さケヤキと呼ばれている。
 大きな露出根のそばには、安政年間に建立された「嘉右衛門山の神」の小祠がある。
   嘉右衛門山の逆さケヤキの概要 
     樹高 22m、 幹まわり 8m(地上0.35mで計測)
     枝張り 東西 44m、 南北 45m 推定樹齢 350年
   参考文献 「白石市の文化財」「白石市文化財調査報告書第25集 巨木・名木調査報告書」「白石ガイドブック」
     平成20年11月  白石市
 


 もう一枚は由来記です
   逆さケヤキの由来
 八幡太郎義家が前九年の役(1051)で、陸奥一帯を支配していた豪族安部一族と戦うため親と共にこの中の目山中に陣を張ったとき、義家が持っていた杖を地面に刺したのが根付いて「逆さケヤキ」になったと伝えられている。
 しかし、このケヤキは専門家によると、樹齢は350年ぐらいといわれます。
 また義家にまつわる伝説はこの地に沢山残されています。この木の北側の山腹には、義家の連れていた犬が狼と戦ったとき岩にふんばってつけた足跡のある「闘犬石」や、さらにその上方には恐怖のあまり石になってしまった「狼石」などがある。
 この木の根元の東側のホコラは「嘉右衛門山の神」で、近年まで木造であったが朽ち果てそうになったので、現在のものに嘉右衛門の子孫が納め変えた、当初は狼の牙もホコラの中にまつられていたという。
 嘉右衛門は今ならさしずめ便利屋のような仕事をしていた商人であったと思われる。
 ある日のどに骨をひっかけた狼を助け、その狼に守られたので山賊や狼からの害が無く、商売は大繁盛したという。(日本昔ばなしでも紹介された有名な話である。)
  この木の所有者 中の目部落牧野共同組合

 
 南側から

 大きな幹を見上げました、三つの祠が確認できます

 南東側から

 太い幹を見ました

 東側斜面から、やはり急な斜面です

 東側に離れて見ました

 ケヤキの西側の斜面を登るのには気が引けたので、南東側下への林道を少し進んで、降り口へ戻る林道を登返しました

 車を止めた尾根筋の林道から、逆さケヤキまでは約1kmでした

 帰りは、尾根筋の林道を南へ出ました

 約800mで「沼田入峠」です、取材初日に分からなかったルートなので、左(東)へ降りてみる事にしました

 小原温泉側から鉢森峠への林道より、はるかに多くの車が通っているようですが、国土地理院地図でも黒の実線にしかなっていないので、決してお勧め出来ない道です

 下り切ると、取材初日に迷ったところ、松野コンクリート工業(株)と製品置き場の間に下って来ました

 では、次へ行きましょう
 
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宮城県川崎町、前川堀切「地蔵桜」(市指定)です!!

2023-05-19 18:31:01 | 
 前川堀切地区は、川崎町役場の西約800mのところ

 県道14号亘理大河原川崎線沿い、南側に

 延命地蔵を祀った御堂があります

 沿道の桜は満開でした

 境内に車を止めさせて頂きました

 御堂です

 御堂の中には延命地蔵様と桜の幹が見えています

 「地蔵桜」の標柱です、文面には・・・享保15(1730)年に延命地蔵尊を新造し、この桜の下に祀ったものといわれ、当時より植生していたことが史実によりあきらかである。


 説明版です
   地蔵桜
    川崎町指定天然記念物
    昭和49年12月26日指定
 享保15(1730)年延命地蔵尊を新造し、この桜の下に祀ったもので、すでにこの「あずま彼岸さくら」が当時より植生していたことは史実により明らかである。
 この「あずま彼岸さくら」は、しだれ桜の母種で日本で最も長命な原種である。
 町内では別名「種まき桜」と称し、開花期を目標に耕作上の目安を決めている。
 また、ここの延命地蔵尊は子育て、長生きの守り神として信仰を得ている。
 延命地蔵尊は、龍岩寺に安置されていたものを移したものといわれている。
   樹種 バラ科 アズマヒガンサクラ
   幹周    3.2m
   樹高   20.0m
   推定樹齢 約370年
  平成14年3月
      川崎町教育委員会

 北東側から、御堂の中から伸びているのは左側の幹です

 北側から

 北西側から

 西側から、お堂の屋根から幹が出ているのが分かりますね

 南側から見上げました




 花は満開でした

 では、次へ行きましょう
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宮城県仙台市青葉区、茂庭綱木裏山「大梅寺のヒヨクヒバ」(市指定)です!!

