中田町上沼八幡山地区は、登米市役所中田庁舎の北東約5kmのところ
登米市役所中田庁舎前から国道346号線を北東へ進みます
約2.3kmの北上川の錦桜橋西詰の信号を左(北)へ国道342号線です
約2.7kmで道路左に「名木うば杉 総鎮守八幡神社⇒」の看板が出ています
右(東)に入って直ぐ、左(北東)への道へ入ります(案内板があります)
約800mで、また案内板がありますので右(東)へ道成りに進みます
約400mで丁字路を左(北)へ、道は直角に右へ曲がって緩く坂道を登って行きます
三叉路にも案内板が出ていますので左へ進むと
赤い大鳥が見えて来ましたもうすぐです
社務所脇の駐車場に入りました
南西向きの長い参道入口です
新しい社號標です
古い社號標です、郷社 八幡神社です
東北自然歩道の案内板です
「新・奥の細道」
北上川の自然と歴史探訪のみち
八幡神社境内は県内有数の広さをほこり、姥杉や樹齢400年余の杉・松などが社殿を覆い、山菜採りや自然観察が楽しめる。
北へ行くと、運慶の作と言われる韋駄天像を安置している長承寺がある。
北上川沿いにサイクリングロードを南下すると、日本三弥勒尊の一つであり奥州の高野山といわれる弥勒寺がある。
さらにサイクリングロードをすすむと堤防決壊を防ぐため生き埋めとなった娘を祀る「お鶴明神」を経て、十一面観世音菩薩が安置されている長谷寺にいたる。
桜並木の自然歩道を登り長谷山公園に出ると、登米市中田町内の田園風景が一望できる。
令和元年(2019)6月
宮城県観光課
参道の石鳥居です
参道右手に「陰陽石」です
縁結びの霊石
地上に2尺ほど突出し、左右に分かれ中央が細くくびれている奇石である。
「風土記御用書出」(安永3年〈1774〉)には、東参道にある駒踏み石とともに、名石として記載されている。
通称を夫婦石といい、古来縁結びの霊石と崇められている。
いにしえの人々はこの霊石に八幡山の形を見い出し、また10尺あまり堀り穿っても形が変わらないという伝説もある。
ニノ鳥居でしょうか(赤い大鳥居を入れると3基目)
東日本大震災復興記念碑です
赤い鳥居は三ノ鳥居でしょうか
手水舎です
八幡神社縁起の石碑です
御祭神 応神天皇
本社は後冷泉天皇の御宇天喜元年(1053)源頼義・義家公によって御奉祀せられしなり。
平安中期・蝦夷の安部頼時・貞任父子朝廷に反逆せし故、鎮守府将軍源頼義公日高見川(北上川)を北上し、八幡山に屯営す。
更に康平・治暦年中の二度に亘り義家公も当山に営を張り、八幡大神(穀物、産業、破邪、武神)に戦勝を祈誓せしが霊夢を蒙り完勝す。よって武具を納め、社地を寄進す。拝殿脇の姥杉がお手植と伝えらる。
以来、世々の藩主祭祀を慎み、領民挙りて鎮守と尊崇し、家内安全・商売繁盛・神体健全等全ての開運・除災・心願成就の神として、その御神威は遠方に及び信仰深かりき。
慶長9年、伊達宗直公登米に寺池城主となるや氏神として社領武具を寄進、一方、西郡家は沼館城の乾方鎮護となし、弓矢守護神として崇敬す。
御社殿は文明2年(1470)大修繕を加え、安永5年(1776)宮殿を再建、朱塗りも鮮やかなため「奥州の朱八幡」称されたと伝えらる。
木組彩色八角柱十二支等の彫刻が風雅な趣きの桃山建築の名残りをとどむ。
昭和4年神饌所を造営、9月郷社に列し、昭和21年神社本庁に所属す。
昭和9年本殿、昭和27年拝殿を銅板葺きに改修、昭和51年神楽殿改築、昭和57年御創祀930年記念大祭を斎行し、その概要を裏面に記す。
境内地は1万坪に及び、松、杉、樅等の古木に覆われ県北随一の静寂荘厳な神域なり。
当社の東北に伝説の経壇森あり。山頂の石碑を参照されたし。北上川を眼下にし眺望すこぶる良い。
随身門です
随身の豊磐間戸命と櫛岩間戸命の両神が守っています
市指定文化財の随身像の説明版です
神楽殿です
拝殿です
本殿です
境内社です
本殿裏側の鳥居です、先には祠が並びます
では、姥杉を見て行きましょう
