ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

富山県立山町、芦峅寺「芦峅雄山神社境内杉林」(県指定)です!!

2023-05-21 18:30:01 | 巨樹・大木
芦峅寺は、立山観光の要衝です、富山地方鉄道立山線に終点立山駅や、立山黒部アルペンルートの西端に当たります

 広い芦峅寺地区の入り口近く、立山町役場の南南東約13kmのところに芦峅雄山神社中宮が鎮座します

 役場前から県道15号線を東へ、約500mで中米沢信号を右(南)へ、すぐの米沢信号を左(東南東)へ進みます

 約700mの沢新信号を右(南)へ県道6号線です、道成りに約15kmで道路左側に芦峅雄山神社中宮が南向き参道で鎮座します

 すぐ先を左(北)に入って芦峅寺公民館前の駐車場に入る事が出来ました

 参道入口です

 鳥居の直ぐ左(西側)のスギです

 東側の参道から見上げました

 説明版です
  富山県指定天然記念物
   芦峅雄山神社境内杉林 昭和42年9月26日指定
 芦峅雄山神社境内杉林は、集落を抱く「美し山」の麓、祈願殿、大宮、若宮などの社殿をとり囲む18000㎡あまりの広大な境内林です。
 高さ40~50mのタテヤマスギの純林で、幹まわり6.6mの巨樹を最大として2m以上のスギが122本確認され、2m以下も合わせると一千本を超えるといわれています。樹齢は400~500年と推定され、過去に確認されたものには年輪が480以上あるスギもありました。
 幹まわりの太さの割に根まわりの大きなものが目立ち、巨木の中には根元から癒着したものや高さ2~3mくらいまで完全に癒着したものが見られます。百本を超える巨樹が揃うスギ林は県下でも珍しく、タテヤマスギの植生の代表例として価値の高いものです。
 巨大なスギが林立する境内は、日本三霊山の一つとして古くから崇敬されてきた立山の祈願殿にふさわしい尊厳な雰囲気を漂わせています。
 江戸時代には、神聖な領域として加賀藩による禁制が敷かれ、境内林の伐採は厳しく禁止されていました。また、台風や積雪の被害があったときは芦峅寺の人々が補植を行い、スギ林を守ってきました。数百年の間大切に守り継がれてきた境内杉林では、現在も多くの年中行事が執り行われ、立山信仰の伝統が息づいています。
 
 タテヤマスギ・・・富山県の代表的なスギの品種。富山県東部一帯に自生するスギの系統で、耐雪、耐寒性に優れる。
 「富山県の木」(昭和41年10月制定)、立山町「町の木」(昭和49年5月決定)
 スギ林の巨樹   幹まわり6m級   3本
              5m級  15本
              4m級  32本
              3m級  45本
              2m級  27本
               合計 122本(調査年1967)
   平成31年3月  富山県教育委員会 立山町教育委員会
*根回りの大きなスギが目立つのは密植されていないためでしょう、杉や桧などの植林は密植して大きくなるに従い間伐を進める事に依り、根元から幹上部まで幹の太さの揃った杉になります。
 (例:秋田杉・・・きみまち杉:このブログの2022年10月22日に紹介させて頂いております)
*スギの計測から50年以上が過ぎていますので、各級の本数にも変化が有りそうですね、境内を見て行きましょう


 手水舎北側のスギです

 西側から

 北側から見上げました

 講堂前の杉です

 東側から

 北側から見上げました

 右の参道を進むと若宮の手前両側にスギの大木です

 左側参道に入って直ぐ左手のスギです

 北東側から見ました、合体木かもしれませんね


 祈願殿前の参道左手のスギです

 北東側から見上げました

 祈願殿北側のスギです

 参道両側には同サイズのスギが並びます

 中には根元に傷みの見えるものも有りました

 大宮の周りにもスギの大木が並びます

 大宮西側のスギです

 では、次へ行きましょう

 2023年4月21日午前7時40分訪問です
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富山県立山町、芦峅寺「芦峅雄山神社中宮」です!!