2023-05-19 13:49:48 | 巨樹・大木
 茂庭綱木裏山地区は、仙台市青葉区役所の西約6kmのところ

 仙台市青葉区役所から県道22号線を南へ、間も無く国道286号線になって更に南へ

 区役所から約800mの広瀬通り信号を右(西)へ、国道48号線です

 仙台西道路となって、川内トンネル・青葉山トンネルと続けて貫けて行きます

 東北自動車道の仙台宮城インターチェンジ入口は右車線の山形・秋保方面へ

 間も無く標識に従って「川崎・茂庭」県道31号線方面へインターチェンジを降ります

 県道31号線を南へ出ました、約400mで道路右手に大梅寺の参道が見えました

 県道31号線の脇すぐ先の2本のタンクの南側に車を止めさせて頂きました


 蕃山 大梅禅寺への北側からの参道入口です

 山の斜面からは水が湧いています


 参道の門です、門には「古刹 瑞雲霊亀山祥厳大梅寺」の表札が掛ります

 説明版です
   蕃山(標高357m)について
 蕃二蕃三郎の伝説に因んで蕃山という。盤山とも書く。
 山腹の竹藪の巨石の下から、滾々と清澄な泉が豊かに湧いていた。その美味に、この山の白鹿を巻狩に来ていた藩祖伊達政宗(1567年~1636年)が、唐の詩人韓愈の詩の一節「盤谷の間、泉甘くして土沃ゆ」から「盤山」「甘泉筧」と名付けた。
 以来、茶の湯として有名であったが、折立団地の造成で惜しくも涸れた。
 蕃山は昔から信仰の山、御野掛け(ハイキング)の山として、権現森や太白山と共に仙台市民に親しまれて来た山である。
 山腹の臨済宗大梅寺は、松島瑞巌寺を退山した雲居国師(1582年~1659年)が此所の白鹿堂跡に来て庵を結び終焉の地に定めて寺で、慶安3年(1650年)に創建された禅宗の古道場である。
 尚、平安時代に弘法大師(774年~835年)が、蕃山に霊場を開こうとして天狗に妨げられ、高野山へ去ったという伝説も残されている。


 蕃山緑地保全地区説明です
   蕃山緑地保全地区
 蕃山緑地保全地区は、動植物の生息地又は生育地として保全しながら、地域住民の健全な生活環境を確保するために都市計画に定める緑地です。
 次に掲げる行為をしようとするときは、都市緑地保全法第5条の規定により、市長の許可が必要になります。
  〇建築物その他の工作物の新築・改築又は増築
  〇宅地の造成、土地の開墾、土石の採取、鉱物の堀採その他土地の形質の変更
  〇木竹の伐採
  〇水面の埋立て又は干拓
    都市計画年月日 平成9年6月20日
    告示番号    宮城県告示第806号
    面積      約81ha

 *緑地保全地区に指定されると、タケノコも採れなくなってしまいそうですね~


 直角に左に曲がって参道石段です

 杉木立の中を進みます

 中段には、蕃山への登山道が分岐しています

 参道が少し右へ曲がると不動明王像です

 境内は保存樹林です

 仁王像です

 参道右手には暖簾塚です、秋保温泉のおかみさん達が建てたものだとか

 左手には夏目漱石の小説「草枕」の石碑です、草枕の中に大梅寺の記載があるとか

 「郷土句抄」俳句の石碑です、方言の標準語約が付いています

 羅漢像が並びます

 目的のヒヨクヒバです

 「仙台市指定天然記念物 大梅寺のヒヨクヒバ」の標柱です、文面にには・・・樹高28m、仙台市内では最大級のヒヨクヒバ(ヒノキ科)である。樹齢はおよそ350年といわれる。ヒヨクヒバはサワラ(ヒノキ科)の園芸品種である。
 

 東側から、目通り幹囲4.2mの大木です。

 北東側から

 南東向きに本堂です

 境内のサクラも満開です

 南側の郷六御殿前から見ました




 カタクリです


 葉が丸いのでタチツボスミレのようです

 では、次へ行きましょう
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宮城県富谷市、富谷西沢「富谷市富谷中央公民館の代官松」(市指定)です!!

