ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県糸魚川市、外波「白山若宮社のタブノキ」(市指定)です!!

2023-05-29 18:35:48 | 巨樹・大木
 外波地区は、糸魚川市役所の西南西約12km、糸魚川市役所青海事務所の西南西約6kmところ

 糸魚川市役所青海事務所から国道8号線を西へ親不知を目指します

 駒坂トンネルを貫けて直ぐの「歌」信号を左へ、県道525線です

 道成りに進んで、日本海ひすいライン(旧北陸本線)の親不知駅前を通って

 約300mで左手に旧戸波小学校があります、校舎への石段雄脇に「若宮さん(若宮社叢)←入口」の案内板が有ります

 駐車スペースが有りますので利用させて頂きました

 石段を上がって、右は小学校の校庭です、左へ行きます

 扉を開けて進むと、右手に若宮社の案内板ですこのまま進んでよさそうです

 細い通路を進んんで斜面を上ります

 擁壁の先に手すりが続いていますが、全然歩かれていません、小学校も草に覆われてしまっています

 正面上にタブノキの樹冠が見えました

 手すりは当てになるのか心配です

 夏場は無理ですね~

 ピンクのテープが枝先に巻かれています、それだけ草深くなってしまうと道に迷いそうです

 雨水を流すプラスチックの側溝が有ります

 登って行くと説明版が現われました

 説明版です
   糸魚川市文化財(元青海町)
    若宮社叢
 中央の石の祠(ほこら)は白山若宮で、周りを石で少し囲んであります。昔は磐境(いわさか)といい、神聖な禁足地でありました。古くから地域の人たちは、春秋の祭りを絶やしませんでした。
 石祠(せきし)を覆うこんもりした社叢(しゃそう)は、数株のタブの老木と数株のヤブツバキの大木とからなっており、ことに春先にはツバキの花の満開が見事です。一面に落下した美しい花には、紅と赤の二種があります。
 この社叢は、いわゆるお宮の森で古代には神籬(ひもろぎ)といわれ、神の住まいであるとともに神を招き寄せる目印でもありました。今も実生(みしょう)のタブやツバキの若木が生い茂り、年とともに濃厚になっています。
   糸魚川市教育委員会

 先に見えるのが目的のタブノキです

 左手には少し若いタブノキです

 ユキツバキの咲く藪に入ります

 白山若宮社の石祠です

 すぐ右手に目的のタブノキです

 西側から

 南西側から

 南側から
 では、次へ行きましょう

 2023年4月20日午後1時50分訪問です
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新潟県糸魚川市、一の宮1丁目「天津神社・ 奴奈川神社のケヤキとクスノキ」です!!

2023-05-29 12:39:44 | 巨樹・大木
 一の宮1丁目は、糸魚川市役所の直ぐ東側です

 糸魚川市役所の北側の駐車場の北西角に「郷社 天津神社」の社號標が建っています

 東へ進むと

 右手奥に清崎神社です

 すぐ先右手に神橋です

 左手の神池の中には弁財天でしょうか

 亀(ミシシッピアカミミガメ)が6匹甲干しをしています

 手水舎です

 ケヤキの大木です

 説明版です
   説明
 神社名 天津神社・奴奈川神社 一ノ宮と俗称す
 祭神  瓊々杵尊 天児屋根命 天太玉命 
     境内別に奴奈川神社あり奴奈川媛命
     八千予命を祀る
 鎮座地 新潟県糸魚川市一ノ宮
 人皇第12代景行天皇の御宇の創建に係り、人皇第36代孝徳天皇の勅願所たりと云い傳へ、延喜式内社の一ならむと推稱せらる。
 社殿は元山崎の地に在りしを、山崩れのため此の地に移し造営したりと傳ふ。
 此の地方は、往昔沼川郷と稱し奴奈川媛命の棲みましし處、八千矛命が遠く海を渡りて此の地に上陸せられ、媛と契らせ給ヘリと云ふ史実と、御二方の間に生まれましし建御名方命が姫川の渓谷を辿りて信濃路へ進ませられ、遠近を開拓統治し給へりと云う伝説とに微すれば、此の地は神代に於て国津神の威武を内外に発揚し給へる、重要なる基地たりしを想察するに足る。
 ただ神社名が天津神社と呼ばれ境内別に奴奈川神社の存するは、後世天神地祇其の處を換えたるに依るならむか。
 女神像4體・懸佛・古面・舞楽装束等を秘蔵す。
 春季大祭は4月10日(昔は3月10日)・秋季例祭は10月24日(昔は10月10日)執行せらる。
 大祭に神輿渡御の盛儀あり、壮観多く匹傳を見ず。
 舞楽12曲あり、俗に「ちごの舞」と稱し大祭当日演舞される百花繚乱の候婉麗優美千古雅趣を帯ぶる舞楽を、豪壮極りない神事の後に拝するは、對照の妙正に一大奇観にして古来名物祭の名を壇にしたる所以も亦茲に存するか。
 稜王・大納蘇利・抜頭・能抜頭・の舞面は、明治11年9月明治天皇の北陸御巡行にに際し、行在所に於いて天覧に供したり。
 神社は藩政当時朱印1百石を寄進せらる。
 大正7年郷社に列せられ、昭和18年3月縣社に列せらる。
     昭和20年7月   天津神社社務所
 *文は昭和20年の物です、版自体は出来たばかりの様ですね