2023-05-21 13:29:52 | 文化財・寺社
 芦峅寺は、立山観光の要衝です、富山地方鉄道立山線に終点立山駅や、立山黒部アルペンルートの西端に当たります

 広い芦峅寺地区の入り口近く、立山町役場の南南東約13kmのところに芦峅雄山神社中宮が鎮座します

 役場前から県道15号線を東へ、約500mで中米沢信号を右(南)へ、すぐの米沢信号を左(東南東)へ進みます

 約700mの沢新信号を右(南)へ県道6号線です、道成りに約15kmで道路左側に芦峅雄山神社中宮が南向き参道で鎮座します

 すぐ先を左(北)に入って芦峅寺公民館前の駐車場に入る事が出来ました

 参道入口です

 雄山神社社號標です

 由緒書です
祭神  西本殿 立山大宮  伊弉那岐命
    東本殿 立山若宮  天手力雄命
    別宮  立山開山堂 佐伯有頼公
 當神社は日本三霊山立山を神山と仰ぐ雄山神社中宮にして、延喜式内国弊小社であり、鎌倉時代神道集によれば越中国一の宮称せらる。
 鎌倉幕府・室町幕府・金沢藩主の特別崇敬保護を享け、中宮寺塔中の衆徒社人三十八戸軒を列ねて奉仕し、全国に立山の霊験を布教せり。
 総拝殿を祈願殿と称し境内二万余坪あり、樹林は富山県天然記念物に指定せらる。
 境内に於て草木を採り、殺生を行い、無禮を為すことを固く禁制す。

 
 鳥居です

 手水舎です

 お不動様です

 さらに参道を進みます

 説明版です
  「立山信仰を今に感じる」
 1200年ほど前、大伴家持が「神が住む山」と歌に詠み、日本三霊山の一つに数えられる立山あh、死者の霊が集まる浄土と地獄の山として信仰を集め、江戸時代に隆盛を極めます。
 雄山神社は、三つの社殿からなっています。廃仏毀釈で壊滅的打撃を受けた立山信仰ですが、神仏習合の時代の伝統を守り、数々の宝物や祭礼行事を今に伝えています。
 中宮祈願殿には、樹齢500年のスギの境内林が醸し出す厳粛な雰囲気の中に社が点在します。
     立山町教育委員会
     とやまの文化遺産魅力発信事業実行委員会

 歌碑です
  「なにはがた おしの・ごとに 風おちて よし苅る舟の つくは彼の岸」

 左に治国社です(通称:宝童社・祭神:新川姫命、首から上の病気の守護神・子育ての守り神です)
 右には神明社です(左から、麻続御祖社・皇大神宮・豊受大神宮の三社宮です)

 神橋を渡ります、参道は三方に分れます

 右の参道入って見ます
 
 右の参道を進むと若宮です

 説明版です
   若宮社殿 立山町指定有形文化財(建造物)
        昭和39年6月11日指定
   構造形式 一間社流造、屋根銅板葺 桁行2.7m、梁間4.7m、棟高5.7m
   建立年代 安土・桃山時代
〈概要〉
 若宮社殿は、雄山神社祈願殿の境内にある自然の巨岩の上に建立された堂社です。
 立山信仰の拠点として栄えた宗教村落・芦峅寺は、古くは中宮寺(仲宮寺)と呼ばれ、若宮は媼堂、閻魔堂、帝釈堂、大宮などと並び中宮寺の重要な堂社の一つでした。
 一説には文治元年(1185)に鎌倉幕府が大内冠者惟義に命じて造営したと伝えられていますが、現在の建物は棟札の銘から天正16年(1588)の建設と考えられます。
 現在の若宮社殿は一間社流造で銅板葺ですが、当初の屋根は杮葺です。柱は全て角柱で、礎石に据えられています。明治初年には本殿の老朽化が著しく自立が危うくなったため、本殿の外側に全体を覆う軒支柱が造られています。
 巨岩の上に建立された姿から「岩の宮」とも呼ばれ、近世の絵図でも岩の上に建つ様子が描かれています。巨岩は、雄山神社祈願殿の境内でこの場所にしかなく、巨岩や大木を霊異の対象とした磐座祭祀の名残を感じさせます。
 棟札に記された「ह्रूं」は仏尊を梵字で表した種子と呼ばれるもので「ह्रूं」は不動明王を表す種子です。棟札には堂社に祀る仏尊の種子を書き込む例が多いことから、もとは剱岳を神体とする刀尾大権現を奉祀していたと考えられています。
 *「ह्रूं」は尊勝仏頂を表す種字(転写)です、不動明王の梵字に似ていたので文章内で使用させて頂きました、不動明王を種字では「ह्म्मां」フンマーンや「हां」ハーンで表されます。
 現在まで継承される雄山神社祈願殿の祭礼では、加賀藩ゆかりの神輿二基が巡幸されますが、若宮の神霊が移される一基には華鬘や錺の刀尾の神の化身とされる白鷹が彫刻されており、江戸時代以前の祭礼から古例を引き継いでいるものと思われます。
 若宮社殿は、雄山神社祈願殿境内に残る最古の堂社建築として価値が高く、また、宗教村落・芦峅寺での祭祀や信仰活動の発展について示唆を与える貴重なものです。