2023-05-19 06:30:04 | 文化財・樹木
 富谷西沢地区は、富谷市役所の北西側直ぐのところ

 市役所の西側に富谷小学校があり、その西側に中央公民館があります

 中央公民館の南側の「しんまち公園」の駐車場に車を止めさせて頂きました

 公民館南側の入り口です

 南西側から、目的のクロマツです

 南側から

 南南東側から

 南東側が正面です

 「代官松」の標柱です

 説明版です
   代官松
 藩政時代、大谷郷を除いた38ヶ村を支配下におく代官所が、この地におかれた。
 この代官所の玄関前に植えられてあったことから、明治以降代官松の名で親しまれてきた。
 明治4年以降、代官所は役場の施設として使用されたらしく、、学制頒布翌年の明治6年7月からは、富谷小学校の校舎として使用、昭和49年度までの101年間、児童と共に大事にされてきた。
 この間に何度か危機にあったが、そのたびに手厚い保護がなされ、見事な枝振りとなっている。
 この松の樹齢については記録がなく不明であるが200年くらいといわれている。
 郷土の象徴として本町の代表的名木となっており、昭和38年8月1日、町の天然記念物にしていされた。
    平成28年10月 富谷市


 東側から、樹高は5m、樹冠周囲は25mです

 北側から

 西側から見ました

 では、次へ行きましょう
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宮城県大和町、吉田麓「石神山精神社の坂上田村麿将軍お手植えの神木(大杉)」です!!

2023-05-18 18:32:04 | 巨樹・大木
 吉田麓地区は、大和町役場の西約5kmのところ

 役場前の南側の道路を西へ、突き当りを右(北)へ、すぐ左(西)へ

 約200mで右(北西)へ、約1.9kmで丁字路を左(西)へ

 約800mで標識に従って麓・南川ダム方向の左(南)へ

 吉田川を渡って約200mの右手に
 
 石神山精神社が東向き参道で有ります

 参道入口道路脇に車を止めさせて頂きました
 
 一ノ鳥居です
 
 村社 石神精神社の社號標です

 参道には、ヒノキの大木です

 参道奥側から、目通り幹囲約4m(目測)の大木です

 参道を進みます

 右へ曲がるとニノ鳥居です

 参道奥に社殿が見えて来ました

 拝殿は南向きに鎮座します

 拝殿左側から奥の本殿・御神木の大杉・大岩へ行けます

 麓城跡(館山城跡)への登り口です、大岩の上に行くにはここからはいるようです

 大岩(御神体)です

 目的の御神木の大杉です

 西側から

 北西側から

 南東側から、目通り幹囲6.3mの巨木です

 東側から

 北東側から


 本殿です

 本殿と大岩を見ました

 拝殿西側の大岩です

 *石神山精神社(いわかみやまずみじんじゃ)は、宮城県黒川郡大和町にある延喜式内社で、式内社黒川郡4座の一つで、巨大な大岩に神霊(神威)の存在を認めて祀った古い信仰形態の姿を今に伝えた神社です。
 *祭神は大山祗神・大歳神・大国主神・事代主神・保食神・釜神を祀ります。

 では、次へ行きましょう 
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宮城県加美町、宮崎麓二番「妙体寺址の大銀杏」(町指定)です!!

