ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県栗原市、築館薬師台「双林寺・薬師堂の老杉」(県指定)です!!

2023-05-11 18:37:16 | 巨樹・大木
 築館薬師台は、栗原市役所の直ぐ西側です

 国道4号線の小山信号を西へ、次の信号を左(南)へ

 北側から市道を南へ進むと

 築館合同庁舎(ハローワーク築館)の駐車場入り口から、南側の岡の上に大きな幹が見えて来ます


 双林寺の表参道石段です

 すぐ北側に、参拝者用駐車場(5台位駐車可)があります、裏参道への入り口です

 北側(駐車場)から見上げました
 
 双林寺裏参道石段です

 薬師堂裏側への上り口から見ました

 天然記念物標柱です、文面には・・・樹齢1200年を誇る高さ34m、幹回り9mの県内最大の巨木である。
 落雷や落枝により、樹勢が衰えている部分もあるが、1200年の風雪に耐えた老杉は築館地区のシンボルとなっている。


 職員駐車場への道路を進みます


 北西側下から

 説明版です
  宮城県指定天然記念物
    薬師堂の姥杉
 「薬師堂の姥杉」は県内で最大の樹齢1200年を超える巨杉で、昭和30年3月25日付で宮城県の天然記念物に指定されました。
 高さ34m、幹は目通りで、9.5m、枝葉は地上8.3mのところから繁茂し、東西26m、南北20mにわたって、壮大な姿を近年まで残していました。
 昭和44年に落雷に遭い、平成6年には火災に遭い、一時、樹勢が衰えましたが、樹勢回復事業を行た結果、徐々に回復しています。
     栗原市教育委員会

 北側から見上げました

 北東側から、こちら側の表皮は無くなってしまっています

 東側から、幹の根元近くはモルタルで埋められています

 東側に離れてて見ました、まだまだ元気で生き続けてほしいものです

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午前7時45分訪問です
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宮城県栗原市、志波姫堀口宮中「鹿嶋神社の槻(ケヤキ)」(名木)です!!

2023-05-11 06:31:24 | 巨樹・大木
 志波姫堀口宮中地区は、栗原市役所の北約1.5kmのところ

 国道4号線を北へ約1kmで国道右側に「鹿嶋神社⇒」の看板が出ています

 看板の手前(クリーニングやさんをの先)を右(東北東)に入ります

 道成りに進むと道路左に鹿嶋神社が南向きに鎮座します

 手前の駐車スペースに車を止める事が出来ました

 境内入口です

 名木 鹿島神社の槻の標柱です、文面には・・・鹿嶋神社は、康元元年(1256)西館主三浦三郎義成が常州(茨城県)鹿嶋宮を分霊し、西館の守護神としたと伝えられる。
 社前の槻は、目通約5.5m、樹高8m、樹齢およそ600年と推定される。
 安永7年(1778)書上風土記にも名木と記されている。

 水盤です

 拝殿です

 本殿です

 村社鹿島神社碑です
 村社鹿島神社は、志波姫村大字姫郷字堀口宮中に鎮座し、祭神は武甕槌神にして8月29日を以て例祭日となす。
 奮記を桉ずるに、人皇第89代後深草天皇の康元元年(1256)、西館館主三浦三郎義成、常州鹿島宮の分霊を遷祀して守護神とし、同時に観音及不動の2坊を建立せりと、義成の父宮内郷忠義、文治5年源頼朝が奥州藤原泰衡征討に際し、其の配下三浦荒二郎義澄に属して従軍し、平定後奥州奉行職葛西壱岐守清重の部下となり、栗原郡金田庄堀口に居館を定め、760貫文の知行を賜り、更に建久4年義澄より太刀を拝領し、以後姓を三浦氏土改む是れ西館大場氏  なり。
 第95代花園天皇の文保元年社殿祝融の災に罹り、義成の曾孫 京 義朝之を再興せりと云う、義朝は即ち千場大庭氏の祖先に当たる。
 爾来260余年西館の守護神たりしが、天正年間兵火のため再び焼失の厄、再建は  深く是を遺憾とし、文禄2年協力復興に努力し遂に其の工を竣へたり、越えて慶長4年館主平左衛門義信故了 ら大場氏と改姓して子孫相次いで居館とセル。爾後280星霜専の鎮守の神として、士民の信仰極めて篤く、明治10年村社に列せらる、然るに近年に至り社殿甚だしく腐朽荒頽せるを既し、氏子総代長大庭経之輔氏率先して総代諸氏相謀りて  遂に社殿の新築並境内の完成を議決す。昭和6年11月先づ土工に着手し、翌7年6月社殿の建築を起工せしが、同年11月24日全久竣成せり、大庭氏 に境内敷地170坪を寄進奉納し、今回更に独力を以て鉄筋瀑凝工事  四面の本殿及大華表を建設奉納せり。拝殿は間口4間奥行2間半の木造にして土工労力と共に氏子一同の寄進に依る、結構堅牢荘厳にして風格重厚なる他に多く其の比を見ず。氏子有志亦競うて万燈籠・手水鉢・唐獅子・面及び道工事等の寄進あり、境内は悉く新装成りて面目を一新し周園の古樹老杉と相候て真に霊場たるの感を深からしむ。
 社掌堀越勝三郎氏父祖15代約400年間相次で神威の 揚に貢献したる所亦甚く多し、顧ふに敬神崇旭は  か  精神の特色にして古来醇美なる風習を馴致したるも今回の美挙たる宝に其の顕現の著しき の 云うべし今神域の完成に当り茲に記念碑を建設し神社の由緒沿革の梗概と氏子諸氏の亦誠とを貞珉に勤して後昆に傳ふと云う

  昭和8年  月  日
  従七位勲八等 高橋文之
         伊達 園書
     勲七等 大庭経之輔  徳能久四郎勲八等白鳥勘治郎 三浦庄一郎  大庭  慶治
  社掌 堀越勝三郎   氏子総代  
                大葉 末吉  徳能 幾蔵  勲八等 功七級 白鳥寅三郎  白鳥政治郎  津田 長治
          共々  

  *読めない所が多すぎました

 西側から目的の槻(ケヤキ)です

 南側から、幹は傷だらけで、モルタルで埋められている部分も見られます

 東側から、こちら側は綺麗ですね

 説明版です
   蘇ったけやき(古称・槻:つき)
 鹿嶋神社は、今より748年前の鎌倉時代康元元年((西暦1256年)、西館館主三浦三郎義成氏が、常州(茨城県)鹿嶋神宮より御分霊遷祠して以来、広く地域の守護神として宮中地区の氏子を始め多くの崇敬者の方々によって崇められてきました。
 遷祠来の樹齢と推定される社前のけやきは、近年腐朽度激しく西側の樹皮部分が朽ち、幹内部は空洞化しておりました。
 神木の保存育成のため宮城県樹木医三嶋久志先生の指導の許、治療するべく宮内区氏子一同の赤誠なる多大な浄財にて、平成7年3月から5月までの3ヶ月間で、総代の労力奉仕により外科的治療、土壌改良、防護柵の設置等がなされました。
 治療後のけやきは、今までとは見違えるほどの樹勢を有するようになりました。
 この郷土の貴重な文化財を守り残すための氏子各位の大いなる真心を称え深謝し、後世に語り継ぐ次第です。  敬白  


 南側から離れて見ました

 境内のいちょうの御神木です

 南側から

 東側から、目通り幹囲約3m(目測)の大木です

 境内社です

 雷神の石碑です

 では、次へ行きましょう

 2023年4月6日午前7時30分訪問です
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