水俣地区は、糸魚川市役所の南南東約3.5kmのところ
糸魚川市役所北側の県道222号線を東へ、約1.9kmの押上信号を右(南南東)へ県道221号線です
道成りに3.3kmで、標識に従って水俣観音方向の斜め右(南)へ入ります
以前紹介したことのある「山王森のケヤキ」の脇を通て道成りに約500m進むと右手に東向きの観音堂参道です
道路左側に広い駐車場があります、このルートのこの先は、冬期は積雪のため通行止めになっています
大きな水俣観音堂の石碑です
説明版です
水俣観音堂の文化財
〇縁起・・・当地は、大同元年弘法大師の開基で、坂上田村麻呂が草創した七堂伽藍があったと伝わる。
支配は、吉祥院で格式高く、その名声は近国に及んだ。しかし、明治6年に観音堂と日吉神社を残して廃寺となった。以来、観音堂は、地元の信者によって守られている。
また、本堂の本尊十一面観音像には、南北朝の政変で佐渡に配流された権中納言日野資朝卿の子阿新丸の伝説が今に伝わっている。
〇国指定重要文化財・・・木造十一面観音立像 1軀 大正12年3月28日指定
像は、高さ155cm、桜材の一木造りで、、両手首は失われている。頭部の天冠台上には、現在、薄くなっているが墨書で表情豊かな顔10面が描かれている。
一般に鉈彫といい、丸鑿を横に用いて荒っぽく彫る技法で作られ、鑿の運びは自由で像からは素朴な穏やかさが感じられる。
鉈彫は、関東を中心に広く分布するが県内では本像を含めて2軀である。本像は、藤原時代の荒彫あるいは鉈彫彫刻の一例として貴重である。
〇その他の文化財・・・水俣観音堂 1棟
棟札には、明和5(1768)年、棟梁倉若七右衛門、同脇宮原与右衛門、同下役小杉久右衛門と書かれている。
方5間の中世密教本堂にみられる平面形式を持ち、内陣周囲だけ円柱を使う。古い材がよく残り、古典的手法のよく残る建築として、また、村の管理する修験道系の遺構として注目されている
男神像 2軀
1軀は、台座まで共木から彫り出した像で、像高は27cm、両手を欠いている。もう1軀は虫喰いが著しく下肢を失っており、像高は23.5cmである。両像とも室町時代頃の作と考えられる。
鋳銅製鰐口 1口
観音堂正面軒下にかかっている。刻銘には、「貞享3(1686)年、鋳師高田藤右衛門藤原朝臣家次」「施主糸魚川高野清右衛門季林敬白」とあり、制作年代と鋳師、施主の名がわかり資料的価値がある。
糸魚川市教育委員会・水俣区・北山区
参道石段を進みます
石段上の右手に有った目通り幹囲5.4mのスギの巨木は無くなっています、2012年4月の強風で倒れてしまったようです
本堂です
北側の軒下です
南側の軒下です
南側の角には梵鐘が下がります
重要文化財の説明版です、参道入口の説明版とほぼ一緒です
境内はよく手入れされていますね
本堂裏側の斜面下の穴からは水が湧いています
境内で目立ったスギは
境内北端のトイレ脇のスギの大木です
本堂裏側への階段です
上がって行くと
御堂です
境内には宝篋印塔です
南側には大きな岩が並びます
南端には五輪塔が沢山ありました
シャガの花はまだまだこれからですね
では、次へ行きましょう
2023年4月20日午前11時30分訪問です
糸魚川市役所北側の県道222号線を東へ、約1.9kmの押上信号を右(南南東)へ県道221号線です
道成りに3.3kmで、標識に従って水俣観音方向の斜め右(南)へ入ります
以前紹介したことのある「山王森のケヤキ」の脇を通て道成りに約500m進むと右手に東向きの観音堂参道です
道路左側に広い駐車場があります、このルートのこの先は、冬期は積雪のため通行止めになっています
大きな水俣観音堂の石碑です
説明版です
水俣観音堂の文化財
〇縁起・・・当地は、大同元年弘法大師の開基で、坂上田村麻呂が草創した七堂伽藍があったと伝わる。
支配は、吉祥院で格式高く、その名声は近国に及んだ。しかし、明治6年に観音堂と日吉神社を残して廃寺となった。以来、観音堂は、地元の信者によって守られている。
また、本堂の本尊十一面観音像には、南北朝の政変で佐渡に配流された権中納言日野資朝卿の子阿新丸の伝説が今に伝わっている。
〇国指定重要文化財・・・木造十一面観音立像 1軀 大正12年3月28日指定
像は、高さ155cm、桜材の一木造りで、、両手首は失われている。頭部の天冠台上には、現在、薄くなっているが墨書で表情豊かな顔10面が描かれている。
一般に鉈彫といい、丸鑿を横に用いて荒っぽく彫る技法で作られ、鑿の運びは自由で像からは素朴な穏やかさが感じられる。
鉈彫は、関東を中心に広く分布するが県内では本像を含めて2軀である。本像は、藤原時代の荒彫あるいは鉈彫彫刻の一例として貴重である。
〇その他の文化財・・・水俣観音堂 1棟
棟札には、明和5(1768)年、棟梁倉若七右衛門、同脇宮原与右衛門、同下役小杉久右衛門と書かれている。
方5間の中世密教本堂にみられる平面形式を持ち、内陣周囲だけ円柱を使う。古い材がよく残り、古典的手法のよく残る建築として、また、村の管理する修験道系の遺構として注目されている
男神像 2軀
1軀は、台座まで共木から彫り出した像で、像高は27cm、両手を欠いている。もう1軀は虫喰いが著しく下肢を失っており、像高は23.5cmである。両像とも室町時代頃の作と考えられる。
鋳銅製鰐口 1口
観音堂正面軒下にかかっている。刻銘には、「貞享3(1686)年、鋳師高田藤右衛門藤原朝臣家次」「施主糸魚川高野清右衛門季林敬白」とあり、制作年代と鋳師、施主の名がわかり資料的価値がある。
糸魚川市教育委員会・水俣区・北山区
参道石段を進みます
石段上の右手に有った目通り幹囲5.4mのスギの巨木は無くなっています、2012年4月の強風で倒れてしまったようです
本堂です
北側の軒下です
南側の軒下です
南側の角には梵鐘が下がります
重要文化財の説明版です、参道入口の説明版とほぼ一緒です
境内はよく手入れされていますね
本堂裏側の斜面下の穴からは水が湧いています
境内で目立ったスギは
境内北端のトイレ脇のスギの大木です
本堂裏側への階段です
上がって行くと
御堂です
境内には宝篋印塔です
南側には大きな岩が並びます
南端には五輪塔が沢山ありました
シャガの花はまだまだこれからですね
では、次へ行きましょう
2023年4月20日午前11時30分訪問です