2023-05-18 12:38:42 | 巨樹・大木
 宮崎麓二番地区は、加美町役場の西北西約10km、加美町役場宮崎支所の北約1kmのところ

 加美町役場宮崎支所前を西へ

 約400mの交差点を右(北)へ、角に「大崎一の宮 熊野神社 入口」の案内が出ています

 道成りに進んで坂道を下り、田川を渡って、登り返し丁字路を左(西)へ、直ぐを右(北)へ

 正面に赤い鳥居です

 そばに麓城跡の案内版です 
   麓城(館)跡のご案内
 麓城(館)は、江戸時代に書かれた「仙台領古城書上」では、城主の入生田右兵衛佐が、安土桃山時代の文録年中(1593~1596年)まで居住していた城とされております。
 築かれて年代は不明ですが、南北朝時代の文和2年(1353年)の文書に書かれている「黒河郡吉田城」は麓城に当たるものととも見られており、当時まで遡ることのできるものかもしれません。
 正面に見える山一帯が城跡で、山頂部には城の中心部である本丸やニの丸といった平らな場所などが残っており、現在、北側に広がる集落を展望できる場所となっております。
   ※石神山神社境内経由の道は階段が多数あります。
 令和2年9月 宮城県黒川高等学校同窓会吉田支部

 ここから西を見るとイチョウの樹冠が見えました

 「町指定天然記念物 妙体寺址の大銀杏」の標柱です、文面には・・・中世の寺院址に繁っており、幹周りが約7.2mでイチョウとしては県内8番目に太い、幹が地上2mのところで三つに分かれている。樹齢は400年以上と推定されている。
 地元では晩秋の頃、この木の葉が全部散ると雪が降ると言い伝えられており季節の変わり目を知るということで今でも親しまれている。
 
 西への道路脇に車を止めさせて頂きました

 南東側から

 民家の前なので、余り近付くのは諦めました

 南側から、乳柱は余り見当たりません

 見上げました、目通り幹囲7.3mの巨木です

 少しだけ西側から

 では、次へ行きましょう

 今回は、まだまだ予定があるので、麓城址へ行くのは諦めました
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宮城県加美町、谷地森根岸「賀美石神社の天王様の大杉」(市指定)です!!

2023-05-18 06:30:13 | 巨樹・大木
 谷地森根岸地区は、加美町役場の北西約7kmのところ

 加美町役場南側の道路を北西へ、約900mの国道347号線交差点からは、県道159号線となります

 道成りに約6.6kmで横断歩道のある交差点を右(北東)の細い道路へ入ります

 突き当りを右へ、ここから集落後ろの丘の上の杉林に一際高い杉が見えます

 すぐ左へ入ると賀美石神社参道です

 鳥居です

 鳥居前に車を止めさせて頂きました

 村社 賀美石神社です

 説明版です
   延喜式内 賀美石神社(えんぎしきない かみいしじんじゃ)
 この神社はもと本郷石神囲に鎮座、南北26間(約46m)、東西25間(約45m)の社地を有し、今石神社とも呼ばれていた。
 猿田彦命を祭神とするのは後世のことで、本来は石神社の名もあるとおり巨石を御神体とする神体石神であった。
 勧請年代については不明だが、8世紀代の陸奥国司による奉弊社といわれており、町内では最古の神社となる。
 大正4年(1915年)、内務省の訓令により旧谷地森村内の八坂神社(天王様)、神明社、八幡神社と合祀され、八坂神社のあった現在地に移された。
 「神座石」は平成10年(1998年)まで旧社地に残されていたが、ほ場整備事業の実施に伴い現社地に移されている。
 現在の本殿は、加美石神社の本殿を移築したもので、安永8年(1779年)の造営、拝殿は明治12年(1879年)の造営である。
 ※延喜式内社・・・平安時代初期に編纂された法制書である「延喜式」の神名帳に記載され、当時朝廷から尊崇を受けていた神社で、全国で2861社、県内では50社がある。郡内にはほかに色麻町の伊達(いだて)神社、小野田町の飯豊(いいとよ)神社の2社がある。
    平成12年(2000年)2月1日設置 加美町教育委員会




 参道を進みます、両側にはサクラが満開でした

 参道石段です、先には赤いニノ鳥居です

 手水舎です

 長い石段です

 石段を登り切ると随身門です

 右手に大きな幹が見えます

 境内南端に目的の大杉です

 「町指定天然記念物 天皇様の大杉」の標柱です

 北東側から、目通り幹囲位6.7mの巨木です

 随身門越に大杉です

 鐘楼です

 拝殿です


 本殿です

 本殿脇から、鐘楼と随身門の間に大杉を見ました


 境内社です

 石碑が並びます

 では、次へ行きましょう

 2023年4月7日午前7時10分訪問です
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宮城県加美町、麓山「飯豊(いいとよ)神社の大木(スギ)」(市指定)です!!

