ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

富山県砺波市、福岡「厳照寺の門杉」(県指定)です!!

2023-05-25 18:30:26 | 巨樹・大木
 福岡地区は、砺波市役所の東約6kmのところ

 市役所前信号から東へ市道を進みます、約1.5kmで右からの県道に合流して更に東へ、県道72号線です

 約6.7kmで庄川を砺波大橋で右岸へ渡ります、砺波大橋を渡り切って約1.8kmの河岸段丘上の宮森新信号を右(南)へ

 約200mで右手に厳照寺の参道が東向きに開いています

 向かい(東)側の公民館の駐車場に車を止めさせて頂きました

 浄土真宗 本願寺派 厳照寺です

 参道を進みます

 境内左手(南)に鐘楼です


 梵鐘は砺波市指定文化財(工芸)です

 南東側から目的の「門杉」です

 正面(東側)から、門杉の間からすぐ先に本堂が見えています

 北東側の境内広場から見ました

 説明版です
   巖照寺の指定文化財
 巖照寺は井波瑞泉寺と共に本願寺5代綽如の開基になるといわれる。もと現在の庄川の河中にあたる場所にあったが、天正13年(1585)の庄川東遷以来その寺地を洪水におかされ、一時権正寺村へ移り、その後の正保4年((1647)加賀藩から百間四方の拝領地を受けて現在地に移った。
 現在、県指定1件、市指定3件の文化財がある。
【富山県指定文化財】
  天然記念物 厳照寺の門杉 (昭和40年10月1日指定)
 厳照寺の本堂正面に並ぶ南北二本の大きな杉。
 寺に向かって左の南樹は胸高幹まわり6.63m、樹高35m、右の北樹は胸高幹まわり6.57m、樹高40mである。
 この杉は、日本海型のアシオスギ(芦生杉)の一種であるタテヤマスギ系の地方種マスヤマスギで、樹齢は約450年と推定される。正保4年の移転以前から、この二本の杉はあったと伝えられている。
【砺波市指定文化財】
  ●彫刻 木造阿弥陀如来立像 (昭和42年10月6日指定)
 檜の一木造りで挙身光背を背に魚鱗葺の蓮華座に立つ。
 像高19cm。作者は恵心僧都(源信)と伝える。
 台座の形式より、平安末期か鎌倉初期の作と考えられている。現在、当寺の内仏として拝されている。
  ●工芸 厳照寺の梵鐘    (昭和43年7月24日指定)
 この銅製梵鐘は、寛永15年(1638)に砺波郡西保(現高岡市西部金屋)の鋳物師によって鋳造されたことが銘文によって知られる。
 鐘身96cm、竜頭21cm、口径(外経)70cm。
 江戸時代的な過飾はみられず、製作は寛永年間であるが室町期の様式を踏襲している。
  ●考古資料 御物石器    (昭和37年5月28日指定)
 中尾遺跡(砺波市中尾)から出土し、のちに巖照寺へ寄付され、重量感のある大形石器で、長さ32cm、幅9.6cm。
 縄文時代晩期のもので、祭祀や墓葬儀礼に用いたとみられている。御物石器の分布は飛騨・美濃地方に集中し、北陸地方でも出土している。
    平成14年10月30日   富山県教育委員会
                  砺波市教育委員会

 境内は保存樹林です
    砺波市保存樹林
1 所在地 砺波市福岡172番地
2 樹種  スギ・イチョウの樹林(7538㎡)
3 所有者(管理者) 厳照寺(代表 西脇順祐)
4 指定番号  平成6年3月 保存樹林指定第10号
5 指定基準 砺波市花と緑のまちづくり条例施行規則 第14条第1項第2号ア該当
    砺波市

 南側のスギです

 北側から

 北西側から

 北側のスギです

 南側から

 南西側から


 本堂です

 本堂前から南側のスギです

 本堂前から北側のスギです

 本堂北側の庫裏の駐車場には、保存樹林案内板にあったようにイチョウの大木が二本立っています



 境内にはシャクナゲが綺麗でした

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午後1時30分訪問です
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富山県砺波市、安川「日吉神社のスギ」(保存樹林)です!!

2023-05-25 12:31:08 | 巨樹・大木
 安川地区は、砺波市役所の東南東約5kmのところ、庄川の右岸側です
 
 砺波市役所西側の国道156号線を南へ、約1.0kmの花園町信号を左(南東)へ国道359号線です

 約4kmで、となみ野大橋で庄川を渡って右岸側へ、約2kmの頼成(北)信号を右(南)へ県道11号線です

 約1.9kmで右手に日吉神社の社號標が見えました

 県道11号線沿い東向きに日吉神社社號標です

 参道を西へ入ります、幟の支柱と一ノ鳥居です

 境内入口です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 手水舎です

 献馬像です

 拝殿です


 本殿覆い屋です

 境内は保存樹林です
   砺波市保存樹林
1 所在地  砺波市安川西ー423番地
2 樹種   スギ、エノキの樹林(1612㎡)
3 所有者(管理者)  日吉神社(総代)
4 指定番号 平成6年3月 保存樹林指定第6号
5 指定基準 砺波市花と緑のまちづくり条例施行規則 第14条第1項第2号ア該当
    砺波市

 拝殿南側に目的のスギです

 東側から、太い注連縄が巻かれて御神木です

 南東側から、目通り幹囲5.4mの巨木です

 西側(本殿覆い屋の南側)から見ました、南西面に傷みが見られますがまだまだ元気にしていて欲しいですね


 社殿北側にもスギの大木です

 更に北側の境内社は神明社です、立派な鳥居と社號標があります

 本殿の裏側(西)にもスギの大木です

 保存樹林案内板にあったエノキの太いものは見当たりませんでした

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午後1時訪問です
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富山県砺波市、庄川町庄「伝恩光寺跡の二本杉」(市指定)です!!