 剱嶽社です

 東側の一段上には開山廟所です

 公民館駐車場から見上げました


 真ん中の参道は霊廟への道ですです

 熊に乗った金太郎ではありません、熊は立山権現の化身です、乗っているのは立山開山の慈興上人佐伯有頼公ですよね

 立山開山御廟です

 裏面です、「慈興上人佐伯有頼公 天平宝字3年6月7日 入定留身之地也」とあります


 左の参道を進みます

 すぐ左に境内社ですがお名前が解かりませんでした

 右手に祈願殿が見えて来ます

 日本三霊山立山大権現祈願殿です

 石祠ですがこちらもお名前が有りませんでした

 祈願殿の北側奥に社です

 境内の一番奥には大宮です

 では、境内の杉の巨木を見て行きましょう

 2023年4月21日午前7時40分訪問です
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富山県立山町、伊勢屋「伊勢屋(神明社)の大杉」(町指定)です!!

2023-05-21 06:30:01 | 巨樹・大木
 ここからは、少し前になてしまいましたが、富山県の2023年4月21日取材分です

 伊勢屋地区は、立山町役場の南東約9kmのところ

 役場前から県道15号線を東へ、約500mで中米沢信号を右(南)へ、すぐの米沢信号を左(東南東)へ進みます

 約700mの沢新信号を右(南)へ県道6号線です、約1kmで坂井沢信号を左(東)へ大清水宇奈月線を道成りに進みます

 約3kmで丁字路を右(南東)へ県道67号線です、白岩川に沿う様に約4.6km

 坂道を登切った正面に石碑が見えます
 
石碑は平成16年に閉校になった「七つの谷の子 立山町立東峯小学校跡地」の碑です
裏面には・・・
 立山町立東峯小学校沿革
  明治 6年11月 目桑小学校設置  (目桑村の寺院)
  明治25年    目桑尋常小学校設置(目桑村に設置)
  明治32年 4月 伊勢屋(現在地)に平屋建て独立校舎を新築
  大正13年10月 伊勢屋村にて新校舎に建替え 
  昭和29年 1月 立山町発足により立山町立日桑小学校となる
  昭和38年10月 鉄筋コンクリート4階建新校舎竣工
           立山町立東峯小学校に改称
  昭和56年 4月 休校
  平成16年 3月 閉校 
 *鉄筋コンクリート建築の校舎が出来たころは、子供が多かったことが窺えますが、それから20年足らずで休校になり、更に20数年で閉校になって、現在は更地となってしまっています。
 平野部から約5kmの山間部であることや、冬季は立山観光の要衝である芦峅寺までの県道67号は通行止め(取材時にも工事のため通行止めでした)になってしまっている事で過疎化が進んでしまっているようでした。

 石碑の前に車を止めさせて頂きました

 旧校庭の右手(北端)には東峯地区集落センターです 

 石碑の左手から、目的のスギが見えます

 集落センターの前を通って元校庭の端から見ました

 伊勢屋神明社の新しい社です

 神明社前(北北東側)から

 北東側から

 説明版です
  立山町指定
    伊勢屋の大杉
概説   昭和51年12月1日指定
 この大杉は立山スギで、樹高33m、目廻り6.5m、樹令330年である。
 この地は伊勢屋村神明社が鎮座していた跡地である。
 この附近から対岸にかけての一帯は自然林であったが他の樹木は、ほとんど伐採されたが、白岩川の段丘崖に近かったことと、鎮守の森であったため保存されて来た。
 対岸の池田城が上杉の軍勢に攻略されたとき民家とともに神社も焼けたので、上杉謙信が二株の杉を手植したと伝えているが、謙信が越中を攻略した永禄後期から元亀(1560年~70年)は樹令より見て100年も早いので後世作られた話と考えられる。
   立山町教育委員会
   立山ライオンズクラブ

 北東側から

 北北東かた

 北側から見ました

 では、次へ行きましょう

2023年4月21日午前7時10分訪問です
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