2023-05-17 18:32:28 | 巨樹・大木
 麓山地区は、加美町役場の西約6kmのところ

 加美町役場南側道路を北西へ、約900mで信号を左(西)へ国道347号線です

 約1kmで鳴瀬川の支流の田川を田川橋で渡って道成りに進みます、約2kmの三叉路は左(尾花沢方面国道)へ

 約3kmで、右カーブの龍川寺の山門前を左(南)へ、間も無く鳴瀬川の河川敷に降りて行きます

 赤い欄干の石神橋の東側、鳴瀬川の南側の山に飯豊神社が鎮座しています

 石神橋を渡ってすぐ右に飯豊神社社務所が在り、左には駐車場があります

 西向きに飯豊神社の一ノ鳥居が建ちます

 参道を進みます

 右側の斜面の上に大きなスギの幹が見えました

 手水舎です

 ニノ鳥居は北向きに建っています、石段を上ります

 中段に水の出ているところが有ります

 石碑も並んでいます

 中段で右に折れ、更に石段を上ります

 境内に上がって来ました

 右手に鐘楼です

 拝殿前に注連縄を巻かれた杉の大木ですが、目的の杉ではありません、大木の影にもスギの枝が見えます

 拝殿です

 社殿の北側に目的のスギです

 南側から


 町指定天然記念物 飯豊神社の大木(杉・松)の標柱です、裏面の文面には・・・スギは本殿南側にあり、幹回り5.5m、高さ約30mあり、古くから名木として名高く、18世紀後半に書かれた安永風土記にも記載されている。
 松は本殿北側にあり、幹回り3.9m、高さ30mの大木である。
 *裏側文面の南と北・(スギとマツ)が反対になっています、松は無くなってしまったようです

 西側から見上げました

 根元の割れた石は「夫婦石」と言って「御神体」だそうです、玉垣は平成28年に下区南氏子一同が建てたものです

 本殿です

 本殿標柱です、文面には・・・当社は慶雲2年(705)巨勢麿の勧請と伝えられ、延喜式内社として大石を御神体としたが、その後天平9年(737)大野東人が社殿を造営し、正安2年(1300)朝日館主内海氏が再建したとある。
 現在の社風が当時のものか不明だが、歴史的建造物と推定される。
 現本殿は昭和46年老朽のため再建された。
 *巨勢麿とは、飛鳥時代後期から奈良時代前期にかけての公卿。小徳・巨勢大海の孫で、京職大夫・巨勢紫檀の子。官位は従三位・中納言。持統天皇7年(693年)直広肆に叙せられる。大宝元年(701年)の大宝令施行に伴う位階制度の制定を通じて従四位下に叙せられ、慶雲2年(705年)民部卿に任じられる(ウィキペディア一部抜粋)。この年に陸奥に視察にでも出たのかもしれませんね~、その後、和銅2年(709年)陸奥・越後両国の蝦夷征討のため、陸奥鎮東将軍に任ぜられています。
 *大野東人とは、天平元年(729年)陸奥鎮守将軍に任じられ、鎮兵の功績があって昇進し、その後も蝦夷の開拓を進め、天平9年(737年)正月に陸奥按察使兼鎮守将軍の任にあったことから、このころに社殿を造営したものと思われます。


 境内社です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月7日午前6時40分訪問です
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宮城県加美町、米泉高田原「高橋家のサイカチ(市指定)と隣の高橋家の梍」です!!