2023年4月5日午後1時訪問です
登米市役所中田庁舎前から国道346号線を北東へ進みます
約2.3kmの北上川の錦桜橋西詰の信号を左(北)へ国道342号線です
約2.7kmで道路左に「名木うば杉 総鎮守八幡神社⇒」の看板が出ています
右(東)に入って直ぐ、左(北東)への道へ入ります(案内板があります)
約800mで、また案内板がありますので右(東)へ道成りに進みます
約400mで丁字路を左(北)へ、道は直角に右へ曲がって緩く坂道を登って行きます
三叉路にも案内板が出ていますので左へ進むと
赤い大鳥が見えて来ましたもうすぐです
社務所脇の駐車場に入りました
南西向きの長い参道入口です
新しい社號標です
古い社號標です、郷社 八幡神社です
東北自然歩道の案内板です
「新・奥の細道」
北上川の自然と歴史探訪のみち
八幡神社境内は県内有数の広さをほこり、姥杉や樹齢400年余の杉・松などが社殿を覆い、山菜採りや自然観察が楽しめる。
北へ行くと、運慶の作と言われる韋駄天像を安置している長承寺がある。
北上川沿いにサイクリングロードを南下すると、日本三弥勒尊の一つであり奥州の高野山といわれる弥勒寺がある。
さらにサイクリングロードをすすむと堤防決壊を防ぐため生き埋めとなった娘を祀る「お鶴明神」を経て、十一面観世音菩薩が安置されている長谷寺にいたる。
桜並木の自然歩道を登り長谷山公園に出ると、登米市中田町内の田園風景が一望できる。
令和元年(2019)6月
宮城県観光課
参道の石鳥居です
参道右手に「陰陽石」です
縁結びの霊石
地上に2尺ほど突出し、左右に分かれ中央が細くくびれている奇石である。
「風土記御用書出」(安永3年〈1774〉)には、東参道にある駒踏み石とともに、名石として記載されている。
通称を夫婦石といい、古来縁結びの霊石と崇められている。
いにしえの人々はこの霊石に八幡山の形を見い出し、また10尺あまり堀り穿っても形が変わらないという伝説もある。
ニノ鳥居でしょうか(赤い大鳥居を入れると3基目)
東日本大震災復興記念碑です
赤い鳥居は三ノ鳥居でしょうか
手水舎です
八幡神社縁起の石碑です
御祭神 応神天皇
本社は後冷泉天皇の御宇天喜元年(1053)源頼義・義家公によって御奉祀せられしなり。
平安中期・蝦夷の安部頼時・貞任父子朝廷に反逆せし故、鎮守府将軍源頼義公日高見川(北上川)を北上し、八幡山に屯営す。
更に康平・治暦年中の二度に亘り義家公も当山に営を張り、八幡大神(穀物、産業、破邪、武神)に戦勝を祈誓せしが霊夢を蒙り完勝す。よって武具を納め、社地を寄進す。拝殿脇の姥杉がお手植と伝えらる。
以来、世々の藩主祭祀を慎み、領民挙りて鎮守と尊崇し、家内安全・商売繁盛・神体健全等全ての開運・除災・心願成就の神として、その御神威は遠方に及び信仰深かりき。
慶長9年、伊達宗直公登米に寺池城主となるや氏神として社領武具を寄進、一方、西郡家は沼館城の乾方鎮護となし、弓矢守護神として崇敬す。
御社殿は文明2年(1470)大修繕を加え、安永5年(1776)宮殿を再建、朱塗りも鮮やかなため「奥州の朱八幡」称されたと伝えらる。
木組彩色八角柱十二支等の彫刻が風雅な趣きの桃山建築の名残りをとどむ。
昭和4年神饌所を造営、9月郷社に列し、昭和21年神社本庁に所属す。
昭和9年本殿、昭和27年拝殿を銅板葺きに改修、昭和51年神楽殿改築、昭和57年御創祀930年記念大祭を斎行し、その概要を裏面に記す。
境内地は1万坪に及び、松、杉、樅等の古木に覆われ県北随一の静寂荘厳な神域なり。
当社の東北に伝説の経壇森あり。山頂の石碑を参照されたし。北上川を眼下にし眺望すこぶる良い。
随身門です
随身の豊磐間戸命と櫛岩間戸命の両神が守っています
市指定文化財の随身像の説明版です
神楽殿です
拝殿です
本殿です
境内社です
本殿裏側の鳥居です、先には祠が並びます
では、姥杉を見て行きましょう
2023年4月5日午後1時訪問です