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今年の絵紙展示

2011-02-27 20:00:00 | 新潟ネタ

【絵紙で彩る小千谷のひいな祭り開催中】
開催期日:平成23年2月27日(日)~平成23年3月6日(日)
        10:00~15:00
開催場所 メイン会場:照専寺様境内内和順会館
               平成商店街協同組合加盟店舗ほか
              (新潟県小千谷市平成町)
特別企画:摺師による実演
 ・3月5日(土)午後2時~
 ・3月6日(日)午前11時~ 午後3時~

http://hskojiya.web.fc2.com/oshirase/2010-egami.html


 昨年の展示をデジブックにまとめてみましたhttp://www.digibook.net/d/1ed5afbbb01dbb74ed7d7a52746f54ff/?viewerMode=fullWindow


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 この冬悩まされた大雪もひと段落つき、小千谷の雪嵩も順調に減ってきた。それでも弥生を迎えようとするこの時期に市街には人の身長ほどの雪山が目立つ。
 そんな中、今年も絵紙の展示が始まった。


 メイン会場である和順会館のある昭専寺もこの雪の量である。この辺りでは本来旧暦で行う桃の節句だが、「3月3日に見たい」という要望が多く、ここ3年ぐらいは桃の節句の前後に開催されている

(真ん中の青いのは、簡易消雪パイプです。雪が降ると、これに水を通し、開いている穴から水が出て雪を溶かします)

 小千谷では浮世絵のことを「絵紙」という。北陸や東北では広く「絵紙」と呼ばれていたらしい。それが今も残っているのは、小千谷では絵紙をひな祭りの部屋に飾るという独特の風習が大正時代まで続いていたからだろう。
 小千谷縮などの織物の商いで江戸や上方、伊勢など全国と交易のあった小千谷の商家には、その商売先からわたってきたものが残っていた。それが絵紙とひな人形である。ひな人形は古いのはそれほど多くないが、絵紙はいつの間にか時代から忘れられ、それでも物持ちの良い雪国気質の成せる「蔵の中に入れっぱなし」状態で平成の世まで眠っていた。
 その絵紙が目を覚まさせられたのが「新潟県中越大震災」である。商店街の蔵の多くが壊れ、その中から絵紙が大量に出てきたのである。震災の後片付けの中で廃棄されてしまったのもあるが、それでも10万枚近くの絵紙が出てきたという。その絵紙を順繰りに展示しているのがこの催しである。
 

 和順会館には約1000枚の絵紙が展示されている。一番奥には5枚続きの珍しい絵紙も新しく展示されていた。
 昨年の講演会の様子がプロジェクターで流されているので、それを見聞きするのも楽しいかもしれない。会場にはボランティアガイドもいるので、いろいろと説明も受けられる。このメイン会場以外での見物にも、余裕があればついてきてくれる。


 絵紙の多くは江戸末期から明治大正にかけてのもの。
 多分芝居絵が一番多いだろう。今も続く歌舞伎の名跡や演目が題材になっているから、結構親しみがある。赤穂浪士物も結構ある。そのほかに、合戦もの(平家物語辺りから戦国もので、土地柄川中島の戦いも結構ある)、相撲もの、美人画、時事もの、おもちゃの型紙など、その種類は多岐にわたる。
 3枚一組の絵紙を横に張り合わせ、さらにその家の鴨居の高さに合わせて4段5段とつないでいく。そうやってできた軸をひな人形を飾った部屋に吊るしめぐらせ、華やかな祭りを演出したのである。



 和順会館以外に、商店街でも絵紙を展示している。代々家に伝わっているものを展示しているところもあるし、場所を貸しているところもあるが、日常の中に非日常が出現するのはなかなかに興味深い。日曜日はお休みで残念だったが、パン屋に飾られる絵紙はなかなかに楽しいし、雑然としたガソリンスタンドに飾られる絵紙もなかなか趣き深い。
 1軒だけ、一般のご家庭で参加されているところがある。そこはおばあちゃんが一生懸命勉強してくれて、いろいろと説明してくださる。この年代が「生き証人」のギリギリのライン。
 「おひなさま 見してー」って、子供たちが町を駆け巡った時代である。
 来年もまた元気で会いたいなぁ。


 町内的には隣町になるが、この「鵺退治」はドラマチックである。


 元は仕出しや(小千谷には仕出しの店が多い。和菓子の店も多い)の「享保びな」を包んでいた紙である。なんだか絵が描いてあるようだってことで、バラバラになった紙片を組み合わせてみたら、この「鵺退治」が出てきた。長辺166センチの巨大な作品である。
 特別に長い版木を用い、それを横に3枚つないで墨線を刷ったもので、その後に朱漆などで彩色したものらしい。
 おそらく「鵺退治」は、悪霊からこの家を守るためのものだったのだろうが、その役目を終えてからも代々伝わってきた人形を守るご利益を期待して使われていたのかもしれない。


 まだまだ研究し尽くされていないからこそ、いろんな想像ができて楽しいのである。