 文化財一覧です

 参道を南に進みます

 右手にケヤキの大木です

 すぐ先の左手にはクスノキの大木です

 左に曲がると境内です

 右側境内南端にケヤキの巨木です


 北側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 西側から


 境内南端の朱塗りの建物は「衣紋所」です

 拝殿正面の石壇南端に赤松の大木です

 南端の建物は

 境内全景です、

 珍しい大きな茅葺屋根の拝殿です
 
 北側直ぐ後ろに天津神社本殿です

 天津神社本殿の直ぐ西には奴奈川神社の本殿です

 奴奈川神社本殿の左(西)にクスノキです

 南西側から見ました、目通り幹囲5m(目測)の巨木です

 目通り幹囲6.0mの巨木は忠魂碑のわきです


 スギの大木です

 南側の市役所職員駐車場から見ました

 南側から

 では、次へ行きましょう

 2023年4月20日午後1時訪問です
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新潟県糸魚川市、砂場「善正寺跡のイチョウとシダレザクラ(市指定)」です!!

2023-05-29 06:37:56 | 巨樹・大木
 砂場地区は、糸魚川市役所の東南東約11kmのところ

 糸魚川市役所の北側の県道222号線を東へ、約3.5kmで国道8号線バイパスに合流し右(東)へ

 約1.8km立壁信号で右(南西)へ、県道270号線です、道成りに約9.8km進みます

 車窓には火打山と焼岳が迫って来ます

 県道の右側に「砂場⇒入口」の案内板が有りますので、右(南西)へ入ります、間も無く早川を東西橋で渡って

 約800m坂道を登って行くと右手の広場に目的のイチョウが見えました

 広い善正寺跡です、境内入口に車を止めさせて頂きました

 道路沿いには納骨堂のようです

 東側からイチョウを見ました

 広場の中ほどに大きな石碑です

 説明版です
   善正寺跡地
 善正寺の歴史
 「砂場の善正寺さん」と近郷の御門徒に親しまれてきた上宮山善正寺は、その縁起によれば、文暦元年(1234年)に僧教俊が錫杖をこの地に止め、上宮山宝寿院という真言密教のの精舎を開いたことに始まる。
 その後、天文・弘治の頃(1550年頃)春日山城主上杉謙信とその子景勝の家臣薗田治郎成家の孫、成忠が出家して善正坊と号し、一向専修の行者となる。
 元亀から天正年代の石山戦(1570~80年)に参戦し、織田軍勢と戦った善正坊は、本願寺第11世顕如上人の法弟となり、直ちに浄土真宗に改宗し、帰国後、旧西山小学校跡地脇に堂宇を建立、これを善正寺とし、中興改宗の第1世となった。
 善正寺第8世釈祐清の代、元禄3年(1690年)から10年の歳月を費やし、堂宇をこの場所に移し再建した。
 第12世釈亮清の代、京都二條家の仲院利子姫のお輿入れに伴い、寛政10年(1798年)に二條殿の祈願所となり、寺紋は下がり藤二條家紋となった。
 元禄の再建後約300年間、善正寺の本堂と庫裡は、一度も天災にあわずにこの地にあったが、長年の風雪による老朽化が激しく、第19世釈修清の代、平成元年(1989年)から5年の歳月をかけて大和川の地に移築再建した。

 *一向専修とは、ひたすら一つの修行、とりわけ念仏に励むこと。
 *大和川の善正寺は、糸魚川市役所の東約3kmの海川右岸に有ります

 イチョウを東側から見上げました

 南側から、目通り幹囲4.9mの大木です

 南西側から

 西側から見ました
 

 善正寺の基礎石です


 市指定天然記念物善正寺のシダレザクラの標柱です


 境内の南端にシダレザクラが見えました


 手前左右に池があります


 北側からシダレザクラを見ました

 天然記念物のシダレザクラです

 境内南側池の間からイチョウを見ました




 境内にはアズマイチゲの群落です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月20日午前11時50分訪問です 
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