2023-05-17 12:29:53 | 巨樹・大木
 米泉高田原地区は、加美町役場の西北西約2.5kmのところ

 加美町役場南側道路を北西へ、約900mの信号を左(西)へ国道347号線です

 約1kmで田川を田川橋で渡った西詰を右(北西)の土手道へ

 土手道を下ると間も無く米泉高田原集落です、田川橋から約600m道路脇に

 「高橋家のサイカチ」の標柱です、裏面表記には・・・幹回り約4.5m、樹齢は300年以上と推定され、一部が枯れているものの、県内のサイカチでは5番目に大きい。
 高橋家は大崎葛西一揆の後に帰農した大崎氏の家臣で、再勝(さいかち)を願って植えられたとも伝わる。
 *日本の巨樹・巨木林のデータベースでは、幹周591cmと表記のサイカチではないかと思われます。

 北側の住宅前に大きなサイカチが見えました

 住宅への参道を進むのは、まだまだこんなご時世ですので遠慮して、ズームアップで撮影させて頂きました

 住宅前でご主人が出ておられたので会釈だけしましたが、解かったかどうかは不明です

 少し西側から

 もう一枚だけ

 すぐ、東側の住宅前にも前調べ段階でサイカチの巨木がありましたので行ってみました

 少し戻り(約100m)ます、左斜め鋭角(北西)に入ると

 左手にサイカチが見えて来ます

 こちらも大きなサイカチです

 北東側から

 北がわから、枝が折れた跡が傷になってしまっています

 こちらも表札は「高橋」家でした、日本の巨樹・巨木林のデータベースで、幹周570cm、大枝枯損、空洞あり、異常なコブありと表記されているものと思われます

 では、次へ行きましょう

 2023年4月7日午前6時20分訪問です
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宮城県色麻町 、一の関東苗代「磯良神社(いそらじんじゃ)の杉」です!!

2023-05-17 06:37:56 | 巨樹・大木
 一の関東苗代地区は、色麻町役場の南東約2kmのところ

 色麻町役場から東の県道156号線へ出て、南へ進みます

 花川を花川大橋で渡って約1.3kmで左(東北東)へ田圃の中の道を進みます

 約700mで橋の所に磯良神社の標柱が在りますので左(北)へ

 磯良神社の境内へ入り車を止めさせて頂きました

 参道入口の赤鳥居です

 参道右手にイチョウの大木です、後方に目的のスギでしょうか

 手水舎です

 南側から、目通り幹囲約4、4m(巨樹・巨木林データベース より)の大木です

 東側から

 北側から見ました

 参道左の社務所建物の南側にカヤの大木です

 南東側から、目通り幹囲は約3.8m(巨樹・巨木林データベース より)です


 伝河童生息地の石碑です

 境内には「河童像」がいっぱいです

 説明書きです
   河童膏の伝説(由来)
 いまから千五六百年前、坂上田村麿東夷征伐のおり、その先導をつとめた川童東右衛門という男が一関に永住した。その後子孫たちによって祀られた。
 磯良神社は、一名川童大明神呼ばれている縁結びと下の病に霊験あらたかという妙な取り合わせの神様である。
 昔、ある殿様の館に夜な夜なカッパが現われ、トイレの姫様に悪さした。そこで女装した若侍がトイレの中でカッパの腕を切り落とした。カッパは前非を悔いて腕を返してもらい、交換条件として霊薬川童膏を贈った、もちろんカッパの腕はピッタリと元どうりになった。
 若侍もこの膏薬の神通力で輝かしい武功をたてたという「この膏薬若侍の話のように、切り放された首や手足がぴたりとつながるという霊験があるが、逃げた恋女房や、かたくなになびかぬ思う人に貼れば、バッチリねばって離れない。ただしこの霊薬は、みだりに用いればカッパの罪がたちどころにあたること必定だ。」ということである。
 昔社のうしろを流れる川童川から東右衛門方にカッパが挨拶に来たという。旧6月14日の前夜祭、15日の祭典日である。
 どんな結びつきであるか詳かでないが、川童様にあげないうちは胡瓜を食ていけないといって、初物キュウリは必ず川へ流す風習が現在もつづけられている。
 東右衛門の子孫は、代々川童の姓を名のって川童様神主さんである当主は川童嵩氏。
    昭和59年7月吉日      磯良神社

 目的のスギは、太い注連縄の巻かれた御神木です

 北東側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 北側からは、少し傷みが見えはじめています

 拝殿です

 本殿です


 境内社です

 そろそろ陽が沈む時間になりますので、古川市街へ移動しましょう

 2023年4月6日午後4時35分訪問です
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