2023-05-25 06:30:03 | 巨樹・大木
 庄川町庄地区は、庄川右岸の広い地域です、二本杉のあるのは河岸段丘の二段目から東側の山地に入ったところ

 砺波市役所の南東約7km、砺波市役所庄川支所の北北東約3kmのところ

 砺波市役所庄川支所南側の県道371号線を東へ、庄川を舟戸橋で渡り約1kmで県道11号線に合流して北東へ


 約1.3kmで県道11号線脇(東側)に説明版があります

   砺波市指定文化財     種類  天然記念物
     伝恩光寺跡の二本杉  指定日 昭和62年3月30日
 現在、南砺市福野にある金剛山恩光寺は、もとはここ庄金剛寺村にありました。
 増山城主の神保氏によって応永15年((1408)に開かれましたが、一向一揆、長尾能景・為景(上杉謙信の祖父・父)の戦いなどで何度も被害を受け、無住と再興を繰り返しました。
 寺を移したのは、福野や津沢を町立てした阿曽三右衛門です。福野開町まもない承応2年(1635)の大火を受け、再度の火災を防ぐため、同寺を移し火災を防ぐ神である秋葉大権現を祀りました。一方、跡地に庵を建て、知浄という僧に守らせたと伝わっています。
 現在、寺跡には小さな薬師堂があり、大きな杉が二本そびえ立っています。この薬師堂に向かって、左側の杉は、幹周り4.6m、右側は4.0mで、いずれも樹齢400~500年と推定されています。恩光寺の歴史を見守ったであろう杉は、今も静かにこの地域を見守っています。
   砺波市ふるさと文化財   種類  史跡
     宗半塚        登録日 平成23年1月26日
 中川光重は中川重政の二男として尾張国(愛知県)に生まれ、初め織田信長に仕え、、後に前田利家の二女蕭(しょう)の婿となり、利家に仕えました。のちに、巨海斎宗半と名乗りました。
 天正13年(1585)、前田氏が越中三郡を領有すると増山城の城代を任せられました。増山城在城時、恩光寺に三千歩の寄付を行い、復興したようです。その後、千利休門下の茶人として、豊臣秀吉の御伽衆(主君の話し相手)としても仕えました。
 前田家に復帰した時には、石高が二万三千石に達しており、利家の子の養育係を勤めるなど前田家の中心的家臣となっていました。
 慶長16年(1611)に職務を退き、慶長19年(1614)53歳で亡くなりました。石川県金沢市野田山で蕭と同じ墓に埋葬されましたが、金剛寺村ではこの地に埋葬されたと伝えられています。これを宗半塚とよびます。
   令和2年9月30日    砺波市教育委員会

 *二本杉それぞれの太さは、文化財指定時のものと思われます、少し大きくなっているようです
 
 二本杉へ行ってみましょう

 手前を東へ入って三叉路状を右へ、用水路の先を鋭角に左へ坂道を上り右カーブを過ぎると

 右手に二本杉入口に標柱と説明版です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 笹薮の中にも説明版です
   矢竹禁伐林  自生地
 当地の矢竹は加賀藩より矢竹奉行を遣わし臨検したところ、其の質善良無比なるを認め、之を禁伐林とし保護された。
 本村住人、和三郎、勘右エ門の二名を矢竹番人と定め、時々此の竹林より矢竹を切り、藩に送り軍用に供していたが、明治維新により禁伐林が解かれた。
 当矢竹は当地より移転した南砺市福野町恩光寺境内にも移植され現存している。(雄神村誌より)
    平成20年5月    金剛寺常会  藤井神主68代主参弘書


 もう一枚あります
   金剛山 恩光寺
 金剛山恩光寺の開基は増山城主神保氏である。開祖の月桂立葉禅師は、中新川郡立山町眼目山立山寺を開いた大徹宗令禅師の弟子といわれている。神保氏は此の寺を菩提寺とした。
 応永15年(1408)頃(約600年前)と推定される。現存する位牌は・・・
 増山城主神保氏 恩光寺殿梅翁全通大居士
         霊応院殿月桂妙寒大禅定尼 神祇
 木舟城主石黒氏 照空院殿廊聖本然大居士
         清泰院法室妙輪大禅定尼  神祇
 中川宗半氏   瑞祥院茂庵宗繁居士
    奥方   瑞雲院殿梅顔貞芳大姉
 ・・・とある、天正7年4月長尾為景の兵火にかかって一時衰えたが、中川宗半氏土地三千歩を寄進して再興を計った。
 永応2年(1653)阿曽三右エ門翁によって福野町へ移された。旧跡に残る薬師堂は神社として取扱われ現在にいたる。
   昭和51年8月   庄川町文化財保護委員会



 左に回り込む様に入ると、文化財標柱です

 正面西側から、二本杉の間には冬囲いのブルーシートが外されていない薬師堂です

 左(北側)のスギです


 南西側から

 南東側から見ました、目通り幹囲4,8mの大木です


 右(南)側のスギです

 北西側から

 北東側から見ました、目通り幹囲4.4mの大木です

 では、すぐ先のようですので「宗半塚」へ行ってみましょう


 少し先の右側に「宗半塚」の入り口です

 土塁状のところを上ります

 周りはシャガの群落です

 シャガを踏まないように登って行くと

 杉林の中に宗半塚の標柱が有ります、塚自体は単管で囲われて、四角い石が置かれていました

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午後0時30分訪問です
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